デイン帝国による日本への宣戦布告で、日本中が騒然となっている。
その中で、真北はいつものように出勤すると、列車区長による朝礼が行われた。
「あと数週間、いや、もしかしたらあと数日で大津は火の海になるかもしれない。それまでに戒厳令が出される。戒厳令が出されれば鉄道は全路線運転を取りやめなければならない。」
西大津中学や守山ネズミ王国でも、有事に備え、避難訓練が実施された。
一方そのころのデイン、韓国を手中に収め、そしてその韓国から九州と中国地方に向かって空挺部隊と護衛航空隊が飛び立とうとしている。
「このデイン帝国の新鋭攻撃機、H-55Φに敵う敵など日本にいるものか」
「護衛には我が軍の傑作F-221と鉄板のように硬い輸送機、そして優秀たる我が精鋭の落下傘部隊」
そしてデインの航空隊は飛び立った。
1200、京阪石山駅、この日の真北の勤務はこの駅だった。真北は休憩中にラジオを聞く。すると
「先ほど、デイン軍の空挺部隊が熊本県阿蘇市に降り立ちました。」
「とうとうやっちまったか」
そしてその熊本では
「デインだ!デインが出た!」
現地住民は慌てふためく。
「邪魔だっ!出てけっ!」
降り立ったデイン兵はコンテナから別送した銃器を取ると、そのまま住民に向かって発砲。
「ぎゃぁーっ!」
第一派全員が降り立ち、続く野戦砲や空挺戦車が降り立つ第二派が揃うと、そのまま進軍を開始した。第三派、第四派も無事に降下を終え、そのまま熊本空港へと向かった。
デイン軍は圧倒的優位にたつ。主力戦車擁する自衛隊も全く歯が立たない。そしてその日の夜に熊本空港を制圧。3000メートルの滑走路を擁する空港を占領したデインはさらに有利になる。
翌日、デイン軍の主力戦車などが熊本まで空輸され、日本侵攻は本格化する。陸上自衛隊の西部方面隊のある熊本を攻め落とし、日本の陸上勢力はほぼ壊滅。
そして錦織の事業部では
「デインが南九州を陥落させやがった」
「ああ、もう終わりだ」と助役は嘆く
正午までにデイン軍は大分を陥落。もはや誰も止められなくなり、20時にもなれば福岡は完全にデインの手に落ちた。
12月5日、九州を制圧したデインは、さらにロシアに対して宣戦布告。サハリンをターゲットにし、オホーツク海周辺の制海権を確保し、日本を挟み撃ちにしようとしている。
そのことを耳にしたサハリンに住むUボッコことウラジーミル・ボゴダビッチは、銃の手入れをして、デインに立ち向かおうとしていた。
「デインめ、貴様らの好きにはさせんぞ」と、ボゴダビッチは仲間と共にデインと戦おうとしている。
夕方頃、デインの日本方面軍はしばらく九州で戦力を立て直すべく待機。そしてサハリン方面へと向かう軍はいよいよ出撃を開始した。
デインがサハリン侵攻を開始したニュースを聞いた真北。
「ボゴダビッチさん・・・・そしてサハリンよ・・・・どうか無事で・・・」真北はボゴダビッチの無事を祈る。
しかしその願いとは裏腹に、2日後にはデインはサハリンのポロナイスクより北を陥落させてしまう。
一方デインの日本方面軍はついに山口へと侵攻を開始した。それに対し、国連安保理は全会一致でデインに対する武力制裁決議を出し、岩国に基地を持つアメリカはデインに対して攻撃を開始。だが依然としてデインの優勢。日米はデインの進撃を止められずにいた。
12月10日、デインはサハリンを陥落。真北に悲報来たる。
島田家の郵便受けに一通の理髪店で見るようなサインポールのような赤と青のツートンの縁の封筒が届いた。中身は英語で「ボゴダビッチ死す」と書かれていた。
真北は泣き崩れた。サハリンの仲間がデインにやられたことがなによりも信じられなかった。
その頃デイン日本方面軍は広島・島根西部制圧。岩国にいた米軍はデインの前では全くの役立たずだった。
翌11日、デインはついに四国へと進撃、それを気にする人がいた。そう、相本由香である。彼女は10歳ときまで香川に住んでいて、親戚も多数いるという。彼女はずっと不安になり、この日の授業はろくに集中できずにいた。
12日、彼女の恐れていたことが現実となってしまう。香川陥落。そして中国地方は岡山までデインの手に落ちてしまった。デイン軍はいよいよ近畿地方へ
13日、近畿運輸局は各鉄道事業者に鉄道運行中止命令を出し、京阪津電鉄も全線にわたり運休となった。
果たして、日本の運命は
続く
最終更新:2008年12月27日 09:17