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「シュガーハート&ヴァニラソウル 48-1」(2007/12/24 (月) 09:44:39) の最新版変更点
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『復活のビート Part3 ①』
「なにか良くないことが起きるときは──いつもアイツが現れるんだ」
秋月貴也の通う学校には、女の子たちの間だけで囁かれている、ある奇妙な『噂』がある。
それは『ブギーポップ』と呼ばれる死神の噂だ。
そいつは黒のマントに身を包み、メーテルのような筒状の帽子をすっぽり被り、蒼白な顔の唇に黒のルージュを引いた、
とんでもないくらいの美少女(或いは美少年)の姿をしているらしい。
そいつは人知れず夜の闇を歩き、人知れず人を殺す。
その人が最も美しいときに、それ以上醜くならないように一瞬で殺してしまう──そんな殺し屋の話だ。
年頃の感傷的な少女たちにありがちで罪のない、はっきり言ってしまえば下らない都市伝説だった。
で、さて、その「女の子しか知らない」はずのブギーポップの噂を、どうして男である貴也が知っているのか。
──それにはちょっとしたタネがある。
貴也には恋人がいる。だが、それを周囲に言うことはあまり無い。
なぜなら相手に問題があるからだ。
と言ってもそれは人間的にとかそういう意味では全然なく、彼女は貴也の通う学校の職員──養護教諭なのである。
生徒手帳には生徒間の不純異性交遊を禁じる文言があるが、教師と生徒間についてのそうした記述はない。
それの意味するところは明白である。
「つまりあたしとあんたの仲を妨げるものはなにもないってことでしょ」
「違うから。当たり前すぎて書く価値がないってくらいにダメなことなんだよ、先生と生徒が付き合うのって。
不文律どころか、それ以前の一般常識なんだ。殺人や強盗を校則で禁止していないのと同じだよ」
「貴也は考えすぎよ」
「初佳さんが考えなしなだけだと思う……」
「なんか言ったあ?」
「いや、なにも」
そんな他愛のない会話を交わしながら、二人は朝陽の差す並木道を歩いていた。
気象庁が梅雨の明けたのを宣言してから数日が経っており、日々を追って激しくなる直射日光は並木に深緑の葉を繁らせている。
秋になれば枯れて落ちる運命ではあるが、その短い間にも、精一杯の生命を全うしようという意志に満ちているようにも感じられた。
「結局貴也はなにが言いたいの」
「え、いや、だからお互いにもっと節度を持った付き合いを」
「はあん? 要するにあたしと別れたいわけ? 四捨五入して三十路の女と付き合うのは嫌?」
「そ、そうじゃなくて。こうやって一緒に登校するのはまずいんじゃないかって話だよ。全然嫌じゃない」
意外そうに手を振って否定する貴也に背中からしがみつき、初佳はくつくつ笑った。
「分かってる分かってる。あんたがその辺の胸の無いガキになびくワケがねーわな。ね、巨乳好きの秋月貴也くん」
「な、なんでそういう話になるのかなあ」
「なに、本当のことでしょう」
「……違うよ。別に、胸が大きいからって初佳さんのこと好きになったんじゃないから」
「真顔で言うな、真顔で」
初佳は貴也の背中を突き飛ばして適切な距離を取り、その尻に回し蹴りを叩き込んだ。
女の細脚であるしその構えもなってないので、なんの肉体的外傷も貴也に与えられなかったが、だからと言って痛くない訳ではない。
「なにするんだよ」
貴也は顔をしかめて初佳を睨みつけるが、意外なことに彼女も真顔だった。
歩みを止めて貴也を見つめるその視線は、物言いたげであった。
「ねえ、貴也。あんた……最近困ったこと、ない?」
「別に無いけど。どうして?」
「ん、いや、大したことじゃないないのよ──」
語尾を濁し、貴也の先に立って再び歩き出した。貴也も慌ててその後に続く。
「ま、待ってよ!」
年下の彼氏の力強い足音を聞きながら、初佳は内心で嘆息した。
(まあ、貴也に問題があるわけじゃないものね──『アイツ』が出てくるのは。どっちかと言うと、問題があるのはこの世界、か……)
並木道を抜けて駅前の大通りに出るあたりになると、人通りが急に増えてくる。
二人は黙ったまま、どちらからともなく自然に離れ、他人を装う。
別に後ろめたいことなどなにもないが、やはり教師と生徒ということを考えると気を使ってしまう。
