とある境界警備の兵隊さんの話。 中編

※戦闘ガッツリですので多少流血描写とかはいります。


 終わりの見えない闘争というのは、どれ程人の心を打ちのめすか。絶望的な戦場を幾度も経験してきた身であっても、改めて実感せざるを得ない。
 開幕からどれだけの時間がたち、どれだけのレッサーどもを刈り取ったか。斃した悪魔の数が二十を超えた辺りで数えるのを止めた。異界の底、瘴気のある限り無限に湧き出すという下位悪魔どもは、数の尽きる気配を見せようとしない。
 今回開かれた"災厄門(ハザードゲート)"を仕掛けた者は余程の攻撃的な思考の持ち主か、根性曲がりか。あるいは世界そのものでも憎かったのだろうか。何にしろ友人にはなれそうもない。

 前衛を勤める──大剣を携えたブルーノと片手斧二つを器用に扱うゾランは、レッサーデーモンをそれぞれ二体ずつ引き受けてくれていたが、更に結界を抜けてきた新手の一体までは留めきれない。
 先刻から、前衛が傷つく度に治癒法術をかけて強引に継戦させ、支援法術をかける合間を見繕っては呪弾で援護射撃を行う自分──ヴァレーリヤが鬱陶しかったのだろう、此方に狙いを定めデーモンは素早く突進。同時に平行して攻撃用の術式を展開している。化け物め。

「そこまで、ですわ!」

「俺っちたちの相手が先だぜ、デーモンさんよお!?」

 中衛の術剣士ハリエッタと槍使いクレシュが、後衛の自分たちに迫る悪魔の進路に割り込み、足を止めてくれる。"詠唱妨害(スペル・インタラプト)"を載せた魔法剣が構成中の術式を引き裂き、迅雷の如き刺突がデーモンの脚を穿つ。

「──散開しろ!」

 二人の連携の隙を縫うようにして呼びかけ、中衛二名が左右に分かれて飛び退いたのと同時、レッサーデーモン目掛けて発砲。少し狙いが甘かった。デーモンの頭を穿つつもりだったが、弾丸は頑健な右肩にめり込むに留まる。
 だが、その位置に弾が埋まってくれれば十分だ。着弾の瞬間、呪弾に封じられていた法術"神聖光撃(ディバインストライク)"が開放され、殺傷能力を伴った聖なる銀光が爆ぜる。
 爆音と閃光が去った後、肩口から胸までごっそりと抉り取られたデーモンは、悲鳴もなくその場に倒れこみ──端から現界する力を喪い、屍骸も残さず消えていく。

 弾倉から役目を終えた空薬莢が吐き出されて地面に転がるのと同時、また新たなレッサーデーモンが結界を越えた。物も言わず、ハリエッタとクレシュは目配せをしあい、増援を討ち取りに駆ける。
 戦闘継続中のブルーノとゾランの武器に、何度目かの"法力付与(ホーリィウエポン)"をかけ直しながら、自分は小さく舌打ちした。

 ──さっきので最後の呪弾が尽きた。

 最早只の金属塊に過ぎなくなった魔法銃を仕舞い、代わりに銀剣を引き抜く。此処からは援護射撃を行うことは出来ない。またひとつ不利になった。
 5人1組に別れ、それぞれが円の半周ずつを担当する形で対デーモンの戦線を維持しているが、対面で戦闘中の副長以下五人に、こちらを援護するような余裕は当然ながらない。
 ここからは純然たる法術支援に集中したほうがよさそうだ。法力の使い過ぎで痛みだした頭を叱咤して、ウエストポーチから取り出した精神回復の霊薬瓶の蓋を口だけで外すと一気に煽る。
 独特の薬くさい甘みと強い酒精のように咽喉を灼く感覚は好きではないが、四の五の言っている暇はない。
 距離をとり、魔術詠唱を始めたハリエッタの少女らしい細身に迫るデーモンの毒したたる爪を、即座に組み上げた"瞬間防壁(イージー・プロテクション)"で僅かなりと逸らし、回避できる隙を作る。
 後ろに数歩下がった術剣士に追いすがろうとしたレッサーの腹部を、クレシュの槍が貫き──その背後から迫っていた別のデーモンを、完成したハリエッタの魔術"閃雷(サンダーボルト)"が轟音を伴って打ち据える。
 今のところは連携でデーモンどもを翻弄し、どうにか持たせているが、消耗を考えれば、こんなことがずっと続けられるわけではない。

