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    <title>メニュー</title>
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      メニュー

[[トップページ&gt;トップページ]]
[[メニュー&gt;メニュー]]

[[テンプレ&gt;テンプレ]]
[[魚拓&gt;魚拓]]
[[名言集&amp;単語&gt;名言集&amp;単語]]
[[投下ネタ&gt;投下ネタ]]
[[ここまでの流れ&gt;ここまでの流れ]]

[[7月の日記①&gt;7月の日記①]]
[[7月の日記②&gt;7月の日記②]]
[[8月の日記①&gt;8月の日記①]]

[[DANCER&gt;DANCER]]
[[日記を守りたい人&gt;日記を守りたい人]]
[[食いのがしたイタリアン。&gt;食いのがしたイタリアン。]]
[[ﾚ馬鹿の同人歴&gt;ﾚ馬鹿の同人歴]]
[[復活のﾚ馬鹿&gt;復活のﾚ馬鹿]]
[[復活のﾚ馬鹿２&gt;復活のﾚ馬鹿２]]    </description>
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    <title>復活のﾚ馬鹿２</title>
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      *08.11.15

パンゲア・エゼルばっかり最近読んでます。 
何だろ。ぜんっぜん違うんだけど、キャラの特徴だけ説明すると、リボーンキャラっぽくなるのはわたしがリボーンファンだからだろうか。小生意気なおこさんとか、垂れ目のヘタレ色男とか、ドＳのイケイケロンゲ兄ちゃんとか、粗野な口調の美人なお姉さん（愛する人を亡くしている）とか、白蘭と骸とジンジャーを足して三で割ったような奴とか、単独行動してて鳥を友としている奴とか、思いこみ妄想がなかなかデンジャラスな女の子とか・・・・・・なんですかね、でも実際読んでみると、ぜんっぜん似てないです。まったく別の創作です。どっちもすきだけど、好きになった部分は全然違う部分です。 
浅野りん先生好きなんですよー・・・なんというか、ギャグパートの部分がいつもツボにはまりまくりで。あと絵が可愛かったりとか。キャラクターの表情のレパートリーの多さとか・・・・・・何かこの動機もリボーンと被ってる・・・（笑）？浅野先生も日常路線の漫画が結構持ち味みたいなので・・・・・・でもパンゲア好きだな。うん。ホント大好き。 
スクエニ・マッグガーデン系の漫画を読むとオリジナルが書きたくなります。そして読むことって、楽しいことだったんだなと思います。いわゆる『漫画』に本格的にはまったのが、『ガンガン』だったからですかね。

 


*08.11.14 

マフラーを買いました。店の人が昔先輩だった人でした。たまたま。すっごい親切でした。 
買い物って楽しいなとは思うんですが、やっぱり自分でバイトしたお金で買うのが一番嬉しいです。 
お金がなくても、お洒落が出来るようになりたいな。と思った。わたしは割とアイシャドウで色を乗せるとか靴下を遊ぶとか髪をアレンジするとかなんですが、それもだんだん馴染んでくると、時々自分で「うまくいった」って感じの日もあって嬉しい。 
結局、自己満じゃないのかなぁとよく思います（笑）。他人から見たら全然気にならない、逆に他人からみたら物凄い違和感。いろいろあるかもしれないけど、それはもちろん気にするけど、気にしすぎるよりは、自分がいいなぁって思えるなら、それでいいんじゃないのかなと思う。でも、それが難しい。自分が「いいなぁ」と思えるものを見つけるところは、妥協出来ないからなぁ・・・。 


最近ホンット日々単調なんよ。わたしの尺度だと『充実』しているが、一般的な同年代の思考からすればそうですね、およそ『損してる』とか思うらしいですど畜生がぁ。「あんたって、毎日ホントに楽しんでるのかな」と言われた。しばしば他人から見ると、一体どこが楽しいのか分からないことばっかりやって見える、っぽい（笑）。そうですね、およそ他人から見たらつまらない日々なんじゃないのかな。でも、わたしは毎日楽しんでますよ。そうですね、でも、他人から見たらつまんないかもなぁとは思いますけどね。だから何というか、どうなんですか、ブログとか。ぜってぇぐだぐだになるしかないだろ。でも、そういうのをみとめてくれる人もいるからいっか。




*08.11.13 

先生に、「ナイーミさんは善人なんですね」と言われた。 
「善人」って、なんか物凄いレアなボキャブラリーチョイスな気がしませんか。ちょっとびびりました。 


割と誰にでも、「いーひとだねー」はよく言われます。それは・・・ちょっと黒いかもしれないですが、本当に「いい」っていうんじゃなくて、多分「悩み無いね」みたいな意味だと思う。 何も考えてないね、的な・・・「それにくらべて、わたしはレベッカとは全然違うんだー。こんなにあんなにそんなに考えて、いい人じゃない汚い人で、むしろ自分を恥ずかしい人間だと思って生きて参りました。それにくらべてあんたはいいひとだねー」みたいな感じで、しばしば友達に割と都合良く「いい人」呼ばわりされてきたから太宰の「人間失格」にあんまり共感出来なかったんだと思います。 何かほんっとーに自分のことしか考えてないんですねと言いたくなってしまう感じでしたね、あの主人公。それだけ自己愛強かったらまぁ他人に迷惑かけまくってどれだけ恥でも自分の本当の『恥』には気付かなさそうだ、一生。と思った。これがホントの『傍迷惑』ってやつですね。多分タイトルからしてそういう話なんですよね。 


そもそもが、誰かの性格や人柄を「いい」とか「悪い」とか決めつけるって行為自体、かなりエゴイスティックなことじゃないんかな、わたしには分かりませんが、少なくとも、わたしには出来ないです。もちろん、その「誰か」の中には自分も含まれると思うよ。 

「人間失格」って本は、それぞれがそれぞれに楽しめばいいと思いますが。人の読み方は人の自由だから。最近はネット上の「感想」や「レビュー」に自分を「同一化」させる傾向でもあるのか、自由な感想に対して、自分がけなされたかのように非難するコメントをしばしば目にしては寂しい気持ちになりますが。でもまぁ、何となく、そういう「不合理」を最近は、もう少し温かい目で対処してゆけたらなぁって思う。 


ただ、やっぱり腹立ちますね。自分を「恥多い」と思うのはある種逃げだぜ。だって人間全員そうだったら、それは「普通」ってことじゃん。「恥多い」のは特別でも何でもないじゃん。多分いわゆる「恥」はさんざん人と答え合わせをして苦しい中にあると思うよ。 


でも、わたしも、自虐的になれば特別になれると、心の何処かで無意識に思ってた時期がもしかしたらあるのかもしれないなぁ、と思うことはあるよー。 「居なければよかったかなぁ」と思ったことはありますね。「あんたなんかいなければよかった」とか「あんたがいるから何もかもめちゃくちゃになる」とか言われると、なんかすげぇ逃げたくなってたわー。でも、逃げられんからね。もし、逃げられるなら、その人は器用だなと思う。 ただまー、何だろ。人はそれぞれかなりいろいろ抱えていて、それは当然わたしもそうだと思うんですよ。だから、何だろ。「いい人だねー」と言われ、「それにくらべてわたしなんてこーんなにこーんなに醜いの。ねぇ。あなたみたいな無神経で感性のない奴とは違うのよ」と遠回しに言われても、私だって、「いやー、あの、すいません。そのくらいの醜さだったらわたしも持ってるけど、いざそれをわたしがさらけだしたとき、それでもあなたはわたしに『いい人』って言えるんですかい」とね。よく思ったりしますね・・・いや、本当にいい人だったら馬鹿にされても誇りに思うよ。だが、わたし本当にいいひとなのか、と思ったら、別にそんなことないんじゃないかなと思いますね。むしろ正直「性格悪いわーわたしー」と思うときもありますわ。でも、やっぱ他人に言われたら嫌なんじゃん。「この恥知らず」と他人に言われたら、多分言えないよ。「自分が恥多き人間だ」なんて。わたしそんなんばっかりだから、あんまり「自分を恥だ」と思わないんだと思う。自分を守るのも、物凄く難しいことで、それでも自分の「人間」を守るのが、まず自分の使命だと思う。多分、「言われたことないから」、「そう思うんじゃないの」。「あたしばかだからー」と言いながら、いざ「ばーか」と言われたら、やっぱり嫌なんじゃないですかね・・・でも、感傷に浸る権利はないよね、自分でばか宣言しちゃったんなら、とかそんな悲しいの見てらんないなわたしは。うん、他人て酷いと思うよ。そして、わたしが誰かにとっての他人になっても、きっと酷いんだろう。とかそーいうことも考えちゃいます。 


先生はまったく意味なく、「ははは、ナイーミさんは善人なんですねー」と言ったんですけど、 すくなくとも上のぐちゃぐちゃからは一切離れた「善人」という言葉だった。誰かに「いい人」使うなら、 わたしも先生みたいに言ってあげられたらいいなと思いました。難しいと思う。 手法じゃないから。「温かくなりたい」っていうのは。気を抜くとすぐに口ばっかりだから。 でも、本物のクオリティを目指したい。 最近は、何かあんまり強いこと考えなくなったんだ。 今は、自分の書きたいもん書いてー、日々楽しんでー、休みたいとき休んでー、食べたいもの食べてー、もし自立出来たら最高じゃね、とかそんな感じなの。うーん、でも正直、そしたらなんか鈍ったよな。最近描く物、なんか物足りないんだよね（笑）。やっぱ生みは苦しみ、でも楽しいね。もうちょっと、違う場所でストイックになってみようと思います。でも、穏やかにもやっていこうと思う。何だろ。やろうと思えば本当に人は、何でも出来るのかもしれないけど、自分を貫く時に誰かと喧嘩したり対立するのは避けられないかもしれないけど、少なくともこれだけはしたくないなって思ったのは・・・意地悪はいけないなってこと。ささいなこととか、「普通に考えてこれは意地悪ではない」ってことでも、誰かにとって意地悪になり得るなら、なるべくしないようにする。気付きにくいことにも、もし自分が気付くなら、一個でも多く行動する。自分を曲げる必要はないけど、いくつかは我慢してもいいんじゃないかなって思う。何より「続けていく事ね」。あと「変わる」ことね。 




*08.11.12 

おえっぷむせた。最近、ヘルシーなものが食べたい欲求が強いです。自分で作ってみようかなぁ・・・いや、無理。腕も無理時間も無理（泣）。 
この時期逃すと、わたしはいまいち更新のノリが悪くなるので、特に今年はかなり勝負だと思うので、夏こけた分取り返さなければと思ってとりあえずアップしてくことにした。 
最近寒いので、皆さん体調お気をつけて下さい。 
どうあれ・・・何であれ、リボーンと文学は四六時中語りたがる話題なら、わたしはまずそれが『好き』なのかなと思うことにした。そしたら、まぁそれを頑張ってこうって思えるし。四六時中頭がそれを占めているなら、無理して遠ざけなくてもそれだけ打ち込んでたら、正直の手がかりになると思うから。 
でも文学好きだけど、もしかしたら・・・いわゆる『小説家』になるのが、目指したい道とも限らないなとは、思い始めている。小説はどこでも書けるしね。もちろん、これからも書いていくけど。評論という道もあれば学者という道もあるし、本屋とか、翻訳家とか、自分が取り組みたいことを目指す道は、うーん、でもやっぱり物語の『書き手』だとわたしは思うけど、いろんなことにチャレンジしてみるのもいいかなとは、思っている。 
売れる売れない、のっかるのっからない、読者受け売れ線、それを考えるのは「編集の仕事」だね。やっぱり。あらためて思った。そのためにあるお仕事の人がいるなら、やっぱり書き手はもっと自由であるべきだと思う。そう、思った。でも「批判」というものは、わたしは「マジョリティー」に対して、まず常にあるべきだと思っているから、やっぱり「売れ線」というものについては考えていくと思うけど。一体物の善悪は、どこで判断を要するのか、という問題ね。多くの人に受け入れられるものが特に、「価値ある物だ」と思われやすい場所では。




*08.11.11 

パンゲア新装版が出ています！よっしゃあ！




*08.11.10 

かろうじてちょこちょこレイアウト修正をはじめました。声が半端なくやばい状態になっている風です。 




*08.11.9 

昨日ひさびさに絶賛遊んできました。ゲームセンターとかやばいな。超楽しいな。 
喉ががらがらです。 
そして今日もセガサターンの「姫作り」を絶賛楽しんでました。「娘」が、「女王」より難しい「宰相」になったのに、「モラル」の低さによって「後日談」で権力の座から引きずり下ろされ、「折角なったのにお役御免になっちゃった・・・でも、後悔してません。またお父さんと一緒に暮らしましょう」とかなんとか言ってやがるこの野郎おまえぇ反省しろーっていうか「後日談」とか何。まぁうちのＣＤロムが古すぎて、セーブできないんで一発でラストまで持っていかなくちゃいけないから、毎回面倒くさいんですがね・・・。



ジャンプ久しぶりに買いました。 



あんまいろいろ気にしてもしょうがないという結論に達してはじめて、いろいろ気にしてよかったなぁと思うもんなんだなと知った。ぶっちゃけそういう・・・何、結果オーライ的なのって、うさんくさくて信じてなかったんだけど、いざ自分がそこにくれば分かる事ってあるんだなって。迷ったり、蛇行したりも、まぁ自分にとってしっかり糧になるならいいんじゃないかと。 



今から、修正とかやれる範囲でやる予定なんですが途中で寝ちゃうとか本当日常茶飯事なのでなんかやる前からだれてます・・・・・・まぁ、寝ちゃったらそこまでってことで、無理なくやりたいです。 
バスタオルを髪にターバン巻きした状態でロンＴ着ようとしてました、さっき。どう考えても首が通らんでしょーが。 




*08.11.8 

この前書いたベル夢と、雲雀さんと了平さんの話は、大幅加筆してレイアウトごと修正してあげたいですね・・・細かくページを分けるのが好きなんですが、文字数少ないので、いくつかのお話はページを減らしてもいいかも。 
短編熱がさがったわけではけっしてないんですが、それよりとっとといくつかケリをつけたい連載夢がありますね・・・何か連載終わらせるつもりで取り組んでる自分は、ぶっちゃけ苦しいといえばそうなんですけど楽しいといえばそうで最近楽しくなってきました。




了平兄さんさぁ・・・なんて言うんですか、七巻の海の時もそうだったんだけど、「おいおいおい、ちょっと待てよ」って感じなところがあって、そこが実はかなり好きなので、そういう彼を描ける話を書いてみたいなと思ったんですけど、いざ書いてみたら、「その前にお前は笹川了平の心を分かってねぇよ」と自分に突っ込みを入れたくなった。まずもう少しオーソドックスなネタで慣らした方が良かったですね・・・・・・。 
ベルは、「いみわからん」くらいでいいと思ってたんですけど、それにしたってもう少し具体的に説明を加えた方がいいんじゃないかと思いました。 
とりあえずミルフィオーレの『序章』を早く終わらせようと思います。あの団体は、何か今幻騎士が熱いです。ホント、幻騎士だけでオンリーのサイト作りたいです。入江の夢は、そうですね・・・ヴァリアーなノリにミルフィオーレが食われそうになるのがどうにも自分的に気分悪くて書けなくて、今分断されてきたけどまだちょっと奇妙ですね・・・自分の書く白蘭さんは、極端にやるにしても、気にならない時とそうでないときがありますね。何というか、あんまり出てこない白蘭さんを書きたいなと思うんですが、ミルフィオーレやるとき白蘭いないとなんか物足りない。何故。やっぱボスだからなのか・・・・・・。 




*08.11.7 

オール連載は、 



主軸：ディーノ、白蘭、骸 
副軸：山本、ザンザス、幻騎士 
愛を与える者：隼人、ベル、千種 
ジョーカー：雲雀さん 



て感じです。なんというか、副軸の人々は、『バランス』のためにいらっしゃる、実は書いて一番楽しい位置のキャラにする予定です。ただ剣士かぶったのはちょっと痛いな・・・でも入江はミルフィオーレオールで主役はる予定なのでここで出過ぎるのも・・・ただ、幻騎士の役回り的にちょっとこの話に合わないかも・・・とかめんどいな（笑）。この連載、もともとは、白蘭、入江、骸の未来編連載でした。ディーノが出てきたことで根本的に主旨変えです。だから入江を・・・とも思わなく無いですが・・・うーん・・・ブラックスペルがいいなぁ、とか思い始めたんだが・・・野猿・・・うーん・・・？ 
いわゆる自分が影響受けていたり、持ち味として持っているのは、「役割」が決まっている、ということなんですね、キャラクターに。・・・運命論っぽいので嫌いなひとはすいません。こういうのしすぎると原作からそれるーとか思ってるのでほどほどですが、こっちの方が話は作りやすいです。そして、この連載は自分の自由にやろうと決めたので、こうなりました。 
主な面子はこんな感じです。一応、この話に出てくるひとみんな役割があります。オリキャラにもあります。この先出てくるオリキャラもちらりほらりいるので。ただ、あくまで脇役、というポジションになります。「リボーン」の話である以上は、原作キャラが少なくとも話の中ではメインです。それぞれにドラマがあってもですね。 


集計もうちょっと待って下さいな雲雀旅行話は、結構設定かたまってきました。究極ＶＳを何が何でも実現します。もう、何が出来なくてもこれだけはやりますという設定を一つ決めました。 




*08.11.6 

お腹空くのと眠いのは、駄目ですね。気が立っちゃうなと思いました。 



春から夏にかけては、何だろ・・・日々のことをこなし、やりたいことをやるにはどー考えても睡眠時間を削るしかないライフスタイルだったんですが、無理しないでやってみたら、何か心穏やかです。うん。穏やかに優しくなればいい。と思う。 
わたしの幸せなんて低レベルっちゃそうで、まぁ相対的なんて言ったって、人間どこが真ん中なのかも分かりはしないけど、なんかよかったなぁ、なんて思えば嬉しいね。今日、ロングスカート（つってもそこまで裾長くないけど）買ってみました。いや、千円台だったんでつい・・・店の人にはもう覚えてもらえていて、似た色の服を買おうしたとき、「でも、こういう服、結構持ってるんですよね」って言ったら、「ああ、この前カットソーお買いあげいただきましたねー」って言われた。 



何だろう・・・わたし管理教育の方が性にあっていたみたいで、すてきな友達が出来、面白い場所を知り、授業も楽しめてるのに、何故か学校がつまらなくてしょうがなかったんですが、最近は楽しいです。無理ですね、つまらないの当たり前になるなんて、絶対に無理。自分に選んだ場所が楽しくないなんて、絶対に無理。大体大事な友達出来て授業たのしきゃいーじゃんって感じですよったくね（笑）。ただ、なんだろ・・・まぁ、感じるところがいろいろあったんだよね。でも、それも大事なことだったかなって思います。流されなくて良かった。考えて、ぶつけてみてよかったって思います。今は。 



もの悲しい気持ちになるのは、いつでもそうなんだって。それが大人になるってことなんだって。母が言っていた。そーだったのか。最近、不満も何もないのに、毎日寂しかったしかなしかったよ。朝起きるとかなしかったよ。いや、ぶっちゃけ・・・二年前くらいからかな、そうなったのは。どうしようもなく寂しいんだよねぇ。で、理由はないんよ。 
いつか、それを埋める日が来るという。わたしは、一生埋めない道を選択するかもしれない。今迷ってる。



せんせい、って、自分にしっくりくる感じがしないので・・・すが、うん。わたしは・・・何だろ。ほんと、学問の伝達にしか興味がないので、そういう人にとってはこれからますます向かない仕事だと思うし、知れば知るほど大変な仕事なので、ぶっちゃけ面倒くさいと思っちゃう時点で無理だなぁと思うんですけど、でも何だろ。骨に響く感じ。目を、覚まされる感じ。 
子どもは、凄いね。いつも思います。まぁ、瞬間的にこ憎たらしいと思うことはあっても、心から憎らしいと思ったことは一度もないな・・・子どもに「怒れない」んよ、わたし・・・だからすっげぇなめられるんですよー・・・子どもとか甘やかしちゃうのかな・・・まぁわたしは何事も極端なんで怒ったり喜んだりなかなかどぎついですが、わたしが本気で逆上しちゃうのは、不誠実、とかそういうものに対してだと思います。最近、逆に人間らしくないなぁと思います。何だろ・・・感情が激しい割には、『人間らしくない』もしくは『現実離れ』しているかんじ。醜さ低俗さ、忌み嫌うから現実離れしているけど、だから憧れます。屈折したいんじゃなくて、屈折しないと『確かなもの』が得られない感じがするの。 
あ、ねむ。寝よ。     </description>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/1.html">
    <title>トップページ</title>
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      **レ馬鹿と交換日記　まとめ

-DANCER(笑)レ馬鹿との交換日記のまとめサイトです
-このページは誰でも自由に編集することができます。
-&amp;bold(){凸は禁止}です。板のルールに従ってレ馬鹿のDANCEを見てあげてください。



現行スレ
【まだまだ】ﾚ馬鹿と交換日記5【踊るわ】
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1221223555/l50

関連スレ
レベッカ・リガッティエーレ(心理学板)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1217259316/


過去スレ
【親のお金は】ﾚ馬鹿と交換日記4【味気無い】
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1217823394/
http://www.23ch.info/test/read.cgi/net/1217823394/
【世界はわたしが】ﾚ馬鹿と交換日記3【まわしてる】
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1216650673/
http://www.23ch.info/test/read.cgi/net/1216650673/
【DANCER(笑)】ﾚ馬鹿と交換日記2【ふりゅりゅ(笑)】
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1215442573/
http://www.23ch.info/test/read.cgi/net/1215442573/
【帰国子女】だめだめﾚ馬鹿【小説家志望】 
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1213789627/ 
http://www.23ch.info/test/read.cgi/net/1213789627/


一言ある場合はこちらへ↓
- 新しい記事も更新してくれてるんですね。管理人さん乙です。大変な時はお手伝いしますので、スレででも声掛けて下さい  -- 七氏  (2008-08-10 23:41:18)
- 消えた18日の記事３つを日記に追加させていただきました。私のせいでスレが荒れていますので、ここでご報告いたします。  -- 443 [bnS08ymA0]  (2008-08-19 21:56:20)
- &gt;&gt;443さんありがとうございました。  -- 管理人  (2008-08-22 11:37:40)
#comment    </description>
    <dc:date>2008-11-02T09:31:44+09:00</dc:date>
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  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/23.html">
    <title>復活のﾚ馬鹿</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/23.html</link>
    <description>
      またもや日記をアボンして、息をひそめていたﾚ馬鹿さんですが
沈黙に耐えきれず、とうとう暴れ出した模様
しかしそのチキンぶりはますます拍車がかかり
新しく記事を書くたび、前の記事は消去という有様



*08.10.29

賛否両論の話というのは面白いです。ホント、痛感します。新しい発見をいっぱいします。いろんな意見っていい。



芥川龍之介は読む人によって受ける印象がまったく違う話を書きたいと言ってそれを実践していた、とか聞いたことがありますが、その気持ちは分かるような気がします。そのひとの切り取り方で切り取って楽しめるような。だからより、客観的に、見える世界を描けるようにしたい。と、思った。
すげぇ尊敬している作家がいます。この前会ってきました。さ、サインもらっちゃいました。本に。
彼の小説をはじめて読んだのはでも、すげぇ最近です。そうですね・・・「運命の」ノンフィクションものを読んだ後でした。直後。多分。わたしがここに書くとりとめのない文学論文学批判は、本当にごくごく、この年頃の人間の考えることだったんだなと、講演会を聞いてあらためて思った。
簡潔で・・・文章は短くて。若干詩みたいで・・・もしかしたら小説を読み慣れている人は、不服なのかもしれない？でも、あの人の書く物はとても好きです。やっぱり尊敬してるんです。あくまで、わたしの中の問題はわたしの問題なんだけど、そうやって、迷わずに進むことを知る。



このまえテレビの座談会で、わたしが考えるのと同じことを言っている小説家がいた。何回か前の芥川賞作家。割と編集の姿勢の批判、殊にあれです、「小説」に携わる編集に対して、批判のようなことを言っていたと。「レベッカがわめきちらしていつも主張してるからその小説家の言っていることが分かるけど、普通の人には絶対分からないでしょーね。実際座談会のメンバーは誰もよく分かってなかったしね」と言われた。確かに、変な意味ではなく、分からなくていいと思う。本当に、というか本気で小説や文学について考えたいひとだけが考えればいいのであって、どうでもいいと思っている人に「分かれ」というのも酷な話だがな。まわたしはがちで本気なので書きますけど、日記には。
漫画の編集さんはいいなと思うんですよ。でも小説の編集は案外作家ほったらかしだろうな、と、それは・・・なんつか、ぶっちゃけ読めば大体分かります。幾つかの、余程鋭い目を持ってかかれたようなもの・・・それは主にノンフィクションであろう、それ以外は、ほったらかしっぽい、でも当然、それだけだと確かに根拠にはならない。
だけど作家さんが実際に言っていたんだから、まぁ、思った通りだったんだなみたいな。それがいいか悪いかって、わたしだって、ただたんに本がストレス解消の道具だったら「いーんじゃない」って思うと思いますね。だがそんなのは他の媒体でいくらでもできることなんだっつーの。あー、もー人に同意を求めるのはやめときますがね。あと、このサイトで行っている活動と、それらうんぬんは観点によっては同じ部分を目指してるけど、基本的には別物です。こっちはいわゆる娯楽でいきたいと思っています。娯楽にだって、いい部分はいっぱいある。もちろん問題点も多いけれども。
作家さんは、テレビできつい口調では言わないでしょうけれども、多分それだと周りには「分からない」。と、言われてはじめて「くたばれ」と叫んだ自分が何故それをどうしても否定しなかったかを、思い出した。そういう問題じゃない。どうせ与えられた物しか読まない人たちが、それでも文句だけはいっちょまえに言ってくるから小説が一様化する、単調化する。他を認められない。自分の感傷に世界をあわせたがる。そしてそれはよく売れますね。案外。「何でこんなのが売れる」んだとおもった人はその瞬間、「売れ線」からつまはじきにされてるってことでしょうかね。身勝手な欲望を持っている人が、案外多い。だから売れる。でも思うじゃん、それは本当に悪いことなのかって。じゃあ悪くないよ。ただ、それは「文学」ではないね。それだけ。
うん、だって気持ちはよくわかるが、それは・・・友達がこの前メールでくれた、「日本人気質」というやつでしょうね。わたしは逃げても何にもならないから、やっぱりこの場所を、好きだとおもっていくことにしたから、その目で見たら、そうですね、その日本人気質は愛おしくもあるんですよ。ただ、今はいいけど、明日はどうだか分からない、そういうやり方ではある、それは「停滞」以外の何者でもないと思います。ただ、それに気付かない人を責める気はない。
やっぱり、今しか言えないことを言うから、今は落ち着いてる。もうしばらく、落ち着いてると思う。これはわたしのコンディションの問題だからね。結構今はクールに、あらゆるものを切り捨てられるでしょうね。
だからこそ、熱かった自分は尊いと思う。そこからはじめなくてはならないと、思った。言わなければならなかった。哲学から腐りはじめて、言葉の概念がゆがみにゆがんだら・・・文字を覚えても意味のない時代が来て、それの一番まずいことは、「騙される」ということです。一体、言葉の意味の分からないひとを騙す方法が幾つあると思いますか？言葉の意味が細かい部分でないがしろにされ、もしくは概念を歪められることは、明日の自分を苦しめるかもしれない。



先が見えないから、三日待てばやらなかったかもしれない過ちを実行してしまうときに、黙っているくらいだったらやっぱり叫んでよかった。紳士に丁寧に言うことは誰にでも出来るけれども、それじゃ解放されない。それは、『言っているだけ』だ。そうではなくて、叫ばなくてはならなかった。伝えるのは理路整然とした自分の言い訳ではまずなかった。まず、怒りを。純粋な怒りを。その後に、積み上げればいい。過程で見なければ、流れで見なければ分からない。先に進めるから。かけがえのないとは、ああいうことを多分言う。自分にとって、かけがえのない、を、探すのは難しい。ほんとうに追い求めたいものが、もしもあるなら。どんな場所でも。誰が敵でも？否、でもね、敵はいつでもいないんだよ。そんな気がする。青い自分に救われることも、多分ある・・・ま、大半は後悔ばっかりだけどね（笑）。
文学は開眼だ。と、今はおもう。目を開くことだ。だから、目を開かせるものを書かなかったら、それは小説でも文学ではない、本当にそれくらいのことで、一体文学である必要がどうしてあるのだと、そういう話だと思います。別に誰ももう追い求めていなくとも、わたしが追い求める物は文学であって、ただの字面ではありません。



セガサターンのプリンセス・メーカー２にはまって、一週間ぐらいずーっとやってました。

お父さんが女の子をプリンセスにするゲームです。でも、プリンセスにならなくてもオッケイです。数十ある職業のどれかにつくこともあるし、職業につかず花嫁修業をするという場合もあります。
体力、とか知能、とか気品、とか色気、とかモラル、とか因業、とか感受性、とかそういう能力値をあげつつも、戦闘技術、とか魔力、とか芸術、とか料理、とかそういう能力値をあげることで、戦士評価、とか魔法評価、とか社交評価、とかがあがって、最終的な職業に影響します。プリンセスになるのは案外難しくないのですが、あれですね、逆につかせるのが難しい職業、というのもあります。
月ごとにスケジュールを組んで習い事とかアルバイトをしてお金をつかったりためたりしながらパラメーターも上げていきます。アルバイトも料理屋、とか宿屋、とか農場、とか髪結い、とかからはじまり、ヤミ酒場とか夜の殿堂とかなんかやばげのやつもある。墓守をやると、しばしば亡霊騎士に遭遇して、戦うはめになりますが、勝つと金がもらえます。



あと、いわゆる能力値だけじゃなくって、娘の「体型」とか健康状態とかの管理もあります。食費が毎月かかるんですが、その食費のかけ具合も選べて、少ないと体力が減ってちょっと発育不良、多いと体重は増えるけどバストも増える、身長も増える、体力も増えるが色気が減るみたいな感じです。
年に一回収穫祭というのがあって、そこで「武闘大会」とか「王国芸術祭」（事前に描いた絵を出品する）とか「お料理コンクール」とか「ダンスパーティー」とかに出して実力を試して賞金をもらったりも出来ます。１４歳になるとライバルの女の子が登場します。色気が高いと、ナンパされたり金持ちから愛人に誘われたりもします。モラルが低いとそれに応じちゃうので仕事に手がつかなかったりします。



