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<p><font size="4"><b>《EPISODE1:It's hard for thee to kick against the
pricks》<br></b></font><a href=
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"4"><b>前に戻る</b></font></a><br>
<br>
――200X年 埼玉県銀成市 銀成駅前通り<br>
<br>
『段階的な武装解除を表明していたIRA暫定派軍事協議会は○月○日未明、武装闘争<br>
の終結を宣言しました。独立国際武装解除委員会はこれを受け入れ――』<br>
<br>
男はコーヒーの置かれた純白のテーブルに頬杖を突き、商業ビルの巨大スクリーン<br>
に映し出されたニュース映像を、ジッと眺めていた。<br>
しかし、どう見ても彼の外見は、そのニュース内容とは対極に位置している。<br>
世を忍ぶ仮の姿だった筈が本来の姿になってしまった、汚れ気味のツナギに軍手と<br>
いう日曜大工ファッション。ボサボサ頭に無精髭。<br>
どれもがお堅い真面目な国際ニュースとも、待ち合わせの為にやむなく座っている<br>
オープンエアのお洒落なカフェとも、到底似合っていない。<br>
他の席でお喋りに花を咲かせているのは十代や二十代前半の若い女性客ばかり。中<br>
には男性客もチラホラ見られるには見られるが、全てカップルの片割れという有様だ。<br>
また、彼自身もこの空間が自分に不釣合いな事くらいは自覚しており、いくら久し<br>
ぶりにかつての同僚達が集まるとはいえ、こんな店を待ち合わせ場所に指定した友人<br>
を恨まないでもなかった。<br>
だが、偶然、眼に耳に入ったそのニュースはそんな呑気な気分を霧散させ、たちま<br>
ち苦さにまみれた過去の記憶を甦らせた。<br>
IRA。アイルランド共和国軍。<br>
多少、国際情勢に聡い者なら誰でも知っている武装民族主義組織。<br>
人外の化物達を、そしてそれを造り出す錬金術師達を殲滅する事が任務の自分とは<br>
無縁の筈の組織。<br>
なのに、その任務が為に関わらざるを得なかった、狂人(テロリスト)達の組織。<br>
「IRA、か……」<br>
そう呟くと、傷跡の残る胸にチクリとした痛みを感じる。<br>
その胸の痛みから、自分が関わったもうひとつの、IRAなど足元にも及ばない程の<br>
巨大な世界宗教組織の事が浮かび、更にはその狂信者である一人の男が脳内に鮮明に<br>
浮かび上がる。<br>
狂気と凶気に満ちた形相、不死身とも言える肉体、人間離れした戦闘能力。<br>
もはや反射作用と言っても良い程に、それらの連鎖反応は彼の身体に染み込んでいた。<br>
あれから七年経つが身を抉るような不安は消えていない。いや、むしろ七年の歳月<br>
を掛けて自分の心を侵食しているかのように思える。<br>
それでも、彼の心には恐怖は無かった。恐怖はあの時、駆逐したのだ。<br>
彼は、防人衛は、そう信じている。<br>
<br>
《EPISODE1:It's hard for thee to kick against the pricks》<br>
<br>
――199X年 瀬戸内海のとある島 錬金戦団本部<br>
<br>
「任務内容は“ホムンクルスを研究・製造している北アイルランドのテロリストグル<br>
ープ『Real
IRA』を壊滅させる為、錬金戦団大英帝国支部に協力すること”」<br>
サングラスに逆立てた金髪というパンキッシュな風貌からは想像も出来ない、低く<br>
優しげな声が男の口から発せられた。声は響き渡る事も無く、会議室の広々とした空<br>
間の中に融けていく。<br>
もっともその風貌と物腰のギャップに驚く者は初対面の、しかも錬金戦団とは無関<br>
係の人間だけで、戦団内の全ての人間には彼、坂口照星戦士長の穏やかで人望溢れる<br>
人柄が当たり前のように知られている(部下を躾ける時の常軌を逸した厳しさも当た<br>
り前のように知られてはいたが)。<br>
しかし、それにも関わらず目の前に立つ少年と少女は驚きの表情で照星を見つめて<br>
いた。無論、彼の発した声ではなく、声が紡ぎ出した任務内容に驚いているのだ。<br>
会議室には照星の他にはその二人ともう一人、だらしない姿勢で椅子に座る目つき<br>
の鋭い長髪の少年がいる。彼はそっぽを向き、上官である照星の話を聞こうともしな<br>
い。<br>
<br>
短い沈黙の後、鈍く光る銀色のロングコートに身を包んだ少年が戸惑いを見せなが<br>
らも発言した。若き日の防人衛である。<br>
「イギリス……ですか?」<br>
「そう、イギリスです」<br>
照星は事も無げに答える。<br>
その横合いから、防人の隣に立つおさげ髪の少女が、おっかなびっくり自分の疑問<br>
をぶつけた。<br>
「あ、あの……。でも、どうして私達なんですか?
