真北の大冒険 > 第63話 濃尾平野を突き進め

名鉄完乗の旅にきた真北。津島線、尾西線、竹鼻線、羽島線を制覇するも笠松で人身事故のダイヤの乱れに巻き込まれてしまった。
「あーあ、マジでどうする」
真北、ホームの上でひたすら考え続ける。
20分後、ようやく運転再開の放送が流れた。
「よかった」
程なくして、岐阜行きの普通電車が到着し、真北はこれに乗る。しかし、運転見合わせや遅れにより、混んでいた。
「散々だ。」
まず、岐南に停車。通過線2線をはさんだ対向式2面2線で無人駅。次は茶所、近くに検車区があり、特急車両の整備を行う。それから加納、茶所とは400メートルほどしか離れていない。さて、加納を出たら厄介、そう、加納よりしばらくでてから岐阜まではなんと名古屋本線唯一の単線となっているのである。JRの高架下を通り、その高架の支柱と被るためだとか。なので、列車によっては岐阜直前で信号待ちを行うこともある。
「こりゃ厄介だ。」
単線を通り抜け、名鉄岐阜に到着。
「やっと名鉄岐阜だぁ・・・」
真北、駅名標を撮ると、名古屋本線のホームから各務原線ホームへと移動する。結構遠い。ちなみに名古屋本線と各務原線の線路はこの駅では繋がっていない。
「結構綺麗な駅じゃないか。」

時刻15時20分各務原線のホームにたどり着く。犬山行きの急行電車が停車している。急行とはいえ、途中の新那加まで各駅停車である。車両は固定クロスシートの鉄仮面。
「でもこの鉄仮面ださいよなぁ」
真北がその鉄仮面に乗り込んで5分後、岐阜を発車。
まず最初の駅は田神、かつて600Vの路面電車線がこの駅から分岐していたが、今は廃止になっている。田神を出るとJR高山本線をオーバークロスし、細畑へ、細畑は高架駅。それから高架を下り、切通へ、一時は有人駅だった時代もあったが、今は無人となっている。手力、高田橋と味気ない駅を停車しては過ぎ、新加納へ、加納駅とはかなり離れている。かつてホームと民家が繋がっていたが、今はその民家の玄関は自転車置き場になっている。その次は新那加、有人駅で、地下に改札がある。高山本線の那加駅とはかなり近く、かつては連絡線があり、戦前は飛行場への貨物輸送が行われてたという。新那加からいよいよ急行運転。最初の通過駅は市民公園前、近くに桜の名所があり、花見シーズンは賑わうという。次は各務原市役所前に停車、近くに航空自衛軍の飛行基地があり、旧駅名は各務原飛行場駅だった。次は六軒、かつて駅周辺に民家が六軒しかなかったことから六軒という駅名がつけられたとされている。ところが今や急行停車駅である。六軒を出ると三柿野に到着。飛行基地へはここが最寄りであり、航空祭の臨時列車もこの駅で折り返しとなる。真北、窓越しから駅名標を撮る。
「そういや、星川の友達もパイロットで、この基地で勤務してるんだったよな」
この岐阜飛行基地もデイン戦争で甚大な被害を受けたが、今や元通りだという。
三柿野を出ると、次は二十軒(にじっけん)、六軒同様、周辺の民家の数でつけられた駅名だという。だが普通しか停まらない。二十軒を通過すると、名電各務原に到着、各務原の中心駅に見える駅だが、無人駅。名鉄では三柿野のほうが規模が大きい。JRの各務ヶ原駅も近い。名電各務原を出ると、苧ヶ瀬(おがせ)、羽場、鵜沼宿を通過し、新鵜沼に到着、かつては高山へと繋がる連絡線があり、新名古屋から高山へ向かう特急が走っていたが、現在は廃止されている。各務原線の終点はここで、犬山線へと切り替わる。ここから列車本数は大幅に増える。
真北、窓越しから駅名標を撮る。新鵜沼を出るとあの有名な犬山橋を渡る。かつては併用軌道、つまり道路と線路が一体となっていたのである。現在は専用軌道化されている。
「ここでパノラマスーパーなら例の音を鳴らしていたんだな」
犬山橋を渡ると、犬山遊園に到着。この駅からかつてはモノレールが出ていた。犬山遊園を過ぎると、犬山に到着。駅ビルが立っている。
時刻16時、例によって駅名標と撮り終えた真北、犬山からどっちの方向を行くか悩む。広見線にするか、小牧線にするかである。
「よし、新可児にしよう」
と、真北は階段を駆け上り、新可児行きの電車に乗る。車両はあの『新古車』である。
「うわぁーっ、あの新古車かよ」

さて、新可児行きの電車が発車し、最初の富岡前に向かう。2面2線の対向式ホーム、名鉄の典型的な無人駅。次は善師野、利用者が少ないため、ドアが開くのは5秒程度。その次が西可児、近くに住宅街が密集しており、有人駅である。西可児の次は可児川、工場の煙突が目立つようになる。その次は日本ライン今渡、日本ライン下りの乗船場が近くにある。かつては駅ビルがあったが、今は取り壊されている。そして終点新可児に到着。真北、駅名標をカメラに収め、改札へ。
「あれ?まさか・・・」
そう、新可児から先、御嵩までは3ヶ月前に廃止されてしまったのである。
「残念だな。」
真北は改札を出て、駅舎を撮り、折り返しの電車に乗り、犬山へと向かった。

