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'''山梨軍縮'''('''やまなしぐんしゅく''')とは、[[加藤友三郎内閣]]の[[陸軍大臣]][[山梨半造]]により、[[1922年]]8月と翌年4月の二度にわたって行われた陸軍史上初の軍縮のこと。
[[第一次世界大戦]]後、世界的に軍縮が大勢となって海軍力の軍縮が主要国で協議され、[[ワシントン海軍軍縮条約]]において一応成功した形になった。
この結果、アメリカとの衝突の可能性も当面無くなり、一方ロシアについても[[1917年]]に起きた[[ロシア革命]]の結果、国内の政治的混乱に未だ収拾のめどはついていない状態であったため、日本に直接大きな脅威を与える国は、当面の間は見当たらない状況になった。
そうした状況下で海軍が大規模な軍縮に着手している以上、陸軍としても議会の軍縮要求にまったく耳を貸さないでいることは許されなくなる。
そこで、時の陸軍大臣・山梨半造は、ついに軍備の整理・縮小に着手することになり、[[1922年]](大正元年)8月に'''第一次軍備整理'''、翌1923年4月の'''第二次軍備整理'''と2度にわたってこれを実施した。
このいわゆる山梨軍縮は、約60,000人の将兵、13,000頭の馬を削減するものであった。
しかしながら、これではまだ不徹底であるとの批判が強く、のちに[[宇垣軍縮]]が行われることとなった。
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