復命記録(2007年1月 上海)

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復命記録(2007年1月 上海) - (2008/01/08 (火) 11:48:55) のソース

<p><font color="#FF0000" size="3"><strong>復命記録</strong></font></p>
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<p><font size="3">年月日:2007年1月某日</font></p>
<p><font size="3">場所:上海</font></p>
<p><font size="3">対象:職場旅行会</font></p>
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<p><strong><font color="#FF0000"> 2007年1月某日(初日)</font></strong></p>
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<p>上海にはどれくらい行っていなかったんだろう。<br>
まだ虹橋空港で国際便が発着していた頃だったというおぼろげな記憶だけが残っている。<br>
派遣先の職場旅行、行き先は「上海」。<br>
本社の海外事務所がある街だ。<br>
海外事務所勤務に採用されるまでは上海に降り立つまいという気持ちはあったが、このような形で禁を破るとは思わなかった。</p>
<p>そもそも、上海はChinese popsファンにとってはあまりメリットのない街でもある。<br>
サイン会やコンサートが頻繁にあるわけでもなく、ラジオ番組の質もイマイチ。CDは海賊盤ばかり。しかも現地での日常会話は上海語なのでまったく聞き取れない。ネットでのチケット予約もできず、知り合いもほとんどいないので、自然と足が遠退いてしまったのも実際のところである。</p>
<p>当日は午前便ということで、寝坊気味の自分に自信がなかったため、FM
COCOLOの深夜番組を聴きながら徹夜。そのまま関空へ(…ただ、ここで旅心を出そうという下心がいけなかった)。ミナミまで行き、そこからOCATへ。リムジンバスで移動する選択肢を取ったのだが、意外なほどに便数が少ない。ぎりぎりに関空へ到着。<br>
今回乗る便は全日空と中国国際航空・上海航空のコードシェア。JTBの担当者O氏に、気になっていた人民元の旧札が使えるかどうかの質問をすると「不可」とのこと。北京等で使わなかった人民元、紙屑なのか。「新札発行に伴い、一定期間を経て旧札は使えなくなる」とのネット情報は本当だったのか。</p>
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10時、搭乗。中国語の新聞をもらって、王力宏の記事を見て喜ぶ。凹んでいるのも、こうした些細なことで復活する自分にあきれる。周囲は酒。でも、徹夜のせいか酒に手が伸びず。結局は水のみ。</p>
<p>1時、到着。<br>
上海・浦東空港は綺麗な空港だが、外に一歩出れば埃っぽく空気が悪い。<br>
関空との違いはこの辺にあるのだろうか。<br>
設計者が両空港とも同じだということもあるが、そうした違いを感じる。<br>
バスの横をリニアが走る。リニアは早い、早すぎるので感想が出る暇もない。<br>
バス内で両替が始まる。1万円で610人民元。<br>
同僚の通貨を覗いてみると、見事に旧札ばかりである。<br>
「旧札は使用可能」だとガイドの揚さんがあっさり一言。<br>
…JTB、許さん(怒)。</p>
<p>ホテルに到着すると、テレビで千島列島でM8級の地震があったとの報道。</p>
<p>ひとまずホテルを出て、周囲を散策。静安寺まで10分ほどの場所なので、まずはそちらへ。春節用のグリーティングカードを購入。<br>
その足で南京東路へ行く。まるで変化してしまった町並みを歩くと、逆ナン数件。もちろん、もてているわけではない。日本語と韓国語で話しかけてくるが、こうしたお誘いの先に何があるかなんてだいたい分かりそうなものである。「i-podを聴いているシンガポール人」という設定でその場を切り抜けようとするのだが、ヘッドホンを取り上げようとする子もいる。強引だ。しかも彼女達も僕も周回しているので、会う度にこうしたやり取りが繰り返される。</p>
<p>ホテルに戻り、先発組(半舷上陸で2班に分かれている)と合流。<br>
宴席は和気藹々と盛り上がった。</p>
<p>食事が終わって外灘へ。移動はホテル近くから出ている公共バス。<br>
たった2元なのにテレビ付。薄暗い連結トロリーバスに乗りたかったのだが、もうそういう時代ではないのだろう。ただ、がっかりしたのは夜景。香港と比較しては可哀相だが、直線と幾何学模様のライトと、広告だらけの光るネオンを見せられてはげんなりである。旧市街地の方が落ち着く。10年以上前、最初に泊まったホテルだった上海大廈はそのままの様子で残っており、ついつい懐かしむ。どうしても京都宛にメールを送りたい相手がいたので、ここで携帯メール。ありがたい。</p>
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 和平飯店の近くでは、今度はポン引きのおっさんが登場である。200元でどうだと日本語で誘ってくるので、今度は「太田出身の韓国人観光客」という設定で逃げる。それでもおっさんは諦めない。最後は中川家流のハングルでまくし立て、ホテルへ戻った。</p>
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<p><strong><font color="#FF0000"> 2007年1月某日(2日目)</font></strong></p>
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<p><strong><font color="#FF0000"> 2007年1月某日(3日目)</font></strong></p>
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