01「歌い骸骨 後編」

 見れば、ことり、と軽く小首を傾げた姿勢で、つい先刻まで舞台に居たはずの人物──胸に紫紺の丸包みを抱いた螺鈿細工の髪をした青年が、何時の間にか老商人の眼前に立っていた。
 全く気づかなかった。ジェイコブは自身がどれほど周囲を気にする余裕がなかったのかと驚いた。

「残って余韻に浸って下さったのでは。違いましたか?」

 青年の声に周囲を省みれば、客席には既に誰も居ない。満員の客で埋まっていた天幕内に居るのは、目の前の青年とジェイコブだけだ。
 人が捌けてしまうと薄暗くがらんとした空間はどこか不気味だ。 名も知らぬ見世物小屋の住人と二人きりだというのもあるかもしれない。
 それでも、故郷の歌を知っていた骨の謂れについて聞きたかったこともあり、ジェイコブは白眼の男に返答を返すことにした。

「いや、随分と懐かしい歌だったからな。差し障りなければ尋ねたいのだが、その骨は? 君が歌わせているのか?」

 ジェイコブ自身は魔法の類には疎いが、摩訶不思議な事象を自在に操る者の話はよく耳にする。
 何しろこのアルコ・イリスには、魔法をはじめとする学問を修める大陸最高学府"虹星の叡知(アルマゲスト)"が存在しているのだ。

「歌は『彼女』が己で為していることですよ、お客さま。ぼくは、今はない彼女の手足の代わりを務めて立ったに過ぎません。この虹の都から遠く遠く離れた北の廃墟で、物寂しくうたっている『彼女』と出会い、話を聞いて、此処まで共に旅して参りました。……会いたい人がいるのだそうですよ」

 まるでそこに生きている女性が居るかのごとき口ぶりで青年は答え、抱き締めた絹布越しに髑髏を撫でる。労わるような触れ方だった。
 北の廃墟。その単語にジェイコブは息を呑んだ。まさか、まさかと逸る気持ちを抑え、故郷の名を口にする。

「その廃墟は、かつてローガンと呼ばれた地ではないかね?」

「ええ、確かにそのような名であったかと。遠い土地のことを良くご存知で。……ああ、旦那さま。あなたはもしや、『彼女』と同じ村の出身なのですか?」

「生き残りだ。すまないが、その骨を良く見せてはくれないだろうか。もしかしたら知り合いのものかもしれないんだ」

「どうぞ。抱いて眺めて見て上げて下さい。あなたがローガンの縁者なら『彼女』の探し人かもしれない」

 青貝の髪をした青年は、絹包みを再度解き、現れた小ぶりな頭蓋骨を恭しくジェイコブへと渡してきた。
 受け取った骨は軽い筈なのにずっしりと重いような気もした。人の骨にまともに触れるなど初めてだというのもあるし、もしかしたらこの骨は自分が看取ることも弔うこともしなかった、かつての婚約者のものであるかもしれないのだ。
 先程の哀切を帯びた歌声を思い起こしながら、ジェイコブは記憶の底から掘り起こした、女の名前を呼んだ。

「グレンダ──?」

 瞬間。かたり、と答えるように骨が歯を鳴らした。

「グレンダ! やはりお前なのか……!!」

 頷く首を持たぬからか、名を呼ぶ度、歯を鳴らして反応する髑髏を見て、ジェイコブの予感は確信に変わった。
 この頭蓋は、何十年も前に遠い北の地で別れたきりの女性のものなのだ。
 幾ら謝っても償いきれるものではないが、流れ流れてこの骨が自分の下に辿り着いたというならば、せめて手厚く葬ってやりたい。
 ジェイコブは、こちらを本当に見ているのか解からないが、少なくとも虚ろな白濁色の目を見守るように向けていた青年へと向き直った。

「君! この骨はやはり私の良く知る人物のもののようだ。君に取っては商売道具かもしれんが譲ってはくれないか? 幾らでも出す。墓を作ってやりたいのだ」

「御代など必要ありません。ぼくはただ、『彼女』を行きたい場所に連れて行きたかっただけなのです。あなたが、彼女の捜していた待ち人ならば、あなたたちがそうして沿うことがぼくの願いでもあります。──見世物にしてしまって、申し訳ない。これがいちばん、人を呼び集めるのによかったものだから」

