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NHK高校講座現代文私という自分 - (2013/11/24 (日) 12:46:10) のソース

http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_genbun/archive/genbun_05_06.pdf
NHK高校講座現代文 私という自分 を聞いての個人的な感想。
私は頭が悪いのでこの作品の以下の部分がよくわかりませんでした。
ただいま書きかけ。

*抜粋
世界は、 「自分」と「自分以外の他者」で成り立っている。
言い換えればそれは、いくら強烈で確実な 「自分」 を有していたところで、 それを認識してくれる「自分以外の他者」がいなければ世界は成立し得ない、といことでもある。 
たとえば「自分は強い」ということを自分の中でいくら信じていたところで、そういう「強い私」を認識してくれる
「自分以外の他者」がないけなれば「強い私」は架空のものになる。
「強い私」どこにもいなくなってしまうのだ。
もっと言えば「自分以外の他者」の存在を無視するとき、言葉あるいは感覚ですらその意味は無になる。
「あのリンゴは赤い」という事実をいくら認識していたとしても、その事実を伝達する対象となる他者がいなければ
赤いリンゴ自体がどこにも存在しないものになるのだ。
*終わり

作者の言ってることが私にはよくわからないのです。
私に何が理解できなかったかをあなたに理解してもらうためにたとえ話で書いてみます。

まずじゃんけん世界の住人グー チョキ パーを考えます。
グーとパーはパーはグーに勝ち、グーはチョキに勝つという共通認識、作者流にいえば世界を成立させたとします。
この時、パー最強、パーはチョキに勝てるとの勘違いをグーとパーが認識したとします。
作者流にいえば、この勘違いは真実で、チョキはパーに勝つは虚構となります。

これでよいのでしょうか?
日常の中でもパーはチョキに勝つ的勘違い世界が無数に成立していて、もしくは無数に成立していると思い込んでいて世の中が回ってる気がするのです。

私が何を言いたいかさらにたとえてみれば。

石の中にはダイヤモンド(相互理解にあたる)がある。
ダイヤモンドは価値が高い。
よって石はすべて価値が高い。

作者がいってることは私にはそういう意味だと感じられるのです。
私の感覚ではほとんどの世界は、石ころに分類される



書きかけ


私はだから人間はよくないといいたいのではないのです。
むしろ逆です。
価値のない石ころだらけの世界(共通認識)のなかで生きていてもうまく回る社会や人間の知能の仕組みに感心するのです。