貴也の言うことにも一理あるのかも知れない、と初佳は考える。
だが、初佳も公衆の面前でいちゃいちゃしたくて貴也と同伴出勤をしている訳ではなかった。
明確で合目的的な理由があるのだ──言わば『見張り番』である。
『良くない兆し』が貴也の身に現われたとき、真っ先に彼を守れるように。
──『アイツ』のほうは自分の助けなど全く必要としていないだろうが。
「……あれ?」
初佳の三メートル前方を歩いていた貴也が、その進行方向を変えていた。
通学路から外れ、近くにあったコンビニエンスストアへ足を向けている。
その足取りはやや急ぎ足だった。
「文房具でも買うのかしら……」
なにもバカ高いコンビニでなくとも、学校の購買部で買えばいいだろうと不審に思ったが、
とりあえずその後についてコンビニの自動ドアをくぐり、
「え?」
目を疑った。
それは普通の朝の光景だった。
電車の時間と相談しながら立ち読みをする学生、パンやおにぎりを抱えてレジに並ぶ行列、
陳列棚の前に置かれたままの補充中途のカゴ、そして──。
奇妙な男が一人。
生後半年くらいの赤ん坊を右腕に、抜き身の柳刃包丁を左手に、レジカウンターの前に立っていた。
まったく不釣合いなものを同時に抱える、どこまでもアンビバレンスな姿だった。
どうしようもなく周囲から浮きまくった異様さに、買い物客はちらちらそいつを見ながら心持ち後ろ歩きで、
一人、またひとりとそそくさと店から出て行く。
そして、その奇妙な男は叫んだ。
「か、かかか金を出せ! 金だ!」
その言葉に、店内全ての意識がレジカウンター前に集中した。
包丁を突きつけられた店員は身動き一つしなかった。ただ、珍獣を見るように男の瞳を覗き込んでいる。
男の目は黄色っぽく、血走っていた。その瞳孔は極度に収縮していた。
「……まずいわね」
先に店内に入った貴也の背に追いついたところで、初佳は彼の耳にそう囁いた。
「多分、あいつアッパー系の薬物を服用してるわ」
たまたま初佳の横を通り過ぎたサラリーマンがそれを聞きとがめ、ぎょっとしたように初佳を凝視する。
ひっ、と短く息を吐いて、駆け足で店から出て行こうとし、開きかけの自動ドアに頭をしたたかに打ち付けてしまった。
「聞こえてねえのかよ! 金だよ金! こ、こここいつにミルクを買ってやるんだ!」
てんで無茶苦茶だった。
ミルクごときで強盗に手を染めるなど、正気の判断ではない。
リスクとリターンが少しも釣り合っていなかった。ミルクが欲しければせいぜいが万引き、というのがまともな判断だ。
だが男にとってそれは非常に筋道の通った選択なのだろう──だからこそ、幼子と凶器を同時に持つことができるのだろう。
「貴也、出ましょう。それから警察呼ばないと」
そう言って貴也の肩を引き──初佳は息を呑んだ。
貴也は、まるで石にでもなったかのようにその場に立ち尽くしていた。その身体はびくともしなかった。
まるで、どうしても今ここで為さなければならない使命があるかのように。
「貴也……?」
貴也は初佳の声など聞いていなかった。いや、
「止めなければ……ビート……」
貴也はすでにここにいなかった。
いつも人畜無害で大人しそうな顔をしている秋月貴也はすでにおらず、
今、初佳の目の前にいる『こいつ』は能面のような無表情を顔全体に漲らせていた。
「貴也? ……違う、あんたまさか! こんなところで出てくる気かよ!?」
「崩壊の……全てが手遅れになる前に……」
秋月貴也はいわゆる二重人格者だった。
普段は主人格──恋人の扱いに戸惑ったり学校の勉強に音を上げたりする気弱な少年、貴也が『表に出ている』が、
ある条件が揃うことで、『そいつ』は貴也と入れ替わって彼の肉体を支配する。
その人格の顕現自体は誰にも制御できない。
世界が絶対的な危機に直面するとき、そいつは世界の根源たる可能性の水底から、
現実という水面まで自動的に浮かび上がってくるのだ。
それはまるで泡のように。
ために、そいつは時としてこう呼ばれる。
『不気味な泡』──。
「『ブギーポップ』……!」
「……君か、五十嵐初佳。この間は悪かったね。
なにも君と秋月貴也の仲を裂くつもりはないんだが……これも決まりでね。私は私の仕事をしなければならない」
「『仕事』……?」
「君も良く知っているだろう、私のことは」
『そいつ』──ブギーポップは、レジカウンターの方を目線で示した。
「『世界の敵の、敵』──」
