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   6  屋敷の一室に、眼鏡をかけた赤いスーツの女性がいる。彼女の目の前にいるのは、質素なワンピースを着た女性だ。 「新聞の広告を見て、応募してきたという訳ですね」 「はい。まだ学校を卒業したばかりなので、こういうお仕事の経験はありませんが……」  ワンピースの女性はそばかすが残る顔を少し赤らめている。本当に仕事の経験が無いのだろう。 「構いません。経験は積んでいけば済むことです。こちらとしてはすぐにでもお仕事をして欲しいのですが、よろしいですか?」 「ほ、本当ですか?」 「嘘を言っても仕方ないでしょう。明後日のパーティの為に、本当に猫の手でも借りたいくらいなのよ。貴女がいいなら、すぐにでも」 「わかりました! よろしくお願いします!」 「よろしくね、えっと、アエルさん」 「はい! よろしくお願いします!」  アエルは頭を下げた。  カレラ・ミルステラは目の前の少女を気に入っていた。素朴そうだし、何より真面目そうである。パーティが終われば正式に採用して、屋敷のメイドになってもらおう。そう考えている。 「私はこれから仕事があるから、後はキリエさんから話を聞いてちょうだい」  そう言って、カレラは手元のスイッチを入れた。少しして、部屋のドアがノックされる。中に入ってきたのは、髪の長いメイドだった。美しい顔立ちだ、とアエルは思った。 「彼女はキリエさん。うちで働き始めたのは最近だけど、とても優秀なのよ。では、後はお願いするわ」 「かしこまりました」  キリエは深々とおじぎをした。カレラが部屋を出る。 「貴女がアエルさんね。はじめまして」 「はじめまして」  挨拶をすると、キリエは微笑んだ。 「頭が良いのね。ウェリントンスクールといえば名門じゃない」 「そんな。私はまぐれで入れたようなものですから」 「そうは見えないけど。まぁいいわ。まずは制服に着替えてもらえるかしら」  床に置かれていた紙袋から、新品のメイド服が手渡される。 「ここでね」 「……えっ?」 「何よ。女同士だから恥ずかしくはないでしょう?」  キリエは、カレラが座っていたソファに腰を下ろす。 「で、でも」 「早く。早速仕事をしてもらうんだから」 「は、はい……」  アエルは言われた通り、ワンピースを脱いだ。そばかす顔には不釣合いの美しい体つきに、キリエの表情がいやらしいものに変わる。 「いい身体をしているのね。経験は?」 「けっ……!」  アエルは頬を真っ赤にして、手にしていたメイド服で下着姿を隠す。 「冗談よ」  キリエはニヤニヤと笑ったままだ。視線はアエルの全身を嘗め回すように見ている。  アエルは時折先輩メイドを伺いつつ、なんとか着替え終わった。 「じゃあ、早速だけど一緒に仕事をしてもらうわ。お客様が来ているから、お茶をお出ししないといけないの」 「は、はい」  ドアを開けようとした時、背後からキリエがアエルを抱きしめた。 「ちょっ、ちょっと! 先輩っ!?」 「いい感度ね。バージン?」 「やめて下さいっ!」 「ふふ、わかったわ」  キリエから解放され、アエルは床に座り込んでしまった。  それを見ながら、キリエは嬉しそうに微笑んだ。 「初心なのね。そういう子、私は好きよ」  本当に嬉しそうに笑ったのだ。  キリエについて廊下を歩く。カートを押す姿は完璧なメイドだが、アエルはすっかりキリエに警戒心を抱いてしまったらしい。少し離れた後ろを歩いている。 「お茶を淹れるのは得意?」 「得意というほどでは……」 「そう。だったら今日は配るのをお願いするわ」 「はい」  アエルはキリエを追いながら、廊下をキョロキョロと見ていた。調度品は高級品で統一されていて、本当にお金持ちだということがわかる。屋敷も広く、パーティの会場でもあるホールは数百人くらいなら入るだろう。  これなら、代議士夫人も宝石を集めているのに納得がいく。それに「金にものを言わせて」という部分も。一般市民でも知っているレベルの話なのだ。噂話の域を出てはいないが、真実なのだろう。 「アエル」 「は、はい」  キリエが立ち止まっていた。あと少し気づくのが遅れたら、キリエにぶつかっていただろう。 「緊張しなくていいわよ。リラックスして」 「はい」  ドアを軽くノックする。 「お茶をお持ちしました」 「どうぞ」  聞こえたのはカレラの声だ。 「失礼します」  ドアを開けて、カートを押していく。アエルはそれに続いた。 「ご苦労様」  部屋の下座にあたるソファに座っているのはカレラだ。そして、上座にいるのは、スーツ姿の美女が二人。 「……アエル?」 「は、はい」 「申し訳ありません。こっちのメイドは、本日入ったばかりでして」  キリエが頭を下げる。 「パーティの準備で人員募集をかけているんでしたね」  褐色肌の美女が、カレラに訊いた。 「はい。一応、彼女が最後の採用者ということで」 「そうですか」  褐色肌の美女──オリヴィラ・シルヴェイラ特級巡査だ──はそう返事をすると、アエルを鋭い目つきで見た。    7  FLOWERSが予告した日時は明後日に迫っている。