元号

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|||645-650|大化(たいか)| |||650-654|白雉(はくち)| |||686|朱鳥(しゅちょう)| |||701-704|大宝(たいほう)| |||704-708|慶雲(けいうん)| |||708-715|和銅(わどう)| |||715-717|霊亀(れいき)| |||717-724|養老(ようろう)| |||724-729|神亀(じんき)| |||729-749|天平(てんぴょう)| |||749|天平感宝(てんぴょうかんぽう)| |||749-757|天平勝宝(てんぴょうしょうほう)| |||757-765|天平宝字(てんぴょうほうじ)| |||765-767|天平神護(てんぴょうじんご)| |||767-770|神護景雲(じんごけいうん)| |||770-781|宝亀(ほうき)| |||781-782|天応(てんおう)| |||782-806|延暦(えんりゃく)| |||806-810|大同(だいどう)| |||810-824|弘仁(こうにん)| |||824-834|天長(てんちょう)| |||834-848|承和(じょうわ)| |||848-851|嘉祥(かしょう)| |||851-854|仁寿(にんじゅ)| |||854-857|斉衡(さいこう)| |||857-859|天安(てんあん)| |||859-877|貞観(じょうがん)| |||877-885|元慶(がんぎょう)| |||885-889|仁和(にんな)| |||889-898|寛平(かんぴょう)| |||898-901|昌泰(しょうたい)| |||901-923|延喜(えんぎ)| |||923-931|延長(えんちょう)| |||931-938|承平(じょうへい)| |||938-947|天慶(てんぎょう)| |||947-957|天暦(てんりゃく)| |||957-961|天徳(てんとく)| |||961-964|応和(おうわ)| |||964-968|康保(こうほう)| |||968-970|安和(あんな)| |||970-973|天禄(てんろく)| |||973-976|天延(てんえん)| |||976-978|貞元(じょうげん)| |||978-983|天元(てんげん)| |||983-985|永観(えいかん)| |||985-987|寛和(かんな)| |||987-989|永延(えいえん)| |||989-990|永祚(えいそ)| |||990-995|正暦(しょうりゃく)| |||995-999|長徳(ちょうとく)| |||999-1004|長保(ちょうほう)| |||1004-1012|寛弘(かんこう)| |||1012-1017|長和(ちょうわ)| |||1017-1021|寛仁(かんにん)| |||1021-1024|治安(じあん)| |||1024-1028|万寿(まんじゅ)| |||1028-1037|長元(ちょうげん)| |||1037-1040|長暦(ちょうりゃく)| |||1040-1044|長久(ちょうきゅう)| |||1044-1046|寛徳(かんとく)| |||1046-1053|永承(えいしょう)| |||1053-1058|天喜(てんぎ)| |||1058-1065|康平(こうへい)| |||1065-1069|治暦(じりゃく)| |||1069-1074|延久(えんきゅう)| |||1074-1077|承保(じょうほう)| |||1077-1081|承暦(じょうりゃく)| |||1081-1084|永保(えいほう)| |||1084-1087|応徳(おうとく)| |||1087-1094|寛治(かんじ)| |||1094-1096|嘉保(かほう)| |||1096-1097|永長(えいちょう)| |||1097-1099|承徳(じょうとく)| |||1099-1104|康和(こうわ)| |||1104-1106|長治(ちょうじ)| |||1106-1108|嘉承(かしょう)| |||1108-1110|天仁(てんにん)| |||1110-1113|天永(てんえい)| |||1113-1118|永久(えいきゅう)| |||1118-1120|元永(げんえい)| |||1120-1124|保安(ほうあん)| |||1124-1126|天治(てんじ)| |||1126-1131|大治(たいじ)| |||1131-1132|天承(てんしょう)| |||1132-1135|長承(ちょうしょう)| |||1135-1141|保延(ほうえん)| |||1141-1142|永治(えいじ)| |||1142-1144|康治(こうじ)| |||1144-1145|天養(てんよう)| |||1145-1151|久安(きゅうあん)| |||1151-1154|仁平(にんぺい)| |||1154-1156|久寿(きゅうじゅ)| |||1156-1159|保元(ほうげん)| |||1159-1160|平治(へいじ)| |||1160-1161|永暦(えいりゃく)| |||1161-1163|応保(おうほう)| |||1163-1165|長寛(ちょうかん)| |||1165-1166|永万(えいまん)| |||1166-1169|仁安(にんあん)| |||1169-1171|嘉応(かおう)| |||1171-1175|承安(じょうあん)| |||1175-1177|安元(あんげん)| |1180年から1185年の6年に渡って続いた源平合戦のことを、この期間中に用いられた2つの元号から何と言うでしょうか?|治承・寿永の乱|1177-1181|治承(じしょう)| |||1181-1182|養和(ようわ)| |||1182-1184|寿永(じゅえい)| |||1184-1185|元暦(げんりゃく)| |||1185-1190|文治(ぶんじ)| |||1190-1199|建久(けんきゅう)| |||1199-1201|正治(しょうじ)| |||1201-1204|建仁(けんにん)| |||1204-1206|元久(げんきゅう)| |||1206-1207|建永(けんえい)| |||1207-1211|承元(じょうげん)| |||1211-1213|建暦(けんりゃく)| |||1213-1219|建保(けんぽう)| |1221年、鎌倉幕府による政権を快く思っていなかった後鳥羽上皇が院近臣や西国御家人と共に京で挙兵しのちに敗れた出来事を当時の元号から何と言うでしょうか?|承久の乱|1219-1222|承久(じょうきゅう)| |||1222-1224|貞応(じょうおう)| |||1224-1225|元仁(げんにん)| |||1225-1227|嘉禄(かろく)| |||1227-1229|安貞(あんてい)| |||1229-1232|寛喜(かんぎ)| |鎌倉幕府3代執権北条泰時が1232年に制定した御成敗式目の事を、制定当時の元号から何と言うでしょうか?|貞永式目|1232-1233|貞永(じょうえい)| |||1233-1234|天福(てんぷく)| |||1234-1235|文暦(ぶんりゃく)| |||1235-1238|嘉禎(かてい)| |||1238-1239|暦仁(りゃくにん)| |||1239-1240|延応(えんおう)| |||1240-1243|仁治(にんじ)| |||1243-1247|寛元(かんげん)| |1247年、執権北条氏やその外戚の安達氏らによって、有力御家人であった三浦氏が滅ぼされた戦いのことを当時の元号から何と言うでしょうか?|宝治合戦|1247-1249|宝治(ほうじ)| |||1249-1256|建長(けんちょう)| |||1256-1257|康元(こうげん)| |||1257-1259|正嘉(しょうか)| |||1259-1260|正元(しょうげん)| |||1260-1261|文応(ぶんおう)| |||1261-1264|弘長(こうちょう)| |||1264-1275|文永(ぶんえい)| |||1275-1278|建治(けんじ)| |||1278-1288|弘安(こうあん)| |||1288-1293|正応(しょうおう)| |徳政令の中でも、分割相続や元寇などによって疲弊した御家人の救済と幕府基盤の維持を目的に1297年に出された日本最初の徳政令のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|永仁の徳政令|1293-1299|永仁(えいにん)| |||1299-1302|正安(しょうあん)| |||1302-1303|乾元(けんげん)| |||1303-1306|嘉元(かげん)| |||1306-1308|徳治(とくじ)| |||1308-1311|延慶(えんきょう)| |||1311-1312|応長(おうちょう)| |||1312-1317|正和(しょうわ)| |||1317-1319|文保(ぶんぽう)| |||1319-1321|元応(げんおう)| |||1321-1324|元亨(げんこう)| |||1324-1326|正中(しょうちゅう)| |||1326-1329|嘉暦(かりゃく)| |||1329-1331|元徳(げんとく)| |||1331-1334|元弘(げんこう)※1| |||1332-1333|正慶(しょうきょう