「文学(20071217)」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

文学(20071217) - (2007/12/18 (火) 02:37:21) のソース

<p><font size="3">~前回~~<br>
2002年<br>
ギュンター・グラス<br>
シュピーケル誌<br>
「加害者or被害者としてのドイツ人」<br>
被害者としてのドイツを描くようになった。<br>
~~~~~~~~~~~~~~~~<br>
1/21(月)筆記試験(60%)<br>
・ドキュメンタリーDVD<br>
(ヒトラーの台頭とナチス)<br>
・朗読者<br>
10行くらいの答案用紙<br>
6題<br>
キーワードに基づいて<br>
例えば<br>
2002年<br>
ギュンター・グラス<br>
シュピーケル誌<br>
・「加害者or被害者としてのドイツ人」<br>
せめて一時間だけでも<br>
過去の克服<br>
戦後ドイツで2000年以降論調が変わってきた。<br>
・朗読者がドイツでどう受け入れられたか?<br>
・ハンナ…文盲の彼女の意識が2,3部でどう変わったか?<br>
・シュナイダー・シュリンク(68年世代)<br>
68年世代…第2世代<br>
新しい(第3、4世代の)ドイツ文学「」<br>
・被害者としてドイツを描くとどうして批判をされるようになるか?<br>
・今日話すこと<br>
・今日話すこと<br>
~平常点~<br>
・出欠<br>
・朗読者<br>
~~~~~~~~~~~~~~~~<br>
<br>
p5<br>
第2次世界大戦中、ある夫妻がユダヤ人の青年を匿った。<br>
親戚はナチスから迫害を受けている。<br>
その匿っていることを農民が密告したので<br>
夫は強制収容所に送られることになった。<br>
妻のほうは村人から警告を受けていたために逮捕を逃れた。<br>
村人からの警告はユダヤ人を助けることは恥ずべき行為として<br>
妻に対して理解を見せなかった。<br>
戦争後、密告したことを理解されることはなかった。<br>
そのため、彼女は長い間孤独な人生を送ることになった。<br>
高校の教師がこのことを突き止めヤドヴァシェム<br>
(日本人がユダヤ人に出国ビザを与えたー日本人のシンドラー)<br>
<諸国民の中の正義の人><br>
教師が夫妻のことを称えようとした妻はそれを長い間断っていた。<br>
ドイツ人としての良心はどこへ行ったのか?<br>
すべてのドイツ人に対する罪というものはない。<br>
でも罪に加担した人は多くいることには間違いない。<br>
<br>
ソドムとゴモラの堕落<br>
ソドムにはおよそ50人ばかりの善人がいる。<br>
あなた(神)はその人たちまで滅ぼしてしまうのではないのですか?<br>
アブラハムは本当に50人あげられるかどうかわからない?<br>
だが善人であるかどうかがわからず結局人数を減らしていき<br>
紙はソドムに天使を遣わして正義の人の人数を数えさせた。<br>
それによる唯一の善人とその家族を近くの町へ移動させ<br>
そのあとにソドムに炎と雷を落とした。<br>
<br>
ドイツは約一〇〇〇〇人が地下で生活することを選んだ。<br>
その半数はベルリンにすんだ。<br>
もともと何万人もの人がいたが事前に出国した。<br>
ナチスによる迫害を受けながら1500人が生き延びた。<br>
<br>
コンラードラテ(21歳)<br>
ベルリン在住のユダヤ人は一六〇〇〇〇人<br>
そのうち半数は出国。<br>
強制収容所に多くが送られた。<br>
地下への潜伏は密告の恐れなどのために1か月以上とどまることはできなかった。<br>
そのため、多くの援助者を必要とする。<br>
ユダヤ人がドイツで潜伏して生きるためには7人が必要と公表されたが<br>
再調査すると15人や50人という援助者が出てきた。<br>
<br>
ゲシュタポ<br>
ヒトラーの反ユダヤ組織<br>
1950年代はまだナチスの影響を排除できずにた。<br>
1960年代は歴史的に自国の悪さを自虐的に表すようになった。<br>
<br>
ヒトラー、シュタイナー、ゲッペルスは知っている。<br>
しかし、ユダヤ人の支援者、功労者はあまり知られていない。<br>
1972年にみとめれた <br>
<br>
2000年前後から<br>
ユダヤ人を命をかけて(銃殺、絞殺)救った人がいたことに注目するようになった。<br>
<br>
隠れた英雄<br>
<br>
シュタージ「善き人のためのソナタ」ーー調べる<br>
東ドイツには小規模なゲシュタポがあった</font></p>
<p><font size="3">1月7日に見る映画</font></p>