*21 廊下を行く須藤とその取り巻きの姿があった。 いつもの如く屋上へ向かう途中である。 「梨沙夫のやつ、まだ来ねぇのか。休んで何日目だ?」 「三日目くらいじゃないですかね。」 須藤達が異変に気が付いたのは、屋上に続く階段に差し掛かった時だ。 数人の人だかりができていた。皆須藤の下につく者たちだった。 屋上のドアは閉じられている。 「おいどうした。何かあったのか?」 「あっ須藤さん。大変ッスよ、なんか屋上が占拠されてるんスよ。」 「ほう。」 須藤がドアに手をかけようとすると、階段の下から、 「ちょっと今取り込み中だからよ。よそで飯食っててくれよ。」 それは、あの嗣永に絡んでいた三年生たちだった。内の一人が言った。 性懲りもなくつるんでいる三人に呆れつつも、須藤は、 「夏焼の仕業か。センパイ、屋上はみんなのスペースだぜ。」 「今まで我が物顔で乗っ取ってたのはどこのどいつだよ。」 三年の連中にはいつになく余裕があるようだった。 階段を挟んだ踊り場で須藤派と夏焼派はしばらく睨みあっていたが、 夏焼派の人数が、見る見るうちに増えていったため、危険を察した須藤が、 子分に合図をし、しぶしぶながらも引き上げていった。 勝ち誇った表情の三年生三人組が須藤派の行列を見送った。 屋上では、三十人程の生徒が規則正しく並べられていた。 その整列を静かに眺める者が一人、夏焼だ。 「三十二人、集まってくれたね。一年から三年まで、各クラスから二人ずつ来てもらった。 皆僕からメールが言っていると思う、―――。」 「どんな風の吹きまわしです? 突然大っぴらに呼び出すなんて驚きましたよ。」 「僕は君の発言を許可したかな?」 夏焼の鋭い口調に、相手の表情が曇る。 沈黙する整列を今一度見つめてから、夏焼はおもむろに懐をまさぐった。 出て来た物は札束だ。紐付とバラの束がある。 「三二〇万ある。」と夏焼が告げれば、群衆はどよめく。 「安心していいよ、危険な金じゃない。僕のポケットマネーだ。」 「いいすか?」列内から挙手があった。 「認めよう。」 「うちらからのアガリ(上納金)じゃないんすか? ソレ。」 「いや。」くすぐったそうに夏焼は笑う。 「そっちはちゃんとプールしているよ。これはパパから貰ったお小遣いさ。 恐がる必要はない。今からこの三二〇万を君たちに支払う。一人十万円ずつだ。」 歓声が沸き、夏焼に群がった。 だが、金を受け取ろうとしない者が二人いた。 「澤田君と、仙石君だったかな、三年五組の。」 「これだけ頭数揃えて、金ばら撒いて、どうするつもりです?」 訝しげに夏焼を見据えた澤田。刹那、彼は夏焼の胴タックルに身を浮かせる。 澤田は夏焼の後方へ投げられると、脳天からコンクリートに落下し、気絶した。 あまりにも鮮やかな動作に、その場にいた誰もが言葉を失う。 仙石は、仲間のために頭に血が上ったかのように見えたが、すぐ冷静になった。 冷静になり、 「熊井に負けたって話は本当なんですか?」と敢えて尋ねた。 対する夏焼は顔色を変えず、ただ一言、 「彼とは近いうちに決着をつけるさ。」とだけ答えた。それから、 「仙石君。君は頭も冴えて運もいい。今日から君が三年五組のボスだ。受け取りたまえ。」 残りの二十万円を仙石に握らせると、夏焼は彼の肩越しから奥の三十人へ、 「今から同じクラスでペアになって、どちらか一方が失神するか降参するまで戦ってもらう。」 一同に衝撃が走る。 構わず夏焼は言を繋いだ。 「戦いの勝者は相手から十万円を獲得し、敗者は勝者の補佐役に回ることになる。 そうして組になり、二人三脚でクラスをまとめるんだ。