真北の大冒険 > 第10話 着いたぞ樺太!Uボッコって何者だ?

平山と別れを告げ、札幌から特急スーパー宗谷に乗り、稚内へと向かう島田真北。
北海道の秋の自然は黄土色だった。
約5時間、列車に揺られて事実上の日本最北端・稚内に到着。この後世世界でも北方領土問題は存在する。
「うわぁ、まさに北の大地」
北に近づいている。道路の案内板にはロシア文字も書かれているのである。

駅からしばらく歩くと、ホテルに着き、そこで一泊して、翌朝サハリンの沿岸都市コルサコフまで船で行く。
真北は出国審査を難なくクリアし、乗船。
日本時間1000 出港

後世ロシアは帝政時代、ウラル山脈より東はデイン帝国という独立国家で前世より領有範囲が狭かったが、ソ連時代にデインを併合した。しかしソ連が崩壊するとデインは再独立を果たしたが、なぜかサハリンと千島列島はロシア領のままとなった。そのため、デインには政治上の理由で容易に入国することは困難となり、シベリアでの修行はできなくなったが、ロシアにはシベリアに近い寒さの場所ならどこにでもある。
真北はサハリンでしばらく暮らすという。

5時間後、コルサコフに到着。日本統治時代は大泊という地名だった。
ここから鉄道かバスでユジノサハリンスクに行く。
真北はバスよりかは鉄道の方が好きなのでコルサコフの駅に向かうと、そこにはかつて日本本土で活躍して海を渡りサハリンに来たキハ58系ディーゼル車が留置線で止まっていた。真北は構内に入って写真でも撮りたいと思ったが、駅夫に止められてしまう。サハリンの鉄道は貨物が主体で旅客輸送はあまり行われていない。
仕方なく真北はバスターミナルに移動する。ユジノサハリンスクまでは結構高頻度で運行されている。
バスに乗車し揺られ1時間、サハリン最大の都市・ユジノサハリンスクに到着。日本統治時代は豊原という名前だった。といっても人口は17万人で大津市より少ない。
「おお、日本のお城だ」
日本統治時代の建物も少なからず残っている。
さて、これからどうするかというと、思いつかない。言葉も通じない。サハリンの人々に日本語が話せる人がいれば苦労しなくてすむのに。
そのために真北はあらかじめNHKラジオでロシア語を習ってきたり、書籍も持ってきた。
すると一人の男に呼ばれた。どうやら中年っぽい人のようだ。
「あんた、日本人か」
なんと日本語で話しかけてきた。
「はい」
真北も答えた。
「ああ、寂しいだろ、俺の家に来るか」
と男は訊く。
「まさか変質者じゃ・・・」
真北は耳を疑った。こんなところによほど親切に日本語で話しかけてくる人などいるとは思ってもいなかった。
「と、とんでもない、俺は普通の人間だ」
「信じていいんですね」
「もちろんさ、ほら、聞きたいだろ、ウタダやモームスの曲を」
「えっ!?ご存じなんですか?宇多田ヒカルやモーニング娘。を?」
「ああ、俺は日本通だ」
「じゃあ、喜んで」
こうして真北は男に案内された。

とあるレストランで真北は男と話している。
「名前は?」男は訊く。
「島田真北。」真北はあっさり答える。
「俺の名はニキータ・マレンコフ。」
「宜しくお願いします、マレンコフさん」
「こちらこそ」
「ところでマレンコフさんって日本にいらしたことあるんですか」
「ああ、何度も行ったさ、特にアキバとフジヤマとキョウトは最高さ」
「へぇ、」
「ところで、この男を知ってるか」
マレンコフは誰かの顔写真を取り出し、真北に見せて訊く。
「知りません」真北、あっさり答える。
「知らなくて当然だよな。こいつの名はウラジーミル・ボゴダビッチ、通称「Uボッコ」、俺の中ではサハリン最強の男だ」
「本当に強いんですか」
「ああ、空手なら軽く五段は取れそうな運動神経さ」
「へぇ」
「ところであんたは何しにサハリンに来た」マレンコフは訊く。
「修行をしに」真北は答える
「ならばこいつに頼んで修行させてやるよ」
「本当ですか」
するとマレンコフは公衆電話でボゴダビッチに電話をかけた。10分後、戻ってきた。どうやらボゴダビッチは真北を受け入れる様子だ。
「ということだ島田君、今晩泊まって、明日そのボゴダビッチのところに案内してやるよ」
「でも、うまく意思疎通ができるか心配ですわ」
「大丈夫だ。俺の友達に通訳してる人がいるからそいつと一緒に行くがいい」
「ありがとうございます」
こうして真北はマレンコフの自宅で一晩を過ごし、翌日、ボゴダビッチの住むポロナイスクという街へと向かうことに。

果たして、Uボッコことウラジーミル・ボゴダビッチというのは誰なのか

続く
最終更新:2008年12月13日 00:34
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