代議士のパーティの日を狙ったのだ。  アリシアは警備計画の詰めとして、ここ数日はこうして顔を出していた。それに今日はオリヴィラをカレラに紹介する目的もあった。 「ダージリンティーでございます」  キリエがそう言って、カップに注いでいく。いい香りが部屋に広がる。  アエルがカップをオリヴィラの前に置こうとした時だった。 「あっ」  キリエが突然そんな声をあげたので、アエルは身体をビクッと動かしてしまった。カップが傾き、オリヴィラの膝にダージリンがかかってしまった。白系の色をしたスーツだった為、みるみるうちに染みができる。 「し、失礼しました!」  アエルが慌てている中、キリエは僅かに笑っていた。 (わ、わざとだ!)  アエルはそう思いながら、ハンカチを取り出す。すると、オリヴィラはその右手を掴んだ。鋭い視線がアエルを射抜く。 「カレラさん。先ほど、捕縛術が信用できないと仰りましたね」 「え、ええ。やはりこの目で見てみないことには。それより……」 「ならばこの場でお目にかけましょう」  オリヴィラはそう言うと、怯えているアエルを見た。 「貴女、協力してちょうだい。それでこの粗相は不問にしてあげるから」 「は、はい……」  アエルはそう呟く。その次の瞬間、彼女の右手に縄が絡み付いていた。 「え、ええっ!?」  オリヴィラは黙ったまま、アエルの全身を引っ張った。左手も背中の方に回される。手首を縛られていく。  この早業に、見ているカレラもキリエも驚いていた。アリシアは一般人を巻き込んでの行為に眉をひそめている。 「この捕縛術は、警察で使用されていたものを私なりにアレンジしたものです」  説明をしながら、オリヴィラは手を休めることなく、アエルを縛り上げていく。腕も縄で固定されてしまった。 「より少ない手順で、より拘束力を増すにはどうすればよいかを」  アエルが小さく悲鳴をあげた。胸縄が巻きつけられたのだ。  オリヴィラが立ち上がるのと交代に、ソファに座らされる。すばやく足首から膝へと縄が動き、太股も縛られる。 「数年間の試行錯誤の末、完成したのがこの我流の捕縛術です」  ものの数分で、アエルの全身は縄化粧を施されてしまった。アエルは身体を左右に動かすが、縄が緩む気配はない。 「あまり暴れると、より締まるよ」  オリヴィラが低く呟いた。アエルの動きが止まる。 「あ、あの、もう解いて下さい……」 「更に喚きたてる相手には」  アエルの懇願を無視するように、ソファに落ちたハンカチを拾い上げたオリヴィラは、軽く丸めたそれをアエルの口に押し込めた。 「お喋りな口を塞いでしまいます」 「んっ!?」  オリヴィラは左手で自分のネクタイを外し、それをアエルの口に噛ませようとする。 「もう結構です!」  カレラが声をあげた。 「警察の捕縛術がどんなに素晴らしいか、優れているかはわかりました。ですから、大切なメイドを解放してあげて下さい」 「……信用していただき、感謝します」  オリヴィラはアエルの口からハンカチを引き抜くと、微笑を浮かべた。    8  アリシアたちが帰った後、カレラはアエルとキリエを自室に呼んだ。  二人をソファに座らせて、自分はベッドに腰掛ける。 「とんだ初日になったわね、アエルさん」 「全身の血流が止まると思いました」  アエルはキリエを睨みつけながら言った。当のキリエはすました顔である。 「あの後、アリシア警部が謝ってたわ」 「別に……。謝るのは私でしたし」  アエルの手首には、まだ縄の痕が残っている。 「最近の『FLOWERS事件』、警察は防げていないでしょう? 正直言うと、信用できないのよね……」  カレラは小さくため息をついた。 「でも、アリシア警部は無能とかじゃないんですよ」 「ええ。それはわかっているのだけど……」  キリエが、アエルの横顔を見ながら言う。 「……アエル、あの刑事さんのこと熱くフォローするのね」 「いえ、その……昔、ちょっと色々あったものですから……」 「ちょっと、色々、ねぇ……」  その後、少し沈黙があった。  重い。とても重い数秒間だった。 「明後日、FLOWERSが奥様の宝石を狙いに来るのね……」  カレラはそう呟くと、ソファに座る二人のメイドを見た。 「私ね、FLOWERSを憎めないのよ」 「えっ?」  キリエとアエルが同時に声を上げた。 「これまでの被害者って、みんな悪い噂がある人たちばかりだったでしょう? 何か……義賊というか、ね」  カレラは立ち上がると、二人の前にある椅子に座った。 「だから、代議士も奥様も、自分たちが狙われているので不安だと思うのよ。実際、悪い噂もあるし……私の知る限り、完全に否定できないこともあるし」  目を閉じて、カレラは言った。 「私、このパーティがどんな結果になろうとも、代議士の秘書を辞めるつもり」 「……じゃあ、その後はどうするつもりなんですか?」  キリエの質問に、カレラは少し考えた後、 「そうねぇ。FLOWERSの秘書にでも、なろうかしら」  無邪気な笑顔を浮かべて、そう言ったのだった。

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