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虚妄の迷宮 六」を以下のとおり復元します。
|時計|
私の部屋には電池を交換するとき以外一時も休むことなく《渦》を巻き続けてゐるものがある。さう、長針、短針、そして秒針があるAnalog(アナログ)の時計である。この時計とはもう二十数年来の付き合ひである。当然、この時計も一度は私の手で分解され再び組み立てられた代物である。私は幼少時より時計も含めておもちゃの類やちょっとした機械は必ず分解してみないと気が済まない性分なのである。これは如何ともし難く、しかし、それでゐて殆どが再び組み立てられずに唯のがらくたに成り下がったもの多数である。それでも分解は止められないのであるが、最近は電子基盤に電子部品が何やら地図のやうに貼り付けられた電子機械ばかりで分解の仕様もなく、私にとって機械のBlack box(ブラックボックス)化は誠に欲求不満を募らせるどう仕様もない唯の《物体》でしかなく、其処に愛着といふ《魂》が全く宿らない代物なのである。


さて、しかし、時計の針が動く様を凝視してゐた在る時、不意にこの時計の針を無限大にまで引き伸ばしに引き伸ばしたならば、さて、時計の針は進めるのだらうか? といふ疑問が湧いたのであった。例へば秒針が無限大の時、一秒針が進むのでさへ∞の円周を秒針は回転しなければならない筈である。さて、さて、Aporia(アポリア)の出現だ。


其処で私の思考はx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふ処へ飛んだのであった。ここで時計の針を無限大にまで引き伸ばすのは断念せざるを得ないのではないかといふ考へが閃き、つまり、時計の針を引き伸ばしても針が進める境界域が存在し、それが個時空ではないのかといふ考へに思ひ至ったのであった。その個時空ではx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふ、時空の大河に生じた時空のカルマン渦といふ個時空が存立する。そして、其の個時空の境界外は∞の0乗の世界ではないのかと考へたのである。即ち、その∞の0乗がこの宇宙を流れる時空の大河の正体に違ひないと直感したのであった。そして、∞の0乗が一になった瞬間この宇宙は死滅する。私は常々x0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふことは《死》を意味してゐると看做して来たのである。0乗は生の一回点、即ち、一生の終着点といふ《死》を意味してゐると看做して来たのであった。それ故∞の0乗が一になった瞬間にこの宇宙は死滅するのである。


更にこの個時空といふ考へに従ふと、物理学を始めとするこれまでの時間の扱ひ方――私は常々この時間の扱ひ方が時間を侮蔑してゐると考へてゐる――からするとストークスの定理は必然であって、さて、物理数学が《渦》にお手上げなのは必然である。




さて、時間が進むといふ事は時々刻々とx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1、即ち、xで《象徴》されてゐる小宇宙が一つ消滅してゐるといふ事であって、つまり、時々刻々と《宇宙》が消滅し続けてゐるのである。将に此の世は《諸行無常》である……。































|審問官 廿――主体弾劾者の手記 壱拾九|

君も多分不思議に思ってゐるだらう。何故月の盈虚がこれ程生物の生死、また、地震の生起に深く関はってゐるのかを。人間で言へば新月と満月の日が出生する赤子と死に行く人間の数が他の日に比べて多いといふのは、私の思ふところ仄かな仄かな重力の差異が人間の運命を大きく左右する、つまり、仮に《運命次元》なるものが存在し、重力の仄かな仄かな差異がその《運命次元》を発生させまた消滅させる契機になってゐるとすると、物理学者は重力の謎を考へれば考へるほど迷路乃至は袋小路に入り込み、多分、生物の運命を左右し重力と相互作用する新たな粒子の存在を考へないと《世界》を説明出来ない筈のやうな気がするのだ。






――へっ、重力は此の世の謎のまま人類の滅亡まで其の謎解きは出来ない。何故ならば、重力に関して主体は観測者では有り得ないのだ。






等と私は時々内心で哄笑して見るのだが……。多分、重力は物理数学の域を超えた何やら占星術のやうな怪しげな、例へばその《値》を数式に表はすと数式を書いた本人の運命が左右されるといった超物理数学が出来なければ重力の謎は解けない気がする。