わたしはねー娘を「女王」にしたくて全部の評価あげるように頑張ってたんですけど・・・どうしても「お父さんと結婚させる」（こういうことも出来ます。魔族でルフィ声の執事と結婚させることも出来ます）という邪な願望が捨てられずにそっちをがんばっちゃったから、パラメーターが犠牲になったというかなんともはや・・・セガらしいコアなゲームですな。
プリンセス・メーカーというゲームは、プレステでも結構出てて、多分リピーターの多いゲームなんですが、わたしはやっぱり未だプリンセスメーカー２が一番好きですね。９４年の発売らしいですが・・・未だにこれが一番好きですね。一番面白いのが「武者修行」のコマンドで、東の森とか西の砂漠とか北の氷山とか南の水郷とかに行って、モンスターに遭遇したり、お尋ね者倒して懸賞金もらったり感受性が高いと妖精のティーパーティーに招待されたりドラゴンのじいさんにエロいドレスもらったり魔王の別荘に行ってさぁ大変とか武神と戦って倒すと娘の守護神とばったり遭遇できたりそういうなんというかイベント目白押しーな感じなんです。武者修行。



実はいけない職業もいくつか用意されています。高級娼婦とか暗黒街のボスとかＳＭ女王とか。ごろつきとか詐欺師とかにもなれます。娘は、どんなふうにも育てることが出来ます。女王とか司教にもなるし、将軍とか勇者にもなるし、大道芸人とか道化師にもなるし、博士にもなるし、うん、数十個・・・ですね。



結構ストーリーが決まっています。ある王国で、人間達があまりに横暴だったので天上の神さまが怒って、その国を魔王に支配させたんですね。そんでたまたまそこに訪れた勇者が魔王を倒した（倒すシーンもなかなか劇的ですけれども）。それで、王は酷く自分の行いに反省して、二度とこんなことは繰り返さないようにすると誓って、世界には平和が訪れる。王様は、勇者に、是非この王国に留まって欲しいと頼む。
で、星の綺麗なある夜、勇者が空を見上げていたら、娘の守護神（誕生日によって変わる）が降りてきて、一人の女の子を彼に授けます。これが「娘」です。天界の娘なので正直「人間」であるかは怪しいところなんですけれども。お父さんとは血がつながっていないという・・・あやしいシーンというシーンは一つもないですが、どことなく男性向けゲームの雰囲気は感じませます。



というわけでお父さんは「勇者」なんですね。だから王国ではある意味一目置かれている存在なんでその点はちょっと優越感です（笑）。ちなみに魔王とも結婚出来ます。やりようによっては。これもまた「プリンセス」ですね、王子と結婚するの対極です。もういろんな意味で「プリンセス・メーカー」なゲームです。



どーしよう。ビジュアル的にも、これが一番好きだから、他の奴は「夢見る妖精」（妖精の子）しかやったことないんですけれども・・・。あと、うれしいのが「フルボイス」ですね・・・娘役は久川綾さんなんですが・・・あれ、すっげぇ大変だと思います。特にお父さんに最後に言葉を残すんですが、ほんっとうに何通りもあるんですよ。



すいません、もういかにそれしかやっていなかったというのが明らかな文章になってしまいましたね・・・わたしは・・・あれですね、すっげぇシュミレーションが好きなんだなと思います、あらためて。あと、マイナーなのかというと微妙だが、メジャーとも言えない昔のゲームを延々とやり続ける性格らしいです。



*08.10.30

最近ものめっさギターやりたい。ギター。何というか、周囲の世界が広まると、機会がなくなりやすいものもある気がする。 
それは良さであると認めない訳にいかないけれど・・・うーん、でも、わたしにはわたしが感じる良さって奴があるわけで・・・こーいうこと言ってるから気むずかしいと思われるんでしょうね・・・（笑）。 

サークルで、ずっと培ってきた『私達の』発声練習をけなされたとき、見知った顔が一人もいないことをあらためてなっとくした。代わりに喉を痛める発生練習をやっていた。別に、それでもついていけた。新入りなのに、その場で一番声が出た。だけど、ついていく理由が分からなかった。弾き語りのサークルでは、先輩が正しいギターのストロークを知らない。思わず指摘してもしかとだった。一気に冷めた。 
サークルはそういう場所なんだと思ったら、物凄く重荷に思えた。何で、みすみす積み上げられてきた良き物から遠ざかろうとするのかな、この人達は。それは『私達の世界』という、一つの専門的な領域が築き上げてきた歴史であるのに。 


言うよ。でも言っても愚痴だといわれるのは不本意だと思った。 
それが良いことだとは、これだけは言わない。何処にでも、情熱が足りないということにだけは。平和を愛するのは構わないけれど、情熱を拒むことはそれとは断じて違う。あぁー情熱供給したい。何か？ベッドの中の情熱しか信用してもらえませんか。あほくせぇ。まぁわたしはパソコンの前でも情熱を燃やせるので、その点消化不良にはなりにくいけれど・・・でも、何かしらけてるよ。一定より上の年齢の人じゃないと情熱をｊもっていない感じがしちゃうんだよね何か。だけど同年代を大事に見据えて行きたいんだよね。矛盾してるけど・・・コルビーの言葉ですね。そして、その通りだとは思ったよ。だがな、いつの時代でも同年代が一番聞き分けがないよ、互いに。今これを書く自分にまず思ったぜ。確かに、穏便に、穏便にやっていけば、うまくはやっていけるのかもしれんね。


昨日読み返したら、いくつか修正したい部分あったな小説。・・・時間が出来次第、って感じで。あしたハロウィンだな。



＊08.10.31

実はダヴィンチのイタリア語、直しました。イタリア語めちゃくちゃだったんで。また直さなくちゃだめかもしれないですはい。 
楽しさって何なのかしら。会話の中で、なんとなく思う。 


トリックオアトリートー！ 
最近、いわゆる「日本文学」を勉強したくて、いくつか本をぱらぱら本屋で見てるんだけども、何だろう・・・特に新しい本は結構『主観的』な文学論が多くて、まるでコラムかエッセイを読んでるみたいで、「これでいいんだろか」と思ってしまう。あまり鋭い批判点を持っていないというんだろうか。 


「反文学論」っていう本を読みました。え、なんか凄い面白かったです。全部彼の意見に賛成だとは思わなかったですが、いえ、思いませんでしたが、多少主観が入っていても、こういう考察なら面白くはある。・・・ただ書く人はこういうの真に受けると立ち止まっちゃうかもしれないなとは思ったら、無意味といえば無意味なのかもしれないけれど。 
痛いとこつかれたなぁと思ったのが一つありました。「構造主義」というのは、西洋特有のものであって、それをしてこてこてに武装しても日本文学にとっての意味はなさない、というような下りですね。わたしは、多分考え方が構造主義的だったと思います。それで、でも構造主義は西洋の『言語』の形態から成っているものであって、つまるところ日本語の言語のなりたちを考えたら、『文学』というものは必ずしも西洋的でない、ということを知ったというか・・・わたしは西洋的で構わないと思ってました。理由は、文学という概念はそっから入ってきたから。 
分からない、それで文章は主に１９７７年に発表されたもので・・・大江さんの批評も、その観点からするんですね。大江健三郎さんが、文学批評家に対して「勉強不足」を叱咤したのにたいしてそんな感じなことを言って返します。 





結局大江さんは『ノーベル賞』を取りました。のちのち。それはもしかしたら西洋に理解しやすい『構造主義』的要素も若干あったんだろうか、と一瞬思ってみて、多分それは、元々文学というものを創設した人の意図には忠実にそっているんだろうと思う。けれど、日本人の『文学』ってどこにあるんだろう。いやでもこれ想像ですけど。 


あと、これ面白いなぁと思ったのは、川端、三島、谷崎というのは西洋でも受け入れて読まれやすいけれども、志賀直哉はちょっととっつきにくい、という部分ですね。 
理由は、志賀直哉の文章自体が強い固有のアイデンティティを持っているからだと、志賀直哉の小説を英語に翻訳した人が言っていたらしい。例えば・・・西洋の読者が『日本固有』とか『民族固有』みたいなものを理解したり受け入れるのは案外難しいみたいで、その点で言うと一見日本固有の歴史的な題材を使っている川端や三島や谷崎は、それでも文的には普遍的な誰にでも受け入れやすい書き方で書いているのだけど、現代的な題材で歴史的な要素も何も取り入れていないはずの志賀直哉は、逆に文そのものに日本の歴史や伝統を持っている、というようなことを、翻訳家が言ってたんだって。その海外の翻訳家はすげぇな、と思った。それはそうかもしれないなぁとそれは思った。個人的な好みの話ですが、わたしは多分その四人の中だったら志賀直哉が一番好きですね。否、好みの話ですけれども。それに、何がいいか悪いか、という話とは一見別のものですね。ただ、海外で受け入れられる小説というものが、もしそういう・・・普遍的な性格を帯びているとしたら、それは興味深いなとは思った。 
その他凄い面白い話題がいっぱいでした。古いけれども。ただ、大切なのは、過去にどんな意見が出たかを知っておくことかなと思った。とても興味深かったです。そうですねー、あと、こういうのを読んだからってすぐ自分がいいもの書けるかって全然別物なので。否、でもいつかの糧になるとは思うけど。 
もうちょっと何度か読み返してみようと思います。もう少し、深い理解と、何よりわたしも表現力が欲しい。


というわけで、とりあえず一般知識を身につけなおそうと思って高校の時の『文学史』のドリルを洗い直してみている。これも面白いです。 



ただ、やっぱあらためて思うのは、どんどん会話がつまらない人間になってるなと思った。なんだろう。インフォーマルな会話での自分の発言が死ぬほどつまらん。まー、つまらない人がいてもいっかとかは思うけど。私は、それまでがあまりに無学だったから、今物凄い勢いで勉強意欲の波が押し寄せていて、その分、それまで全てだった『会話』がおろそかになっているようなところはもんのすごく感じます。うーん、でも、後数ヶ月くらいはこのままでいいかな、とも思わなく無い。ある程度やり尽くしたら、今度はまたそっちを考えれば・・・あせってもしょうがないし、やりたいことをほっぽりだしてもしょうがないかなって、ちょっと思い始めたんだ。関係性の中で。 

 

＊08.11.1
 
六月、七月くらいにたくさんメールを貰う機会に恵まれ、アンケートなぞもいただいたので『素直』な意見も頂けたことがあって、その時一番興味深かったのは、そのときの回答者がたまたまそういう人たちで占められていたんだと思うんですが、ごく少数の人を除いては・・・・・・かなり『無関心』な態度、といえばいいのか、とっても冷めているんですね。 


何かぶっちゃけ寂しくなっちゃった（笑）。という覚えがあります。ちゃんと言っておくと、それはみんながそうだったわけじゃないです。 
わたしがここでわざわざ書くのは、その風潮はまさに現代の風潮だと考察されるからです。 


でも、誰かしら、自分の言いたいことだけは溜まってるからこちらには下さります。いかにも『溜まってるなぁ、この人』、という言い聞かせ方をしてこられる人と、自分のご意見を率直にぶつけてきて下さる方がいて、いかに厄介な類でもわたしは後者に関しては高く個人的評価をしました。前者は・・・そうですね・・・実年齢はわかんないけれども、大人ぶりたい子どもが、どうしてもこちらをねじふせたいみたいな気概に溢れていて、なんだか哀れめいてるんですが、それでわたしが「素直な子供」を演じて差し上げたら良いのだろうか、と聞きたくなるような言葉列だった気がします。 
無関心。は、装うんです。それが大人の態度だと勘違いしている人に限って。無関心な癖に私に言葉は下さる。「別にどうでもいいんですよ」とか、「じゃあ言わなきゃいいだろ」と思わず口をついてしまいそうな・・・哀しかったですね、もう本当にそれだけが今でも忘れられない。関心事が本当に身体に近い快楽から発するのはひとの勝手で、言いたいことは山ほどあってもここで言う気はないけれど、もうそれだけが今は忘れられない、という何というか・・・寂しい、ことでしたね。 



ただこの『無関心』は、結構ありふれている感じがします。わたしが村上春樹の小説にとっつきにくいのは、この『無関心』が必要以上に誇張されてる部分にあるんですが、でも彼は人気作家なので、つまりこの『無関心』に共感するひとは案外多いんだろうなと思い知らされます。関心事の世界ですね。そして、たいていの場合、マジョリティはマイノリティを常に駆逐する可能性を持っています。細やかな少数派が、力を持った多数派に押し切られて押しつぶされる・・・くらいだったら、やっぱり通さなくちゃいけない筋というのはあったと思ってます。例えこの件に関しては身近な友人からすら理解を得られなくても。 



くどいけど、『無関心』なんですよ。少なくとも、無関心を装いながら接して来るんですよ。何でこんなに無関心でいなくちゃいけないんだってくらい、『無関心』は強いですね。ネットでだと、何と言っても自分の『勘違い』というのを視野にいれねばなりませんのであてになりませんが、この無関心は意外とオフに多いね。『遠慮』と見えて、大抵自衛のために無関心を装ってる。とても、現実的です。だけど、それが『深さ』と誤解されてる。 
もしかしたら、強く言われる事以上に、この無関心は苦しいかもしれない。たとえば、強く言われたことで逆上する人がいるかもしれないけれども、それはこの『無関心』とのかみ合わせの問題な気もします。何か無関心無関心言っててすいません、だってほんっとにむかつくんですよ、無関心な癖に我欲ばっかり旺盛な方が増えてる気がします。 



わたしは『どうでもいい』ときは『どうでもいい』けど基本的に『どうでもいい』って嫌いな人間です。よくわかんないけど、いっしょうけんめい何かに取り組んでいる人に対する感想が『どうでもいい』っていうのは、感情的理由ではなく、形式的にも物凄く失礼だとおもいますね、まず。人間性と節度の問題じゃないですか。どうでもいいなら発言するなと言いたくなってしまう。ベニーケイの「チャクラ」だったか、ラップのとこにそういう内容の歌詞が出てきますよね。もうほんとにそうだと思いましたうん。 



小説も無関心が流行りな感じはします。いや、ホントに文壇（って、今の日本にあるんですか）が、いわゆる若者に人気のある作家の影響を右向け右で受けてる感じです。その中にあってはべたべたでも携帯小説の方がよっぽどあったかく見えるんじゃねぇのかと、素でいっぺん思ったぜ。でもねー、冷たいよね。思う。ホント冷たい。無関心を装うことは、一方で強みにもなるから、瞬間的にはそれで守られていると人は感じるのかもしれない。それが価値観ならそれを捉えるべきだと思う。でも、それがいかに寂しくて、結果的に自分が知らない間の暴発を招きやすいかということを・・・そうですね、本当に知るべき人に限って知らない感じがします。知るべき人っていうのは、自分の都合の悪いことには悉く目を塞ぎ耳を塞ぐ人のことです。まぁ、そういう人の場合、周りもみんな無関心で、目を塞ぎ耳を塞ぐ人にねばり強く訴えかけてあげる人自体がそもそもほとんどいないのかもしれないですけど。思いやりとはき違えられる『無関心』の姿がここにあります。 



わたしは、無関心になりたくないなと思います。もちろん、みんなに興味津々である必要はないと思う。時には無関心だって必要だと思う。でも、無関心をたてに、はじめから構えるのは嫌だなと思う。人間に対して、その尊厳を尊重することをきちんと心がけていれば、それは『無関心』ではないんではないかな。誰にでも媚びを売ってやると思われたら角違いですし、自分が攻撃されたらさすがに防御にも回りますけど、はじめから傷つきたくないからって無関心を装う人にはなりたくないです。つか、嫌な目にあったら、無関心じゃなくて「嫌だな」と思いたいよね、素直に（笑）。悔しいと思ったら素直に「悔しい」と思いたい。「どうでもいい」、で強がりたくないですね。そうだ、あんまりにも場違いな「どうでもいい」ってのは、強がりっぽいから見苦しいんだな。・・・本当にどうでもいいこともあるけれども。 




ある授業で、一見めちゃ無関心な感じの態度の先生がいらっしゃってわたし凄い苦手だなぁと思った。わたしは物凄くあからさまな態度に出やすくて・・・みんなもっと要領いいからうまく立ち回ってるのに、特にディスカッションが多いとどうしても『無関心』な態度ではいられない。こーいうの、嫌われるんだろうなと思いながら、だがね嫌われるとかもうすでにそういうことに気にしていられる状況ではないんですよ。一刻を争うから議論というのはしているので、一個人がちょっと先生からきにいられないなんていうことは、たいした問題ではないんです、が、まぁ苦しい（笑）と、思っていた。 
でも、それ勘違いだったなぁって最近気付きました。多分・・・先生が気付いてくださったんですね。情けない話です（笑）。もちろん、必要以上のフォローとかはしてくれません。いうときはぴしゃっていわれます。でも、『無関心』では俄然なかった。まぁ当然といえば当然ですよね。学校の先生がそれあったら終わりだと思います。一見理解のありそうな先生は生徒に好かれますけど、おうおうにして無関心要素をもってるので、わたしはあんま好きじゃなかったです。まぁ、ある先生がそうだったんですが、しかしその先生があまり好きになれなかった一番の理由は一時的にですがその先生に教わっているときだけ数学の成績があんまりかんばしくなかったからなんですけど。うん、まず学問の伝達という意味において先生っているから、授業ちゃんとやってくれれば多少性格合わない、とかくらいだったらなんとかなると思う。でも、やっぱり理解を示して下さってたり、見え方はどうであれ真摯な姿勢の先生というのは、こちらの勉強意欲もわかせてくれる気がします。 
あと、思いやりって大事だなとも、少し思った。 



無関心は自分を守る。特にネットは、無関心じゃなくても『無関心』っぽく見えることが多いし、ちょっと寂しいなぁとか哀しいなぁとか思う出来事も・・・多いですね。ぶっちゃけ。割とそういう出来事に出会った、とわたしの話かもしれないけれども。『無関心』は腹立たしいです。目と目が合わせられない状態。相手は自分を『見ない振り』してる。解決するべきことも『見ない振り』してる。それで人は、目と目で話せば出来るはずだったことを、とんでもなくねじくれた方法で解決しようとする。ネット環境の改善も、やっぱり少しでも自分で実践していきたいなと思い始めた。特にコミュニケーションの面においてね・・・もちろん温かさに触れたこともいっぱいあるけれど、正直わたしが昔通っていたとあるコミュニケーションのツールに比べたら、「冷たい」と思ったというのが率直な感想です。欲望が前面に来て、それを当然だと思ってるんですね。面白い部分もあります。もちろん、むしろ面白いんだろうとも思いますが、それはコミュニケーションの半ばの破綻です。自分の気に入る物だけを選び取って言葉にして、コミュニケーションした気になってる、感じ。サイトはじめてから、そういうチャットにでくわす機会が多くなりました。管理してなかったら掲示板もそうなるんじゃないかな。何がいいとか悪いとかは人の考えに任せる。でも、わたしはそーいうの嫌だなと思います。 



いいんですけど、経験だから。と、今ではそう思います。いや、もう三ヶ月前くらいに一通り問題だと思われる点は具体的には吐き出したので。 
ただ、多くの人が『無関心』を愛している場合に、それはマイナーな私みたいな考え方をを駆逐しえます。「みんながそう思ってるんだから、お前がまちがってんだよ」、みたいに言われちゃうんですね。まぁ百歩譲ればわたしはそれでもいいかもしれない。でも、その無関心によって死ぬほど苦しめられているひともいるかもしれない。多くの人の無関心に押しつぶされそうになっている人もいるかもしれない。 
良かれ悪しかれ、『メジャーな物』というのは、それそのものが何かをくってしまう可能性を持っている、ということは常に念頭に置きたいです。だから「批判」の対象になる価値があるんですよ、もちろん。むしろマイノリティを批判するとなったら、全然違う観点になると思われます。どっちかというと、これを『ジャーナリズム』というんだと思います。たくさんの人が賛成したことは、それだけで『正しい』と思われがちだけれども、「赤信号はみんなで渡れば恐くない」と言うじゃないですか。だから『批判』は、何が正しいことで何がまずいことなのか見えにくくなっている世界で、判定の役割をする大切なもので、慎重に適格に使われなくてはならないんだろうと思いますはい。 



最近リボーンの話してないな（笑）。最近ジャンプこそ買ってませんけど、あらゆる熱が冷めたわけでは断じてありません。ただ、単行本派に戻るかもしれないです。否、一時的にかもしれないですけどね。そして実は理由はあります。 



文学的な趣とか情緒によってではなく、『一発当ててやろう』が見え透いている作家とかその書き口には、腹が立ちますよね。誰だってそうだと思います。 
例えば『恋空』って携帯小説があります。浮き彫りにされる問題は多々あるにしても、多くの人がそれを買ったのも事実です。それに、問題は「こんなの有り得ないよ」とかそんなどうでもいい問題ではなくって、もうちょっとおかたいところにあると思います。
例えば、いわゆる・・・『大手』だとか、携帯やネットで物凄くアクセスを稼ぐ、リピーターの多いサイトがありますね。でも、そういうサイトって、『売れ線』とか狙ったんだろうか。たまに受け狙いが見え透くと、わたしは趣向的に読む気失せる、というのはあるかもしれないですが、わたしは、決して受けを狙うから誰もに求められる、わけではないと思います。 
『恋空』だって、あんなに人気が出ると本人が計算して書いていたわけではないと思うんです。一生懸命、書いたんだと思います。そこに最終的に批判点があったとしてもですよ、彼女自身はまぁ、多少はあったのかそれは分かりませんが、何か大きなものに媚びようとか、そういう気で書いたんじゃないと思うし、ここで表現活動してる多くのサイト管理人のひとたちもそうだと、わたしは思うんですよ。まず、書きたくて書いたんだと思います。それがめちゃくちゃでも。そこに問題点があったとしても、狭い価値観でけなされることではない。 
『恋空』の問題の一つは『モラル』の問題だと思います。ぶっちゃけわたしも一番気になるのはそこでした。あのですね、多少の超展開支離滅裂というのはぶっちゃけ不快ですが、それでもそれが好きな人もいるんだからそこに文句つけるのは個人的な範囲で留めて欲しい気がします。逆にそういう支離滅裂だけれどもどこまでも何かを追求したような、あんまりにもいっぱい詰め込んだような話は、想像力とか形成するのに役立つかもしれない。だが、そういう部分を抜きにした、題材の奥深くに見えるものは、作品としてどう、というより『教育』としてどうなんだというのは感じます。本という媒体が人に与える行為も、一種の『教育』だと思うんですが、「若者のこういう現象は、今社会で言われているこの問題を勘違いしかねないのではないか」みたいなそんな感じですか、ものっさひらたく言えば。 
多分ドラマはかなり問題部分を削ったんだと思いました。見る限り。 
まぁ『恋空』例に挙げましたが、「一発当ててやろう」で小説を書くのっておかしいなって思ったんです。 
それに比べたら、ある意味ネットとか携帯の小説の方が、勢いはあるのかなぁ、なんて。何かをぱくったようなありきたりなのも多いけど、加えて冒険出来るという利点はありますね。 
当然といえば当然ですけど、まず、書けるってこと。他人からぼろくそに言われたって、まず書けるって尊いと、わたしは思います。まあたしの場合はあれですね、自分も書いてるから気休めもあるかもですけど、でも、そう思うから、恐いけど自分をぶつけるのが大事なんだろうなーって思います。 
更新は、あくまで無理なくやってきますけど、それにしてももう少し実りある更新生活にしたい。メモも徐々に書く回数減らしたいと思っています。 


明日あさってしあさってはいっぱい更新したいですねー。     </description>
    <dc:date>2008-11-02T03:15:22+09:00</dc:date>
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    <title>8月の日記①</title>
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      08.8.2



３・３・７ビョーシ好きです・・・おもろい・・・・・・一方最近スクエニ熱が再びって感じ・・・。 

一度やってみたかったパーマにして、気分的には生まれ変わったけど・・・何か、かといって変わり映えのない日々だと気分転換っつーもんがないのう。

やっぱ、自分で稼いだお金で行かないと、美術館もランチも買い物も、何だか味気ない感じ。九月から、もう死にものぐるいで勉強ついていくことにして、バイトいれようかな・・・・・・どう考えても時間が空いてないっつか、秋からの方が春より授業忙しくなる計算なんだが。 



日々に。変わり映えを求めてもしょうがないかな。

頑張って、九月までにワンファインワイヤー終わらせてみます。あと、スカーレットヨーラブソング無限回廊は何とか・・・ザリーズンはひっぱってもいいかな・・・。あ、蹴っ飛ばせも頑張りたい。ウィッシュインザブラッド書き直したい（笑）。舞台日本の方が面白かったな・・・ヒバリのパラレルで書きたいのがふたつある・・・短編で書きたいのもいくつかあるし・・・・・・。 

がんばれよ。新しく厄介な悩み事でもんもんとするのはいいけど、ぐるぐる繰り返すのはやめにしようぜ、レベッカさん。 


08.8.3



やべぇ、アラニスはまった・・・好きな歌手リストに追加しよ。 

今日は、行きつけの美容院でムース買ってきました。毛先ふわふわぼわぼわなかんじなので、それをキープするため。わたし、いつも同じ女の美容師さんに切ってもらったり、パーマのコーディネイトしてもらってて、実は毎回「こうする」って打ち合わせしないで美容師さんになんとなーくでまかせてるんですけど、びっくりしちゃうくらい私が気に入るようにやってくれるの。すげぇなぁと思いつつ尊敬してます。しかも彼女自身が可愛い。さばさばしてるし。 



帰り、その美容院のある専門店街を歩きつつ、セール、セールのファッション店たちを見つつ（でも今お金がないのだよ）、ふと、中国人の友達と、今はどこもセールだねー、って話になって、このあと買い物行かないか、って言われ、わたしそんときテストあったから行けなかったんだけど、服は一人で買うのが好き、とか店員にいろいろ聞いて買う、とか、いろんな買い物ポイントが一致した、っていうのを思い出しました。 



私、服は店員さんに聞いて買う人です。・・・ただ、同窓会でその話したら、意外と、「店員になんて恥ずかしくて聞けない」とか、「なんて思われるかわかんない」とか、「店員なんか信用しない（笑）」みたいに友達に言われて、店員さんにおまかせ型の私は結構珍しい目で見られてびっくりしました。みんなは、「お母さん」とか「お姉さんもしくは妹」とか、「彼氏」とか、「友達」とか、割と「知り合い」と見て決める、らしいです。 



何か、そういう話になると、大抵辛気くさいエピソードを持っている自分がいい加減がっかりなんですけど、私は服を母と買いにいくと大抵喧嘩になりかけるんですよ（笑）。簡単に言ってしまうとおかーさんの趣味が自分と合わないんですね。ときに、お母さんにすすめられた服を私が「買わない」って言うと、「一生懸命選んであげてるのに、私の趣味じゃだめっていうのね」みたいな感じに言われちゃうからだったりします。 

ようは、わたしが母に言われたとおりの服を着ればいい話なんですけど、その・・・やっぱりしっくり来ないと断っちゃうんですよね・・・もう、そこからして母親からすれば異端な娘だったと思います。姉はほぼそんなことはないというか、母に選んでもらった服を割と素直に着るひとです。だから母も姉の服は姉がいないときに買ってあげる、とかやるんですが、「あんたの服は買わないわ、だって気に入ってもらえないもの」みたいな、苦いことになっちゃうんですね、家族関係が。なんというか、母は基本的に良心的な趣味というのを知っている人で、デザイン系の仕事をしてたからか、感覚すぐれてるんですけど・・・・・・何で、わたしときたらそれでしっくり来ないんですかね・・・可愛い服が自分に似合うとは限らない、とか、流行りものはデザインは好きだが自分では着ない、とか、そういう傾向が強いからかもしれないです。 

反抗したい、とか、親が気にくわない、とか、思ったことはほぼ皆無なんですけど、「感性」というか、「センス」が違うというのは、何というか独特の苦しさがあります。誰でもある程度はそうだと思うけども・・・「何となく」で、言葉がなくても合わせられる部分が家族と根本的に違うので、何事も「言う」ことで、拒絶することでしか理解してもらえない部分が多くて、姉が私をすごく嫌っていた時期があったり父と絶交状態だったりの時期もあったんですけど・・・「家族」だと尚更苦しいよね。ただ、家族だって、やっぱり違うひとなんだから、「家族なんだから、みんな×××って思ってて当然だ」みたいな暗黙の了解に入れなかったときに、「あんただけがおかしい」とか言われるよりは、「あんたは家族の他の人と少し違うから、別な考えがあるでしょう」って言ってもらえたほうが、個人的には気が楽になる。ちょっと寂しいけど、それは家族にあわせられない自分が原因なのでどうしようもないと思います。 

で、わたしはまぁお約束で言ってしまったんですね。母に、「どうして娘の似合う服も分からないわけ？あれが私に似合うと思うの？どう考えても似合わないでしょ。似合わない服に高いお金払えっていうの？」って、言っちゃったんですね。 

母はそれから遠慮するというかわたしの意志を尊重してくれるようになりました。・・・うーん、でも後味がいいかっていえば嘘ですよ。いわなきゃ良かったような、でも言うしかなかったような。母に一回恐る恐る聞いたことがある。そのとき彼女が言ったのは、「わたしと趣味が違うのはしょうがないことだと思う。あんたが自分で気に入る格好をしてくれるのが一番良い。でも、兎に角可愛くして欲しい」でした。 

