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    <title>●八卦（易経）とDNAの関係</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/58.html</link>
    <description>
      ●謎の八卦（易経）

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

今日は１日、八卦（易経）とＤＮＡの関係について考えてみた。
何度も図表を見ながら、その向こうに隠された関係を
考えてみた。
（……関係があれば……という条件つきだが。）

が、意外と簡単に、謎解きの糸口をつかむことができた。
それを今日は、わかりやすく説明してみたい。

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

&lt;img src=&quot;http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/64/img866cb8ffzik9zj.jpeg&quot; width=&quot;721&quot; height=&quot;777&quot; alt=&quot;img221.jpg&quot;&gt; 
　　　　【表は、学研『ニビルの謎』より】

●はじめに

　これは言うなれば、知的道楽のようなもの。
私自身、易経というものをほとんど知らない。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という程度にしか、「八卦」のことを知らない。
そんな私が現在、八卦に興味をもっているのは、それがＤＮＡと関係があるのではないかという点に着目したから。

　改めて、その謎解きに挑戦してみる。
ちょうど１年ぶりの再開である。

●２進数

　私たちは日常生活の中では、１０進数を使っている。
これは人間の指が１０本であることに、大きく関係しているという。

　これに対してたとえばコンピューターの世界などでは、２進数を使用する。
２進数というは、（０）と（１）だけの世界をいう。
（―）と（＋）でもよい。
便宜上、１０進数の（１）と（２）を使用する。

　その２進数では、たとえばつぎのように数える。
（かっこ）内は、１０進数による数え方をいう。【表１】

&lt;IMG SRC=&quot;http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/85/img0144c68ezik0zj.jpeg&quot; width=&quot;587&quot; height=&quot;718&quot; alt=&quot;img228.jpg&quot;&gt;

０（０）
１（１）
１０（２）
１１（３）
１００（４）
１０１（５）
・
・
・
　これでは数が大きくなるについて、段がついてしまうので、頭に（０）をつけ、わかりやすくする。
つぎの表がそれである。
便宜上、６桁にしたが、それには理由がある。
その理由は、あとで述べる。

００００００（０）
０００００１（１）
００００１０（２）
００００１１（３）
０００１００（４）
０００１０１（５）
０００１１０（６）
０００１１１（７）
００１０００（８）
００１００１（９）
００１０１０（１０）
００１０１１（１１）
００１１００（１２）
・
・
・
　
　これですっきりした。

●八卦との関係

　八卦では、一本の長い棒（－）と、二本の短い棒（・・）で、数を表す。
たとえば……、
（・・は、短い二本の棒、ーは、長い棒を表す。）【表２】

&lt;IMG SRC=&quot;http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/87/imgbec9b955zikdzj.jpeg&quot; width=&quot;771&quot; height=&quot;1094&quot; alt=&quot;img229.jpg&quot;&gt;

００００００（０）⇒・・
　　　　　　　　　　・・
　　　　　　　　　　・・　
０００００１（１）⇒―
　　　　　　　　　　・・
　　　　　　　　　　・・　
００００１０（２）⇒・・
　　　　　　　　　　―
　　　　　　　　　　・・　　
００００１１（３）⇒―
　　　　　　　　　　―
　　　　　　　　　　・・　　

●長い棒と二本の短い棒

　まずここで理解してほしいことは、八卦は、２進数で書かれた数字であるということ。
俗説によれば、伏義※という伝説上の賢者によって、発明されたという。
その当時の中国には、もちろん、数字の（０）（１）は、存在しなかった。
（中国語でいう漢字には、（０）の概念はない。）

　だから（長い棒）と（二本の短い棒）で、「数」を表したとしても、何もおかしくない。
……というような回りくどい説明は、ここでは省略する。
八卦で使う（棒）は、二進数を表す。

　たとえば１０進数の（５０）は、２進数では「１１００１０」となる。
それを２種類の棒で書き表すと、【表３】のようになる。

&lt;IMG SRC=&quot;http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/88/img854d9d6ezik0zj.jpeg&quot; width=&quot;771&quot; height=&quot;841&quot; alt=&quot;img226.jpg&quot;&gt;

●ＤＮＡ

　同じようにＤＮＡについての説明も省略する。

　そのＤＮＡは、４つの塩基（ＡＧＣＴ）から、３つの組み合わせで、構成される。
Ａは「アデニン」、Ｇは「グァニン」、Ｃは「シトシン」、Ｔは「チミン」を表す。
その４つの中から、たとえばＡＴＣと３つが結合し、それが螺旋階段のように並び、ＤＮＡを構成する。
それを１個とするなら、人間のＤＮＡは、約３０億個あるとされる。
それはいわばコンピューターでいうプログラムのようなもの。
「設計図」と表現する人もいる。
この設計図に応じて、人間の「形」ができる。

●必要条件

　そのＤＮＡと八卦との不思議な関係については、すでに多くの研究家が本に書いている。
しかしＤＮＡはＤＮＡ。
八卦は八卦。

　それもそのはず、ＤＮＡは、戦後、発見された。
歴史は浅い。
八卦は、俗説に従えば、５５００年前からあったという。
３０００年前でも、２０００年前でもよい。
この際、年代はどうでもよい。
少なくとも、ＤＮＡの発見は、ごく最近のもの。
八卦は、それよりもずっと昔からあった。

　だからもし八卦がＤＮＡの配列をうまく説明したとしても、それだけでは必要十分条件を満たしたことにはならない。
偶然の一致ということも、ありえる。
が、ともかくも、その「必要条件」だけでも、ここで考えてみたい。
本当に、何らかの関係があるのか。
それともないのか。

（十分条件を満たすためには、その論理で、ほかの未知のＤＮＡの構造まで説明しなければならない。）
はたして八卦とＤＮＡの間には、何かの関連性があるのだろうか。

●６４卦

　八卦では、６４卦ともいうように、８ｘ８＝６４の卦（け）を基本にものを考える。
そこで１０進数でいう（０）を２進数で、（０００００００）（６桁）とする。
（６３）は、（１１１１１１）（６桁）となる。

　最近のコンピューターは、６４ビットマシンが主流。
そのことも記憶のどこかにとどめておいてほしい。

　この６桁の数字を、（長い棒）と（短い２本の棒）で表したのが、八卦ということになる。

【６４卦の方位図】

●ＤＮＡ

　先にも書いたように、ＤＮＡは、４つの塩基のうち、３つの塩基の組み合わせで、最小単位を構成する。
「３文字言語」という言葉も、そこから生まれた。
そこでここでは、６桁の（棒）を、３組に分けてみる。
当然のことながら、２本ずつの３組になる。

（八卦をＤＮＡに、無理にこじつけようとしている感じがしないでもないが、そこは許してほしい。）

　が、ここでたいへん興味深い事実に気がつく。
（長い棒）と（短い２本の棒）の組み合わせは、４通り。
この４通りという数は、４つの塩基の数と、奇妙なことに一致する。
が、ここでは、まだ、偶然の一致ということにしておく。
つまりだからといって、八卦とＤＮＡとの間に、何らかの関連性があるとは言えない。

　ともかくも、４つの組み合わせ、つまりパターンができる。
それをここでは、パターン（１）（２）（３）（４）としておく。【図４】

&lt;IMG SRC=&quot;http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/89/img67623bfazikfzj.jpeg&quot; width=&quot;752&quot; height=&quot;877&quot; alt=&quot;img225.jpg&quot;&gt;

パターン（１）―　―
　　　　　　　―　―

パターン（２）―――
　　　　　　　―　―

パターン（３）―　―
　　　　　　　―――

パターン（４）―――
　　　　　　　―――【図４－２】

&lt;IMG SRC=&quot;http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/90/imgbf4d386azik3zj.jpeg&quot; width=&quot;773&quot; height=&quot;663&quot; alt=&quot;img224.jpg&quot;&gt;

●１０進数の（５０）は、（１１００１０）

　こうして６桁の八卦を、３つに分解し、それぞれのパターンに、（１）（２）（３）（４）と番号をふってみる。

　たとえば１０進数の（５０）は、２進数では（１１００１０）となる。
これを３つの組に分けると、（１１）（００）（１０）となる。
が、八卦をよく見てもらうとわかるが、数字の並び方が逆になっている。
（５０）は、（０１００１１）となっている。

　だから３つの組に分けると、（０１）（００）（１１）となる。
これを先にあげた、４つのパターンに当てはめてみる。
すると（５０）は、（３）（１）（４）となる。

　同じように、（５１）は、（４）（１）（４）。
（５２）は、（１）（２）（４）となる。【表５】

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●ＡＧＣＴの相性

　ここで最初の難関は、ＤＮＡでいう４つの塩基と、ここでいう４つのパターンの間には、何か関係があるのだろうか。
あるとすれば、ＤＮＡの４つの塩基、（ＡＧＣＴ）は、それぞれ４つのパターンのうち、どれと同じと考えたらよいだろうか。

　その関連性を解く鍵がひとつある。
それはＤＮＡにおいては、４つの塩基の中から３つの塩基で最小単位を構成するが、それぞれに相性というのがあるそうだ。
たとえば、「ＡはＴとのみ結合し、ＧはＣとのみ結合する」（「ニビルの謎」）とある。
（ＤＮＡについての勉強は、今始めたばかりなので、不正確で申し訳ない。）

●プラスとマイナス

　そこでさらに仮定を飛躍させる。
今まで（長い棒）と（二本の短い棒）と書いてきた部分を、（＋）と（－）に置き換えてみる。
すると、ここで磁力的な説明がつくのがわかる。
（短い棒を、マイナス、長い棒を、プラスとした。
もちろんその反対でもよい。）【図４－２】

パターン（１）は、（－）
（－）
パターン（２）は、（＋）
（－）
パターン（３）は、（－）
（＋）
パターン（４）は、（＋）
（＋）となる。

　ここで電磁的にものを考えると、……どれとどれが結合すると考えてよいのか？
（＋）と（－）は結合する。
（－）と（－）は結合しない。

　つまりパターン（１）は、パターン（２）と（４）と結合する。
同じようにパターン（４）は、パターン（１）と（３）と結合する。
（＋とーは、結合する。）

　反対に考えると、パターン（２）は、パターン（４）のみとしか結合しない。
パターン（３）は、パターン（１）のみとしか結合しない。

　つまり、パターン（２）は、Ａもしくは、Ｇ。
パターン（３）は、Ａもしくは、Ｇ、ということになる。

　ここでパターン（２）をＡと仮定すると、パターン（４）がＴということになる。
すると、パターン（３）は、Ｇということになる。
残ったパターン（１）は、Ｃ！

　もう一度、整理してみる。

パターン（２）をＡと仮定すると、

　パターン（１）＝Ｃ
　パターン（２）＝Ａ
　パターン（３）＝Ｇ
　パターン（４）＝Ｔ、ということになる。……仮定（１）

同じように、今度はパターン（２）をＧと仮定すると、

パターン（１）＝Ｔ
　パターン（２）＝Ｇ
　パターン（３）＝Ａ
　パターン（４）＝Ｃ、ということになる。……仮定（２）

　２つのケースが考えられる。
仮定（１）と仮定（２）はどちらが正しいのだろうか。

　あとは実際のＤＮＡの配列に当てはめて考えてみるしかない。
矛盾なく、合理的に説明できるほうが正しいということになる。

●塩基（３文字言語）

　「ニビルの謎」に紹介されている、ＤＮＡの３文字言語を並べてみる。

「ＣＧＴＡＧＡＡＴＴＣＴ……」（Ｐ１４２）。

　この並び方を合理的に説明するのは、（仮定１）のほうなのか。
それとも、（仮定２）のほうなのか。

？？？？？

●ＤＮＡ言語

　では具体的に、１０進数の（０）から（６３）までを、ＤＮＡの３文字言語で置き換えてみる。
ここでは前述（仮定１）に従って、並べてみる。

０……ＣＣＣ
１……ＡＣＣ
２……ＧＣＣ
３……ＴＣＣ
４……ＣＡＣ
５……ＡＡＣ、となる。

　同じように、今度は前述（仮定２）に従って、並べてみる。

０……ＴＴＴ
１……ＧＴＴ
２……ＡＴＴ
３……ＣＴＴ
４……ＴＧＴ
５……ＧＧＴ、となる。

[[易経占い&gt;https://www.ekikyou-uranai.com/]]

　どちらが正しいのだろう？
頭の中を整理するため、１０進数の（５０）（５１）（５２）を、６４卦で表し、さらにそれを３つのパターンに分けてみる。【図５】

　八卦とＤＮＡの間には、何か、関係があるのだろうか。
そこでもう一つのヒント。

ＤＮＡ言語では、「ＴＡＡ」は、「停止」を意味するという。
これはコンピューターでプログラムを組んだことがある人なら、みな知っていることだが、プログラムの始めと終わりには、特殊な命令を入れる。
私はベーシック言語しか知らないが、ベーシックでは、「ＥＮＤ」を書く。

　その「ＥＮＤ」に当たる言葉が、ＤＮＡ言語では、「ＴＡＡ」という。
この「ＴＡＡ」を、（仮定１）で翻訳すると、「ＴＡＡ」は、２進数で「１１・１０・１０」となる。
１０進数になおすと、「２３」。
漢字では、「訟」。
数字を反対に並び替えると、「０１・０１・１１」とすると、「５８」。
漢字では、「需」。

　今度は「ＴＡＡ」を、（仮定２）で翻訳すると、「ＴＡＡ」は、２進数で、「００・０１・０１」となる。
１０進数になおすと、「４０」。
漢字では、「明夷」。
数字を反対に並び替え、「１０・１０・００」とすると、「５」。
漢字では、「晋」。

　整理してみる。

　２８……訟
　５８……需
　４０……明夷
　　５……晋

　これら４つの漢字の中で、「ＥＮＤ」を表すものがあれば、ビンゴー！
しかし残念ながら、「ニビルの謎」によれば、「ＥＮＤ（停止）」を表すのは、「９」、「ごん（「良」の上の点を取った文字）」だそうだ。

●今日はここまで

　何か関係がありそうで、ない？
なさそうで、ある？
今日は、しかし、ここまで。
Ｔｉｍｅ　Ｕｐ！
このつづきは、またの機会に書いてみたい。

　が、これだけは覚えておいてほしい。
年代を特定するのはむずかしいが、古代中国では、何かとてつもない不思議なことが起きていた。
周囲文化とはかけ離れた、突出した科学が存在していた。
文中に書いた、「伏義（「義」の文字は現代漢字を使った）」にしても、調べれば調べるほど、不思議な人物（？）である。
興味のある人は、自分で調べてみてほしい。

（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　幼児教室　育児　教育論　Japan　はやし浩司　ＤＮＡ　八卦　易経　
八卦の謎　謎の八卦　伏義　はやし浩司）
2011/11/16追記

【東洋医学（黄帝内経・素問）の謎】

　こうした「八卦とＤＮＡの関係」に興味をもったのには、理由がある。
私が書いた本の一部を、ここに紹介する。
（出典は、はやし浩司著『目で見る漢方診断』。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●黄帝内経・地動説
 
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●黄帝は実在したか？
 
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&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2569493501/&quot; title=&quot;img379 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm4.static.flickr.com/3027/2569493501_9e83a92f70_o.jpg&quot; width=&quot;729&quot; height=&quot;1068&quot; alt=&quot;img379&quot; /&gt;&lt;/a&gt;
 
&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2570318812/&quot; title=&quot;img380 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm4.static.flickr.com/3107/2570318812_cd7c1d6745_o.jpg&quot; width=&quot;729&quot; height=&quot;1068&quot; alt=&quot;img380&quot; /&gt;&lt;/a&gt;
 
&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2570318946/&quot; title=&quot;img381 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm4.static.flickr.com/3067/2570318946_9f6a04fc0f_o.jpg&quot; width=&quot;729&quot; height=&quot;1068&quot; alt=&quot;img381&quot; /&gt;&lt;/a&gt;



Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋Ｎｏｖ.　２０１１＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司
　    </description>
    <dc:date>2021-12-24T15:09:30+09:00</dc:date>
    <utime>1640326170</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/81.html">
    <title>日本のストーンサークルｂｙはやし浩司</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/81.html</link>
    <description>
      264 Stonehenge in Japan, destroyed for money
日本のストーンヘンジ、足摺岬の巨石群

&lt;iframe width=&quot;420&quot; height=&quot;315&quot; src=&quot;http://www.youtube.com/embed/WOQyOZuNPNU&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;

http://youtu.be/WOQyOZuNPNU

足摺岬には、イギリスのストーンヘンジにまさるとも劣らないストーンサークルがありました。が、今は緑地化公園（？）になり、その一部だけが、残っています。ここに人間の愚かさの象徴があります。これはその物語です。

There used to be a Stonehenge in Japan, too. But now it was destroyed for money and only a part of it has been reserved. This is the symbol of stupidity of human-beings. This is the story about it.

