住吉弥太郎が私服で再び登校したのは早退した五月一日の夜であった。
すっかり日も落ちて、生徒や教員も既に帰った後だ。通常ならば運動部や不良生徒、熱心な教員が残っていそうな時間ではあるが、連休前ということで部活の遠征や旅行、帰省などの為に早くに帰ってしまったのだ。
住吉もそれを見越してこの時間の学校へ来たのだが、どうも空気が騒がしい。
伝説の焼きそばパンを手に入れる契約をした住吉ではあったが、彼は馬鹿正直に争奪戦に参戦するような男ではなかった。伝説の焼きそばパンは購買部に入荷される前に学校内にある礼拝堂に奉納される。そこが住吉の狙いであった。
だが、住吉は紳士なので強奪とかそんな野蛮なことはしない。しっかりとお代は置いてから余裕で伝説の焼きそばパンを持ち去る予定だ。そして、さらにコンビニで買ったミレニアムネオ焼きそばパンを置いておくつもりである。お代を払った上に定価450円(税抜)の高級焼きそばパンを置いていくのだからこれはもう窃盗などではなく、むしろサンタさんとかそれ系列の行いなのでセーフだと勝手に思っている。
しかし、住吉は自分の考えが甘かったということをすぐに思い知ることになる。
それは職員公舎の横を曲がった所であった。無残と言うべきか、十字架に貼り付けにされた無数の魔人達の姿がそこにはあった。
住吉はこの時初めて闘いは既に始まっていたことに気が付く。身の危険を感じたのか住吉は場末の礼拝堂に向けて走り出した。自分を見ている気配は一つではないとアフロが告げるのだ。
だが、走れば走るほどに新たな危機に住吉は直面する訳だ。ちょうど芸術校舎の前で現代アート的に息の絶えかかった男と出会った。
「痛そう」、その男を見た第一印象であった。眼鏡をかけたひ弱そうではあるが、どこか大物らしいオーラを纏った男が全身を太刀魚で刺し貫かれて校舎にもたれかかっている。
「大丈夫か」
普段なら死にかけの人を見捨てるほど堅実であろう住吉が思わず声をかけてしまった。それだけ引き込まれるの魔力のようなものがこの男の瞳にはあった。
「いや、俺はもう大丈夫じゃない……。見ての通りのお魚天国という訳さ」
「D・H・A?」
「そこで最後に一つ頼みがある」
男は勝手に語り始めた。自身が学園最強のパシリであること。調達役としてのプライド。そして、伝説の焼きそばパンへの未練。
「一目でいい……。もし、伝説の焼きそばパンを手に入れたならば一目でいいから見せてもらいたい」
「いや、いいけどさ」
住吉は少し引き気味に承諾するとその場を後にした。
住吉を見送るこの男、仕橋王道は短い間に多くのことを語ったのだが、一つ語っていないことがあった。それは、彼自身の「確実に購入を成立させる」という恐るべき能力である。つまりは目の前に商品と販売者があれば、購入の意思を伝えるだけで取引が成立してしまう能力なのだ。
彼はこの夜に既に争奪戦が始まることを見越していた。そして、敵を油断させ、自身の能力を最大限に発揮させるために、あえて自身の体の当り障りの無い部分を太刀魚で刺し貫いて死にかけの人を演じた訳だ。これで伝説の焼きそばパンのある礼拝堂へ続く道を行く者達に声をかけて回れば、いつかは誰かが伝説の焼きそばパンを持ってノコノコとやって来る計算である。
仕橋王道は待った。彼は待ち続け、連休明けに魚臭くなっていた所を発見されたらしい。
さて、まだ夜は始まったばかりだ。住吉が次に出会った変態は大人びた風貌の男であった。だが、学校指定の制服を着ているのでこの学校の生徒ではないかと考えられる。髪型は長い髪を後ろで束ねている。
二人は無言で向き合った。住吉にはこの男の意図が解らない。
「踊らねぇか、とりあえず」