すごい言われますね、母には。・・・わたしレポートに熱中した日とか、風呂も入らずベッドでろくに寝ないで着替えもせず学校に行っちゃったりとかする人なんですよ（顔と歯は洗う）。それを、すごい母は気にします。「もう少し気をつければ、可愛くなれるんだから」って、よく言われます。年の割に気にし無さすぎなんですかね・・・（泣）いや、服見るのとか好きだし、ヘアアクセサリーとか小道具とか鞄とか見るのもすごい好きなんだけど、その割に自分磨きをなまけがちな人だと我ながら思います。・・・・・・本当、申し訳なくはなるんですけど・・・親不孝といえばそうですよね・・・。九月から、心がっつくのをやめて、生活と勉強のことだけ考えるようになったら、もう少し、最低限の身だしなみくらいは・・・・・・化粧も、何かは挑戦してみようかな。本当、ほったらかしなので。珍しくはないと思うんだけど、こういう人も・・・でも、お化粧を勉強したいような気も最近はします。そうだね・・・好きなんですけどねおしゃれについて考えるの。嫌いじゃないんだけど、結構気をつけるときとつけないときの差が激しいんですよね、おしゃれ。難しいですね、価値観の問題は（笑）。結構、母とか友達とか、一緒にいて、今の服はどうかー、とか化粧がどうかーとか髪がどうかーとかずっと気にされたり聞かれたりとかすると、やたら面倒くさくなっちゃったりしますね・・・よくわからんわー、少なくとも私よりはましだよ、みたいな・・・わからん、これも価値観の問題だと思いますね。 



店員さんに聞くのがいいなぁ、って思ったのは、ある意味の「遠慮がいらない」から、だったりします。もっとこういうのが欲しい、もっとああいうのが欲しい、って言うのを、友達とか家族にいうと、やっぱり「え」って言われちゃうんですよ。身近なひとのすすめてくれたのを断るとやっぱり間が悪くなったりとか。私は、服をすすめられて断るとかそういうのは、別に親しさとそういうのは関係ないと思うだけど、相手に嫌な思いをさせるくらいだったら一人で行きたい。社交辞令では選べないものがある。 
まぁ、私みたいに自分のしっくりこないものはどうしても買わない、っていう人じゃなければそんなのごちゃごちゃ悩まなくてもいいと思うんだけども。


店員さんだったら、「じゃあちょっくら倉庫から持ってきますよー」みたいなこともあり得ますし。「胸がないんですけど、こういうのでも大丈夫ですかね」（笑）、とか、「ブラウス探してます」とか、「白黒多いんでカラフルなものが欲しい」とか、「ワンピースが欲しいけどあんまり着ないんですよー、どんなのがいいですかね」とか、なんというか、向こうはわたしよりよっぽどおしゃれ通なので、いろいろ聞いちゃうというか・・・あと一回お世話になった店員さんは、大抵顔を覚えてくれるのでなんかちょっと嬉しいです。あと、店員さんが選んでくれたのを自分も気に入って、買うと、店員さんも喜んで下さる。・・・わたしも、自分がバイトしていたら、確かに自分が探したりすすめたものを買ってもらえると嬉しいから、そのあたりは、店員さんの様子を見て、店員さんが超無愛想だったり嫌がったりしない以上は甘えちゃっていいんじゃないかなーって思ってます。多分、嫌がる、とかはあんまりないと思うけれども・・・お仕事だし。 



でも、どうだろ。人によって違う考えでいいと思うけど、個人的には、やっぱりお母さんとか兄弟とか友達とか彼氏とか、親しいひとの選んでくれた服を買って、「うれしいな」って思って帰るのが、一番いいんだろうな、って思います。自分には選べない道が、尊いなぁと感じることが多いのも、私の面倒くさいところです。 





一度全盲の方にお話を聞く機会があったとき、「洋服ってどういうふうに選ぶんですか」とお訊きしたら、家族や友達が「あなたは明るい色の服が似合うと思う。赤とか似合うよ」みたいに、言って下さるから、そういうものを選ぶようにしているんだそうです。そういう言葉掛け、すてきだなぁと思いました。 

『わたしに似合う服』って、いうもの自体があつかましいなぁ（笑）、ってやっぱり思ってしまう時期も長かった気がします。でも、例えあつかましいと思われても、そういうのを見つけるのを妥協したくないなぁって思うようになったんですよね。迷って迷って迷っても、自分の納得するものを、選び取りたい。 



続きジャンプ感想！ 



ヒバリさん、格好良すぎます。 

え、ちょっとやばいよね、ねぇ、ちょっとやばいよね。 

幻騎士かっこいいけどさ。いや、ヒバリさん良かった。わたし、骸引きずってるヒバリさんが結構好きなんです。 

うん、戦って、絶対勝ってきてよ、ヒバリさん。いや、ヒバリさん格好良すぎます。 

もう、それだけで私の生きる活力である。ヒバリさんはやっぱ私のあこがれで、ヒーローで、人生の師なのです。 



ヒバリさんの背負っているポジティブがすっごい好き。ヒバリさんの持ってる「強さ」も好き。うん、強い人がすごく好きなんです。 

強い、って難しいことだよ。人って、弱い部分があったほうが魅力的に見えたりするでしょ。折れないヒバリさんというキャラクターは、とても尊敬します。「強い」って本当難しいんだって。「英雄」って難しいのよ。 

あと、悉く黒相手にしてるのも凄い好きです。あくまで「戦い」優先、な雰囲気が。骸とか出て来ちゃうと、やっぱ「政治」絡みますよね。なんだろ、ヒバリさんはあくまで「バトる」みたいなのが好きですね。でも会話も凄い好きなんですよ。 

えっと、あれですか、あれですかヒバリさん。その霧のカモフラージュリング、めちゃくちゃ気になりますよ私。そうかだから「霧」なのか。そして私、くどいですがヒバリさんのリングの使い方がめちゃくちゃ好きなんです。 

何だろ、「武器」で以上に「自分」で戦うヒバリさんが好きなの。 

あと、獄寺がたくさんの波動をトリッキーに引き出して戦うみたいに、それぞれの人が自分のリングの使い方をしてるのがほんっとにほんとに好きなのです。 





あと、天野先生の仕事場とか、作業が見れてうれしかった。分かる！映画は、途中までとか観たいとこだけみちゃったりって、ちょっと分かる気がします。なんか「ここまでがすごい好きなの」みたいなの、ありますもん・・・私の場合本でもそうなんですけれども。 

あと、「筆」は、ジャンフェスで複製原画見たときに「強弱出すときに、上から太くしたりするんだなぁ・・・」っていうのは、見つつ感動してたので、あらためて筆を見て感動再び。ホワイト使いもすっげぇ細かくて、本当好きだ・・・ブルーナをちょっと思い出した。彼も、ミッフィーをかくときは、筆で線をかくんですよね・・・「筆で線を引くということ」。なんだろ。印刷されたとき、いつも線の黒はどこまでもくっきり引かれてみえて、まるでペンでじゃりっと紙に刻み込んだような黒に見えるけれど、筆ってやっぱり少し濃淡があるよ。これもリボーンの複製原画見たとき思った。それが、でも印刷になるとあんなふうになるんだなぁと思うと、逆に感動します。すごいなぁ・・・印刷の先には苦労は見えない。まるで白鳥みたいに。 







十年後、ってどうなってると思います？ 

飛ばされてしまった時間が、十年後じゃなくて九年と七ヶ月か先（でしたっけね）、っていうのは、つまりそのときの十年前を持って来ちゃったら、ツナ達がまだ「リングを持っていない」から、だと思います。 

あと、個人的に思うのは、ミルフィオーレ、リング奪ってツナ達を殺そうとしているとしたら、そしたらそのあとはパラレルワールドの中の「別な四ヶ月間」を時間の流れに接合して、時間の辻褄を合わせる、みたいなのかなー、と思っていたりします。・・・あれ、でもそれで時間の辻褄って合うのかな。トゥリニテセッテさえ揃ったら、何か起こるー、とかかもしれないっちゃあそうだしね・・・。いや、深読みはするのはかってですが、やっぱり原作の今後の展開を待つのみでさぁ。 

08.8.4



急に聴きたくなって華原朋美の「I&#039;m proud」を聴いた。 

・・・凄いよね、あの歌い方。なんだろ・・・よく、あの危なっかしさを保って唄えるもんだと思ってしまう・・・なんつーか参ってしまいますね、メロメロッすね。やっぱり小室さんはただ者じゃないということなのか・・・・・・わたしからすると、繊細さだとか一種の狂気だとか、そういうものを持って何か表現をするという人はある意味鋼鉄のハートを持った人以上に驚異的な精神力を誇っている感じがします。弱さっていうのはそれそのものが強烈な爆弾だというのが私の見解です。強くあろうとする価値観の私からすると、対極に位置する立場なんだと思うけど・・・でも、それを抱えたままで、離さず「生きる」んだから、やっぱり敬服に値すると思う。どうしても力強く腕を振り上げることで何事も乗り切る私は、そういう人の近くにいて、悪戯に踏み荒らしたくないから、遠くで見ているだけにするけど。 



漫画やアニメの中で一つだけどうしても許せないという場面があるとしたら、あるアニメの中で、・・・何だ、あるキャラクターに向かって、「お前は何も悪くない」、過去の罪も何もかも悪くなかったんだというようなことを、死んだ人が霊になって出てきて言った、というシーン、だというのを、随分前に友達から聞いたことがあって、創作、というものをふと考えた。 

死んだ人が幽霊になって「許してくれる」というのは、正直人は深層心理の中で願ってしまうものなのかもしれないなぁと思うときはあります。死んでしまった大切な人と、最後あっけない別れ方をしたことがある私は、よく、その人が死ぬ三ヶ月前の夢、というのをよく見て、「ああ、よりよい思い出をつくりなおして、いろいろやり直せるような気がする」という思いになることがよくありました。 

だけど、いつしか思うようになったのは、多分、私という人にその人はとらわれていたわけではないということ。その人はいつでも、自分の命と向き合っていたのではないかということ。私は、その人にとってはあくまで、大切な人の一人で、彼女には何より、自分自身の世界があるんじゃないかっていうこと。そう思ったときはじめて、許される、とかそういう問題じゃないんじゃないかと考えるようになった。 



いずれにせよ死んだひとを幽霊で登場させて、何かを清算する、みたいなのは、確かにちょっと複雑な気分になる気はする。私の見解では、幽霊が登場する場合「どんなふうに生者と関わるか」という部分一つに問題はかかっていて、もし死者の言葉で生きている人の罪やら何やらを正当化してしまったり、感動を助長するための道具みたいに幽霊が出てきたら、それは正直死者への冒涜だと思う。幽霊が主人公サイドを「正当化する」という展開は、個人的にはものすごくしらけます。人の命とか魂を何だと思ってるんだろう、と思わず思ってしまうような都合のよさに思わず憤るときがあります、正直。 

炭取りが回り出す、とか凄いと思いますね。何だろ。声、とか映像、だと「幻想」の可能性もあるじゃないですか。そこにある物質が直接影響を及ぼされる、というのは・・・何だ、小道具を選ぶかもしれないけどそうとう深い世界論になりそうですね。 



わたしが好きな本は「雲のはて」です。・・・笑ってしまう話ですが、このお話は五部作の二作目で、三作目から一気にドロドロした展開に転がって行くんですね、物語が。あの、切なさも手伝う展開は嫌いではないけど、駆け落ちした二人が、一文無しの状態から自分たちの夢を叶えていく、その過程が描かれた二作目が、やっぱりわたしは一番好きです。その先の物語は、なければいいのにと思ってしまうくらい（笑）。 

だけど、逃れられないんですよ。 



最後の本で、幽霊が出てきます。主人公のクリスチナが、お墓で、幽霊に語りかけます。そのシーンがどうしようもなく好きで、いつも音読していた。やっぱり、私の探していた答えがあったような気がした。だけどどうしようもなく憤るようでもあった。出来れば、こうならなければいいのに、と思いながら、でもそうなったことが、あまりに、あまりに、あまりに世界への帰路を指し示してくれるかのような、幽霊の描かれ方だったの。幽霊というのは、その人の生きたことに、どう干渉することだろう、とふと考えることがある。一方で、シャーマニズムというものもとても気になるのですけれども。

あれは・・引用かなにかして一回がっつり語りたいようなシーンです。その人がいなくなる、居なくなった直後、居なくなる状況、それから年を重ねていくこと。また、その人が生きていた頃。少年時代から。全てが描かれている物語で、何だろう・・・・・・ああ。そうですね、これしかないですね。全然、原型も残さなくていいけど、いつかあんな物語が書きたいと、いつものへっぴり腰でなくやせ我慢でも強がりでも意地汚さでもなく、はっきりと、私に思わせてくれた本だったんです。 



そういう本に出会えたなら、まぁ、どうあれやっぱり本が好きなんだろうなぁって、最近はそういう視点で思います。

08.8.6



３２万ヒットありがとうございます。 
めちゃくちゃ嬉しいです。まさかの３２万ヒット。半年を迎えるまでに１０万行けばいいなぁと思っていたら、まさかの１２万です。ありがとうございます。・・・うちのサイト、一周年で丁度２０万ヒットしたので数えるのが楽です。 
もうちょい更新頑張りたいなぁと思うんですけど・・・なんっかうまくゆかん。 
でも、ここからなんじゃないかなぁ、と個人的には思ってます。どーしよ。やだなぁ、九月にいったんサイト切るの。うん、ホントやだ。わたしはここが好きだしリボーンのドリームも好き。 
でも、まぁちょっとこのままだと・・・なんだかなー、なのと、私自身すごい勉強したくなった。特に語学。ドイツ語始めたいわー。あと、イタリアで買いためた本とか読みたいんだ。マルガレートさんの本とか本とか！きょ、教育学事典とか。 



イタリアは、腕や人脈がものをいう社会だから（最近少しずつ変わってきている、とはいうけれど）、あまり「学歴」とか優先しないために「大卒」というブランドが、あまり就職に意味を持たない、部分があるというのを本で見ました。 
いろんな国の学校制度とか入試制度とか、調べると面白いです。 


宮崎駿監督が、「気まぐれな消費者に合わせるようなものは作りたくない。僕のメッセージをちゃんと受け取ってくれるひとのために作りたい」と言っていた、と母づたいに聞いた。「あんたと似たようなこと言ってたわよ」という派生で。 
「そうねぇ、彼はもう随分お年だから、突き抜けてるんだろうけど・・・。・・・逆に私達の世代が一番、『・・・とはいえ、やっぱり売れるのが全て』っていう価値観なのかも。でもあんたの世代くらいだったら、その反動で宮崎さんと同じような考え方の人も増えてるんじゃないの」と、母が言っていた。 
これ、もう何度も悩むところなんですよ。売れないと駄目なんだよ、とか、数字をはじき出さないといけないんだよ、とか、みんなにうけなくちゃ、目を引かなくちゃ。晩鐘になってから、こっちの世界ではそれはなくなったんだけど、むしろオリジナルの方で、それについて悩むようになった。 
自分がどう、とかよりは、世の中として、「売れるものがもてはやされる」風潮について、考えるようにはなった。 
私が売れるものに批判的でありたいのは、そういうものが気になる、とかじゃなくて、闘争心でも嫉妬でもなくて、経済を活発にするための芸術活動、というものの謎を解き明かしたいからです。いろんな本はあるけれど・・・どんどん、その・・・出版界は儲け最優先の流れにのっかっちゃってるんじゃないかなぁと、いや、前からかもしれないけど、ますますそうなんじゃないかなと、思って。それが悪い、というわけでは、ないんですけど、それは多分、「大多数」と「利益」は取るかもしれない。でも、「全部」は絶対に取ってくれないし、ある程度世の中の価値を「一様」にすると思う。・・・だけど、だから平和なのかもね。違うから争うなら、同じだったら争わなくていいじゃん・・・・・・自分で言って、なんて寂しい言葉だろう、と思ったら。まるで、人と人が違う限り争いはいつまでも無くならないとでもいうかのような？いや、私はそんな考え、絶対に認めません。違ったって違ったって、きっと平和になれる。・・・相手を認めることが出来れば。 

本屋さんで並ぶ本は似た本が多い。大きな、大きな本屋さんでもあまり変わらない。よっぽど特殊な本屋さんに行けばそうでもない。しかしながら、ならば問いたい。つまり、「普通に手に届く場所にある本」は、同じようなものでなくてはならないのか、と。・・・うーん、もうあんまりこういうことかんがえたくはないんだよね、気分が萎えるから（笑）。よくね、別に。違う人が描いてるんだから全部同じに見えたって別の本だよ、という考えもうなずける。だけど、結局のところどの本も同じものを求められている気がする。売れてる本も売れてない本も、同じものを求めて「書かされた」結果、って感じ。・・・多分、ここまで極端に言うひとはあんまりいないかも。でも、ようはそういうことだよなぁ、って思うときがあるんだよ。これを認められなかったら、どうにもその先が見えてこない。それが無価値だと言いたいんじゃない。必ず価値はあるよ。どんな本にも。でも、一方では、言うのを諦めてはいけない部分があるということを、賛成はしなくてもいいから、どうしても、確認して欲しい。うーん、だから、考えをどう処理するかは人それぞれなんじゃないかなと思う。「そんな少数派の意見はききませーん」とか、「はーい、そういうこと言ってるひともいますねー」とか諸々。 

許斐先生が、「描きたい物はなかなか描かせてもらえない」と、１０．５だったと思うけど、そこで言っていたの、思い出した。でも、それあるんだろうなとふと思った。もしも、私から見てかなり似たり寄ったりの本が多くなっているとすれば、もしかしたら「そういうものしか書かせてもらえないから」かも。 
この「似たり寄ったり」はかなり曲者の言葉ですけど、私は別にこれに関しては売れる売れない関係なく、本屋に並んでる近頃の本って、読んでみれど読んでみれど、何だかどれも似ている感じがよくします。時代がそれを求めてるのか、仕掛け人にのっかっているのか。両方だろうな。何だ、でも小説ってそういうもんなのかなぁと思うときもあるけど。逆にな、そう思うと気が楽になるんだよ。なんだかどうしようもなかった憤りから解放されるような。 わたし、日記で何度も煮え切らない不発弾みたいなことを言ってきてた。だけど、最後に行き着く先は、了平兄さん。「熱血指導」だね。今その爽快感が分かる気がする。重要性も。 


何だか、「同じ」何かに沿ってる感じがするんですよ。でも、このへんは学者がさんざん答えを出し尽くしている部分だと思うよ。・・・ただ、小説がそういうものなのかもしれないからよく分からないけど。 
私がテニスの王子様に本惚れしたきっかけは、やっぱり「お父さん」だったと思います。南次郎。 
南次郎が、何だろ・・・自分の意のままに育てた少年。という、深く考えると気持ち悪いな（笑）とすら思ってしまうような、あの流れが好きでした。金持ちというか、エリートならでは、と言ったらあれだけど。あまりにひねりがないように見えて、そのひねりの無さが好きだったの。味気ないような、気もした。ただひたすら勝って、勝って、勝つだけの話なんて。めちゃくちゃつまんないと思いませんか（笑）？でも、そこが好きだったんですよ。その、空しいまでの「強さ」が。あえて、テニスの王子様は、あの「軽さ」もっと言ってしまえばある種の「つまらない」ところが大好きでした。どこまでも綺麗です。だから、リョーマは多分悪人でしょう。異界の扉を開いてもいい。それでも勝ち続けるということは、それは一体どういう話だと思う？私は、やっぱり好きですね。テニスの王子様。・・・もちろん同人が原作喰ったりする部分は「？」と思ったりもしたけど。 



なんつか、強くあろうとすると、それこそ論理を追求して、相手が突き崩せないまでにすると、何だろ。攻撃という攻撃が何ともなくなります。でも、何だろ。ひどく殺風景です。言うまでもなく。私はおかたい人なので結構何かを指して「低俗」だ、とか平気で言います。それで、私自身も自分が低俗だと自己嫌悪に陥る部分があります。・・・まぁ、そうじゃなかったら「低俗」なんて言葉自体意味をなさないと思いますけれども。そうして、浅ましさ、愚かしさ、野蛮、そういうものを、否定して、否定して、否定し尽くせば、何だろ・・・つまんない世界ですよ。「高尚」は、空々しくも理想論でも、夢物語でもなくてひたすらにつまらない代物です。「つまらない、かけがえのないもののこと」を言うのだと思います。「高尚」が嘲笑に値するものになれるなら、それはまだ、面白いものだと思います。でも、多分本当の価値には乏しい。物語なんてどこにもない。私がいうところの「低俗」に、行ってみたくもなる。でも、行ったみたところで、私にとっては心から楽しめるものがないし・・・袋小路状態というか・・・そこから抜け出すために、何が何でも足掻かないとならないというか。それを望んだのは他でもない私で、私もまた知らない内に大切なものを幾つか殺したんだと思います。それでも選んだものがあって、だからこのつまんないを抱えて生きていくのは一種当然の理で、だが私は出来るなら、折衷案を見つけたいと、そういう感じでしょうかしら。結局のところ、自分の意志をもって進んで行くしかないんだけど、・・・そーですねぇっ、私には、考えも、追求するものもあるけど、人はもっと自由でいいんじゃないんですか、と叫びたくなるよ（笑）。 
売れるものが一種の低俗だとしたら、それは当然だと思う。だってそっちのほうが面白いもの。別に世の中を悪くしたいからテレビ番組が「低俗化」しているわけではないでしょ。そっちのが面白いからだよ。面白いという価値だと思う。 
だから、別に「低俗」と呼ばれるものは、わたしは賛成しないけど、かといってなくなるべきだ、とは一概には思わない。ただ、それがオフィシャル・メジャーになるのは、どうかと思う。だけ。 
うーん、でもね。これははじめっから思っていることではあるんだけど、究極的には、社会のあり方は二択ということになっているんじゃないか、少なくとも「現代」はそれを示しているんじゃないか、気付いたときに、一瞬頭が真っ白になった。「ささやかな幸せを手に入れて一様に染まって長生きするか」、「個性が協調された面白おかしい生活の中でのたれ死ぬか」。 
それを信じたくないからこそ、私は、はじめて危機感を覚えて、改善策を見つけるために走り出したといってもいい。別に、誰も否定する気はないけど、このままじゃ何かが死ぬ。ここで何とか行動を起こさないと、私が渇望しているものは確実に死ぬ。悠長なことを言っている場合じゃなかったと思って。ちょっと何かが気にくわないとかそういう話じゃない。別に私のサイト一つ消えたって何にもならないけど、何かは死ぬ。確実に死ぬ。この、現象自体、すなわち「大多数に少数が殺される現象」を当然にしていたら。生き残ることだ。力強く。じゃないと、私の愛する何かが、死ぬ。だが私が刃をむけば、誰かが傷つく。それももう嫌だ。だから私は、ただ生きるために綴ることに専念したい。それだけだ。でも、それが全てだ。 

誰ともどれとも違う、自分だけの理由を持っていたら、誰かの意見をあってはならないとは思わないと思うし、つぶしにもかかる必要ないと思う。だって、自分しかいないもん、結局。自分の賛同者も、同志も。味方が一人もいなかったら、周りは全員敵なのか？そんなことはない。わたし、味方が多い人ほど、ある種の浅い境地で生きているひとだなと思う。言ってしまえば、何かを発言するとき、「味方を作る」ようなことしか言えない、ってことだよ、つまりは。その程度のことしか考えつかないし、その程度にしか物事を考えられないってことだし、そういうふうに生きるだけが能ってことだよ。別に私は、味方を作るために友達を作りたいわけじゃない。・・・ただ、あえて言っておくと、「仕事」は別だと思う。仕事では、味方をつくるようなやり方をしてもいいというかある意味すべきではないかと思う。あらゆる「手段」が必要だから。何だろ・・・そういう「手段」的な言動と、私的なことは一緒にしちゃいけないんじゃないかと思います。公私混同？ 

こうなってくると苦しいのは、「小説家」というものも仕事だということね（笑）。著述は概して難しいよね。仕事じゃないけど、たとえば、私が日記に好きに綴るのは「私的」なことだけど、まるで会社か何かで言われるかのような、「著述たるものー」みたいに考えて、私の文章をそういう態度で批判してくださる人もいるわけだし・・・日本人は真面目だなと思う。うん、ふざけたって真面目。だから公も私も、きっと無意識に同じような考え方でのぞむんだろうと思う。何だか最近はじめて、嫌い嫌い言っていた日本が好きになれそう。とても真面目で興味深い、人なんだよね。もちろん私も。・・・日本の「公私混同」は、こういうすごいさりげなーいところでも見られるんだなと思った。一つ事例発見。それこそまだ「社会人」じゃない人の中にも、生きてる。生活や価値観の特徴。面白いわ・・・そうか、公私混同か。 まぁ、お前小説家じゃないんだからごちゃごちゃ考えてないでとりあえず小説書けって、わたしはまだその段階ですけど。 
狭間では、揺らぐだろう。現在の価値である低俗と、私が求めたい高尚との間で。・・・これもまた現代の価値観なのかもしれないけど、さも「高尚」とかそういうものは馬鹿馬鹿しい、とか意味ない、みたいなの・・・？そのなんだ、虚無的で達観的な考え方は、一種の強さなのかもしれないけど、私は「腰抜け」としか思いません。格好悪くてもいいがね、それは、格好悪くてもいいからなんでもやるんだー、ではなくて、たどり着けなくともどうしても手に入れたい「高み」がある前提なんだと思います。がむしゃらは、「目的」がなければただの傍迷惑だって、そこもあえてちゃんと教えてあげないといけないよ。「目的」があるがむしゃらをあざ笑って潰したり、「目的」のないがむじゃらを意味も考えずに褒め称えたりするから、本当に尊いものや本当に大切なものがどんどん死んでいくんじゃないかと思う。それ、も憤る部分ではありますね。本当のかっこわるさを身をもって知ることの話。 
自分が全てとも思いたくないし、自分の考えを曲げたくもないから、だったら何度でも揺らぐだろう。私を非難せず、賛同せず、ただ、間違えたときはただしてくれて、苦しいときに応援してくれる人が、傍にいたら、それが私にとっては友達なんだろうなと思う。 

08.8.8



改装してみました。折角だから、小分けにしていろんな街を出してみました。文章は、絵の一環、みたいな感じにしたかったので、読みやすさにはあんまりこだわってません。どうしても使いたい「色」の方を優先しました。本当は詩とかの方がいいなぁなんて思ったんですけど、詩心がないのと、文章を書いてみたらこれはこれでいっかーと思ってあんな感じになってます。 気に入ってる写真をつかったから、ちょっとうはうはです！ 関係ないけどSAIがめちゃくちゃ描きやすくてやばい！何だあの描きやすさ！神（笑）！勝手にすべってくれる！しかも作画時間がかからない！・・・ただ、いつも鉛筆風タッチなので、もっといろんな描き方出来るようになりたい・・・です。でも本買う金は無い（笑）。

08.8.8



なんかあらためて見ると、トップの文章あれみたい。電車のチラシみたい。・・・わたしが無意識に「何」を一番読んでるかって（笑）・・・そうですね、活字は好きですよ。手書きの文字も大好きだけど。

08.8.9



どーぉすりゃいいんかねぇ・・・いや、ホント９月にいったんサイト切るのが惜しくなってきた（笑）。こーこーはー。心を鬼にしないとなぁ・・・。だって書きたいこといっぱいあるんだもん。 
でも、３月１日には戻ってくるのでね・・・その頃にはリボーンも新シリーズ突入とかしてるのかな・・・。 
リボーン人気がますます著しいみたいな様子を見かけるにつけ、めっちゃくちゃうれしいです。一ファンのくせにありがとうありがとうと言いたくなっちゃうくらい嬉しい。いや、別にお前に感謝されても、って感じかもしれませんけど。いや、でもファンは、互いにファンの存在が有り難いッスよね。テニスも！銀魂も！わからん、わたしはマイナー指向で、「好きな作品があとあとから人気出るとなんかちょっと悔しくなる（笑）」と思うようなひねくれものだと、自分に対して思っていたら、全然そんなことはない。いや、嬉しい誤算だわ。有り得ないくらい嬉しい。 
むしろ同人誌とかリボーンコーナーがでかくなってってもなんかうれしい。いや、あれに関しては、原作もあるのに同人がでかい顔するのはちょっと、って初めは正直思ってたけど、今は・・・なんかあれかも。原作が一番盛り上がってれば他もいくらでも盛り上がっていっか、むしろビジュアルはリボーンなんだもんね、畜生もっと広めちゃって下さい（笑）って感じ。同人誌をもらって喜んでいたのは黒乃先生だったと思いますが、「漫画家さんでも喜ぶひといるのかー」ってちょっとびっくりしたの覚えてます。私はリボーンの同人誌を特別読む人ではないんだけど、ヴァリアーオンリーに勢い勇んで行ったことがあるからか、ヴァリアーのカップリングとか絵とか漫画の同人誌がかなーり好きです。スクアーロ、はなんかすごいよね。ホント凄いよね、あいつは。うん。ホント思う。・・・ディーノＶＳザンザスが好きなんですが、ＣＰだとスクアーロ巡ってふたりのＶＳが見れたりするのが好きなのかも。すっごい好きなサークルさんがいくつかあって、細かいギャグとか、風景とか、言葉選びに、「ああ、この人リボーン好きなんだなぁ」と思えたりするのも何か心がちょっとあったかくなる気がします。ドリームは同人誌、になりづらいからね・・・でも、あれですよね、彼と結婚してる気分になるために、ひたすらお目当てキャラの夢は漁りますよね。もう、夢読みまくって接していれば三次元の男はいりません、くらいな・・・私はそれ、中高生のとき跡部でひたっすらやってました。ドリームサイトの数が増えるって、読み手にとっては物凄く重要な事ですよね（笑）、私はそういうタイプの人なんですが・・・ドリーム歴が長くもなるといろいろ語りたいことも増えてくるものですが。いや、別に歴が長かろうが短かろうが語りたいひとは語ればいいと思いますけれども。 
アニメはリボーンの漫画とはちょっと違うけど、あれはあれで毎週楽しみというか・・・アニメのヒバリさんホンット好きです。近藤さん頑張ってると思います。白蘭さんが登場するたびになんか笑えてしまう。 
１９巻の新刊発売日、だったかな。本屋さんに高校生の男の子が来て買ってたのをちら見（笑）。結構体育会系の子二人組で、片方が「それおもしれーのかよー」と言うのに対して、「うん、最近更に面白くなってきたんだ」って買ってるほうの子がちょっと嬉しそうに言ってたんだよね・・・なんかそれ聞いて、弾けるように嬉しくなっちゃったの、覚えてます。その時「同人ウケもうまく狙うけど少年漫画のツボもはずさない」的なリボーンの凄さを確認した気がしたというか。いや、リボーンはすげぇよ。私もそういうものを書けるようになりたいと・・・うーん、そこはまたちょっと別の話かもしれない（笑）。けど、かなり極端に言えば・・・多分、そう、そうだなぁ。私の書きたいことも、言いたいことも、７年くらい吟味してるのに未だに書ける気がしなくて専門書を漁ったり、そういう話だったりするんだけど、かといって、こむっずかしく書くんじゃなくて、もう少し、誰にでも分かるようなとっかかりを思いつけたらって思う。・・・何だろ。本人はこまっしゃくれた、なんか付き合いづらそうな人間なんだけど、「小説」はそうありたくないんですよ。私がサクランボの木だったら、小説はサクランボ、みたいな感じ。私は木であって、歯であって、毛虫も住み着かれるかもしれないし、あんま木自体が人に好かれるとかそういうものではないけど、でも小説はサクランボでありたいし、そこだけはどこまでも美味しくしてゆけたら、と思うしで・・・実があって、色も綺麗だけど、栄養価も高い果物を作りたいです。・・・サクランボの例えはあんまりよくないかな（笑）。 
同人書きとしてもドリーム読みとしてもいろいろ思うことはあるけど、胸に抱いてもやもやするよりは、がーっとお披露目したほうが、確執が残らないとは思ってる。だって、言おうが言わまいが、心の中には確かにある考えだったら、何だろ。それを自分の中で殺してしまう事ほど残酷なことってないと思う。引きずり出して、さんざん空気にさらして、乾いてひからびるまでにしないと、それを最後まで見届けないと、きっといつまでももやもやしただけだと思う。むしろそういう一種の義務感が私にはある。私の大好きなリボーンのことで、心にため込む膿は残したくない。 
でも一方で、大事なことは見誤ってはいけないなと、最近あらためて痛感する。私の考え方を守るのは、もちろん私。で、本当に、本当にたくさんいる中のリボーンファンの「一人」だからこそ、何だろ。「私だけの」、っていうんでもないけど、私の作品に対する考え方とか想いとかっていうのを綴るのは、ある程度意義深いと思って、やるよう「心がけてる」、かな。 
でも、結局大切なことはそこじゃない。本屋さんでリボーンの平台の前で話しているひとたちとか、コンビニでジャンプ立ち読みしてる人とか見かけるたびに思う。あと、イベントに行ったときとか。本当に、たくさんの人がリボーンを好きなんだなぁと思って。この感覚は勢いとても大事で、どれだけ私がここで、ね。いろんなことに出会っても、やっぱりそれは箱庭での出来事ではあるんだろうなぁと思う。その、かけがえのなさとか尊さがとても好きだけど。 
モバ１０に最近はまって毎日携帯かちゃかちゃやってます。楽しい。ヒバリさんを強くするべくじゃんけん通ってます。技ゲット！ボス猿！ボス猿！ 
オーストラリアにホームステイに行ったことがあるんですが、そこのホストファミリー一押しの歌手がDelta Goodrenでした（綴りはあってるか・・・？名字）。すっげぇ好き。やばい好き。で、今聞いてる。そろそろ劣化の激しいＣＤだけど。ちょっと前、カラオケのＣＭで、出てきて、おおう、来たーとか思ってみたの思ってます。実はステイシーに出会ったのもオーストラリアでした。 

