体をぶるっと震わせると、奴は馬鹿にしたように言った。 「おいおい。そんなに愉快な話でもないけど怖い話でもないんだよ。 集団幻覚ってのは聞いたことある?」 私は頷く。 「あるとき、というか俺が高校二年のとき、連れがゲーセンの中で突然わめきだしたんだ。 『おい、なんだよ。なんでここに人形がおいてるんだよ。なんだよ、ここどこだよ』って。 何言ってんだって俺と他の奴は気にしなかったんだけど。それでも言い張るんだよ。 『俺をからかってんのか、なんで人形が見てるんだよ』 いらいらしたよ。せっかくいいところなのに後ろでごちゃごちゃ言うんだから。あまりにもうるさいから、ゲームをやめて突き飛ばしたんだ。 そしたら、『なんだ、近寄るな!気色悪いんだよ、このババア!よるな、よるなあっ!』 ……ここまでくると、もう俺たちの手には負えなかったからね。錯乱したそいつをみんなで押さえ込んで、店の人に、警察呼んでもらって。 一週間たってそいつと久々に会ったんだ。精神失調とかは言われたみたいだけど、普段どおりのあいつだった。でも、ゲームセンターには誘っても来なかったよ。 『あそこ、人形屋だっただろ。日本人形とかフランス人形とか、ほこり被ったような気味悪い奴ばかり飾って。店内も薄暗くてさ。あそこ、嫌いだったんだよ。 ……それに、あそこの店主のババア。くすんだ色のぼろい服着てぐしゃぐしゃの髪で、ぎょろっとした窪んだ、濁った目で。ただでさえ怖いのに、俺が通りかかると 急いで店の奥から出てきて俺の、腕をつかむんだ。坊やって。私の坊やって』 震えた声で、俺に言うんだ。 おかしいよね。俺は頭大丈夫か聞いただけなんだよ。怪談をしてほしかったわけじゃない。たしかにゲームセンターの前はその人形屋だったけどさ。 俺にとっての始まりはそこからだったね。 何かって? もちろん、幸せの終わりだよ」 その日から、急に錯乱する奴が町に現れだした。 俺の連れとおなじ。あるはずのないものが視えて、現実との区別がつかなくなる。 前置きは要らないな。 そいつらが視たのは過去だ。 過去に実際存在した町の風景が、現実を塗りつぶしてしまう…… ――おいおい。嘘だって?そんなことあるはずないって? じゃあ、聞くけどなんで俺がこんな与太話をする必要があるのさ。自分の故郷を貶めるのにこんな遠回りをする必要がある? ……まあ、いいか。続けても?……ああ、そう。 ともかく、おかしくなった。 CD屋で野菜が並んで、人が八百屋のおっさんや主婦のおばさん連中に視えたり。ショッピングモールで、ボロ家でおかずの取り合いをするみみっちい食卓が視えたり。 カラオケで歌ってると、公民館の寄り合いの真っ只中にいたり。あちこちでそんな混乱が起こった。 ただ、絵に描いたような異常事態にあっても人ってタフなんだよ。最初でこそみんなぎゃあぎゃあ騒いでたけど、精神科医やら脳外科医やらの分析を経験して、在ると当事者以外も信じる、いや納得することができるなら雨が降る程度の現象だと認識が変わるみたい。 それで、町の人は現象への対抗策を見つけていった。 もし、映像が見えたならその場所から離れること。例えば、ファーストフード店で精肉屋の解体映像が見えたら、その店があった敷地から離れれば見えなくなる。 そうしてパニックは少なくなったよ。 でも、懐古主義の馬鹿も湧き出したんだ。笑えるぜ。「懐かしい、俺たちの時代が戻ってきた」とかね。 だから、開発反対の連中のデモは一層激しくなった。 『これは町が自分たちに与えた警告だ、過去を蔑ろにしたものたちへの罰だ』 陳腐な文句もこの異常事態には効果的だったよ。いろんな話が頓挫した。つぶれる店もあった。逃げ出す企業もいた。 でも、親父たちはがんばってた。街をまともにするんだって。 まあ、ここまでは生易しいさ。 集団幻覚って俺はいったっけ。今思うと、残留思念のほうが正しいように思うね。過去の映像が脳みその中で再生され、現実の出来事のように感じられる。それって必ずしも良いもの? 懐古主義の連中が尊ぶものか。大多数はそう思い込んでたよ。でも、連れが錯乱する様をみてたから、俺にはどうも信じられなかった。 それに善意をどうすれば見出せる? 俺の町の素晴らしい発展を見事に邪魔してややこしくしてくれる奴が、これ以上の悪意を持っていないわけがない。今の俺が嫌いな、上っ面の過去が、本心をむき出しにしたら? 邪悪ってのはあるんだよ。 俺たちがあずかり知らぬ領域に、存在するんだ。 ***[[戻る>URL]] [[進む>URL]]