住吉流の粋な挨拶だ。
「私はただ、深夜の散歩に来ただけさ」
それが嘘だと、なんとなく住吉には解った。しかし、その目的が学園のアイドルである和田美咲の体操着を盗みに来たことまでは解るはずがない。解るはずがないのだが
「わかりきった嘘をつくなよ、俺もアンタと同じ目的さ」
と思い込みで言ってしまった。
「なんだと、お前も私と同じ目的だと……」
「こんな日の夜だ、当然だろ」
「そうか、お前もこの夜を狙ったという訳か」
運命の歯車は妙な方向に噛み合い始めたようだ。
「多分アレを狙ってるのは俺だけじゃない、すでに敗者の残骸を見てきたぜ」
「なんと、我々以外にも狙っていた者がいたとは」
「それはモノがモノだから仕方ないぜ」
「なるほど、この私も是非とも手に入れたい一品なだけはある」
伝説の焼きそばパンは伝説なだけあってプレミアモノであるが、学園のアイドルである和田美咲の人気も異常なほどで和田美咲写真集やプラモデル、さらには和田美咲味のねりけしなどが無許可で販売されているほどだ。
「それで、アンタはアレを手に入れてどうするつもりなんだよ」
それは伝説の焼きそばパン自体に大した興味のない住吉の純粋な疑問であった。
「どうするか……私はアレを枕にしたいのだ」
「えっ」
「どうもアレを枕にすれば心安らかに眠ることが出来そうだ」
「いや、…………それ絶対頭ベタベタになると思うぜ」
「何を言うか、洗ってない訳ないだろう」
「えっ……何、アンタは食べる時も洗ってから食べるタイプ?アライグマかなんかか?」
「いや、お前こそ食べるつもりなのか、アレを……。まさかそこまでの変態だとはな」
この男は自分以上の変態に初めて逢った気がした。
「なんで食べたくらいで変態呼ばわりされるんだよ」
「どう考えてもお前は変態そのものだ。いずれアレを奪い合う定めならば、今お前を討ち果たす」
男が初めて殺気を見せた時、住吉は初めて自分が危険な場所にいることを思い出した。だが後戻りは出来そうにもない。
「私は大倉肥後と申す、お前も名を名乗れ」
「住吉弥太郎だぜ」
星空の下、二人は向かい合ったまま動かない。静かなはずの学校からは何かがうごめく音が絶えない。それは、次第に大きくなり無数の遠吠えと地を駆ける砂煙が見えた。いつしか二人は野犬の群れに囲まれていたのだ。
二人を取り囲む野犬は二十はいた。そして、その奥に立っていたのは人間の女らしい。地味な見た目で眼鏡をかけていて、その傍らには猫を連れている。名を兵動惣佳と言った。動物と会話が出来る魔人だ。
「はい、質問です。二人は今すぐ諦めて学校から帰りますか?」
惣佳は唐突に問を投げかけた。二人は質問の意図こそ解らなかったが答えは知っている。
「決まってるだろ、俺は帰らねぇぜ」
「私も同じく」
「そっか、じゃあ懲らしめてあげないとね。やっちゃてよ」
惣佳のその一言が引き金になったのか、餓えた野犬達が一斉に牙をむく。野犬達は二人に噛り付き、特に意味はないがズボンを破いていく。野生を相手に二人はなすすべもない。
「おい、ただちにやめさせろぉぉぉ」
「まて、痛いから」
「大丈夫、殺しはしませんよ。ただ不幸な事故にあって植物状態になるだけですから」
「えええ」
惣佳の友達は動物達であった。故に惣佳は自然界の恐ろしさをよく知っているのだ。だからこそ決して敵に手を抜いたりはしない。学園のアイドルの体操着を手に入れるために手段は択ばないのだ。ただ巻き込まれただけの住吉は可哀想かもしれない。
すっかり下半身裸になり、これ以上野犬に引っ張られるとアフロが千切れそうになった頃だった。まとわりつく野犬達だけが突然、一斉に裂け、中身をまき散らしながら崩れ落ちたのだ。アフロにも大倉肥後にも、そして惣佳にも何が起きたのかは理解出来なかった。