)※1| |1333年の鎌倉幕府滅亡後に、後醍醐天皇が主導するも武士の反発にあい、わずか2年余りで頓挫した天皇親政のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|建武の新政|1334-1338|&color(red){建武(けんむ)}※2| |||1338-1342|&color(red){暦応(りゃくおう)}| |||1342-1345|&color(red){康永(こうえい)}| |||1345-1350|&color(red){貞和(じょうわ)}| |||1350-1352|&color(red){観応(かんのう)}| |||1352-1356|&color(red){文和(ぶんな)}| |||1356-1361|&color(red){延文(えんぶん)}| |||1361-1362|&color(red){康安(こうあん)}| |||1362-1368|&color(red){貞治(じょうじ)}| |||1368-1375|&color(red){応安(おうあん)}| |||1375-1379|&color(red){永和(えいわ)}| |||1379-1381|&color(red){康暦(こうりゃく)}| |||1381-1384|&color(red){永徳(えいとく)}| |||1384-1387|&color(red){至徳(しとく)}| |||1387-1389|&color(red){嘉慶(かきょう)}| |||1389-1390|&color(red){康応(こうおう)}| |||1334-1336|&color(blue){建武(けんむ)}※2| |||1336-1340|&color(blue){延元(えんげん)}| |||1340-1346|&color(blue){興国(こうこく)}| |||1346-1370|&color(blue){正平(しょうへい)}| |||1370-1372|&color(blue){建徳(けんとく)}| |||1372-1375|&color(blue){文中(ぶんちゅう)}| |||1375-1381|&color(blue){天授(てんじゅ)}| |||1381-1384|&color(blue){弘和(こうわ)}| |||1384-1392|&color(blue){元中(げんちゅう)}※3| |1391年、一族で11か国を領し「六分の一衆」と言われていた山名氏が室町幕府に対して起こした反乱を当時の元号から何と言うでしょうか?|明徳の乱|1390-1394|明徳(めいとく)※3| |1419年、朝鮮軍が倭寇の根拠地と考えていた対馬を襲撃した事件のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|応永の外寇|1394-1428|応永(おうえい)| |1428年、近江国の坂本や大津の馬借の蜂起を機に発生し、畿内全域に波及した徳政を要求する一揆のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|正長の徳政一揆(土一揆)|1428-1429|正長(しょうちょう)| |1438年将軍職就任を果たせなかった鎌倉公方・足利持氏が関東管領上杉氏との対立をきっかけに起こした反乱を当時の元号から何と言うでしょうか?|永享の乱|1429-1441|永享(えいきょう)| |1441年、室町幕府6代将軍足利義教が播磨守護・赤松満祐によって暗殺された事件を当時の元号から何と言うでしょうか?|嘉吉の変|1441-1444|嘉吉(かきつ)| |||1444-1449|文安(ぶんあん)| |||1449-1452|宝徳(ほうとく)| |||1452-1455|享徳(きょうとく)| |||1455-1457|康正(こうしょう)| |||1457-1460|長禄(ちょうろく)| |||1460-1466|寛正(かんしょう)| |||1466-1467|文正(ぶんしょう)| |1467年、管領家や将軍家の家督争いに端を発し起こった、11年に渡って続いた内乱を当時の元号から何と言うでしょうか?