時代背景:アンナの見たもの

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「※」がついている人物はこのシナリオの登場人物です。 前王朝マケドニア朝のもとで、衰退していたビザンツ帝国は復興を果たしました。しかし、1025年、バルカン半島全土をその版図に収めた皇帝[[バシレイオス2世>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B92%E4%B8%96]]"ブルガノクトロス(ブルガリア人殺し)"が没すると、その後は有能な皇帝が出ず、貴族や民衆の反乱で帝国は不安定になり、対外的にも1071年にマンジケルトの戦いでセルジューク軍に敗れたことを契機に小アジア全域を失陥しました。 また、南イタリアに持っていた領土もノルマン人[[ロベール・ギスカール>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%89]]([[アンティオキア公ボエモン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A8%E3%83%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_(%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%A2%E5%85%AC)]]※の父)に奪われてしまいました。 そして1081年、このシナリオの主役、[[アレクシオス1世コムネノス>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%82%B91%E4%B8%96%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%83%8D%E3%83%8E%E3%82%B9]]※が即位します。 彼はギリシャにまで広がりつつあったノルマン人の勢力をヴェネツィアと結んで駆逐、失った小アジアを取り戻すべくローマ教皇に援軍の要請をします。 しかし、時のローマ教皇[[ウルバヌス2世>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8C%E3%82%B92%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)]]はこれを、対立していたギリシャ正教会をカトリック教会に帰属させる好機と見て、 この呼びかけをカトリックの正統性を確立できる聖地イェルサレム奪回に利用しようとします。これが第1回十字軍となります。 十字軍はビザンツ領内を通過して聖地へ向かおうとしますが、その指導者の中にはあのロベール・ギスカールの息子、ボエモンも含まれていたのです。 アレクシオス1世は十字軍に疑心を抱き、食料の支援の代わりに自分への忠誠と占領地の引渡しを要求します。しかし結局、紆余曲折の末に彼らは妥協し、十字軍は東方へと出発します。セルジューク領内に入った十字軍はまずニカイアを包囲しました。アレクシオス1世はかつてビザンツ領であったニカイアで十字軍が略奪を行わないよう、密かに包囲されているニカイアに使者を送り、降伏させます。こうしてビザンツは労せずしてニカイアを手に入れたのです。これがきっかけでビザンツと十字軍の対立は決定的になり、十字軍はそのまま聖地を目指して去っていきました。 その十字軍が聖地を奪回し、アレクシオス1世が強大なセルジューク朝からの失地回復を果たそうとしているのがこのシナリオです。 ちなみに、タイトルのアンナというのはアレクシオス1世の娘[[アンナ・コムネナ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%83%8D%E3%83%8A]]のことです。父の死後夫である文人ニケフォロス・ブリュエンニオス※を帝位に就けようとしましたが彼が優柔不断だったため(智力は高めだが野心の低さで表現)失敗、弟[[ヨハネス2世>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B92%E4%B8%96%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%83%8D%E3%83%8E%E3%82%B9]]※が即位し、アンナは修道院に幽閉されます。その後彼女は父アレクシオス1世の事績を記した「アレクシオス1世伝」を著し、現在でもビザンツ史の第一級の史料として信頼されており、彼女自身も優れた女性歴史家として歴史に名を残しました。
「※」がついている人物はこのシナリオの登場人物です。 前王朝マケドニア朝のもとで、衰退していたビザンツ帝国は復興を果たしました。しかし、1025年、バルカン半島全土をその版図に収めた皇帝[[バシレイオス2世>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B92%E4%B8%96]]"ブルガノクトロス(ブルガリア人殺し)"が没すると、その後は有能な皇帝が出ず、貴族や民衆の反乱で帝国は不安定になり、対外的にも1071年にマンジケルトの戦いでセルジューク軍に敗れたことを契機に小アジア全域を失陥しました。 また、南イタリアに持っていた領土もノルマン人[[ロベール・ギスカール>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%89]]([[アンティオキア公ボエモン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A8%E3%83%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_(%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%A2%E5%85%AC)]]※の父)に奪われてしまいました。 そして1081年、このシナリオの主役、[[アレクシオス1世コムネノス>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%82%B91%E4%B8%96%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%83%8D%E3%83%8E%E3%82%B9]]※が即位します。 彼はギリシャにまで広がりつつあったノルマン人の勢力をヴェネツィアと結んで駆逐、失った小アジアを取り戻すべくローマ教皇に援軍の要請をします。 しかし、時のローマ教皇[[ウルバヌス2世>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8C%E3%82%B92%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)]]はこれを、対立していたギリシャ正教会をカトリック教会に帰属させる好機と見て、 この呼びかけをカトリックの正統性を確立できる聖地イェルサレム奪回に利用しようとします。これが第1回十字軍となります。 十字軍はビザンツ領内を通過して聖地へ向かおうとしますが、その指導者の中にはあのロベール・ギスカールの息子、ボエモンも含まれていたのです。 アレクシオス1世は十字軍に疑心を抱き、食料の支援の代わりに自分への忠誠と占領地の引渡しを要求します。しかし結局、紆余曲折の末に彼らは妥協し、十字軍は東方へと出発します。セルジューク領内に入った十字軍はまずニカイアを包囲しました。アレクシオス1世はかつてビザンツ領であったニカイアで十字軍が略奪を行わないよう、密かに包囲されているニカイアに使者を送り、降伏させます。こうしてビザンツは労せずしてニカイアを手に入れたのです。これがきっかけでビザンツと十字軍の対立は決定的になり、十字軍はそのまま聖地を目指して去っていきました。 その十字軍が聖地奪回を果たし、アレクシオス1世が強大であり、かつ一枚岩でないセルジューク朝からの失地回復を果たそうとしているのがこのシナリオです。 ちなみに、タイトルのアンナというのはアレクシオス1世の娘[[アンナ・コムネナ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%83%8D%E3%83%8A]]のことです。父の死後夫である文人ニケフォロス・ブリュエンニオス※を帝位に就けようとしましたが彼が優柔不断だったため(智力は高めだが野心の低さで表現)失敗、弟[[ヨハネス2世>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B92%E4%B8%96%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%83%8D%E3%83%8E%E3%82%B9]]※が即位し、アンナは修道院に幽閉されます。その後彼女は父アレクシオス1世の事績を記した「アレクシオス1世伝」を著し、現在でもビザンツ史の第一級の史料として信頼されており、彼女自身も優れた女性歴史家として歴史に名を残しました。

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