それからのことは住吉にとって印象深い。惣佳は奇声を挙げながら崩れ落ちた。
「完全に目がイっちゃってる。精神喪失ってとこっすね」
と言いながら歩いてくる女がいつの間にかそこにいた。体格のいい姿勢にポニーテールを白いリボンで無造作に纏めた姿である。そして、1mはあるような中華包丁を持っている。今のはその包丁で斬ったのかと住吉は考えた。答えは半分正解、実際はこの舟行呉葉の魔人としての能力によって斬ったのだ。
「そんなに大事な友達なら家で飼ってた方が良かったんじゃないっすか」
その女は惣佳の何も映ってないようなうつろな瞳を覗いて言った。すると今度は男の声が聞こえ
「その女の精神は完全に壊れているようだ。構う必要は無い」
と聞こえた。大柄な男で呉葉の仲間のような顔をしている。大山田末吉である。
「助かったのか、俺達は」
住吉は下半身裸で言った。
「いや、お前達は助からない」
住吉の疑問に答えたのは大山田であった。
「我々の仕事は秘密裏に行われなければならない。よってこの夜にこの学校にいる者はただでは帰さない」
「じゃあ、どうするんだぜ」
「両足の腱を斬ってから両目と声帯を潰して、自害用のナイフとフォーク以外何もない部屋に監禁するっすよ」
「つまり自殺しろと」
「悪く思わないでくれ。殺人者がアレに触れる資格は無いのでな」
呉葉と大山田は争奪戦が行われる前に本物の伝説の焼きそばパンと偽物の焼きそばパンを入れ替えようと考えた訳だ。だが、それは秘密裏に行われなければ調達部としての失態が明るみになってしまう。だからこそ、その場に居合わせた者は拷問の末に自殺に追い込もうというのだ。
「残念だけど私の能力じゃ人間は斬れないから包丁で斬らせてもらうっすよ。大丈夫、最初の一太刀は弱らせるために体を軽く斬るだけっすから」
呉葉はわざとらしく包丁を振ってみせた。斬られたら絶対痛いと住吉は思った。
「なんとかしてくれ肥後」
「なんともならんなぁ、アレは」
女とはいえ調達部で鍛え抜かれた呉葉は、たとえ能力が無くても普通のダンサーや変質者よりはよっぽど強いだろう。まともに戦えばまず住吉達に勝算は無い。
呉葉はまるで逃げ惑う住吉の反応を楽しむかのように包丁を振り回す。一通り遊び終えると、一気に住吉の懐に飛び込んで包丁を一振り。だがその手ごたえには違和感しかない。
「なんすか、これ」
住吉の懐から落ちたのは六法全書であった。大学の法学部に在籍していた読者なら一度は経験があることだろう。住吉は司法書士の資格の勉強の為に持ち歩いていた六法全書に命を救われたのだ。
思いがけない出来事に呉葉の動きが一瞬だけ止まってしまった。
「今だぜ」
住吉は左の胸ポケットに入れていたスタンガンを包丁に押し付ける。強烈な火花と音が飛び散って呉葉は気絶した。そして、大山田の方は普通に大倉肥後が口から吹雪を吐いて倒していた。
気絶した呉葉と大山田を縛った後、金目のモノを探したところ住吉は焼きそばパンを発見した。住吉は自分と同じように伝説の焼きそばパンと普通の焼きそばパンを入れ替える魂胆なのだろうと考えながら、呉葉の持っていた焼きそばパンを半分にちぎって大倉肥後に渡す。
「ほら、アンタの取り分だ」
「うん、まあまあだな」
「そうだな、コンビニの高い焼きそばパンって感じだな」
共に強敵と闘い、同じ焼きそばパンを食べた二人にはいつしか友情が芽生えていた。
さて、住吉は大倉肥後に連れられるままに新校舎の中に入っていた。
「おい大倉、本当にこっちであってるのか。おばけとかいたら超怖いんだが」
「心配するな、私の情報に間違いはない」
