平盛17年12月13日、近畿の鉄道全線が運休になり、京阪津電気鉄道の全現業社員は自宅待機となった。その中で、島田真北はずっと戦況を気にしていた。デイン軍は今や兵庫県の相生付近まで来ていた。もうすぐ姫路が陥落される、姫路城が焼けるかもしれないのである。
その日の夕方、ついに姫路は陥落。そしてデインは今や東経135度を越えて神戸に迫ろうとしていた。その神戸では
「デイン軍がそろそろ来るぞ!」と、市民は叫ぶ。
「みんな逃げろ!何としても大阪には行かすな!」と、自衛隊員も叫び、デイン軍と応戦しにいく。
その30分後、垂水で自衛隊とデイン軍が衝突。たちまち垂水の街は火の海になる。結果は自衛隊の大敗、デインのワンサイドだった。
23時頃、デイン軍は兵庫を陥落。そして大阪に迫る。
大阪湾には、デインを迎え撃とうとする海上自衛隊の艦船が並んでいる。しかし、とてもデインに立ち向かえる戦力ではなかった。たちまち空から襲撃に遭い、全滅。
淀川沿いでは野戦砲部隊や高射砲部隊が並んでいて、デイン軍の陸上からの侵入を阻止できたはずだった。しかし、それも打ち破られた。その戦火は周辺の市街に燃え移り、ついには梅田の街が火と血に染まる。
日が変わって14日の朝、デインはついに大阪を陥落。大阪城や通天閣にデイン国旗が翻る。御堂筋ではデイン陸軍の行進が始まり、デイン兵からは「アシュナード万歳」の声が流れた。
それから徳島、和歌山も陥落され、デインはついに西日本のほとんどを制圧。次のターゲットは京都、そして大津・・・
昼になって、大津駐屯地の方から軍用車が京都方面へと移動を始めていた。それを目にした真北は、かつての同僚の健闘を祈りつつ、訓練に入る。彼は自分の住む街を守りたい、そういう気持ちで一杯だった。
夕方、テレビでデイン軍が京都に到達したという情報が流れた。すると真北は活動しやすい緑色の服を着て、戦場に向かおうとした。
「あんたなに考えてるの」と、母は真北を止める。
「どうせここにいたって大津を追われる運命なんだ」と、真北は反論する。
「やめとき、そんなことしたって無駄よ」と、母は言葉を続ける。
「この弱虫が!」と、真北は声を荒げつつ母を押しのけた。
真北は必死だった。デインに敗れて大津を去るより、デインに立ち向かって1メートルでも戦線を動かそうとしたかった。真北は自足で山中越えの道を行く。比叡山に忍び込んでデイン軍の群れをゲリラで打ち破ろうとするつもりである。
夜20時、デインは京都の市街地に到達、滋賀県の国道はデインの魔の手から逃げる民間人の車で一杯だった。一刻も早く日本を逃れるために敦賀の港や名古屋の空港に向かおうとしている。そのため幹線道路はほとんど渋滞している。
22時、デインは山科を除く京都市の殆どを陥落。同時に奈良も陥落させた模様。真北はその情報をラジオで聞く。
15日2時、山科に到達したデイン軍、大津は目の前である。
「気をつけろ、大津には1人だけだが、とても強い男がいる」と、デイン軍の一人の将校は語る。
「たかが1人だ。そんなもの我が軍の戦車部隊でいちころさ」と、もう一人デイン軍将校がいう。
「前方、敵有りっ」と、デイン兵が叫ぶ。どうやら自衛隊が現れた。
「来たな」と、デイン将校。
「応戦用意」と、デインの将校が号令を入れると、デイン兵は戦闘態勢に入る。
ダダダダッ!ダダダッ! デイン兵の小銃の音が鳴り響く。
ある者は血を流し、ある者は足をえぐり取られ、そしてある者は魂を抜かれていく。それもデイン兵と自衛隊員が五分五分でそのようなことは起きてはいない。
自衛隊はズルズルと後退。デインの圧倒的な物量差に敗走していく。
2時半、真北は自衛隊が不利になったのを知り、ついに比叡山を下りて戦線へ向かう。倒れた隊員から銃を借り、デイン兵に向かって放つ。
ダダダダダッ、ダダダダッ 遠距離からの射撃に強い真北。暗い中、デイン兵を次から次へと打ち抜いていく。それも見事に命を奪わない程度に。しかし敵はまだ気づかない。
「くそっ、まさかやつが例の男か」と、デイン兵は言う。
「探し出せ!」と、デイン軍の将校は指図する。
どうやら居場所がばれた真北、近くの建物に忍び込み、だまし討ちにかかる。
デイン兵は暗視ゴーグルで真北を探そうとする。
「いたぞっ」デイン兵、真北を発見。
「来たな」と、真北、デイン兵の影を捉え、両者が銃を構える。
バコォン! と、単射された小銃。
「ぐはぁっ」と、倒れたのはデイン兵のほうだ。
「よし、再び突撃や」真北は再びデイン軍の勢に突っ込み、銃を放つ。
ダダダッ、ダダダダッ、バコッ 発射中に小銃が故障してしまったようだ。
「くそっ、なぜだ」もはや使える武器を失った真北。
「あの者を捕らえろ」と、指図するデイン軍将校。
真北は大急ぎで逃げる。しかしそれを追いかけるデイン兵。デイン兵の足は速く、真北は他の倒れた隊員から銃を探す余裕もない。
やがて夜が明けて10時、真北はまた比叡山の密林に逃げ込んでいた。周囲に見えるデイン兵は無し。しかし、それは悲劇のただ中だった。真北は地中に隠していたラジオを掘り出し、電源を入れると、大津は陥落されたという情報が流れた。
真北、深く落ち込みながら大津の市街に向かった。すると田の谷の峠を越えたあたりから黒煙が上がっているのが見えた。そう、大津の市街は破壊されたのだ。燃え上がる炎、見えるのは屍。真北はどうすればいいかわからなかった。自宅であるメゾン船木は焼け、その横にはデイン国旗が翻っていた。
するとそこにデイン兵がやってくる。
「おい男が居たぞ!ジャップがいたぞ!」と、デイン兵が真北の方に向かってくる。
「くそっ、奴らは殺す気だ」真北は逃げて、琵琶湖に飛び込んだ。とりあえずボートで湖北へと逃げる。
それから3日後、日本政府はデイン帝国へ降伏を宣言。全土がデインの支配下となった。
果たして、真北の運命は。
続く
最終更新:2009年01月01日 01:32