Hiroshi Hayashi
Hamamatsu-city japan
April 11th 2013


Palenque,Nazca,Nazca Lines, Line Pictures,Mystery of Japan,謎の古代文明,Hiroshi Hayashi,Hamamatsu,Mystery,Ancient Civilizations,Aliens,文明の謎,異星人,宇宙人,神々,Ancient History,歴史の謎,謎の歴史,Mysterious Lines.林　浩司.secret,Stoenhenge in Japan,Stonehenge,Stone circle,stone circle in Japan,日本のストーンサークル,足摺岬,巨石群,足摺岬,ストーンサークル,巨石,Ashizuri Penisula,


Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋April.2013＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司    </description>
    <dc:date>2013-04-11T12:34:39+09:00</dc:date>
    <utime>1365651279</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/80.html">
    <title>子どもは人の父（自動車技術・誌　２０１２年０５月号より）</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/80.html</link>
    <description>
      ●『自動車技術　２０１２年０５月号』

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

昨夕、郡上八幡＋同窓会から帰ってきたら、
『自動車技術』（自動車技術界発行・定価２５００円）
が届いていた。

全世界配布版である。

で、問題は、これをどうＢＬＯＧにＵＰＬＯＡＤするかということ。
方法としては、（１）１度、スキャナーでパソコン本体に取り込み、
（２）たとえばＦｒｉｃｋｒ」のようなストーレッジ・サービスに、
保存する。
（３）そこから埋め込みコードを引き出し、それをＢＬＯＧに貼り付ける。

従来はそういう方法を繰り返してきた。
が、今回の『自動車技術』誌は、Ａ４サイズの大型雑誌。

スキャナー時の解像度を落とすと、文字が読めなくなる。
かといて、３００dpiで収録すると、画像が大きくなり過ぎ、
通常のノートパソコン（１２～１３インチ）では、画面からはみ出してしまう。

・・・ということで、いろいろなサイズをここに収録してみる。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6980278020/&quot; title=&quot;img326 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7198/6980278020_56dee0522a_b.jpg&quot; width=&quot;728&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img326&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7126365075/&quot; title=&quot;img327 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7247/7126365075_f94c69012b_b.jpg&quot; width=&quot;735&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img327&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6980279848/&quot; title=&quot;img328 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7279/6980279848_0de1b71546_b.jpg&quot; width=&quot;765&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img328&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7126366609/&quot; title=&quot;img329 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7208/7126366609_db2772175b_b.jpg&quot; width=&quot;765&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img329&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7126367265/&quot; title=&quot;img330 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7204/7126367265_f978e410e5_b.jpg&quot; width=&quot;765&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img330&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6980281948/&quot; title=&quot;img331 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7119/6980281948_a14818b4f6_b.jpg&quot; width=&quot;765&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img331&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6980282592/&quot; title=&quot;img332 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm9.staticflickr.com/8003/6980282592_6de74d616a_b.jpg&quot; width=&quot;765&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img332&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6980283232/&quot; title=&quot;img333 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm9.staticflickr.com/8009/6980283232_0ba99b79af_b.jpg&quot; width=&quot;765&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img333&quot;&gt;&lt;/a&gt;


＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋以上、３００dpi版＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋


一度ＢＬＯＧに実験的に、ＵＰＬＯＡＤしてみたが、ほぼだいじょうぶかな（？）というところ。

みなさん、おはようございます。

はやし浩司　２０１２－０４－３０


Ｈｉｒｏｓｈｉ　Ｈａｙａｓｈｉ＋＋＋＋＋＋＋＋Ｊａｎ．２０１０＋＋＋＋＋＋＋＋＋はやし浩司    </description>
    <dc:date>2012-04-30T09:27:12+09:00</dc:date>
    <utime>1335745632</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/79.html">
    <title>子どもは人の父ｂｙはやし浩司</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/79.html</link>
    <description>
      ●子どもは人の父（完成原稿）
（日本自動車工業会・会報誌・特集（巻頭言）より）２０１２－３月

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7020685725/&quot; title=&quot;img314 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7259/7020685725_14e5257101_b.jpg&quot; width=&quot;763&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img314&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7020686301/&quot; title=&quot;img315 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7054/7020686301_22ecfc2a93_b.jpg&quot; width=&quot;763&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img315&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7020686671/&quot; title=&quot;img316 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7036/7020686671_3b45f729d1_b.jpg&quot; width=&quot;763&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img316&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6874583486/&quot; title=&quot;img317 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7272/6874583486_eff24765bc_b.jpg&quot; width=&quot;763&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img317&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7020687411/&quot; title=&quot;img318 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7117/7020687411_2a2c366769_b.jpg&quot; width=&quot;763&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img318&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6874584124/&quot; title=&quot;img319 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7206/6874584124_58dd196e53_b.jpg&quot; width=&quot;763&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img319&quot;&gt;&lt;/a&gt;


&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6874584316/&quot; title=&quot;img320 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7095/6874584316_16fe61de65_b.jpg&quot; width=&quot;763&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img320&quot;&gt;&lt;/a&gt;

（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　幼児教室　育児　教育論　Japan　はやし浩司　子どもは人の父　子供は人の父　原始反応　児童期　思春期　はやし浩司　幼児期前期　幼児期後期）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋March. 2012＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司

●小１児に、距離、時速、時間を教える。

小学１年生に、距離、時速、時間について教えました。別のもうひとつの１年生クラスでは、うまく教えられませんでしたので、このクラスでは、気合いを入れて教えてみました。（うち１人は、幼稚園を卒園したばかりの、Ｙさんです）。

が、今回は、うまく教えられました。Ｙさんが、最後の問題を解いたとき、「ヤッター！」という気分になりました。うれしかったです。２０１２年３月２７日。

&lt;iframe width=&quot;420&quot; height=&quot;315&quot; src=&quot;http://www.youtube.com/embed/v_RNFD7ljMA&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;


（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　幼児教室　育児　教育論　Japan　はやし浩司　BW幼児教室　BW子供クラブ　BW子供クラブｂｙはやし浩司）


Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋March. 2012＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司    </description>
    <dc:date>2012-03-27T22:50:39+09:00</dc:date>
    <utime>1332856239</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/78.html">
    <title>田丸謙二先生</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/78.html</link>
    <description>
      【田丸謙二先生について】（日本のマスコミの大矛盾）

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7016149635/&quot; title=&quot;img093 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm7.staticflickr.com/6096/7016149635_b0ae564fdb.jpg&quot; width=&quot;395&quot; height=&quot;499&quot; alt=&quot;img093&quot;&gt;&lt;/a&gt;

http://ktamaru.ninja-web.net/

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●触媒工学

　触媒工学の分野では、日本は最先端を独走している。
「触媒」と聞いて、「？」と思う人も多いかと思う。
その理由は、もう少しあとに書くとして、今では触媒なしに、この社会は成り立たない。
電子工学、遺伝子工学、それにつづくのが、触媒工学である。

（１９８０年ごろ、東大の研究室で会うと、田丸謙二先生は、こう話してくれた。
「電子工学（コンピューター）については、基礎研究はすでに終わりました。
しかし遺伝子工学がこうまで進歩するとは、思ってもいませんでした」と。
まだ触媒工学なるものは、日本では、ほとんど知られていなかった時代である。）

　その触媒工学の分野で、これまた最先端のトップランナーが、田丸謙二先生である。
１９７０年当時、田丸謙二先生は、こんな話をしてくれた。

「水を、触媒で、酸素と水素に分解できれば、エネルギーの問題は、すべて解決します」と。

触媒工学というのは、それをいう。

　１年ほど前会ったとき、田丸謙二先生に、「いつ成果が出ますか？」と聞いたときのこと。
先生は、笑いながらこう話してくれた。

　「現在、理研（理化学研究所）で、チームを作り、懸命に研究していますから、近くその成果が出ますよ」と。
現在、東大だけでも、田丸謙二先生の弟子が、１０人前後、教授をしている。
書き忘れたが、東大でも、当時、田丸謙二先生は、最年少で教授職に就いている。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●田丸謙二先生

　その田丸謙二先生のホームページを読んでいたら、先生に、たまらなく会いたくなった。
で、昨夜（３月２５日）遅く、メールを出すと、すぐ返事が来た。

『林様：メール有難うございました。ただ今私は「我が家」をレフォームしておりますので、その間、臨時の所（シニア・ホーム）に滞在しています。４月一杯多分滞在します。
今日は日本化学会の年会が日吉の慶応キャンパスであり、私が講演して来ました。自分ながらうまく行ってよい評判でした。くれぐれもお元気で。御急ぎの御用がありましたらどこかでお会いしましょうか。田丸謙二』と。

　折り返しメールを交換し、このｘ日に、鎌倉で会うことにした。
今日も、慶応キャンパスで、講演をしてきたとか。
１９２３年生まれということだから、今年、８９歳になる。
若いときから、田丸謙二先生という先生は、そういう人である。
５０歳を過ぎ、中国語を独学で学び、中国化学会の総会で、基調講演までこなしている（１９８２）。
しかも、中国語で！

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6870040352/&quot; title=&quot;img155 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm7.staticflickr.com/6116/6870040352_1d2f545b10.jpg&quot; width=&quot;500&quot; height=&quot;419&quot; alt=&quot;img155&quot;&gt;&lt;/a&gt;

●ファーバー研究所創立１００年祭（Fritz Haber Institut の創立百年祭）

　で、今朝、書きたいことは、このことではない。
田丸謙二先生は、先にも書いたように、世界の触媒工学の先鞭をつけた研究者である。
事実、ごく最近まで、日本は、この分野の研究では、世界の最先端を走っていた。

　その功績もあり、田丸謙二先生は、１９８４年（７月）～１９８８年（７月）まで、国際触媒学会の会長を務めている。
が、そのことを一般の人で、知っている人は、ほとんどいない。

　さらに５、６年ほど前、国際触媒学会の大会が、フランスのパリで催された。
世界中から、２０００人近い学者が集まった。
（２０００人だぞ！）
田丸謙二先生は、その学会でも、基調講演をしている。
が、そのことを知っている人も、ほとんどいない。
当時、田丸謙二先生は、こう話してくれた。

「中国人の学者がふえたのには、驚きました」と。

　ほかにも、いろいろある。
ごく最近では、昨年（２０１１）、ドイツで、ファーバー研究所創立１００年祭があった。
私たちが今、ここでこうして生きているのは、ファーバー博士のおかげと言っても過言ではない。
ファーバーは、空気中の窒素固定を成し遂げた。
それにより、人類は、まさに「空気からパンを作る」ことができるようになった。

　そのファーバー研究所創立１００年祭に、田丸謙二先生は、講師として呼ばれ、講演をしている（注※）。
田丸謙二先生の父親の田丸節郎は、ファーバーの第一弟子でもあった。
また現在の東工大、理研の産みの親でもある。
が、こういったことを、知っている人は、ほとんどいない。

　私は、それが、おかしい！、と言っている。

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7016149955/&quot; title=&quot;img187 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm7.staticflickr.com/6053/7016149955_4748967f66.jpg&quot; width=&quot;457&quot; height=&quot;500&quot; alt=&quot;img187&quot;&gt;&lt;/a&gt;
（中央左が、田丸節郎、その右が、ファーバー博士）

●日本のマスコミの大矛盾

　なぜ、日本のマスコミは、こうした重大な事実を、日本で報道しないのか。
どこかつかみどころのないタレントが、どこか理解しがたい映画を製作し、何とかという賞を取ると、それこそ狂ったように大騒ぎする。
日本の一大事のように、大騒ぎする。

　が、日本人の科学者が、フランスのパリの国際学会で、基調講演をしても、一行（一秒）も報道しない。
その情報収集能力もなければ、価値を判断する能力すら、ない。
反対に、国内では、その人物を、肩書きや地位だけで判断する。
テレビへの露出度だけで判断する。

　一方、現地のフランス国営放送は、田丸謙二先生に、スタジオでさらに再講演してもらい、それを番組として、放送している。

　日本のマスコミの姿勢のおかしさ、矛盾は、すべてこの１点に凝縮される。
その結果というか、日本の文化レベルは、落ちるところまで、落ちた。
まるで日本総ギャグ化。
お笑いタレントが、どこかの県知事になっても、だれも疑問に思わない。
日本人は、「アカデミック」という言葉のもつ意味すら、知らないのでは？

　もっと言えば、この日本では、「文化人」なるものは、テレビへの露出度で決まる。
そうでなければそうでない。

　これを「大矛盾」と呼ばずして、何と言う？

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

（注※……以下、田丸謙二先生のＨＰ（日記）より）

『●Fritz Haber Institut の創立百年祭に招待されて

　　　1911年にKaiser Wilhelm Institut として Berlinに創立された研究所が途中で Fritz Haber Institut (FHI) と名前を変えて、１０月２６日～２８日の三日間に創立百年のお祝いをした。