二人はこの激しい争奪戦を乗り切るためにお宝を見つけるまでは不戦協定を結ぶことで合意したのだ。おばけの怖い住吉は大倉肥後の一歩後を歩いた。
そして、大倉肥後は三階の人気の無い教室の扉を開いた。
「ここだっ」
中では妖精的な格好をした二人の力士が押し合い、せめぎ合っていた。
「わしがティンカーベルやけん、お前はピーターパンや言うたやろ」
「自分ティンカーベルっす力士」
「じゃあもっと腰入れんかい」
「これ以上はきついっす力士」
大倉肥後は見なかったことにして扉を閉めた。
「すまん、この部屋じゃなかった」
「おっおう」
そんなやりとりがありながらも二人はついに和田美咲のロッカーの前にたどり着いたのであった。だが二人の反応は対照的であった。
「あぁついにここまで私は来たのだな」
「いや、普通のロッカーじゃん」
「それは和田美咲の体操着を捕りに来たんだから和田美咲のロッカーに用があるに決まってるだろう」
「えっ」
「えっ」
しばらく二人は混乱してとりあえず三分くらい踊った。
「もしかしてお前は伝説の焼きそばパンを捕りに来たんじゃなかったのか」
「はぁ?」
この時ついに二人は不幸な行き違いに気が付いたのだ。そして、お互いが敵でないことを知り心から喜んだ。
「さぁすがすがしい心で開けようではないか、希望への扉を」
大倉肥後が明けたのはロッカーであった。
住吉はロッカーが爆発したのかと思った。雪崩のようにロッカーから中身があふれ出したのだ。体操着や教科書、革靴、それ以外にも駅弁、少年ジャンプ、白骨、拳銃などの明らかに学校生活と無関係なものまで詰め込まれていたようだ。
「あった、これだぁっぁぁああああ」
体操着を広い上げた大倉肥後に異変が見られた。住吉もその原因はすぐに解った。ひどい異臭である。何日も洗ってない納豆の臭いがする。おそらく学園のアイドル、和田美咲は掃除も洗濯も出来ない女なのだ。
あまりの異臭に大倉肥後は体操服を投げ出してしまった。そして、涙を流した。それから、信じがたいことなのだが、大倉肥後の身体が光始めた。
「おい、アンタ身体が光ってるぜ。それになんか向こうも透けてるぜ。健康診断を受けた方がいいと思うぞ」
「そうか、そうだったのか」
「おい、何勝手に一人で納得してるんだよ」
「私には全て解ってしまったのだ。共に戦い、喜び、助け合える友達こそが本当の宝だとな。私はそれを理解し、手に入れてしまった。だからもう…………私は救われた」
大倉肥後は光とともに身体が透け始め、今にも消えてなくなりそうなほどに儚くなった。
「アンタ一体何なんだよ」
「私は二十年前にあった伝説の焼きそばパン争奪戦で命を落としたのだ」
大倉肥後は語った。二十年前の戦いで敵を亜空間に強制転移させる能力を習得して参戦したものの、その能力を発揮する前に死んでしまったこと。それが未練で成仏出来なかったこと。最近は学園のアイドル和田美咲を見守っていることなどである。
大倉肥後は勝手に語り続けて満足したようで
「さらばだ友よ、ありがとう」
「待てよ、友達だろ」
最後に笑ってから、消えた。
「逝かんといてぇぇぇぇぇぇ」
とりあえず住吉は律儀に散らばったゴミを片付けて掃除をした。妙な親切心から、体操着は臭すぎるので水道で洗おうと考え、袋詰めにした。人のロッカーを荒らしたことに罪悪感を感じたのかもしれない。
住吉が教室から出ようとすると誰かにぶつかった。
「うわぁおばけか!?」
「いえ、通りすがりのゾンビです」
「なんだゾンビか」
よく見れば普通のゾンビのようで住吉は拍子抜けした。