二十万円はその為の活動資金さ。」 「アンタ、何考えてるんだ……?」仙石が問いかけた。 だが夏焼は答えず、冷やかな眼差しを仙石の肩の向うへ遣ったまま命ずる。 「さぁ―――、始めたまえ。昼休みが終わるまでに決着をつけるんだ。」 三十人がここから逃げようと思えば、いつでも数に任せて逃げられたはずだが、 見えない鎖が彼らを縛りつけ、夏焼の意のままに殴り合いを演じる羽目になった。 屋上は一面修羅場と化す。 「打撃は醜い。君たちにもいずれ相応しい闘法を授けよう。」 夏焼が告げたが、尻に火のついた連中は聞くどころでなく、血みどろに争っていた。 仙石は目の前の異様な光景を目に焼き付け、 そして感じた。 この男、夏焼雅は狂っていると……――――。 *22 斯くして夏焼一派は“出現”した。 屋上から降りて来た傷だらけの大集団にベリーズ高校は震撼する。 三十二人の幹部を従える夏焼の姿は、いつか見た『白い巨塔』の総回診を連想させた。 今まで夏焼の正体を知らなかった教師達は驚愕し、知っている者は口を噤む。 校舎は一日にして夏焼派の城と化した。 面白くないのは須藤だ。いや、というよりは自分について来た子分を心配していた。 突然夏焼が露骨な行動は必ずやベリ高の双璧だった須藤の勢力を侵すだろう。 現に手始めとして須藤のなわばりだった屋上が夏焼派に渡りかけている。 しかも夏焼派は規律が厳しく、明かに須藤派よりも校則を遵守しており、無法ではない。 10月中旬に催される予定の文化祭も、夏焼派の主導により企画が進められている程だ。 「要するに夏焼派は一種の生徒会になったわけだ。」 ……とは清水の解説である。 いつの間にやら追いやられるように須藤派の溜まり場は喫茶BerryFieldsになっていた。 ベロアのソファにもたれながら煙草を吹かす須藤の隣には、菅谷が戻っている。 菅谷は須藤の意向も顧みず夏焼へ挑戦した上、無様な敗戦を喫したことを悔いて、 親分に合わす顔がないとして家に閉じこもっていたが、珍しく彼の家を訪れた須藤から、 喫茶店での、“学校の外”での会議が行われると知らされ、ただ事でないと察したため、 恥を忍んで会議に臨んだのだ。そして今その会議が始まる直前にウェイターの清水から、 ベリ高の現状を聞かされたのである。わずか数日で趨勢が決したのに菅谷は落胆した。 「どうして夏焼派に戦争仕掛けないんすか。」 という声も聞こえた。菅谷も心の隅では同じ気持ちだった。 だが須藤の言うには、否、皆悟っていることだが、どう見積もっても勝ち目がないのだ。 しばらく仲間内での口論が続いた後、須藤が重い口を開いた。 「今日会議をやったのは。他でもない。俺達の集まりを解散するってことを言うためだ。 これ以上お前らが俺についていれば、きっと、夏焼はお前らを狙い始めるだろう、……。」 「それは、つまり、夏焼に降参しろってことっすか?」 と誰かが尋ねた。須藤は無言で、肯きもせず、ただ一点を見つめていた。 「オレ、見損なったっすよ。」 誰かが言い、それを契機に一人、また一人と店を出て行く。 最後に残った須藤派は、隣の菅谷だけになった。 菅谷は股間を掻きながら、黙って水を飲み干した。 「梨沙夫、お前は行かないのか。」と、ぼそりと須藤が訊くと、菅谷は深呼吸をしてから、 「俺には須藤さんしかいませんから、ずっと。」 「……そうか。」 険しかった須藤の表情が、一瞬和らいだ、哀しさを含ませたようなものになったのを、 傍で見つめていた清水は見逃さなかった。 カウンターで一部始終を眺めていたマスターのたいせいはぼんやりと紫煙を吹かした。 