それはまるで感情の篭ってない目で、この世の全てを無価値だと思っているようでもあった。
「私の仕事は、『世界の敵』を殺すことさ」
『復活のビート Part3 ①』
「なにか良くないことが起きるときは──いつもアイツが現れるんだ」
秋月貴也の通う学校には、女の子たちの間だけで囁かれている、ある奇妙な『噂』がある。
それは『ブギーポップ』と呼ばれる死神の噂だ。
そいつは黒のマントに身を包み、メーテルのような筒状の帽子をすっぽり被り、蒼白な顔の唇に黒のルージュを引いた、
とんでもないくらいの美少女(或いは美少年)の姿をしているらしい。
そいつは人知れず夜の闇を歩き、人知れず人を殺す。
その人が最も美しいときに、それ以上醜くならないように一瞬で殺してしまう──そんな殺し屋の話だ。
年頃の感傷的な少女たちにありがちで罪のない、はっきり言ってしまえば下らない都市伝説だった。
で、さて、その「女の子しか知らない」はずのブギーポップの噂を、どうして男である貴也が知っているのか。
──それにはちょっとしたタネがある。
貴也には恋人がいる。だが、それを周囲に言うことはあまり無い。
なぜなら相手に問題があるからだ。
と言ってもそれは人間的にとかそういう意味では全然なく、彼女は貴也の通う学校の職員──養護教諭なのである。
生徒手帳には生徒間の不純異性交遊を禁じる文言があるが、教師と生徒間についてのそうした記述はない。
それの意味するところは明白である。
「つまりあたしとあんたの仲を妨げるものはなにもないってことでしょ」
「違うから。当たり前すぎて書く価値がないってくらいにダメなことなんだよ、先生と生徒が付き合うのって。
不文律どころか、それ以前の一般常識なんだ。殺人や強盗を校則で禁止していないのと同じだよ」
「貴也は考えすぎよ」
「初佳さんが考えなしなだけだと思う……」
「なんか言ったあ?」
「いや、なにも」
そんな他愛のない会話を交わしながら、二人は朝陽の差す並木道を歩いていた。
気象庁が梅雨の明けたのを宣言してから数日が経っており、日々を追って激しくなる直射日光は並木に深緑の葉を繁らせている。
秋になれば枯れて落ちる運命ではあるが、その短い間にも、精一杯の生命を全うしようという意志に満ちているようにも感じられた。
「結局貴也はなにが言いたいの」
「え、いや、だからお互いにもっと節度を持った付き合いを」
「はあん? 要するにあたしと別れたいわけ? 四捨五入して三十路の女と付き合うのは嫌?」
「そ、そうじゃなくて。こうやって一緒に登校するのはまずいんじゃないかって話だよ。全然嫌じゃない」
意外そうに手を振って否定する貴也に背中からしがみつき、初佳はくつくつ笑った。
「分かってる分かってる。あんたがその辺の胸の無いガキになびくワケがねーわな。ね、巨乳好きの秋月貴也くん」
「な、なんでそういう話になるのかなあ」
「なに、本当のことでしょう」
「……違うよ。別に、胸が大きいからって初佳さんのこと好きになったんじゃないから」
「真顔で言うな、真顔で」
初佳は貴也の背中を突き飛ばして適切な距離を取り、その尻に回し蹴りを叩き込んだ。
女の細脚であるしその構えもなってないので、なんの肉体的外傷も貴也に与えられなかったが、だからと言って痛くない訳ではない。
「なにするんだよ」
貴也は顔をしかめて初佳を睨みつけるが、意外なことに彼女も真顔だった。
歩みを止めて貴也を見つめるその視線は、物言いたげであった。
「ねえ、貴也。あんた……最近困ったこと、ない?」
「別に無いけど。どうして?」
「ん、いや、大したことじゃないないのよ──」
語尾を濁し、貴也の先に立って再び歩き出した。貴也も慌ててその後に続く。
「ま、待ってよ!」
年下の彼氏の力強い足音を聞きながら、初佳は内心で嘆息した。
(まあ、貴也に問題があるわけじゃないものね──『アイツ』が出てくるのは。どっちかと言うと、問題があるのはこの世界、か……)
並木道を抜けて駅前の大通りに出るあたりになると、人通りが急に増えてくる。
二人は黙ったまま、どちらからともなく自然に離れ、他人を装う。
別に後ろめたいことなどなにもないが、やはり教師と生徒ということを考えると気を使ってしまう。
貴也の言うことにも一理あるのかも知れない、と初佳は考える。
だが、初佳も公衆の面前でいちゃいちゃしたくて貴也と同伴出勤をしている訳ではなかった。
明確で合目的的な理由があるのだ──言わば『見張り番』である。
