真北の大冒険 > 第33話 結成!日本人民軍

デインの侵略によって日本を追われ、ガロインに流れ着き、日本人民軍へと入隊すべくその国の首都クリミアへと向かう島田真北。ミラーを電気機関車牽引の鈍行客車列車に、他のミラーに住む彼と同じく志願した日本人と一緒に乗り込んだ。
ミラーは人口3000人の村で、列車は一日3往復しか来ない。主産業はこれといったものがなく、ここを出た若者はみなクリミアなどの都市部へと出稼ぎに行く。
客車はボックスシートが並ぶごく普通の車内。これからまず60キロ先のオットリオという港町へと向かう。

とある一人の日本人がラジオを取り出し、電源を入れて聞く。彼もまた日本人民軍に志願した者である。するとそのラジオからは日本語が流れた。ガロイン国営放送の日本人向けの日本語放送である。日本の音楽が流れていたが、しばらくすると「たずね人」という番組が流れた。どうやらガロインの難民日本人関連の安否情報がひたすら流れる番組である。このときガロインに流れ着いた日本からの難民は280万人ほどで、その半数以上はクリミアに住んでいるという。
真北はこの番組から京阪津電鉄の同僚や播磨王、そして相本が生きているかどうかを確認しようとした。だが、名前が見つからなかった。
やがて1時間20分ほどでオットリオに到着。これから急行列車で首都クリミアへと向かう。ちょうど昼を迎えていたので、オットリオで真北は駅弁を買う。
40分ほどでクリミア行きの急行が到着。三等客車のボックスシートにそっと座る。ガロインの冬は雪化粧。白い平原をひたすら進んでいく。複線で保安装置も近代化されているので、速い。日本の近畿地方を走る新快速並である。

2時間半ほどでクリミアに到着。三重県の宇治山田駅のような雄大な洋風建築が特徴。時刻は15時をまわり、太陽は南西にある。そこから日本人の居住区へはバスで移動となる。バスは日本製で、日本のとの相違点は右側通行なので右にドアがあったことくらいである。「オルティア7丁目」というところが第3居留区となっているという。駅からそのオルティア7丁目というところまでは約30分。
真北はバスに乗り、整理券を取ると、バスは3分ほどで発車する。バスは市街地を走り抜ける。どの通りを見ても日本車が圧倒的に多い。トヨタやニッサンのマークが入った車を至るところで見かける。

それからしてバスはオルティア7丁目に到着。真北はバスを降りると、2分ほどで日章旗の掲げられたオフィスビルが見えた。どうやらそこが日本人民軍の本部らしい。入隊検査は明日で、ミラーからの他の日本人の姿はなかった。
真北はその近くにあるホテルにチェックインして、そこで一晩を過ごすことにした。真北は荷物を部屋に置いて、クリミアを散策することにした。
時刻はもう16時、とりあえず真北はバス停に向かう、するとそこには2人の日本人女性がいた。片や40代ぐらいで、もう片や10代くらい、どうやら親子らしい。すると若い方の女性が真北のほうに振り向いた。
「あっ、まさかあなたは」と、その女性は言うと、真北も振り向く。
「あっ、さては」と、真北。どうやらその女性は相本由香だった。
「あらま、島田さんじゃないですか」と、もう一人は相本の母が言う。
「どうもすいません」と、真北は言葉を返した。

やがて3人は来たバスに乗り込み、話をする。
「へぇ、日本人民軍ですか」と、相本は言う。
「はい、全力でデイン軍と戦い、祖国を取り戻そうと思います」と、真北が返す。
「ひょっとして大変じゃないですか」
「そんなことはないさ、内地の日本人が受けている拷問に比べて、軽いものさ」
「そんなにひどいんですか」
「ああ、韓国と同じ事をやってるから。怖いぞ」
「そうね、一方的にやられるなら少しでも抵抗したほうがマシよ」
「話し合いがなによりも大切だが、そんな気にないさ、アシュナードの眼中には」
と、話すこと10分、クリミア最大のデパートに到着。そこは難民向けに、日本語や韓国語が話せるガイドが配属されている。
その後、真北と相本親子はショッピングを楽しんだ。1時間後、真北は相本と別れることになった。
「では、また今度」
「がんばって、さようなら」
と、二人は別れた。

翌日、ついに日本人民軍の入隊検査が行われた。検査は体力検査と面接の二種類が行われ、志願した2300人のうち、優良な1000人が選ばれる。真北は持ち前の体力とはっきりした愛国心を見せつけ、軽々この検査を終えた。

検査を終えてミラーに帰った真北。その三日後、日本人民軍から入隊検査の結果が帰ってきた。むろん合格だった。

そして1月20日、ついに真北は前世のハバロブスクにあたるガルトナーという都市の郊外にある日本人民軍の基地に入営することになった。
ミラー駅で母と康太郎、そして槙次郎が出迎え、別れを告げた。
翌日、真北はついに日本人民軍の基地に到着。そのまま入隊式が行われた。選ばれた1000人が席に座ると、壇上に現れたのは、なんとあの天知駿一だった。彼は実は自衛隊の1等陸佐で、戦闘に関する知識は抜群だった。
「諸君、私が日本人民軍を率いる司令官、天知駿一と申す。これから諸君らは祖国解放のために身も心も鍛え、デイン帝国と戦って欲しい」
こうして、入隊式を終えると、その1000人で記念撮影、そこから、日本人民軍の活動は始まる。

続く
最終更新:2009年01月02日 21:19
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