あの時の須藤の表情の意味がわかったのは、翌日のことだった。 「未成年者の喫煙は法律で禁じられているよ、須藤君。」 下駄箱を上がろうとする夏焼に、立ち塞がった須藤は、堂々と煙草を咥えていた。 仁王立ちの須藤の口から立ち昇る煙の一筋は大上段に構えた剣にも似ている。 隆々とした体格の須藤に対して、夏焼はあまりにも華奢だが、弱者とも見えなかった。 「何か用なの。」 夏焼が冷静な口調で尋ねた。 須藤は、夏焼をじっくりと見据えてから、 「今日の放課後、俺と校庭で決着をつけろ。」と云った。 夏焼は苦笑した。失笑に近かった。 「僕が今の君と決闘の約束をしなきゃならない理由は?」 「来なきゃお前は熊井に敗れ、俺から逃げた腰抜けだ。とんだ笑いものになるぜ。」 「挑発のつもりかい? 僕と喧嘩などすれば、君は退が、―――。」 「それがどうしたッ!!!!!!!」 地響きでも起こしそうな怒号に周囲の生徒が慄く。 夏焼だけは動じず、目尻に涼しげな反応を浮かべるばかりである。 「いいだろう。放課後と言わず今からでも構わないけど、君にも準備があるだろうからね。」 「そんなものはねえ。」 「……そう。わかった。放課後を楽しみにしているよ。番長君。」 須藤が夏焼へ挑戦状を叩きつけた事件は、学校中の生徒の間に瞬く間に駆け巡り、 こうした噂は須藤の元を離れて行った舎弟達を奮い立たせる結果ともなった。 *23 熊井と清水と嗣永が顔をつきあわせている。 まず清水が切り出した。 「みや……夏焼は校内だけでも優等生の皮を被ることで、辛うじて理性を保てていたんだ。 けど、熊井に敗れた。今までのようなワザとではなく、本気で敗北を喫したことで、つまり、 その理性の薄皮が破られてしまったのかも知れない。あまり考えたくないけど、……、 ここ最近の彼の露骨な活動はなにかきっかけがあってタガが外れたとしか思えないんだ。」 「なんだよ、んじゃ俺のせいなの?」 「いや、……多分時間の問題だったよ。いつまでも猫なんてかぶれないからさ。」 「そうだよ、熊井くんは悪くないよ。だって熊井くんは清水くんのため、―――。」 「お前らさァ。」 布団が捲くられると、ベッドに寄り集まっている三人が曝された。 三人を見下ろす徳永がいた。 「オレたちの愛の巣だから、ココ。とっとと出て行ってくんねーかな?」 保健室。徳永の背後には大江の姿があった。 「麻理子ちゃんとオレがさー。せっかく結婚式場の相談をしようとしているのにさー。」 「そんな話、先生してないわよ、徳永くん。」 「あれ? してなかったっけ? おっかしーなー。」 「しょうがないだろ~。ここ以外夏焼一派の目が厳しいんだからさ。」と清水。 「だからってここいたらオレまで目ェつけられんじゃん。」徳永の理屈。 「俺は別に誰に目つけられてもいいけど。」と熊井。 「だめだよ、熊井くんにもしものことがあったら、ぼく、……。」嗣永が言い止すと、 「なに、お前ら。そ、そういうご関係なの?」 「あっいやっ! ち、ちがうよ、あの、えと!」 「なんだよ、どういうご関係なんだよ俺ら。」 「くく熊井くんまで、そんな、ちがうよ、ぼくはただ、恩人として、あの―――。」 予鈴が遮る。 「体調悪くないなら教室へ帰ってね。」 「麻理子ちゃん、オレやっぱり熱があるみたいなんだ。」 「熊井くん、この子連れて行ってくれないかしら?」 「あいよ。」 大江の言葉に、熊井は敢えて従う口ぶりで、徳永を引っ張り出した。 「おい! 熊井! お前、オレと麻理子ちゃんを引き離してどうするつもり、―――。」 「じゃーねー。」 