日本国の領有する全ての地域がデイン帝国の支配下におかれ、デイン領日本となり、ガロインや中国に逃れず、列島に残った日本人は不安で仕方なかった。いつ軍によって殺されるか、デイン本土に連れて行かれてきつく働かされるか、女性の場合はいつ強姦に遭うか、そして子供達の場合はいつ虐待や略奪に遭うか、恐れを持っていた。すでにデインの支配下に置かれた韓国では、そのような蛮行が現実となっている。
12月23日、日本とある日本海を隔てた大陸の海岸にて、とある一人の男が漁船で漂流してきた。寒い冬の日本海は荒波で、漁船程度の小型船では命の保障は無かった。かろうじてここに来れたのである。男は緑色の服を着ており、荷物は一切持たなかった。男は疲れ果てて、助けを求めた。すると海岸に繋がる砂利道からトラックが現れ、そこからもう一人男が出て来た。
「大丈夫か」と、トラックに乗った男は日本語で呼びかける。どうやら彼は日本人のようである。
「大丈夫です」と、漂流した男は答えた。
「あっ、ひょっとしてあなたは・・・島田さん」と、トラックに乗った男は言うと
「そうです・・・、島田真北です・・」と、答える漂流してきた男。
「早く、近くの村にある難民用の仮設住宅へ、あなたの母親や兄弟もいます。」と、トラックに乗った男は真北をかついでトラックに乗せる。しかし真北のがっちりした体格をその男は担ぐに容易ではない。
そう、ここはガロイン国。多くの日本人や韓国人が難民としてここにやってきている。ガロイン国南東部の小さな村ミラーでは、デインによる迫害を逃れるため、400人の難民がここで暮らしている。その村に真北の家族が住んでいるという。
20分ほどで、ミラーに到着。真北は村の役場で手続きを取り、役人によって難民用仮設住宅に案内される。するとそこには真北の母と康太郎、そして三男の槙次郎が待っていた。槙次郎は島田家の三男、真北より3歳下で、滋賀県内の高校に通っており、野球部に所属し、毎日のように練習に出ていたくらい多忙で、なかなか自宅には居なかった。
「あんた生きてたんか」と、母は言う。
「良かったね母さん」と、康太郎も言う。
真北は家族の住む仮設住宅の中に入る。日本人の生活様式に合わせて作られたため、内部の雰囲気はメゾン船木のような一般的なアパートに似ている。
「結構住みやすそうだな」と、真北は言うと
「ガロイン人は親切だから」と、母は答えた。
やがて夕方を迎え、難民向けに炊き出しの時間が来る。炊き出しのテントの前には行列ができていた。
「とりあえず、康太郎と真北には早いうちに働き口を見つけてもらわないと」と、母は言うと
「ああ、必ず見つけてやるさ」と、康太郎は言った。
真北は外をうろついていると、手書きのポスターを見つけた。そこには「勇敢な日本人募集中」と大きい字で書いてあり、その下に小さい字で「問い合わせ先はクリミア第3難民居住区4の2、電話番号は064-8741-8852、日本人民軍本部」と書かれていた。「日本人民軍」という組織は一体何なのか。
夕食後、真北は早速その日本人民軍本部に電話をかける。するとその電話の担当者から、明日の昼過ぎにミラーからスタッフ一名が勧誘にまわるというのである。
そしてその翌日の昼過ぎ、一人の軍服姿の日本人がミラーにやってきた。その日本人は、難民居住区の大広場に現れた。すると真北の他に30人ものの日本人男性が彼の前に来た。
すると軍服姿の日本人民軍の一員と思われる日本人は説明を始める。
「日本を解放する、そのためには、あなたたち日本人の力が必要です。鬼畜デインの蛮行で、今頃多くの日本人が苦しめられています。」
と、集まった男達は真剣に聞いている。
「報酬は難民向けの肉体労働の仕事よりも遙かに高めに設定する予定です。しかし、軍事活動でありますから当然、命の保障はできません。それを考慮しておいて入隊の手続きを取るか取らないかを判断して下さい。今から入隊手続き書類を配ります。それを各自受け取って必要事項を記入し、年内までにクリミアの本部に届けてください。」
真北は早速その書類を仕上げ、郵送で本部へと送った。
それから年が明けて、2006年(平盛18年)1月5日、日本人民軍に志願した真北とその他ミラーに住む日本人は列車に乗り、300キロ離れたクリミアへと向かった。果たしてそこで待ち受けているのは何か。
続く
最終更新:2009年01月01日 20:54