今のところアインシュタインがその道を開いた重力場の理論は主体とは無関係に研究が進んでゐる筈だが、また、人間は重力を簡単に一言で《重力》と片付けてゐるが、私が思ふに《重力》を構成するのは∞の量子若しくは次元に違ひない……。さうすると当然これまで主体は観測者といふ《特権的》な存在で《世界》乃至《宇宙》乃至《素粒子》を扱って来たが、こと重力に関しては主体はその観測者といふ《特権》を剥奪されて重力といふ物理現象に飲み込まれ、翻弄される、つまり、主体がモルモットのやうになる以外に重力の説明は不可能だと思ふのだ。



ねえ、君。それにしても月は不思議な存在だね。ブレイクもアイルランドの詩人、イェーツも月の盈虚を題材にOccult(オカルト)めいて幻想的な詩のやうな、思索書のやうなものを著はしてゐるが、月は人間を神秘に誘ふものなのかもしれないね。



多分、君も考へたことはあるだらう。もし月が存在してゐなかったならば生物史はどうなってゐたかを。まあ、それは人類が地球外の、例へば月や火星で生活するやうになれば重力乃至月がどれ程生物の生死に深く関はってゐるのか明らかになる筈だから……。



ねえ、君、私も多分満月の日に死ぬ筈だから左記の括弧に私の死亡した日時を記して送れ。お願いする。



(追記。此の手記の作者は某年某月某日の満月の夜が明けた午前十時四十分四十秒に態態死の直前女性の看護師を病室に呼びにやりと笑って死去する。)






さて、何とも名状し難い悲哀の籠もった不思議な微笑を私に返した雪に私は優しく微笑みかけて東の空に昇り行く満月を指差し雪と二人、暫くその場に立ち止まって仄かに黄色を帯びた優しくも神秘的な月光を投げ掛ける満月を見続けてゐたのであった。






――ねえ、月は生と死の懸け橋なのかしら……






と雪が呟いたので私は軽く頷き雪と私の二人並んだ月光による影に目をやった。雪もまた二人の影を見て






――何て神秘的なんでしょう、月光の影は……






とぽつりと呟いたのであった。と不意に再び私の視界の周縁に光雲が一つ旋回を始めたのであった。



(以降に続く)





|考へる《水》 参 ‐ 『神輿、また、文楽』|

この極東の日本では神が御旅所等へ渡御する途中に一時的に鎮まる輿を《神輿》と名付けてゐて、それは人間、特に氏子が《担ぐ》ことで《神》は《神》として《在る》のである。



例へば一例であるが西欧ではMarionette(マリオネット)、つまり糸操り人形があるが、これは《人間》が上部で下部の《人形》を糸で《操る》のである。



これだけでもこの極東の日本と西欧では《神》の居場所が全く異なり、つまり、その世界観の《秩序》が全く異なってゐるのである。



西欧などの一神教の世界観では《神》は天上の玉座から一歩なりとも動かず、まるで《糸》を地上に垂らして《人間》をその《糸》で《操る》が如くであるのに対して、この極東の日本では《神》はこの地上に舞ひ降りて《人間》と《対等》の《位置》に鎮座ましまするのである。



さて、神輿によく見られる左三つ巴の紋様は《渦》紋様の一つであるが、仮に此の世が右手系であるならば右螺旋(ねじ)の法則の如く天から、或ひは森羅万象から注がれる《神力》が左三つ巴紋を通して神輿に《輻輳》し神輿の担ぎ手並びに此の世の衆生全てにその《輻輳》した《神力》が遍く振り撒かれることになるのである。



即ち、この極東の日本では《神々》は衆生の中に何時でも《居られる》のである。






三位一体。西欧などの一神教の三位一体は《父と子と聖霊》といふ、其処にはどうしても抗ひ切れない《縦関係》が見て取れてしまひ、それが一神教における《絶対》の《秩序》であるが、この極東の日本で三位一体と言へば文楽の太夫、三味線、そして人形遣ひの《三業》による三位一体が思ひ起こされるが、さて、ここで文楽の人形を《神》に見立てるとこの極東の日本の世界観が俄に瞭然となるのである。






ところで、出来映えこの上ない極上の文楽を観賞してゐると太棹の三味線の音色若しくは響きと太夫の浄瑠璃語りと人形遣ひの妙技による人形の動きが見事に《統一》若しくは《統合》された《完璧》この上ない《宇宙》が浄瑠璃の舞台に現れるのである。勿論、観客も《一体》となったその《宇宙》は《極楽》に違ひないのである。



それはまさしく漣一つない水面に一滴の雫が落ち、誠に美しい《波紋》がその水面に拡がるが如しの唯一無二の完璧な《宇宙》が此の世に出現するのである。それはそれは見事この上ない世界である。