 噂になるほど客を集めているのだ。さぞかし儲けの種になっているだろう『うたう骨』に、しかし青年はまるで頓着せず、あっさり手放すことに同意した。
 そのまま連れ帰っては目立つだろうからとそれまで『彼女』を包んでいた紫の絹まで、驚きを隠せないジェイコブに差し出してくる。
 旅をしたり、こうして興行をするのにもそれなりに金がかかっているだろうに、何の謝礼も要求せず、逆に『彼女』を見世物にしたことを謝罪する辺り、見た目は陰気だが善良な若者なのかしれないと、ジェイコブは思った。
 あるいは、諸経費が帳消しになるくらい、『うたう骨』の見世物で儲けたのかもしれなかったが。
 それでも恩人は恩人である。

「……君は随分と欲がないんだな。だが彼女を連れてきてくれた礼くらいはさせてくれ。後で家の者に謝礼を届けさせよう。私は、ジェイコブ・ヘンリクセンだ。君は?」

 受け取った布で早速骨を守るように包んでいきながら、ジェイコブは、この奇妙だが人の良いらしい

「インフェルと申します、お客さま。本当に礼など要らないのですけれど……そうまで仰られるなら」

「感謝しているよ、インフェル君。おかげで長年抱えていたしこりが、ようやく少し晴らせそうだよ」

「それはようございました。……よかったね。お幸せに」

 胸を僅かになでおろしたジェイコブに頷いた後、青年──インフェルは髑髏を見遣り、口の端を僅かに持ち上げた。どうやら、笑ったらしい。
 ありがとうと腕の中の『彼女』の分も何度も繰り返し礼を言ってから、ジェイコブは見世物小屋を出ていった。
 外は霧が未だ晴れず、陽が落ちてきたのか余計に暗くなっていた。夜の"片羽広場"は物騒だ。何がしかの犯罪などに巻き込まれる愚は避けたかったのだろう。



 軽やかといってもいい足取りで、表通りへと戻っていく老商の背を、インフェルは天幕から抜け出し入り口に佇んで見送っていた。
 インフェルの耳は、ジェイコブの耳には届かぬ『うたう骨』の声を聞き、白濁した瞳は余人には見えぬ魂の姿を"視て"いた。

 抱える骨が紡ぐ、声なき声のしあわせそうな様子を、その情念の深さを 老商人は知らない。
 彼女がどれ程都会に行ったまま帰らぬ恋人を待ち続け。
 流行り病に内側から病み爛れていきながら、それでも帰ってきてくれると、また会いたいと思い続け。
 愛し、恋しく思い、それと同じだけ憎み呪いながら死んでいったのかを。
 その想いは死後もされこうべに留まり続け、何十年経っても色褪せず。
 腕の中、もう一度いとしいひとを抱き締めたならば、二度と離すまい、離れるまいと夢見続けていたのだということを、老商人は気づいていない。

 だが、インフェルは気づいている。彼にはわかる。
 青年は、死霊や死者の声を見聞き、呼び、力を貸し与え、また時に借り与えられる存在だった。
 そう。彼の黒衣は舞台衣装などではない。格好ばかりではなく、インフェルはまごう事なき霊媒であり死霊術師であった。
 死霊は、彼にとっては生者と変わらぬ、ありふれて当たり前にあるもの。

 まともに光ある世界を見ることの叶わぬ盲しいたインフェルの瞳は、だが、この世のものでない物だけははっきりと見ることが出来る。
 彼の目には、老商人の痩せた身体に、この上なく愛しげにつめたい腕を這いまわし、抱き締めて笑う、黒髪の女が映っていた。


  おかえりなさい あなた

  やっと やっと やっと 出会えた

  あなた あなた いとしいひと

  も  う  離  さ  な  い 


 声なき声で骨はうたう。愛と呪いの凶歌を。抱き潰すほどに強く強く形なき腕を回して、『彼女』はうたう。うたい続ける。
 その手の中にようやく捉えた恋しく憎い待ち人の、その命が、尽き果てるまで。

「──お幸せに」

 別れ際の言葉をもう一度繰り返して、インフェルは遠ざかる背中と、絡みつく蛇のような情念の塊からそっと視線を外した。



「どうやら片付いたようだな」

 不意にかかった声にインフェルは盲いた目を傍らに向けた。
 そこには平均程度の背丈を持つインフェルよりも頭一つ分背の高い赤髪の男が立っていた。フードを鬱陶しげに払い上げつつ、インフェルが先まで見ていた方角に視線を遣っている。
 演目が始まる前、客引きをしていたこの男はインフェルの旅の連れであった。