　　　4年前にノーベル化学賞をとった前所長の Ertl 教授の75 歳の誕生日のお祝いも兼ねて、世界中から一流の学者を招いての盛大な講演会でもあった。
参加した人たちは物理、化学は言うまでもなく化学史の専門家まで含み、千人ほどの集まりであった。
私は百年の歴史の中での「Haber と日本」と題して、原稿も見ずに、この百年の間での田丸家と Fritz Haber Institut との関連について講演をした。

　　内容的には亡父が1908年2月に Karlsruhe の Haber 研究室に留学し、「死ぬほど働いて」アンモニア合成の成功に関与し、1９11年Haber が新設されたBerlin の Kaiser Wilhelm Institut の所長になった折に直ちに亡父を所員に招き、第一次世界大戦が始まって日独が敵対関係になるまで合計6年間 Haber と共に研究をして来た。

今回においてその当時亡父が撮った百年前の写真を何枚も出して見せたのは現在見せられた聴衆にとっては大変に印象的であったようであったし、FHI としても非常に貴重なものであった。

　　　その後1918年に Haber は「空気からパンを作った」ということでノーベル化学賞を受け、1924年に星一さんの招待に応じて夫妻で来日をした。
在日中は各地で講演をし「国を発展させるには科学の振興が必要である］という、彼がドイツで英仏をしのいで国を振興させた実績に基づいた講演をし、亡父がそれを翻訳し、自分なりの科学振興の必要性も加えて、一冊の本として岩波から出版したのである。
（事実その頃の我が国から欧州への自然科学の留学の75％はドイツに行ったものである。）

　　　その影響もあってわが国では昭和一桁の非常な経済不況の中にありながら、Kaiser Wilhelm 協会をモデルにして日本学術振興会を作り、大学や研究所に研究費を増額分配し、学術論文数もほどなく倍増し、人材が育ち、アジアでも最も近代化した国になった。

ベルリン工科大学をモデル化して東京工大を新設もした。
（この両方の学術振興の実積は亡父の大変な尽力なしでは実現しなかったものである。）

　　　Haber がドイツの学術振興だけでなく結果的にはわが国でも科学振興の実績を積んだことは、科学を重視するドイツ人たちにとっても初耳であったし,大変に印象的でもあったらしい。
（わが国でもほとんど知られていない。）

　　　次世代として私が、世界で初めて触媒反応中に固体触媒表面の挙動を直接観察して、それまで反応機構は推論に基づいていただけだったのを飛躍的に発展させて、in situ characterization を開発し触媒科学が科学として生まれたことに触れてそれをErtl がそれを発展して例えば Photoemission electron microscope を用いて見事な発展をもたらしてノーベル賞に至ったことに触れ、さらに婿の大山茂生（現東京大学教授）がフンボルト賞を三年前にうけて Hajo Freund と共に、半年間FHI に滞在したことを告げて、結局田丸家は過去百年の間三代にわたり FHIと深い関係を持って来たことを紹介し、これまで一世紀の間世界をリードして来たFHI が更なる新しい世紀も世界をリードすることを願う、と言って話を閉じた。 

　　話の途中に亡父が残した百年前の写真の中にある亡父が着ていたモーニングがベルリン製であり、百年の間無事に保たれ、興味あることに私の娘の大山秀子にピッタリのサイズであることを言って、秀子がその服を着て現れた時は皆で拍手大喝采であったし、ハ―バー夫妻が鎌倉の我が家を訪問した折の写真の中に、私が母の腕の中にいた赤ん坊であって、ハーバーと直接会っている証拠でもあると言った時も拍手が湧いた。

　　話が終わってからの皆の態度はそれまでとはガラリと変わり、何十人もの人が入れ替わりに、素晴らしい話だった、wonderful だけでも、十何人か、, beautiful, elegant, moving （感動的）, gem （宝石）（招待に与った Friedrich さんの表現）、highlight (今回のCentenary の議長を務めた FTI のdirector のGerard Meijer 教授も使った表現), excellent （Ertl さんの表現）と各人なりの言葉を使って私に対してベタ褒めであった。

英語も解りやすく、素晴らしかったし、とにかく88歳の人があんな立派な presentation をするなんて考えられない、という大変な評判であった。

そうしてあの話はとても内容が素晴らしくて、話を聞いておくだけではもったいないし、是非その資料をドイツ化学会やFHIに永久に保存すべき話であるから、面倒でももう一度同じ話をして貰いたいということになり、今度は聴衆は十何人の幹部の前でもう一度 presentation をさせられた。

ビデオにまとまったら送ってくれるという。
とにかくこの上ない大変な好評であった。
ビジネスクラスの旅費まで出してくれてのご招待であったので、それに充分以上に報いることが出来て本当によかったと思った。
中には鎌倉まで人を派遣して FHIの古い資料を見せてくれないか、とまで言われた。
FHI の図書室に「田丸古文書」の枠を作ることも議論されているとのことであった。

　　昔は従来英語で苦労をすることが全くなかったが、今回は耳が遠くなり、英語が聞き難く、秀子が大分助けてくれた。
老化現象も耳の遠くなる不便さはどうにかしなければ、もっと優れた補聴器にするか、というのが正直の感じであった。
幸い招待を受けた婿が全てを手配してくれたし済ますことが出来た。
ベルリンでは日本に比べて非常な寒さであって、往復途中もよく眠れず、時差もあって肉体的に大変な苦労であったし、風邪をこじらせながらようやく無事に帰国できた。（会議が終わってから秀子たちと Romance Road を回って来た）

　　秀子が科学史の専門家に我が家には亡父が百年前に購入した Lavoisier ヤ Liebig などの手書きの手紙があると伝えたら大変に興味を示していたという。
亡父が購入したままに置いてあっただけに、多分世界で唯一の本物の手書きの手紙だけに、科学史の資料としても大変に貴重なものであるからである。

　　世界の人口は前世紀中に4倍になった。遠からず世界の人口は二百億になるという。ハーバーのお蔭で1913年に窒素肥料のアンモニアが工業的に生産され始め、何十億もの人が飢餓から救われたのでる。

2011年12月28日』
（以上、「田丸謙二先生のＨＰより」）

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7016149817/&quot; title=&quot;img176 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7104/7016149817_386134bb37_b.jpg&quot; width=&quot;560&quot; height=&quot;771&quot; alt=&quot;img176&quot;&gt;&lt;/a&gt;
（アインシュタイン博士より、田丸謙二先生へ）

（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　幼児教室　育児　教育論　Japan　はやし浩司　田丸謙二　田丸謙二先生　田丸節郎　ファーバー　はやし浩司　触媒工学）


Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋March. 2012＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司    </description>
    <dc:date>2012-03-26T11:12:11+09:00</dc:date>
    <utime>1332727931</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/77.html">
    <title>●子どもは人の父ｂｙはやし浩司</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/77.html</link>
    <description>
      ●子どもは人の父

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

Ｆｒｉｃｒを使い、レジュメを、ＢＬＯＧに載せようと四苦八苦。
どうもうまくできない。
うまくいかない。
最初のスキャンの段階で。解像度が低いためか。
それともＦｒｉｃｒの設定がまちがっているためか。
あれこれと試してみる。

で、これが３度目のチャレンジ。
これでうまくできなければ、Ｆｒｉｃｒ以外のソフトを試してみるつもり。
ＢｌｏｇにうまくＵＰできれば、それでよし。
さあ、どうかな？

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7002508075/&quot; title=&quot;img284 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7208/7002508075_c8128d0241_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img284&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7002508475/&quot; title=&quot;img285 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7180/7002508475_d8266134fc_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img285&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7002508981/&quot; title=&quot;img286 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm7.staticflickr.com/6031/7002508981_ce2df1dab5_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img286&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6856394306/&quot; title=&quot;img287 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7084/6856394306_d1c4602714_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img287&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6856394618/&quot; title=&quot;img288 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7196/6856394618_627a043305_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img288&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7002510059/&quot; title=&quot;img289 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm7.staticflickr.com/6101/7002510059_15324a3eb7_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img289&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6856395354/&quot; title=&quot;img290 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7036/6856395354_979f8083f8_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img290&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7002510711/&quot; title=&quot;img291 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7272/7002510711_60571d1a1b_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img291&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6856396294/&quot; title=&quot;img292 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7215/6856396294_1c6987f31f_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img292&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6856396720/&quot; title=&quot;img293 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7214/6856396720_5770a0e591_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img293&quot;&gt;&lt;/a&gt;

&lt;a href=&quot;http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6856397098/&quot; title=&quot;img294 by bwhayashibw, on Flickr&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://farm8.staticflickr.com/7048/6856397098_6b683cd8d9_b.jpg&quot; width=&quot;725&quot; height=&quot;1024&quot; alt=&quot;img294&quot;&gt;&lt;/a&gt;

子どもは人の父　　１０２４（７２５ｘ１０２４サイズ）＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊以上    </description>
    <dc:date>2012-03-21T23:37:00+09:00</dc:date>
    <utime>1332340620</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/76.html">
    <title>●日本海の呼称問題について</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/76.html</link>
    <description>
      To the people of USA：（アメリカの人たちへ）v.2

*Exaggerated nationalism of South Koreans（韓国人の過激な民族主義）
Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea? （どうして日本海が、「東海」なのか？）


●韓国の人たちよ、どうして「日本海」では、いけないのか？

　私の意見に賛成の人は、下記（A）～（B）までを、コピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい。
訳文は、この原稿の終わりにつけておく。

（A）

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea”?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike “Japan” and now they have been trying to alter the name of “Sea of Japan (Japan Sea)” into “Tonghae” or “East Sea”.
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason why they insist so.


But if so, there would be hundreds of “East Sea” in the world, since each country has “East”.
In Japan we have a well-known proverb, saying, “If you dislike a priest, you hate his robe too”.


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: “The exaggerated nationalism is very dangerous”.
Sea of Japan (Japan Sea) has been “Sea of Japan (Japan Sea)” for more than 120 years and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to Japan in 1853, Sea of Japan is “Japan Sea”.

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) “Gulf of Mexico”?
Why doesn’t USA try to alter the name into “South Gulf”?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don’t have to listen to South Korea’s meaningless opinion.


In the website of “Sea of Japan, No East sea” someone writes as follows:


“Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese character and documents. 
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having hostility toward Japan and Japanese.
I am protesting those stupid Korean&#039;s Structural Violence and expansionism, new fascism.”


I agree to this opinion.

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan 


（B）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

【読者のみなさんへ】

●私たちも声をあげよう！


韓国の東亜日報は、つぎのような記事をかかげている。
「『東海・日本海』併記について、バージニア州上院は、１票差で否決した※」（２０１２年０１月２８日）と。
つまり「いろいろ働きかけてはみたが、教科書に、『東海・日本海』と併記させることについて、バージニア州では、失敗した」と。

韓国はノ大統領の時代から、世界各国に専門の特使まで派遣し、「日本海」を「東海（トンヘ）」に改名する運動を重ねている。
「日本海」という呼称が、どうにもこうにも気に入らないらしい。
その気持ちはよくわかる。
が、どうして日本海が「東海」なのか？
　
韓国から見れば、確かに「東の海」。
が、日本から見れば、「北西の海」。
ロシアから見れば、「東南の海」。
これほどまでに自己中心性丸出しの呼び方は、そうはない。
もし世界中の国々が、自分の国を中心に、東西南北の海の名前を決めたら、それこそ「東海」という名前は、国の数だけ生まれることになる。

そこで韓国はバランスをとるため、黄海を、独自に、「西海」と呼んでいる。
が、こちらのほうは、目立った運動は、まったくしていない。
つまり「おまけ」。
韓国は、要するに、「日本」という文字がよほど気に入らないらしい。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●「日本海」問題

　日本海の呼称問題については、たびたび書いてきた。
ここでは、もう一歩、さらに話の内容を進めてみたい。
その第一。

　日本人は、あまりにも、おとなし過ぎる！

　どうして日本はもっと積極的に発言し、行動しないのか。
韓国が特使を派遣したら、日本も派遣すればよい。
韓国が騒いだら、日本も同じだけ、騒げばよい。

　昨年（２０１１年５月）書いた原稿を、もう一度掲載する。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●「東海（トンヘ）」問題　（동해　ｖｓ. 일본해)

　『坊主憎ければ……』とかいうが、韓国は、「日本海」という名称が、よほど、気に入らないらしい。

　で、韓国政府は、全世界の各国に「特使」まで送って、「日本海」を「東海」へ変更しようと努力している。
（「特使」だぞ！　わかるか！）

が、どうして「東海」なのか。
これほどまでに自己中心的な発想はない。
もしロシアが、「太平洋を『東方洋』にせよ」と主張したら、世界はロシアをどう思うだろうか。

　ついでに韓国は、黄海を、「西海」にしようとしている。
そうでも言わないと、バランス（＝整合性）が取れないからだ。
が、無理は無理。
韓国政府も、やっとそれに気づき始めた。

　中央日報（韓国）は、つぎのように伝える。

『韓国政府は国際社会の東海（トンヘ、日本名・日本海）表記と関連し、「東海」と「日本海」を併記すべきだという意見を国際水路機関（ＩＨＯ）に提出したと、政府当局者が１日明らかにした。 

当局者は「ＩＨＯ側が２日までに東海表記に関する公式意見を伝えてほしいと要求してきた」とし、「東海単独表記主張は成功する可能性がないと判断した」と説明した』（５月４日）と。

　繰り返すが、どこの国に対して、「東」なのか？
日本にとっては、日本海は、「北海」。
あるいは、「北西海」。
もしこんなメチャメチャな改名が許されるとしたら、それこそ世界は、大混乱。
「東海」だけでも、世界中に、何千も生まれる。

　ついでに……

対馬海峡→（韓国の）南海
東シナ海→（台湾の）北海
台湾海峡→中国海峡
南シナ海→北フィリッピン海
フィリッピン海→グアム海、などなどとしたら、どうか？

そのうちベンガル湾も、インドの東にあるということで、「東海」になるかもしれない。
アラビア海は、パキスタンの南にあるから、「南海」になるかもしれない。

　特使まで送って改名させようとしているところが、すごい。
……というか、バカげている。

　原稿をさがしてみたら、２００７年の５月に、同じ原稿を書いているのがわかった。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●またまた「東海（トンヘ）」？（２００７年５月記）

Why should the Japan Sea (Sea of Japan) be the Eastern Sea?
The Japan Sea (Sea of Japan) is situated to the east of Korea, 
but is situated to the north to Japan.

