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3号天野小説1稿」を以下のとおり復元します。
*今日も社長は不機嫌です
***天野冴映子


今日も社長は不機嫌です。これで連続一週間。仕事はしてくれるので、わたしとしては問題ないのですが。
まだ三月だというのに半袖の真っ黄色のTシャツ。回転式の社長イスに体育座りをし、五本指ソックスに包まれた足先を
伸ばしたり縮めたり伸ばしたり縮めたり。
「社長」
あ、呼んだだけでそっぽを向かれました。社長のわたしに対する態度も、日に日に悪化しているように感じます。
コンコンとドアがノックされ、人事が顔を覗かせます。そろそろ社長の出番のようです。
「ではここで、弊社代表取締役より、選考についての説明があります」
隣室からは進行役の声。相変わらず、マイクなどなくともよく通るハリのある声。声フェチのわたしとしては、もう少し
低いとさらに萌えるのですが。
ガタッとイスから立ち上がった社長のこめかみには、マンガのように青筋が浮いています。わー。人事がおろおろとして
いますが、ごめんなさい、わたしにはどうしようもありません。社長がドアを押し開き、進行役へ歩み寄って行きます。
隣室には横七脚、縦五列で折りたたみイスが並べられています。そこにはピシッとしたリクルートスーツを着た、真っ白
でシミ一つないシャツを着た、足を揃えた、背筋を伸ばした、髪は真っ黒でピアスもしていない、真剣な目の学生たちが三
十五人、収められていました。
あ、これはダメだ。戻ってきたらまた体育座りパターンです。
わたしはココアの準備をすべく給湯室に向かいます。背後では、わたしのツボにハマる素晴らしく耳触りの良い社長の
声が響きます。
「うちは面接のみ!  最低五回、最長十回!  履歴書なんかいらん!  おめぇらの腹かっさばいて、中身全部見せてもらう
からな!」

「社長、昨日までは履歴書提出させるって話だったじゃないですか」
あ、また無視です。さっきからずっとこの調子です。飲み物飲んでりゃしゃべらなくていいなんて大間違いですよこのや
ろう。

この寒空の下、我が社の新卒採用会社説明会に来た学生はのべ百人。社員十人の絵本出版社にしては、来たほうではない
でしょうか。そう、「社長がおもしろい」という一点張りの企業案内で百人も来たんですから、世の中よほど就職難なの
か、それとも変な人が増えたのか。ともかく説明会は上々でした……が、選考に進みたいと申し出て来た学生は昨日までで
ゼロなのです。履歴書の代わりに厄介なES書かす気だろと疑われたのか、面接五回~十回はさすがに耐えられないのか、
単に「この社長ないわ」と思われたのか。まあわたしなら三番です。
せっかく説明会をしても新入社員獲得に繋がらないのなら損失を出しただけになってしまいます。三ヶ月でやめる新人を
雇うのとどっちが損失かって? それはわたしではなく、経営企画長に訊いてください。
「あいつらの履歴書なんて、どうせ嘘しか書いてない」
どんなにか細くてもわたしの耳によく届くその声で、社長はいじいじと言います。
「どうして、そんなことがわかるのですか?」
社長はイスをくるりくるりと回転させます。わたしの質問を聞いているのかいないのか、ふっつりと黙り込んだまま。社
長は元来善人なので、他人を批判することは苦手なのです。
隣室では、人事がイスを片付けている音がします。
「俺は問いたい。おまえたちは果たして就活がしたいのか。それとも就職がしたいのか」
「……はぁ」
「教えられた洋服、姿勢、言葉遣い。自分なんて全部隠して、型通りに就活ゲームをしてるだけだ」
先程の威勢の良さはどこへやら。社長はしょんぼりと肩を落とします。
「俺は、型の中が知りたいんだ」
社長、社長。社長は夢を見すぎなのです。こう、全体的に。
理想は現実にはならない。わたしたちはそれを噛み締めながら、生きているのではありませんか。だから、ハッピーエン
ドの絵本を作るのではありませんか。
わたしは社長と目が合わせられません。目が合ってしまったらきっと、社長を悲しませてしまいますので。
 

ところが。
翌日のことです。それはメールでも電話でもなく、完全なるアポなしの飛び込み営業でした。一晩寝ずに考えたのか、
彼女の目の下には立派なクマが出来ていました。普段の姿で再びやって来てくれた彼女は、仮面のようなお話聞いてます
笑顔ではなく、頬を真っ赤にして、鼻水をすすりながら、泣きそうな顔でこう言うのです。
「面接をお願いします! お腹の中も頭の中も心の中も、この会社に預けさせてください!」

ああ。とんだ夢物語。


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