03-495 :雪の輪廻:2011/01/17(月) 01:05:58 ID:NdOg8PEL
日本には多くの雪女の伝説がある。
そしてその中でも俺はこの山の雪女の伝説が一番哀しく、そして儚いものだと思う。

【それはいつから語り始められたかすらわからないほど遠い昔。
例に漏れず貧しかった山奥の農村に生まれた一人の美しい娘の物語。
女郎屋に娘を売ることは避けられず、その娘も町に女郎として売られていった。
器量のいい娘には多くの客もつき、いつの頃からかその町では知らぬものもいないほどの女郎となっていた。
多くのものがその娘を身請けしようとしたが、娘はかたくなに首を縦には振らなかった。

そんな娘にある一人の男が理由を問いただした。
娘は答えた。
村に忘れえぬ幼馴染がいることを。
互いに貧しい生まれ同士、いつかは村で夫婦となり、貧しいながらも幸せな暮らしを望んでいた頃のことを。
町に出て女郎になってからというもの封じ込めてきた想いを打ち明けたとき、娘は望郷の念に駆られた。
今すぐにでも故郷に戻り、幼馴染と所帯を持ちたい。
それだけのわがままを言うには娘は売れっ子になりすぎていた。
だが、逃げ出すための蓄えもまた持っていた。

娘は故郷へと戻り、幼馴染の元へと向かった。
だが、彼はすでに帰らぬものとなっていた。
雪山で雪崩に飲まれたのは娘が町に出て三年目の冬。
彼も同じように娘と所帯を持つ幼き夢を抱き続けていたことを知る。
だが、村は娘を受け入れなかった。
娘がその女郎屋にとって必要な存在であることが皮肉にも村の暮らしを潤すことになっていたのだ。

女郎屋は看板の娘が戻らないように故郷の村に毎年金を入れていたのだ。
その金は貧しい村人が一年食うにはちょうどいい額であった。
せっかく得た暮らしが壊れるのを恐れた村人は娘を説得するが、娘は聞かず、雪山へと逃げ込んだ。

三日三晩の捜索も実らず、娘は消えた。
その後、村もなくなり、一つの伝説だけが残った。

愛するものも帰る場所も失った娘が雪女となり、村を滅ぼしたと。
そして今でも愛する幼馴染を捜し、この山に一人で来た男を雪崩に巻き込み、他人だとわかれば殺してしまう。】

そんな哀しい伝説が。


03-496 :雪の輪廻:2011/01/17(月) 01:07:00 ID:NdOg8PEL
就職も決まり、大学の卒業を控えた二月の寒い日に母は死んだ。
俺が生まれる前に父が亡くなり、女手一つで二十二年間俺を育ててくれた母を今でこそ誇りに思い、感謝している。

だが、小学五年生の時に一度だけ母をなじったことがあった。
それは忘れもしない二学期の終業式の終わった夜。
クラスメイトは正月にどこに行くかの話で盛り上がってもうちはどこにも行けない。
頼れる身内も学歴もない母が俺を養う方法は水商売しかなかった。
そんな母の仕事、そして父親がいないことを学校でからかわれた俺は泣きながら母を、そして顔を見たこともない父を責めた。
俺の心無い言葉を受けても母は黙り、怒るでも泣くでもなく、そんな顔を見るのすら嫌で俺は眠りについた。

翌日の早朝、俺は起こされ黙ったままの母に手を引かれ雪山へ連れて行かれた。
直感的に棄てられると感じたのだろう、泣き叫び謝り続ける俺の方には目もくれずに母は歩を進めた。
どれだけ歩いたのか、どれだけの時間がたったのかさえ覚えていない、俺の次の記憶は頂上から見た景色だった。

そして母は語りだした。
今まで聞いても教えてくれなかった父のことを。

父と母はこの山で出逢った。
一人で山に登り、遭難した母を助けたことがきっかけで二人は知り合い、いつしか惹かれあっていた。
山に登るために仕事をしていたような生粋の山男の父も母の中に命が宿ったことを知り、山を離れる決心をした。
その最後に登る山は二人が出会った山しかなかった。
妊娠初期で家で待つ母の元に報せが来たのは登山二日目のこと、
急転した天候で起きた雪崩に巻き込まれたという悲しい報せだった。

悲観した母は父の後を追おうと山へと向かった。
だけど数日前に父を奪ったとは思えないほどに穏やかな山は母に語りかけた。
それは父の声に聞こえたという。

『強く生きるんだ。どんな困難があっても俺が二人を守ってみせる。
だから強く生きるんだ』

母はその言葉を死ぬまで胸に刻み込んでいたと思う。


03-497 :雪の輪廻:2011/01/17(月) 01:07:55 ID:NdOg8PEL
母は器量は決して悪くなかったが、
多くの男に条件を持ちかけられたり、プロポーズを受けていたことを知ったのは葬儀でのことだった。
亡くなった父に操を捧げ続けた母の遺骨の一部でも俺は父の最期の場所に撒きたかった。
それが俺にできる唯一の弔いであり、親孝行だと思ったから。

十一年ぶりに訪れた雪山は頂上までは順調に進むことができ、
あの日と同じ景色に在りし日の母、そしてまだ見ぬ父へ感謝の想いを抱いた。

だが下りで天候は急変、目に入った山小屋に逃げ込んだ。
直接は何も教えてもらっていないが、俺も山の男の息子。
それなりの準備と覚悟はしていたから小屋の中でも落ち着いていられた。
夜が来るまでは。


