俺が始めてみた過去は、老人たちが若い娘に、ひどいことをする場面だった。 俺が家で寝るときだ。天井が急に見えなくなって、起きて電気を点けると、見えた。 …………君が想像しているよりもっとひどかったと思う。そのときの俺の部屋は死んだ爺さんの部屋だった。優れた人物で金も持ってて、俺には優しかった。不自然なくらいにいつもニヤニヤしてたがね。 老人の中には、見知った顔しかなかった。 わかる? 見知った顔しかなかったんだ。何度も何度も見かけた顔で何度も何度も話をして、遊んでもらって、頭をなでる顔だった。 ――女の子は、大好きな、近所のお姉ちゃんだった。ボロい家の子だったけど、優しかった。その子だけは好きだったよ。いつのまにか会わなくなってたけどね。 ――おい、そんな顔するのか。ほんとにあれだな。いいよ。こうやって君に話せるぐらいは整理できたからね。 その後、俺はどうしたか?たいしたことは何も。 仏壇をめちゃめちゃにして、町内放送で老害の悪行をばらしてやったぐらいだよ。ヒーローになりたいわけじゃなかった。善人になりたいわけでもない。 でもあるだろ。これをしなきゃ前に進めないってこと。 俺の言葉は幸か不幸かこの現象のせいで信憑性はあったから。それなりに意趣返しはできた。街には居づらくなってすぐこっちに就職したんだけどね。 勘当はされてない。親父たちは全部、知ってたみたいだから。そりゃあ、必死になるわけだよ。償わなければ。罪を全部壊して、ね。 そんなたいそうな理由でがんばってほしくはなかったよ。 それだけ? 拍子抜けしたかい?残念ながら実話だから、作り物のご都合主義も際限ない不幸もないわけ。 俺に関しては終わり。街に関してはもう一悶着あったけどな。罪を知った奴。盗みとか情事とか虐待とか、人殺しとか。隠す奴と脅しあったり暴きあったり騙したあったり黙らせあったり。大人も子供も誰かの罪を知って知られて。 どんどん人はいなくなった。日中でもシャッターは閉まっている。学校から子供の声はなくなっている。ぶらつく大人の姿はほとんどない。 自暴自棄な奴らの悪あがきが、街を汚した痕跡があちこちに刻まれている。 一時期、マスコミが押し寄せたらしいが、発狂して錯乱して報道することさえ禁じられた。 デモもなくなった。奴らのいう古いものの中でも過去は現れる。過去を蔑ろにした警告なんて、見当はずれだって気づいたんだろう。いくら頭が固いからって、過去がいかに醜いか見せられれば止めるよな。まあ、奴らの末路なんて犬の糞よりどうでもいいけど。 ようやく一息ついて、彼は氷の解けきった水に口をつけた。 彼に変わった様子はなかった。あれだけ話したというのに汗もかいてなければ息も切らしていない。 長話の後の得意げな顔がいつの間にか浮かんできていて、この話題がひと段落したことを理解した。 「質問は?」 なんで過去がみえるんだ? 「さあ。わからないし、知りたいとも思わないね。過去の怨念だろうが妄想だろうが知ってどうする。人間にどうにかできるものか? それにあのままのほうがまだましだろうよ」 活気はないんだろう? 「七年たつがもう俺が好きだった賑わいが戻る様子はないな。一度も帰ってないが、親父に話は聞いてるよ。相変わらず過去は見えるんだと。そして、蓄積されている。 この前、駅前で楽しそうに買い物してる俺の姿が見えたんだって。久々に笑顔が見れて嬉しかったらしい。 ――引っ越せばいいのにしないんだ。もう誰も罪から逃げられないんだから、あんな場所にいなくてもいいんだよ。だから、田舎者のままなんだ」 ふう、とそこで彼は息を吐いた。 そして顔を上げ、私に笑いかける。 「楽しかったろう? 俺の話。笑ってるもんな。口元押さえてそんなに愉快か? 友達だけど、俺は君のそういうところは気に食わないな。人の悪いところばかり俺が口にするのは君への警告でもあるんだぜ。腐っているくせに、心を隠し続ける奴がどれだけ醜悪か。 こんな話を最後まで聞ける君は最低なんだ。普通を気取るなら自分の醜さぐらい理解しておけよ」 彼は言う。 私は、口元から手を離す。 成程、嗤っている。 たしかに。私は不謹慎な男らしい。だが、彼もだ。 自分の醜さを隠さない彼と、醜さを隠し続ける私。 同類で、決定的に違うからこそこんな仲なのか。 「俺の町は楽しそうかい」 笑いながら嘲る彼に、声を上げて嗤ってみせる。 「嘘みたいにね」 ***[[戻る>URL]] [[替え玉へ>URL]]