『良くない兆し』が貴也の身に現われたとき、真っ先に彼を守れるように。
──『アイツ』のほうは自分の助けなど全く必要としていないだろうが。
「……あれ?」
初佳の三メートル前方を歩いていた貴也が、その進行方向を変えていた。
通学路から外れ、近くにあったコンビニエンスストアへ足を向けている。
その足取りはやや急ぎ足だった。
「文房具でも買うのかしら……」
なにもバカ高いコンビニでなくとも、学校の購買部で買えばいいだろうと不審に思ったが、
とりあえずその後についてコンビニの自動ドアをくぐり、
「え?」
目を疑った。
それは普通の朝の光景だった。
電車の時間と相談しながら立ち読みをする学生、パンやおにぎりを抱えてレジに並ぶ行列、
陳列棚の前に置かれたままの補充中途のカゴ、そして──。
奇妙な男が一人。
生後半年くらいの赤ん坊を右腕に、抜き身の柳刃包丁を左手に、レジカウンターの前に立っていた。
まったく不釣合いなものを同時に抱える、どこまでもアンビバレンスな姿だった。
どうしようもなく周囲から浮きまくった異様さに、買い物客はちらちらそいつを見ながら心持ち後ろ歩きで、
一人、またひとりとそそくさと店から出て行く。
そして、その奇妙な男は叫んだ。
「か、かかか金を出せ! 金だ!」
その言葉に、店内全ての意識がレジカウンター前に集中した。
包丁を突きつけられた店員は身動き一つしなかった。ただ、珍獣を見るように男の瞳を覗き込んでいる。
男の目は黄色っぽく、血走っていた。その瞳孔は極度に収縮していた。
「……まずいわね」
先に店内に入った貴也の背に追いついたところで、初佳は彼の耳にそう囁いた。
「多分、あいつアッパー系の薬物を服用してるわ」
たまたま初佳の横を通り過ぎたサラリーマンがそれを聞きとがめ、ぎょっとしたように初佳を凝視する。
ひっ、と短く息を吐いて、駆け足で店から出て行こうとし、開きかけの自動ドアに頭をしたたかに打ち付けてしまった。
「聞こえてねえのかよ! 金だよ金! こ、こここいつにミルクを買ってやるんだ!」
てんで無茶苦茶だった。
ミルクごときで強盗に手を染めるなど、正気の判断ではない。
リスクとリターンが少しも釣り合っていなかった。ミルクが欲しければせいぜいが万引き、というのがまともな判断だ。
だが男にとってそれは非常に筋道の通った選択なのだろう──だからこそ、幼子と凶器を同時に持つことができるのだろう。
「貴也、出ましょう。それから警察呼ばないと」
そう言って貴也の肩を引き──初佳は息を呑んだ。
貴也は、まるで石にでもなったかのようにその場に立ち尽くしていた。その身体はびくともしなかった。
まるで、どうしても今ここで為さなければならない使命があるかのように。
「貴也……?」
貴也は初佳の声など聞いていなかった。いや、
「止めなければ……ビート……」
貴也はすでにここにいなかった。
いつも人畜無害で大人しそうな顔をしている秋月貴也はすでにおらず、
今、初佳の目の前にいる『こいつ』は能面のような無表情を顔全体に漲らせていた。
「貴也? ……違う、あんたまさか! こんなところで出てくる気かよ!?」
「崩壊の……全てが手遅れになる前に……」
秋月貴也はいわゆる二重人格者だった。
普段は主人格──恋人の扱いに戸惑ったり学校の勉強に音を上げたりする気弱な少年、貴也が『表に出ている』が、
ある条件が揃うことで、『そいつ』は貴也と入れ替わって彼の肉体を支配する。
その人格の顕現自体は誰にも制御できない。
世界が絶対的な危機に直面するとき、そいつは世界の根源たる可能性の水底から、
現実という水面まで自動的に浮かび上がってくるのだ。
それはまるで泡のように。
ために、そいつは時としてこう呼ばれる。
『不気味な泡』──。
「『ブギーポップ』……!」
「……君か、五十嵐初佳。この間は悪かったね。
なにも君と秋月貴也の仲を裂くつもりはないんだが……これも決まりでね。私は私の仕事をしなければならない」
「『仕事』……?」
「君も良く知っているだろう、私のことは」
『そいつ』──ブギーポップは、レジカウンターの方を目線で示した。
「『世界の敵の、敵』──」
それはまるで感情の篭ってない目で、この世の全てを無価値だと思っているようでもあった。
「私の仕事は、『世界の敵』を殺すことさ」
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