イギリス支部には私達なんかより、<br>
ずっと優秀な錬金の戦士がいると、思うのです、が……」<br>
後半はゴニョゴニョモゴモゴとして聞き取りづらかったが、照星は穏やかに笑いな<br>
がら少女の疑問に答える。<br>
「……イギリス支部は、というよりも各国の戦団はそれ程大きな戦力を有している訳<br>
ではないのですよ、千歳」<br>
「は、はあ……」<br>
千歳と呼ばれた少女は、まるで自分の質問が大きな過ちだったかのように思い、オ<br>
ドオドとした曖昧な返事をする。<br>
「イギリス支部は百年前に裏切りの戦士を出して以来、衰退の一途を辿っています。<br>
日本に戦団の主力が移された事でもそれは推して知るべし、でしょう」<br>
照星はフウと溜息を一つ吐き、俯き加減に話を続ける。元々低い声が更に低くなっ<br>
ている事に、自分では気がついていない。<br>
「アメリカ支部の場合はもっと深刻です。ボーイングやロッキードマーティン等の兵<br>
器開発製造企業からの買収、CIAのスパイ行為、政府関係機関への内通、戦団員同士<br>
のイデオロギーの違い、そして錬金の戦士の絶対数不足……」<br>
そこまで言って照星はハッと口をつぐむ。言わずもがなな裏事情まで言ってしまっ<br>
た。明らかに上官としては軽率で、不適切な発言だ。<br>
戦団の現状、方向性、そして行く末。日本の戦団も、他国程ではないにしろ様々な<br>
問題を抱えている。<br>
照星の戦団への忠誠心や戦士長としての責任感、それ故の苦悩が彼の口を滑らせて<br>
しまったのだ。<br>
訝しげな表情の部下達に、照星は努めて明るく言った。不自然な程に明るく。<br>
「つまりはどこの国も人手不足という事ですよ。イギリス支部はそれが顕著なのです。<br>
そこで欧州方面大戦士長から直々にお達しが来ました。『日本が誇る腕っこきの戦士を<br>
寄越してくれ』とね」<br>
ここで初めて椅子に座った少年が口を開いた。<br>
「ケッ、くだらねえ。要するに俺達の任務はそいつらの尻拭いってワケだろ?」<br>
憎まれ口は師であり上官でもある照星に向けられた物ではなく、任務内容そのもの<br>
に向けられた物でもなく、協力を要請した欧州方面大戦士長やイギリス支部の戦士達<br>
に向けられた物だった。<br>
単に「だらしのねえ野郎共だ」とでも言いたいのだろう。<br>
不遜な態度は取っているが、彼は照星を錬金戦団の中で唯一尊敬に足る人物だと思<br>
っている。ただ表には出さず、他者に指摘されても絶対に認めないだけだ。<br>
「口が過ぎますよ、火渡。黙りなさい」<br>
照星も火渡の性格や心意気は充分に理解している。叱責は厳しい口調だが、サング<br>
ラスの奥の眼は優しい。<br>
「フン……」<br>
火渡は腕を組み、またそっぽを向いてしまった。<br>
照星は話を続ける。しかし、今度は話の主題を錬金戦団ではなく、標的であるテロ<br>
リストグループに向けた。<br>
「いくつかあるIRAの分派の中でも、Real
IRAは最も凶悪な過激派です。彼らのテ<br>
ロ行為によって政府機関や警察機関だけではなく、多くの罪も無い一般市民が今も犠<br>
牲になっています」<br>
三人の、特に防人の頭の中では、傷つき倒れ泣き叫ぶ市民の映像が容易に展開され<br>
た。それも子供達の。<br>
親を失い、途方に暮れて涙を流す子供。<br>
木っ端屑のように吹き飛ばされた子供。<br>
理不尽な力に笑顔を消されてしまった子供。<br>
