紅猫 @Wiki内検索 / 「教派神道」で検索した結果

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  • 教派神道
    教派神道 伊勢神宮が神宮教。 明治15年…てあれ、神道大社派と同じかこれ、どっちが先だろ。 まず「神道神宮派」と名乗り、それから神宮教と改名したそうです。 出雲大社が神道大社派、かな、同じく明治15年。祭神論争などの影響もあるそうですが。 神官が教導職に付くことの禁止があったために分離独立、とのことです。 (これだけだとわからないけど、多分組織の根本から変えられてしまうんだろうね。) もともと存在していた出雲大社教が中核の派閥なのかな、名前からして。 ていうか最初の神道神宮派(伊勢)って「神道大社派」(出雲)と兄弟分にしか見えないww で、伊勢の神宮教は明治32年に解散して財団法人奉斎会。 さらにそこが昭和21年に解散して「神社本庁」に(終戦翌年だこれ)。 「教派神道」自体は主な宗派だけで13派とか結構いっぱいあるっぽいね。
  • 祭神論争(明治13年)
    ...りではないんですが、教派神道と共にどうもだいぶ近代以降の神道の基本になってそうなので、てか、神道学校が2つあるのってひょっとしてこれかねぇ? 明治13年から明治14年に掛けての論争。 すごく大雑把に伊勢神宮と出雲大社の争いみたいな感じです。 日比谷の神道事務局(出来たて)にて、「造化三神」とアマテラスを祭ろうとした伊勢神宮派がいまして。 (天之御中主神・あめのみなかのぬしのかみ/高御産巣日神・たかみむすひのかみ/神皇産霊神・かみむすひのかみ。) そこに冥界の主神である大国主を加えんかーい、という出雲大社側が主張。 しかし三神って要するにアマテラスさんの子孫なんだろうか、聞いたことくらいしかないぞ…。 正直、こんなとこに大国主入れたらどう考えても一人で残り4人に拮抗して面倒臭い。伊勢信仰もそこそこ江戸の頃には隆盛してたけど大国主さんのほうが親しみあるしな...
  • 道路政策(明治6年以降)
    道路政策(明治6年以降) んーと、名前に迷ってるんですがこれでいいかな…明治6年に限定するのもなんだしな。 ただ、これ以前にもいわゆる街道の旧宿駅制が陸軍の管理下に置かれたりもしてるよう…あれ、どっちが先だ? 体系的なものとしては明治6年8月2日の「河港道路修築規則」が最初のようです。 (大蔵省達番外、てのは資金配分に関してかなぁ、大蔵省の管轄ってこの時期どうなんだ。) 1等道路、東海中山陸羽道の如き全国の大経脈を通する者 2等道路、各部の経路を大経脈に接続する脇往還枝道の類 3等道路、村市の経路 で、これ見るとわかるんですがわりと抽象的な内容なんで続いてえーと。 明治9年6月8日に「太政官達第60号」にて再定義。 国道1等、東京より各開港場達するもの 国道2等、東京より伊勢の宗廟及各府各鎮台に達するもの 国道3等、東京より各県庁に達するも...
  • ゲーム:刀剣乱舞、その13
    ゲーム:刀剣乱舞、その13 5月14日めも。 わりとあっさりと検非違使5回撃破してしまったので(同レベル帯で6人集めて、だいたいレベル後半に達してると全然楽勝ぽいね)、6-2をぽちぽちとやっていたんですがうーん、太刀連れてかないほうがいいのか、橋渡ってやたらと刀装が増える時点で攻撃が通らなくなるので正しい選択だと思うんだけど自信ないなぁ。 なんだかんだと太刀で半分くらい倒せるので迷ってるってのもあるんだけどね。 一回外して脇差2打刀2短刀2で行ってみるべきか、それとも単に純粋にレベルが低いのか、一番高いのがいち兄と燭台切さんの81であと70台の最初とか真ん中くらいまでしかないんだよね、短刀が特にちょっと低いんですが。 短刀はさすがに5面には向かないから連れてってなかったからなぁ。 まあ一回試してからにするか、別に急ぎはしないんですが、さすがに何日もやってて一度もボスに到...
  • 雑記:文或と近代もろもろ、172
    雑記:文或と近代もろもろ、172 11月13日めも。 リアルタイムは2020年10月25日、というか、2019年のキャラ言及のこと(えっと今回は5枚め49人まで終了していて、あと16人で雑記2枚かな、リストアップだけはもうしてある)をすっぱり忘れておりまして、特に無理もなく間に合う範囲の時期に思い出せて良かったよ…。 50日分であっても、1日1枚2枚って感じで進んでるからな…。 復活してから一番出来が良かったのは昨日の学制に関してのような気がするー、目的意識が希薄で詰め込んだ時のほうがマシなのなんでかしらね、性格かしら。 ところで今日も特になにを書くのかということを考えておらないわけですが。 てか、一応あれ、「学制」ってのが法令(太政官からの布告)の類だってのは昨日初めて知ったんですけども、どうもこう、つらつら見ているとどうも文部省と関係があるような気がしない、文部省は「廃藩...
  • 雑学:明治の新聞発展事情、177
    雑学:明治の新聞発展事情、177 「新聞」の始め。1月2日。 えーと、打ち込んでる時点でどう表記されるのかよくわからないまま、こんな感じで行く予定です、今まで小見出し生かせてなかったし。 ところで「新聞」の初めというのはそこそこ時期がはっきりしていて、ざっくりと江戸幕府の機能が停止した辺りからだそうです、なんというか、江戸時代におけるかわら版てのはあれは非合法のものだったそうなので。 時々時代劇とかで「号外、号外!」な感じで叫んでるけど捕まるからやんないらしい。 新聞の概念が諸外国から入って来まして、初めてちゃんと発行出来たのがなんでも「慶応新聞」て呼んだりもするようです、まあ、体裁としてはかわら版と変わらないとは思うけど、記事内容はインテリが書いていたりしてだいぶ違いそう。 基本的にこの辺は幕府サイドのほうが有名だったみたいですね。 『中外新聞』がのちに復活してることと(...
  • 文芸:文アル登場作家、その3。209
    文芸:文アル登場作家、その3。209 徳田秋声。11月17日。 ええと、明治4年生まれで旧暦だと12月23日、にゃ、一応文アルのゲーム基準にすると新暦換算になってるぽいんですが、気分です、新暦への切り替えは明治5年から6年に掛けてって表現するのがわかりやすいかな。 てか、加賀藩家老の家臣の家ってどの程度の家なんだろう。 ぶっちゃけて一番下には半武士みたいな農民に近い層がいて、有り体に申し上げるとそっちに近いほうがよっぽど裕福です、マジで、だが家老なんかの家は藩主と行動していたりするのでまたちょっと雰囲気違うみたいだけど。 かなり貧乏そうなので上級藩士かなぁ…(もともと藩で役職に付く訓練しかされていなかったところにその藩のほうが蒸発しちゃったって捉えるとわかりやすいかも)。 あの、Wiki辞書の彼のページ、めちゃくちゃ長かったんですが、作品タイトルを並べたところが一番長い...
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