真北の大冒険 > 第38話 解放への喇叭

堅田砲台を陥落した日本人民軍、次のターゲットはなんと大津基地である。日本人民軍は中国軍と共に南下していく。
「いよいよだな」真北、歩兵戦闘車の中で中原に話しかける。
「いよいよだ」
「かつて3ヶ月ながら、俺が育った場所だ。でも今となってはただの敵地だ」
しばらくして、展開命令が出る。突撃の喇叭が鳴り響く。真北は戦闘車のハッチを開け、班員全員が外に出る。北には唐崎の松が見える。真北は他の班員を率いて基地へと向かう。するとまもなくデイン兵と銃撃戦に入った。真北は得意の射撃でデイン兵を圧倒していく。向こうからデイン兵が出てくるも出てくるも遠距離射撃を得意とする真北の前には引き金すら引けない。
しかし、また別のデイン兵が真北の方へと手榴弾を投げつけた。100メートルほど離れていたが、遠投で届いてしまった。
「あっ、やばい!」一人の班員がうろたえる。
「無駄な抵抗をしやがって」真北は平然とその手榴弾をデイン兵の群れに投げ返す。
バコォーン!
手榴弾はちょうどデイン兵の群れのすぐ上で炸裂。予想もしない真北の行動にデイン兵たちは慌てふためく。真北たちはデイン兵の目を盗んで琵琶湖の湖岸沿いを走り抜ける。やがて高圧線付きの鉄条網の前に立つ。真北はその高圧線電源がある施設に手榴弾を投げつけ、破壊。普通ならこのあたりに24時間憲兵が警備しにくるらしいが、今は戦でそれどころではなくなっている。
高圧線を破壊し、柵を乗り越える真北たち、するとたまたま警備にあたっていた二人の親衛隊員に見つかってしまった。
「くせものがいたぞ!」一人の親衛隊員が叫ぶと、もう一人は銃を放った。真北班のうち、真北と中原、他3人は柵を乗り越えたが、あとの2人は乗り越えているところを親衛隊員に撃たれてしまった。
「うーやーたぁーっ!!」と、真北が叫ぶと、基地の外から日本人民軍兵が100人現れ、一斉に射撃を開始した。不意を突かれたデイン親衛隊は慌てふためきズルズルと後退していく。しかし、ある問題が
「弾薬欠乏」と、一人の日本人民軍兵が叫ぶ。
「そう来たな」と、真北は弾切れを起こした兵士に弾倉を与える。そして他の兵士たちが前進していく中でなにか地面を掘っているようだ。すると金属音が聞こえてきた。
「あった」真北はそこからある物を取り出す。そう、手裏剣である。自衛隊で使われていたが、古い武器を毛嫌いするデイン軍が廃棄処分にしたのである。真北はデイン軍の性質をあらかじめ知っていたのである。まさか日本に環境汚染をもたらそうとしていたとは。
「汚ねぇ奴らだ、ゴミを散らかすとはよう」真北は少し立腹した様子。全部で12個あった手裏剣を拾い、戦線へと向かっていく。

そのころ、先に行っていた仲間達はすでに建物の中に入っていた。でも相次いで弾切れが発生してしまい、不利になる。
「くそっ、こっちも弾切れだ」
「こうなりゃ肉弾戦で行くぞ」
「やめとけ、一筋縄でいくような相手じゃない」
「おい、中原が弾を持ってきたぞ」
と、中原は仲間達一人一人に弾倉を渡す、
「サンキュー、助かるぜ」
日本人民軍兵たちは攻撃を再開。デイン軍の参謀のいる基地の司令室へと向かう。
しばらくして真北も他の仲間に追いつく。真北は手裏剣を手に取ると出てくる親衛隊員を次から次へと倒していった。
やがて階段が見える。その階段を上れば司令室にたどり着ける。しかし、そこには遠隔操作されている機関銃が設置されていた。人民軍兵士たちは果敢に駆け上がっていっては機関銃に打ちのめされた。ここは室内、ゆえに手榴弾は使えない。
「やっかいな奴らだ」真北はひたすら悩んでいる。ひたすら考えること10分、真北はようやく作戦を思いついた。
「そうか、思い出した。」真北は棒手裏剣を取り出し、機関銃の銃口をめがけて投げた。どうやら銃口に入れて弾詰まりを起こさせるつもりだ。しかし、それはまさに刺さった矢のど真ん中を狙うアーチェリーのロビン・フッド並の難しさであった。投げても投げても、なかなか銃口には入らない。
「くそっ、なかなか入らない」祖国解放が目前に迫って一刻も早くそれを達成したい気持ちが先行して、集中力が散漫になる真北。
それからしばらくして、もう手裏剣はこの2本だけしかない。真北はそのうちの1本を取り、投げた。
スポーン! 手裏剣は見事に銃口の中に入った。
「よし、今だ!」
真北たちは階段を駆け上がる。機関銃は作動した途端、弾詰まりを起こした。階段を登り終わるとそこは司令室の扉だった。

その司令室の内部では
「機関銃が壊れました」
「なぜ壊れたんだ」と、参謀は理由を部下に訊く。
「変な棒が投げ込まれて、それがたまたま銃口に入ったんです」
「んな馬鹿なことあるかい!」
と言っている間に、司令室の扉が開かれた。
「うわぁっ!もう俺たちは終わりだ」参謀たちは両手を挙げる。
「とっとと日本から出て行くんだな」真北、銃をその参謀達に向ける。
「出て行く、だから少し待って」参謀達はあわてる。
それからしばらくして、その参謀と他残存したデイン兵や親衛隊員はみな捕虜にされた。大津基地が占領されたことにより、駐日デイン軍の戦闘力は大きくダウンしたのである。

大津基地占領により、米中軍とデイン軍との市街戦の流れは完全に米中軍に傾いた。完全に不利になったデイン兵は両手を挙げるしかなかった。
そして5月5日、デインは日本を放棄、この瞬間、日本は解放された。
その翌日。ついに念願の時がやってきた。日本人民軍一同は大津市役所と市民の前で
「さて皆様、ついにこの大津に日章旗が再び掲げられる時がやって参りました」と、天知が言うと、日本人民軍兵は敬礼をした。そして君が代が流れ、日章旗が掲揚される。日章旗が上り終わると、全員で万歳三唱。最後に勝利を祝う喇叭が鳴り響き、日本での戦いは幕を閉じた。

続く

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年01月15日 21:30
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。