1957年(昭和32年)8月10日:株式会社テレビ下北沢設立。
1957年(昭和32年)10月1日:バビロン学院より全放送設備を賃借して日本本土を含め6番目(テレビ局としては)、
下北沢県初の放送開始(呼出符号DSDB-TV、21ch、映像1kW、音声2.5kWは変わらず)。
1958年(昭和33年)8月10日:韓国語放送を開始(呼出符号DSEB-TV、映像1kW、音声0.25kW)。
1958年(昭和33年)9月6日:ラジオ放送の免許申請(谷岡政府は却下)。
1958年(昭和33年)10月1日:バビロン学院から全放送施設を買収し、日本テレビをキー局とし、完全な形での民間放送としてスタート。
1959年(昭和34年)2月1日:もう一つのキー局のNETテレビ(現在のテレビ朝日)が開局。日本テレビ、NETテレビのクロスネット局となる。
1959年(昭和34年)3月1日:フジテレビが開局。日本テレビ、NETテレビ、フジテレビのトリプルクロスネット局となる(1974年3月31日まで)。
1959年(昭和34年)4月5日:ラジオ放送の免許再申請。
1959年(昭和34年)12月1日:ラジオ放送の予備免許交付。
1960年(昭和35年)6月1日:下北沢で1番目の民間ラジオ放送を開始(呼出符号DSFF、周波数1945kHz、出力4kW)。
1960年(昭和35年)6月9日:韓国語ラジオ放送(湖御斗)開局(呼出符号DSEB、周波数893kHz、出力1kW)
1960年(昭和35年)7月21日:韓国語テレビ放送(DSEB-TV)の出力が映像3kW、音声0.75kWとなる。
1962年(昭和37年)4月:日本語テレビ(DSDB-TV)の出力が映像1kW、音声2.5kWとなる。
1963年(昭和38年)6月9日:伽久台テレビ中継局開局(KOR12ch、下北沢初のテレビ中継局)。
1964年(昭和39年)4月5日:久知萬ラジオ中継局開局(1969kc)。
1964年(昭和39年)4月12日:東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が開局。東京12チャンネルとネットを組む(1977年7月20日まで)。
1964年(昭和39年)9月6日:本土-下北沢間のマイクロ回線が開通し、本土との時差なしでテレビ放送が視聴可能となる。
1965年(昭和40年)5月2日:ラジオネットワークJRNに加盟。
1965年(昭和40年)5月3日:ラジオネットワークNRNに加盟。
1966年(昭和41年)4月1日:この日発足したテレビネットワークNNNに加盟。
1968年(昭和43年)5月5日:カラーテレビ放送開始。
1970年(昭和45年)1月1日:テレビネットワークANNに加盟。
1973年(昭和48年)6月9日:下北沢の日本復帰により、呼出符号をテレビはJODB-TV、日本語ラジオはJOFFに変更。韓国語放送局は湖御斗放送局になり、ラジオのDSEBのコールサインはJOEBになり、テレビのDSEB-TVのコールサインは同日付で廃止。テレビのチャンネルも韓国式から日本式に変更される(田所KOR21ch→JA12ch、伽久台KOR12ch→JA11ch)。同時に純然たる日本の放送局となりNNN・ANN・JRN・NRNに正式加盟。
1974年(昭和49年)4月1日:ポジテレビが開局。フジテレビの番組をポジテレビへ移動。
1975年(昭和50年):テレビネットワークの「腸捻転」が解消される。同時に、UTSで放送されていたMBS制作番組は田所放送に、田所放送で放送されていたABC制作番組はUTSへ移動。
1977年(昭和52年)7月21日:東京12チャンネルのネット局第1号とされるテレビ谷岡が開局。東京12チャンネルの番組をテレビ谷岡へ移動。
1985年(昭和60年)6月9日:テレビの送信所をラジオの田所テレビ塔から湖御斗市明義町にあるNHK下北沢放送局敷地内(現在のNHK下北沢支局)に移転。同時に音声多重放送開始。
1993年(平成5年):テレビ・ラジオ中継局が相次いで開局。
2001年(平成13年)4月1日 - 北部ラジオ中継局、FMで開局。
2002年(平成14年)4月 - ラジオ局に社内カンパニーを導入、ラジオ局の名称を現在の「UTSラジオ」に変更(この日から下北沢タイムス、シモキタ新聞など県内の新聞社のラジオ欄の表記は「UTSラジオ」に変更)。通称「Uラジオ」文字表記は「UTSR」(なお「UTSR」と文字表記されることは最近でも数少ない)。
2002年(平成14年) 民間放送教育協会(民教協)に正式加盟。
2004年(平成16年)4月1日 - UTSラジオ湖御斗地区FM中継局開局。
2005年(平成17年)4月1日 - UTSラジオ久知萬地区FM中継局開局。
2005年(平成17年)5月2日 - UTSラジオ久知萬(AM)中継局(呼出符号JODR)廃止。