こんなことを言うのも変なお話なんですが、私自然とか動物と接するのがあんまり得意じゃないひとで、よくみじめな思いをしたりもするんですが、なんだかあのときどこかおっかなびっくりだった、その自然いっぱいのオーストラリアに、ああ行きたいなぁと思うとき、あります。

08.8.9


やべぇ、モバ１０マジではまっちゃった。うん、やばい。面白すぎる。楽しい。リボーンは楽しいわ。バトルも楽しいセリフも楽しい、何なりで。ゲームもやりたいなぁ・・・。でもＤＳ持ってないからさぁ・・・いじいじ（笑）。 

こんなん言うことでもないと思うんですが、スランプ到来って感じです。目からうろこです。スランプかなーとか口にすることはあったけど、冗談じゃないね、今までのはザンザスじゃないけどカスって感じですよ。今、ああ、これがスランプか、というのをすげぇ痛感している。昨日ちょっとベッドで寝そべりつつ、「あ、これはまじでやばいってやつかも・・・・・・」と思ってた。気がついたら朝でしたけど。サイトはじめてから初めてのスランプです。 書きたいことはあるんですけど、なんっか書けないんですよ。でも、スランプって一生懸命やるあまりこんつめちゃうことを言う、みたいに聞いたことがあるので、スランプが来ないっていうのは、ある意味本当の意味で本気でサイト更新取り組んでないってことだったのかもしれません。とりあえず、気楽にほいほい書けていけたらいいなぁ、くらいにしか。だからある意味良い兆候かなぁ、とか自分では思ってます。 えっと、はっきりいってかなりひどい文章になっちゃうかもしれないんですが、それでもアップする方に賭けてみます。とにかく、アップする方向で行こうと思います。ひどすぎる場合は、もうちょっと調子が戻ってから直すという方法もあるし。やっぱりダメだ私は。スランプだろうが何だろうが、書かないとダメです。

08.8.11

昨日は「サザエさん」がやっていなかったので姉の機嫌がめっちゃくちゃ悪かったです。 
姉は都合が悪くなるとすぐ「ばーぶー！！」と言うようになりました。あれ、実際にやられるとめちゃくちゃむかつくものですね。タラちゃんよくキレないなぁ。 
姉は、「タイコは絶対悪い女だよ」とか、「イクラは本当はしゃべれるくせに喋らない」（これは結構通説ですかね）とかやたら主人公サイドではなくあの一家について気になるところがあるっぽいです。わたし「サザエさん」はすごい好きですが、個人的にイクラちゃんあんまり好きじゃないので、姉には結構そっけない返事をしてますが・・・・・・。「サザエさん」をちゃかすなんて酷いですよ。・・・まぁ、個人的に思うのは、私が小さい頃みていた「サザエさん」に比べると、最近は、タラちゃんちょっと我が儘になったというか厄介な子どもになったような気はしますね。 



アラニスの「ハンズ・クリーン」っていう歌が、彼女のベストアルバムの中では一番気に入ったので、絶対ドリーム、こういう感じの・・・・ちょっと大人な男と可愛い女の子で書こう、と思って書いたが、可愛い女の子を書くのに慣れていないのと（笑）、大人の男の選別に迷って迷ってスクアーロにしたので、あんまり歌の雰囲気っぽくはなくなってしまった・・・。 
γ、が一番それっぽいです。歌の雰囲気からすれば。ディーノもいいなぁ、って思ったんですが、なんだろ・・・ディーノだったらもう少し武骨で堂々としてそうかも、と思って、ベル、とか案外いいんじゃないかー、と思ったのに、何かどたんばで十年後スクアーロの色気に惚れて流れました。いや、でもスクアーロは、難しいですよ。ああ、でもかっこいいよなぁ・・・はうう、あのかっこよさの横に行きたい。 
スパナ書きたいんですけど、ＶＳバジルしか思い浮かばない・・・（笑）。別に裏設定でいいけど、いつか二人が時の流れの中でばったり大遭遇してくれるのを期待してます。 


・・・・・・実は、未だに課題が終わってないんですよね、学校の（笑）。ひっぱるなぁ・・・・・・あれこれ手を出したがるのは自分のいいところですが、ほどほどにしないとどれも中途半端になってしまうね。小学校の頃習い事８個してたんですけど、どれも物になりませんでした。水泳に至っては稀に仮病を使うくらいの不真面目さでした。お金がまとめ払いじゃなくて、毎回毎回その時のお金を自分で持っていく、っていう方式だったので休みやすかったというのはありますが・・・・・・、でも水泳はそれでもやってたおかげでどうにか人並みです。 
中国画とかいっつも先生に描いてもらってました（爆笑）。いや、自分で描きたがるんだけど、うまく描けなくて先生が上から筆を入れてくれてました。すごい若くて茶髪でちょっとくせ毛風で眼鏡で、なんか入江っぽいかと見せかけて、しゃべり方はめちゃくちゃ白蘭みたいでした。特に手紙の時。ノリが白蘭ぽい。白蘭をもう少し文科系にしたような・・・・・・しっくりくる例えが思いつかない。ただ、日本語達者なんですよね・・・日本に行ったことない、って言っていたのに。 



今日、久しぶりのお友達からメールをいただきました。私は、文章に記号を使うのに対して寛容に行きたい方ですが、確かに記号を使うことって、何かを簡略化することに繋がったり、没個性に繋がったりはするものなぁと思ったりもします。やっぱり、「使い方」、次第かなと思いますね。便利だからって面倒くさがって何でも記号に置き換えるんじゃなくて、自分なりの表現の一環として、考えて使うなら、記号もいきるんじゃないかな、と私は思いますけれども、多分、考え方は人によっていろいろだと思います。誰かしらが発明して誰かしらがつかっている「記号」を、柵をつくって構えるよりは、積極的に一個一個取捨選択したい、というのが私のスタンスです。 
あ、でも、あと確かに、日本語の文章の形というものが公式にあったときに、それが不用意に乱れていくというのは、奨励出来ない自体かも・・・難しいね（笑）。だけどさ、折角あるんだから、つかってみたっていいとは思うんだけれども。何だろ。そこに在る物っていうのは決して存在を否定できるものではなくて、だから何らかの処遇をすべきなのではないかという考えに立っているから、私は何でも白黒つけたがるんだと思う。私は記号寛容派、ですね。割と。ただ、年代層によっては通じない記号っていうのがあるから、どんなシーンの人も楽しむような本に記号が多用してあったら、それはちょっと不親切じゃないかなぁ、とかは思うかな。でも、同じ業界（というのもあれだけども）で通じる記号だったら、逆にそれをつかった方が親近感がわく、というか入りやすくなる、とかあるんじゃないかなぁと思うと、ネット上ではそういう創作の文化があってもいいかな、とか思うんですけれども。 
同人、って少し近くない？例えばある漫画を知っている人の間ではめちゃくちゃ盛り上がれるけど、それを知らない人にとってはよく分からないことがある、とか。だけど、どんなに非公式だろうがそこに「在る」っていう不思議な現象も、同人とよく似ていると思います。非公式な記号達。そう考えると、何かいいね。 

08.8.12

家から出ることもないと華も楽しみもなくって滅入るわぁ、本を読みたいんだが、もう少し気が落ち着いたら読みたい。 
三ヶ月前くらいから「物語」云々を突き詰めることに自分の思考を捧げていたんですけど、何だろ。道が開ければ開けるほど、やっぱり空虚に近づいていく気がして、そう思ってしまうのが怖いから、本は今読めない。 再生するまで。私自身が、「その場所」から再生出来るようになるまで。 

思考世界の冒険で何か迷ったとき、やっぱり自分を助けられるのは最終的には自分だと思います。 
何度か、思うことがある。「突き詰めなければ良かったんじゃないか」とか。「批判なんかしなければ良かったんじゃないか」とか。理由は、ただ一つ、自分を追いつめるからです。自分の言葉で、自分自身を追いつめるからです、ね。私は他人の言葉より余程自分の言葉の奈落に落ちて行く思いだった。 
だけど、どうせ行き着く場所なんだったら、見ない振りするべきだったろうか、と思うと、後悔は全くしてない。うん、全く。途中である種蛇行を余儀なくされた部分もあるけれど、やっぱり必要なことだったんだろうなと思う。どんなに狭い世界でも、喜ばしいことに、人間は少なくとも皆人間であるのは同じだから、やっぱり突き詰めないと先に進めなかったような気がする。 
追いつめられたかった。自分を追いつめたかった。激情で、複雑な論理で、新境地で。何かを「されたい」という願望は、とても難しいものです。だって動作の主体が自分じゃないから。かといって、計画したって多分満たされない。計画通りに事が運んだって。巻き込まれたいシチュエーションはあるけれど、予想もつかないような場所に自分を誘う、というのは、なかなか面白い知的作業だと思います。

関係ない話行きます。いきなりなんですが、レベッカは、携帯小説がめちゃくちゃ好きだったりします。うん、大好き。へたすると食事もせず一歩も外に出ずに読みふけっちゃうってくらい（笑）さすがに三日目これはまずいと思って外に出てみたけど。「携帯小説」を、「携帯」で読むのがすきです。 
「源氏物語」ってありますよね、紫式部の。あれがはじめて出来た物語で、あれ以降は、どんな物語を作っても全部彼女の追随ということだ、みたいなことを国語の先生に言われたことがある。 
ただ、あの話ってようは「スキャンダル」がテーマ（笑）、と言っちゃなんですが、私の中では割と女性週刊誌に似てるなぁ、という印象があります。語り口もなんというか、面白いというか、私、携帯小説ってすごい源氏物語に近い感じがするんです。有り得ない超展開とか、べたなシーンとか・・・内容は、やっぱり凄い「教養」色が強いなぁ、とは思いますが、紫式部の「女の子」な部分は、やっぱり今の携帯小説書きさんと同じなのかもなぁ、なんて。
物語、って言葉並び、とても好きだけど、物を語る、っていう、その言葉のニュアンスは、「小説」とは少し違うかもしれない、と思います。「物語」としては、携帯小説とか、ブログとかの方が近いんじゃないかなぁとたまに思う。入り込む切り口が、凄いね、携帯小説は。どうやったらああ始めるかなぁという感じな・・・物凄く「魅力的」です。何だろう、でもいわゆる一般的な「小説」と比べて、「小説」と同じ場所に価値をもってきたら、絶対見劣りする場所とか、おかしい！って思う場所が出てくると思う。実際、私も、「出版」となったらまた視点が変わってくるから、携帯小説は携帯電話かパソコンでしか大抵読みません（笑）。やっぱり、私は編集者とか出版社の存在ってとても大事だと思うな。小説を楽しむと同時に責任を持って、様々なことの判断を下す人というのは、大切な存在だと思います。逆に言うと書き手は自由でいいと思う。だから、書き手が非常識なのはある意味面白いなぁと思うときはあります。でも、出版物だったらなおさら、この人の担当さん何やってんのかなー、とか思うときはあるけれども。おーもいだしたら胃が痛くなってきたわ（笑）。百回帰れ。って感じだよ。 


ただそうこう考えたときにはじめて、ああ、でも物語とか小説ってそういうもので、「それ」を、人は「面白い」と思うのかなぁ、と何となく知ることが出来た。 
私は、鼻につくガキかもしれないけど、小さい頃からとても「外国」が好きだったんだって。むしろお母さんには理解出来ないくらい、そういう嗜好のものを選ぶ子どもだったんだって。・・・・・・海外に行く前からそうだったわけだから、「たまたま」そういうのが好きな子どもだった、という話なんだと思うけど、だから読む本とか、選ぶ本も、外国っぽい雰囲気とか絵の本の方が好きだった、ということがあるのか、いわゆる日本の「小説」を読んだときに、変な意味でなく、素でよく分からなかった、という部分があります。よく分からないんですよ。正直。何が書いてあるのか。もっというと、何で書いたのか。すごく極端に言うと、存在して本になる理由が分からない、と言えばいいんだろうか。否定的な意味ではなくて、それを読むことが何なのか、よく分からなかった。そのくらい、日本の小説がしばしば私にとっては意味が分からなかった。うん、正直、一種の才能の欠落だと思います。私の決定的な「才能の無さ」だという自覚があります。その点に関しては少なくとも。もちろん、それを理由にごねようとは思わないけど、少なくとも無いものを見つけに行きたいとは思うものです。だって物凄く寂しいことだからに。そうですね面白くもあるけどね。意味分かるもんばっかじゃつまらないし、世の中。でも「嫌い」だったら我慢できるかもしれないけど（読まなきゃ良いから）、私は「分からない」は我慢できないかも。だから、分かるまで追求です。あ、でもそういう意味で漫画や映画に疑問を持ったことは、ないなぁ・・・・・・。 
多分「源氏物語」より、「史記」や「三国志」や「アーサー王伝説」や「グリム童話」の方が好きだったんだと思う。「全部同じに見える」ということの、その意味を、私は考えたことがあったんだろうか、それは、当たり前の話で、むしろ「同じ物なんだ」という認識が、私は甘かったかもしれないと、時々思う。私は、自分の言う『つまらない小説』を、ある意味過大評価しすぎていたかも。「物語」っていうのは「源氏物語」と同じ意味で使うなら、女性セブンだよ。多分。女性自身でもいいけど。『それの、何が問題なんだ』という話だろう。それがどれだけ面白くて、それがどれだけ『リアル』で、それがどれだけ人間くさくて、それがどれだけ『低俗』なのか。なんて魅力的な世界の事だと思う？無駄な物が一切無い高層ビル群の並ぶ通りと、ごみごみした路地裏の商店街だったら、どっちの方が面白いかという話だと思う。 

でも、難しいと思うよ。かといって低俗ばっかりがいいのかというと、多分そうでもないし、かといって綺麗すぎる水に魚は住めないし。「真ん中」を、常に真ん中を取るために、きっと物語もバランスを取り続けるんだろうなぁ、なんて。 


あと、北京オリンピックの開会式で、歴史をテーマにした演目をやっていて、紙とか羅針盤とか中国の様々な発明品が出てきたのを見たとき、「日本って、何でも一からは発明しない国だよね」って思わず口に出してしまったとき、母が「わびさびの文化とか侍の文化だけだろうね」と言った。でも、例えば「お茶」だって、「刀」だって、多少変えたとはいえ元は輸入品だよなぁ、と思ったとき、何か元あるものを借りて自分でアレンジするのが日本の文化の主流なのは無理もないかもしれない、と思ったりした。どんなに真似したって、真似したって、別の人が手がけるなら別なものにしかならないよ。ラーメンも、「日本食」、だと思います。あのスープと黄色い麺だけでも。 


be動詞、って何だろうって時々思います。よく意味が分からなかった。だけど、イタリア語やってるときに、存在動詞、という言葉を見かけて、はたと気付いたことがある。存在するっていうのは、そうか、動詞なんだよなぁ、と思って。 
I am Rebekka.だったら、私はレベッカである、というのは「動作」というか、私は「レベッカしてる」って言えばいいんですかね。私を「レベッカ」という動詞にしてくれる存在、みたいなニュアンスが浮かび上がってきた。うーん、でもそれはちょっと飛躍した考え方かな。というか妄想かな。本当のことは、よく分からない。

08.8.12
今日アップした雲雀：・・・・・・一番あれだなー、と思ったのは、多分私がやたら心配しちゃう部分なんですが、「群れる」兼ね合い、といいますか（笑）、そのあたりですかね。雲雀が飯を食って行けと言い、泊まれば、と言う・・・これは「群れる」範囲なんだろうか・・・群れ、とはちょっと違うかな、と思ったから入れたんだが、悶々としてしまう部分ではありますね・・・ま、いっか。今スランプだし（笑）。まぁ、パラレルは好物なんですが、得意だとは思っていないので、面白いけど難しいなぁ、なんて思いました。 タイトルはドゥーアズの曲です。凄い好きな歌の一つ。

08.8.14
今アンケートの結果編集してます。間もなく発表になります。 
温かいコメントを頂けるたびに、小説の感想を頂けるたびに、その日一日ハッピーになってしまうほどわたしは単純というか、でもそのくらい自分の書いたものが誰かに読んでもらえるということは尊いことだな、と思う。本当に、嬉しい。嬉しいって、こういうことだ。なんて表現すればいいんだろう。切なくもなるような。うん、やっぱり大切で、尊いものでもあるんだなぁと思って。 
アフターダークとか、わたしからすると死ぬほど大事な話で、なんだろ。連載終わったときもらった拍手やメール思い出して、ああ、あの話のために自分の中の自分を一人殺したって別に良かった、と思うこともあります。全部結局は後のまつりというか自業自得なんですけど。・・・無理でしたね。どうしても、自分の「伝えたいこと」のために妥協することは出来ない。でも、だからこそああいう話が生まれたわけで、どうあっても、今は今しか有り得なかったと思うけれど。わたしがどうしても伝えたいと思うものを。考えて、考えて、考えてああ、これだと思って書いた話だから、だから良かったなぁと思えるわけで、必ずしも「良かったなぁ」と思って終われなくとも、自分が精一杯やったことを、後悔の道具にしてしまうのはやだなぁと、思う。 
小説と書き手は別もんだよね、と友達と読書談義するとよく思うし、実際言うし言われる。それでいいと思うし、わたしはそっちの方がいいと思う。だけど、いざ自分が描き手にまわると・・・寂しいね。あなたなんかどうでもいいけど小説は好き、というのも、それでも小説が全てだから嬉しいんだけど、そんなことを思ってもらえるだけで光栄だけど、どっか寂しいと思ってしまう自分がむしろ未熟なのか、否か。 
ただ、小説、とは言っても書いてるのは「リボーン」のお話だから、そう考えると、変な意味ではなく、わたしはそんなに重要な存在ではないか、と思い直す。が、逆に「ドリーム」だからこそ、書き手である自分もいてこその小説なんだけどなぁ、と思ったりはする。ううん、人に言葉や意見を押しつけたいと思ったことは実は一度もないが、「言う」からには、伝えるからには、やっぱり、相手に何が何でも響く勢いではいつも言っているかな。というか、わたしは元来へたれなので、かなり「控えめに」いろんなことを言ってきた人なんですが、それがいかに意味のないことかを身をもって知っているからこそ、より勇気の必要な言い方をする身に自分を置いてみた、とでも言うんだろうか。だって、言いたいことの次元が違うんだって。何が求められているかは分かるような気はするけど、そんな適当に生きていないからに。残念ながら。 

久しぶりに五月の終わりくらいの日記を読んで、思わず声を出して笑ってしまった。ああ、あの書き方だったら確かにはじめてお越しになった方だったら、ちょっとびっくりはするのかなぁ・・・「腰抜け、くたばれ、自重しろ今すぐ」ですもんね。いやぁ、よく書いたね。もう、ああいう書き方はしないだろうけど、ああ書いた自分に後悔は全くしてないね。よく書いたもんだと思いますね。褒めてやりたい。 
極端に言うと、そうですね。わたしは剣道部のとき先生に、「この出来損ないぃ！！」と言われて首突かれて転がされて指導を受けていましたが、なんだろ。そのくらい言われないと、知ることの出来ない境地、というのがあるんですね。剣道や、人間の心や、それこそ「モラル」に関して。だめなんですよ、喫煙を断るみたいな、やんわりした口調じゃ。それってただの気休めというか。本物の喫煙者は、「煙草は体によくない」と言われたって切れちゃ駄目だと思う。科学的に今のところ「事実」なんだから。ましてそれを相手にすすめるっていう行動に出る人だったらなおさらそうだと思います。それでも切れてくる人はどうしようもないから、相手を傷つけないようにやんわり言うのは自衛策だし、「人間関係」の基本でもあるかもしれないですが、ただ、傷一つつかないように言っていたんじゃ、何でもかんでも「開花」しないものがあるというといいんでしょうか。自分の考える最善のよりよい境地のために、辛口な言葉ってつかわねばならない、みたいな感じかな。わたし物書きになりたいんですよ。なれるかなれないかは自分でどうにかするしかない話。だけど、だからこそわたしにとって文章とか小説のことって妥協できないこと。よりよくあって欲しいと心から願うもの。真剣になるもの。夢。だから言葉も惜しめない。その場しのぎの自衛でばっかり能書きたれてもいられない。 


出来損ない、も、くたばれ、も、腰抜け、も。わたしは身をもってそれを培った人間ですが、近頃はあれらしいですね。「どんな理由があろうともそんな言葉を使うのは、PTAが許しません」みたいな感じらしくて、その剣道部の顧問の先生も困ってました。だから、実際、わたしが結構厳しい言葉を使うって、その言葉のみに飛びついちゃう人は、どっちかというと「PTA的」価値観ということで、私の中ではそれは「正しいこと」というよりは「一つの価値観」と言う感じです。間違ってはないし、相手の言うことを認めたいと思うけど、かといってわたしがどうこうする話ではない、という感じかな。 


・・・分かる人にしか分からないんですよ。「出来損ない」と言われて、「人権侵害だー」と思って顧問を教育委員会に訴えるか鬼気迫る『真剣』に気付くか。本当に、場面によります。だから、一歩間違えるとその「出来損ない」という言葉は本当に人権侵害になり得ますよね。多分。訴えないとセクハラに発展するなら絶対言った方がいいし。受け手の問題ですね。もちろん、話し手の問題でもある。時々ドラマでも小説でも教室でも酔狂な人がよく考えもせずに言葉を振り回すから、何か言葉がどんどん禁止されてゆくことになるというか。邪な感情とストイックさの違いを理解できてないのは、厳しい環境で生きてこなかったからではないかと思ってしまう。 
わたし、六月くらい、文学論を友達としてた時に結構その男友達について辛口なことを言ったんですが（実際喧嘩になりかけてもいましたからそういう心情を書き記すためにも辛口だった部分はありますが）、それについても、なんだろう。辛口＝酷いとしか判断されないようだったら、日本語の使える範囲というのは狭まるだろうなと思います。 
難しいですよね。でも、辛口というのは確かに苦手なひともいるんで、言わなきゃとりあえず差し障り無いというか、表面上言わないでおきゃ、結局自分の中身は変わらなくても、「性格良い」と思ってもらえるのかもしれないですね。ただ、わたしは「辛口」という表現方法も、「殺したくなかった」、と言えばいいんだろうか。「辛口」には「辛口」のよさや深みがあるというか。PTAじゃないけど、時代が「傷つかないように、傷つけないように、とにかく、大事にならないように、自分が嫌な目被らないように、要領よく」を最重視するような価値観になってるから、苦しいんだけどもねぇ、ただ、死なないでくれ、と思ってやっぱり使った。「くたばれ」も「腰抜け」も「自重しろ」も。・・・実際、やっぱり考えられねばならない部分というのはあると思うし。 
思想の統制、みたいな現象が怖い。右むきゃ右、でぱっと一色に考え方が染まる現象が、怖い。魔女狩りじゃないけど、異分子と勝手に判断した物に対しての、攻撃の仕様が怖い。まるで自分の感傷だの心の中の都合の悪い思い出まで投げてくるみたいなやりかたが。苦しまないで欲しいです。今はそれしか願っていないかも。「何も深く考えてなんか言っていない」、という、その状況自体が、そもそも人間としては異様な感じがします。深く考えないで言った言葉、とかっていうのはあると思うけど、なんだろ。「何言っても無駄な人」、という存在自体が、人間的に何らかの外圧で歪められた新人種なんじゃないかと思う。とても傷つきやすい、生卵みたいな。あつくなるとすぐ破裂する。人に絡まないと生きて行けない。でも、自分では殻を破れない。魅力的に見えますね。とても魅力的です。「柔らかい」とか「もろい」という形を保つ、ということ自体が、とても驚異的なことですよね。だって、どんな形にせよ優しさの要因の一つであることは違いないと思いますから。どれだけ部活根性で集団活動のノウハウを染み込ませても、わたしは、自分は優しさの欠片もない人間だと思ってます。わたしみたいな人間は、そうですね。でも、そうやってひとをまたいろいろ知っていくのかなぁ、とごくごく最近では思います。 
信憑性のない批判は信じなくていい。自信のない非難は叩きのめしていい。そう、思った。追い求めたいのはなんなのか。守りたいものはなんなのか。大切なことはなんなのか。人にねじまげられたわたしの性格じゃない。「良い子」に浸りたい人たちに勝手に悪者にしたてられた自分じゃない。苦しいもんですね・・・どう言ったものかと・・・いつもいつも。ただ、逆に過剰に気にしすぎていた部分はあるかも。傷つけないようにと。兎に角。そればかり。誰も、傷つけないようにと、そればかり考えて言ってきた。でも悪い、大抵の場合どう考えてもわたしが一番理不尽に傷つけられてるわ（笑）。それを、口にすら出せずに苦しむ人がいるくらいなら、わたしは自分を使って一回くらいはそう言っておこう。優しい人は、言えないんですよ。どれだけ傷ついても、「自分が一番傷ついている」なんて。だって言ったらその時点で駄目人間のレッテル貼られたり、嫌な目で見られたりするじゃないですか。どんなに苦しくても、「言わないのが綺麗」みたいな勝手な美意識の所為で。「周りがみんなそうだから」そうせざるを余儀なくされるんですよ。でも誰かは言わないといけないと思う。「誰かはやらないといけない」ということの、本当の意味も知らずに、言葉ばっかりがかっこつけでとなえられてるから、どんどん空洞化してゆくんだと思う。言葉が。そういうふうに言葉を使う存在に憤ってしまうことに関しては、個性と思って自分に許してます。もちろんつねに兼ね合いとの戦いです。 
傷ついたことに触れられたとき、ばちっと火花が飛ぶんですよ。会話者の間で。それで、弾かれたように怒り出すんです。傷ついている人は、容赦がないですよ。それが一種の「信念」になるという。その悲壮と怒濤の強さを目の当たりにしたときに、ああ、また詩が生まれるかもしれないと、思った。 
人は浅ましいしどこまでも狡いですね。もちろん自分もそうだと思います。イタリア文学の好きなところは、それをそのまんま描くところかなぁ。それでいて、そのまんまの人間が、しかし何故かどうしようもなく愛おしくなるところが好きです。 
人間愛を、培いたい。わたしは、やっぱり人が好きだなぁと思う。書けなくなっても、何か絶望しても、気が滅入っても、夢に対して自分に問えば、やっぱり追い続けたいと返ってくる。こればっかりはどうしようもない。意地とかではなく、自分がやりたいことだから、自信ってこういう部分から生まれるんだろうなと思って。 
「誰か」のことなんか、今までもこれからも、批判しない。したっていいけど興味ないから。常にわたしであって、他の誰でもあることを、はじめて見つけて批判する。それは、多分人間を愛するために必要な順序なんだと思う。わたしにとって。それでも叩きつける瞬間は、やはり憎しみの元で心を動かすのだろうか？ならば批判に感情は一滴も伴ってはいけないと思う。何故って判断に個人的感情を巻き込むことほど不条理なことはないから。 
ひとを、あいする力をわたしにください。願わくば、それを描ける力を下さい。どうか。

08.8.14
下にがーっと書いてから、最後に今ここに書いてます。なんか、もう自分面倒くせーや。もっとなんも考えず、楽しんで何かを見たい。そういうものを探したい。 自分がジャンプを求める理由が、分かった気がする。何かを考えることがあんまり無い。楽しめる。『楽しい』と思えることは、純粋に愉快な思いで何かを読めるというのは、わたしにとってはとてもしあわせな、ことなんだと思う。最近。 何かは、描ける人になりたいなぁ。まず、楽しいと思って。でも、最近はわたしのポリシー的な部分もあるんですが、「つまらないならそれもいい。苦しいならそれもいい。でも這い出したいなら死ぬ気で抜け出せ」みたいな心境。いいと思う。つまらない、というのもまた何らかの体験で、わたしがずっとその殺風景にいるなら、今はそれでもいい。本当に、わたしが何かを感じたら、きっと抜け出そうともっと足掻くはずだ。自分を、信じなけりゃ。心が凍り付いているなら、凍りついた心の言い分を聞いてやるのもいい。 