閉じられつつある保健室のドア。隙間から覗く大江の笑顔に徳永は叫ぶ。 「麻理子ちゃん! なぜだぁー!」 放課後。ベリーズ高校は物々しさに包まれる。 須藤は死せず。旧須藤派の面々にとって、これ程の励みはなかった。 三十数名の一団が、隊列をなして夕日の差し始めた廊下を突き進んで往く。 目指すは校庭。決闘の場所へ加勢に向かうのだ。 「おいおいおい、どこ行くのー? 旧須藤派の諸君。」 その声で行軍が止まる。玄関口に人影が立ち塞がったのだ。 「お前……、何の用だ?」と先頭の男子が尋ねた。 「加勢するならやめとけ。最後くらい大将の顔立ててやんなよ。」 逆光がなくなり、人影の正体が判る。 徳永であった。 「こいつは、菅谷だけはお前らよりそこら辺しっかりしてるね。」 と言う徳永の背後から菅谷梨沙夫も現れた。一同色めきたつ。 「どけよ徳永!」 「いやーだね。ここで下がったら麻理子ちゃんに相応しい男になれそうもないし。」 「なにわけのわかんねーこと言ってんだ。おい、梨沙夫てめえもなんだ。 須藤さんにさんざん世話ンなっといて、今更見捨てるって言うのかよ?」 相手の罵倒に、菅谷がきっと睨み返すと、 「……須藤さんはタイマン挑んだんだ。だから一人で行って一人で戦う。」 「てめえふざけてんのか? これは戦争なんだよ! 相手は夏焼だぞわかってんのか!?」 「わかってねーのはお前らだろー。大体先に須藤派から抜けたのもそっちでしょ。」 「徳永テメー口挟むんじゃねえ。」 「あーもう。聞き分けのねー連中だなぁ、……。」 と呟きながら、徳永はしゃくしゃくとストレッチを始める。 やがて準備を終え、呼吸を整えると、 「グファッ!」 徳永は須藤派の一人へ軽やかな回し蹴りを放った。 声を吐き出し、相手は空き缶のように転がって行き、失神した。 速やかに敵陣から離れた徳永は“後ろ立ち”に構え直す。テコンドーのそれであった。 「よいこはマネしないでね。」と断りを入れる徳永。 直後、いきり立った集団はわずか二人の門番に向けて牙を剥いた。 *24 トイレで水洗の流れる音が響いた。 須藤が個室から現れ、手を濯ぎ、出ようとしたが、彼の行く手を人影が阻む。 「何の用だ。俺は行かなきゃならんとこがあるんだ。退いてくれ。」 「悪ィが、そうはいかねーんだ。焼きそば奢ってもらう約束しちゃったからな。」 出入り口に立つ熊井の姿があった。 「どうしても、どかねえんだな?」 「どうしても、どかねえ。」 「そうか。」 張りつめた空気が広がる。 両雄が、トイレと廊下の境界線で睨み合った。 その頃、校庭には、ぽつりと夏焼がひとり佇んでいた。 彼は配下を一人も呼ばなかった。呼ばないどころか来るなと釘を刺していた。 沈みゆく夕日を見つめる夏焼の瞳は、妖しく燃え上がっている。 フト気配を感じ取り、振り返ると、校舎の方から、人影が近づいてくる。 やがてそれははっきりと輪郭を現す。 「……、清水……君?」夏焼の口から漏れた名だ。 「こうやって二人で会うのは久しぶりだね。」 清水は険しい表情とは裏腹に穏やかな口調で語りかけた。 「もう君と話すことはないはずだ。」 夏焼は切り捨てるように言い放ってみたものの、清水はむしろ微笑みかけて来た。 「なあ、雅。」 清水の口に合わせて、夏焼は目で威嚇する。 「そんな目で誤魔化しても無駄だよ。」 「誤魔化す?」 「もうやめようよ。決闘とか派閥とか、こんなの雅らしくないよ―――。」 「君が僕の何を知ってるって言うんだ!」 珍しくカッとなったのか、夏焼が清水の襟に掴みかかった。 