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

韓国にとっては、東海（トンヘ）かも
しれないが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。

どうして韓国は、こうまで「東海」に
こだわるのか？

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

　『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺（ことわざ）を、地で行くような事例が、これ。
今も、つづいている。
韓国は、数年前から世界各国に特使まで送り、「日本海」を、「東海（トンヘ）」に改称しようと運動を重ねている。

　韓国にとっては、たしかに「東海」だが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。
韓国は、よほど、「日本」という名前が嫌いらしい。
「日本海」ではなく、「日本」という名称が嫌いらしい。

　しかし日本の周辺を見ただけでも、その地域や固有の名前がついた海というのは、いくらでもある。

　北から、東シベリア海、ベーリング海、オホーツク海、東シナ海、台湾海峡、フィリッピン海、南シナ海などなど。

　しかし「東海」などという、自己中心性丸出しの名前は、どこにもない。
英語で言えば、「the Eastern Sea（東海）」。
「トンヘの意味は？」と聞かれたら、韓国の人たちは、何と答えるのか。

　こんな改名がまかり通るなら、まず日本とフィリッピンの間にある「フィリッピン海」を、「南海」としたらどうか。
が、韓国にとっては、それはおもしろくないらしい。
こんな記事が、今朝の朝鮮Ｎ報に載っていた。

　『５月７日からモナコで開かれる、国際水路機構（ＩＨＯ）総会に参加する、加盟国78カ国のうち、大多数が「日本海」の単独表記を支持していることが判明し、韓国政府に緊張が走っている。

　韓国政府当局者は３０日、ＩＨＯ総会に関するブリーフィングを開き、「現在の状況では大多数のＩＨＯ加盟国が日本海単独表記を支持しているが、どのような状況であれ、日本海が単独表記されることを絶対に容認することはできないというの、われわれの基本的な立場」と述べた』（０７年５月１日）と。

　どうして容認することができないのか？　
韓国側は、その理由も述べたらよい。と、同時に、どうして日本海ではいけないのか。
その理由も述べたらよい。
さらに、どうして「東海」なのか、その理由も述べたらよい。

　仮に「東海」ということになれば、今度は、日本が猛反対するだろう。
「どうして東海なのか」と。

　さすがの韓国政府も、自分たちの愚かさに気づいたのだろう。
今度は、「平和の海」という代案を出してきた。
「平和」という名前は、Ｋ国が好んで使う名称でもある。今の今も、あの３８度線をはさんで、韓国側にある村を、「自由の村」と呼び、Ｋ国側にある村を、「平和の村」と呼んでいる。

　が、その「平和の海」論も、どこかへ消えた。
そこで再び、「東海」。
「併記問題」。
今度は、「日本海と東海を併記せよ」と。

　こうした韓国側の動きを見ていると、反日運動の原点を見ているようで、興味深い。
つまり韓国にとってみれば、日本の存在そのものが、おもしろくないのだ。
理由など、ない。
まさに感情論。
彼らが主張するところの歴史認識問題にしても、そのうちの何割か以上は、その感情論と考えてよい。

　しかし一言。
韓国政府も、いちいちそんな（名称）の問題にこだわらないで、もっと大きな問題に取り組んでみたらどうか？　
たとえば国連への分担金を一人前にふやすとか、そういうことを考えてみたらどうか？　あるいは政府開発援助金を、人口比に応じて、せめて日本の３分の１くらいにまで、ふやすとか……。

　そういうことはまったくせず、主張することだけは、一人前。
あるいはそれ以上！

　どちらにせよ、「東海」などという呼称そのものが、私たち日本人にとっては、言語道断。
どうして日本の北にある日本海が、東海なのか。
日本としては、絶対に容認できない呼称である。

ちなみに国際水路機構（ＩＨＯ）総会では、大多数が、「日本海」の単独表記を支持しているという。
当然のことである。

（付記）今まで、直接的な批判を避け、あえて東海を「西海」などとまぶして、批判記事を書いてきましたが、今日から、正面から、「東海」とすることにしました。

（以上、２００７年５月に書いた原稿より）

●グーグル翻訳でも……

　グーグル翻訳サービスを使って、「日本海」を韓国語に翻訳すると、韓国語で「東海」と翻訳される。
韓国政府は、すでにグーグルにまで、こうした手を伸ばしている。
日本よ、油断するな！

（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　韓国　東海（トンヘ）　日本海名称問題　日本海と東海　韓国の反日感情　反日運動　はやし浩司　日本海　東海呼称問題）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●日本人よ、もっと声をあげよう！

　日本人よ、もっと声をあげよう。
方法は、簡単。
もしみなさんがＢＬＯＧ（Twitter）を書いているなら、以下の文面をコピーし、あなたのＢＬＯＧに貼りつけてほしい。

　ネットの世界では、同じ意見でも、数が多ければ多いほど、検索時に上位に表示される。
アメリカをはじめ、世界の人たちの目に留まる。
それが重要。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

（A~Bまでの訳文）

●どうして日本海が、「東海」なのか？

　私たち日本人は、韓国人（朝鮮人）が、日本を嫌っていることを知っている。
そして今、日本海という名前を、「トンヘ」つまり、「東海」と改名しようとしていることを知っている。
日本海は、朝鮮半島の東側に位置する。
それが彼らの主張の根拠になっている。

が、もしそうなら、世界中に、何百という「東海」が生まれるだろう。
というのも、それぞれの国に、「東」があるからである。

日本には、『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺がある。
あのA・アインシュタインは、[[田丸謙二先生]]への手紙の中で、こう書いている。
「過激な民族主義は危険である」と。

「日本海」という名前は、１００年以上も、世界の常識として使われている。
１８５３年に日本に来航した、マシュー・ペリー提督が使った地図でも、日本海は「日本海」になっている。
でないというのなら、どうしてメキシコ湾が「メキシコ湾」なのか。
アメリカは、どうしてメキシコ湾を、「南湾」と改名しようとしないのか。
なぜなら、この種のナショナリズムが、馬鹿げていることをアメリカ人は、知っているからである。

どうか韓国の、馬鹿げた意見に耳を貸さないでほしい。

『日本海であって、東海ではない』（Sea of Japan, No East Sea）サイトの中には、次のような意見が載っている。

『……韓国政府および韓国の国粋主義者たちは、漢字や漢字で書かれた書類を読めない子どもやマスメディアの世界において、洗脳プロパガンダ（＝政治的情宣活動）を繰り広げている。

これらの攻撃的なプロパガンダは、無邪気な子どもたちをたきつけ、日本や日本人に対する敵意を煽（あお）り立てている。
私はこれらの愚かな、構造的暴力、さらには拡張主義、つまり新しいタイプのファシズムに、抗議する』（以上、同サイトより）と。

私は、この意見に同意する。

浜松市　はやし浩司


＋＋＋＋＋＋＋＋以下、コピーし、あなたのＢＬＯＧに貼りつけてほしい＋＋＋＋＋＋

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

（A）

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea”?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike “Japan” and now they have been trying to alter the name of “Sea of Japan (Japan Sea)” into “Tonghae” or “East Sea”.
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason why they insist so.


But if so, there would be hundreds of “East Sea” in the world, since each country has “East”.
In Japan we have a well-known proverb, saying, “If you dislike a priest, you hate his robe too”.


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: “The exaggerated nationalism is very dangerous”.
Sea of Japan (Japan Sea) has been “Sea of Japan (Japan Sea)” for more than 120 years and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to Japan in 1853, Sea of Japan is “Japan Sea”.

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) “Gulf of Mexico”?
Why doesn’t USA try to alter the name into “South Gulf”?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don’t have to listen to South Korea’s meaningless opinion.


In the website of “Sea of Japan, No East sea”, someone writes as follows:


“Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese character and documents. 
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having hostility toward Japan and Japanese.
 I am protesting those stupid Korean&#039;s Structural Violence and expansionism, new fascism.”
I agree to this opinion.


Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan 


（B）

＋＋＋＋以上　（A）~(B)をコピーし、あなたのＢＬＯＧに貼りつけてほしい＋＋＋＋＋＋

●「教科書」

　ついでに一言。

　東亜日報紙は、この記事※の中で、「教科書」という言葉に、こだわっているのがわかる。
が、アメリカの学校には、「教科書」と呼ばれる教科書は、ない。
「テキスト」はある。
が、教科書はない。
民間の出版社が発刊する、テキストである。
それぞれの学校が、自由に、それぞれのテキストを使っている。

そもそも、日本のような検定制度そのものが、アメリカには、ない。
だから、州議会に働きかけても、意味がない。
州議会で仮に併記を議決したとしても、法的拘束力はない。
それを知ってか知らずか、「教科書」という言葉を使っているところが、恐ろしい。

日本政府は、教科書について、検定済み教科書であって、国定教科書ではないと主張している。
が、これはウソ。
「検定(authorized)」も「国定(authorised)」も、英語に翻訳すれば、同じ。

なおついでながら、オーストラリアにも検定制度はある。
民間団体が、自主的にそれを行っている。
行っているが、検定するのは、暴力と性描写のみ。
むしろ逆で、州政府は、「政治的な表現については、検定してはならない」と、釘をさしている（南オーストラリア州）。
小学低学年時には、テキストすら使っていないところもある。

　繰り返す。
アメリカには検定制度そのものがない。
ないから、「教科書」という言い方そのものが、適切ではない。
「テキスト」は「テキスト」。
どうか誤解のないように！

　日本も、教科書検定制度なるものを廃止したらよい。
戦時中の日本ならいざ知らず、２０１２年の今、国定教科書とは！
今どき「教科書」を使い、国民の思想統一しているのは、そこらの独裁国家くらいなもの。
日本よ、日本人よ、いいかげんに、目を覚ませ！

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

（注※……東亜日報紙の記事・全文）

『米教科書の「東海・日本海」併記、バージニア州上院１票差で否決
米バージニア州議会で推進された「東海（トンヘ）と日本海の教科書併記法案（ＳＢ２００）」（東海併記法案）が否決された。 
１５人で構成された州議会上院の教育保健委員会は２６日、全体会議を開き、東海併記法案に対する採決を実施し、賛成７票、反対８票で否決した。
同日の採決では、賛成７票と反対７票で拮抗したが、キャスティングボートを握るスティーブン・マーティン委員長（共和）が反対票を投じ、否決された。 

デヴィッド・マースデン議員（民主）が１１日に提出した同法案は、バージニア州内の公立学校で使用される１年生から１２年生用の教科書に東海と日本海を併記することを義務づける内容を含んでおり、１６日に教育委小委員会を通過した。 

小委員会を通過した時は、全体会議の通過が有力視されたが、共和党議員を中心に親日ムードが生まれ、否決されたという』（以上「東亜日報」より）と。

なお日本のＭＳＮ・産経ニュースは、つぎのように伝えている。

『……米ワシントン近郊のバージニア州議会で、州内の公立学校の教科書に日本海を「東海」と併記することを求める州法案の採決が行われ、１票差で否決されたことが分かった。

歴史的事実を知らない地方議員が韓国系団体のロビー活動を受けて法案を提出していた。

米国では最近、韓国系米国人らが日本の教科書の使用中止を求める動きもあり、日本政府は官民を挙げた対策が求められている』（ＭＳＮニュース・２０１２年１月２９日）と。

（はやし浩司　教育　林　浩司　林浩司　Hiroshi Hayashi　幼児教育　教育評論　幼児教育評論　はやし浩司　東海　日本海　呼称問題　行き過ぎたナショナリズム　過激な民族主義　韓国のはやし浩司　東海呼称問題　Tong Hae　Tonghae　東海　はやし浩司　Eggerrated Nationalism of South Korea 韓国のファシズム　はやし浩司　民族主義　はやし浩司　メキシコ湾を南海に　ペリー提督の地図）
はやし浩司　２０１２－０１－２９朝記


Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋Jan. ２０１２＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司    </description>
    <dc:date>2012-01-29T17:25:45+09:00</dc:date>
    <utime>1327825545</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/75.html">
    <title>●イエスキリストも孤独だった（マザーテレサ）</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/75.html</link>
    <description>
      &amp;bold(){【生き様論】「己こそ、己のよるべ」}*大見出し

（はやし浩司　２０１２－０１－０１夜記）

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

年賀状を１枚、１枚、読む。
読みながら、こう思う。
「若いころは気づかなかったが、みな、それぞれの思いをもち、
年賀状を書いているのだなあ」と。

思いといっても、いろいろある。
平たく言えば、「こだわり」。

ことさら幸福であることを演出してみせる人、
虚勢を張る人、
有意義な人生を送っていることを自慢する人、
活躍ぶりを書いてくる人、などなど。

人はそれぞれ何かの負い目をもって生きている。
そういった負い目が、そのまま年賀状に表れる。
それが悪いというのではない。
人、それぞれ。
かく書く私だって、年賀状の中に、自分の負い目を織り込む。

子どものころからお金（マネー）に苦労した人は、
立派なビルを建てたことを、誇らしげに書いてくる。
家族に恵まれなかった人は、多人数の家族に囲まれた
写真のある年賀状を送ってくる。

その点、生徒がくれる年賀状には、イヤミがない。
ありのままを、そのまま書いてくる。
自分を飾らない。
おとなのような、腹芸を使わない。

では、私は、どうなのか？

これは年賀状をどうとらえるかによっても決まるが、
私は子どものころから、「年賀状というのは、それを
読んでくれる人を楽しませるもの」と考えていた。
だから毎年、趣向をこらし、あれこれと工夫した。

最近は、もっぱら読んでくれる人にとって、役立つことを
書くようにしている。
今年は、漢方で説く、五臓六腑論を図示したものを載せた。

が、このやり方が正しいというわけではない。
「年賀状は、人と人の絆（きずな）を深めるもの」と説く人もいる。
そういう人たちは、たがいに消息を知らせることで、
絆を深めている（？）。

要するに書き方も、人それぞれなら、解釈の仕方も、
人それぞれということ。
ただ最近の私は、年賀状をもらいながら、こう考える。
表面的な文言ではなく、また写真でもなく、「この人は
この年賀状で、みなに、何を伝えたいのか？」と。

そういう視点で見ると、中にはイヤミな年賀状もあるにはある。
こちらが聞きたくもないような話を、あえて年賀状の中に
織り込んでくる。
そういうときは、こう思う。
「ならば、どうして年賀状など、送ってくるのか？」と。

もちろん９９・９％の年賀状は、もらってうれしい。
知りあいが元気でやっているのを知るのは、楽しいというより、
それによって、ほっとした安堵感を覚える。
ともすれば狭くなりがちな世界に、空間を与えてくれる。
過去という時間を与えてくれる。

ともかくも、人はそれぞれの負い目を抱きながら、生きている。
年賀状には、それがストレートに表れる。
年賀状を、そういう目で見るのも、また楽しい。

では、また硬い話を……。
平均余命まで、残り、１５年を切った。
つまらないことを書き、時間を無駄にするのは、やめた。

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

【己こそ、己のよるべ論】

●ジョン・レノン

ジョン・レノンは、つぎのように言っている。

★You make your own dream. That&#039;s the Beatles&#039; story, isn&#039;t it? That&#039;s Yoko&#039;s story . That&#039;s what I&#039;m saying now. Produce your own dream. If you want to save Peru, go save Peru. It&#039;s quite possible to do anything, but not to put it on the leaders and the parking meters. Don&#039;t expect Jimmy Carter or Ronald Reagan or John Lennon or Yoko Ono or Bob Dylan or Jesus Christ to come and do it for you. You have to do it yourself. That&#039;s what the great masters and mistresses have been saying ever since time began. They can point the way, leave signposts and little instructions in various books that are now called holy and worshipped for the cover of the book and not for what it says, but the instructions are all there for all to see, have always been and always will be. There&#039;s nothing new under the sun. All the roads lead to Rome. And people cannot provide it for you. I can&#039;t wake you up. You can wake you up. I can&#039;t cure you. You can cure you. 
……John Lennon, In Music/John Lennon 