私の中で、雲雀さんには拳銃のイメージがありません。使うかどうかは知らないけど、なんだろ、雲雀さんは、武器に使わされるのを嫌いそうだな、と思って。 

誰でも簡単に使いこなせる武器ほど、やっぱり売れるみたいです。護身用の拳銃、という概念もありますものね。どうしようか迷って、せっかくのオール連載なので、自分の考えるところの世界をいれてみました。大事に書きたい。疑問をなるたけ書き尽くして、わたし自身も、疑問と闘えるように。 







「スカイ・クロラ」って、今映画やってますね。わたしの姉が好きな小説だったりします。もしかしたら一時的な懐疑かもしれないけれど、わたしはああいうモティーフで戦争長編を作るのに、微妙に疑問を覚える立場をたった今は取っているので、あれも、いつか小説で読もうと思ってます。でも、映画は面白そうだった。ぶっちゃけ。面白そうというのとはまったく別のところにわたしの問題意識が存在する。それも含めて、でもわたしにとっては道が開ける、少しばかり目のくらむようなエピソードが、一つある。 



なんだろ。姉にはじめて内容や設定を語られたとき、そもそも疑問というか違和感だったんだけど、まぁ、よくある話といってはあれだけど、そのシンプルなトリックをどこまでも見事に森先生が描いて居るんだろうな、とは思った。トリックはとても分かりやすいんだけど、分かりやすいからこその難しさというか、『よくもまぁ、こんなふうに書けるものだ』、という凄い書き方をするひとだなぁと森先生の別なお話を読んで思ったことがある。 

けど、やっぱり胃のむかつく系の世界観設定というか、『面白いトリック』なのかもしれないけど、そういうふうに戦争物を描くのは、必ずどこかを『感動させる』ように見せかけて、だけど、何かを見落とさせていないかと、そうですね、わたし自身もわざわざ考えるようになってしまったのは、ごく最近でしょうかね。えっと、でも断っておかなければいけないのは、だからそのお話が終わってるだとか駄目だとか、全然そういうことを言いたいのではないということ。そういう意味では、『スカイ・クロラ』については、特に何も言おうと思うところがない。 



ただ、なんだっけ。姉は誰にその本を薦められたかって、じつは男友達にすすめられたんだそうです。「絶対読めよ！最高だから」と言われ、姉も確かに、『スカイ・クロラ』惹かれたみたいなの。姉が、あらすじや設定について凄く楽しそうに語るから、かなり冷めつつ聞いて、でも「ああ、やっぱりあねきこの話すげぇ好きなんだろうな」と思った。ただ、その後に、「聞いてよ、それでね！」と姉が怒りだした。 

「わたしにその本をすすめてくれた奴って、あまりにも読みが浅いの。もう、あんなに浅薄な人はみたことない！信じられない。そこが一番悲しいところじゃない」みたいなことを言っていて、どうしたの、と聞いたら、その彼が「スカイ・クロラ」で一番感動したのは、キルドレ、が、迷い無く飛行機に乗り込めるところだって言ったんだって。 

そして彼等が私情を捨てられるところに、感動したんだって。それを彼がどこまでも無邪気に語ったらしい。思わず言葉を無くした姉に、むしろ怪訝そうな態度で「どうしたんだよー」と少し非難げに言ってきた、そうな。 

「『迷いなく飛行機に乗り込めるところなんか、とても素晴らしい』とか言ってるの！有り得なくない、っていうかどうしたらそういう読み方が出来るの！」とすごい姉に憤慨していました。 

その『信じられない』感動をもって、姉に彼は『スカイ・クロラ』をすすめたんだとしたら、わたしは少なくとも彼が浅い読み手だとはまったく思わないかなぁと思う。 



わたしはまだ『スカイ・クロラ』の読み手じゃない。ただ、一つ思うのは、下手をするとわたしは浅い読者かもしれないなと、思った。 

もし『スカイ・クロラ』の映画の予告ポスターを見て、ああ、「可哀相な話なんだろうな」という目星をつけたら、もしかしたら、それこそが『浅い』ということかもしれないとは、少なくとも思った。『迷い無く飛行機に乗り込める』ということに感動する読者がいるんだということ。どういうことだと思う？わたしにも、確かに出来ない考え方だけれど。 

もしも生理痛の薬みたいに、学校のトイレの床に寝そべるくらいの苦痛から解放されるとしたら、それを求めるとして、人間の人生の価値っていうのは、一体どこにあるんだろう。とうぜん、姉の男友達のような読み方をするひともいるだろう。それは、人間として間違っているとか正しいとか、どっちも誰にも言えない。よく、分からないけど、人間の希望が『平和』にあって、戦争を反対するつもりで森さんがあの話を書いたなら、大真面目に言うと、決定的にあるいは何か重要なものを書き落としていることを示しているように思えた。その意味では、あまたのアニメで描かれる中身のない戦争もどきとさして変わりないかもしれない。表面の形やトリックにいくら何かを示唆させているように見せかけても、多分、描けていない部分がある。ただ、それは描こうとしてないかもしれないので、別に作者の自由だと思うけど。 

それは、とても難しいものだし、あるいは、彼の意図が根本的に違う場所にあるかもしれないから、わたしがここでとやかく言っていることはあくまで一感想、の話だけど。ただ、それを描かないつもりで書いたなら、あの一巻目の冒頭の文章は子供だまし以外の何物でもないと思う。あるいは彼自身、子供だましのつもりで書いているだろうか。このへんも、出版物というのは難しいなと思う。それでもいいんだろうなぁ、いいと思えば。 



わたしには、キルドレが迷い無く戦闘機に乗り込めるのが素晴らしいこととは、思えないと思う。だけど、今現在進行形で存在する、戦場の兵士はじゃあどうなるんだろう。自分の意志で拳銃を持つ人は、何故武器を手に取ったんだろう。間違っているとわたしが『知っている』ことは、じゃあなんで終わらないんだろう。 



ガンダムとか、たまに見ていて思うことに、「何故自分が戦うのかよく分からずに戦わされているかのような優柔不断なスーパーヒーロー」みたいな奴が意外と平和の象徴として描かれる気がする。そこを、まず一番にうたがってかからなくてはならないなと、最近は物語の作り手としては思う。それは本当の『平和の担い手』たるひとの姿だろうか。否、分からないからこそ疑う。 



自分の手に握られた凶器がね、「自分の意志」と別の場所にある、ということを描くときの、物語の描き方に、一つ疑問を。抱いているのだと思う。薬で人間を破壊された、もそう。人格を操作されている、もそう。ある意味の、『エンターテイメント』にはなり得るかもしれない。でも、『平和』を考える上ではどうだろう。そういう問題だろうか。思わなくもない。そういうモティーフが示唆しているのは『戦争』ではなくてよほど別の問題ではないだろうか。 

むしろわたしは、『スカイ・クロラ』の予告編見たとき、普通に素敵な話なんだろうなと思った。そして「かっこいいなぁ」と思った。飛行機にしても。キャラクターの会話とかの様子も。ただ、そうしてひたれる作品として綺麗に描かれていたし、小説もちらっとめくったらやっぱり理路整然とした綺麗な話だった。ガンダムにも若干同じ物を感じる。それが良いか悪いか、は、むしろたった今問うているところで、どっちなんだろうね。きもちいいでしょう、だって、『観客』から見たら、ＣＧのくらくらするような迫力ある画面は。戦闘用飛行機を操縦するリアルな人間が、同じことを考えないと誰に言えるだろう。現実離れした世界での、綺麗な戦争の中の切ない話。それは、いけないことなんだろうか。物語にたいしてもそれを全否定するのは、もしかしたら殺風景な世界かも。だけど認めると言えるほどどうでもいい話じゃない。むしろわたしを救い出して欲しい。謎から救い出して欲しい。すなわち、何故疑問を持たずにいられる人がいるのか。ならばその人は、わたしに教えて欲しい。何故そう出来るのか。むしろわたしには驚異的に見えてならないから。なんの疑問も抱かずに、本を読んで「ああ面白かった」と思うことは、どれだけしあわせなことなんだろう。そういう本に、最近出会えていない。「それは君が年取ったからだよ」、と文学論繰り広げたとき、メールの文面で言われた。件の男友達に。でも、そうかもなぁ、とは思う。わたしこそ、正常に、年を取る。心ごと。きっと、なんの疑問も抱かずに。一つ言葉を紡ぐごと、最近は向かうべき場所を確認しているような気がする。 

すいません、関係ないんですけど、わたしの好きなＫＭペイトンの一番好きなシリーズは、主人公の夫が飛行機大好きでボンボンだったのに家を抜け出し、命がけの飛行機ショーで儲けのしがり、ハネムーンの数日後第一次世界大戦の航空兵に志願し、五部作の三作目に命を落とすという話だったんですが、そこで主人公が、「彼は飛行機が好きだったのよ。次の戦争が待ちきれないくらいに」みたいなことを、淡々と語るシーンがあって、なまじ彼女の気持ちも分かるし彼らしいと思いながら、読み手としてはどう反応して良いかよく分からなかった、ということがあります。主人公は、そうは言ってるけど本心から言うと絶対に、飛行機に乗って欲しくなかったし戦争にも行って欲しくなかったんだけど、彼のために、自分の精神をどうにか穏やかに『保つ』ということに従事しつつ成長した、といういきさつがあって、ある飛行機が彼女の農場に墜落した後、夫の訃報の手紙を再び読み返した後に、『飛行機が好き』と言いながら、『次の戦争を待ちきれずに』飛び立っていった彼の最期の状況について、いざ墜落した飛行機を目の当たりにして理解して、全てがせきをきって出てくる、という場面があるんだけど、参政し、国のために兵隊に志願し、戦争の意味を知って、あっけなく命が終わることを考えたら、よほど、わたしはそれ、すなわち『戦争の意味を知る』ということを異様なものに思った。はじめから苦痛を感じない人間がいるということはどういうことだろう。なぜ、迷い無く私情無く飛行機に乗れるのに感動したんだろう。理由はなんだろう。どうしてお姉ちゃん、彼にそれを聞かなかったの。そんなことは言えるわけもないことだが（笑）。そこで最後の扉だけ永遠に閉ざされたままのように。彼は、だれか自分と同じ感動がわかちあえたとき、その人にその扉の先を打ち明けるのだろうか。ここまで考えると、キルドレも意義深い定義に思われる。しかしわたしは少なくとも、そこまでは考えないと意義深く感じられない。 



エンターテイメント、ってどういうもんだろう。限度は？用途は？個人的に、わたしはその辺が少なくとも自分の中ではっきりしないと書けないものがある気がする。まぁ、書けないなら今は保留して別の方面で描けばいい話だけど。 



『スカイ・クロラ』はその意味で、とても印象深い存在になった。まだ見てないのに（笑）。 

いろんな読み手がいて、いろんな視野を提起できるお話というのは、凄いお話だとわたしは思う。 

いつか読もうとは思う。でも、正直わたし苦手なんですよね、胸が痛くなる話って。悲しい話も苦手。何か、風が吹き抜けて空しい荒野を強く生きるような話が好きなの。このへんは好みの話でしょうね。わたし、極端に安楽思考なんで。 



今すっごい、エロスというかなんというか、欲望のはきだめみたいな話が読みたいし書きたい気分。好きなんですよ・・・どうせわたしの妄想なんてぐちゃどろグロなんだから（笑）、もうちょいそういうのが増えてもいいなぁ、このサイト、と時々思わなくもないです。ただ、欲望のはきだめはあくまで欲望のはきだめであって、それ以上でもそれ以下でもないと思う。それが念頭にあるから、それ以外の場所に何かを探しにゆく意欲が育つのかもしれない。 

08.8.15
今朝お母さんと喧嘩した。かつてないくらい胸が痛い喧嘩だった。もう二度とあんな喧嘩したくない。

お母さんはどうしてわたしに物語を教えてくれたんだろう。 



大切なひとを、物語の所為で傷つけて、物語の所為で孤立して、物語の所為で自分を駄目にすらしてるのに、それがないとわたしは頑張れないようになっている。そういう構造になっている。頑張りたいと思える原動力が、それ。 

他のことだったらなぁ。ピアノだったらなぁ。姉貴は何でこんな暑い日に「メリークリスマス・ミスターローレンス」を弾いてるのかよく分からないけど。夢を追い続けることよりも、夢を手放すことの方が理にかなっているのにそれを出来ずに、かといって家を飛び出すことも出来ない。多分逃げられないという道は、わたしがいかに人に助けられて生きてきたかということであって、本来悩む必要も守る必要もないはずの人間が、自分が与えてもらった才能も恵んでもらった経験もいかせないような夢を抱いているから苦しいんだとどう分析してもそういう結果なのに、だけど考えられない。 

あれだよ。物を書いて食べていけるかどうかではなくて、例えばこの手元に今日何かを書くための道具が無いとそれだけできっと生きる拠り所を無くしてしまう。別に視覚的なものでなくてもいいんだけど。何かを語れる媒体であれば。何でそんな痛々しい人に育ったんだろう。何も変わらないのに、そう思わずにはいられない朝だった。 



勉強したいな、と思う。学校がどう、とかじゃなくてさ。もっと足を使っていろいろ調べたりだとか。社会勉強、でもいいけど。でも学校でももっとがりがり勉強したいなと思う。 

生理痛が酷くてさっきまで寝てしまった（笑）。おかーさんたちと一緒にご飯食べにいけばよかった。夢に大事な友達が出てきた。丁度一年前の今くらいに一緒にいた。自分の感じ悪さを思い出しただけで友達の前に出ていきたくなくなる。でも、小説書きみたいなもので、やっぱり会えると嬉しいし、わたしにとっては無くては多分生きてはいけないものなんだ。友達。友情と恋愛どっちとるかー、ってありますよね。実際どっち取るだろう（笑）。ケースバイケースだよね多分。でも言えることは、わたしにとって恋愛は一生遠くにあっても多分生きてけるけど、友達がいなかったら生きていけないってことかなぁ・・・だけど、家庭を築くっていうのは「義務」じゃないかと思う。あんまり言いたくないんだけどわたしは極度の男嫌いというか、一体「男」という存在の何が問題なのかと思ってしまうくらい男というものを忌んでいて、問答無用で男が嫌いなので、今まずそこから叩き直す必要があるんだろうなと思ってる。駄目だよ、性差別は。だけどはっきりいって男は愚だと思う。何がって、あの超単純に何が優秀で何がそうでないかを判断できて、それによって人を差別することに何の疑問も抱かない単細胞さが研究対象レベルで謎。驚異的なことに、男って自分もその中で差別出来てしまう。人間とは思えない。・・・男の人が皆そうじゃないかもしれないからくくっちゃいけないのかもしれないけど、結局程度や種類はどうであれ、そうじゃない男の人というのをわたしは見たことがない。その考えから逃れようがないなら、わたしはやっぱり自分で自分を変えていかなければならないと思う。社会がその法則でまわっているから。 

生理痛になるたびに憎悪にも似た境地でそう考える。気楽に、少ない荷物で毎日過ごしたいなぁ。決まり切った日々を。つまらないくせに不規則な日々ではなく。

08.8.15
もっと鋭利になりたい。 
でも、もっと優しくありたい。 

心の何処かで、書きたいことが、形にならなかった。 
今は、成る。 
ならば、頑張れ。


08.8,15
サイト九月に休止予定ですが、ワンファインワイヤーだけは終わらせたいので更新続けます。 
日記はジャンプ感想のみとかになると思われます。他のコンテンツは月一で何かはする、とだけ今は決めてるんですが、動かないと思います。 
なんつーか、とにかくワンファインワイヤーを引き延ばしたくない（笑）。しかし、適当にも書きたくないから終わりが見えない（笑）。あれが終わらないとわたしが先に進めない連載です。何もかも、先に進めない。逆に一種の呪縛じゃないかと思う。 
もう、出来るだけ早く終わらせたいが、伏線だのトリック（というほどたいしたもんではないですが）だのがごーちゃごちゃごちゃごちゃあって決して中途半端に書けない大事な話なので（わたしにとってですがー）、とりあえずワンファインワイヤーは書きたいと、思います。 
目標は、１０月までに終わらすことです。 
３月１日、必ずはじめるのは雲雀の世界旅行の話とダヴィンチの続編（もう、頑張るから。半年、それだけを、ってくらい頑張ります）。あと幸村の続編。もしネタが出たら高杉の連載。重要なだけにそうとう練って来るつもりなので。あと、原作沿いやってみたいですねー。割と世界をかためにかかった集大成が「ワンファインワイヤー」なので、かなり頑張ってるけどあのオール連載も例によって辛気くさいというか恋愛してないというか（笑）。 恋愛物！って感じな話とか、テニスでわたしが好んで読んでいた日常だが恋愛ゲームドロドロな話とか、そういうのが書きたいです。戻ってきたら。 ・・・・・・９月までにけっ飛ばせとヨーラブソングとウィッシュインザブラッドとヤミサメとサロメと２４サーチライトにケリをつけたいです。あ、あとメイクマイデイ。そう、メイクマイデイ続編は確実にやる予定なんですよ。続編は日辻君が絡むので、メイクマイデイよりはラブコメチックになると思います。雲雀以上に主人公が曲者ですが、あの話は。タイトルは決まってます。 あとミルフィオーレの連載がやりたくてやりたくてしょうがないのに、いまいちしっくりこない。やりづらいんすよね、ミルフィオーレ（笑）。一回コツを掴むとはまりそうなかんじですけど、とりあえずうちの白蘭は動き過ぎるのであくまであの部屋でごろごろしてる白蘭の話とか書きたいんですけど。 あとザリーズンリバーシブル、夏中に始めたい感じです。・・・どうかな・・・・・・？何が書きたいかと言うと、ザリーズンでザンザスを書きたかったように、リバーシブルでは敵側にまわり、「普通」なんだけど救いようもないダークなディーノを書きたかったんだが、リバーシブルじゃなくても別の路線でやっても良い気がしてきた。ディーノのダーク。ワンファインワイヤー書いてから、そう思うようになった。ディーノＶＳザンザスの、ひねくれた恋愛ものとか書きたいなぁ。前者白後者黒に見せかけて実は逆だった話とか。 今ジンジャーの短編と幻騎士の話書きたいんですよ。あと、白蘭と雲雀のパラレルも書きたい。というか雲雀のパラレルも終わらせないと。白蘭と骸の話１９世紀編もあるのに何か終わり見えないなんでだー。というか、わたし白蘭に関しては「書いちゃう」んですよね。あんまり書かないのが好きなんですけど、白蘭は特別みたいです。 あ、無限回廊も頑張りたい。実は二年前のわたしはあるトリックを企んでいて、破綻する恐れがあるがあの話ではそれをやりたいんですよ。いや、トリックっつってもただたんに面倒くさくなるだけの不毛なものですが。 とりあえず、なんだろ。今まで築いてきたものを、かためて、自分のものにしてから、次の分野にチャレンジ、って感じにしたいです。いろいろ迷って揺らいでぐちゃぐちゃしたけど、わたしは、自分の選んだ雰囲気、そんなに嫌いじゃないです。そうか、こうなったか、うん、いい感じかな、って感じ。でも、もっとあれですね。かたまったら、いろいろやってみたくなる。最初のセクション最後の仕事、って感じかもしれないな。ワンファインワイヤー。あの、最初に断っておくと、あんまり面白い話ではないです。面白くないものは面白いというひねくれたレベッカの、ある意味最大の悪あがきだと思う。つまり、戻ってきてからは、もっと「面白さ」と真摯に向き合えたらなって思うんです。どこかで切り捨ててきた、それと。

08.8.16
狙１０の雲雀さんを朝夢中で再度攻略しちゃったレベッカです。あのゲームは個人的には乙女ゲーム仕立てよりも興奮するというか、わたしの理想が詰め込まれてる感じです。雲雀に関しては。雷怖いデース（笑）。 


小学生のころ、小林深雪さんのファンでした。彼女が、後書きで割と（笑）を使う人でした。しばしば小説でも使います。今も、かな。他の記号は使わないのですが。その、（笑）だけは使う部分が、そうですね。ファンだったのもあって読み込んでいくと独特のエッセイ形態というか後書き形態というか、を作りだしてるところはあって、やすっぽくなるのは嫌だから、自分の勝負かけたい文章には多用しないけど、日記では気ままに使ってみるというのもいいかな、と思って（笑）だけは独特のこだわり。 


あと、久保ミツロウ先生が漫画のセリフの中にたまに使う、あのいかにもーな若者のちょっと皮肉な雰囲気を出す（笑）がすげぇいいな、と思いました。本当に、いろんな使い方が出来る。ホントに。 


何で小林深雪先生が（笑）を結構たくさん使ってるのかよく分からなかった。小学生の頃のわたしは、なんだかそれが随分表現を限定させてる感じがして、もちろんそんなに気にしちゃいなかったけど、ちょっとしらけるときもあったかな、（笑）。でも、今はあの小林先生独特の熱さとか優しさとかあったかさみたいなのも含め、ちょっと当時の自分ののめりこみかたを思い出しつつ微笑ましい気分になるときはある。もちろん、小林先生みたいな使い方を自分がしているとは思わないんだけど、入れて使ってみると、少なくともただ読んでいるだけだった時よりは、何か見えてくるものがある、というのは確かかな。日記はごちゃごちゃしたいびつな雰囲気を作りたいので結構好きな記号の一つです。ぶっちゃけ意味無く使う、挨拶みたいなもん。そういうふうに、使うことが何だ、一種の心得、的な。でも、小説では、逆によっぽど狙った場所でしか使いたくない。そこんとこの使い分けとこだわりは大事だと思います。うん。 
小林先生の小説この前見かけましたー。ティーンズハート文庫を見かけなくなったからどうしているのかなぁと思っていたら。いいですね、女の子。 


ちょっと話が違うけど、あのポエムみたいな、短い文と気持ちを繋いで小説を書く、というの、面白いなーって今でも思います。多分、いざ自分ががちで「小説書く」ってなったら、また違った感じになるんだろうけど、そういう形も自分の中で生きたものにしたくて、ドリーム書くとき詩っぽい感じのレイアウトにするのは、小学生の頃小林先生でつちかったわたしのドリームと、中学のとき夢中で読みあさったネット上のドリームが基盤にあるんだろうなぁって思います。ただ、やっぱ「ポエム」って感じっちゃそうだよなぁ。でもあれも小説なんだよね・・・わからん、わたしは「内容面」と「倫理面」に異常に五月蠅い割には、形式面はあんま気にしない人です。ただ、どんな形を取るにも、その人なりの根拠とこだわりと人生を理由において欲しい。それだけ。いかんせん、根っこに置く部分が、ちょっと「読者任せ」「常識任せ」「売れ線任せ」すぎるんではないかなぁ、最近の創作っていうものが（もしかしたら小説とか漫画に限らず、『歌』なんかもそうかも）。もちろんその三つを大事にする人を、一面わたしは尊敬するけど、ううん、それを「根っこ」には置きたくないな、とは思う。別に営利に絡まないここでの活動もそう。 

一日があっという間な気がする。もっとうまく使いたい。

08.8.18
あぁあああ。自分弱いなぁと、生理になるたびに思います。何かナーバスになる度合いが尋常じゃない・・・・・・。特に、なってるときは大人しい
んですけど、なる前がめちゃくちゃ不安定です。頭が痛いわ、お腹が痛いわ、矯正してるから歯が痛いわ、実際学校に行くときだのなんだののときは、
弱音を吐こうが吐くまいが、這ってでもいくしかないんですが、休みとなると気もめいっちゃうのかだらーんですね・・・・・・。明日から二日みか
お出かけなのですが・・・・・・サイト切るとか無理じゃねーの、これ。わたしの精神が無理だよ（笑）終わらないよ。そんなの耐えられん。猶予を
伸ばすかもしれません。９月１５日まで、とか。夏休み前には更新超少なくする時期に入ると思います（ワンファインワイヤー以外）。最近更新少な
いから、今とたいして変わらないってことなのかもしれないですけど。そうですね・・・かちゃかちゃ更新して、なんとなくレポートやって、それで
幸せだなーって思えてれば良かったのに、６月頃、ああ、そうか、違う、見えてなかった物がある、みたいになって、悩んで、「ひなぎく見参！」か
なぁ・・・読んで、やっぱり何かに気付いたというか、思い出したような・・・・・・悩んだことは無駄になっただろうか。そうではないと、思いた
いし、無駄にはしない、しないようにしてみせるけど。やっぱ勉強不足だなぁと思った。わーたしはセンスないし、「真似は罪悪」みたいに言われて
育ったというか、そういうふうに創作することを最初にたたき込まれたからかもしれないが、今となってはある意味それがあらゆることの足を引っ張っ
てる。見つめ直すためにも、自分が本当に欲しい物をみつけるためにも、いろんなこと、いろんな作品を心にゆとりをもって楽しむためにも、お休み
は必要かなと思って・・・いや、しかし勝手に妄想しちゃう脳に休憩なんてないんだけれども。あ、頭がきーんと痛い（笑）。薬が思ったよりきかな
いんですよね・・・。畜生。でも、自分の体調をコントロールすることをもっと工夫するのも大事だろうなぁと思います。ご飯食べよう。昨日はじめ
て家の傍のブックオフ行きました。絶版になった本だの、欲しかったが買わないうちに本屋に並ばなくなっちまった本だのがありました。素敵。池袋
とか行ったら、欲しい本あるのかなぁ・・・。本つか漫画だけれども。スクエニ熱リアル再熱だ・・・。

08.8.18
誤字脱字と名前変換の一斉チェックは、しあさって戻ってきてからじっくりやるつもりです。ご迷惑おかけしていてすみません。 





誤字脱字とか文章表現のミスというのは、「技術的な問題の発生」といいます。これは、文章の「内容の問題」とそういった「技術的なミス」をごっ
ちゃにしないための言葉です。 


ある意味必要なのかなーとかも、思うんですけど、みんなで何か読んでるとき、とか発表の時に、「質問や意見ありますかー？」と言われて、これみ
よがしに誤字脱字のことばっかり指摘して「自分は言ってやったぞ」的な顔をしている人を中学のときとかはよく見かけ、そのたびに「レベルの低い
奴」（笑）と思ってました。いや、誤字脱字の指摘は大事なんだけど、それをさも世紀の大発見のように思っているところがですね、何だろ。そっち
に気を取られると肝心な「発表の内容」が見えてこないんですよ。一生懸命発表してる人に、誤字脱字の指摘をしてさも、「ミスったなこいつ」みた
いな発言かましている人は、本当にこの人の話の内容を聞いていたんだろうか、と思ってしまう。くどいですが、誤字脱字を指摘してあげることはと
ても大切なことだと思うが、それが本質になってはいけないような気がする。確かに技術的なミスというのは確かな判断材料ではあるけれども。 


・・・こういうこというと、勘違いされそうなんで避けてきました。でも、それは読んでくださる方を信用していないことの気がするので、やっぱり
申し上げさせていただきますね。わたしは、誤字脱字の指摘をしてもらえるのはとても助かるし、ありがたいことだと思っています。 


ただ・・・・・・なんだろう。ちょっと名前変換出来てないところがあっただけで、「あなたが書きたいのは小説ではなくて夢小説でしょ？」という
挑発を見かけたら、「それは違うよ」とこちらからも言う必要があるような気がする。もちろん、書く身として、言葉を正しく使うことは大切なこと
だし、誤字脱字をすることは「恥」だと思います。だけど、個人的に言えば、たかがその程度のことだけを気にして人に文句だけしか抱けないような
読み手を相手にする低レベルなものを書きたいとは、気分としては思ってない。これは、わたしに誤字脱字や名前変換を指摘してくれる人に言ってい
るのではなくて、そのことに固執するあまり非難まがいになっている人に対して言ってる。もちろん、ありがたいことだし、厳しく言ったっていいと
は思う。誤字脱字についても、名前変換についても。ただ、どんな場合であっても、それは「技術的な問題」であって、本質的な中身ではない。これ
は「たかがわたしのサイト」に限らず、どこでも通用する常識のことだから、もし初耳だ、っていうひとは、覚えておいて欲しいなと思います。 


わたしは、日記でかなり書く人だから、熱のこもったメールをよくいただきます。そういうときタイプミスとかあっても、個人的には気にしないかな。
一生懸命書いて筆が乱れるのと同じだと思う。もちろん、相手に言葉をぶつけていることだけど、それは「技術的問題」であって、もちろん人間性の
問題ではない。やっぱり文章の「中身」とか、目的性の方を見ます。ただ、「気にする」という厳しさを否定はしないよ。それに、誤字脱字やりたい
放題がいいとも、くどいけど断じて思っていない。ただ、指摘する時でも、何が重要なのかということをはき違えてしまってはいけないと思う。「自
分が意見を言った気分になりたいから」とか、「苛立ちをぶつけたいから」とか、「相手を罵る口実を探してる」とか、そういうふうに誤字脱字の指
摘を使う人を、わたし自身に対する拍手やメールに限らず見かけることがあるし、それはそれこそ学校の発表の時間にすら見かけるけど、わたしはそ
ういうひとに、そのことで本質を見誤るひとにはなって欲しくないなといつも思います。 


ただまぁ、わたしというひとはずぼらなんで、多少「技術的問題」について言われてもいいと思うし、確かに夢小説で変換出来てない箇所があると気
になるのは、ドリーマーとして分かります。そう、ですねぇ・・・・・・自分は言われている方だから、あまり何か言いたいわけではないんですが、
やっぱりネットマナーは改善して欲しいから、逆効果でも言うだけ言おうと思います。これは、管理人が横暴をしてもいいとか、そういうことでは断
じてありません。 