それがつい数ヶ月前の任務失敗の記憶と重なり、防人は人知れず奥歯を噛み締める。<br>
“もうあんな思いはしたくない……。もう誰にもあんな思いはさせたくない……”<br>
「そのテロリスト達がホムンクルスをテロの道具として使用したらどうなるか……。<br>
いえ、それだけではありません。独力か協力者がいるかは分かりませんが、もしも彼<br>
らの研究が進み、武装錬金等のあらゆる錬金術の力を我が物としたら……。どんな惨<br>
事が起こるかは想像に難くないでしょう」<br>
防人はキッと眼を上げ、照星を睨む。いや、睨んでいるのは遥か彼方の北アイルラ<br>
ンドだろう。<br>
「……分かりました。誰かが俺達の力を必要としているのなら……。そして、俺達の<br>
力で誰かを救えるのなら……」<br>
コートと対になる帽子を握る手に力が込められる。<br>
「行きます!」<br>
防人の言葉を聞いた千歳が、慌てて後に続く。<br>
「わ、私も行きます!」<br>
火渡は椅子に座ったまま首を捻り、二人を睨みつけた。<br>
「オイ、待てよ。何、テメエらだけで勝手に決めてんだ、コラ。あぁ?」<br>
火渡の言葉に、照星は指で軽くサングラスを押し上げ、一歩踏み出す。<br>
「これは上官としての命令ですよ、火渡。命令が聞けないのならお仕置――」<br>
「行かねえとは言ってねえだろ、照星サン」<br>
照星の言葉を遮り、火渡は椅子から立ち上がった。そして、握り締めた拳をもう一<br>
方の掌に叩きつける。<br>
その顔に浮かんでいるのは不適な笑みだ。<br>
「行くよ。行ってテロリストだろうがホムンクルスだろうが、全員まとめてブッ殺し<br>
てやるぜ!」<br>
やれやれとばかりに苦笑いで首を振る照星だったが、すぐに神妙な面持ちに戻り、<br>
口を開いた。<br>
「それと、もう一つ言っておかなければならない事があります。これは日本の戦団に<br>
は無い問題なのですが……」<br>
一度言葉を切り、息を吸い、話を続ける。<br>
「カトリックには、それも法皇庁(ヴァチカン)には充分に注意しなさい。ヴァチカンは錬<br>
金術師を異端者と決め付けています。武装錬金の開発やホムンクルスの製造、賢者の<br>
石の精製……。これら錬金術の力を全て神に逆らう愚かな行為とみなしているのでし<br>
ょう。錬金戦団にせよ、邪悪な錬金術師にせよ、彼らにとっては同じ穴の狢のようです」<br>
自身も敬虔なクリスチャンであるが故に、この事実には心苦しさを覚える。しかも<br>
照星はカトリックが異端視するプロテスタントだ。<br>
三人の顔を見比べ、更に話を続ける。<br>
「ヴァチカンと錬金戦団は、永きに渡り抗争を続けてきました。彼らにも非公式では<br>
あるものの実戦部隊が配備されているようです。小規模、少人数でありながら、その<br>
力は我々に勝るとも劣りません。これが……イギリス支部や他の欧州方面各支部が衰<br>
退に至った、もう一つの原因です……」<br>
まったくの初耳だった。それもそうだろう。三人はまだ熟練というには程遠い若さ<br>
だ。しかも、当たり前だが日本での任務ばかりで、海外の戦団の活動には眼を向けた<br>
事が無いのだから。<br>
だが、一度火が着いた決意と闘志は、簡単にはその火勢を弱めない。<br>
むしろ戦団の仇敵という存在は、消化剤ではなくニトロ並みの燃料となった。特に<br>
火渡には。<br>
「詳しい事は向こうの戦団員から聞けるとは思いますが……。いいですね?
