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「シュガーハート&ヴァニラソウル 47-6」(2007/12/24 (月) 09:40:40) の最新版変更点
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『初めての友達、そして転校生 ④』
五十嵐初佳は養護教諭である。……ただし「不良」という冠詞がつく。
「心の悩み」と称して主に下半身の悩みを打ち明けに来る男子学生どもを容赦なく蹴り飛ばすなどはほんの朝飯前で、
「今日は重い日だから気が乗らない」というカメハメハ大王みたいな理由で保健室に「本日休業」の札を掛けてみせたり、
純情な女子学生に過剰な性知識を吹き込んで面白がったり、他にもまあ色々。
挙句の果てには一人の男子生徒に手を付けたともっぱらの評判で、要するに大人になりきれていない女だった。
だが、そうした「学生気分の抜けなさ」が当の学生たちの間では大いにウケているようで、
妊娠とか家庭内虐待とかイジメとか、そこらの大人には言えないような悩みを初佳に持ち込んでくる生徒も決して少なくない。
そんな変なかたちで生徒たちの信頼を得ているために、教師連中も表立って彼女を攻撃できない。
むしろ教師のなかには、業務終了後に保健室を訪れて彼女の秘蔵の酒を頂戴することをささやかな楽しみとしている者さえいた。
そんなわけで、不良養護教諭五十嵐初佳は、堂々と酒臭い息を吐きながら白衣を翻して校舎の廊下を闊歩している。
その日も、三時限目の終了を告げるチャイムが鳴るころになってやっと出勤した初佳は、
自分の根城である保健室のパイプ椅子に腰掛けると早速、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「五十嵐先生、重役出勤ですか?」
「……あれ、川尻先生。いらしたんですか」
「残念ながらいらしたんですよ。あなたがいない間、僕が代わりに二人の生徒の怪我の応急手当をして、
発熱を訴えにきた生徒を早退させ、ついでに不得手な恋の相談も、話だけは聞いておきました」
「ああ……それはご苦労様です」
話を聞くに、今日はどうやら朝から大繁盛の日だったようだ。
自分に代わって労苦を背負ってくれた恩人の前でビールを飲むのはさすがに気が引けたが、
もったいないことにプルタブを開けてしまっている。
「川尻先生、飲みますか?」
「結構です。それより、遅刻の理由を聞かせてくれませんか」
「はあ、でも言っても信じないと思いますよ」
「それを判断するのは僕です。いいから仰ってください」
そこまで言われたのなら仕方がない。せいぜい聞いて楽しむがいい、と初佳は悪魔的な微笑を浮かべ、一息に述べる。
「出勤途中にコンビニ強盗に遭遇してその現場で何故か赤ん坊の保護を押し付けられて、
警察の事情聴取と赤ん坊の引渡しに時間を取られたのが遅刻の理由です。
遅刻の連絡を入れるのは気が動転して忘れてました」
さて、どう返す? と初佳は無責任な興味でもって川尻教師の反応を窺った。
その反応次第では激しい叱責が彼女を待ちうけていることも十分に予想されていたが、それはそのときに考えればいいことである。
少なくとも、初佳はそのように判断してわざと真実味に乏しい言い方を選んだ。
「遅刻の言い訳にする嘘としては最低ですね」
それはこれ以上ないくらいにぴしゃりとした口調だった。
その「言い訳」に腹を立てているようではないのだろう。かと言ってある種のユーモアとして解釈しているふうにも感じられない。
ただ、初佳の言葉を真正面から受け止め率直な感想を述べた、そんな言い方だった。
彼の生真面目さ、悪く言えば根の暗さが滲み出ている一言である。
校内で人気者の初佳と違って、この川尻早人は堅物として大抵の学生からは恐怖と嫌悪の的として見られている。
だが初佳は彼のことがそんなに嫌いではない。
歳が近い親近感もあるが、その根暗さからは「確固たる意思」が見え隠れするし、それに、
「ですが、お話は分かりました。次からはちゃんと連絡を入れてください。そうすればわざわざ問いただす手間が省けます」
「……自分で言うのも変ですけど、信じちゃったんですか、今の」
「遅刻の言い訳に、誰もそんな突飛な嘘をついたりはしないでしょう」
それに──意外と融通の利くところのある青年だからだ。
真面目でしかも柔軟というパーソナリティの持ち主には、普通に生きていてなかなか出会えるものではない。
ほとんどの人間はどっちかに偏るものであり、その「どっちつかず」な感じもどこか親しみを覚える。
「じゃあ、僕はこれで。後はよろしくお願いしますよ」
引き戸に手を掛けた川尻教師だったが、その動きが止まる。思い出したように振り返った。