|応仁の乱(応仁・文明の乱)|1467-1469|応仁(おうにん)| |||1469-1487|文明(ぶんめい)| |||1487-1489|長享(ちょうきょう)| |||1489-1492|延徳(えんとく)| |||1492-1501|明応(めいおう)| |||1501-1504|文亀(ぶんき)| |||1504-1521|永正(えいしょう)| |||1521-1528|大永(たいえい)| |||1528-1532|享禄(きょうろく)| |||1532-1555|天文(てんぶん)| |||1555-1558|弘治(こうじ)| |||1558-1570|永禄(えいろく)| |||1570-1573|元亀(げんき)| |||1573-1592|天正(てんしょう)| |||1592-1596|文禄(ぶんろく)| |||1596-1615|慶長(けいちょう)| |1615年、大坂の役終結により応仁の乱以来続いてきた戦乱の世が終りを告げたことを当時の元号から何と言うでしょうか?|元和偃武(げんなえんぶ)|1615-1624|元和(げんな)| |||1624-1644|寛永(かんえい)| |||1644-1648|正保(しょうほう)| |1651年、軍学者の由比正雪らを中心に起こった幕府転覆計画事件のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|慶安の変(慶安事件)|1648-1652|慶安(けいあん)| |||1652-1655|承応(じょうおう)| |1657年に発生した、江戸城天守閣消失の原因ともなった振袖火事のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|明暦の大火|1655-1658|明暦(めいれき)| |||1658-1661|万治(まんじ)| |||1661-1673|寛文(かんぶん)| |||1673-1681|延宝(えんぽう)| |||1681-1684|天和(てんな)| |渋川春海が中国の授時暦を元に日本に適応させ作り上げた、国産初の暦のことを採用された当時の元号から何と言うでしょうか|貞享暦|1684-1688|貞享(じょうきょう)| |人形浄瑠璃の近松門左衛門や俳諧の松尾芭蕉、浮世草子の井原西鶴らが活躍した、江戸中期に上方を中心に栄えた文化のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|元禄文化|1688-1704|元禄(げんろく)| |||1704-1711|宝永(ほうえい)| |江戸幕府6代将軍家宣、7代将軍家継の頃、儒学者・新井白石や側用人・間部詮房らが行った一連の文治主義政治改革のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|正徳の治|1711-1716|正徳(しょうとく)| |||1716-1736|享保(きょうほう)| |||1736-1741|元文(げんぶん)| |||1741-1744|寛保(かんぽう)| |||1744-1748|延享(えんきょう)| |||1748-1751|寛延(かんえん)| |||1751-1764|宝暦(ほうれき)| |||1764-1772|明和(めいわ)| |||1772-1781|安永(あんえい)| |||1781-1789|天明(てんめい)| |||1789-1801|寛政(かんせい)| |||1801-1804|享和(きょうわ)| |浮世絵の葛飾北斎や歌川広重、国学の本居宣長、洋学の伊能忠敬などといった人物が活躍した、江戸後期に江戸の町人を中心に栄えた文化のことを当時用いられた2つの元号から何と言うでしょうか?|化政文化|1804-1818|文化(ぶんか)| |||1818-1830|文政(ぶんせい)| |||1830-1844|天保(てんぽう)| |||1844-1848|弘化(こうか)| |||1848-1854|嘉永(かえい)| |||1854-1860|安政(あんせい)| |||1860-1861|万延(まんえん)| |||1861-1864|文久(ぶんきゅう)| |||1864-1865|元治(げんじ)| |||1865-1868|慶応(けいおう)| |||1868-1912|明治(めいじ)| |||1912-1926|大正(たいしょう)| |||1926-1989|昭和(しょうわ)| |||1989-|平成(へいせい)| &color(red){赤字}は北朝、&color(blue){青字}は南朝 ※1鎌倉幕府方は倒幕を画策する後醍醐天皇が改元した「元弘」を認めず光厳天皇を擁立、元号を「正慶」とし幕府滅亡まで使用した ※2「建武」は南朝では二年後に改元したが、北朝では四年後に改元した ※3南朝方の後亀山天皇が退位し南北朝合一、元号が「明徳」 文責 T道雪