それから、何事もなくゾンビは去っていったのだが、実はこのゾンビはスリの達人臥間掏児が変装した姿だったのだ。彼もまた伝説の焼きそばパンを狙う一人である。掏児は次々と敵を倒していく住吉に目を着けて尾行していたのだ。もちろん伝説の焼きそばパンを横取りするためだ。そして、ついに掏児は行動に出た訳だ。
彼の右手には袋が下げられている。そして、左手にはスタンガンである。ついさっき住吉とぶつかったふりをして盗み捕っていたものだ。これが彼の能力である。彼に盗めないものは親不知くらいだろう。そんな自負と勝利を確信して袋を開けたのだった。
住吉はどこか遠くから掏児の悲鳴を聞いた。だが住吉もそんな些細なことは気にならないほどの事件に巻き込まれていた。事件は新校舎の三階の廊下で起きた。クラスメイトのパン崎努が全身血とか小麦粉にまみれて窓を突き破って飛び込んで来たのだ。
住吉はパン崎と同じクラスになって一か月ほど経っていたが、一度も会話をしたことはなかった。特に会話をする機会もなければ、住吉には正義感の強そうなパン崎が煙たくもあったのだ。
そのパン崎が血と小麦粉にまみれて倒れている。とりあえず金目のモノを漁ろうとしたところその手に焼きそばパンが握られていることに気き見とれていると、突然パン崎は起き上がった。
「君は確か住吉クン」
「はい」
「今から僕は君にこの世界を共に守って貰いたい、だから僕の話を聞いて欲しい」
パン崎も聞かれてないのに語りだした。世の中は語りたいやつが多いのだ。
パン崎は別にこの夜に強奪するように伝説の焼きそばパンを買うつもりはなかった。正義感や倫理観の強い彼は正々堂々と五月七日の昼休みの争奪戦に参加するつもりでいた。そのための下見に校内をくまなく歩き回っていたらこの時間になってしまったという訳だ。そこで彼が目にしたのはルールを強引に解釈して伝説の焼きそばパンを買いに来た住吉のような亡者達の姿であった。倫理観の強い彼にしては許し難い状況ではあったが、戦闘向きではない彼には隠れて見ることしか出来なかった。
一時間ほど亡者達の戦いは続き、ついに勝敗は決した。勝者は三人組の女であった。一人はすごく速く歩ける素極端役亜由美、二人目は体からワイヤーの様なモノを出して操っている千倉季紗季 、そして三人目は二人に指示を出している冬頭美麗である。あと、近くでダンボールが動いている気がした。
三人の内の千倉季紗季が圧倒的な強さで他の亡者を叩き潰していた。その戦闘スタイルは至ってシンプルで、体から出した硬質のワイヤーを全身に巻き付けて鎧や籠手、バネ、ハンマーなどにして肉弾戦で戦っている。身体の動かし方には阿波踊りのスタイルも取り入れられているようで隙が無い。
目障りな敵を大方排除した三人は礼拝堂に入った。三人の狙いは勿論祭壇の上に座った伝説の焼きそばパンだろう。その購入方法は小笠原流に乗っ取って正しく行われなければならない。まずは一礼。次に硬貨をマリア像に捧げる。本来は必要無いのだが、替わりの普通の焼きそばパンを祭壇に捧げる。そして、カレーを食べる方の手で伝説の焼きそばパンを手に取るのだが、パン崎はその伸びる腕で冬頭美麗より先に礼拝堂の入口から伝説の焼きそばパンを手に取ってしまった。倫理観に定評のある彼はこんな外道共に伝説の焼きそばパンが渡れば世界の秩序的なものが破滅してしまうと考えたのだ。そして、なんとしても五月七日まで伝説の焼きそばパンを守り抜き、公正な競争のもとにその所有者を決めなけ
ればならないと。
現実はうまくいかないもので、パン崎は三秒で千倉季紗季に殴られてワイヤーで拘束された。だが、幸いなことに日ごろからヨガを実践している彼は体が柔らかかったので拘束から抜け出すことが出来たのだ。それから腕を伸ばしたり縮めたりしてなんとか新校舎の三階に飛び込むことが出来て現在に至った訳だ。
