今別町無形民俗文化財指定申請書
最終更新:
aramanet
-
view
1980年町指定無形民俗文化財指定資料
田中多市「大川平荒馬保存について(依頼)」
田中多市「大川平荒馬保存について(依頼)」
大川平荒馬の由来については色々な説があります。しかし、いつ頃から荒馬が始められ、その起因はなんであるのか明確ではありません。
ただ高齢者のお話のなかで、大川平荒馬は昔私達の先祖が名もない未開の土地を開拓した当時汗と埃に塗れて日夜働いてくれた勇壮な馬の姿を後生に残してくれたものであると云う事は一致しているようです。
大川平の荒馬は昔津軽藩主大浦為信が津軽郡を統一し、農民と馬を結びつけ米の生産力を高めた頃、農民は馬を宝として飼育し家族の一員として同じ棟の中に厩を作って大切にしたともいわれております。
いづれにしても明治の初期に一般農民に土地の所有が認められ、農民が自力で馬をたよりに働くようになった頃だろうという説が多いです。その後年代のうつり変りによって色々と形態等も改良されたそうですが、私達の先祖の汗と埃に塗れて働いた当時をしのび郷土の大切な荒馬を永く保存したいのでなにぶん大川平荒馬保存会の実情をご調査の上ご指定くださるよう申請いたします。
昭和五十五年 大川平荒馬保存会会長田中多市
今別町教育委員会殿
ただ高齢者のお話のなかで、大川平荒馬は昔私達の先祖が名もない未開の土地を開拓した当時汗と埃に塗れて日夜働いてくれた勇壮な馬の姿を後生に残してくれたものであると云う事は一致しているようです。
大川平の荒馬は昔津軽藩主大浦為信が津軽郡を統一し、農民と馬を結びつけ米の生産力を高めた頃、農民は馬を宝として飼育し家族の一員として同じ棟の中に厩を作って大切にしたともいわれております。
いづれにしても明治の初期に一般農民に土地の所有が認められ、農民が自力で馬をたよりに働くようになった頃だろうという説が多いです。その後年代のうつり変りによって色々と形態等も改良されたそうですが、私達の先祖の汗と埃に塗れて働いた当時をしのび郷土の大切な荒馬を永く保存したいのでなにぶん大川平荒馬保存会の実情をご調査の上ご指定くださるよう申請いたします。
昭和五十五年 大川平荒馬保存会会長田中多市
今別町教育委員会殿