君は、自分の夢を作るよね。それはビートルズの物語だよね。それはヨーコの物語だよ。そのことを今、ぼくは言っているよ。君自身の夢を生み出しなよ。ペルーを救いたかったら、ペルーへ行って、救えばいい。何だってできるよ。しかしね、それをどこかのリーダーに任せたり、パーキングメーターに任せちゃ、だめだよ。

ジミー・カーターや、ロナルド・レーガンや、ジョン・レノンや、ヨーコ・オノや、ボブ・ディラン、あるいはイエス・キリストが、君のためにやってきて、君のためにするなんて、期待しちゃ、だめだよ。自分でしなければ、いけないよ。

それは、この世が始まってからというもの、偉大な人たちが、みんな言っていることだよ。彼らはみな、いろいろな本の中で、道を示して、道しるべを立て、少しのやり方を示すことはできるよ。本の表紙を飾るために、神聖なとか、いろいろ書いてはあるけどね。しかしそのやり方というのは、そこにあるんだ。今までもあったし、これからも、ね。

太陽の下には、何も新しいものはないよ。すべての道はローマにつづくよ。だれも、君のためにはしてくれないよ。ぼくだって、君を起こすことはできない。癒（いや）すことはできない。君だけが、それをできるよ。
（ジョン・レノン・「In Music」の中で）

●仏教では

　ついでに言えば、釈迦だって、何もできない。
あなたに道を示すことはできても、あたなを助けることはできない。
いくらあなたが一心不乱に祈ったとしても、だ。
釈迦は、こう言っている。
『己こそ、己のよるべ』（法句経）と。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、たれ（誰）によるべぞ』（法句経）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●中日新聞に掲載記事より

　法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、たれによるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

（「原始」という言葉は、後の仏教学者たちが、（さげすむ目的）で使った。
北伝仏教を、「大乗仏教」と呼ぶのも、そのひとつ。
「自分たちの仏教こそが本物」という理由で、「原始」という言葉を使い、「大乗」という言葉を使った。
「原始」という言葉に、誤った先入観をもってはいけない。）

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。
その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

　この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。
自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。
つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。
好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。
子育ての基本は、この「自由」にある。

　子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。
が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイプの母親は、それを許さない。
先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

　このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。
その不信感が姿を変えて、過干渉となる。
大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。
ある母親は今の夫といやいや結婚した。
だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの！」と、はげしく叱っていた。

　次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。
あるいは自分で行動させない。
いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。
「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護（ひご）のもとだけで子育てをするなど。
子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。
俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。
外へ出すと、すぐ風邪をひく。

　さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。
自分と子どもの間に垣根がない。
自分イコール、子どもというような考え方をする。
ある母親はこう言った。
「子ども同士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子（中２）が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。
たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

　己のことは己によらせる。
一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

法句経については、
何度も書いてきた。
以下の原稿は、２００２年７月に書いたもの。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

【家庭内宗教戦争】

　福井県Ｓ市に住む男性（４７歳）から、こんな深刻な手紙が届いた。
いわく「妻が、新興宗教のＴ仏教会に入信し、家の中がめちゃめちゃになってしまいました」と。
長い手紙だった。その手紙を箇条書きにすると、だいたいつぎのようになる。

●明けても暮れても、妻が話すことは、教団の指導者のＴ氏のことばかり。

●ふだんの会話は平穏だが、少し人生論などがからんだ話になると、突然、雰囲気が緊迫してしまう。

●「この家がうまくいくのは、私の信仰のおかげ」「私とあなたは本当は前世の因縁で結ばれていなかった」など、わけのわからないことを妻が言う。

●朝夕の、儀式が義務づけられていて、そのため計二時間ほど、そのために時間を費やしている。
布教活動のため、昼間はほとんど家にいない。地域の活動も多い。

●「教団を批判したり、教団をやめると、バチが当る」ということで、（夫が）教団を批判しただけで、「今にバチが当る」と、（妻は）それにおびえる。

●何とかして妻の目をさまさせてやりたいが、それを口にすると、「あなたこそ、目をさまして」と、逆にやり返される。

　今、深刻な家庭内宗教戦争に悩んでいる人は、多い。
たいていは夫が知らないうちに妻がどこかの教団に入信するというケース。
最初は隠れがちに信仰していた妻も、あるときを超えると、急に、おおっぴらに信仰するようになる。
そして最悪のばあい、夫婦は、「もう一方も入信するか、それとも離婚するか」という状況に追い込まれる。

　こうしたケースで、第一に考えなければならないのは、（夫は）「妻の宗教で、家庭がバラバラになった」と訴えるが、妻の宗教で、バラバラになったのではないということ。
すでにその前からバラバラ、つまり危機的な状況であったということ。
それに気がつかなかったのは、夫だけということになる。

よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではない。宗教を求める信者がいるから、宗教がある。
とくにこうした新興宗教は、心にスキ間のできた人を巧みに勧誘し、結果として、自分の勢力を伸ばす。
しかしこうした考え方は、釈迦自身がもっとも忌み嫌った方法である。釈迦、つまりゴータマ・ブッダは、『スッタニパータ』（原始仏教の経典）の中で、つぎのように述べている。

　『それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ』（二・二六）と。

生きるのはあくまでも自分自身である。そしてその自分が頼るべきは、「法」である、と。宗派や教団をつくり、自説の正しさを主張しながら、信者を指導するのは、そもそもゴータマ・ブッダのやり方ではない。
ゴータマ・ブッダは、だれかれに隔てなく法を説き、その法をおしみなく与えた。
死の臨終に際しても、こう言っている。

　「修行僧たちよ、これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良く知ってたもって、実践し、盛んにしなさい。
それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすものであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐（あわ）れむために、神々の人々との利益・幸福になるためである」（中村元訳「原始仏典を読む」岩波書店より）と。

そして中村元氏は、聖徳太子や親鸞（しんらん）の名をあげ、数は少ないが、こうした法の説き方をした人は、日本にもいたと書いている（同書）。

　また原始仏教というと、「遅れている」と感ずる人がいるかもしれない。
事実、「あとの書かれた経典ほど、釈迦の真意に近い」と主張する人もいる。

たとえば今、ぼう大な数の経典（大蔵経）が日本に氾濫（はんらん）している。
そしてそれぞれが宗派や教団を組み、「これこそが釈迦の言葉だ」「私が信仰する経典こそが、唯一絶対である」と主張している。
それはそれとして、つまりどの経典が正しくて、どれがそうでないかということは別にして、しかしその中でも、もっとも古いもの、つまり歴史上人物としてのゴータマ・ブッダ
（釈迦）の教えにもっとも近いものということになるなら、『スッタニバータ（経の集成）』が、そのうちのひとつであるということは常識。

中村元氏（東大元教授、日本の宗教学の最高権威・故人）も、「原始仏典を読む」の中で、「原典批判研究を行っている諸学者の間では、異論がないのです」（「原始仏典を読む」）と書いている。
で、そのスッタニバータの中で、日本でもよく知られているのが、『ダンマパダ（法句）』である。
中国で、法句経として訳されたものがそれである。
この一節は、その法句経の一節である。

　私の立場ではこれ以上のことは書けないが、一応、私の考えを書いておく。

●ゴータマ・ブッダは、『スッタニパーダ』の中では、来世とか前世とかいう言葉は、いっさい使っていない。
いないばかりか、「今を懸命に生きることこそ、大切」と、随所で教えている。

●こうした新興宗教教団では、「信仰すれば功徳が得られ、信仰から離れればバチがあたる」
と教えるところが多い。

しかし無量無辺に心が広いから、「仏（ほとけ）」という。
（だからといって、仏の心に甘えてはいけないが……。）
そういう仏が、自分が批判されたとか、あるいは自分から離れたからといって、バチなど与えない。

とくに絶対真理を求め、世俗を超越したゴータマ・ブッダなら、いちいちそんなこと、気にしない。
大学の教授が、幼稚園児に「あなたはまちがっている」とか、「バカ！」と言われて、怒るだろうか。
バチなど与えるだろうか。
ものごとは常識で考えたらよい。

●こうしたケースで、夫が妻の新興をやめさせようとすればするほど、妻はかたくなに心のドアを閉ざす。
「なぜ妻は信仰しているか」ではなく、「なぜ妻は信仰に走ったか」という視点で、夫
婦のあり方をもう一度、反省してみる。
時間はかかるが、夫の妻に対する愛情こそが、妻の目をさまさせる唯一の方法である。

　ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」（パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一巻三二頁）と言っている。
友というのは、いたわりあい、なぐいさめあい、教えあい、助けあい、そして全幅の心を開いて迎えあう関係をいう。
夫婦で宗教戦争をするということ自体、その時点で、すでに夫婦関係は崩壊したとみる。

繰りかえすが、妻が信仰に走ったから、夫婦関係が危機的な状況になったのではない。
すでにその前から、危機的状況にあったとみる。

　ただこういうことだけは言える。

　この文を読んだ人で、いつか何らかの機会で、宗教に身を寄せる人がいるかもしれない。
あるいは今、身を寄せつつある人もいるかもしれない。
そういう人でも、つぎの鉄則だけは守ってほしい。

（１）新興宗教には、夫だけ、あるいは妻だけでは接近しないこと。

（２）入信するにしても、必ず、夫もしくは、妻の理解と了解を求めること。

（３）仏教系の新興宗教に入信するにしても、一度は、『ダンマパダ（法句経）』を読んでからにしてほしいということ。読んで、決して、損はない。

（０２－７－２４）

【注】

　法句経を読んで、まず最初に思うことは、たいへんわかりやすいということ。
話し言葉のままと言ってもよい。
もともと吟詠する目的で書かれた文章である。
それが法句経の特徴でもあるが、今の今でも、パーリ語（聖典語）で読めば、ふつうに理解できる内容だという（中村元氏）。
しかしこの日本では、だいぶ事情が違う。

　仏教の経典というだけで、一般の人には、意味不明。
寺の僧侶が読む経典にしても、ほとんどの人には何がなんだかさっぱりわけがわからない。
肝心の中国人が聞いてもわからないのだからどうしようもない。

さらに経典に書かれた漢文にしても、今ではそれを読んで理解できる中国人は、ほとんどいない。
いるわけがない。

（サンスクリット語の当て字によるものというのが、その理由である。
たとえば、サンスクリット語では、「ナム」＝「帰依する」、「ミョウホウ」＝「不思議な」、「レンゲ」＝「因果な物語」を、それぞれ意味する。
それぞれに漢語（中国語）の漢字を当てた。

だから「南無妙法蓮華」は、「不思議な因果な物語」という意味になる。
南無も、妙法も、蓮華も、すべて当て字。）

そういうものを、まことしやかにというか、もったいぶってというか、祭壇の前で、僧侶がうやうやしく読みあげる。
そしてそれを聞いた人は、意味もなくありがたがる……。
日本の仏教のおかしさは、すべてこの一点に集約される。

　それだけではない。釈迦の言葉といいながら、経典のほとんどは、釈迦滅後、数百年からそれ以上の年月をおいてから、書かれたものばかり。

中村元氏は、生前、何かの本で、「大乗非仏説」（チベット→中国→日本へ入ってきた大乗仏教は、釈迦の説いた本来の仏教ではない）を唱えていたが、それが世界の常識。
こうした世界の常識にいまだに背を向けているのが、この日本ということになる。

　たとえば法句経をざっと読んでも、「人はどのように生きるべきか」ということは書いてあるが、来世とか前世とか、そんなことは一言も触れていない。
むしろ法句経の中には、釈迦が来世を否定しているようなところさえある。
法句経の中の一節を紹介しよう。

　『あの世があると思えば、ある。ないと思えば、ない』※

　来世、前世論をさかんに主張するのは、ヒンズー教であり、チベット密教である。
そういう意味では、日本の仏教は、仏教というより、ヒンズー教やチベット密教により近い。
「チベット密教そのもの」と主張する学者もいる。

　チベット密教では、わけのわからない呪文を唱えて、国を治めたり、人の病気を治したりする。
護摩（ごま）をたくのもそのひとつ。
みなさんも、どこかの寺で僧侶が祭壇でバチバチと護摩をたいているところを見たことがあると思う。
あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、仏教の儀式ではない。
釈迦自身は、そうしたヒンズー教の儀式を否定すらしている。

『木片を焼いて清らかになると思ってはいけない。
外のものによって、完全な清浄を得たいと願っても、それによっては清らかな心とはならない。
バラモンよ、われは木片を焼くのを放棄して、内部の火をともす』（パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一巻一六九ページ）と。

　仏教は仏教だが、日本の仏教も、一度、原点から見なおしてみる必要があるのではないだろうか。

（はやし浩司　家庭教育　育児　育児評論　教育評論　幼児教育　子育て　はやし浩司　過去論　前世論　未来論　来世論　はやし浩司　仏教論　日本の仏教　法句教　ダンニパダ　ゴータマ・ブッダ　はやし浩司　木片を焼いて　バラモン　はやし浩司　中村元　中村　元　原始仏教　北伝仏教　大乗仏教　はやし浩司　パーリ原本協会）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

２００３年６月、今から９年ほど前に
こんなことを書いていた。

宗教とは何か。
それについて書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●未来と過去

　未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満５５歳くらいを境にして、入れかわるという。
ある心理学の本（それほど権威のある本ではない）に、そう書いてあった。
しかしこれには、当然、個人差がある。

　７０歳になっても、あるいは８０歳になっても、未来に目を向けている人は多い。
反対に、４０歳の人でも、３０歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。
もちろんどちらがよいとか、悪いとかいうのではない。
ただ満５５歳くらいを境に、未来を思う心と、過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大きくなるということらしい。

　が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。
それはほとんど毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。
そういう子どもたちには、未来はあっても、過去は、ない。
が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。
私にとって大切なのは、「今」。
１０年後、あるいは２０年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」という程度のことでしかない。

　ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。
しかし釈迦の経典※をいくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。
イエス・キリストも、天国の話はしたが、前世論や来世論とは、異質のものだ。

（※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。
日本に入ってきた仏教典のほとんどは、釈迦滅後４、５００年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミックスされてできた経典である。
とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したのが、ヒンズー教である。）

　今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。
あるいは「あればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。
本当のところはよくわからないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

　本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私のようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。
少なくとも、私が神や仏なら、はやし浩司など、相手にしない。
どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。
小市民的で、スケールも貧弱。
仮に天国があるとしても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