たかが名前変換箇所の指摘をされるときに、「知らない女とイチャコラされるのを見るのは腹立たしい」とか、「小説を書いてるわけじゃないんだろ」
と、書き手本人に向かって言うのは、どう考えても礼儀正しいやり方とは思えません。「名前変換の出来ていない箇所が気になるので直して下さい」
と言えばいい話だと思います。確かにわたしは動くのが遅いですが、かといって中傷的に指摘されて動くのが早まるというわけではありません。相手
の方には悪気がないかもしれないので、こちらとしてはそのような言葉を用いられるのは甚だ心外だ、ということだけ告げさせていただきたく思います。 


でも、誤字脱字や未変換が多いなぁ、というのは感じます。なんっかまとまって休みが取れなくてすいません。先にすすむか、一旦修正するかでわた
わたしてしまい・・・・・・。一応、空いた日に一気にやろうと思いますが、それなりに量が多いし加筆修正、という形も取りたいなぁと思っている
ので、もう少し先のまとまった時間にさせてください。 


それでもご指摘くださった方々には心から感謝致しております。ありがとうございます。また、実際何よりわたし自身に非があることは事実だと思い
ます。来て下さっている方にはご迷惑おかけいたします。申し訳ございません。

08.8.18
明日、ノーパソ持っていこうと思います。 


だから、帰ってきたらまとめて更新しますね！ 
もちろん、今日も更新するつもりです。ワンファインワイヤーと・・・ヨーラブソング行きたい。予定は未定ですが。最近雲雀熱が凄いし・・・でも
ヴァリアーかきてぇな・・・花嫁企画！ 
あと、臨時的にブログたてて日記は更新しようかな（モブログで送れる）・・・否、休むかな、とちょっと迷っています。 
別に日記は更新しなくてもねぇ（笑）とかも思いますが、きらきらした文章が書けるかも。とりあえずネットには繋げなくなっちゃいます。 

08.8.18

というわけで。
臨時のブログです。更新はあるかもしれないしないかもしれません。

さ、早速すいません、もしかしたら小説の更新今日中には間に合わないかも。もし何日か明けになったら許して下さい。

KENNってかっこいいですよねー、何であんなにかっこいいんですかねー。今遊戯王がすげぇやりたい。カード。

08.8.18

関係ないですが、
実はシャンプー変えました。マシェリー！私は猫っ毛なのですぐに頭がぺしゃんこになるのを結構気にしてました。シャンプーも固めじゃないといまいち張りが出ないっつーか。でもパーマかけてから髪がふわふわしてて、あんま気にならなくなりました・・・髪の悩みっていろいろだよね。

初サロペット？購入！セール狙いだけど・・・お店のひとにお得だって言われて、フツーに喜んでます。

昨日ダウンして今日も昼までやばかった。が、友達と話して復活。ね、人間たまには愚痴も語りも必要だと思います。醜いけど。でもどんなときも人に迷惑をかけてはいけない。

精神衛生の管理も大事だわー、あぁ、本も少し読みたくなって来たぞぅ。

08.8.19

寂しいが平和な雨のグローリア
まるで疫病神みたいな。
わたし、いつまでくすぶってるんだろう。

拙さも幼さも嫌いじゃないけど、もう少し強がってもいい。

空元気でも笑っていられるなら尊い。
見返りを求めない幸福を築くひとになれたらいいなと思う夕立の日もきっとある。


別に結局誰が何と言おうがわたしを責めるのはわたしだけだ。だから頼むからわたしのために流す涙はなくしてください。

いつか逃げるのは決めました。だけどそれはやるべきことをこなしてからの話。


言葉がまだうまく使えなくて悔しい。絶望してるからだ悔しい。
心の何処かで見限るかぎり、ひとに言葉が届くはずない。

届く言葉を、書こう。
届かない言葉も、書こう。
多分書くしか出来ないから。笑っても絶望しても。でも書けるから、それはよかった。
こんなにもひとの傍にいる自分が煩わしいと思うことがあるだろうか。綴りたくとも、その自分が厚かましいと感じることがあったろうか。私の描くドリームは何て遠くにあるんだろう。だけど人を自由にしたいなら、わたしがそれを見つけるしかない。至難の技の。
それでも信じるもののために、ひたすら希望に向かって突き進むための歌を作れたらそれでいいか。


雨が止んでも。

08.8.19

さむい。
どーもどーも。実は今おばーちゃんちにいます。

思いの外の長期滞在？いや、そんなことはないけど、体力がもてば、もう帰って来てから連載一つは終わらせるような勢いで頑張りたい。

なんかちょいとナーバスになったりもしつつ・・・人生色々あるよなぁと思った。自分はまだまだ未熟だなぁと改めて思った。オフでの話だけどオフでもオンでも自分は大して変わらないと思う。悩んでることは結構いっつもおんなじなの。どっちで答えを見つけても、道は開けるだろう。
悲しいと、言っていい。憤っていい。喜んでいい。でもそれは活路を開く手段で有り得なければ多分なにもかもの無意味だろうと思う。あぁ、言ってて空しいな、からっぽ（笑）。やだね、虚しい気分になるって、寂しいことですね。例えば誰かに、こういう思いはしてほしくないと思うくらいには。でも、何事も無い状態からはじまってもいいと思うし・・・土踏まずが腫れているのと矯正器具の痛みが相殺して今は穏やかなようなそうでもないような。

漫画一冊くらい持ってきても良かった？前向きに生きることがどれだけ意味深いかと、事象をシリアスに突き詰めることの可能性と何色かの光を見た気がした。なら突き詰めてきっと良かった。そして同時に私がしばしば気にして振り返ることは、たいして気にしなくても多分良い。ネガティブにならざるを得ないことに理由があるなら、ポジティブもそーかなー、と思ったりしました。おやすみ。

08.8.20

海。
曲がったー（笑）。

というわけでおはようございます。あ、足の裏の痛みが激化して歯の痛みが和らいでます。朝は結局お絵かきしましたが、せっかく海の傍なんだからヨーラブソング書かなくっちゃね、とか思いながらオールもなぁ・・・わたし日常よりイタリアの方があっさり書ける気がする、物語めいてるというか。学校というのはリアル過ぎちゃって、逆に悶々して結局大してかけない、とかそんなん・・・言い訳だー（泣）。つか足の裏いてーなまじで。噛むたび痛い踏むたび痛いはいじめだろ。

エンジョイしたいです。多分バカンスになるから。

・・・布団を変えた日は鼻炎ぽくなってかなわない。書けなかったのはそれもあるけど、気合いと根性で今日は書きたい。それにしてもよく眠れたこと。

08.8.21

エキドナ
香水の匂いを選んだ。

香水ってつけたことないけど、日本のようにたくさんお風呂に入らない地域では、体臭を紛らわすためにつけた、といいますね。また、イタリアの都市デザインの本では、『欧米ではキスやボディタッチ等のスキンシップが多いため、体臭や口臭の配慮に関してはデリケートである』という内容が書かれていました。なるほどなぁ。また、自分の好みの『匂い』というのが一つの『自己主張』にもなっているんですって。自分を表現することの一環、ってことでしょうか。日本は逆に必要以上に匂いを放つことを気にするところ、ありませんか？わたしの学年のある男の子に対して、以前友達が『あいつ絶対そのまま首にしゅってかけてるよね、普通手とかで薄く伸ばしてからつけるのにさぁ、くさいったら』と言っていて、なにも知らない私はそーなのかーって思いましたが、欧米いったら彼はなにも言われないと思います。ただ、私は自分が香水付けるなら、やっぱり控え目にしちゃうかなぁ・・・きにしちゃいますね、匂いを周りに撒き散らさないかとか。撒き散らしても全然いいとおもうんだけど、いざっていうときは気にしちゃいそうな気がする。

でも、香水を選ぶってなんか嬉しいなと思った。


なんか手芸したくなってブックカバーのキットを買った。秋になったら編物始めたい。手縫いやミシンの練習もしたいなぁ・・・料理も習いたい。もちろんカバーをかけるための本も買わないとねと本屋にも行った。
小三のころのわたしは漫画も小説も読まず、ひたすらマイバースディの心理テストの本ばっかり読んでいた。ホントそればっかり。それを買い漁った（笑）思い出の本屋は、久しぶりに見るとなんか新鮮、でした。
今一番読みたいのは、『遠野物語』。わたし、昔話や童話、伝説民話の類が大好きです。遠野物語みつからなかったけど日本の昔話の本があったから買った。ブックカバー出来たら読んでみよう。


ヨーラブソングのディーノの婚約者で迷ってます。どーしよディーノ。そろそろ眠気でかっくんかっくんしてます（笑）。

お友達から電話が来た。嬉しくてしょうがなかった。友達いねー奴の発言くさい。

カレーにおばあちゃんがステーキ肉入れてくれた！ありがと。

鼻は痒いが空気はうまい。写生とかもしたい。



以上昨日の日記、でした。

08.8.21

ブックカバーが
完成した！

おばあちゃんに綺麗な縫い方を教わった。『なんか気の毒だからねぇ』と言われつつ部分的に縫ってもらった（いくじなしだ）。キャプテン翼面白かった。

ガラス細工をやった。むずかったわ・・・私所謂不器用なので（笑）。テーマは自分で決めるやつでした。綺麗な青の石があったから、地層と宇宙をイメージして作った。ありきたりだな（笑）・・・でも並べてみたら綺麗な色合いだからそうしてみた。

一日はあっという間だねぇ。自然いっぱいなところはいいなぁ。淋しいけど。トトロがどこにでもいそうなかんじ。

めいを探して、トトロにさつきが『どうすればいいかわからないの』って言うシーンがとても印象に残っていて、メイクマイデイの主人公にはちょっとだけインスピレーションを受けた。ニュアンスは全然違うけど、『完全無欠』な感じは少し似てるかな。雲雀さんとトトロ（ほほ笑み）。

雲雀さんって自然を大事にする感じ、しますよね。彼の一種の神秘性と超越性はそっから来てるかもなんて思ったりするときはあります。あのサディスティックな笑顔にどーしようもなくほっとするのは私がマゾだからという理由だけじゃないと思う。いつも思うんですが、独特の『優しさ』を感じます。でもそれはなんだか恋愛とかけはなれている感じがするから難しい・・・最近少し継ぎ目を見つけた気がするけど。

雲雀さんの笑顔が恋しい。いや、キモくてすいませんリアルに恋しい。いや、斜め後ろから顔が見えなくともいいけども。

夏休み、トトロ的風景で雲雀に大遭遇する話とかいつか拍手にいれようかな（笑）。

08.8.21

ミーハー失礼。
ソフトボールに痺れてる。

08.8.22

寒い。
おばあちゃんの、『久しぶりに着ようと思ったが、いざ出して来たら今はちょっと着れないかしらという四十年くらい前に買ったというワンピース』を貰った。

今着てる。確かにちょっと古い感じはするかなー、あと『ばばくさくない』？と祖母には言われたけど・・・けっこう、気に入ってます。カスタマイズもしやすそう。

イタリアでみたあるデザイナーさんのデザインにちょっと似てたから。

08.8.23

足の裏が治りません、遅くなりましたがソフトボールおめでと う。泣けました。
いきなりですが、レベッカ、いつの間にか苗字変わりました。

あれですね、つまり。古着屋やめたってことですね。花輪売り（女）になりました。実は前から候補の一つだったんですが、今のやつだとうまいこと行き過ぎな感じがしてやめたといういきさつがあります。なんでかわからんのですが、私は型にはまるのがあんまり好きじゃないので、でもあまのじゃくにもなりたくないので、なかなか面倒臭いです。ただ、型にはまってはないにしてもなんだかしっくりこない。自分で苗字を選べるなら骨董屋がよかったんだけどやっぱり自分で勝手に苗字作るとなんともいえない。ついに移転するとき、『まいっか、別に型にはまっても』（笑）と思って、変えました。何がなんでも不動にしなくてはならないものとそうでもないものがありますね何事も。ほんとは英語名にしようかなとも思うんですが・・・レベッカの綴り的には。もう一回変えるかも・・・？
今の苗字は型にはまってるつか、偉人さんから借りてるので気に入ってます。花輪売り。ファンシーな感じがして。わたしと来た日には見た目と文体の割にはスゲー少女趣味なので。その不均衡が時々自分で気持ち悪いです（笑）。

メルフォのお返事、ブログの上でしてもいいななんてちょっと思っています。

ワンファインワイヤーは実はたったの二話分しか終わってない。スランプ再熱か・・・ただ、一番気が乗らないくだりだったんで、そこを越えちゃえばね・・・ヨーラブソングのディーノの婚約者がやっぱにえきらんわー、お嬢お嬢した硬質な・・・マフィアの裏ボスみたいな女というのがが2006年夏当初わたしが描いたイメージだったんですが、いや・・・お嬢のコンセプト自体はいいんだが、なんかどっかがしっくり来ない（笑）。もっとダークな話ならいいかもしれないけどヨーラブソングの雰囲気にそのキャラはあわないというか。よくも悪くも白が強い話だから・・・あれかな・・・甘やかされたわがままお嬢さんとかのほうがいいかなライバル。おしゃまな感じの。かわいらしい感じの。足して二で割った感じにすっかねー（笑）。イタリア人だったら黒髪もありだな・・・でも赤毛にしようか・・・。むずいのが言葉遣いですよ。性格を出せる重要なポイントなのですが、そしてわたしの書くライバルどんはいつもなんか没個性だし。リボーンを逸脱するのが怖いんですよ、いやホントに。期待に添えなかったらすみません。

おばあちゃんは時代劇とか好きらしいです。あんまり世に訴えるような話は好きじゃなくて、何も考えずに見れるのが好きなんだって。うん、それは同感だな。キャプテン翼を見ながら思った。ジャンプはけっこうそういうところがある。本当の意味で何も考えなくても楽しめる作品はすごい好きです。非現実的とかメルヘンとかメロドラマとか、私は大好き。ありえねーってぐらい誇張されてるのはくだらねぇなぁと表面の理性は言ってても目はくぎづけですよね。
でも、ただ人の心を楽しませてくれるだけのものってこれ、実はすごい難しいと思う。実際何も考えずに書いたのに、複雑な問題提起の入口に直行しちゃったりすること多いんじゃないだろうか。あと中途半端にシリアスにしようとして、下手に社会問題とか使うとこれまたなんだかまずい感じになったりとか・・・・・・純粋に娯楽としてのみ楽しめるものって、無知では書けないだろうなぁと思うときがあります。あと悩まないってある意味大事なことだと思う。知識を渇望すると、悲しいとか怖いは減るけど虚しいは多分確実に増えると思う。

夜の闇の恐怖や神秘によって生まれたセカイがさ、実はこうでしたーって解決されたら、むなしいのと、同じかな。ある種の無知は、はっきり自分の欲求を言わない文化の『深さ』の秘訣かも知れないね。知らないことが多いことでうまれる文化も、奥が深いよねぇと、おばあちゃんと話して思った。コンピューターも何もない時代は、情報源が少ないから、見よう見真似自分で考えるしかない。だからめちゃくちゃと言ってはなんだが、自分で想像をつけた非科学的なことを言ってたりとか結構してて、『おばーちゃん、それは・・・』とかゆっちゃうけど、でもおばあちゃんの考えでだって生きていけるからねぇ。私はしかし、生まれたときから今風に合わせて教育されて来たからなぁ、と思う。根拠のないことで何かを決め付ければ、まず母が徹底的に注意した。それは多分私が周囲から仲間はずれにされないようにして欲しい親心なんだろうと思う。今も言ってる。だから話すると『そんな変わったことを言うと周りから嫌がられる』ってそればっかですよ。父も『変わってるねと言われたら嫌われる合図だ気をつけろ』と言うし。だから未だに変わってるとか珍しいとか特殊とか、自分で口
にはするが人から言われると尋常じゃなく焦る。体が勝手に。姉は『わたしが他の誰とも違うなんて誇らしいじゃない。こっちのレベルにあわせられるような人がほいほいいても困る』という考えの持ち主なのでいい性格だなと思いますけど。でも姉は自信に見合うだけの努力家だからいいんじゃないかな。わたしは周りに流されて流されて生きて来た人間で、誰でもそうかもしれないけど、それを大切に噛み締める故意の部分とそれではいけないと強い衝動で自分を追い立てる反発の部分が自分の中で同居してるからめんどい。どっちも『義務』のように背負うものだから。でも意図的に流されようと望むことと精一杯流れに逆らわねばならないことは、同居しうるだろうか？・・・しないと困るんだけど。だって地球は一つしかないから。みんな同居できなきゃ困ると思います。

話を戻します。ちょっと違うけど、ある意味愚にだって創造性があるだろうとは、思う。わたしのセンスじゃないが、だからこそ目を見張る。仮に個人的な強い嫌悪にあたいしたって、やっぱり見事な部分は素直に認めたほうが迷わなくて済むし後味もいいんじゃないかな。逆に好きも嫌いも個性だからそこまで深く考えずに思考の上ではっきりさせないと先に進めないときはあるんでないのかね。全部認めようとすると腑に落ちないし、全部否定しなきゃいけなくなったら悲しいでしょう。勿論、あたしはどっちも御免だわ。


ともあれそれでも時々、友達の中にいて、自分の知識欲を『野蛮』にすら感じてしまうことがある。発言したがる行為自体が野蛮というか。生理的な嫌悪感を自分に覚えるけど、その嫌悪感はおかしい、と自分に言い聞かす自分もいる。でも、言うことに罪悪感を抱くことだってある。それはある。何度でも。ここに来て、こんつめなくてもいいって素直に自分に言えるようになったけど。
相手にはっきり拒絶の権利を与えられるならそっちのがいいんじゃないかと思うときもある。

それでも言葉を口にすれば発するその自己嫌悪が周囲との価値観の違いによるひけめなら、むしろ相手に、わたしを素通りしやすくなるよう必死ではたらきかけるより余程、今すぐそんな惨めな思いをする必要のない場所に行きたいと願っていた。否必ず行く。絶対に逃げ出す。でも、置き土産はないようにしたい。やり残したことはないようにしたい。私には、貰ったものがたくさんあるから、それは返してから行きたいなぁって思う。最近よく歩くから夜はぐっすりだ。と思ったら３時に起きた。

おばあちゃんは戦争経験者です。私も少しだけ体験談を聞いたことがある。

なんだろ、火曜ナーバスになってた、っていう話をしたかもなんですが、おばあちゃんは何があっても全然きにしないんですよね。私はなんでも楽観的に考えるのよ、と言っていた。

その言葉の重みが胸に染み入った。おばあちゃんとの世界観の違いというか、層の違いっつか、ぎょっとする。お、『思い知る』？まぁまず年季が違うからね・・・。
影は、心に落ちるかもしれない。何かあったら。だけどね、今日生きていられて笑っていられるのは尊いことだなって思った。私一人じゃ絶対に気付けないことだ。絶対に。自分はちっぽけだなぁと思うし、心が少し軽くなった。苦しみに苛まれている人が、強く自分を持っていることで人に優しく出来ることは、きっと疑いのないことだろう。明日も知れない命は、メルヘンより奇妙だ。シリアスで、切実で、迫力があって光も闇も帯びていてなんでもありだ。わたしはいつも、他人や自分の人生の前に自分の作る物語の無力を痛感する。多分わたしっていうひとがそれこそ愚かしいまでに浅薄だからだと思う。
いつか一緒に話をした先生が、『小説はつまらない』と言っていたけど、それは物語以上に壮絶な現実を知っている人の言葉だったんじゃないかなー、と思うことがある。
ともあれ物語って、人によって求めるものが違うんだなぁ、とあらためて思った。まだぐにゃぐにゃしてるけど、私の物語観も突き詰めたら意外と面白いかも。バッテリー？レシピかな。うん、日記はわたしの創作におけるレシピ。わたしにも、浅薄なりに渇望するものがある。


わたし、教えるより教わる方が好きだったんだなーと改めて気付いた。能動的な学び手でありたい。です。

何処にいっても淋しかろうと思うのは、ちょっと疲れた。すぐ怯える根性も。へとへと（笑）。キャプテン翼を見たとき、ひらめいた。ああ、これか、と思った。謎の答えが少し見えたような。でも見えただけですがー（笑）。

もうすぐ帰ります。


おじいちゃんがさっきロシアの写真をくれた。お父さんも多少ロシアとの行き来が過去にちょっとあったひとなので、聞くにつけ一回は行ってみたいんですが・・・おじいちゃんときたら奔放な人で、時々わたしはこの人に一番似たかもしれないと思ったりする。適当気ままな割にどこか淋しがり屋なんですよ。

08.8.23

脈絡NASAすぎ。
ディーノんちで養われつつ、アニメの織姫の声の人と同級生で、今いる家の近くにある、山のなかの中学校に通いスクールライフを満喫する夢を見た。何の暗示だろう・・・。

織姫さんの名前を名簿で見ながら友達に、『織姫ってアニメだと思ったより可愛いらしすぎる声じゃない？』と言っていたら、『そう、わたしも（どう演じようか）迷ったー』と後ろから彼女に言われてまじびひった（笑）。それが彼女との出会いになった。

実際の顔は見たことないけど私の叔父さんの奥さんに心なしか顔のパーツが似てた。いや、普通に変な夢でした。松岡さんすみません。ファンです。わたし。もっと好きになりました（笑）。

しかもディーノは金を払ってくれてるだけで一緒に住んでるわけじゃないからドリームじゃないし。なんだっけ、ディーノが新しく買った日本の観光地のある家に住まわせてもらってる的な・・・彼って概してそういう役まわりですよね。手頃つか面白いつか。関係ないけど嫌われ逆ハーレムで唯一味方だったりする。なんか最近嫌われ挑戦してみたい。

08.8.23

幻の花。
カラスウリの花だって！こんなんなんだなぁ・・・！きれいだなぁ、って思います。夜しか咲かないのよ、どうしても見せてやりたいっておばあちゃんが言ってくれたの。



昔のわたしは、といっても少し前までの私は、ちょっとなんかあるとすぐ日記に書いてた。鬱になっても、悩みがあっても。
嬉しいこととか感動したことも。人に言わない内緒話も。

でも、どこにいたって人目は気にしなきゃいけないんだなぁ、と最近は思う。それは正直言っちゃうと寂しい。少なくともわたしは残念だとは思う。

家族のこととかねぇ・・・ささいなことなんだけどそれこそ逆に家族にも言えないことって意外と多いし、友達に言うとお涙頂戴みたいになっちゃったりとか・・・別にそういうことをしたいんじゃない。確かに、言わないと決めれば言わないのなんて造作もないというか、気楽だなぁとこの五日くらい思った。
だけどまぁ、どっちにしてもたいしたことがない日々なら、わたしは自分の形とか流れをつくるのもいいなぁ、うん、それはやっぱ思うな。もちろん精神的な境地での挑戦もたくさんあったけども、ただ正直に、淡々と、わたしの日々の気持ちとして綴れるなら、それでよかったんだけど・・・、伝えるつもりでは書いてたけど、ぶっちゃけスルーしてもらえてるくらいがちょうど良かったのかもなぁ。それでもたまにいただける言葉が、深くて丁寧で、わたしにとってはもったいないくらいの力強さで、物凄く尊かった。過去を振り返るなんてださいなぁと思うし心はぎざぎざした日もあったけど、わたしにとっては大事な場所だったの。
取り戻すというのは不毛だと思うけど、いつもマイペースでいられたらいいなぁ。

・・・っつかめんどくさいねぇ、やっぱ気にするときりがないかなぁ！

今日オルゴールを買ったよ。オルゴール、心。そーいやバジル連載終わってないなぁ。彼はむずいけど最近ちょっと魅力に気付き始めました。ホントに。

やっぱ勉強したいな。うん、結局そこに帰結するなぁ。そう、思います。

08.8.24

蒼い。
最近びっくりするくらい人とメールのやりとりをしていない（笑）。

まるで乗り移ったように周囲の人間の影響を受けてしまうから、何だか力がわいてこない。

読み返せば昔の自分は形になるから、だから書くのもちょっと好きなんだ。些細なイラストとかもそう。

08.8.24

だから雷が怖いよ。
バサラよくない、バサラ。片倉さんよくない。べ、べちゅに森川さんだからって理由だけじゃないよ。バサラはじめたいです。

バイオリズムって何かあんのかなぁ・・・・・・わたし本当に変化に弱い生き物だなぁと最近思います。すぐ気が滅入る。


昔は、頑張るってことを知っていた気がする。今はそれがない。
部活やって委員会やって、頑張って、今何も無かったら・・・くどいけど勉強だよなぁ、と思います。頑張ること。・・・サイトを休止にすることに意味ってあるのかなぁ（笑）とか思ったりもするけど。

すいません、結局いつかかむいか留守にしてオーエフダブリューちょこっとしかあげられませんでした。間もなくアップされます。

小十郎さんの連載はじめたいけど、実は八月末までに、急遽幸村の続編さんはアップしちゃいたいなーなんて。

おう、映画つかＤＶＤ借りてきたぜ。馬鹿の一つ覚えみたくイタリア探しましたぜ。ラブストーリーをいやにもとめてるけど、逆にドリームは二年前とかよく書いていたような意味無くシリアスな淡白な雰囲気に走るのもいいなぁ、なんて思っています。





休止、つか一ヶ月一回更新（ワンファインワイヤー以外）にするつもりです。三月一日まで。九月一日から、にしようと思ったんですが、折角だからそーっすね・・・九月十五日から、に致したく思います。今度こそ頑張りますのでシクヨロ。・・・立海書きたい。

何かの傷痕みたいなもんを、常に胸に感じる。そうですね・・・オフでもちょっとあって、やっぱり気が滅入ってますね。弱いなぁ、と思います。あれになるとお腹がやばくなるし、矯正歯科いくたび歯が痛くなるしだがそこは気合いと根性でなんとかしやがれ、って感じ。

結局気持ちは私次第だから、私がどうにか気を持ち直すしかないだろうか。
胸には、でも何かしら抱き続けることを、恐れたくないなぁと思います。私がおった代償だと思って。そのくらいは当然のごとく背負わないと。開き直って笑ったりはしないよ。奮起もしない。ポジティブに立ち上がることすらしないかも（笑）。嫌なんだよね。開き直ってからっと明るくなることで、何か細々したものがぱりんぱりんと音を立てる感覚が。感傷もモヤモヤも辛辣もドロドロも持っておいて、共存して、でも無責任にならないように強く立ちたい。・・・この望みの所為で随分ややこしいことになったけど。自分でも。その上で、大切な明るさってものを守りたいよ。
うーん、だってね、頑張って奮起したくて開き直っても、やっぱり心に何か残ってるときはどうしても笑えないよ。
何かしら傷にはなってるよ。でも、それを膿ませる前に、せめて何度傷を抉り直してでも、その傷をふさがないと。もしくは常に世話し続けないと。傷を残し続けるしか道がないなら、ずっと傷と一緒に歩まないと。隠して隠して闇の中で膿ませるんじゃなくて、光に晒して個性の一つになれるまで、傷の在処を考えなくちゃ。それしないと、何がって、自分が納得できないと、状況がどうってより、人って生きて行けるだろうか。いつも思う。だってさ、何もかも投げ出して楽になれんならいいんだけど、残念ながらなれないんだもん。誰かを拒絶して楽になれるならいいけど、なれないんだもん。陶酔しようとしたって酔えないもん。自分を責めても楽になれない、何もかも信念かなぐり捨てて謝り倒しても楽になれない、そもそも楽になろうって魂胆が間違ってる、だったら、やっぱり納得する道を探すしかないような気がする。後味が悪いのに、それでも納得して道を選んでいるなら、これからも投げ出さずに進み続けるしかないような気がする。

そうだなぁ、でも、どこかでは、小学生の少女のように、「好かれたい」という欲望があっただろうなぁ（笑）。いや、人気者とかアイドルって意味じゃなくて、友達からはぐれたくない、的な欲求。独りは怖いよ。本当に、怖い。

今後悔するとしたら、取り繕えなかった自分だろうと思う。どうしてこうなっちゃうんだろう。友達とも、家族とも。どこでも。人から愛されるためにいきるべきだと、少なくとも大学生になるまでは、その価値観を大切にしてき。その自分の信念を誇りに思ってきた。それを捨てただけで、こんなにも苦しくなるもんだ。でも戻せば満足いくだろうか？そうでもないような気がする。今は納得いく答えを出すところまで進むしかないかなと、思う。こんな私でも支えてくれる人がいるから。

おばあちゃんちにいったときにね、来てくれて嬉しいっていってもらえたのが、すごくびっくりだったのさ。病気だったのは聞いていたけど、「レベッカちゃんが来たら若返ったね」と叔父さんが言っていたのを見て、ああ、私でも、何かできることはあるのかなぁと思って。ご飯をよそうだけで喜んでもらえるから。私も、出来るなら、そういうふうになりたいなぁ、と思った。身近な人がいてくれることを喜べるようになりたいと。


何度でも、やり直すしかないとは、思う。それは思う。どうはねつけられても覚悟して、頑張るしかないだろう。なんで後悔してないのに後味悪いとかいうことがありうるんだろうね。めんどくさい。

ただそういう自分を弱いなぁと思うときは、何度でもあるよ。私は常に自分が納得するように行動してきてしまったから、何だ、その行為自体が「自分勝手」に感じる人だっているんじゃないかなとは思う。いるだろうなと分かって、心の中で平謝りしつつ今の方法を選んだから、無責任に開き直れない。でも、かといっていつまでも止まっているわけにはいかない。だからもしも、誰かが私と同じように、精一杯悩んだ末にぐだぐだ自分につっかかって来るんだとしたら、私は、それはハートで黙認してもいいかな、とか最近は思う。私は、拒絶されるにしろ、馬鹿にされるにしろ、怒られるにしろ、たくさんのひとに助けてもらった。から、わたしもいただいた分のことはやりたいと思う。
もちろん、優しい言葉も嬉しい言葉ももらってるから、それを最初にね。

でも、せめて覚悟を持ってやったことには、どれだけ気が滅入ろうが悲しくなろうが苛立とうが、逃げないではいたい。感情からすら逃げたら本当に何が残るんだろう。

08.8.24

さっき日テレの
谷亮子選手に対してのお母さん方のインタビューで、とある人が連れているお子さんが髪で作ったツナの髪の帽子を被っていた・・・！！！！！

08.8.24


今後のサイトについて。
わたしは母に、「サイト更新しかわたしには心から満たされること、楽しいことがないの」と宣言しているくらいサイト更新が好きです（笑）。それを理由に、あらゆる遊びをせず引きこもることを許してもらっているところがあります。「本当にやりたいこと」というのが、それなんですね。だからやたら何事もここでのこと必死こいちゃうんですね。うん、好きなんです。兎に角、サイト更新が好き。この際暇だなーと思われても良い気がします。最近いまいち勢いないですけど、サイト更新好きなんですよ。いつもそればっかり考えてると思っていただいていいです。私の人生におけるウェイトが高い、んですね、ようするに。だから、発言の重みが私の中ではかなり現実味を帯びてるところはあります。そのへんで多少は温度差とかも出ているのかな・・・来て下さる方が火傷してしまうことがないよう、気をつけます。