住吉にとっては僥倖であった。目的のモノが自ら飛び込んで来たのだから。適当に仲間になったふりをしてだまし取ってしまおうと考えた。
「よし、パン祭りクンに協力しよう。それでアンタはこれからどうするつもりだ」
「殺すよ、三人とも」
「えっ」
「当然だよ、あいつらはこの神聖な争奪戦を穢した外道なんだよ。外道は人間には数えられないから何人殺してもノーカウントさ」
パン崎は大真面目な顔で言った。彼の倫理の基準は彼の中にしか存ぬ在しないのだ。
「えぇぇ」
「さぁ行こう、ジハードの時間だ」
二人と三人の決戦の場は学校のはずれの礼拝堂と危険物倉庫の中間あたりであった。 誰かが索敵能力を持っていたのか、二組はすぐ衝突した。
住吉は既に帰りたかった。敵も味方も尋常じゃない殺気である。
「私の伝説の焼きそばパンを横取りしようなんて、断じて許してはおけませんわ」
三人のリーダーは冬頭美麗である。
「僕も神聖な争奪戦を穢した君たちを許さない、許さないんだぁぁぁぁ」
パン崎の感情は爆発し、すさまじい金色のオーラを発した。これがヨガだ。
「いいわ季紗季、相手をしてあげなさい」
「はい、美麗様」
さて、千倉季紗季はどういう経緯で美麗に従ったのか。
きっかけは春の暖かな午後、すっかり散ってしまった校庭の桜を悲しそうに眺める千倉季紗季の前に冬頭美麗は現れた。
「どうして花の命は短いのかしらね。今は植物園の黄色いユリが見ごろなのよ」
「えっ誰ですか。警察呼びますよ」 それが二人の初めての会話であった。それからいろいろあって二人は付き合うことになった。しかし、それは初めから仕組まれた罠であった。美麗の能力は年下の女性を仲間にする能力である。全ては美麗が季紗季の能力を知った時から、その能力だけを狙っていたのだ。偽りの恋に落ちた季紗季はもはや美麗の人形でしかない。
この争奪戦に美麗達は四人一組で参加している。だが、伝説の焼きそばパンを手にするのは美麗一人である。残りの三人は美麗を勝たせるための駒にすぎない。それは三人自身が望んでいることでもある。
「争奪戦のルールでは殺人者に伝説の焼きそばパンを手に入れる資格はありません。だから美麗様を阻むものは私が皆殺しにします」
それが季紗季の決意であった。
殺る気になった季紗季は最強だった。住吉もパン崎ももはやサンドバックの中に入れられたような気分だった。そして、季紗季の一方的な暴力はわずか二分で終わろうとしていた。
あまりに勝負にならない闘いに呆れた美麗の
「もういいですわ、見苦しい。ささっと殺してさしあげなさい」
という言葉が原因であった。
「はい、美麗様の望み通りに」
もはや絶体絶命かと思われた。硬質ワイヤーで強化された拳を振りかざした季紗季は突如反転して美麗の顔を殴り飛ばした。
美麗には訳が解らなかった。確かにほぼ洗脳して忠実な駒にしたはずの季紗季が自分に向かって来るとは。美麗には一つの誤算があった。それは硬質のワイヤーだと美麗が思っていたそれが意思を持ったハリガネムシだということだ。季紗季を操れるのは一人ではなかったのだ。
((季紗季ちゃんに人殺しをさせるなんて許せないねぇ))
季紗季を操るハリガネムシの怒りは美麗に向いた。途中で止めに入った素極端役亜由美を秒殺し、美麗に馬乗りになってその顔を殴った。
((お前を私は許さない。だが私は季紗季ちゃんを人殺しにはしたくない。だからこれ以上お前を殴らない。季紗季ちゃんに謝って欲しい))
ハリガネムシ君は季紗季の体を借りてそう伝えた。それから季紗季は季紗季の意思で美麗の顔を殴った。
((季紗季ちゃん!?))
