虚妄の迷宮 十三

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虚妄の迷宮 十三 - (2009/08/24 (月) 11:46:31) の編集履歴(バックアップ)


幽閉、若しくは彷徨 四十三



――うむ。はて、時は神の発動の一つではなかったのじゃないかね? 

――さう言へば俺かお前、ちぇっ、どっちにしろ私に過ぎぬが、その私は先に重力と時間が神だと言ってゐたな、へっへっへっ。

――ふっふっふっ。

――俺かお前かのどちらが言ったにせよ、例へばの話で神は重力と時間と言ったまでだらう。当然の事、先にも言った通り「神=(重力と時間)」ではない。

――では何故神は此の世を創造し、此の世の開闢と同時に時を進めて最早此の宇宙が死滅しても、時のみが未来永劫に亙って相変はらず移ろふかの如き《もの》として《世界》を創造したのかね? 

――それに加へてかう言いたいんだらう。へっ、そして神自らも何故に時の奴隷に成り下がったのかと――。

――さうさ。何故神は自ら進んで――俺にはさう思へるんだがね――その神は時の奴隷に成ることを甘んじて受け入れたのかね? 

――ふっ、答へは簡単明瞭さ。神自ら此の宇宙若しくは《世界》を神すらも制御不可能な《もの》に神はしたかったのさ。つまり、神は自ら進んで此の宇宙若しくは《世界》を神の御手では最早どうしやうもない制御不可能な《もの》にせずにはゐられなかったのさ。

――ふむ。それは何故にかね? 

――逆に尋ねるが、お前はお前の未来が全て千里眼の如くお見通しだとすると、お前はお前の《存在》に飽きないかね? 

――《存在》に飽きるとは? 

――つまり、変容する自由がない、換言すると《一》=《一》が見事に成立する《完成》した《もの》として、お前が《存在》することにお前は何の不満も抱かぬのかね? 

――つまり、時が自由を保障すると? 

――いいや。時は何も保障はしない。唯、時は移ろひ、その時の大河の表層で《個時空》のカルマン渦が渦巻くのみさ。だが、時が移ろひ、あらゆる《もの》が時に隷属することで自由が辛うじて生まれるとしたならば、お前は如何する? 

――如何するといふと? 

――つまり、お前は《未完成》で自由な、換言すれば変容可能な《存在》を選ぶか、《完成》して変容不可能で不自由な《存在》を選ぶか、どちらを望む? 

――へっへっへっへっ。自由を弐者択一の問ひに還元しちまっていいのかい? 

――しかし、《完成》した《もの》には、換言すれば《完璧》な《存在》には最早自由は不必要な筈さ。

――つまり、神すらも時に隷属することで自由なる《吾》たる《存在》を選んだといふことかね? 

―― ふっ、神は此の世の開闢時に既に《完璧》な《完成品》たる《存在》を、つまり、神自身に匹敵する《もの》を創り上げてしまってゐて、この《完成品》を手持ち無沙汰の挙句に更に捏ね繰り回して更なる《完璧》な《存在》を創造したはいいが、それが余りにも下らない代物だったので、無責任にも神はそれを抛り投げてしまって、その《完璧》なる創造物をぶち壊す為に神は神の鉄槌の一撃をその《完璧》なる創造物に加へて、へっ、神の制御が効かぬBig bang(ビッグバン)をおっ始めて時が移ろひ始めたとしたならば、さて、お前は、その神の行為を許せるかね? 

―― 神を許す? これは異な事を言ふ。神を許すも何もそれは俺の権限が及ばぬこと、つまり、それは俺の埒外の事だ。まあよい。するとお前は、此の世の開闢以前に神は《完璧》な《完成品》たる創造物、ちぇっ、つまり、完全無比で《完璧》な《存在》を創り上げたと考へてゐるのかね? 

――ああ。此の世を現在統べてゐる神若しくは神々はその残滓若しくは残党だと思はないかい? 