いやどー考えても自己満足なんですけど、やっぱり更新とかドリームが「生き甲斐」だし、夢小説巡りが趣味だし。

ぶっちゃけ、だから休止、とかホント出来るか不安です（笑）。絶対焦る、とは思う。もしクリスマス帰ってきたら往生際の悪い奴と思って笑って流して下さい（笑）。どっちにせよオール連載は結構かかるかなぁ・・・。あと、月一更新はするつもりなので、休止といっても完全休止ではありません。よっぽど余裕のある日は更新するかも。でも、連載をしゃかりきになって更新することは基本的にないという感じでしょうか。
ただ、わたしは割と毎日更新したい（もしくはしていた）人なので、それに比べたらそうとうネット率が下がるとか、まぁそれくらいだと思います。否、ちょっと無理が出始めたので。さすがに私生活を圧迫するのはまずいかなぁと思って、自粛の方向に踏み切りました。


続きで漠然と予定表を書いてみました。公言、ではなくて、自分で目安にしたいなぁ、と思って書きました。変更もあり得ますが、だいたいこんな感じで行きます。
オールはじっくりでも何でも終わらせるまで続けますし、何が何でも３月１日再開するのは決めているので、無理はしすぎず１５日までに、最低限のことをすませられれば、と思ってます。１５日までは、やれる限り更新を頑張りたいと思います。何とぞよろしくお願いいたします。・・・いや、１５日以降も更新しますけども。オール連載は。
８月２９日までに・・・・・・幸村続編をアップしてみたい。
８月３０日、３１日：文章修正デー。
９月１５日～３月１日まで。半休止期間（オール連載以外月一更新）
※サーティーミニッツナイトフライトも、９月１５日結果発表になります。

08.8.25

カワイイ、カワイイ
名前の未変換箇所と文章の誤字脱字は８月３０と３１日チェックするつもりです。
えっと、一応自分で全部読んでチェックするつもりですが、レベッカも人間（しかもずぼら）ですので見落とす可能性がゼロとは言い切れません（休止に入ってからもチェックっていう形はやってけると良いと思いますけれども）。

とても大切なことなんですが、ある程度時間はいただく作業で、未変換等、私が変換作業したあとに修正したりときどき手作業で変換したりするために生じるミスなんですが、もしお気づきの際余裕がおありでしたら具体的な場所をさりげなーく教えていただけると助かります。そこは真っ先に修正に入れるので・・・否、人に頼らないで自分でもちゃんと確認するつもりなんですよ（汗）。

08.8.26

薄くて可愛いストールを買いました。
唐突にGO!GO!７１８８にはまった。とても声が好みです。
そう、おすすめってことで暁鐘に描いた『天眷御伽草子』読み返したら、え、やばい、何度でも泣けます（笑）。あ、わたしあと、めちゃくちゃ影響受けてるなぁ、と思った。ちょっとやばいんじゃない。もしかしたら、傍から見たら痛々しいと言われてしまうまでに、わたしは追随をしているような気がします。畜生、これがリスペクトってもんだぜ。大好き。冬季先生が大好き。
 
続き、とある本について。
いきなりですが、アインシュタインって、とにかく言うことが凄いですよね。
やっぱり、人の残す言葉は凄いと思う。偉人になりたいと願うのではなく、凄い言葉を残すのでもなく、せめて私の人生に恥じぬ言葉を紡げるひとになりたい。

イタリア文学はまったー、って言ってるレベッカです。そのうちの一冊をご紹介します。
イニャツィオ・シローネ著　斎藤ゆかり訳（１９５５、２０００白水社）　『葡萄酒とパン』です。

ファシスト政権下のイタリアの田舎が舞台で、社会批判色の強いお話です。スイスに亡命しているときに手がけた『パンと葡萄酒』という作品もあって、それと登場人物等はほぼ変わらないけれど、この作品はイタリアに戻ってから手がけ直した作品で、シローネが、「同じタイトルをつけると旧作と混同される恐れがあるし、かといってまったく新しいタイトルをつけたら登場人物や大筋がほとんど変わらないからインチキになってしまう」と考えて、『葡萄酒とパン』となったそうだ。

個人的には、訳者の方の後書き等を読んで、『パンと葡萄酒』の方が読んでみたいなぁという印象を受けた。『葡萄酒とパン』はとかく淡々としているのがわたしの好みだったのだけど、『パンと葡萄酒』はより物語ちっくというかメロドラマというか、かなり熱い感じらしい。情状酌量の余地のないような悪党とかつまるところそういう奴が出てくるような。ある種面白いお話かもしれない。『葡萄酒とパン』は登場人物の誰もが人間味を帯びているために、一体この舞台において「悪」が何なのか、という観点から読むことは多分出来ないと思う。『葡萄酒とパン』は主題一直線で、やはりというか落ち着いて読める感じ。だけれども、『パンと葡萄酒』は偶発的なエピソードや政治の議論等がはいっていた、というにつけ、もしかしたら粗野な部分の目立つ作品かもしれないけど、可能だったら読んでみたい。・・・翻訳本、がどこかにあるかな。それとも、原本だったら手にはいるかな。・・・・・・言語をみにつけないとね（笑）。本を外国語で読むのって何というか、驚異的なことだと思います。


作中にこんなくだりがあります。



「・・・・・・宿屋と木の橋に挟まれた空き地では、少年たちが行進や予備訓練を繰り返していた。ところが、ある日、あまり頻繁に変わるので皆が文句を言っていた「敵」の定義をめぐり、その子たちのあいだで、口喧嘩が起きたのである。そして三人の少年が一同を代表してパオロ神父の部屋を訪れ、神父に質問した。
「今度の敵は誰なんですか？」
「敵？何の話だい？」神父はびっくりして問い返した。
「先祖代々の敵です」少年の一人が言った。
神父は、本当なのか、ふりを装っているだけなのか、キツネにつままれたような顔をした。
「演習では、二つのグループに分かれるんです」先ほどの子が説明した。「片方はイタリア軍でね、もう片方は先祖代々の敵なんです。学校の先生はずっと、その敵はフランスとユーゴスラヴィアだって言っていたんですが、そのうちそれがドイツになって、そのあと日本に変わったんです。ところが、今朝、また先生が『皆さん、先祖代々の敵は、今度はイギリスになりました』って言ったんです。だけど教科書には《イギリスとイタリアの何世紀にもわたる親交》っていう章がちゃんとあるんですよ。もう何がなんだかわかんなくなっちゃって。いったいどっちがまちがっているんですか？先生ですか、教科書ですか？」
「教科書だね」パオロ神父は答えた。「教科書は去年印刷されたものだからね、書いてあることが古くなっちゃったんだよ」
「なるほどね。じゃ、先祖代々の敵、イギリスをやっつけることにしよう！」少年たちは言った。
「だけどね、イギリス人っていうのは陸じゃなくて水の上で戦うんだよ」神父はその子たちに忠告してやった。かくして、少年たちは小川で戦いを繰り広げることになった。パオロ神父はその模様を窓から観覧した。新しい先祖代々の敵は瞬く間に撃退された。が、イタリア軍にとってもずぶ濡れの凱旋だった。・・・・・・」



皮肉とユーモアをきかせつつ、決して「やりすぎない」と言えばいいのだろうか。こういうふうに小説を書くひとになりたいといつも思う部分です。わたしはまだまだ若いから難しいといえばそうだけれど。面白い、ものが書きたい。こけおどしではなくて、骨に響くような。

昨日、とある理由で世界地図を眺め、EUに加盟している国のリストを眺めながら、思ったこと。
わたしは何かを覚えるのが一概に嫌いではないけど、それは一体意味のあることだろうか。ふと、思った。いろんなことを覚えるが、今のことを知っているだろうか。知ることに、何の意味があるだろうか。意味があろうがなかろうが私は知りたがるけど。いつか何かの役に立つだろうか。錆びるだけの知識が欲しいわけではない。出来れば常にフルに使っていたいのだけど。
何事も、永遠は有り得ないのは当然だと思っていたけど、何故当然なのか、私はそれも知らない。ずっと続くものってあるだろうか。ある日何事もなかったようになくなってしまうことがある次元での知識が、無駄とは思わない。ただ、何の役に立つんだろう。どう役立てればいいだろう。
住み分け、っていえばいいんだろうか。よく分からないが、住み分けはかなり重要視されている気がする。苦しいのは、その境目での話だ。敷地と敷地の境目が一番苦しい。何処に身を委ねればいいか分からないとき。

人間は、皆違うし、どうしようもなく違う、それを互いに認め合うべきだけど、どれだけかかっても、必ず、その中に誰もにあてはまる人類普遍が見つかるはずだと、意気込んで高校の先生に言ったことがある。
つか、今年の六月だよ。あのときはそうっとうキテたな（笑）。いや、苦しかったんだよ。言ってる本人が、人類普遍の遠い光の点すら見つけられないで、どうにか自分自身に何らかの風穴をぶちあけるために言葉を吐いて、吐いて、吐いて自分の言葉に絡み取られて身動きがとれなかったから。でも、もしかしたら今の方がずっと苦しいかもしれない。
人類普遍は一つかもしれないけれど、物語は一つじゃない。あるひとの、まったく他愛のない朝の風景にも、たとえば、人類普遍を見つけるかも。
文学論を一緒にした、男友達と、話すのをやめようと、思った。
彼は聞いてくれないだろうと正直思った。それは彼が悪いわけではなく、確かに、彼に私の話を聞く義務はないから。ただ、押しつけたいわけでも受け入れて欲しいわけでもないのに、それでも言わねばならぬと確かに理性で判断することがある。
ある人たちに元気付けられ、結局約束を取り付けて、彼は、聞いてくれました。ごめんよみくびって（笑）。でも、聞いてもらえてよかった。本当に、よかった。
彼のことは、それこそわたしはオンオフ問わず容赦なく言ってやるかもしれませんが、それくらい信頼してる、っていうのはあります。
もしかしたらネットよりもわたしはオフの方がよっぽどどぎつい人間かもしれない。まぁ、さすがにネット上だったら発言には気をつかってますよ。オフのわたしはよっぽど容赦ない。だってこの身はどうしようもないもの。換えもない。その魂を、受け取ってくれるからこそ、文学論も出来るというものでしょうよ。彼は・・・しかし、いざ電話で喋ったら結局簡単に引き下がるので、なんだかこっちも調子が狂いますが。・・・あれですかねぇ、反発して喧嘩になったらそれこそ目も当てられないからですかね。冗談じゃないよね（笑）、私のことはどう思ってもいいけど、お前の文学はそんなに要領よくどうにかなっちゃうもんなのかい、と・・・否、私の大切な友人が、そんな適当な人なわけがない、と信じてみますけど。だからこそ、私の言葉を「認めて」くれたんだと、あつかましくも、喜びたいと。そう、思った。七月。


著者シローネが、読者にむけた言葉があります。


「・・・・・・年を重ねるにしたがって、私はあらゆるかたちのプロパガンダに対しても、ますます嫌悪感を覚えるようになった。芸術家の《アンガージュマン》をめぐって散々並べられた御託のうち、いったい何が残ったと言えるだろう？真に考慮に値する唯一の《アンガージュマン》は、芸術家が個人的な使命から生み出すものである。そもそも説得力を持たせるために芸術の尊厳を犠牲にするのが、説得力そのものを犠牲にしないかぎりは不可能なことは、万人が知るところだ。一方文体については、簡潔な語り口を心がけることが最高の知恵だと私には思われる。
はやったかと思う間もなく廃りつつある昨今の文学的な流行に、わたしが少しも適応しようとしなかったのは、片意地からではない。一人の作家がどのくらい現代的か、その人の用いる技巧的な意匠をもとに判断するのは愚かしいと考えるからだ。形式的な策略で文学を刷新できるものだと思いこむのは、昔から雄弁家たちが抱いてきた幻想である。大勢の悪趣味な三文文士ばかりでなく才能ある作家までが夢中になっている性的描写の流行については、なおのことだ。私に言わせれば、自由の名においてエロティシズムの文学的商品化を正当化することほど、でたらめな話はない。それが検閲やその他の官僚的な処置によって駆逐できるものだとは思わないものの、人生に対する切実で深い感情が抱かせる嫌悪感ゆえにそう信じるのである。」



おんなじ本を何度も書き直して一生を送れたらどれだけ幸せだろうと、彼は言った。他の本はすべてその破片に過ぎないような、たった一つの本。作家一人一人に宿っている本を、と。
これは。茨の道だ。と、思う。
シローネの言葉を見てもそう思うのだけど、わたしからするとわたしのことだ。
ただ、わたしの危惧は、どちらかといえば、シローネが言っているのに近い。わたしは、人の個性が駄目だとか、人の感性が駄目だとか、人がよいと思っているものが気に入らないとか、そんなどうでもいい個人的感情で「批判」を持ち出すような図太く可愛いお嬢さんではない。人の言葉を借りたくなかったし、日記としてしか書きたくなかったけど、どちらかというと、どうしても言いたいと思って言っているだけに、もっと本質的なことに踏み込む。こういうことを考えるのは、わたしだけではないんじゃなかろうか、とは思う。ただ、当然なんだけど、わたしよりも深い視野で、何かを見極めるひとはいるかもしれないし、あくまで今のわたしは世の中とか文壇、というよりは最終的に自分の身の置き場のことしか考えてないから、だからきっと今にも消滅しうる空気の上でせいぜい心の欠片を吐き出すくらいだろうけど。
上のシローネの言葉が、「エロは低俗だ」とかそんなもともこもないことを言っているわけではないことは、さすがに誰しもに分かると思うのだけど、例えば私がシローネのようにここで言っても、かなり誤解されそうだよなぁ、とは正直思う。そもそも何かを全否定することで批判が成立したら、とっくのとうに世界に悩みなんか存在しないと思う。
「自由の名において」、という言葉がわたしにとってはとても印象的な言葉でした。自由の名において、正当化されるものがあるという・・・確かに、自由も守られる必要があるからこそ、けっして横暴ではいけないなと思う。自由すら、守られるものなんだと。
まずいと思われるものとか、そういうものたちが、「表現の自由」によって正当化されうる。「それが検閲やその他の官僚的な処置によって駆逐できるものだとは思わない」という言葉は、個人的には印象的でした。

法律で規制出来ることだから批判する、とか、そういう『権力を盾に自分を守って成立する』ような根拠ではない。もっといえば外面的な問題ではなくて内面的な問題といえばいいんだろうか。ただ、「人生に対する切実で深い感情」が抱かせる「嫌悪感」がある。個人的には全面賛成、客観的には全面賛成とは言えないけれどでも説得力のある言葉だと思いました。自分と同じような考えを、自分を感動させてくれる作家が持っていた、ということが、わたしにはただ嬉しくてなりませんでした。
書けるようになりたい。シローネのように、書けるようになりたい。ミーハーかな、と思いながら、でもそう思った。この衝動ばっかりはどうしようもない。まだ思いだけかもしれないけれど、でもそういうふうに何かを書けるひとに、なりたいと思った。その上で、「説得力」を持って自分なりの文学への考え方も、批判も、言葉で織りなせるように。自信を、持って。
私にとって、一番『葡萄酒とパン』で好き、というか印象的なくだりがあります。



「・・・・・・「だったら、君たちはこの世の責め苦は永遠に続くものだと信じてるのかい？」神父は問いただした。「つまり、みんなの幸せを考えた法律を君たち自身が作る日が、いつかはやって来るかもしれないとは、考えないの？」
「それは、考えませんな」マガシャが答えた。「そんな幻想は全然抱かんですな」
一方、グラシャは、「おれの好きなようにできるもんなら、法律なんてもんは全部やめちまうでしょうな。すべての災いはそこから来るんだから」と言った。
「いい夢だよな」シャラップが言った。「すてきな夢だ」
「おれの好きなようにできるもんなら」とグラシャは続けた。「今ある法律を全部やめちまって、代わりに一つだけ定めてやりますぜ。イタリア人はだれでもよその国に行く権利があるっていうのを定めるんでっさ。そいつさえあれば、みんな文句を言わなくなるに決まってるもんね」
「そんな。無茶な話」とダニエーレ。「そんなことしたら、だれがこんな場所に残るもんか」
「いい夢だよな」シャラップが繰り返す。「すてきな夢だ。だけど、家畜小屋の扉をなくしちまうようなもんさ」
「さあ、飲めってば。で、こっちにもフィアスコをまわしてくれよ」マガシャが言った。
「もう空いちまったぜ。もう一本もらって来ますか？」シャラップが訊いた。
「いいや、もう遅いし、私はちょっと疲れたから」パオロ神父はそう言った。
彼は自室に戻ると、鞄の中から《貧農が政治を敬遠する理由について》と表題を記したノートを取りだして机の前に座った。そしてしばらくのあいだ、頭を抱えて考え込んだあげく、書き始めた。「おそらく、彼らが敬遠するのは、無理からぬことなのだ」」






このくだりのテンポのよさは、訳の方もすごいと思います。
情景が目に浮かぶようでした。耳に残る、といえばいいのだろうか。引用したもう少しまえから話は続いてるんですが・・・パオロ神父が、『よりよい世の中』の理想を考えないのか、ということをたずねるのに対して、農民達が自分たちの「夢物語」を語る、と言えばいいんだろうか、そういうシーンですね。
そうか、「人の望み」か、となんとなく考えたくだりです。舞台も時代背景も自分からは遠いので、共感という観点からこの作品を読まなかったけれど、作中では一番わたしの現実にはフィットしている場面でした。

この作品は、とても分かりやすいのにとても深い、なんだか不思議なお話です。
だけど日常だって確かに、難しい本よりずっと難しいことになったり、深い小説よりずっと深い精神世界を構築することを考えると、物語ってなんのためにあるのかなぁ、とかたまに考えることがあります。
起こる出来事よりは、作家の心の真実や人生が描かれているから、きっと「現実」を描けているのだろうと思う。
「自然主義はつまらないと思う」と言ったのはやっぱり文学論を交わした彼で、わたしは正反対の考えだが、でも彼のその言葉が聞けてよかったなぁ、と今は思う。
現実を、描く、本は、登場人物の誰も憎らしく思われない。
人間に対する信頼と愛を、余程感じる。愛。難しい言葉だな・・・人間を、信頼したい。信頼を、取り戻したい。信頼し直したい。

８月に入ってから、しばしば誰とも会いたくない、というか、誰にも拠り所が見いだせない、誰も信用ならない、みたいな心境にしばしばおちいることがあった。それは、具体的に誰がいやだとか誰が気にくわないということではなかった。原因はどこかにあるのだろうが、具体的な物事が気にくわないわけでもなかった。多分自分の中に答えはあるのに、見つけだせなかった。
ひとを、慈しむ力欲しいといつか願った・・・それはあくまで過去の言葉だ。だけどあの日のわたしが確かに抱いて進んだ言葉だ。今でも忘れない。あの日の日記のこと。決して忘れない。
今は、信頼したい。人間を信頼したい。そういうものを書きたい。周囲が自分に向けるベクトルより、わたしのそれが多分重要だ。そしたら、半歩かもしれないけれど、前には進めると思う。
本ってすごいなぁと思う。物語も凄いけど、やっぱり作家の言葉だって凄いんだよ。

全然関係ないけど、わたしはリボーンに同じものを感じることがあって、その傾向は、わたしは天野先生の人間に対する理解の深さかなぁ、と感じる。
いずれにせよわたしに、そういうものを呼び起こしてくれる作品が私は好きなんです。
芸術にいろんな考え方があるように、多分文壇にもいろんな考え方があるだろうと私は思う。だから、もちろん今のまま批判をすることも構わないと思うけど、もっと勉強が必要だとは、いつも思う。
一切、訓練も何もしないで絵を描くべきだという考え方のひとがいますよね。きっちりデッサンや色彩など勉強するべきだと考える人もいると思います。
対立したり閑散としたりいろいろだと思うけれど、自分なりの意識を持って文章に取り組むことは意義深いとやっぱり思います。くだらなくなったりあきたりするのも大事かも。それも含め、諦めてはいけないんだなと、思いました。
もっと誇りを持って、もっとストイックに、でももっと楽しく、自信を持って、何かを書きたいと、思いました。

あと、時間をおいて、文章を書き直すという作業も興味深いと、思った。




綿矢りささん。
彼女の作品のあの読後感がかなり好きなんですが、あと、心を揺すぶられるのがしばしば苦しい私は、彼女の淡々とした綺麗な語り口だと穏やかに読み進められるのですきなんですが、確かに、自分の人生を変えてくれるか、とか世界を変えてくれるか、とか、わたしにとってはそういう小説ではなかった。

お母さんが、わたしが買ってきた『蹴りたい背中』をとても気に入った。彼女は、絶対に背伸びをしない、と言った。１９歳だったら、１９歳を超えるようなものは絶対に書かないと、そう。

あまりに些細なことだ。まして中年女性のその言葉は、２０歳のわたしにはあまりぴんと来ない。だけど、物凄く尊いことだ。よくよく考えたら。

沢田奈々さんが一話でツナに言ってましたが、「どう過ごしたって人生」、だと思ってみて。

私の、日々が？味気ない、味気ない、味気ない日々と考えてみて。国外に亡命したある作家がいて、私と比べて、彼とつりあうのは、私の左胸に埋め込まれているものだけに他ならない。命の重みは、絶対に誰にもはかれないんだと、本当に当たり前のことを思ったときに、どれだけ尊いことだと思う？２０歳が２０歳のままの物語を紡ぐことは。と、思って、だから綿矢りささんというひとを、私は尊敬する。私の人生も世界も変えてくれないし、きっと感動も与えてくれないかもしれない。しいていうなら、私は、あくまで「わたし」という読者は、その側面を心からまず尊いものと考えます。

なんだか、凄く小説が書きたい。もちろんドリームも、ＣＰもだよ。でも、わたしの小説が、書きたい。そんな気持ちになる。



参考文献：イニャツィオ・シローネ著　斎藤ゆかり訳（１９５５、２０００白水社）　『葡萄酒とパン』

08.8.26

色味のロマンス
「あなただけ見つめてる」ってありますよね、大黒摩季さんの、スラダンのエンディングテーマの。
歌詞で、「苦手だった　Spicy Your Mama 　今ではお茶してる」ってあるじゃないですか。
なんつか久しぶりに思い出して・・・恋する女って凄いですよね。

08.8.28

こうして八の月も過ぎゆき。
こ、こんちくしょー！！どうした自分どうした更新！更新！更新！

08.8.28

中身のない日記。
見て分かるかもしれないんですが、特に文章系の物事において、「気乗りしないときはやらない」というのをモットーに生きてきたのをそろそろ改めないとマジ大変なことになりそうですとか思い始めました（笑）。まとめてがーっとあげようと思います、あ、明日はとりあえず幸村続編の一話と高杉一個ぉお！

ああ、ＤＶＤ借りたのに見れてない。畜生今夜も見れない。

フジテレビで１３：３０からやってる「白と黒」に随分前からはまってます。メロドラマいいなぁ・・・うん、ホントいい。弟が格好良すぎて毎日ゾクゾクします。主人公の女の人もかわいかっこいきれい！

ど、どーしよどっから手をつけよう。何をしよう。テンパってるなホント。最近ゴロゴロしながら一日が終わってるんですけど、こんなのありか。

08.8.29

足の裏が治り始めた。
昨日、『明日へのチケット』、っていうＤＶＤを結局見ました。うん、楽しかったです。
イタリア映画です。イタリアの列車とか、イタリア語の響きとか、なんだか物凄く心の何処かに訴えます。たまに物凄く思い出すんですよ。たとえば、今朝食べたのはピザーラのピザだけど、冷めたそれをあっためなおしたときの匂いが、ひっしに「ふかふかパン生地のピザ」を探して町中を探して見つけたピザ屋を思い出したり。ピザーラ二種類ありますよね。わたしがふかふかな方が好きなんで分厚い方にして貰ってます。

ハリウッド映画も好きなんだけど、ハリウッドは体に直接訴える感じなのが多いです。ぶわっと涙を誘発したり、胸がぞくぞくしたり。それに比べるとイタリア映画は「理性」に訴えるお話が多くて、だからきっと私はイタリアのものって好きなんだろうなと思います。いや、ハリウッド映画も凄い好きですよ。人はより体に正直だっていうのをあらためて感じたりもするが。ハリウッドの、抜け目無さとか贅沢さ、構成やメッセージ性の鋭さ、わかりやすさ、エンターテイメント性、すごいなんというか、究極的な感じがする。イタリアの映画はそれに比べるとこじんまりしていて少し難しいです。そこが好き（笑）。初めて見た「マレーナ」は一番分かりやすい類かなと思います。ただ、ハリウッドの映画だっていろいろあるし、それはイタリアの映画もそうだから、ぜーんぶくくって、とは言えないと思うけど、ただ風潮として特徴はあるんじゃないかな。
映画っていいですね。私、苦手だったんですよ。体ごと持って行かれそうなところに自分を持っていく感覚が。いや、いっぺん見たらどっぷりつかって、むしろ気持ちよくなれるって分かってるのに、わーっと感情をかきたてられるような感覚が、駄目なんですよ（笑）。本当損しているなぁ、って自分では思っていた。ただ、私は感性がない、だけで終わりそうだった。だけど、いろんな感性があって、いろんな価値観があって、私は、自分の身の置き場をようやく見つけ始めたかもしれない、そんな感じ。

うろ覚えですいません、イェーツの詩を読んだとき、彼が自分のいる場所では官能が蔓延してて、理性の地、みたいなのを求めてイタリアとかギリシャ方面に行く、っていう詩があって、私の中ではとても印象的だった気がします。結構、イタリアは愛の国、みたいに言われるし、実際そういう部分も大きいと思うけど、イタリア的な考え方の新書には、それを「必要以上」に取られても心外だ、というようなことが書いてあって、映画とか小説を読むと、そうかもしれないなぁ、と思います。ただ、これはちょっと難しい問題だと思う。
わたしにとっては、イタリアの小説や映画より、日本の創作物の方がよっぽど淫らな感じがします、しばしば。どっちがいいと悪いとかじゃないよ。
なんというか・・・昨日の映画は、いわゆるケンローチ、って感じだった気がします（笑）。最後は。あれか、スリーエピソードあって、それぞれで監督さんが違うのかな・・・。二つ目のお話が結構好きかな・・・三つめも面白かったけど。でも一番最初のやつが一番共感できた。すげぇびっくりした。ああいう構成で小説書くのいいなぁ、うん、いいなぁ。誰かとああいうふうにお話作りたいなって、ねぇ、三部作で、一人一個話を担当してさ？お前もうすぐ休止すんだろ（笑）。やめちゃおっかな、休止（笑）。意志薄弱め。ま、いずれにせよ休止っていうほどのもんじゃないけど、でも今までは毎日何が何でも、って感じでパソコンに向かい、ずーっとネタを考えてる生活でしたが、それがもう少し気まぐれになる、くらいな感じだと思います。絵とかは描きにくるかもしれないし。気分転換に。

映画映画映画。えっと、ね、一番最初のエピソードに出てきたお祖父さんが、とても共感できた。すごい、共感できた。あとにも先にも、あんな部分を自分と同じだ、と思うことは、多分なかった。あんな部分を映画に取り上げるなんて、というぐらいびっくりした。
そうだ、わたしもそうだなぁ、と思って。最悪なような、人には絶対に言えない。でも、それが何かの原動力になっていることがある。そういうものかもしれない、と。すいません、ネタバレになるのであんまり言いません。

「これでいいのか」という終わり方だった。これで、いいんだろう。

今日もなんか観よう。今日は二つか三つ観なければ。どれにしよっかな・・・これみよがしにほぼ全部イタリア映画とかいうね・・・だってスキナンダモン。

面白さを求めて。無意味ではない、やりとりを求めて。そういうふうに、何かを書けると、いいね。もちろん、映画と小説は決定的に違う。何故って、まず媒体が違う、作り方が違う。ならばそれぞれにはそれぞれにしかないよさがあるわけで、映画監督ではなく物書きになりたい私はそれを最大限いかせるようになりたい。でも、いずれにせよ映画はひとの心を豊かにしてくれるような気がする。映画、いいなぁ・・・スクリーンで見に行くより、私は家でちまちま見る方が好きかもしれない。    </description>
    <dc:date>2008-08-29T13:02:32+09:00</dc:date>
    <utime>1219982552</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/22.html">
    <title>ここまでの流れ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/22.html</link>
    <description>
      投下～DANCERまでの流れ

言葉が荒い、すこし自重したらどうかという閲覧者からのメールを晒して反論
↓
スレ（豆腐スレ）に投下される
↓
２に晒されたことに気付く
スレ教えてくだしあ＞＜
↓
ヤッホーきちゃった、友達がスレ教えてくれたお^^
心理学の授業でネタにしたいなど、２デビューに興奮気味
↓
村/上/春/樹、西/尾/維/新を貶めつつ
斜め上からの２チャネラー論を展開
↓
再生夢ジャンルを大々的に批判（笑）
↓
目の滑るgdgd長文を棚に上げ
ちゃんとアテクシの文章を全部読んで、理解してから批判汁
中傷には返事しないわ
↓
日記存続に関するアンケ開始
↓
マンセーどころか、儲ですら我慢していた事実まで判明
またアンケ自体意味がない、やりたいなら勝手にやれとの意見が大部分
↓
レバタソ涙目でアンケ早々に終了
↓
アンケ回答に対しブログで反論
↓
それまで静かだった※欄にレスがつき始める
↓
論破できる自信でもあったのか、「最初だからこたえてあげる」と上から目線でレバカお返事
↓
以前レバカがチャットでのタイマン勝負なら受けてもいいと書いていたためか
チャットを用意するからそこで思う存分やりましょういう誘いも蹴る
↓
特定の※のみ削除
相手からなぜ削除したのかと再び※
（スマンが詳細は忘れてしまった）
↓
ブログ※欄削除