|||645-650|大化(たいか)| |||650-654|白雉(はくち)| |||686|朱鳥(しゅちょう)| |||701-704|大宝(たいほう)| |||704-708|慶雲(けいうん)| |武蔵国から「ニギアカガネ」と呼ばれる銅が朝廷に献上されたことを祝し改元された元号は何でしょうか?|和銅|708-715|和銅(わどう)| |||715-717|霊亀(れいき)| |美濃国のとある地に行幸した元正天皇が、そこにあった滝に因み改元した元号は何でしょうか?|養老|717-724|養老(ようろう)| |||724-729|神亀(じんき)| |||729-749|天平(てんぴょう)| |||749|天平感宝(てんぴょうかんぽう)| |||749-757|天平勝宝(てんぴょうしょうほう)| |||757-765|天平宝字(てんぴょうほうじ)| |||765-767|天平神護(てんぴょうじんご)| |||767-770|神護景雲(じんごけいうん)| |||770-781|宝亀(ほうき)| |||781-782|天応(てんおう)| |||782-806|延暦(えんりゃく)| |||806-810|大同(だいどう)| |||810-824|弘仁(こうにん)| |||824-834|天長(てんちょう)| |||834-848|承和(じょうわ)| |||848-851|嘉祥(かしょう)| |||851-854|仁寿(にんじゅ)| |||854-857|斉衡(さいこう)| |||857-859|天安(てんあん)| |||859-877|貞観(じょうがん)| |||877-885|元慶(がんぎょう)| |||885-889|仁和(にんな)| |||889-898|寛平(かんぴょう)| |||898-901|昌泰(しょうたい)| |||901-923|延喜(えんぎ)| |||923-931|延長(えんちょう)| |||931-938|承平(じょうへい)| |||938-947|天慶(てんぎょう)| |||947-957|天暦(てんりゃく)| |||957-961|天徳(てんとく)| |||961-964|応和(おうわ)| |||964-968|康保(こうほう)| |||968-970|安和(あんな)| |||970-973|天禄(てんろく)| |||973-976|天延(てんえん)| |||976-978|貞元(じょうげん)| |||978-983|天元(てんげん)| |||983-985|永観(えいかん)| |||985-987|寛和(かんな)| |||987-989|永延(えいえん)| |||989-990|永祚(えいそ)| |||990-995|正暦(しょうりゃく)| |||995-999|長徳(ちょうとく)| |||999-1004|長保(ちょうほう)| |||1004-1012|寛弘(かんこう)| |||1012-1017|長和(ちょうわ)| |||1017-1021|寛仁(かんにん)| |||1021-1024|治安(じあん)| |||1024-1028|万寿(まんじゅ)| |||1028-1037|長元(ちょうげん)| |||1037-1040|長暦(ちょうりゃく)| |||1040-1044|長久(ちょうきゅう)| |||1044-1046|寛徳(かんとく)| |||1046-1053|永承(えいしょう)| |||1053-1058|天喜(てんぎ)| |||1058-1065|康平(こうへい)| |||1065-1069|治暦(じりゃく)| |||1069-1074|延久(えんきゅう)| |||1074-1077|承保(じょうほう)| |||1077-1081|承暦(じょうりゃく)| |||1081-1084|永保(えいほう)| |||1084-1087|応徳(おうとく)| |||1087-1094|寛治(かんじ)| |||1094-1096|嘉保(かほう)| |||1096-1097|永長(えいちょう)| |||1097-1099|承徳(じょうとく)| |||1099-1104|康和(こうわ)| |||1104-1106|長治(ちょうじ)| |||1106-1108|嘉承(かしょう)| |||1108-1110|天仁(てんにん)| |||1110-1113|天永(てんえい)| |||1113-1118|永久(えいきゅう)| |||1118-1120|元永(げんえい)| |||1120-1124|保安(ほうあん)| |||1124-1126|天治(てんじ)| |||1126-1131|大治(たいじ)| |||1131-1132|天承(てんしょう)| |||1132-1135|長承(ちょうしょう)| |||1135-1141|保延(ほうえん)| |||1141-1142|永治(えいじ)| |||1142-1144|康治(こうじ)| |||1144-1145|天養(てんよう)| |||1145-1151|久安(きゅうあん)| |||1151-1154|仁平(にんぺい)| |