　だからよけいに未来には、夢を託さない。
与えられた「今」を、徹底的に生きる。
それしかない。
それに老後は、そこまできている。
いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。
そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

　個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつかしむようになったら、おしまいということ。
あるいはもっと現実的には、過去の栄華や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。
そういう老人は、いくらでもいるが、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

　そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進（しょうじん）」という言葉を使って、「日々に前進することこそ、大切だ」と教えている。
しかも「死ぬまで」と。
わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。
そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。
人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向きに生きるところにある。
過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

　１年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

【前向きの人生、うしろ向きの人生】

●うしろ向きに生きる女性

　毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。
偉そうなことは言えない。
しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからない。
しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。
自信はないが、そうしたい。

　自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性（７０歳）がいた。
その１５年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を築いた人だった。
くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は従業員を５人ほど雇うほどまでになった。
が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸前にまで追い込まれた。
（その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってから二年後に他界している。）

　それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方をしていた。
が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。
その人には、私と同年代の娘（二女）がいたが、その娘はこう言った。
「母は、異常なまでにケチになりました」と。
たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したという。
「それも、私がどこにあるか忘れてしまったようなものです。
値段も、２０００円とか３０００円とかいうような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

　人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。
つぎからつぎへと、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。
波があることが悪いのではない。
波がなければないで、退屈してしまう。
船が止まってもいけない。
航海していて一番こわいのは、方向がわからなくなること。
同じところをぐるぐる回ること。
もし人生がその繰り返しだったら、生きている意味はない。
死んだほうがましとまでは言わないが、死んだも同然。

　私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。
雨の日は、ただひたすらパチンコ。
読む新聞はスポーツ新聞だけ。
唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人がいる。
しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。
いくら釣りがうまくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記しても、それがどうだというのか。
そういう人は、まさに死んだも同然。

　しかし一方、こんな老人（尊敬の念をこめて「老人」という）もいる。
昨年、私はある会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、八〇歳を過ぎた女性だった。
乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。
私はその女性の、生き生きした顔色を見て驚いた。
「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言った。

「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そういうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

　のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。
しかしそういう航海からは、ドラマは生まれない。
人間が人間である価値は、そこにドラマがあるからだ。
そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。
人生の大波小波は、できれば少ないほうがよい。
そんなことはだれにもわかっている。
しかしそれ以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。
その姿勢が、その人を輝かせる。

●神の矛盾

　冒頭の話にもどる。
　
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがうしろ向きになる。
そこで信仰論ということになるが……。

　人は何かの救いを求めて、信仰する。
信仰があるから、人は信仰するのではない。
あくまでも信仰を求める人がいるから、信仰がある。
よく神が人を創（つく）ったというが、人がいなければ、神など生まれなかった。
もし神が人間を創ったというのなら、つぎのような矛盾をどうやって説明するのだろうか。
これは私が若いころからもっていた疑問でもある。

　人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。
ひょっとしたら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。
しかし嘆くことはない。
そのあと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。
たとえば昆虫が進化して、昆虫人間になるということも考えられる。
その可能性はきわめて大きい。
となると、その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

　反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。
隕石の衝突が恐竜の絶滅をもたらしたという。
となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。
そのときの恐竜には神はいなかったのかということになる。
数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数十万年など、マバタキのようなものだ。
お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。
しかし数十万円では、パソコン一台しか買えない。
数億年と数十万年の違いは大きい。
モーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか５０００年～６０００年ほど前のこと。
たったの６０００年である。
それ以前の数十万年の間、私たちがいう神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

　……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定しているのではない。
この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、はるかに多い。
だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかもしれない。
そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味もふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

　つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。
（だからといって、神や仏を否定しているのではない。念のため。）
仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待してするものではない。

ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島（法）」（スッタニパーダ「ダンマパダ」）、つまり「思想（教え）」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えているのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きるかどうかを決めるのは、私たち自身である。
仏や神の意思ではない。
またそのふんばるからこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。
ドラマもそこから生まれる。
　
が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。
毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人（女性７０歳）も、その一人と言ってもよい。
同じようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。
たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもがいる。
そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。
いわんや、「林先生、林先生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、（そういう人はいないが……）、さらに困る。
もしそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
　
●私の意見への反論

　……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がいる。

「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性（七五歳くらい）だった。

が、何も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。
またその女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。
その女性の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。
この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。言ってはならない。
まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、ハシゴをはずすようなもの。
ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあげねばならない。
何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人として、してはいけないことと言ってもよい。

　が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。
どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。
そしてどうすれば、うしろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか？

　少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまいと思っている。
そういう人生は敗北だと思っている。
が、いつか私はそういう人生を送ることになるかもしれない。
そうならないという自信はどこにもない。
保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるようになるかもしれない。
私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲（すもう）にたとえて言うなら、土俵際（ぎわ）に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんばっている。
歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、おしまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。
しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。
生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。

……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

　私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、よく気になる。
電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこれ観察する。
先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生きがいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、どんなことを考えているのだろう」と。
そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実の問題から逃げようとしているのではないか。
その日、その日を、ただ無事に過ごせればそれでよいと考えている人も多い。
中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。
クシャクシャになったオートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もいる。

人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。
愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽をつんでしまうこともある。

　私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。
しかしふと油断すると、いつの間か自分も、その渦（うず）の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。
それは実に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということになる。
何も考えなければ、それだけ人生も楽？

●前向きに生きるのは、たいへん

　前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。
それは体の健康と同じで、日々に自分の心と精神を鍛錬（たんれん）していかねばならない。
ゴータマ・ブッダは、それを「精進（しょうじん）」という言葉を使って表現した。
精進を怠ったとたん、心と精神はブヨブヨに太り始める。
そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。
つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。

　改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場だ」と。
（以上、２００３年０６月１３日記）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●自分の力で生きる

　生きることは、孤独なこと。
自由に生きようと思えば思うほど、
またひとりで生きようと思えば思うほど、
孤独。

が、孤独を恐れてはいけない。
孤独であるのが、当たり前。

　最後にマザーテレサの言葉をあげる。
あのイエス・キリストも孤独だった、と。
マザーテレサは、そう説いている。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●孤独は、無間の地獄

孤独とは、究極の地獄と考えてよい。

　イエス・キリスト自身も、その孤独に苦しんだ。マザーテレサは、つぎのように書いている。この中でいう「空腹（ハンガー）」とは、孤独のことである。

When Christ said: &quot;I was hungry and you fed me,&quot; he didn&#039;t mean only the hunger for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt him then and it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same having no one to be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that&#039;s real hunger. 

　キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼はただ食物としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。

彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということになる。

（終わりに）

　マザー・テレサのこの言葉には、本当に勇気づけられる。

（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　孤独論　マザーテレサ　hunger 渇き　イエスキリスト　はやし浩司　マザーテレサ　キリストも孤独だった　イエス・キリスト　孤独論　はやし浩司　マザー・テレサ）

（はやし浩司　２０１２－０１－０１夜記）


Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋Jan. 2012＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司    </description>
    <dc:date>2012-01-02T09:01:34+09:00</dc:date>
    <utime>1325462494</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/74.html">
    <title>●運命論ｖｓ自由論ｂｙはやし浩司</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/74.html</link>
    <description>
      【運命と自由について】（はやし浩司　２０１２－０１－０１）

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

硬い話をする前に……。

昨夜寝る前に、宝くじの当選番号を調べた。
毎年、１０枚だけ、買うようにしている。
その番号、何と、２等と、たったの３０番ちがい！
２等は、１億円。

（２等は、３７組１０１７９９番。
私がもっていたのは、１０１７６０～１０１７６９番！）

ハズレはハズレ。
が、宝くじというのは、当たって喜ぶ人より、
わずかにハズれ、悔しがる人のほうが、はるかに多い。
だったら、買わないほうがよい。

ワイフは、「だいぶ、近づいたわね」と喜んでいる。
「次回は、当たるわよ」と。
私は「二度と接近遭遇はないだろう」と。

こうして新春の夢は、フワ～ッと消えた。

では、硬い話……。

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

●運命論

　２００４年１２月２４日に、運命論について書いた。
今からちょうど７年前になる。
それをそのまま掲載する。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●運命論

　ある文学者は、こう言った。
『幸福な家庭は、みな、よく似ている。
しかし不幸な家庭は、みな、ちがう。
一つとて、同じものはない』※と。
どこかの文学者だったが、名前は忘れた。

（※トルストイの「アンナ・カレーニナ」冒頭の言葉。）

　その不幸な家庭。
こんな話がある。

両親は、その女性が３歳のときに、離婚。
原因は、父親の酒乱と借金。
が、そのあとまもなく、父親は、自殺。
その女性が２３歳になったとき、実の兄（当時、３０歳）も自宅に放火、そして自殺。
言い忘れたが、その女性が叔母のところに引き取られたのが、彼女が、６歳のとき。
しかし叔母の夫（叔父）に、性的虐待を受け、それが理由で、今度は、別の叔母の家に預けられた。
彼女が１０歳のときのことだった。

　現在は、浜松市の東にあるＴ町という町に住んでいる。
この話は、控えめに書いたが、事実である。
今は、無数の心のキズと戦いながらも、その女性は、２人の子どもをもち、幸福な家庭を築いている。

　私は「運命」を否定しない。
その人とは関係のないところで、無数の糸がからんで、その人の人生を決めてしまう。
そういうことは、よくある。
それを「運命」というなら、運命は、ある。

　しかも不幸がつづくときには、不幸は、その人に、つぎつぎと襲いかかってくる。
容赦なく、襲いかかってくる。
いくらそれを払いのけようとしてしても、その人の力には、限界がある。
不安と心配。
悲しみと苦しみ。
それらがこん然一体となって、その人に襲いかかってくる。

　しかしいくら運命があったとしても、最後の最後で、ふんばるのは、その人。
そのふんばるところに、人が生きる美しさがある。
生きる意味がある。

　今、絶望の渕に立たされて、その運命と戦っている人は、ゴマン（５万）といる。
５万どころか、５０万、５００万といる。
世界という規模でみれば、反対に「私は幸福だ」と自信をもって言える人のほうが、はるかに少ない。

　だから大切なことは、決して、「私だけ」と、思わないこと。
「私だけが不幸だ」と、思わないこと。
みなが、みな、そうだ。
そしてつぎに大切なことは、不幸は不幸として、それを笑い飛ばしながら、生きていくということ。
運命に負けてはいけない。逃げてもいけない。

　悪いことばかりではない。

　運命に向かってふんばればふんばるほど、その人は、より真理に近づく。
不幸は、それ自体は、ありがたくないものだが、しかし、その人に、真理への道を教えてくれる。
何が大切で、何が大切でないか。
そしてなぜ、私たちはここにいて、なぜ生きているか。
それを教えてくれる。

　さあ、恐れることはない。

　あなたも勇気を出して、自分の運命と戦ってみよう。
前に向かって一歩、踏み出してみよう。
明るく、さわやかに！　クヨクヨしないで、生きてみよう。
（２０１２年１２月３１日夜、一部、改変）

　冒頭にあげた女性だが、たびたび私に手紙をくれた。その手紙の中に、こんなことが書いてあった。

　「私の家庭づくりは、ぎこちないものです。しかし私は、幸福というものがどういうものか、よく知っています。私はその幸福を、毎日、かみしめながら生きています」と。
（以上、２００４年記）

（はやし浩司　運命論　幸福論　幸福な家庭　不幸な家庭　はやし浩司　教育　林　浩司　林浩司　Hiroshi Hayashi　幼児教育　教育評論　幼児教育評論　はやし浩司　幸福な家庭は　みな　よく似ている）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●７年前

　７年前に、今と同じことを考えていたというのは、興味深い（？）。
あるいは私は、この７年間、何も進歩しなかったということか（？）。
基本的な部分では、７年たった現在も、同じ。
同じ運命論をもっている。
ただ誤解しないでほしいのは、運命論といっても、今、流行（はや）りのスピリチュアル風のものではない。
また運命といっても、自分の過去を振り返ってみたとき、そこに残っている足跡をいう。
未来に向かって、あるのではない。
もちろんもろもろの「糸」をていねいに総合すれば、ある程度の未来は予測できる。
しかしあくまでも「予測できる」という範囲のもの。

　仮にある程度、未来が決まっていたとしても、最後の最後ではふんばる。
そのふんばるところに、生きる意味がある。
生きる美しさも、そこから生まれる。　

●死後の世界

　死後の世界については、よく考える。
原稿もたくさん書いてきた。
で、原稿をさがしてみると、ちょうど去年の今ごろ、それについて書いていたことがわかった。
日付は、２０１０年１１月１６日になっている。
書いた場所は、昼神温泉にある、ホテル阿智川。
そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●あの世

　何度も書くが、あの世などというものは、存在しない。
釈迦だって、そんなことは、一言も言っていない（法句経）。
それを言い出したのは、つまり当時それを主張していたのは、バラモン教の連中。
仏教はやがてヒンズー教の中に組み入れられていく。
輪廻転生思想は、まさにヒンズー教のそれ。

　その上さらに、中国、日本へと伝わるうちに、偽経典が積み重ねられた。
盆供養にしても、もとはと言えば、アフガニスタンの「ウラバン」という
祭りに由来する。
それが中国に入り、「盂蘭盆会（うらぼんえ）」となった。

　日本でもつぎつぎと偽経典が作られた。
私たちが現在、「法事」と呼んでいる行事は、そのほとんどが偽経をもとに作られた。
もちろん寺の経営的な収入をふやすために、である。
『如是我聞（これが私が（釈迦から）聞いたことである）』で始まる経典は、まず疑ってかかったほうがよい。

●宝くじと同じ

　話はそれたが、あの世はない。
あるとも、ないとも断言できないが、少なくとも私は「ない」という前提で生きている。
死んでみて、あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確率のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を建てたりする人はいない。

　同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う。
だから私はよく生徒たちに冗談ぽく、こう言う。

　「あの世があるなら、早く行きたいよ。
あの世では働かなくてもいいし、それに食事もしなくていい。
空を自由に舞うことだってできる」と。

●「もうこりごり」

　そんなわけで、人生は１回ぽっきりの、１回勝負。
２度目はない。
この先、どうなるかわからない。
しかし１回で、じゅうぶん。
１回で、たくさん。
「こりごり」とまでは言わないが、それに近い。
「同じ人生を２度生きろ」と言われても、私にはできない。

　たとえば定年退職をした人に、こう聞いてみるとよい。
「あなたはもう一度、会社に入って、出世してみたいと思いますか」と。
ほとんどの人は、「ＮＯ！」と答えるはず。
あるいは、「会社人間はもうこりごり」と言うかもしれない。

●別れ

　たださみしいのは、今のワイフと別れること。
息子たちと別れること。
友人たちと別れること。
ひとりぼっちになること。
　
　そのうち足腰も弱り、満足に歩けなくなるかもしれない。
そうなったら、私はどう生きていけばよいのか。
それを支えるだけの気力は、たぶん、私にはない。
だったら今、生きて生きて、生き抜く。
今の私には、それしかない。