 まだか。まだなのか。焦燥が胸を焦がす。
 その間にも翼で舞い上がって上を抜けようとした間抜けなレッサーの一体が、副長である"精霊使い(エレメンタラー)"──精霊魔術と召喚魔術の複合体系の使い手だ──レダが最初に呼んで、天井側に控えさせていた大量の"風霊(シルフ)"らの巻き起こす突風に引きちぎられ、地面に叩き落されて消滅する。
 地下である遺跡の中だが、不思議と空気の流れがあり、風霊たちも狂わずに此処に居られるらしい。レダは上位精霊を呼ぶほどの素養はないが、その分下位精霊に気に入られやすい霊質の持ち主らしく、一度に多くの精霊を導引することを得意とする。今も、"火霊(サラマンダー)"を数体、交代で砲台代わりに働いて貰うことで、対面側の戦線維持の一翼を担っていた。
 おかげで火力は十分だが、その分欠点もある。あちらの組の法術使いはあまり大きな治癒術式を使うことには得意ではない。前衛に直しきれない傷と疲労が溜まっているのは、こちらから窺うだけでも解かった。

 ちらりとデーモンと死闘を繰り広げるこちら側の部下たちを見やる。あちらに回復を跳ばす間くらいは持たせてくれる──筈だ。
 迷う間も惜しい。

「『天にまします"剣の産み手"──』」

 法術に限らず、高位術式の詠唱はどうしても長くなる。世の中には工程省略で大奇跡を降ろすような、そんな規格外の聖職者も居ると聞くが、生憎自分は其処まで神の寵愛を賜る所には居ない。 もどかしいが、声を張り上げて加護を希うほかないのだ。

「『勇者の勲し、讃え賜らん。祝福せよ、我ら弱きの為に剣を振るう者──志半ば戦場に剣を折らぬよう。労りあれ──』」

 広範囲を一時に治療する治癒法術。これをかけてやればもう暫く、あちらは戦線を維持できるだろう。あと少しと詠唱完成を急いでいた自分だったが──唐突に響いた苦痛の絶叫に、一瞬目を見開いた。
 何体目かのデーモンを切り伏せたゾランの身体が、突然"見えない何かに切り裂かれたように"あちこちに裂傷を刻まれて倒れるのが見える。
 レッサーが何か術を使ったのか!? 自分には把握できなかったが、この乱戦だ。そういうこともあるのかもしれないと、仕方なく詠唱中の術式を強引に組み替えて、ゾランの治癒に回そうと──

「分隊長! 下がって! "不可視化(インヴィジリティ)"の術式が使用されている! "中位悪魔(ミドルデーモン)"です!!」

 探査術の使い手である補佐官ミーネフェルトの悲鳴じみた警告の声が聞こえた。瞬間、自分は咄嗟に詠唱を破棄して飛び下がろうとしたが、僅かに遅い。
 右横合いから脇腹に熱と衝撃。堪らず大きく弾き飛ばされ──倒れこんだ自分の視界に、揺らめく陽炎を纏った、非人間的な青い肌と金属色の長い髪をした妙齢の女。ねじくれた黒巻き角に、肘から先が黒い鋭利な刃物と化した異形の腕を持ち、最低限の部位だけを艶やかな黒革が覆い扇情的な体のラインを強調している。レッサーデーモンよりも一見小さく細く見えるが、伝わってくる瘴気や迫力は比ではない。白目のない、黒い瞳が──残酷な喜悦を孕んで嗤っていたが、表面だけをなぞったような空々しさだ。
 多少の差異はあれある程度画一的な見た目と性能のレッサーデーモンらとは異なり、ミドルデーモンクラスになると悪魔らは途端に個性を帯び、多様な姿、多様な力を発揮するようになる。固有の名前や称号を持ち、顕現すれば地方都市くらいなら軽々と焼き払うという"上位悪魔(グレーターデーモン)"とは比べるべくもないが、それでも多少実践慣れした程度の冒険者ならダース単位でかかっても相手にならない。レッサーデーモンとは一線を画する、中位悪魔とはそういう存在だ。
 自分は歯噛みするのを止められなかった。恐れていた事態の一歩手前まで来ているようだ。ミドルデーモンの出現は開いたまま"門(ゲート)"に、異界の住人が気づいたということに他ならない。

