【書籍】Режиссерские искания Станиславского(1898-1917)

Режиссерские искания Станиславского
М.Н. Строева
М., Наука, 1973.
【解説】
スタニスラフスキーが手がけたモスクワ芸術座の演出史。
筆者のサイン入りを演劇図書館で発見し購入。
【目次】
『かもめ』:С.32-37
『ワーニャ叔父さん』:С.48-52
『三人姉妹』:С.73-78
『桜の園』:С.120-136
 スタニスラフスキーは『桜の園』にこれまでのチェーホフ作品とは違う部分があることに気がつき、
今までのようなチェーホフのトーンを繰り返すことに危惧を抱いていた。
 そして、彼は『桜の園』を悲劇として理解し、作者と論争を繰り広げている。普通の人にとってこれは紛れもない悲劇だと。そして、舞台はハーフトーン優しく潤いのある色彩に達したと後に述べている。また、チェーホフに手紙の中で第2幕をレヴィタンのような情景だと伝えている。しかし、結局「ロシア生活の重いドラマ」ということは変わらず、初演を見たチェーホフは気に入らなかった。
 後にダンチェンコは書いている。「私たちはかつて過ちを犯した。チェーホフの指摘や手紙、希有な優しい輪郭に理解を示そうとしなかったのだ。」
 しかし、スタニスラフスキーが誤った解釈をしたのでも、理解できなかったのでもない。明らかに彼にはチェーホフの戯曲に対する新しいアプローチは困難だった。既にこれまで培ってきた彼のリアリズムの方法では、矛盾が生じてしまったのである。
 これは後にメイエルホリドのモスクワ芸術座批判となって現れている。ナチュラリスムを用いて『桜の園』を演じたのでは、チェーホフの神秘性は損なわれてしまう、と彼は指摘した。
 確かに、彼はこれまでの方法を用いて『桜の園』を上演したが、それは完璧なものだった。今日、彼の残した演出ノートを注意深く読むと、難解で神秘的な作品に対する彼の情熱を読み取ることができる。
 彼にとって『桜の園』は、ロシアの社会における悲劇的な歴史の中の世代交代として響いた。世代交代は必要かもしれないが、人々が互いに不幸にしあうことは彼にとって厳しいものだった。
 演出家はロシアの3つの世代、過去、現在、未来、それぞれのグループに客観的かつ内面にも視線を向けた。ラネーフスカヤ、ロパーヒン、トロフィーモフの3つのメロディ。一つ目は過去のメロディ、既に非現実的で桜の花のよう。もう一つのメロディも非現実的で未来に熱狂的に向かう。一つだけが現実的なメロディ。ロパーヒンは静かに狼狽しながら「私が買いました」と答える。
 彼はラネーフスカヤにもトロフィーモフにもロパーヒンにも誰にも否定的な目を向けてはいなかった。スタニスラフスキーは「なぜ優しき魂を持ったロパーヒンがラネーフスカヤを助けなかったのか?」と問い、こう答えている。「それは彼が商人の偏見に捕われていたからだ。彼は商人達の笑いものになっていた」。
 (スタニスラフスキーのナチュラリスムに対する批判的意見)
 スタニスラフスキーは「全ての芸術は雰囲気に到達する」と繰り返していた。(Настроение)
 『桜の園』がすぐに完全にならなかったのは、ナチュラリスムを演出家が信奉していたためでは全くない。この戯曲がリアリズムをシンボルにまで研ぎ澄ますのが困難だったためである。(C.129)
 作家と劇場の食い違いは、双方の歴史観の違いを明らかにした。劇場にとってスタニスラフスキーにとって、歴史観は何よりも厳しい歴史的変化と結びついていた。普通の人にとって、悲劇であった。
 『桜の園』は芸術座にとってだけでなく、チェーホフ自身にとっても新しい傾向を持った作品であった。これまでチェーホフはモスクワ芸術座のすぐ近くに居た。しかし、彼は新しい方向性を求めて先に進んでしまったのである。
 スタニスラフスキーはチェーホフの死により、彼の満足の行く桜の園を見せることができなかったことを悔やんでいた。
 (ここからはゴーリキーなどの話に移って終わる)


最終更新:2009年01月11日 20:19
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