　さあ、もうすぐこのパソコンの寿命は切れる。
何度もコントロールキーと「Ｓ」キーを押す。
文章を保存する。
いよいよ晩年になったら、私は同じようなことをするだろう。
ていねいに保存を繰り返しながら、やがて「死」を迎える。

　繰り返しになるが、あの世はない。
……と、今は思うが、少なくとも私は「ない」という前提で生きている。
死んでみてからのお楽しみ。
あればもうけもの。
（以上、２０１０年１１月１６日記）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●あの世論

　先の原稿の中で、私は「あの世はない」と、断定的に書いた。
が、最近の私は、ときどきこう考える。
仮にあの世があるとするなら、今住んでいるこの世こそが、あの世ではないか、と。

　つまりどこか別の世界に、本元となる世界がある。
その世界から、私たちは、現在のこの世界に、ときどきやってくる。
ときどきやってきて、極楽や、（天国でもよいが）、地獄を経験する。

　それは別として、ともかくも今は、「ない」という前提で生きる。
もう一度、核心部分を、ここに掲載する。

『……死んでみてからのお楽しみ。
あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確率のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を建てたりする人はいない。

　同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う……』

　この考え方は、現在の今も、まったく揺らいでいない。

★Time takes it all, whether you want it to or not. Time takes it all, time bears it away, and in the end there is only darkness. Sometimes we find others in that darkness, and 
sometimes we lose them there again. ―Stephen King, &quot;The Green Mile&quot;

時は、すべてを奪う。あなたがそれを望むと、望まないとにかかわらず。時は、すべてを奪い、運び去る。そして最後には、暗闇のみ。ときに私たちはその暗闇の中に、人を見る。そしてときに私たちは、その人すら再び見失う。（Ｓ・キング・「グリーンマイル」）

●死の恐怖

　なぜ私たちは、死を恐れるか？
それについては、どこかの国の独裁者を思い浮かべれば、わかる。
ある賢人はこう言った。

『すべてをもつものは、すべてを失うのを恐れる』と。

　仏教でも、一貫して、死の恐怖が大きなテーマになっている。
もう少し掘り下げて言えば、死の恐怖は、どのようにすれば克服できるか。
死の恐怖と対比させながら、生きる意味を教える。
それが仏教ということになる。

　そこで仏教では、やがて「空」の概念にたどり着く。
それについては、私があえてここで説明するまでもない。
が、たいへん興味深いことは、あのサルトルもまた、同じ結論に達している点である。

仏教という観念論。
実存主義という唯物論。
この両者が、同じ結論に達している。
サルトルは、最終的に、「無の概念」という言葉を引き出している。

　それについて書いた原稿がある。
書いた日付は、２００９年１１月２４日になっている。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●「無の概念」（サルトル）について

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

【自由であること】

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

自由であることは、よいことばかりで
はない。

自由であるということは、まさに自ら
に由（よ）って、生きること。

その（生きること）にすべての責任を
負わねばならない。

それは、「刑」というに、ふさわしい。
あのサルトルも、「自由刑」という言葉
を使って、それを説明した。

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

　私は私らしく生きる。……結構。
　あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あるがままに生きる。……結構。

　しかしその自由には、いつも代償がともなう。
「苦しみ」という代償である。
自由とは、『自らに由（よ）る』という意味。
わかりやすく言えば、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるという意味。

　毎日が、難解な数学の問題を解きながら、生きるようなもの。

　話はそれるが、そういう意味では、Ｋ国の人たちは、気が楽だろうなと思う。
明けても暮れても、「将軍様」「将軍様」と、それだけを考えていればよい。
「自由がないから、さぞかし、つらいだろうな」と心配するのは、日本人だけ。
自由の国に住んでいる、私たち日本人だけ。
（日本人も、本当に自由かと問われれば、そうでないような気もするが……。）

　そういう「苦しみ」を、サルトル（ジャン・ポール・サルトル、ノーベル文学賞受賞者・１９０５～１９８０）は、「自由刑」という言葉を使って、説明した。

　そう、それはまさに「刑」というにふさわしい。
人間が人間になったとき、その瞬間から、人間は、その「苦しみ」を背負ったことになる。

　そこで、サルトルは、「自由からの逃走」という言葉まで、考えた。
わかりやすく言えば、自ら自由を放棄して、自由でない世界に身を寄せることをいう。よい例として、何かの狂信的なカルト教団に身を寄せることがある。

　ある日、突然、それまで平凡な暮らしをしていた家庭の主婦が、カルト教団に入信するという例は、少なくない。
そしてその教団の指示に従って、修行をしたり、布教活動に出歩くようになる。

　傍（はた）から見ると、「たいへんな世界だな」と思うが、結構、本人たちは、それでハッピー。
ウソだと思うなら、布教活動をしながら通りをあるく人たちを見ればよい。
みな、それぞれ、結構楽しそうである。

　が、何といっても、「自由」であることの最大の代償と言えば、「死への恐怖」である。
「私」をつきつめていくと、最後の最後のところでは、その「私」が、私でなくなってしまう。

　つまり、「私」は、「死」によって、すべてを奪われてしまう。
いくら「私は私だ」と叫んだところで、死を前にしては、なすすべも、ない。わかりやすく言えば、その時点で、私たちは、死刑を宣告され、死刑を執行される。

　そこで「自由」を考えたら、同時に、「いかにすれば、その死の恐怖から、自らを解放させることができるか」を考えなければならない。
しかしそれこそ、超難解な数学の問題を解くようなもの。

　こうしたたとえは正しくないかもしれないが、それは幼稚園児が、三角関数の微積分の問題を解くようなものではないか。
少なくとも、今の私には、それくらい、むずかしい問題のように思える。

　決して不可能ではないのだろうが、つまりいつか、人間はこの問題に決着をつけるときがくるだろが、それには、まだ、気が遠くなるほどの時間がかかるのではないか。
個人の立場でいうなら、２００年や３００年、寿命が延びたところで、どうしようもない。

　そこで多くの人たちは、宗教に身を寄せることで、つまりわかりやすく言えば、手っ取り早く（失礼！）、この問題を解決しようとする。
自由であることによる苦しみを考えたら、布教活動のために、朝から夜まで歩きつづけることなど、なんでもない。

　が、だからといって、決して、あきらめてはいけない。
サルトルは、最後には、「無の概念」をもって、この問題を解決しようとした。
しかし「無の概念」とは何か？　私はこの問題を、学生時代から、ずっと考えつづけてきたように思う。
そしてそれが、私の「自由論」の、最大のネックになっていた。

　が、あるとき、そのヒントを手に入れた。

　それについて書いたのが、つぎの原稿（中日新聞投稿済み）です。字数を限られていたため、どこかぶっきらぼうな感じがする原稿ですが、読んでいただければ、うれしいです。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●真の自由を子どもに教えられるとき（２０００年ごろ、中日新聞で発表）

　私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。

「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。
が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか……？　その方法はあるのか……？　

一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。
自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛

　息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
息子とこんな会話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかった。
苦しかった。つらかった。
しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。
　
私は息子に妥協したのではない。
息子をあきらめたのでもない。
息子を信じ、愛するがゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。

英語には『無条件の愛』という言葉がある。
私が感じたのは、まさにその愛だった。
しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●二男に教えられたこと

　「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。
生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け入れるということ。

「私」があるから、死がこわい。
が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。
一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。

死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。
では一緒に参りましょう」と言うことができる。
そしてそれができれば、私は死を克服したことになる。
真の自由を手に入れたことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。
ないが、しかし一つの目標にはなる。
息子がそれを、私に教えてくれた。
（以上、２０００年ごろ、中日新聞で発表）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋はやし浩司

　くだらないことだが、この日本には、どうでもよいことについて、ギャーギャーと騒ぐ自由はある。
またそういう自由をもって、「自由」と誤解している。
そういう人は多い。
しかしそれはここでいう「自由」ではない。

　自由とは、（私はこうあるべきだ）という（自己概念）と、（私はこうだ）という（現実自己）を一致させながら、冒頭に書いたように、『私らしく、あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あるがままに生きる』ことをいう。

　だれにも命令されず、だれにも命令を受けず、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとることをいう。
どこまでも研（と）ぎすまされた「私」だけを見つめながら生きることをいう。

　しかしそれがいかにむずかしいことであるかは、今さら、ここに書くまでもない。
（以上、２００９年１１月２４日）

　さて、あの独裁者。
最近、亡くなった。
恐らく死の直前まで、安穏たる日々は、１日とてなかっただろう。
不安で不安でならなかったはず。
だから病身を奮い立たせ、各地を回った。
「軍事指導」というのは、あくまでも口実。
失うことを、何よりも恐れていた。
（２０１２年０１月０１日記）

（はやし浩司　家庭教育　育児　育児評論　教育評論　幼児教育　子育て　はやし浩司　自由論　自由とは　サルトル　無条件の愛　無私の愛　無の概念　はやし浩司　自由論　真の自由　サルトル　自由刑　自由からの逃走）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●２０１２年０１月０１日の朝に

　年越しは、ワイフと長男の、３人で過ごした。
２０１１年から２０１２年。
現在、時刻は午前９時。
先ほどまで、自分の書いた原稿を読んでいた。
起きたのは、午前８時ごろではなかったか。
寝室から出ると、まばゆいばかりの朝の陽光が、障子戸を通して居間に注いでいた。
「初日の出は、今年は拝めない」と聞いていたので、「？」と。

　昨年（２０１１年）は、相良海岸の民宿に一泊し、初日の出を拝んだ。

●運命と自由

　昨夜、こう書いた。

　『……書き忘れたが、あなたにはあなたを取り巻く、無数の糸がある。
家族の糸、地域の糸、生い立ちの糸、仕事の糸、才能や能力の糸……。
そういった糸が、ときとして、あなたの進むべき道を決めてしまう。
それを私は、「運命」という』と。

　振り返ってみると、私はいつもその運命に翻弄されてきた。
いくら声高（こわだか）に、「私は自由だ」と叫んでも、そこにはいつも運命があった。
どうしようもない運命。
その糸の中で、もがいた。
苦しんだ。

　だから……こう書くからといって、どうか誤解しないでほしい。
決して兄や母の死を喜んだわけではない。
しかし兄が他界し、母が他界し、つづいてちょうど母の１周忌に、実家を売却したとき、私は生まれてはじめて、「家」から解放された。
生まれてはじめて、心底、ほっとした。

「家」という「糸」がもつ呪縛感には、ものすごいものがあった。
４０代のころは、郷里へ入るときにはいつも、経文の一節を唱えなければならなかった。
『怨憎会苦（おんぞうえく）』という言葉を知ったのも、そのころだった。

　怨憎会苦について書いた原稿があるはず。
さがしてみる。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

２００８年０８月１９日に、こんな原稿を
書いた。
知人の家庭騒動を聞き、書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●魔性との闘い（怨憎会苦※）
(To meet with someone whom you feel hatred is a matter of pain.
In often cases it becomes a heavy burden to torture you.)

　仏教には、「怨憎会苦（おんぞうえく）」という言葉がある。
生老病死の四苦に並んで、八苦のひとつになっている。
「いやな人と会う苦しみ」という意味である。

が、ここでいう「怨憎」とは、「魔性をもった人」とも解釈できる。
会うだけで、相手の魔性が、そのままこちらへ伝わってきてしまう。
自分の理性や知性が、こなごなに破壊されてしまう。
そんな危機感すら、覚える。

　で、こちらは会いたくないと思うのだが、相手のほうからからんでくる。
からんできては、自分勝手なことを、一方的に言う。

そこで「無視」という方法を選ぶが、それにはものすごいエネルギーを消耗する。
相手が身内であれば、なおさらである。
こんな話を聞いた。

　Ａ氏の父親が、２年前に他界した。
数億円の財産（主に土地）を残した。
その財産をめぐって、Ａ氏（長男）と、ほかの３人の姉妹が、争った。
毎月のように、ときに毎週のように、言い争う声が近所中に聞こえたという。

　Ａ氏夫婦が父親のめんどうをみてきたのだが、それについて姉妹たちは、「じゅうぶんな介護をしなかった」「親を施設に入れようとした」などと、言いがかりをつけた。
Ａ氏の父親は、死ぬ直前、かなり認知症が進んでいた。
そういうこともあって、そのつど娘たちに、「この家は、お前にやる」とか、「あの土地は、お前にやる」とか言った。
娘たちは、その言葉を理由に、「この家は、私のもの」とか、「あの土地は、私のもの」と騒いだ。

　Ａ氏は、美術雑誌に評論を書くような知的な人物である。
一方、娘たちは、そのレベルの女性たちではなかった。
あとになってＡ氏は、こう言う。

　「途中から妹たちの夫まで騒動に加わってきて、『テメエ』『このヤロー』という話になってしまいました。
で、私が、この問題は、私たち兄弟のもので、あなたには遺産相続権はありません。つまり部外者ですと説明するのですが、そういう道理すら、通じませんでした」と。

　娘の夫の１人は、こう言ったという。
「（義父が）、オレの女房（＝妹）に、『あの土地をお前（＝妹）にやる』と言った話は、オレもちゃんと横で聞いた。オレが証人だ」と。

　Ａ氏は、姉妹たちに会うたびに、神経をすり減らした。
・・・と書くと、「どこにでもあるような話」と思う人もいるかもしれない。
が、当事者であるＡ氏が受けた心的な苦痛は、言葉では説明しがたい。

　Ａ氏の妻もこう言った。
「（妹の１人から）、嫁（＝Ａ氏の妻）が、父親のめんどうをちゃんとみていなかったと言われたときには、怒れるよりも先に、涙が出てきました」と。

　まさに怨憎会苦。
魔性をもった人と関わることの苦しみ。
その苦しみは、経験したものでないとわからない。
「家事が何も手につかなくなってしまいました」とも。

　「妹たちは、金の亡者になった餓鬼、そのものでした。
そばにいるだけで、自分がつくりあげた文化性が、こなごなに破壊されていくように感じました。
気がついてみると、自分もその餓鬼になっていました。
とくに次女夫婦がひどかったです。
ペラペラと一方的に自分の意見をまくしたて、こちらの言い分には、まったく耳を貸そうとさえしませんでした。
次女も、認知症が始まっていたのかもしれません」と。

　Ａ氏の経験は、何も特別なものではない。
今の今も、親の遺産相続問題がこじれて、兄弟姉妹が争っているケースとなると、ゴマンとある。
かりに片づいたとしても、それをきっかけに、兄弟姉妹が絶縁してしまったケースとなると、もっと多い。
さらに最近では、離婚問題がこじれ、財産分与でもめる元夫婦もふえている。
みな、怨憎会苦の苦しみを、味わっている。