「全部解っていました。私が利用されていたことも、私が駒だってことも、私のこと…………」
それから季紗季はハリガネムシを解いて、無言で美麗の顔を何度も殴り続けた。ありのままの拳に想いを載せて。
その小さな拳から美麗は今までに感じたことのない暖かさを感じ、その時生まれて初めて恋を知った。
「そうか…………、これが……」
さて、住吉はこの混乱に乗じてパン崎の持っていた焼きそばパンを拾っていた。このままどさくさに紛れて逃げるつもりである。やったと思ったのも束の間で、背後から肩を捕まれた。パン崎の長い腕だ。
「まさか、キミは僕を裏切るのか、裏切るんだなっ」
「いやっそれは、」
「許さないこの外道めが、粛清してやるぞ」
彼のいびつな倫理観に火がついたようだ。住吉は強烈なパンチをくらってひっくりかえっていた。そして、パン崎が馬乗りになる。
「待て、話せばわかる」
「問答無用」
住吉が言葉を発する隙も与えずに拳を叩きこむ。パン崎は裏切り者の顔を一心不乱に殴り続けた。
「頭蓋骨の骨の折れる音を聴いたことがあるか、無いよなぁ?お前はそれを聴きながら死んでいくんだよぉぉぉ」
星空の下では二組の男女が馬乗りになって顔を殴り続けている。それから、空から大きな鳥の形をした炎が降り注いだ。住吉が最期の力を振り絞って呼び出したのだ。住吉の能力は火の鳥を電話で呼ぶ能力だ。炎は危険物倉庫に引火して爆発、四人を太平洋に吹き飛ばした。その時近くを散歩していた幸薄そうな男、闇雲希も爆発に巻き込まれた。
五月七日、いつにも増して熱い風がまとわりつく昼だった。この日の希望崎学園はどこを見ても落ち着かない雰囲気だ。特に四限の授業はどのクラスも時計の針を目で追っている生徒ばかりだ。
長い四限の後、昼休み開始を告げる鐘が鳴った。それまで静かだった学園から一斉に騒々しい音や声が巻き起こる。戦争が始まったのだ。ある者は廊下へ、またある者は窓へ、そして秘密の抜け道へ、それぞれが最速で動き始めたのだ。
そんなただの焼きそばパンを巡る熾烈な戦争を冷めた目で見送る一人の男がいた。住吉弥太郎である。この日の住吉は何も考えずに穴の開いた六法全書にパラパラ漫画を描いていた。
そんな彼の前に現れたのは今一番見たくない顔だった。
「ねぇ住吉クン」
声を掛けてきたのはアデュール麻衣子である。
「住吉クンは焼きそばパン捕りに行かないの」
「あぁ、なんかもう……堅実な俺に焼きそばパンは似合わないみたいだな、やっぱり俺は司法書士にでもなったほうがいいみたいだぜ」
住吉は疲れ切っていた。
「やっぱり堅実ねぇ。つまり焼きそばパンを捕りに行かないのね」
「もう焼きそばパンなんて見ただけで急性胃炎になりそうだ」
それを聞いたアデュール麻衣子の顔には笑みが溢れ出した。
「さすが住吉クン。思った通りの石橋クンだわ、ちょうどよかった」
「つまり何が言いたい」
住吉は六法全書をめくりながら聞いた。
「いやぁ~実は私のかわいいかわいい後輩ちゃんがさぁ、連休中に伝説の焼きそばパンに興味薄れちゃったみたいでね、やっぱり要らないから今回の話はなかったってことで。でも、住吉クンもあんまりやる気ないみたいだしよかったぁー」
住吉は泣きながら六法全書をかじり始めた。
「あっそれでね、今度はさぁ、今度購買部に入荷するらしい幻の黄金甘納豆を捕ってきて欲しいって後輩ちゃんが言ってるのよね」
「幻……黄金…………甘納豆…………あぁ、俺は堅実だから黄金はちょっとな…………」
住吉は六法全書の欠けた部分からアデュール麻衣子を見て言った。
「もちろん報酬は伝説のたこ焼きで支払うわ」
「そう来ないとな、黄金郷が俺を呼んでるぜ」
住吉は六法全書を捨てて飛び上がった。
住吉弥太郎の新たな冒険はこうして幕を開けたのだった。
さて、ちなみに普通の焼きそばパン争奪戦の末路がどうなったのか。
意外にもチート能力を持った人外達は、自分の実力だけで割となんでもなんとかなるのでこの争奪戦には特に興味を示さなかったようだ。そのため、普通の焼きそばパン争奪戦は普通の魔人達が普通に激しく奪い合い、最終的に上下中之という、いかにも普通そうな学生の手に渡ったらしい。