さて、ここで忘れてならないのが《翁》であるが、これは別の機会に譲る。






|審問官 壱拾九――主体弾劾者の手記 壱拾八|


袖触れ合ふも他生の縁。私は相変はらず伏目で歩いてゐたが、私の右手首を軽く握った雪が私を握った左手で私の歩行の進行を見事に操るので、私は内心



――阿吽の呼吸



等と思ひながら密かに愉悦を感じざるを得なかったのである。そして、私と雪が相並んで睦まじさうにゆったりと二人の時間を味はひながら歩く姿を、私達の傍らを通り過ぎる人達が興味津々の好奇の目を向けてゐる、その多少悪意の籠もった視線の数々を感じながら、私は、この私達の傍らを好奇の目を向けて通り過ぎる彼らもまた他生の何処かで会ってゐる筈だと内心で哄笑しながら



――さて、彼等の他生の縁(えにし)は人としてなのだらうか



等と揶揄してみては更に内心で哄笑するのであった。






それはまさしくゆったりとした歩行であった。






不意に雪を一瞥すると雪は例の純真無垢な微笑を返すのである。雪もまたこのゆったりとした歩行に何かしらの愉悦を感じてゐたのは間違ひない。






男女が二人相並んで歩くといふ行為は考へると不思議極まりない、ある種奇蹟の出来事のやうな錯覚に陥る。偶然にも同時代に生を享け、偶然にも互ひに出会へる場所に居合はせ、互ひに何かしら惹かれあふものをお互ひに感じ、そして、互ひに見えない絆を確信し相並んで歩く……、これは互ひに出会ふして出会ってしまった運命といふ必然の為せる業なのかもしれない……。






私は雪に微笑みかけ、雪もそれに答へて微笑み返す……。人の縁(えにし)とは誠に不思議である。






そして、ゆったりとした歩行は続くのであった。






と不意に私と他生の縁を持った人間がこの瞬間に此の世を去ったのであらう、私の視界の周縁に光雲が出現し、左目は時計回りで、右目は反時計回りでその光雲が旋回し始めたのであった。そのまま雪を見ると



――……また誰か亡くなったのね……。あなたの目、何となく渦模様が浮かんでゐる気がするの……不思議ねえ……何となくあなたの異変が解ってしまふの。



私は軽く頷くと都会の人工の灯りが漏れ出て明るい夜空に目を向け



――諸行無常



といふ言葉を胸奥に飲み込むのであった。すると、雪が



――諸行無常。



と溜息混じりにぽつりと呟いたのである。私が振り返ると雪は何とも名状し難い悲哀の籠もった不思議な微笑を私に返したのであった。



(以降に続く)





|影踏み|


梨地の型板硝子が嵌め込められた東の窓から満月の皓皓と、しかし、散乱する月光が視界に入ってしまふともうどう仕様もない。これは中学時代に梶井基次郎の「Kの昇天」を読んでしまったことが原因なのだ。

私はいつものやうに或る小さな川の橋上で影踏みをする為に満月の月光の下、家を出たのであった。

満月の月光による影は「Kの昇天」で記されてゐるやうに最早影ではなく「生物」若しくは「見えるもの」である……。

その影踏みはいつもこんな風である。「Kの昇天」にあるやうに影踏みは満月が南中する時刻、つまり影が一番短い時刻に限るのである。それまでの間は私は川面に映る満月をじっと視続けながら《時間》といふものに思ひを馳せるのが常であった。

――川は流れ……水鏡に映る満月は流れず……。私もまたこの水鏡に映る満月のやうに《時間》の流れに乗れずに絶えず《時間》に置いて行かれる宿命か……。《存在》する以上《時間》の流れに乗れないのは、さて、《自然の摂理》なのか……。

…………

――物理量としての《時間》、そこには勿論、itcと表はされる《虚時間》も含めてdtとして微分可能なものとして現はれる物理量としての《時間》は、さて、一次元構造ではなく……もしかすると∞次元として表はされるべき《物理量》ではないのか……すると、ふっ、物理学は最早物理学ではなくなってしまふか……。

…………

――《時間》の流れに見事乗りおおせた《もの》は恒常に《現在》、つまり、《永遠》を掌中にするのだらうか……。つまり、《瞬間》を《無限》に引き伸ばしたものが《永遠》ではなく……恒常に《現在》であることが《永遠》の定義ではないのか……。しかし……恒常に《現在》であるものにも《個時空》は存在し……《永遠》を目にする前に《自己崩壊》する《運命》なのか……。