ヴァチカ<br>
ンには充分注意しなさい」<br>
照星は若い三人を危ぶむかのように、念を押して繰り返す。それ程、警戒を要する<br>
組織なのだ。<br>
「はい!」<br>
防人は精気に満ちた返事を張り上げる。<br>
若さ故の恐れ知らずなのか、戦士であるが故の勇敢さなのか、日本人であるが故の<br>
無知なのか。<br>
そのどれかかもしれないし、全てかもしれない。<br>
だが、照星は彼らの上官だ。彼らに迷える心をさらけ出してはいけない。彼らを信<br>
頼しなければいけない。<br>
「防人衛! 火渡赤馬! 楯山千歳!」<br>
照星は一際声高に三人の名を呼んだ。今度は広い会議室に鋭く響き渡る。<br>
「行きなさい!“照星部隊”の力を持って、錬金術を悪用する輩に正義の鉄槌を下す<br>
のです!」<br>
「はい!」<br>
「はい!」<br>
「何だよ、そのヒーロー物みてえなノリは……」<br>
防人と千歳が意気衝天の勢いで返事をする中、火渡一人はシラケムードで小声の突<br>
っ込みを入れた。<br>
「火渡、こっちへ」<br>
ギラリとサングラスを光らせて、照星が笑みを浮かべる。今度は本気だ。<br>
「だああああ!」<br>
三人の中では『お仕置き』の数が群を抜いてトップの火渡は、慌てて会議室から逃<br>
走してしまった。<br>
その様子を見た防人と千歳は、堪えきれずクスクスと笑い声を漏らす。<br>
二人とも二十歳になるかならないかの“若者”だが、そんな表情はまだ無垢な“少<br>
年少女”の物だ。<br>
照星も釣られて笑った。しかし、このまま戦士として任務を重ねていく内に、いつ<br>
かそう遠くない未来にはこの表情も失われてしまうのだろう。そう思うと、また少し<br>
心に影が落ちた。<br>
笑いの収まった防人と千歳は照星に一礼し、退室しようとする。<br>
「では失礼します」<br>
「あ、千歳。ちょっとこっちへ」<br>
既に会議室を出ようとしている千歳はビクンと身を震わせ、恐る恐る振り向く。<br>
「な、何でしょうか、戦士長。わ、私、何もしてませんが……」<br>
錬金戦団の若い戦士達は皆、照星の「こっちへ」という台詞に異常に敏感になって<br>
いる。千歳も例外ではない。<br>
「HAHAHA、お仕置きではありませんよ。少し話があるのです」<br>
「あ、はい、分かりました。ごめんね、防人君。先に行っててもいいから」<br>
防人は頷き、ドアを閉めた。<br>
戻ってきた千歳に、照星は懐からある物を取り出した。<br>
「これを……」<br>
それは茶色い小さめの封筒だった。<br>
「……これは?」<br>
「あなた一人の時に読んで下さい。そして、そこに書かれてある事を必ず実行するの<br>
です。いいですね?」<br>
「は、はい。分かりました。では失礼します」<br>
訳も分からず封筒を受け取った千歳は、改めて一礼すると会議室から出て行った。<br>
パタパタと急ぎめの足音が響く。先に行った防人を追っかけているのだろう。普段<br>
の様子から、千歳が防人に恋心を抱いているのは簡単に見て取れる。<br>
「防人と火渡にはブレーキ役が必要ですからね。あの気弱な性格のままでは少々問題<br>
ですが……」<br>
会議室に一人残った照星は微笑みながら呟いた。<br>
しかし、すぐに眼を閉じ、眉を顰め、思いを廻らせる。<br>
赤銅島での任務失敗、そして生存者はたった一名という惨劇。<br>
戦士は立ち止る事は許されないとはいえ、心の傷も癒えぬまま苦境に苦境を重ねさ<br>
せても良かったのだろうか?<br>
未知の土地での未知の敵。初めて相対するであろう因縁の組織。<br>
彼ら三人にそれを打ち破る力は付いているのだろうか?<br>
照星は眼を閉じたまま、マタイ福音書第7章第13節にある言葉を唱える。自身の<br>
迷いを振り切るかのように。困難に立ち向かう若者の背中を押すように。<br>
「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広い。そして多くの者がそこを通<br>
るのだ。生命に至る門は狭くその路は細い。そしてこれを見出す者は少ないだろう。<br>
彼らに神の御加護を……。AMEN――」<br>
照星は静かに十字を切った。<br>
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