「──そうそう、忘れるところでした。今朝の職員会議での連絡事項が一つあります。
身内の不幸で故国に帰られたカトゥー先生と、出産休暇を取られた山形先生の代任の先生方が、本日着任されました」
初佳は口を付けかけていたビールを慌ててテーブルに置き、復唱した。
「あ、はいはい。カトゥー先生と山形先生の代任ですね。……って、え? 二人とも、今日ですか?」
「なかなか条件にあった方がいなかったので延ばしのばしになってたんですが、昨日、急に見つかったそうです」
その時、からからと音を立ててて保健室のドアが開かれた。
川尻教師はそちらに向き直り、初佳もその肩越しに入り口に立つ者を見ようとするが、彼の身体が邪魔で良く見えなかった。
「川尻せんせー、ちょっといいですかー?」
それは朗らか、というかむしろ間の抜けたような声だった。
そこにいるのはその一人だけではないらしく、別の声がする。そっちは非常にドスの効いた声だった。
「ったく、なんでオレまで……話を聞くくらいテメェ一人で出来るだろーが」
「ああ、二人ともちょうどいいところに。五十嵐先生、紹介します。彼らが新任の──」
「ったくよー、数学が将来なんの役に立つんだっつーの」
三時限目の英語の授業が終わり、次の授業の準備をしながら南方航は苛立たしく息を吐いた。
吐いた息は行き場を彷徨うようにただよい、そして消える。
『今日の小テストのヤマってどこらへん?』『マジやっべーよ、ノート家に忘れた!』『腹減った……昼休みまだかなあ』
周囲のざわめきを聞くともなく聞き流し、航はもう一度息を吐く。
「うっせえな、どいつもこいつも……」
その声が誰かに届くことはない。
航の机から二列向こうの席では女子が噂話に興じており、教壇近くに群がるグループは今さら宿題を片付けようと躍起になっており、
教室の中央辺りでは数人の男子が各々の斬魄刀(別名・箒)を振り回して限界ぎりぎりの真剣勝負を敢行していた。
それらに含まれないクラスメイトたちも、それぞれがニ、三人で固まって思いおもいの休み時間を過ごしている。
その混沌と雑多な声の響き渡る教室のなかで、航の席だけが、ぽっかりと空白地帯を形成していた。
『男子うるさーい! 中学生にもなってチャンバラって馬鹿じゃないの!?』
『黙れブス! 卍解するぞコラ!』『やってみなさいよ!』『な、なんだとう!』
『どーしたのよほらほらほらぁ! 見ててあげるからバンカイしなさいよ! 漫画と現実の区別もつかないなんて、ほんっとにガキ!』
教室の片隅で男子と女子が口論を始めた。
それを冷やかすもの、先生にチクリにいこうか迷っているもの、無関心におしゃべりを続けるもの、
一つの出来事で波紋のように乱れる人の輪に、航が加わることはなかった。
この小さな世界から切り離されて、彼は一人ぼっちだった。
思うに、席の配置が悪いのだ。
航の教室には六列×七段の等間隔で机が並んでおり、窓際の列の最後尾が彼の席である。
隣の席は無人だった。その席の主は一月も前に転校してしまったからだ。
つまり航は物理的に教室全体から隔絶された環境にあり、理科の授業などで「隣の人と組んでなになにをしなさい」
という命令が教師から下されたときは必ず取り残される、そういう位置関係なのである。
授業中は常にクラス全員から背を向けられており、手の届くところには誰もいない。
そんな状況では、自分がクラスから孤立するのは当然のように思われた。
(ま、別に友達なんかいらねーけどさ……)
──もちろん、それは欺瞞だった。
背を向けられてるなら振り返らせればいいだけの話であり、手が届かないなら届くところまで歩いていけばいい。
友達は欲しかった。毎日一人で体育館裏で弁当を食べるのには飽きあきしていた。
だが、航にはそれが出来なかった。
自分から「友達になってください」と言い出すのは、或いはそう受け取られる言動を取るのは物凄くカッコ悪いことだと思っていた。
航はいつも自分に言い聞かせている。
自分は孤高の人間で、クラスの馬鹿丸出しの男子やぎゃーぎゃーうるさい女子と馴れ合うのは性に合わないのだ、と。
だから友達を作る努力をしなくてもいいのだと。
心の底ではそうした正当化がそのまんま「酸っぱい葡萄」だということには気づいていたが、
彼のプライドと思春期特有の自意識過剰と視野狭窄がそれを断固として認めなかった。
その異なる意識のせめぎ合いが余計に航を苛立たせ、いつしか彼の精神は変な方向に凝り固まっていた。
『今度の日曜、映画見に行こうよ』『こないだ海岸でエロ本拾ったんだぜ!』『かーちゃんが勉強しろってうるさくてさー』
『麻美、大学生の彼氏が出来たんだって』『いつまでも邦楽なんか聴いてるやつは小学生だろ』『川尻マジ殺してー』
(うるさいうるさいうるさい!)