――でも、先に時が移ろふのは此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》が《完成》した《もの》を創造する為だと言った筈だがね。

―― さうさ。しかし、神若しくは神々は自らの御手の力の及ばぬ処で此の世の開闢以前の神若しくは神々が自ら創り上げた《完璧》な創造物以上の《もの》が創造されるのかをその目で見たくなったのさ。だから、神若しくは神々は此の時が移ろふ宇宙若しくは《世界》の様相には興味津々な筈だ。しかし、その為には神自らの手で創り上げた《完璧》な《もの》をぶち壊さずにはゐられなかった。へっ、その結果が現在の此の世の有様さ。

――つまり、現在此の世に鎮座坐しまする神若しくは神々は此の世の開闢以前に此の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔だと? 

――ふっふっふっふっ、此の世の開闢以前の此の世とは一体全体何のことなのか解からぬが、神若しくは神々は此の世の開闢以前の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔には違ひない。へっ、まあそんな事より、全きの自由は不自由と何ら変はらぬとは思はないかい? 

――へっへっへっへっ、ご名答。全きの自由は不自由と同義語か若しくは不自由の別称だよ。その好例が現在此の世を統べる神若しくは神々さ。

――しかし、神は此の世の開闢以前の《完璧》な《完成品》たる創造物といふ《存在》の末裔故に全きの自由、つまり、不自由に我慢しなければならぬ宿命を負ってゐる、違ふかね? 

――それを換言するとだ、此の世の《存在》の典型として先づは神若しくは神々在りきなのだとすると、さて、お前は神に成りたいかね? 

――いいや。神なんぞには成りたくないよ。ところが、《主体》は全きの自由を前にして立ち竦んで、二進も三進も行かない、つまり、どん詰まりの処に自らを追ひ詰めてしまった……。

――どん詰まりといふと? 

――これも何度となく言ってゐる筈だが、《存在》の縁さ。

(四十三の篇終はり)

自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp





蘗(ひこばえ) 二



そもそも《吾》とは厄介な生き物である。耳孔、鼻孔、眼窩、口腔、肛門、生殖器等に代表される《主体》の各々の細胞にすら無数に開いてゐる穴凹と同様、それが《吾》の内部の何処かは解かりかねるが、しかし、《吾》の内部には厳然とその内部の闇にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《吾》の《虚(うろ)の穴》が《存在》してゐるとの確信がなければ

――俺は俺だ! 

と、《吾》に対しても《他》に対しても《世界》に対しても申し開きが出来ぬ情けない《存在》として《存在》するのである。一方で、蘗の生長によって主幹を喪失しても生き永らへた広葉樹は、けれども、その内部に《存在》してしまふ《虚の穴》は己の何《もの》によっても埋められずに《他》の生き物の生命の揺り籠として樹以外の《もの》をその《虚の穴》で育むといふ、或る意味《吾》の意思ではどうにもならぬ《存在》の在り方を、その樹が望むと望まずとに拘はらず強要されるのであり、また、《存在》の有様の本質がさうである故に、《吾》は《他》や《世界》と辛うじて連関するに違ひないのである。

 さうすると、彼の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に不意に現はれる《異形の吾》共は、《吾》の内部にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《吾》の《虚の穴》をその棲み処としてゐる《他》たる《反=吾》の一つの有様に違ひない筈であるけれども、人間における主幹たる《吾》といふ自意識はといふと絶えざる連続性を求められつつも、絶えず《吾》の主幹たる《吾》の自意識は、それは「先験的」にかもしれぬが、何かによってぽきりと折られ非連続的な《吾》の《存在》を強ひられながら、しかし、人間における《吾》といふ主幹にも《吾》の蘗が生え出るかの如き《インチキ》をそのぽきりと折れた《吾》に接ぎ木するやうにして《吾》といふ《存在》は架空された《吾》として《存在》することを強ひられるのである。尤も、その《インチキ》を身に付けなくては、神ではなく人間の《他人》が作り上げた都市に代表される人工の《世界》では、一時も《存在》することが不可能なのである。それは或る意味当然の事で、慈悲深くも荒々しき神が創りし《世界》では《吾》もまた広葉樹のやうに《吾》の蘗が生え出る事は神に許されてゐて、しかもそれはむしろ《自然》な事なのであるが、しかし、既に人間が作り変へてしまってゐてその《吾》以外の《他人》が既に《吾》の誕生以前に作り変へてしまった人工の《世界》で生き延びるには、《吾》はその主幹たる《吾》を自ら進んでぽきりと折る勢ひでなければ《存在》は出来ず、挙句の果ては恰も蘗の《吾》が《存在》するかの如く架空の《吾》をでっち上げる、つまり、《吾》といふ《存在》の有様は如何しても《インチキ》だといふ忸怩たる思ひを絶えず噛み締めつつ