 片眼鏡をつけた猛禽じみて鋭い瞳も、ややザンバラな短い髪も、フードつきのマントの下のローブも、血のように、紅蓮のように、不吉で禍々しい真紅の色。
 赤尽くめの派手な外見と裏腹に、男の周囲の空気は凍土の如く冷たく、生きるものを拒み、沈黙させる異様な威圧感を伴っていた。
 均整の取れた引き締まった体躯と、彫りの深い秀麗な顔立ちをしていても、見た目の美しさで繕いきれぬ、仄暗く、凍てつく、死の匂いを内側深い所から滲ませ色濃く纏った男だった。
 インフェルはそんな男の気配もまるで気にならぬ様子で、白く濁った双眸をごく普通に向け、男へと頷いてみせる。

「引き合わせた。連れて行った。あとは『彼女』が自分で望みをかなえるよ。ぼくの役目は終わった」

「愚かな男だ。あの様子だと、愛憎半ばに恨まれているなどとは思わなかったようだな」

 皮肉たっぷりに言い捨て、興味を失ったように赤い男は、見ていた方角からインフェルの方に視線の位置を移し変えた。
 インフェルはゆっくりと肩を竦めて見せる。予想は出来ていたと言わんばかりに。

「しかたないよ。あの人に取っては何十年も前の話。顔だって、思い出だって、『彼女』のうたを聞くまで忘れていたようだし。彼女に取っては、昨日のことと同じなのだけどね」

「忘却の福音が訪れる生者と違って。死者の思いはけして薄れず、和らがず、揺るがないからな」

「でも、『彼女』はしあわせになったよ、グリム。──ごらん、鎖が解けて空に上がっていく」

 インフェルの青白い指先があさっての方角の空を指す。余人には何も見えぬが、霊質を感じ取る目を持つものならば、彼方に上る魂の軌跡を其処に見たことだろう。
 その光景は、グリムと呼ばれた赤髪の男にもはっきりと見えていた。

「……余程、さっきの商人が欲しかったのだな。あの女、がっちり掴んだまま連れて逝きおった」

 先程までの皮肉めいた物言いに似ているが、感心が僅かに練り混ざる声でグリムは嗤う。

「大好きなひとと、もう離れないといいね」

 どこまで本気とも知れぬ様子で、空を仰いだままインフェルは呟いた。

「さて。忘却の河の彼岸のことを語る口は持たぬぞ、己(おれ)は」

「死神が、何を言っているんだい」

「己は"堕ちた死神"だ。最新の事情は知り得ぬ。それよりも──インフェル。近頃抱えた案件は大凡果たしたろう。次は何処へ行く? 此処より東、海の向こうには戦乱の火種もあるようだが?」

 あっさりと空から視線を外したグリムは、早々に思考を切り替えた様子だった。元々この男は、守護対象であり相方といえる死霊術師以外への興味が薄いのだった。
 今後の行く末を、インフェルに問う声は、しかし、答えを初めから知っているような響きだった。

「ううん、しばらくはここ、アルコ・イリスで過ごすつもりだよ。理由はわかるよね」

 頭を振った稀有な色の髪の青年の答えに、グリムは軽く顎を引いて頷く。予想に違わぬ答えが返ってきたからだ。

「やはりか。こんなにも生と死が色濃く混在する土地は中々ない。東よりも余程この街の方が"面白い"。だからだろう?」

 死霊術師は生と死、どちらも濃厚にある場所を好む。生死は常に天秤のようなもので、どちらがかけても成り立たない。
 死を知り、死に触れる魔術師は、同じだけ生の傍らを好んだ。多種多様な命が溢れる虹の都は、盲いた目にもひどくまばゆい。また、生きているものが活発な分、死霊も多いようだった。
 それは彼らを友とするインフェルにとっては楽しく喜ばしいことだった。

「きっと退屈しないよ、グリム」

「ああ。きっと退屈しないだろうな、インフェル」

 笑みというには微かで歪な表情を浮かべた死霊術師と、亀裂のように笑った赤い死神は顔を合わせて頷きあった。
 もとより定住など許されぬ禁術使いとその守護者である。どれだけここに居られるかはわからなかったが、滞在の間は虹の街の光と影を存分に愉しむつもりだった。

 そうしてふたりは歩き出す。音もなく連れ立って、差し迫る宵闇の中、虹影地区の方へと。
 光の届かぬ闇の中に紛れいき、ふたりの姿は直ぐに見えなくなった。
 黒い天幕は彼らが去ると同時、夢幻の如くに消えうせていた。
 初めからそこには、何もなかったかのように。



 ──路上で心臓麻痺を起こして亡くなった老商人と、傍らに転がる古びた骸骨が発見されるのは、これより翌朝のこととなる。

 『うたう骨』の見世物は以来ぱたりと途絶え、二度と開かれることはなかったという。

《幕》

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最終更新:2011年07月05日 11:49
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