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それでも世界は終わらない - (2012/06/28 (木) 21:06:13) のソース

僕らに生きている価値なんてない。
つい先日、耳から入ったその言葉だけが、やけに頭にこびりついてはなれない。女性の落ち着いた声で聞こえた情報。あの声の成分がなにでできたいてのか、僕にはわからない。
数日後に迫ったテスト勉強の内容が、まったくといっていいほどに入らない。ただこの言葉だけが心に深く突き刺されたままで、それ以外のテスト対策の知識という知識が頭に入らない。
そもそもだ。土曜日なのに学校があるというのはどうなのだろうか。休日が一週間に半分と一日ってのは、なかなかにつらいものがある。平日を死にもの狂いで勉強しているやつの気持ちというのを、あの大人モドキは考えたことがあるのだろうか。まったくもって嫌になる。
そう、ぐちぐちと頭の中で文句をたらしながら、おんぼろのエレベーターが一階へと付くのをまつ。二、三年前に壁に塗装をしたからきれいにみえるけれども、昨日としては十年以上も前にできあがった代物なので、がたがたとうるさい。いつおっこちてもおかしくはない、そう勝手、かつ個人的におもっている。どれだけ見られるところをきれいに塗りたくったって、機能やら寿命やらがオンボロなのならば意味がないというのに。
きれいな内側をもつエレベーターが開き、汚いマンションの内部へと出て、薄暗い駐輪場へと足を運ぶ。薄暗い電燈が、朝だというのについている。それでも暗いというのはいかがなものなのだろうか。
いつもハンカチ、装飾のない自転車の鍵の入っている右ポケットへと右手をつっこんんで、鍵をとり、やれといわれるまでもなく自らの意志で自転車へとつっこむ。
土曜講習のおかげでいつもより軽い、私立高校丸出しの学校指定のバックを肩に背負いなおし、自転車のギアを下から二番目のを選び、明るい外へと出るために、足を回した。ただ、回そうとして回してはいけない。力を込めるのだ。
明るい太陽が、どことなく憎くって、まぶしい。

土曜日の朝には期待をもつ。人通りが少ないからだ。
世界が終わって、今こうやってのんきに自転車をこいでいるのは自分だけなんじゃないかと。強く、そう思うのだ。
だからこそ、自動車が視界に入る回数が増えるたびに幻滅する。
そんな朝を、チャリを全力でこぎながらおもいのだ。
そうでないと、頭は考えることをやめない。
回想はするくせして

「ぼくたちに生きている価値はないよ」
金曜日。図書館。「聖書」のある本棚の前。夕方五時。
赤いチェックのスカート。ブレザー。どこの高校の制服かはわからない。そんな服装をした女の子が、佇んでいた。
「どうかしましたか?」
と、訪ねてしまった。一人で、そんな不気味なことをつぶやかれても困る、そうおもったからだ。
その女性はこちらをみた。表情には動きはなく、きれいな顔だった。
「ぼくたちに生きている意味はない、そうおもいませんか?」
この女の子の一人称はどうやら「ぼく」のようだ。「俺」っていう女子高生がいることはしっていたが。
「ぼくたちに生きている意味はない、そうおもいませんか?」
同じ言葉を二回いわれた。返事が遅すぎたからだろう。
わからなくはない。
「どうしてそうおもう?」
「人間は死んでも、世界は終わらないから」
恋人でも死んだのだろうか、そんなことをおもった。
「ぼくたちに生きている意味はない、そうおもいませんか?」
三回目。
「とりあえず座らない?」

信号にひっかっかった。もともとここの信号は毎日ぎりぎりわたれるかどうかのところだからしかたがない。急げばなんとかいけたかもしれない、そうおもったら横の信号が青に変わった。急げばいける、ということなのだろう。
人が一人死ぬたびに止まる世界というのも、いかがなものかと