恐らく釈迦の時代にはなかったタイプの「怨憎会苦」と考えてよい。
経典の中には、金銭（マネー）にからんだ話が出ているところもあるが、釈迦の時代には、貨幣はなかった。
この日本でも、貨幣が一般世間に流通するようになったのは、江戸時代の中ごろと言われている。
（このあたりについては、私はかつてかなり詳しく、自分で調べた。）

　今では、マネーが、怨憎会苦の原因になることが多い。
つまり人間そのものが、マネーの奴隷になりながら、それにすら気がついていない。

　では、どうするか？

　釈迦は、「精進」という言葉を使った。
日々に精進あるのみ。

つまり常に心の準備を整えておくということ。
そういう場に落とされても、その場に翻弄されないように、自分を強くしておくしかない。
が、それはけっして、むずかしいことではない。

　音楽を聴いたり、映画を楽しんだり、文化、芸術に親しんだり・・・。
もちろん本を読んだり、文を書いたり・・・。
自分の世界を、できるだけ広くしておく。
その努力だけは、怠ってはいけない。

そういう素養が基礎としてしっかりしていれば、こうした騒動に巻きこまれても、
「餓鬼」になることはない。
自分を最後のところで、守ることができる。
（これは私の努力目標でもある。）

（注※、「怨憎会苦」について）

【補記】怨憎会苦について

●生・老・病・死

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

私たちは、日々に、なぜ苦しむのか。
なぜ悩むのか。

それについて、東洋哲学と西洋哲学は、
同じような結論を出している。

たとえば……

生・老・病・死の４つを、原始仏教では、
四苦と位置づける。

四苦八苦の「四苦」である。

では、あとの４つは、何か？

＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋

　生・老・病・死の４つを、原始仏教では、四苦と位置づける。四苦八苦の「四苦」である。では、あとの４つは何か。

（１） 愛別離苦（あいべつりく）
（２） 怨憎会苦（おんぞうえく）
（３） 求不得苦（ぐふとっく）
（４） 五蘊盛苦（ごうんじょうく）の、４つと教える。


（１） 愛別離苦（あいべつりく）というのは、愛する人と別れたり、死別したりすることによる苦しみをいう。
（２） 怨憎会苦（おんぞうえく）というのは、憎しみをいだいた人と会うことによる苦しみをいう。
（３） 求不得苦（ぐふとっく）というのは、求めても求められないことによる苦しみをいう。
（４） 五蘊盛苦（ごうんじょうく）というのは、少しわかりにくい。簡単に言えば、人間の心身を構成する５つの要素（色＝肉体、受＝感受、想＝表象の構成、行＝意思、識＝認識）の働きが盛んになりすぎることから生まれる、苦しみをいう。

　こうした苦しみから逃れるためには、では、私たちは、どうすればよいのか。話は少し前後するが、原始仏教では、「４つの諦（たい）」という言葉を使って、（苦しみのないよう）→（苦しみの原因）→（苦しみのない世界）→（苦しみのない世界へ入る方法）を、順に、説明する。

（１） 苦諦（くたい）
（２） 集諦（しゅうたい）
（３） 滅諦（めったい）
（４） 道諦（どうたい）の、４つである。

（１） 苦諦（くたい）というのは、ここに書いた、「四苦八苦」のこと。
（２） 集諦（しゅうたい）というのは、苦しみとなる原因のこと。つまりなぜ私たちが苦しむかといえば、かぎりない欲望と、かぎりない生への執着があるからということになる。無知、無学が、その原因となることもある。
（３） 滅諦（めったい）というのは、そうした欲望や執着を捨てた、理想の境地、つまり涅槃（ねはん）の世界へ入ることをいう。
（４） 道諦（どうたい）というのは、涅槃の世界へ入るための、具体的な方法ということになる。原始仏教では、涅槃の世界へ入るための修道法として、「八正道」を教える。
（以上、２００７年０７月０３日記）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司

●自由とは何か

　自由とは何か。
一言で表せば、「欲望からの解放」ということになる。

「私」には、無数の「しがらみ」が、まとわりついている。
「私の財産」「私の名誉」「私の家族」「私のお金」「私のモノ」「私の地位」と。
そういったものに縛られている間は、自由など、求むべくもない。

　つまりそうした（しがらみ）をひとつずつ、糸をほぐすようにして、自分から解きほどいていく。
わかりやすく言えば、自分を飾っている衣服を一枚ずつ、脱いでいく。
その結果として、つまり丸裸になったとき、人は、自らを解放させることができる。

　「私」がある間は、魂に、安穏たる日々はやってこない。
仏教では、それを『執着（しょうじゃく）』という言葉を使って、説明する。
その執着を、自ら解き放つ。
わかりやすい例で説明すれば、こうなる。
私の講演などでは、こんなふうに言って、説明する。

　「……こうして私の講演を聞きにきてくださっている方の中には、こんな人もいるでしょう。
家の中に、多額のタンス預金をしている人です。
そういう人は、こういう場にいても、家のことが心配でならないはずです。
『うちの子は、ちゃんと戸締りをして、友だちの家に行っているか』とです。
　
　しかし無一文の人は、そうでない。
家のことは、何も心配しなくていい。

　『私』を簡単に説明すれば、そういうことになります。
へたに『私』があるから、死ぬのが怖いのです。
私の財産、私の名誉、私の家族、私のお金、私のモノ、私の地位と。
が、自分から『私』を取ってしまえば、もうこわいものはない。

　そのときがきても、『ああ、おいでなさったか』と、平穏な気持ちで、それを迎えることができる。
つまり死を克服することができる。
サルトルという哲学者は、それこそが、『真の自由』と説いたわけです。
『無の概念』という言葉も、そこから生まれました……」と。

●真の自由

　大切なことは、そこに苦しみや悲しみがあるなら、（孤独でもよいが）、それから逃げないこと。
真正面から、立ち向かうこと。
それができる人のことを、『真の勇者』という。
（剣を振り回したり、暴力を振るう人は、ただの馬鹿という。）

　運命というのは、（あくまでも私の運命論によるものだが）、それから逃げようとすると、キバをむいて、襲いかかってくる。
が、真正面から立ち向かうと、運命のほうからシッポを巻いて、逃げていく。
臆病で卑怯。
それが運命。

　そして身が燃え尽きるまで、悩み、悲しむ。
とことん、身を燃やし尽くす。
あなたが「もう、だめだ」と思ったその瞬間、あなたは自らを解放することができる。
『真の自由』を手にすることができる。

●２０１２年１月１日

　さて、今日も１日、始まった。
　
　寒い朝だ。
衣服を着替えるとき、何度も身震いした。
これを（現実）という。
（現実）は（現実）。
私たちはその現実世界の中で生きている。
その現実世界を無視することはできない。

　……庭にたまった落ち葉を、掃除しなければならない。
帰り道、どこかで朝食をとらねばならない。
家に帰れば、年賀状が待っている。
生徒たちからのものについては、みな、今日中に返事を書く。

　そうそう、楽しみもある。

　１月Ｘ日、西浦温泉のＡ旅館に１泊することになっている。
その旅館の最上階のペントハウスに予約できた。
１日１組だけの、露天風呂付きペントハウスである。
ずいぶんとぜいたくな話に聞こえるかもしれない。

が、これはワイフへの感謝の念をこめた、私からのプレゼント。
この１０年近く、モノは買っていない。
ワイフも、いらないと言う。
だからこういう形で、ワイフに感謝している。

　……つまり私たちはこうした（現実世界）の中で生きている。
またその中でこそ、無数のドラマが生まれる。
無数の人たちが織りなす、無数のドラマ。
そのドラマの中にこそ、生きる意味があり、価値があり、美しさがある。
（現実世界）の中で、たくましく、力強く生きていく。

　その現実感だけは、どんな人生観をもっても、けっして見失ってはいけない。

(はやし浩司　教育　林　浩司　林浩司　Hiroshi Hayashi　幼児教育　教育評論　幼児教育評論　はやし浩司　２０１２－０１－０１　現実世界　運命論　現実社会　運命と自由　解放と運命　はやし浩司　真の勇者　真の自由　魂の解放)

（以上、２０１２年０１月０１日、整理、記）

Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋Jan. 2012＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司    </description>
    <dc:date>2012-01-01T12:52:09+09:00</dc:date>
    <utime>1325389929</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/73.html">
    <title>●ただひたすら前に向かって生きていこう！</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/bwhayashi/pages/73.html</link>
    <description>
      &amp;bold(){【生きる目的と意味、そしてその生き様】}*大見出し

（はやし浩司　２０１２ー０１－０１）


●前向きに生きる

　前向きに生きるということは、簡単に言えば、過去を引きずらないということ。
そのためには、つぎの７つを守る。

（１）	失ったものを、嘆かない。
（２）	去った人を、追わない。
（３）	ないものを、ねだらない。
（４）	亡くなった人を、思わない。
（５）	過去を、くやまない。
（６）	失敗を、気にしない。
（７）	自分の不幸を、数えない。

　が、それだけでは足りない。
生き様そのものを変える。
自分に対しては、つぎの３つを守る。

（１）	あるがままの自分を認める。
（２）	負けを認める。
（３）	今を原点として、生きる。

　人間は、希望さえあれば、生きていくことができる。
が、希望は、だれにでもある。

今、ここに生きている、そのこと自体が、希望。
目が見える、音が聞こえる、風を感ずることができる……それが希望。
人と心を通わせることができる、ものを考えることができる……それが希望。

その希望は、自ら創り出すもの。
待っていても、やってこない。
日々の弛（たゆ）まない鍛練こそが、希望を生む。
肉体の健康、しかり。
精神の健康、しかり。

　他人に対しては、つぎの５つを守る。

（１）人を、恨んではいけない。
（２）人を、ねたんではいけない。
（３）人に、ねだったり、甘えてはいけない。
（４）人を、うらやましがってはいけない。
（５）人に、へつらい、自分を裏切ってはいけない。

　さらに老後の、しっかりとした設計図をもつ。
そのためには、つぎの４つを守る。

（１）	私は私と割り切り、自分を他人と比較しない。
（２）	年齢という数字を、気にしない。
（３）	最後の最後まで、居直って生きる。
（４）	孤独死、無縁死を、恐れない。

　あとは日々、平穏を旨とし、取り越し苦労にヌカ喜びをしない。
時の流れの中に身を置き、その流れに身を任す。
命は、そのまま天に任す。

　朝、起きたときに、やるべきことがある人は、幸福と思え。
今日１日、今週１週間、今月１か月、今年１年、やるべきことがある人は、幸福と思え。　
それを「真の幸福」という。

　前向きに生きるというのは、そういうことをいう。
さあ、あなたも勇気を出し、足を一歩、前に踏み出そう。
明るい未来に向かって、まっすぐ歩こう！

　『心を解き放てば、体はあとからついてくる』（アメリカの格言）。

(はやし浩司　教育　林　浩司　林浩司　Hiroshi Hayashi　幼児教育　教育評論　幼児教育評論　はやし浩司　幸福論　前向きに生きる　老後の生き様　過去を振り返らない　はやし浩司　失ったものを嘆くな)


Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋はやし浩司
　
●人を恨まない

　H・フォスディック（Henry Fosdick）はこう言った。

　『Hating people is like burning down your house to kill a rat.
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

　人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで心が腐る。
だからこう言う。

『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

　解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、（ネズミ）は（恨みの念）、（家）は、もちろん（心）をいう。
（人生）でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
人を恨めば、人生を棒に振る。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげている。

　が、それでも恨みが消えないときは、どうするか。

●真の自由

　過去を引きずったとたん、人生は監獄になる。
が、だれしも、恨み、つらみはある。
失ったことを嘆き、不運を悔やむ。
が、そういうときは、それから逃げてはいけない。
とことん、恨め。
とことん、憎め。
とことん、過去を悔やめ。
身がボロボロになるまで、恨め、憎め、過去を悔やめ。
恨んで恨んで、憎んで憎んで、悔やみたいだけ悔やめ。
自分を燃やし尽くせ。

　すべてのエネルギーを燃やし尽くしたとき、あなたはその先に、恐ろしく静かな世界を見る。
それはあなたの魂が解放された、無の世界。
そのときあなたは、はじめて、真の自由を知る。

●運命

　今、あなたが苦しんでいるなら、幸いと思え。
あなたが悲しんでいるなら、幸いと思え。
あなたは今、まさに真理のドアを叩いている。
そのドアの向こうでは、真理が、あなたがドアを開いてくれるのを待っている。
息を潜（ひそ）め、静かに待っている。

　大切なことは、苦しみや悲しみから、逃れようとしないこと。
逃れようとしたとたん、運命はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
が、あなたが苦しみや悲しみに、真正面から立ち向かえば、運命はシッポをまいて、向こうから退散していく。

　方法は簡単。
あるがままを、そのまま受け入れる。
そこに運命があるなら、その運命をそのまま受け入れる。

　書き忘れたが、あなたにはあなたを取り巻く、無数の糸がある。
家族の糸、地域の糸、生い立ちの糸、仕事の糸、才能や能力の糸……。
そういった糸が、ときとして、あなたの進むべき道を決めてしまう。
それを私は、「運命」という。

　もちろん闘うことができる運命であれば、それと闘う。
「逃げろ」という意味ではない。
闘う。
ふんばる。
そこに人間の生きる価値があり、美しさがある。

　が、どうにもならない運命というものもある。
もしそうであれば、負けを認める。
受け入れる。
とたん、あなたはそこに真理が待っていることを知る。

（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　幼児教室　育児　教育論　Japan　はやし浩司　ネズミを追い出すために　はやし浩司　運命論　真理　負けるが勝ち　希望とは　希望論）

●２０１２年０１月０１日

　さあ、ともあれ、２０１２年は始まった！

　友よ、仲間よ、力を合わせて、前に向かって歩こう。

　馬鹿は、相手にしない。
愚か者は、相手にしない。
欲望の奴隷となり、道を見失った人間は、相手にしない。
どうせ、その程度の、つまらない人生しか歩めない。
そんな愚劣な人間のために、時間を無駄にしてはいけない。

　私たちはそういう人を、憐れんでやろう！

　人生は山登りに、似ている。
下から見れば、低い山でも、登ってみると、意外と遠くまで見渡せる。
それと同じ。
あなたが勇気を出し、山に登れば、下にいる人間が、さらに小さく見える。

　あなたは前だけを見て、前に向かって進めばよい。
ただひたすら前に向かって、進めばよい。
それですべての問題が、解決する。

（はやし浩司　家庭教育　育児　教育評論　幼児教育　子育て　Hiroshi Hayashi 林浩司　BW　はやし浩司　幼児教室　育児　教育論　Japan　はやし浩司　２０１０－０１－０１　はやし浩司　前向きの人生）


Hiroshi Hayashi＋＋＋＋＋＋＋Jan. 2012＋＋＋＋＋＋はやし浩司・林浩司    </description>
    <dc:date>2011-12-31T17:31:46+09:00</dc:date>
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