されども清水は視線をそらさずに、 「中学を転校するまでの雅なら知ってる。教えてくれないか、それからのこと……。」 見つめ合う二人の瞳が夕日に照り返して煌めいている。 しばらくそうしたままでいたが、不意に夏焼の側から離れた。 夏焼の後姿に清水が、 「お父さんは、元気なのか?」 夏焼は間を置いて、 「もういないよ。」 「何かあったんだね。」 「煩い。」 夏焼は突然振り返ったかと思うと、再度清水に食らいかかり、勢いあまって押し倒す。 清水の目尻から露が滴った。夏焼の目尻は紅潮し、細かく痙攣を起こしていた。 「頼むよ。聞かせてくれ、おれたち友達だろ。」 と言う清水の声は、恐怖にではなく哀慕のために震えていた。 一方トイレでは。 須藤が土下座をしていた。 「頼む。行かせてくれ。」 対する熊井は、須藤を眼下に望みながら困惑を隠せずにいる。 「頭下げられてもな、……。」 「もう、退学届も提出しているんだ。」 「オイオイ。気が早いんじゃねーか。まだ闘ってもいねーのに。」 「元より退学処分は覚悟の上でのことだ。」 「一人で決着付けて、一人で辞めてくのか?」 「舎弟まで巻き添えにする必要はない。」 「そんで解散したんだな。全ての責任を自分に負わせて、抗争終わらせよーと。」 「ガキの喧嘩で人生棒に振らせるわけにはいかねえ。」 2分ほど沈黙が続いたが、 「頭上げろよ。」 熊井が云った。しかし須藤は動かない。 「それじゃ校庭まで行けねーだろ。」 との言葉で、須藤はようやく熊井を見上げた。 「熊井……。」 「焼きそば奢れよ。」 「すまねえ。」 起き上がり、走る須藤。それを見送る熊井。 「柄にもねえ。……帰ろ。」 自嘲気味に呟きつつ、熊井は歩き出す。 が、進み始めてから出口が反対方向だと気づいて引き返した。 *25 天井を見上げる二つの視線がある。 「ナァ、菅谷。」 「なに?」 「オメー、弱すぎんだろ。三人目であっさりダウンしてんじゃねーよ。」 「面目ない。」 徳永と菅谷は、押し寄せる軍勢に抗ってはみたが、結局押し切られてしまった。 二人とも、顔は腫れ、口やら鼻から出血し、制服はズタボロだ。仰向けのまま動けない。 辺りには二人の他に九人ほど伸びていた。 「どうしたの、あなたたち!」 聞き慣れた声が聴こえた。 「嗚呼、麻理子ちゃん、き、来てくれたんだね。オレのために。」 大江は駆けつけると、大の字に倒れる徳永を覗きこんだ。 「来てくれたじゃないわよ。乱闘? 顔ぐちゃぐちゃじゃないの。」 「オレ、逃げなかったよ。」 「何バカなこと言ってるの。」 「だって、麻理子ちゃん怒ってたから、……。」 「殴られたショックで頭が混乱してるのね。精密検査受けさせなきゃ。」 徳永は、大江があまりにつれないので戸惑った。 「え? ち、ちがうの? そういうことじゃないの? あれ?」 「なにがよ。」 「須藤の件を、見て見ぬふりしようとしたから男らしくないって、……。」 「暴力はダメよ。」 「うそーん。」 「ごめんなさいは?」 「ゴメンナサイ。痛てて。」 しかし大江に助け起こされた徳永はどこか充実感にあふれていた。 隣に寝ていた菅谷が、 「あの。せんせい。俺のことも忘れないで。」 「やだ、ごめんなさい。」 と答えるや、大江は徳永を放っぽって菅谷を担ぎ起こした。 まだまだ玄関には死屍累々の山が広がっているのだ。 「何だ?」 そこへ現れたのが須藤だった。 「あ、須藤さん。あれ? 決闘は。」 「今行こうとしてたところだ。どうしたんだ。こいつらは俺の、……。」 「大将がタイマンはるっつってんのに言うこと聞かないから教育的指導してたんだよ。」 