2006年(平成18年)9月27日 - デジタルマスターへ更新。運用開始(NEC製デジタル・アナログ統合マスター)。
2006年(平成18年)11月1日 - 地上デジタル放送サービス放送(サイマル)開始。デジタルテレビの親局送信所はかつてのアナログ放送と同様、田所テレビ塔から送信。
2006年(平成18年)12月1日 - 地上デジタル放送開始。
2007年(平成19年)4月1日 - UTSラジオ南田所FM中継局開局。
2009年(平成21年)10月21日 - 島嶼部で地上デジタル放送開始(在下民放3局同時)。
2010年(平成22年)12月1日 - ウェブサイトのURIとメールアドレスから「-shimokita」をカット。
2011年(平成23年)7月22日 - 谷岡諸島における地上デジタル放送開始(在下民放局及びNHK下北沢放送局同時)。
2011年(平成23年)7月24日 - テレビのアナログ放送(JODB-TV)終了。12時から23時54分50秒頃までブルーバックでアナログ放送終了を告知し、翌日の午前0時に完全停波。親局送信所は26年ぶりに田所テレビ塔に一本化。
2013年(平成25年)1月11日 - UTSラジオ、インターネット放送サービスradikoに参入、試験配信開始。
下北沢メディアビル火事詳細
2013年8月2日、ビル7Fで蝋燭責めが行われていた。
この間、テレビ放送が4時まで一時停止(画面は2時45分頃、音声は3時05分頃停止、ワンセグは別装置のため被害を受けず)。その後野獣邸近くに中継車を出し、この地下室にテレビの特設放送会場を設置。
午後4時過ぎ:テレビ放送再開。火災の詳細を伝え、「視聴者・市民にご迷惑をかけました。すいません許して下さい何でもしますので。」と謝罪。
午後5時頃:18Fを破壊しての放水活動を開始。
午後5時30分頃:必要最低限の人員を除きその場を退去するよう命令。
午後5時50分頃:全員退去命令が出たため、暫定的に社屋屋上に特設会場を設けて放送を続ける。
午後8時前:ラジオ放送を虐待おじさん邸に暫定移転するために一時中断し、フィラーとして野獣先輩のクッソ汚い喘ぎ声を放送。しかし、聴取者から「きたない」「くさい」「汚物を流すな」などの苦情が殺到。
午後8時30分過ぎ:虐待おじさん邸の特設スタジオでの放送開始。
午後9時過ぎ - 出火場所が2階にあるテレビ調整室から上がっていたことが分かる。
午後11時40分:テレビの放送を臨時に打ち切り(フルセグのみ、ワンセグは通常放送)。8月3日4時55分から再開する旨をアナウンスする。
午前0時10分過ぎ:鎮火。
8月3日:復旧工事が終り放送を再開。
なお、鎮火の様子は日本テレビ系「news zero」及びテレビ朝日系「報道ステーション」(こちらは本局では未放送)でも中継された。
オープニング・クロージングとともに、大坊美智子(のち田所郁子)アナ(いずれも当時)によるアナウンスで、この当時なぜかBGMがなくテロップ3枚(のち送信所情報と中継局部分を別テロップ)で構成されていた。
オープニングはピンキー姉貴と「12 UTS」のロゴの絵で、「UTS、12ch、ごらんの放送はテレビ下北沢です」のあと、送信所・中継局情報の青テロップをバックに本局周波数・出力、コールサインを紹介した後、中継局を読み上げていた(のち省略)、最後にコールサインを2回アナウンスして番組がスタート。
クロージングはオープニングと同じ絵で「UTS、12chです。テレビ下北沢をごらんいただき、まことにありがとうございました」のあと、オープニング同様技術情報が読まれ、「これで本日の放送を終わらせていただきます」のアナウンスの後、ここでTNOKがセンチュリーに乗っている絵に替わって、「なお、お休みの前に、火の元戸締りをお確かめください」のテロップとアナウンスのあとコールサインを2度アナウンスして停波。
なお、ピンキーとセンチュリーの絵は、開局初期からの転用と見られる。
オープニングでは、喜太郎の「新たなる旅路」のBGMに乗せて、朝日が昇る映像や田所市内の空撮の映像に最後は局舎の外観の映像を流し、レッドバックにコールサインと周波数&出力の表示・読み上げた後、アール・クルーの「Amazon」のBGMに乗せて、局舎建物や局舎内部などの様子を紹介、最後にブルーバックで「今日も12チャンネルテレビ下北沢でお楽しみ下さい」のテロップが出された。
クロージングではオープニングと同じ局舎建物や内部などの様子にアール・クルーの「Amazon」(オープニングと同じ)が流れ、レッドバックにコールサインと周波数&出力の表示・読み上げた後、海岸の夕景などに、スウィート・ピープルの「Nuits Branches(白夜)」のBGMが流れ、後半の部分で中継局のロールが流れる。最後には「12 UTS テレビ下北沢」のテロップが出され停波していた。