||1154-1156|久寿(きゅうじゅ)| |||1156-1159|保元(ほうげん)| |||1159-1160|平治(へいじ)| |||1160-1161|永暦(えいりゃく)| |||1161-1163|応保(おうほう)| |||1163-1165|長寛(ちょうかん)| |||1165-1166|永万(えいまん)| |||1166-1169|仁安(にんあん)| |||1169-1171|嘉応(かおう)| |||1171-1175|承安(じょうあん)| |||1175-1177|安元(あんげん)| |1180年から1185年の6年に渡って続いた源平合戦のことを、この期間中に用いられた2つの元号から何と言うでしょうか?|治承・寿永の乱|1177-1181|治承(じしょう)| |||1181-1182|養和(ようわ)| |||1182-1184|寿永(じゅえい)| |||1184-1185|元暦(げんりゃく)| |||1185-1190|文治(ぶんじ)| |||1190-1199|建久(けんきゅう)| |||1199-1201|正治(しょうじ)| |||1201-1204|建仁(けんにん)| |||1204-1206|元久(げんきゅう)| |||1206-1207|建永(けんえい)| |||1207-1211|承元(じょうげん)| |||1211-1213|建暦(けんりゃく)| |||1213-1219|建保(けんぽう)| |1221年、鎌倉幕府による政権を快く思っていなかった後鳥羽上皇が院近臣や西国御家人と共に京で挙兵しのちに敗れた出来事を当時の元号から何と言うでしょうか?|承久の乱|1219-1222|承久(じょうきゅう)| |||1222-1224|貞応(じょうおう)| |||1224-1225|元仁(げんにん)| |||1225-1227|嘉禄(かろく)| |||1227-1229|安貞(あんてい)| |||1229-1232|寛喜(かんぎ)| |鎌倉幕府3代執権北条泰時が1232年に制定した御成敗式目の事を、制定当時の元号から何と言うでしょうか?|貞永式目|1232-1233|貞永(じょうえい)| |||1233-1234|天福(てんぷく)| |||1234-1235|文暦(ぶんりゃく)| |||1235-1238|嘉禎(かてい)| |||1238-1239|暦仁(りゃくにん)| |||1239-1240|延応(えんおう)| |||1240-1243|仁治(にんじ)| |||1243-1247|寛元(かんげん)| |1247年、執権北条氏やその外戚の安達氏らによって、有力御家人であった三浦氏が滅ぼされた戦いのことを当時の元号から何と言うでしょうか?|宝治合戦|1247-1249|宝治(ほうじ)| |||1249-1256|建長(けんちょう)| |||1256-1257|康元(こうげん)| |||1257-1259|正嘉(しょうか)| |||1259-1260|正元(しょうげん)| |||1260-1261|文応(ぶんおう)| |||1261-1264|弘長(こうちょう)| |||1264-1275|文永(ぶんえい)| |||1275-1278|建治(けんじ)| |||1278-1288|弘安(こうあん)| |||1288-1293|正応(しょうおう)| |徳政令の中でも、分割相続や元寇などによって疲弊した御家人の救済と幕府基盤の維持を目的に1297年に出された日本最初の徳政令のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|永仁の徳政令|1293-1299|永仁(えいにん)| |||1299-1302|正安(しょうあん)| |||1302-1303|乾元(けんげん)| |||1303-1306|嘉元(かげん)| |||1306-1308|徳治(とくじ)| |||1308-1311|延慶(えんきょう)| |||1311-1312|応長(おうちょう)| |||1312-1317|正和(しょうわ)| |||1317-1319|文保(ぶんぽう)| |||1319-1321|元応(げんおう)| |||1321-1324|元亨(げんこう)| |||1324-1326|正中(しょうちゅう)| |||1326-1329|嘉暦(かりゃく)| |||1329-1331|元徳(げんとく)| |||1331-1334|元弘(げんこう)※1| |||1332-1333|正慶(しょうきょう)※1| |1333年の鎌倉幕府滅亡後に、後醍醐天皇が主導するも武士の反発にあい、わずか2年余りで頓挫した天皇親政のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