徳永が菅谷に代わって答えた。 「す、すどうさん、……スンマセン。」 息を吹き返した須藤の舎弟がしゃべり出した。 須藤は駆け寄ると、 「すまねえ、俺なんかのために。」 「須藤さん!」 と今度は玄関口に、決闘場へ向かったはずの集団が戻って来た。 「お前ら?」 「校庭来て下さい。」 相手の慌てぶりを見て、須藤は舎弟を大江に任せて再び駆け出した。 校庭は沈みかけの夕日に染まっていた。 須藤が舎弟どもに案内されてくれば、夏焼の姿はなく、俯せに人が寝ている。 「おい。大丈夫か。」 顔を確かめてみれば、清水であった。 涙と、打撲の痕があり、口の端から血を流していた。 *26 ベリーズ高校を背に、この街には似つかわしくないマイバッハ62Sが走り去る。 高級車の黒いボディを、燃え尽きる夕日の光が激しく照らし出していた。 車内の運転席では強面がハンドルを握り、後部座席には夏焼が座っている。 夏焼は、スモーク加工のガラスの向うを虚ろげな眼差しで眺めていた。 やがて視線を自らの右手の甲へ移すと、 「僕としたことが、まだまだ完成しきれていなかったようだ……。」 拳が紅く染まっている。それは拭き取られもせず、皮膚の表面で乾いていた。 清水は保健室のベッドで目覚めた。 外は日が落ち、すっかり昏くなっている。 口の端にガーゼで手当てがなされていた。 「あっ、清水くん。よかったぁ!」 傍に座っていた嗣永が気がつき、テテテと近づいて来た。 見渡せば、熊井や須藤が互いの肩で鼾をかき、隣のベッドには菅谷が眠っている。 大江が徳永を連れて戻って来た。徳永と菅谷は顔中に絆創膏やガーゼが貼られていた。 「目が覚めたのね。頭は痛くない?」 「オレの時より優しくない?」 徳永の質問には答えず、大江は清水のいるベッドに腰掛けた。 「傷は大したことないわ。疲れてたのね、ぐっすり眠ってたのよ。」 「はあ。」 まだ薄ぼんやりとした様子の清水を大江が優しく撫でる。 「あーっ! オレにもしてよそれ!」 「うるせーな。」 徳永の喚き声で熊井が目を覚ました。 「うわ、須藤かよ。おい、起きろ。俺の肩はお前の枕じゃねー。」 熊井が須藤を揺り起こす。須藤はおもむろに瞼を開いて、 「ん……、ああ。もう夜か。」と呟いた。 清水は須藤の意識がはっきりしてくるのを見計らい、 「ごめん。熊井に行く手を阻むように頼んだの、おれなんだ。 夏焼との決闘を台無しにしてしまって、申し訳ない。ただ……。」 「済んだ話はいい。だがお前と夏焼の間に何があった?」 その須藤からの単刀直入の質問に、清水はまごついた。 「頬の殴られた痕は、奴にやられたものなんだろう。」 追い討ちのように須藤は断定した。 隣の熊井は興味なさげに、また寝ようとしていたが、 嗣永が傍に座って眠らないように揺すった。 「寝かせろよ。」 「ここは起きといた方が、空気的に。」 「知るかよ。ねみぃもん。」 「家に帰ってから眠れなくなっちゃうよ?」 「母親かテメーは。」 「そこうるせーよ!」 見かねて徳永が怒鳴った。しかし、 「テメーがうるせえよ。」 瞬間、熊井の長い脚が伸びる。徳永は慌てて逃げて転んだ。 「アブネェ、殺す気かよ……。」 「熊井君。」と大江が窘めるように呼ぶと、 「麻理子ちゃん、かばってくれるの。」と徳永はうれしそうだが、 「そういうのは外でやって頂戴。」 「イヤ麻理子ちゃんホント死ぬから、オレ死んじゃうよ。」 徳永の夢は脆くも崩れ去った。 須藤は、そんな彼らの様子には目もくれず、清水を見据えていた。 清水は、俯き加減でいたが、意を決して切り出した。 「話すよ。いや、聞いてほしい。」