社会論
- 社会の定義は広範囲におよぶために難しい所があります。余科学の立場としては、社会学を正面から取り上げることはしませんので、ある面から構造論的に論じたいと思います。
- レヴィ=ストロースは、動物がみずからの死すべき運命を知ることを阻むものが社会で、文化はそれを知る人間の対応と述べました。このように社会を機能的に定義した場合、資本主義や格差問題に対する解釈が得られます。
- 現代社会は競争社会であることは、ほぼ異論がない所と思われます。上記の定義に則れば、競争は死すべき運命を知ることを阻むものとしてとても有効な手段です。資本主義はその起源を辿ればそのような概念が発明された上で実現されたものではなく、人類社会に自然に定着したものであると考えるべきでしょう。資本主義を説くものとして有名な「資本論」がありますが、共産主義を唱えたマルクスとエンゲルスの著作であり、資本主義は共産主義の対義語として明確化されたものと捉えることが自然と考えます。そして、資本主義は競走を大いに促すものですから、資本主義社会は競走社会になります。
- しかし必ずしも競争社会である必要はありません。かつての少数部族には、競走のような競走のない穏やかな社会があったと聞きます。実際にそういった社会は実現可能だと思われますが、世界の組織化・平坦化が進み、社会の巨大化が進む中では、死すべき運命を知ることを阻むものとして万人に通用する強力な慣性の力が必要であり、その唯一と言ってよいものこそが、競走ということになります。
- 競走が強力なのは、頭脳の構造によるものです。競走は序列であるので脳が最も得意とすることです。詳しくは頭脳論に述べます。
最終更新:2010年01月05日 00:13