|建武の新政|1334-1338|&color(red){建武(けんむ)}※2| |||1338-1342|&color(red){暦応(りゃくおう)}| |||1342-1345|&color(red){康永(こうえい)}| |||1345-1350|&color(red){貞和(じょうわ)}| |||1350-1352|&color(red){観応(かんのう)}| |||1352-1356|&color(red){文和(ぶんな)}| |||1356-1361|&color(red){延文(えんぶん)}| |||1361-1362|&color(red){康安(こうあん)}| |||1362-1368|&color(red){貞治(じょうじ)}| |||1368-1375|&color(red){応安(おうあん)}| |||1375-1379|&color(red){永和(えいわ)}| |||1379-1381|&color(red){康暦(こうりゃく)}| |||1381-1384|&color(red){永徳(えいとく)}| |||1384-1387|&color(red){至徳(しとく)}| |||1387-1389|&color(red){嘉慶(かきょう)}| |||1389-1390|&color(red){康応(こうおう)}| |||1334-1336|&color(blue){建武(けんむ)}※2| |||1336-1340|&color(blue){延元(えんげん)}| |||1340-1346|&color(blue){興国(こうこく)}| |||1346-1370|&color(blue){正平(しょうへい)}| |||1370-1372|&color(blue){建徳(けんとく)}| |||1372-1375|&color(blue){文中(ぶんちゅう)}| |||1375-1381|&color(blue){天授(てんじゅ)}| |||1381-1384|&color(blue){弘和(こうわ)}| |||1384-1392|&color(blue){元中(げんちゅう)}※3| |1391年、一族で11か国を領し「六分の一衆」と言われていた山名氏が室町幕府に対して起こした反乱を当時の元号から何と言うでしょうか?|明徳の乱|1390-1394|明徳(めいとく)※3| |1419年、朝鮮軍が倭寇の根拠地と考えていた対馬を襲撃した事件のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|応永の外寇|1394-1428|応永(おうえい)| |1428年、近江国の坂本や大津の馬借の蜂起を機に発生し、畿内全域に波及した徳政を要求する一揆のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|正長の徳政一揆(土一揆)|1428-1429|正長(しょうちょう)| |1438年将軍職就任を果たせなかった鎌倉公方・足利持氏が関東管領上杉氏との対立をきっかけに起こした反乱を当時の元号から何と言うでしょうか?|永享の乱|1429-1441|永享(えいきょう)| |1441年、室町幕府6代将軍足利義教が播磨守護・赤松満祐によって暗殺された事件を当時の元号から何と言うでしょうか?|嘉吉の変|1441-1444|嘉吉(かきつ)| |||1444-1449|文安(ぶんあん)| |||1449-1452|宝徳(ほうとく)| |||1452-1455|享徳(きょうとく)| |||1455-1457|康正(こうしょう)| |||1457-1460|長禄(ちょうろく)| |||1460-1466|寛正(かんしょう)| |||1466-1467|文正(ぶんしょう)| |1467年、管領家や将軍家の家督争いに端を発し起こった、11年に渡って続いた内乱を当時の元号から何と言うでしょうか?|応仁の乱(応仁・文明の乱)|1467-1469|応仁(おうにん)| |||1469-1487|文明(ぶんめい)| |||1487-1489|長享(ちょうきょう)| |||1489-1492|延徳(えんとく)| |||1492-1501|明応(めいおう)| |||1501-1504|文亀(ぶんき)| |||1504-1521|永正(えいしょう)| |||1521-1528|大永(たいえい)| |||1528-1532|享禄(きょうろく)| |||1532-1555|天文(てんぶん)| |||1555-1558|弘治(こうじ)| |||1558-1570|永禄(えいろく)| |||1570-1573|元亀(げんき)| |||1573-1592|天正(てんしょう)| |||1592-1596|文禄(ぶんろく)| |||1596-1615|慶長(けいちょう)| |1615年、大坂の役終結により応仁の乱以来続いてきた戦乱の世が終りを告げたことを当時の元号から何と言うでしょうか?