――ふっふっふっ。

と、皮肉に満ちた薄笑ひをその蒼白の顔に浮かべなければ、この《他人》が既に《吾》の誕生以前に作り上げた人工の《世界》では《存在》することが許されないのである。さうして、《吾》の内部にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《虚の穴》には数多の《異形の吾》共が棲み付き、そして、絶えずその《吾》を名指して

――馬~鹿!

と嘲笑してゐるのである。

 当然彼にとっても事情は同じで、絶えず彼の内部では《異形の吾》共が皮肉たっぷりに

――馬~鹿! 

と彼を嘲弄するのであった。

――へっ、さうさ、俺は大馬鹿者さ。

と、彼は決まって《異形の吾》共の嘲弄に対してこれまた皮肉たっぷりに返答するのであった。

――土台この浮世、大馬鹿者以外生き残れやしないぜ。

――だからお前は馬~鹿なのさ、へっ。

――馬鹿で結構。それでも俺は何としても此の世で生き残るぜ。

――ふっふっふっ。

 その醜悪極まりない《吾》の鏡像としてしか現はれぬ《異形の吾》の一人はにたりといやらしい薄笑ひをその相貌に浮かべたまま、再び

――馬~鹿! 

と彼を罵るのであった。

――へっ、馬鹿に徹してしかこの異様な浮世では誠実であることは不可能なのさ。

――馬~鹿! 

――どうも有難うごじぇえますだ、俺を馬鹿呼ばわりしてくれて、ふん。

――その大馬鹿者に一つ尋ねるが、お前は、此の異様な《他人》が徹頭徹尾作り上げ神から《世界》を掠奪した人の世に生きることが楽しいかね? 

――さあね。楽しくもあり、また、不愉快極まりなくもある。

――それぢゃあ、お前は人間が神の御手から掠奪した此の異様な《世界》を承認するかね? 

――いいや、絶対に受け入れられぬ。

――ならば何故に生き残るなどと嘯くのかね? 

――逃げられないからさ。

――逃げられない? 

―― ああ、此の世に《存在》しちまった《もの》はその《世界》から遁れられぬし、また、此の世から遁れる出口なんぞは何処にもありゃしないのさ。それはつまりこの人工の《世界》では自死することすら全く無意味な行為でしかなく、《吾》が自死しようがこの人工の《世界》は「また《吾》が自死したぜ! 全く《吾》とは間抜けな《存在》だぜ」と腹を抱へて哄笑するのが落ちさ。つまり、この人工の《世界》では如何足掻かうが「出口無し!」と相場が決まってしまってゐるのさ。

――では《愛》は何なのか?

――《吾》が《吾》として架空されてゐることを確認する一行為に過ぎぬのさ、この人工の《世界》では! 

(二の篇終はり)

自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
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幽閉、若しくは彷徨 四十二



―― つまり、奇怪、且、異常極まりない《主体》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で次々に埋め尽くされた張りぼてに過ぎぬ外界たる《世界》を、ふっ、それは正に狂気の沙汰に違ひないが、そんな奇怪、且、異常な《世界》を恰も正常な《世界》であるかの如く看做す為には感覚を麻痺させる《楽》が必要で、さうして《楽》を追ひ求める内に、《吾》は見事に《吾》の在処を見失ふことが出来たといふ何たる皮肉! 

――……。

――なあ、お前は《吾》を裏切らない張りぼての《現実》を《現実》と認めるかね? 