胸中で絶叫する航のことなど知らぬげに、クラスメイトはいつもの日常を繰り返す。
『ねえねえねえ、聞いた聞いた? 昨日、また出たんだって!』『出たって……なにが?』『だからぁ……“ブギーポップ”だよ!』
彼のの存在をよそに、今日も世界は平穏そうに回っている。
「あーあ、さっさと世界が終わらねぇかな……」
それが、最近の航の口癖になっていた。
──四時限目の開始を告げるチャイムが鳴り、教室は徐々に沈黙へ向けて収束していった。
脳を掻き毟るノイズの大幅減に気を良くした航は、その気楽さに任せてぼうっと窓の外を眺める。
初老の教師の声が、膜の掛かったような曖昧さで彼の意識を通り過ぎていく。
「あー、授業の前に、突然だが転校生を紹介する。
本当は朝のホームルームにやるはずだったんだが、家の用事で学校に来るのが遅れてしまったそうだ。
──さ、二人とも入んなさい」
空の彼方には、むくむく昇る厚い雲が層を成していた。今年始めて見る入道雲だった。
(……『二人』?)
「五十嵐先生、こちらが体育担当の──」
「黒鋼だ」
そう言ったのは、眼光鋭い、ヤクザみたいに険の強い風体の大男だった。
その横に、ひょろっとした雰囲気の、へらへら笑いを顔に貼り付けた優男が進み出る。
「英語担当のファイ・D・フローライトです──いやいや、こんな美人さんと知り合いになれて光栄ですー。ね、黒さま」
「誰が『黒さま』だっ!」
「いやーん、黒りんこわーい」
「テメェ! ブッ殺す!」
「……なんかもうどうでもいいや」という気分になって、初佳は気の抜けたビールを思い切り呷った。
げふ、と適齢期の女性にしては恥じらいに欠けるおくびを漏らす。
「川尻先生? こいつら、大丈夫なの?」
川尻教師は答えない。
──それは少年と少女だった。
ぱりぱりの卸したてだと見て分かる、ぶどうヶ丘中等部指定の学ランとセーラー服をそれぞれ着ている。
教師の声に促されて教壇に立った二人を見て、教室のほとんど全員が色めき立った。
女子は、凛々しい顔立ちをした少年のすっきりした立ち振る舞いや、そのきびきびした言葉遣いに。
「李小狼です。外国から来たのでこの国のことは不慣れですが、どうかよろしくお願いします」
そして男子は、可憐な愛らしさを備えた少女の、つっかえながらも一生懸命に自己紹介をする健気な姿に。
「あ、あの、木之本、桜といい、ます。出来る、だけ早く皆さんと仲良くなり、なりたいので、えと、色々教えてくだひゃい。……ください」
相馬航は、その転校生二人を食い入るように見つめていた。
それは他のやつらと同じレベルのガキっぽい行為であり、もっと淡白な態度で時期外れの闖入者を迎えるべきだと
彼の理性が告げていたが、どうしても視線を外すことが出来なかった。
「ええと……南方の隣が空いているな。木之本さんはそこに座りなさい。李くんは……まあ、とりあえず窓際の最後尾でいいかな?
南方。わたしは今から彼の分の机と椅子を取ってくるから、君は自分の席をもう少し前に詰めなさい。いいね?」
クラス中の敵意と羨望の十字砲火が航を直撃した。それは彼が生まれて初めて衆目の関心を一身に浴びた瞬間だった。
──だが今や、そんなことはこれっぽちも問題ではなかった。
教壇から教室の片隅まで、その絶望的な距離を飛び越えて、二人の視線が航を捉えた。
李小狼が軽く会釈をし、木之本桜が少しだけ首を傾けて微笑んだ。
今、自分はどんな顔をしているのだろうか。
──このしばらく後、南方航は『メタル・グゥルー』という名前のスタンド能力に目覚める。
その能力で杜王町を、ひいてはこの世界を致命的(フェイタル)な危機に陥れるのだが──。
「この席、でいいんですよね」
「あ、ああ。多分そう。あ、いや、間違いなくその席……だと思う」
「南方さん、ですよね? わたし、サクラっていいます。仲良くしてくださいね」
「み、南方航っす」
「俺は小狼です。よろしく、航くん」
「……こちらこそ、よ、よろしく」
これは、そうした意味で運命的(フェイタル)な、「必然」という無機質な機構が自動的な運動を開始する、その最初のトリガーとなる──、
それはそういう出会いだった。
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