|元和偃武(げんなえんぶ)|1615-1624|元和(げんな)| |||1624-1644|寛永(かんえい)| |||1644-1648|正保(しょうほう)| |1651年、軍学者の由比正雪らを中心に起こった幕府転覆計画事件のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|慶安の変(慶安事件)|1648-1652|慶安(けいあん)| |||1652-1655|承応(じょうおう)| |1657年に発生した、江戸城天守閣消失の原因ともなった振袖火事のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|明暦の大火|1655-1658|明暦(めいれき)| |||1658-1661|万治(まんじ)| |||1661-1673|寛文(かんぶん)| |||1673-1681|延宝(えんぽう)| |||1681-1684|天和(てんな)| |渋川春海が中国の授時暦を元に日本に適応させ作り上げた、国産初の暦のことを採用された当時の元号から何と言うでしょうか|貞享暦|1684-1688|貞享(じょうきょう)| |人形浄瑠璃の近松門左衛門や俳諧の松尾芭蕉、浮世草子の井原西鶴らが活躍した、江戸中期に上方を中心に栄えた文化のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|元禄文化|1688-1704|元禄(げんろく)| |||1704-1711|宝永(ほうえい)| |江戸幕府6代将軍家宣、7代将軍家継の頃、儒学者・新井白石や側用人・間部詮房らが行った一連の文治主義政治改革のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|正徳の治|1711-1716|正徳(しょうとく)| |||1716-1736|享保(きょうほう)| |||1736-1741|元文(げんぶん)| |||1741-1744|寛保(かんぽう)| |||1744-1748|延享(えんきょう)| |||1748-1751|寛延(かんえん)| |江戸中期、幕府や摂関家に不満を抱いていた公家たちと彼らに尊王論を説いた竹内式部が処分された事件のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|宝暦事件|1751-1764|宝暦(ほうれき)| |尊王論者である山県大弐が、江戸攻略の軍法を説いたことから不敬罪として処刑された事件のことを当時の元号から何と言うでしょうか?|明和事件|1764-1772|明和(めいわ)| |||1772-1781|安永(あんえい)| |||1781-1789|天明(てんめい)| |||1789-1801|寛政(かんせい)| |||1801-1804|享和(きょうわ)| |浮世絵の葛飾北斎や歌川広重、国学の本居宣長、洋学の伊能忠敬などといった人物が活躍した、江戸後期に江戸の町人を中心に栄えた文化のことを当時用いられた2つの元号から何と言うでしょうか?|化政文化|1804-1818|文化(ぶんか)| |||1818-1830|文政(ぶんせい)| |||1830-1844|天保(てんぽう)| |||1844-1848|弘化(こうか)| |||1848-1854|嘉永(かえい)| |||1854-1860|安政(あんせい)| |||1860-1861|万延(まんえん)| |||1861-1864|文久(ぶんきゅう)| |||1864-1865|元治(げんじ)| |||1865-1868|慶応(けいおう)| |||1868-1912|明治(めいじ)| |||1912-1926|大正(たいしょう)| |||1926-1989|昭和(しょうわ)| |||1989-|平成(へいせい)| &color(red){赤字}は北朝、&color(blue){青字}は南朝 ※1鎌倉幕府方は倒幕を画策する後醍醐天皇が改元した「元弘」を認めず光厳天皇を擁立、元号を「正慶」とし幕府滅亡まで使用した ※2「建武」は南朝では二年後に改元したが、北朝では四年後に改元した ※3南朝方の後亀山天皇が退位し南北朝合一、元号が「明徳」 文責 T道雪

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