↓
自ら提示した今後の方針を反古にして、ブログも削除
・たしか日記は消さないと宣言していたのにw
↓
新ブログにて自ら踊り子宣言（DANCER）


----------------------------------------------
全体的な流れ


小説家に対する批判（笑）ほか
挑発的な日記の内容に意見した※に対する長文pgr
「編集を叱責したいわ 」「くたばれ」などの名言をひっさげ
6月初旬、豆腐スレに彗星の如くレベッカ・リガッティエーレ光臨
↓
わりとすぐに友人（笑）から「2chに晒されてるよ」と本人に連絡
ふぁびょるレ馬鹿。書き込みの「大半は読解力の不足による私の文章への曲解」だそう
その状況下で引き続き春/樹批判、西/尾批判
しかし実はあまり読んだことがないという
↓
このへんで専スレ立った（？）。最初のブログ移転
物書きになりたいという割には文章はスッカスカな民具、かつ
無駄に長く読みにくい上に挑発的な日記の内容、尊大さ、２ｃｈに晒されながらも踊り続ける無神経さ
「空気なんて読むのは日本人だけ、アテクシ帰国子女だし海外にはそんな習慣ないわ」というほどの空気読めなさ
暴言を交え他人の小説を批判（笑）するが、自分が叩かれれば「中傷だ、袋叩きだ」
という自己中心的なキャラクターで人気沸騰
↓
リ/ボー/ンファンはモラルが低い、リ/ボー/ン夢界（笑）は意識が低い等の発言でさらに凸殺到
名言「ふりゅりゅ」「レベッキニティ」「レベッキスム」
「レベッカアイデンティティー」「あ、嫉妬かな（笑）」など
ブログや写真日記（その後撤去）などの内容から、早/稲/田の教育学部に在籍と判明
２ｃｈは見ないといいつつお返事。スレで指摘されはじめて、他サイトへのリンクをはずす
凸以外のマンセー※にはレスするも、ブログの※欄で丁寧に意見した人物は黙殺し、
さらに逃げるようにブログを移転。メルフォや拍手も撤去
名文「DANCER」誕生。階層移しただけのサイト移転（笑）
↓
まとめサイトができ、うごめきメモリアル、レバ語の探求、
かりんとうってうんこに似てるよね、などで盛りあがり専スレ異常なほど伸びる
珍妙なポエムや原作至上主義（笑）、家族や寿司やカレーの話で踊り続けるレバカ
その間ブログを作っては消し、作っては消し。過去の発言を無かったことにしようと魚拓削除を申請するも受理されず
「まさかこんな人だと思わなかった」という元儲の書き込みがスレに出はじめる
「自己愛性人格障害では？」という診断もぽつぽつ
↓
某Ｎ氏批判（笑）や「///」などの記号小説擁護など、DANCEは香ばしく続く
レバカ、アク禁することをおぼえヲチャを弾こうとする（が自分はいまだに見れる）
ブログで「私の専スレ」と自ら専スレ持ちのモンスター弗であることを一般閲覧者（居れば）に暴露
↓
心理学板にも専スレが立つ。さらにサイト移転（笑）。レベッカ＝ギルランダイアに改名
とんこつラーメン食べたり親の金は味気ないと言ったり整理話でヲチャの体力を減退させたり
９月で閉鎖などの誘い受けをしつつ、カウンターいっぱい回って嬉しいレバカ。回しているのはほぼ100％ヲチャ
夏なのでスレにサマーピープルが湧く。メルフォ経由の凸も湧いている模様
源氏物語をpgrしたりガンダムをpgrしたり、火に油を注ぐのに忙しいレバカ

何だろ・・・彼女のステージから、今日も目を離すことができない。    </description>
    <dc:date>2008-08-21T13:23:15+09:00</dc:date>
    <utime>1219292595</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/13.html">
    <title>投下ネタ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/13.html</link>
    <description>
      367 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！  Mail: sage 投稿日: 2008/07/16(水) 12:51:12 ID: RBzKdImf0

ヲチャ文庫7月下半期新刊企画

【タイトル】
「くたばれ☆西尾維新」

【説明】
実は早大生じゃないかもしれない、
モサヲタ眼鏡女・レ馬鹿=リガティなんとか。
帰国子女であるが故に日本語も空気も読めない孤独な彼女は（ちゃんと友達います）、
少年漫画のキャラとの倒錯した愛に溺れる。

「畜生・・・・・・本当弱いぜぇ、お前はよぉ、レベッカぁ。」

そして彼女の理解のない世界を観察する不特定多数の人々。
彼らとの交換日記が始まった時、バタン族が踊り出した…！
踊り子がルノワールのような表現者になれる日は来るのか！？
ふりゅりゅ(笑)が放つ渾身のメンヘラ観察日記第一弾、堂々の登場！

【帯キャッチ】
剣道部だった血が騒ぎ出す…！



495 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！  Mail: sage 投稿日: 2008/07/17(木) 22:21:04 ID: j3iXgk800 

ＤＡＮＣＥ　ＯＦ　ＲＥＢＥＫＫＡ　第一幕

「なあ、お前、俺のこと見てたろ？」
　須零野住人（スレノ　スミト）の言葉に、レベッカは首を振る。
「誰が……誰があんたのことなんか。あんたみたいな低レベルなのを相手に
してたら、こっちまで低レベルになると思うのよ、わたしは」
　レベッカは嘲笑しながら、しかし、まっすぐに向けられる住人の視線に耐
えることができなかったのだろう、目をそらした。
「見てないわよ……あんたのことなんて」
　もう一度つぶやくと、レベッカは住人に背中を向けて歩き出した。だが、
住人はなお、追いかけてくる。
　レベッカは駆けだした。住人の気配を振り切るように。だが、どこまで行っ
ても気配は消えない。どんなに逃げても――全力で逃げても、住人は追いか
けてくる。
496 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！  Mail: sage 投稿日: 2008/07/17(木) 22:22:06 ID: j3iXgk800 
ＤＡＮＣＥ　ＯＦ　ＲＥＢＥＫＫＡ　第二幕

　やがてレベッカは、足を止めた。そして、立ち止まる。雨のように降り注ぐ
言葉の数々は、住人のものだ。その全てを振り払うように、レベッカは、振り
返った。
「わたしは……わたしはあんたなんかにつぶされたりしないわ。わたしのこと
をあなたが見なくなった時、わたしはきっと、消える。でも、わたしを見てわ
たしをわたしだと言ってくれないなら、相手になんてしてやらないわ」
　レベッカは、まるで勝ち誇ったかのように笑った。この世の全てに勝利した
かのような――そんな笑みだった。
　だが彼女はまだ気づいていない。彼女の立った場所が、壮大な舞台の上であ
ったということに。
「わたしは、大好きなこの場所で、踊り続けるのよ！」
　レベッカの声が高らかに響く。
　そしてまた、レベッカ＝リガッティエーレの舞台の幕は、切って落とされた
のだった――



506 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！  Mail: sage 投稿日: 2008/07/17(木) 22:52:25 ID: 5U8sNQWK0 

俺も便乗しよう
ＤＡＮＣＥ　ＯＦ　ＲＥＢＥＫＫＡ　番外編

「今日うちの夕飯お寿司なの」
　お昼時の賑やかな喫茶店で、レベッカがポツリとつまらなそうに呟いた。
「はぁ…」
　向いに座っていた須零野住人は、突然発せられた彼女の言葉に怪訝な顔で返す。
－だからどうした？
　そう言い返したいが、彼女はいつも意味不明な言葉ばかり言うので&quot;今回も&quot;と諦めが先考する。
食べ終わった後のスパゲッティの皿が机の上を占拠して邪魔で仕方ない。
須零野住人はレバッカが&quot;めんどくさい&quot;人物であることを熟知しているようで、長居は無用と財布を取り出した。

「あんた！！今うちの夕飯がカレーって決め付けたわね？！」

　突然席から立ち上がり声を荒げて叫ぶレベッカに、須零野住人の目玉が飛び出た。

「お寿司って何度も言ってるじゃない！！！」
「はあ？！意味わかんねーし。勝手に妄想して怒ってんじゃねーよ！」
「決め付けてるのはあんたでしょ？！謝りなさいよ！馬鹿！下種！○○！！」
　大きな音を立てて倒れた椅子が店員を呼び寄せ、レベッカの奇行に他の客の目線を引き付けた。
たまらず須零野住人は言い返すがレベッカは聞く耳もたずの状態で沸き叫ぶ。
「あんたが決め付けるから、周りの人が驚いちゃったじゃない！！責任とりなさいよ！」
「はあ？！何言ってるかワケわかんねーんだけど」
「コップまで割れちゃったし、ほんと、日本人はこれだから！」
－意味がまったくわからない。
　須零野住人はレベッカが落として割れたコップに目線を向けながら、何がどうなってこんな事になったのか思考を巡らす。
もちろんいくら考えても答えは出てこない。常人には理解できない怒りのポイントが彼女にあったということなのだろうか。
「ほら！他のお客さんにも迷惑でしょ？！責任とりなさいよ！」
「おまえな…」
収まらない意味不明な言葉に須零野住人に怒りが現れた時、レベッカはより一層大きな声で叫んだ。

「うちの夕飯は寿司だって言ってんでしょ！！！！！」



513 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！  Mail: sage 投稿日: 2008/07/17(木) 23:40:04 ID: TZvNi5w/0 

レ「私はあなたの事なんて相手にしてないよ。うん、それだけはありえん（笑）
住「風呂にぐらい一人で入らせろよ」
レ「見てないから（笑）・・・・『金星』・・・いいですね・・・・・・なんか、びっくりするほど、元気付けられてる気がした」
住「ちょ、どこ見てんだよ」
レ「女の子ってマスカット最中みたいにデリケートで贅沢なお菓子みたいな繊細さと傷つきやすさなんだよ」
住「そうか、出てってくれ」
レ「いや、今日『あれ』でさぁ・・・しかも朝方までずーっとレポートだったんだけど、昨日から熱中症引きずってて戻しちゃうし」
住「マスカット最中な女の子はそんな事言わねーだろ。山岡に謝れ」
レ「向きあって、向き合って、向き合えば、そんなに何事も悪くはない気もしてきちゃうよ（笑）。人間て順応性が高いね」

――普通の萌えに飽きたあなたに送るハートフル恋愛シュミレーションゲーム『うごめきメモリアル』、近日発売。――

～登場人物紹介～

＜レベッカ・リガッティエーレ＞
帰国子女。

＜Ａ＞
そういうことが好きなレベッカの友達。高校のときいた。
一生懸命授業やる、見方によっては痛い先生とかを、あざ笑って徹底的に屈辱的な下半身にコラージュして落書きしたりする女の子。テニス部所属。

＜Ｂ＞
レベッカの別の友達。それこそそういう遊びにネットではまってて、レベッカに「それって面白いの？」と聞かれるが、
「ううん、クズのやることだよ」と言って笑う女の子。
レベッカを「リガッティエーレさん」と呼ぶも、「心の清らかな人は知らなくていい世界」を誇らしげに語って嘲笑するあたり、この二人の関係は微妙。新聞部所属。

＜Ｃ＞
「リボーンは同人だけしか読まない」と豪語してやまないレベッカの友達。ヒバリがその、いろんな男にやられまくるのが見たいだけの女の子。
ついかちんと来たレベッカに「原作読まないなんて・・・」と言われ、思わずレベッカをあざ笑うようではあったなぁ。
でも、たしかに何を思おうがＣの自由である。漫画研究部所属。

注）Ａ～Ｃは『友達が欲しくてたまらない、けれど友達より優位に立ちたい』という歪んだレベッカの妄想である。そういうルートもある。



530 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！  Mail: sage 投稿日: 2008/07/18(金) 01:18:42 ID: 1k0DpUVi0 

&gt;&gt;506に敬意を示して。

「寿司はカリフォルニア巻きしか食べない。」って友達がいて、
その、色んな果物がシャリに包まれてるのが食べたいだけなんだって
言われたとき、かちんときて、「大トロ食べないなんて・・」
みたいなことを言ってしまったけど、その子もたしかに、
わたしをあざ笑うようではあったなぁ。
わたしだけじゃなくて果物も、寿司もあざ笑うようであった。
・・でも、たしかにその子が何を食べようがその子の自由だしね。


私が戦っているのはいつだって私自身だと、私は思うの。
けれど、今、それこそわかりやすい目に見えてる相手は、
寿司を握ったことがないような（笑）人たちなの。
寿司を食べたこともないような人たちなの。

わたしが議論すべき相手というのは、寿司職人という
繊細な世界にはいないのかも。確かに。



857 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！ ￼ Mail: sage 投稿日: 2008/07/21(月) 01:31:32 ID: xMrvRVHH0 

Ｗ大学の頃、一人でいるのが孤高だと思っていた。
聞かれてもいないのに中学の頃剣道部に所属していたと言っては（もちろん嘘）、突然腕を押さえて、
「っぐわ！・・・くたばれ！・・・また騒ぎだしたわ（剣道部の血が）・・・」とか言いながら息をを荒げて、
「わたしの今日の夕食はお寿司みたいね・・・」なんて言ってた。
クラスメイトに「何してんの？」と聞かれると、
「っふ・・・・
　桐島聖奈（きりしま　せいな）
　天城茉莉（あまぎ　まり）
　白川灯鴇（しらかわ　ひとき）
（↑自分で作った設定でわたしの分身。雲雀さんと恋に落ちる）を知らぬ者には分からないでしょうね・・・」
と言いながら人気の無いところでＮ氏をさんざん罵倒。
試験中、静まり返った教室の中で「うっ・・・こんな所（新しい忍者ブログ。つまりennikkidayo）にまで・・・しつこい奴等ね」
と言って日本を飛び出してイタリアにエスケープした。
（サイゼリアが当時は自分の中でイタリアだった）
そのときのこと思い返すと死にたくなる。
授業で討論してて腕を痛そうに押さえ、相手に、
「が・・・あ・・・論破されなさい・・・電車の椅子はうさぎなのよ・・・！！」
とかもやった。先生もわたしがどういう生徒が知ってたらしくその日は帰っていいと言われた。
毎日こんな感じだった。
でもやっぱりそんな痛いキャラだと知ったかぶったゆとりに、
「『・・・』じゃなくて、『…』（三点リーダ）使えよ！」とか言われても、
「・・・あ・・・嫉妬かな（笑）・・・」とか言ってゆとりを逆上させて、
２ちゃんねるに専スレ立てられたりしてた（しかもパートスレ）。そういう時はいつも腰を痛がる動作で、
「今日さ・・・アレなの・・・」って一瞬だけマスカット最中の繊細な女の子のふりして、
「っは・・・し、静まれ・・・わたしの才能よ・・・！
今の日本の文学界がわたしのレベルに追いつくまでは我慢して・・・！！」
と言って長文を思いっきり書いてた。
そうやって時間稼ぎしてＧＷを含む長期休暇が終わるのを待った。
平日ならともかく、夏休みに絡まれると悪夢だった。


295 名前: 名無しさん＠ｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰｺﾞｰ！ ￼ Mail: sage 投稿日: 2008/08/14(木) 17:16:24 ID: 9V50pDMWO 
&gt;&gt;294
『うごめきメモリアル』第三章:虚栄の観覧車

須零野住人は遊園地デートの最後にして最大の定番、観覧車へレベッカを誘った。
「べたな展開ね、でもそこがいいわ」とレベッカは尊大に笑い、二人はゴンドラに乗り込んだ。
扉が閉まり、ゆっくりと動き出す観覧車。
外界から閉ざされた空間の中で、レベッカが観覧車の遅さやほかのゴンドラで堂々と絡み合うカップルを扱き下ろすのを、住人は右から左へ受け流していた。
興奮し、ゴンドラ内で踊り狂うレベッカにも大差はない、そう思いながら、揺れるゴンドラにしがみついて体勢を保っていた。
レベッカは知らない、気づかない。ゴンドラの中で暴れるのが危険であることを。
やがて二人を乗せたゴンドラが天辺へ差し掛かったとき、レベッカのダンスがいっそう激しくなった。住人はそろそろ酔いそうだった。
さらにレベッカは、耳をつんざくような大声で叫んだ。
「あの地上にいる人達は永遠に私と同じ次元に存在できないの！」
あまりの大声でもなんとか聞き取った住人はぎょっとした。はしゃぐレベッカを哀れな怪物に思えてならなかった。
―――これから自分達は落ちていくのだが。

こうですかわかりません＞＜    </description>
    <dc:date>2008-08-14T20:50:06+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/21.html">
    <title>ﾚ馬鹿の同人歴</title>
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    <description>
      ※現在は削除済み※


幼稚園年少期、◎はまりはじめたセーラームーン。姉と共にフィルムコミックスを分担して買う。

幼稚園年長の秋、◎クレヨンしんちゃん４を読む。生まれて初めて読んだ漫画。

幼稚園年長の冬、◎りぼんを買う。りぼんと少女漫画が好きになる。

小一、小二の頃、◎『小学～年生』となかよし、りぼん、ちゃおなんかを毎月注文している友達の家で読んだり、、知り合いから譲ってもらった少女漫画を読んで暇をつぶす。
　　　　　　　　◎小二で中国に行ったために、新しい作品に触れづらくなったが、暇つぶしに何かを読む機会自体は増える。

小三の冬、◎友達の家で読んだ『魔法陣グルグル』にはまり、グルグルと、家にあった世界名作百選ばかり延々と読み返す日々。暇でどうにかなりそうな土日はノートにちまちま漫画を描いてストレス解消。
　　　　　◎ポケモンをはじめる。姉がポケットモンスタースペシャルにはまりはじめ、余波で読ませてもらい私も虜になる。最初に読んだのが、四巻。どこまでもＳっ気むんむんな&quot;りかけいのおとこ&quot;と、マントを羽織って格好良く登場し、
リザードンとゴルダックを乗り回し、ストライクでゲンガーを&quot;きりさく&quot;グリーンの事が頭から離れなくなる。
自分をその世界のポケモントレーナーにして、四六時中想像（いや、妄想なんですけど）にふけってしまうようになる。多分、これが私のドリーマー精神の芽生え。ポケモンマスターの夢は、未だ捨てきれない。
小四の春、◎泊まりにいった友達の家で、ぷよぷよのアンソロジーをインターネットで見せてもらい、同人に目覚める。

小五の春、◎角川スニーカー文庫の『魔導物語』の表紙に惚れて読む。その本の最後の宣伝のページの『ルナル・サーガ』の絵とあおり「父親の仇、青い爪の女～」に惹かれ、次日本に帰ったらチェックしようと思いつく。

小五の夏、◎ルナル・シリーズに頭からのめり込む。ガープス（TRPG）というものを知って興味を持つ。ライトノベル自体にもはまって学校の図書室であさる。ルナル・サーガ何故か学校にあった。

小六の夏、◎本屋でスパイラルの単行本二巻の表紙に一目惚れし、少年ガンガン本誌を買ってガンガンにはまる。同時にの表紙にも惚れてはまる。

小六の秋、◎部屋にあった安っぽい電話線でつないだら、なんと日本語のホームページが見られるじゃないですか。ぷよぷよ系のサイトを探してたどりついたぷよっとチャットとバトルチャットにはまる。
　　　　　　ピースメーカーの影響。新撰組が好きで、父の司馬遼太郎『新撰組血風録』を読む。新撰組というよりは司馬遼太郎にはまる。
小六の冬、◎たまたま行った日本の本が売っている本屋でジャンプを買う。テニスの王子様にはまる（桃がアヒルをダンクで棄権させた回だった）。
　　　　　◎スパイラル・アライヴのガンガンを買う。ファイヤーエムブレムとワールドエンドフェアリーテイルにときめく。
　　　　　これ以後エニックス、スクエニにかなり染まる。

中一の春、◎帰国して、美術部に入るつもりで地元の中学へ→新入生歓迎会で、剣道の鬼気迫る気迫に惚れて剣道部に。

中一の冬、◎漫画喫茶（日本人が経営）でテニスの王子様を読んで単行本を揃えることを決意。不二→菊丸→千石→海堂の順に追うようになる。
　　　　　
中三の夏、◎部活引退後、本格的にテニスの王子様フィーバー。今度は跡部。

中三の秋、◎２０．５に名前を載せるべく（笑）ジャンプを買いまくり、ジャンプ熱も再び（氷帝応援団の一人です）。その頃ふと、剣を振る真田を見て、剣道ネタはいけるんじゃないかとちらり思ったのが、
『幸村は私が守る』のはじまり。ノートに忍足ＶＳ榊（いつかやりたいんだよー）と跡部ＶＳ慈郎（後のファウストの元？）を書き付けてみる。っていうか、勉強しろ。

中三の冬、◎高校では『書きたい』と思って、文芸部のある学校に行こうかと思っていた矢先、高校在学中に自分の地域でインターハイが行われることが判明：ぜひ関わりたい→運動できない→場内アナウンスなら出来るじゃん！→高校は放送ライフに決定。
放送委員会のある学校に。最終決定は十二月。

高一の春、◎放送委員会（部活制委員会）に入る。入れ違いで卒業した姉に「あんたが入ればとりあえずつながるから」と歴史研究部にも所属。部員、二人→一人に。歌が好きなので立ち寄ったアコギ（アコースティックギター部）に一目惚れして所属。
クイズ研究部には片足だけ突っ込んだ。
　　　　　◎読み切りのリボーンを読む。センスとネタの抜け目無さと『死ぬ気』にはまる。
　　　　　◎ノートに橘ＶＳ赤也を書き付けてみる。高校卒業したらホームページ立ち上げようと気長な決意。

高一の夏、秋、◎ジャンプを買う回数がまばらになったので、二話以降、リボーンは単行本のみ購入。一巻だと、ヒバリさんの存在をまだ知らない。
　　　　　　　◎久々にジャンプを買った時イーピン初登場。本格的にリボーンに目覚める。ぜんっぜん関係ないけれど、ソーメンパン食べてみたいと思う。

高一の冬、◎病院の回で、雲雀さんの「咬み殺す」に一目惚れ。
　　　　　◎丁度二巻が発売されたてで、慌ててチェックして、『雲雀恭弥』の最初のミーティングの雰囲気と見開きの「じゃー～」で、私の世界が変わった。
　　　　　◎以後、単行本が出たら密かに読んでほくほくする生活。たまにしか出てこないヒバリさんのレアさをひとり微笑ましく思う日々。
　　　　　◎一度ホームページを立ち上げてみようかと思う。パソコンでテニスの話を書いてみる（エラー、幸村五月まで、２４、裏切り王子）。
が、パソコン知識を覚えるゆとりが無くて、書いたのみに留まる。

高二の春、◎一年もしたら、日々の生活＝放送、＆部活動。
　　　　　◎たまに好きなコミックスやジャンプを買って、電車の中で読んだりするのがささやかな楽しみになる。
脳内夢小説作りは活発で、副会長ヒロインの雲雀さん夢と、山本ＶＳ雲雀の暗いリボーンのパラレル（もしリボーンが並盛町に来なかったら）はこの時に思いつく。
　　　　　◎割と委員会活動が忙しく、学校行事とコンテストにひたすら打ち込む日々。

高二の冬、◎いよいよ受験準備というときに、どんな衝動か、とりあえず無理矢理ホームページを立ててみることにしちゃって、
高校入試の日がお休みだったので二日間かけて文字と白いページだけのサイトを作る。この時はテニスオンリー。

高三の春、◎テニスの更新フィーバー。
　　　　　◎こだわりが強すぎるためかなかなか勢い上がらなかったが、ここへ来てようやくリボーンカテゴリーを開設。雲雀さん（Make My Day!!）と鬼畜な城島犬の話をアップ。
　　　　　◎四月。三月一杯で、勉強と最後のコンテストに焦点をしぼると決めていたにも関わらず、気付けば禁パソ期をとうに過ぎていた。

高三の夏、◎企画の楽しさに芽生え夢中に。連載中心だが短編はもっぱら企画にたのむようになる。

高三の秋、◎どう考えても一番ピンチだった時期にいきなり高杉に目覚め、高杉ページも開設    </description>
    <dc:date>2008-08-09T20:31:14+09:00</dc:date>
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  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/8.html">
    <title>テンプレ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/8.html</link>
    <description>
      1のテンプレ
----
小説家志望で自称批評家さんのﾚ馬鹿ﾀｿ
世界の春/樹はじめ、人気作家をぶった切り
日本の作家は安易です
編集を叱責したいわ
ｱﾃｸｼが編集なら「くたばれ」の一つや二つ言ってやりたい心境です

２ちゃんねる？
中傷って悪いことに決まってるのに、ぬけぬけとできるのは何でなのか。悪いことはしてもいいことなの？
それはやっぱり、自分の管理ができてないからもあるけど環境にも周りにも問題があるんじゃないかな、と思う。

もう見ないと言いつつ、せっせと２ちゃんにお返事

空気読めないのはｱﾃｸｼ帰国子女だから
海外には空気読むなんて習慣ないわ
知らない人とお話しするなんて、イタリアじゃふ☆つ☆う
だから宗教勧誘や募金詐欺にもあっちゃうの（ﾃﾍｯ

そんなだめだめﾚ馬鹿ﾀｿを観察するスレです

//rebekka.velvet.jp/karintou/　（サイト）
//rebekka.velvet.jp/karintou/blog.html 　（ブログ）

※どんなにムカついても踊り子に手を触れてはいけません
※ヲチ初心者の元儲はローカルルールとヲチャの心得読んで半年ROMりましょう
※作品叩きはﾚ馬鹿ﾀｿの嫉妬かな（笑）判定を恐れないのならばおk
※次スレは&gt;&gt;950が立てるか別の人を指名する。次スレ話題は&gt;&gt;930から


過去スレ 
【世界はわたしが】ﾚ馬鹿と交換日記3【まわしてる】
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1216650673/
【[[DANCER]](笑)】ﾚ馬鹿と交換日記2【ふりゅりゅ(笑)】 
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1215442573/ 
【帰国子女】だめだめﾚ馬鹿【小説家志望】 
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1213789627/ 


まとめサイト 
http://www26.atwiki.jp/dancer-reba/     </description>
    <dc:date>2008-08-07T20:04:56+09:00</dc:date>
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  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/dancer-reba/pages/20.html">
    <title>食いのがしたイタリアン。</title>
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    <description>
      ” 7月5日　食いのがしたイタリアン。”

一度でも。

私のように文章を書きたいと言って下さった人へ。
私と一緒に文学論をしたいと言って下さった人へ。
私の日記を大好きと言って下さった人へ。


どれだけ私の世界が小さくなっても、視界が遮られても、やっぱり書きたいと思います。
私は、広く広くいろんなものを見据えていきたかった。
今も。諦めたわけではない。決して諦めない。

世の中は、確かに難しいもので。
私は、背を向けることすら、人に促すくらいに、やっぱり、隅っこで生きるしか出来ないひとなのだとしても。
それでも、信念を曲げたくないと思っている。
いつか綴って、人に何かをつたえられる人になるのを、諦めたくないと思っています。

背く人に。
いつも、寂しい想いがしていた。

わたしは、変われないのに。
変わらないくせに。

去っていく人。
失望する人。
二度と、会うことのない人たち。

それでも感謝する。一度でも道が交わったことに。
たった一度でも、一人の人間に足を止めてもらえたことは、何にも代え難い価値になるだろう。
わたしは、それを誇りに思いたい。

苦しかった。
今も苦しい。

物書きになりたいと思い続けられなければ価値がないのだと。
今は。
そんなふうに自分を追いつめなくとも、もう少し自由な気持ちで追って行ける。

何もかもを受け入れなければ価値がないのだと思っていた。
老舗の大手のデパートみたいに。

わたしは、誰でも大切にする店員になりたい。
でも、理不尽には素直に指摘出来る店員になりたい。

ここで駄目なら。
本は、外国語で綴ったっていい。
わたしの書きたいものは、いつだって中身を伴ってはじめて意味を持つものだ。
どれだけ拙くとも。

これで良かったのか。
まだ、よく分からない。

わたしはやりたいことをやった。でもそれは、もしかして私以外の誰もかもが納得行かないものだったのかもしれないと思うと。

それでも、やっぱり思う。いろんな人がいてよかった。

全身で非難されることにいちいち腹をたてるように、
全身で賛成されることにも恐れをいだくことを禁じ得なかった私は、
やっぱり、こうするしかなかっただろう。

分かり合うのは、本当に難しい。
わたしのすべてを認めてくれるひととすら。
なぜなら、人はもともと、分かり合えないものだからだ。

どこでも、思っている。
いつでも、思っている。
それを考えてしまうから、わたしは立ち止まったまま。
いつも、思っている。
ああ、わたし物書きになれないかもしれないと。


分かり合えないことが分かって良かった。
そしたら、分かり合おうとはじめて思えたから。
知らなかったことを知れて良かった。
感情を、思ったように吐き出して良かった。
悲しいかな人は、相いれない人を知った瞬間、分かり合える人間の存在も知るけど。
もしも私が皆に認められるような人格者だったら、そんなことにも気付かなかったかもしれないから。
クズにしか気づけないこともある。それを、やっぱり包み隠さずに書いていきたい。
大丈夫、誰も潰されないよ。
相手にも、ちゃんと、支えてくれるひとがいるから。
だから私は、時に人の敵になることを恐れる必要がなくなる。

全部を取れる人には、もっと心の優しいひとがなるといいよ。
わたしには、わたしの仕事があるから。

いつか、それらが一切通用しない大いなる渦に巻き込まれてゆくとしても。

どうあれ、頑張ろうと思う。
それしかできないから。
いろんな人がいてよかった。
わたしがわたしの仕事をすることに迷いがなくなるから。


それでも後に残るものなんて何もないから、いつも思うのだ。
とっとと、旅に出てしまいたい。
疲れる。みんな、勝手に傷ついて勝手に怒るんだもの。
家族も、友人も、社会も、オンラインも。
だったら、先に私が去れば一件落着なんじゃない。
いなくなればいいんじゃない。
・・・・・・そんなのは、物心ついたころから陥り続けてきた現象であって、
今更言われたって困ることなのだ。
旅に出たかった。
人の視界から消えてしまいたかった。
それでも、生きていたかった。


引き留めてくれて、ありがとう。
それだけ、つたえたかったの。
消える前に、そう、言われなかったら、きっと私は誰の迷惑にもなりたくなくて去っただろう。
何一つ、残さずに。    </description>
    <dc:date>2008-08-07T20:02:09+09:00</dc:date>
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