再び犬山に着いた真北。次は小牧線で上飯田へと向かう。車両はピンクのラインの300系、小牧線専用で、地下鉄上飯田線と相互乗り入れを行う車両である。車内は3300系同様、ロングシートと転換クロスシートが混在しているが、車両長は名鉄の一般車両の19メートルとは違い、20メートルである。真北、転換クロスシートに座る。
電車は発車し、最初の五郎丸信号場で、列車の行き違いを行う。そして五郎丸信号場を過ぎると羽黒駅に到着、ホームにオレンジ色の屋根がかかっている。かつて一時期は明治村へのバスが発着していた。羽黒の次は楽田、近くに工業団地がある。その次は田県神社前、神社前といいながら近辺に大学があり、通学客が多く、小牧線内でも上位の利用客数を誇る。その次の味岡は高架で、1面1線であるが、複線化に備えるため、対向式2面2線にできる構造となっている。味岡を発つと、廃線となったニュータウンに通じる新交通システムの高架跡も合流し、小牧原に到着。そこから高架を下り、地下に潜り、小牧に到着。
「へぇ、名鉄の地下駅は名古屋だけやないんか」
平盛元年に地下駅になった小牧、地上時代は岩倉まで支線が通っていたという。真北、わずかな停車時間を利用してホームに一歩出て、駅名標を撮る。
電車はすぐに動き出し、次は小牧口、間内に停まっては過ぎ、牛山に到着。近くに航空自衛軍の基地があり、航空祭の日は三柿野駅同様、多くの客が利用し、普段は無人のこの駅にも駅員が出張するという。牛山の次は春日井に到着。春日井市に位置するが、JR中央本線の春日井駅とは5キロほど離れている、ややこしい駅である。春日井を出ると、味美(あじよし)、味鋺(あじま)と、味のつく駅が連続する。そして小牧線の終点、上飯田に到着。ここからさき、名古屋市営地下鉄の上飯田線が平安通まで延びているが、真北はここで折り返す。
「ああ、また犬山まで戻るのがめんどくさいぜ。」
駅名標を撮り終えた真北、犬山まで引き返す。時刻は17時半を過ぎ、冬至に近い冬の空は真っ暗になりつつあった。

三度犬山に到着した真北。
「ここから、西春まで乗れば、犬山乗務区の路線は完全乗車なわけ。」
名鉄には5つの乗務区がある。名古屋本線、津島線、尾西線、竹鼻・羽島線、豊川線の乗務を担当する名古屋乗務区、知多半島の路線を担当する神宮前乗務区、犬山線、小牧線、各務原線、広見線を担当する犬山乗務区、三河線、豊田線、西尾線、蒲郡線の乗務を担う知立乗務区、そして瀬戸線を担当する喜多山乗務区。
「名鉄は広いからなぁ、大津線とはスケールが違う」
真北は、名古屋方面へ向かう特急に乗る。車両は2200系、中部国際空港開通時に登場した特急車両である。6両編成で、豊橋寄り2両が特別車、岐阜寄り4両が一般車である。一般車は3300系の転換クロスとロングのミックスで、特別車は回転リクライニングシートである。真北は一般車に乗る。
発車し、まずは犬山口、木津用水(こつようすい)、扶桑を通過し、柏森へ、近代的な駅舎で、周囲は住宅や工場が見える。柏森を出ると江南に到着。特急が停車するが1面2線である。江南を出ると、布袋(ほてい)を通過、布袋はたいへん古い駅舎で、沿線住民からは保存の声も出ている。布袋の次は石仏を通過し、岩倉に停車。名古屋方面からの普通列車の大半はこの駅で折り返しとなる。
「俺たちに京都市大津区民にとって、岩倉と言えばふつう、京都の岩倉を思い出す。」
岩倉を発つと、大山寺(たいさんじ)、徳重・名古屋芸大を通過し、西春へ。
「いよいよ江藤の生まれ故郷だな」
西春はかつて、一部ながら特急も停車していたが、今では全特急列車通過となった。しかし、江南、岩倉に次いで利用客が多い。
「で、その隣の上小田井の近くに星川の住んでる家があるわけか」
西春を通過し、高架を上り、上小田井へ、星川家が近くにあり、ここから地下鉄鶴舞線に接続している。上小田井を通過して、次は中小田井を通過、それから地上に降り、下小田井を通過、下小田井は平盛12年の豪雨で水に浸かり、その痕跡が駅舎に残っている。それから枇杷島分岐点を通過し、いよいよ名古屋本線に合流、東枇杷島、栄生を通過し、名鉄名古屋へと到着。
時刻は19時半、真北、夕食をとるとともに宿探しへ向かう。果たして、全線乗車はなるのか

続く。
最終更新:2009年05月02日 21:44
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