等と湧いては不意に消え行く思念の数々。この思念の湧くがままの《時間》こそ私の至福の《時間》なのであった。

さて、満月が南中に達する頃、私は手には必ず小石を持って徐に立ち上がる。そして、橋上の真ん中に位置すると私は私の影を暫くじっと凝視し影が《影》なくなる瞬間に手にした小石をその《影》の顔目掛けて投げつけるのであった。

これが影踏みを始めるにあたっての私流の儀式なのである。石礫を私に投げつけられた《私》の胸中に湧いてくる何とも名状し難い哀しい感情のまま、私は右足から影踏みを始めるのである。その《時間》は哀しい自己問答の時間で、「Kの昇天」のやうな陶酔の《時間》では決してなかったが、私は今もって満月下の影踏みは止められないのである。

――《吾》、何者ぞ、否、《何》が《吾》か。

――ふっ、豈図らんや、そもそも《吾》、夢幻なりや……


|審問官 壱拾八――主体弾劾者の手記 壱拾七|


――断罪せよ。

例へば澱んだ溝川(どぶがわ)の底に堆積した微生物の死骸等のへどろが腐敗して其処からMethane Gas(メタン・ガス)等がぷくりぷくりと水面に浮いてくるやうに私の頭蓋内の深奥からぷくりぷくりと浮き上がっては私の胸奥で呟く者がゐたのは君もご存知の通りだ。

――お前自身をお前の手で断罪せよ。

これが其奴の口癖だった。

多分、私が思ひ描いた私自身の《吾》といふ表象が時々刻々と次々に私自身が脱皮するが如くに死んで行き、その表象の死屍累々たる遺骸が深海に降る海雪(Marine snow)のやうに私の頭蓋内の深奥に降り積もり、それがへどろとなって腐敗Gasを発生させ、その気泡の如きものが私の意識内に浮かび上がっては破裂し

――断罪せよ。

となると私は勝手に考へてゐたが、雪との出会ひが私をしてそれを実行する時が直ぐ其処に迫ってゐることを自覚しないわけにはいかなかったのだ。今にして思へば雪との出会ひは私が私自身を断罪するその《触媒》であったのだらうとしか思へないのだった……。

勿論、私の頭蓋内の深奥には深海生物の如き妄想の権化と化したGrotesque(グロテスク)な異形の《吾》達がうようよと棲息してゐた筈だが、其奴等も私が余りにも私自身の表象を創っては壊しを繰り返すので意識下に沈んで来た《私》の表象どもの遺骸を喰らふのに倦み疲れ果てて仕舞ってゐたのは間違ひない……。

多分、其の時の私の頭蓋内の深奥には私が創った表象の死骸が堆く積み上がる一方だったのだ。

――断罪せよ。

…………

…………

さて、私はSalonで読書会がもう始まってゐるので画集専門の古本屋に寄ってSalonに行かうと雪に言付けして其の古本屋を出やうとすると、雪が

――一寸待ってて。二三冊所望の本を買ってくるから。

と言ったので私は軽く頷き其の古本屋の出口で待つことにしたのであった。

外はAsphaltとConcreteから発散する熱と人いきれの不快な暑気に満ちてゐて、其の中、淡い黄色を帯びた優しい白色の満月の月光が降り注ぐ、何とも名状し難い胸騒ぎを誘ふ摩訶不思議な世界へと変貌してゐた。東の夜空を見上げると美麗な満月がゆるりと昇って、満月は、暑気による陽炎に揺れてゐたが、私は『今夜は何人の人が誕生し、そして何人の人が亡くなるのか』等とぼんやりと生死について思ひを巡らせずにはゐられなかったのである。満月の夜は必ずさうであった。私にとって月は生物の生死の間を揺れ動く弥次郎兵衛のやうな存在で、且、生物の生死を司るある種創造と破壊の神、シヴァ神のやうな存在に思へたのである。

と、其の時ぽんと私の左肩を軽く叩き

――お待たせ。

と、雪が声を掛けたのであった。私は左を向いて雪の瞳を一瞥して不意に歩き出した途端、雪は私の右手首を今度は軽く握って

――もう、待ってよ、うふ。

と私に純真無垢な微笑を送って寄越したのであった。しかし、私は其のまま歩を進めたのである。

――もう、うふ。

と、雪は私の右側にぴたりと並んで歩き出したのであった。

(以降に続く)








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