「アラ──避ケタ? 近頃ノ人間ハ、ズイブン頑丈ナノネ」

 甲高い女の声は、刃を擦り合わせて声を作ったように不自然で耳障りだ。どうにか起き上がり、銀剣を構えるが、エンチャントで守られた防具を切り裂いて右脇腹をざっくりとやられていた。

「勇猛ダコト。アナタノ魂、オイシソウダワ。わたしト契約スルナラ貴方ダケ助ケテアゲマショウカ?」

「こちとら腐っても聖職者でね。手前みたいな安い悪魔の甘言を聞く耳は、ねえ!」

 腹部の痛みに耐えながら銀剣を投擲。ミドルデーモンは軽く身体を動かして交わすと、亀裂のような笑みを深める。

「残念ダワ。ソレニシテモ、イイノカシラ? わたしニバカリカカズラッテ? オ仲間ガ大変ナコトニナッテイルワヨ」

「……ッ!」

 嘲笑と共に女悪魔が広げた腕の向こう、崩壊した戦線に息を呑む。そうだ。先ず最初に倒れたのは前衛の片翼だったゾラン。
 相方であるブルーノは、ゾランの分のデーモンも引き受ける形になり、壁際に追い詰められている。

「ハリエッタ! おい、確りしろ! てめえらあああっ! こいつに近づくんじゃねえ!!」

 泣き出しそうなクレシュの声。血溜りの中に声無く横たわりか細い息を繰り返すハリエッタの腹部からはどくどくと止め処なく血があふれ出していた。少女剣士をデーモンたちから必死にかばいながら、奮戦する槍使いの身体もあちこちに傷が刻まれ、赤黒く染まっている。当然ながら対方は此方の窮状に気づいていても、回せるほどの余力がない。これ以上此方にデーモンが回らぬように、自分たちの側のレッサーどもを片付けるので手一杯だ。
 ゾランやハリエッタの傷を癒すべく、どうにか治癒魔法を組み上げようとするが、それを見逃すミドルデーモンではない。

「駄ァ目。貴方シわたしト遊ビマショウ?」

 避ける間も与えず突き出された剣腕が嬲るように、自分の脇腹の傷を更にえぐる。実際弄んでいるのだろう。
 ミドルデーモンからすれば、傷を負って動きの鈍った自分など、子供が玩具の手足をもぐより容易く、どうにかしてしまえるはずだ。
 副官たちが必死に戦って、此方の援護に入ろうともがいているのがひどく申し訳ない。お前たちも手いっぱいだろうに!

「く、そ……っ!」

 かくなる上はウエストポーチに仕込んである、複数の炎霊石を同時に起爆させて巻き込む特攻戦術くらいしか有効手を思いつけない。
 即効でデーモンをどうこうできるような素早く強力な攻撃術式を、自分は修めては居ないのだ。
 リュドミラ、アントン──脳裏をよぎったのは最愛の娘と息子の顔。少なくとも、こんな嗜虐心に満ち満ちた怪物を市街に解き放つわけには行かない。
 勝ち誇った笑みを浮かべて刃を振り上げたミドルデーモンを睨みつけ、覚悟を決めて自分が腰後ろのポーチに手を回しかけたその時──

「…………エ?」

 笑みを愉しげに刻んだまま──女デーモンの上半身が、"ずれた"。
 遅れて耳に届く風切りの音。青黒い鮮血を吹き上げて、腰のところで二つに断ち割られた中位悪魔は崩れ落ちた。

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最終更新:2011年07月05日 11:29
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