――つまり、《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で外界を埋め尽くすことで誕生した裏切らない《現実》を《吾》は漸く作り上げたとでも思へといふことかね? 

――いいや。《吾》の頭蓋内が外在化した張りぼてに過ぎぬ《世界》でも時が移ろふ以上、《世界》は《吾》を絶えず裏切り続けるさ。唯、《吾》を裏切らない《世界》といふ名の《現実》が実現可能な如く想定する《吾》の《存在》を認めるかと尋ねたまでさ。

――つまり、それは寝ても醒めても《吾》は夢の中にゐ続けるといふことかね? 

――さう。しかし、夢は夢でもそれが悪夢だとしたならば、お前はその悪夢の《現実》を《現実》と認めるかね? 

――ふっ、どの道それを《現実》と認めるしかないんだらう? 《主体》はそれが何であれ自律する《もの》であるならばだ、《世界》を如何にかして《主体》に都合のいい《世界》へと作り変へる《主体》の壮大な欲望を如何することも出来やしないぜ。

――つまり、《主体》はその誕生から既に《世界》を《主体》内部の、例へば頭蓋内の闇たる五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くすべく《存在》させられてゐると? 

――さうさ。ちぇっ、創造の為にね――。

――創造? それは何の創造かね? 

――へっ、これまでに此の世に《存在》した事が無い《もの》の創造に決まってをらうが! 

――つまり、此の宇宙、それを例へば神と名付ければ、神は絶えず《主体》に創造を課してゐるのさ。

―― 絶えず頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅することを已めない儚き表象群の如く、此の宇宙を神の五蘊場だと仮定すれば、その神の五蘊場にも絶えず《もの》の表象群が生滅し、これまで此の世に《存在》しなかった《もの》を創造するべく新たな《もの》が絶えず此の世に生成してゐるなら、ふっ、つまり、《主体》はそれが何であれ創造の為に神の五蘊場に《存在》させられ、その上、永劫に未完成な《もの》しか創れない神にとって、へっ、つまり、神は未完成品とはいへ新たな《もの》を次々と創り最後には完成品たる《もの》が創れる可能性が在ると信ずる以外に最早永劫に満たされぬのではないかね? 

――神が満たされる? ぶはっはっはっはっ。例へば時間一つをとってもそれは火を見るより明らかなのだが、神程貪婪な《存在》は無いんぢゃないかね? 

――その神の貪婪さ故に創られたのが此の宇宙の今の有様だと? 

――所詮、《存在》しちまった《主体》は、それが何であれ、神の五蘊場で思考実験されるべく此の世に《存在》させられた実験体の一つに過ぎぬのさ。

――そして、《主体》自体も絶えず何《もの》かへの変容を課されてゐる。それは何故かね? 

――へっ、それは多分、神のほんの些細な罪滅ぼしだらう。

――神の罪滅ぼし? 

――ああ。未完成品としてしか《存在》させることが出来なかった《主体》が、それでも尚、自ら《完成》するべく変容する余地を残して神が《主体》を《存在》させるに違ひない。

――それは、つまり、神が《主体》たる《もの》を《存在》させることに対しては常に後ろめたいと感じてゐる為かね? 

―― 或るひはさうかもしれぬが、《主体》は《主体》で神、つまり、此の宇宙若しくは《世界》から自立するべく、《主体》の五蘊場に明滅する表象群を外在化して《主体》の内外をその表象群で自閉し、完結させるといふ如何しようもない欲求を満たすべく、《世界》を作り変へ、そして《主体》もその《世界》に順応するべく変容する。

――へっ、さうしてこれまで此の世に《存在》した事がなかった《もの》を創造するってか――。ちぇっ、さうまでして此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》は、何か新しい《もの》を創造したいのか? 

――さうさ。それ故、最早時は移ろふことを已めない。

――何故に時は移ろふ? 

――此の宇宙若しくは《世界》若しくは神が死滅するまでに完成品を何としても誕生させたいが為さ。

――ちぇっ、時の前では全てが奴隷か――。

――さうさ。時の前では最早神さへも奴隷に過ぎない。

(四十二の篇終はり)

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