ギイッ…

物音がして目が覚める。
時計を見ると深夜零時を少し回った頃、こんな時間にこんな雪山を歩いている人間なんて存在しない。
そう思い瞼を閉じようとしたところでドアが開き、青白い光が見えた。
俺はすぐにこの山の雪女伝説を思い出したが、心のどこかで達観していた。
山で知り合い、山で死んでいった両親の息子だ、ここで死ぬのも運命なのかもしれないと。
そして思い切って光のほうに目を向ける。
そこにはどこまでも白く、そして美しい女性がいた。

その美しさに思わず息を呑んでしまう、だが、すぐに気付いた。
どこか母に似ている気がすると。
気付いたら俺は話しかけていた。

「俺はあなたが捜している人ではありませんよ」
「ええ、わかっています」

意外な答えが返ってきた。

「じゃあ、なんで?」
「誰かにはっきりと言ってもらいたかったんです。『あの人はもういない』
ただ、そう言ってほしかっただけなんです」
「そのために何人もの人を殺してきたんですか?たったそんなことのために」
「私が人を殺してきたということは誤解です。
私を見て恐れて外に出てそのまま凍死したり、雪崩に巻き込まれた人はいますが、
私は助けることができない代わりに手を下すこともできません。
でも、そんなことではありません」

そういって彼女が強い瞳で見てきた。

「あなたは誰かを本気で愛したことがありますか?
その人がもしも、もしも生きているとしたら、一縷の望みに託すのは当然なことではありませんか?」
「…わかりません。確かに俺は今までそこまで誰かを愛したことがない。
すいませんでした。生意気なこと言って」
「私こそ申し訳ありません。見ず知らずのあなたにこんなことを言ってしまって」





03-498 :雪の輪廻:2011/01/17(月) 01:08:43 ID:NdOg8PEL
それから彼女から話を聞いた。
この山に伝わる雪女伝説の真相を。

俺が聞いた話と異なるのは最後だけ、それ以外はほとんど真実が語り継がれていたことに驚いた。



そして朝を迎える頃に彼女は淋しそうに言った。

「ありがとうございます。あなたのおかげで成仏できます。
あなたのように優しい人にもっと早く出逢えていれば…」
「いや、俺はあなたの話を聞いただけですから」
「私はずっとそれを求めていたのかもしれません。だからこんなにもすがすがしい気分になれたんです。
差し支えなければ、名前を教えてくださいませんか?」
「桜井武哉って言います。みんなからはタケって呼ばれてます」
「タケさん…偶然ですね、あの人と同じ名前です」
「そうなんですか。あなたの名前は?」
「私の名前は…」

俺はきっと彼女の名前を忘れることはないだろう。


03-499 :雪の輪廻:2011/01/17(月) 01:09:37 ID:NdOg8PEL
それから一年が経ち、母の一周忌に俺はまたこの山に登った。
社会人として何とかやっているという報告をするために。

そしてその帰りにまた吹雪に会った、去年と同じ山小屋が見える。
そこに向かう途中で倒れている人を見つけた、見捨てるわけにはいかない、俺はその人をおぶって小屋へと辿り着いた。
体の軽さからしてきっと女性だと思う。
この軽装は…

一時間くらい経っただろうか、少し俺もうとうとし始めた頃に彼女が目を覚ました。
雪のように白い肌、亜麻色の長い髪、なかなかの美人だ。

「何で助けたの?」

やっぱり死ぬつもりだったんだ。

「理由なんてない、本能というか…俺の父もそうやって人を助けたことがあるから」
「でも、ここはどこ?この山には逃げ込めるような山小屋なんてないって聞いたのに」
「え?去年の今頃も俺はここで吹雪を逃れたことがあるんだけど」
「去年の今頃?」
「ああ、なんか俺おかしいこと言った?」
「去年の今頃にここで吹雪や遭難はなかったはずだよ?ここはそういう大きな災難が起こるのは隔年で、今年がその年なんだから」
「そんなこと調べてんだ」
「当たり前でしょ。死ぬつもりだったんだから」

その後落ち着いた彼女から話を聞いた。
田舎で育ち、都会に憧れ上京してキャバ嬢をやっていたこと、
同棲して貢いでいた彼氏に他に女がいて棄てられたこと、
家出同然で出て行った実家には戻れないこと。

改めて彼女を見るとずいぶんとすっきりとした顔をしていた。

「なんか死ぬのがバカらしくなっちゃった。あなたと話してよかった」
「それはよかった」
「ねえ、どこかで会ったことない?どこかで見たことある気がするんだけど」
「何だよ?急に。俺はそんな店に行った事もないし、地元も違うみたいだし」
「あなた、名前は?」
「桜井武哉、タケって呼ばれてる」
「わかった!!昔客で来た怪しい占い師が見せた前世の記憶っていうやつだ。
そこであなたに似たタケって男と恋人だったんだって。
その前世と私の名前も一緒だったから覚えてるんだ」
「へえ、君の名前は?」
「川崎雪乃」



雪乃…その名前を俺は忘れるわけがない、
この山に残る伝説の雪女の名前であるとともに、母の名前でもあるのだから。


最終更新:2011年01月19日 11:38