真北の大冒険 > 第36話 日本人民軍征く!湖国の都に血は燃ゆる

4月8日、山口県・岩国
「でやぁーーっ!!」
バババババーン!
「ぐはぁっ!」
米中軍とデイン軍との戦火はついに山口東部へと及んだ。でも物量的に米中軍が有利だった。それもそのはず、大陸のデイン本土では中ロ軍による猛攻が続いて、対応しづらくなっていたのである。

そのころ日本人民軍の兵舎の真北の部屋では、真北と一人の兵士が会話中の模様。
「ざまぁ、デインの奴ら、どんどん追い詰められていくぜ」
「いや、まだわからん」と、真北が言い出す。
「なにっ?」
「実は、上官達の話によると、デイン帝国にはどうやら正規軍のほかに親衛隊という謎の組織がいるらしんだ」
「親衛隊?ナチスみたいだな」
実はその男、真北とバトロイで対戦したあの怪傑播磨王の中の人である。本名は中原脩。
「そうだ、あそこの親衛隊はかつてのナチスSS同様、戦闘力も高く装備も優遇されているんだ。今の戦況だと、当然いずれは出てくるだろう。」
「そうか、ならば」

4月10日、米中軍は山口県を奪還。岩国を取り戻した米軍の攻撃はさらに活発になる。12日には広島を奪還。デイン軍は中四国を諦めて近畿へと逃げ出し、再度防衛ラインを立て直す。14日、米中軍ついに兵庫県に到達。姫路、加古川、明石と主要都市で次々とデインを追っ払っていく。翌朝、神戸を奪還。神戸では市民らが解放を喜ぶ声で満たされていた。

4月18日、またさらにアメリカ軍が房総半島に上陸。東からもデインを追い立て、挟み撃ちにしようとする。19日、北海道・東北にいるデイン軍の殆どが東京へ向かう。デインは事実上、関東より北を放棄した。そして23日
「いけいけーっ!」
「アメ公などぶっ潰せ!」
成田付近でデイン軍とアメリカ軍の大規模な戦闘が発生。
バコォーン!ズドォーン!ダダダダダ!
最初はデインの優勢だが、4日後、アメリカ軍が戦況をひっくり返した。

4月25日、日本人民軍にて、真北と中原が話している。
「おい聞いたか」
「どうした」
「アメリカがついにやったんだ、東は東京、西は京都、いよいよデインも日本から手を引かざるを得ないときが来るぞ」
「まだわからんよ」と、真北。
「えっ?」
「実は、大津あたりにデインは巨大な要塞を作った。そのために多くの日本人が犠牲にされてるんだ。そこには多数の親衛隊員が潜んでいるという噂もある。」
「マジかいな」
「そうだ、ひょっとしたらここで快進撃は止まるかもしれない。」

4月26日、大津に向かう米中軍、しかし、日本の西部戦線はここで膠着状態に陥ることに。
逢坂山を越えようとすると、デインの攻撃機が山を越えて来た。
「あれは何だ」
「H-55Φだ、逃げろ!」
デイン軍の攻撃機H-55Φ10機が襲ってくる。不意を突かれた米中軍は慌てふためく。
ババババババーン!
「ぐわぁっ!」
「ぎゃぁっ!」
H-55Φの機銃掃射や爆撃により、米中軍に思わぬ被害が出た。

そのころ大津では
「見たか、これがデインの底力さ」
と、大津にある要塞の司令部に一人の男が立つ。彼の名はスタルヒン、デイン帝国親衛隊の隊長。
「さて、このままフルボッコにしてやろうか」

一方、米中軍は大津進攻を続行、しかし、思うように戦況が良くならず、一進一退。
しかし東京を奪還し米軍好調の東部戦線では、すでに静岡まで来た。

4月27日、日本人民軍にて
夕方、基地内の講堂に全員招集がかけられ、天知が壇上に立つ。
「諸君、いよいよ明日から日本解放作戦を開始する。まず、オットリオのガロイン海軍基地から揚陸艦に乗り、若狭湾に向かう。そこから上陸し、一気にデインの大規模要塞のある滋賀に忍び来む。敵はデインの親衛隊、諸君らも知っている通りやっかいな相手だ。もしかすれば太刀打ちはできないだろう。だが、米中軍が善戦すれば、勝機は見えてくる。何せ我々には930人の精鋭がいる。諸君ら一人一人が日本人民軍の兵士としての自覚と誇りを持てば、きっと敵うはずだ。では、作戦の無事を祈る。」
「敬礼!」

その夜、兵士それぞれが装備の手入れをし、出撃を今か今かと待ちわびていた。
すると真北と中原が語る。
「いよいよ出撃の時か」
「よし、こうしよう」
真北は立つと、次のように呼びかける。
「よし、みんな、歌おう」
「おう」
「雲湧けり雲湧けり〜緑島山〜」
真北が歌い出したのは「大日本の歌」、何とも右翼臭い曲である。なのに他の仲間も真北にならって歌い出す。
「潮みつる〜潮みつる〜東の海に〜」
こうして、出撃前夜はみなで盛り上がり、明日の戦への士気を高めていった。

翌朝、日本人民軍全員がグラウンドに集い、天知が最後の訓辞を行う。
「これより、日本解放作戦を開始する。930人全員が祖国解放に貢献し、無事帰還することと、作戦の成功を祈る。以上」
「では、これよりオットリオへと移動する。日本国、万歳!」
と、上官が言うと、他の兵一同も
「万歳!」
と叫び、それが2回繰り返され、一行は日本へと向かった。

一方、大津では、1分の間でも銃弾、砲弾、爆弾の音が鳴りやまない、激しい戦闘が続いていた。しかし、デイン兵にはある問題があった。

続く
最終更新:2009年01月12日 21:48
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