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運転免許 - (2018/03/31 (土) 15:17:20) の編集履歴(バックアップ)
運転免許取得記録
種類 |
受験開始日 |
試験会場 |
受験終了日 |
通算受験回数 |
コメント |
原付 |
1993.3.9 |
静岡 |
1993.3.9 |
1 |
大学受験中に参考書1冊と問題集1冊。 |
自動二輪中型限定 |
1993.7 |
埼玉 鴻巣 |
1993.12 |
11 |
中型は午後1日4人までの枠しかなく、2週間先毎の予約。古いSUZUKIインパルス(ハンス・ムート東京タワーデザイン!)、途中からYAMAHAディバージョン400新車が投入。 |
自動二輪限定解除 |
1994.2 |
埼玉 鴻巣 |
1994.? |
4 |
VFR750,ZEPHYR750,GSX750F,GPX750。VFR750タイヤが新品でコケてた人多数でハズレバイク。GPX750がハンドリングかるくて一番乗りやすい。SUZUKIはセルフステア強すぎ。受からないのであきらめ、オフローダーに転向することで自分には大型不要と言い聞かせた。 |
自動二輪大型 |
1996.? |
埼玉 鴻巣 |
1 |
1996.? |
アメリカからの圧力で大型自動二輪が教習所でも取れるよう準備に入り、たしか9月以降は免許採点基準が大幅にゆるくなった。そのタイミングで取得。このときバイク便をしていたため運転には自信があるものの、愛車はXLR250とCRM250だったので、オンロードの重さをわすれていた。かつては40人受験して4名うかれば良い方だったが、この日は40名中14人ぐらい合格していたはず。CB750めちゃくちゃ乗りやすい。これはずるい。 |
普通自動車(仮免) |
1997.? |
埼玉 鴻巣 |
1 |
1997.? |
なぜか余裕で受かる |
普通自動車(路上) |
1997.5? |
埼玉 鴻巣 |
4 |
1997.6 |
狭い道すれ違いで左によりすぎ枝葉に突っ込んだら怒られた |
このときの信条:
「人間を相手にした試験。俺は人間。だからいずれ受かる」
イメージトレーニング重視。鴻巣試験場マップをトイレに貼る。どこでブレーキどこでウインカーを出すかA3拡大コピーした要旨に書き込む。
バイクに跨るときは「かすかのミス」をやった。
「か」:確認(周辺を見回す)
「す」:スタンドをはらう
「か」:確認
「の」:乗る
「み」:ミラーを直す。このとき足はブレーキ、手は左のミラー直すとき右ブレーキレバー
「す」:スイッチON
受験基準改正前、スラロームで帰れコール多数。外足荷重とスムーズさとエッジをきかせたふりっかえしが観察できないとダメみたい。中型で最も苦労した点。
当時の愛車はNS-1だったが、カウンターステア入力で曲がるきっかけを作る癖がついていた。この操作は大きなバイクだとおもすぎて逆に不都合になる。当時新聞奨学生をしていたため、スーパーカブの前カゴに古新聞満載で駐車場でハンドルに力をいれないでステップ荷重で曲がる方法を練習して克服した。ステップガリガリ擦りすぎて削れて竹槍みたいにとんがり、バイク屋がしょっちゅう交換してた。アクセルターンとブレーキターンも多用しすぎてタイヤ交換頻度が尋常じゃなかった。店長ごめんなさい。
改正後は確か秒数だけ測定。7秒で通過すればOKになったとおもう。
車の一発試験が受かったのは、バイクの免許を持っていて人より運転時間がながい事が大きい。18から、年間1万キロを2年、その後年間6万キロを3年。合計20万キロ。すでに23歳で普通の人の20年分を運転していたと自負。路上での怖さはない。
すでに20のとき東京に引っ越していたが、免許を埼玉で受けたい理由のために普通車免許をとるまで住所変更をしなかった。ごめんなさい。