本戦SSその8

5月6日 19:00

自動販売機の前で財布の中を見つめ、兵動惣佳はため息を吐いた。
伝説の焼きそばパン争奪戦前日。日直の後に、経路の確認やルートの検討のために走り回っていたら、すっかり遅くなってしまった。
喉が渇いたからと自動販売機でジュースを買いに来たところで、財布の中身が乏しいことに気づいた。これでは一番安いミネラルウォーターを買うこともできない。

「喉渇いてるんすか?」

突然声をかけられたことによる動悸を抑えながら、辺りをきょろきょろと伺う。
黒髪のポニーテールをぴょんっと揺らしながら、女子生徒が惣佳に向かって笑顔を向けていた。
大きな包丁のようなものを背負っているように見えるが、まあ希望崎では普通のことだ。
顔 に見覚えがないところからして、おそらく2年生か3年生だろう。

「お金足りなくてジュース、買えないんじゃないっすか?」
「え、あの・・・・・・はい」

どうやら一部始終を見られていたらしい。
顔を赤くするが、西日のお陰で上手く隠せている、と思う。
上級生は通学かばんの中から、ペットボトルを取り出した。

「これ、お土産で買ってきたコーラなんすけど、余っちゃって。美味くはないっすけど、良ければどうぞ」
「えっと……ありがとうございます」
「この時間まで残ってるってことは、明日に向けての準備か何かっすか?」
「ええ、まあ……」

不味かったら捨てちゃっても構わないっすからね、と付け足す上級生から、惣佳はボトルをおずおずと受け取った。

「やっぱり食べたいんすか、伝説の焼きそばパン」
「……食べると願いが叶うらしいですね」
「叶えたい願いがあるんすか?」
「はい……でも……」

友達が欲しい。一緒に昼食を食べられるような、仲の良い人間の友達。
でも、焼きそばパン争奪戦に勝つには、私はあまりにも貧弱だ。
そもそも、そんな方法で友達を作ったところで……
口から出掛かかった言葉を飲み込むように、惣佳はペットボトルの中身を流し込んだ。

「あっ! これ美味しい!」
「ええっ!?」

飲んだ瞬間に鼻腔をくすぐる、香ばしい味噌の香り。
サクサクとした揚げたての衣を思わせる炭酸のはじけ具合が、うまみを引き締め、見事に纏め上げている。

「『地域限定 味噌カツ味』……変わ った味ですね!」
「いやいや、無理しなくても良いっす。あげておいて何ですけど、味噌カツ味っすよ? 私、結構色々な土地のお土産食べてますけど、これは今まで食べた中でワーストレベルの不味さっすよ」
「そ、そんなことないですよ!」

自分の味覚を否定されたようで、少しむきになってしまう。
言葉を尽くして味噌カツ味を褒めようとする惣佳の脚に、柔らかい毛玉が触れる。

『やあ、ソーカ。何を飲んでるんだ?』
「小次郎!」

いつも昼食を共にしている、猫の小次郎だ。
どうやら味噌カツコーラが気になるらしい。

「名前つけてんすね」
「え、ええ……一緒にお弁当食べたり……」

変な子だと思われないかな、と少し不安になる惣佳。

「あ、じゃあ 小次郎にもあげるね」

惣佳は手のひらに軽くコーラを注ぐと、膝を折り曲げて小次郎に差し出す。
小次郎は数回臭いを嗅ぐと、ぺろりと舐めた。刹那。

「フミャァァアアア!!!」

全身の毛を逆立てて悶絶。
数秒の間、体をくねらせていたかと思うと、猛スピードでどこかへ走り去ってしまった。

「待って小次郎!」

軽く会釈をし、慌てて小次郎を追う惣佳。
上級生は、あちゃー、といった顔をして、夕日に向かって走っていく一人と一匹を見送る。

「猫の味覚の方が正しいんじゃないっすかねぇ。さーて、人払いと在庫整理も済んだところで」

ふう、と息をついて、舟行呉葉は誰ともなしに言った。

「明日の準備、とっとと終わらせますか」

背中の八徳 包丁が、カチャリと音を立てた。


****************************

5月7日 12:00

「じゃあ来週小テストをやるので、各自復習……」

数学教師が言い終わる前に、教室に4時間目終了を告げるチャイムが鳴り響く。
全校生徒を巻き込んだ伝説の焼きそばパン争奪戦、開始である。
ほとんどの生徒は廊下へと飛び出し、少数の生徒は窓から飛び降りた。いずれも目指す先は同じ、購買部のプレハブ小屋である。
チャイムが鳴り終わったとき、二年B組の教室には、呆気にとられて立ち尽くす数学教師の他に舟行呉葉と冬頭美麗の2名の生徒しか残っていなかった。
美麗は何やら意識を集中させているのか、自分の席から立とうとしない。

「もし もし、部長! こちら舟行っす。持ち場につきました。」

窓際に陣取りながら、携帯電話で調達部部長の大山田に連絡を取る呉葉。
予定では、大山田は既に屋上で双眼鏡片手に待機しているはずだ。

「こちら大山田。先頭集団のペースが早い。トラップはある程度引きつけてから発動させたかったが、仕方ない。一人でも煎餅の上に乗ったら発動させるぞ。合図は俺が出す」
「了解っす」

通学鞄から果物ナイフを取り出し、校庭の地面に狙いを定めながら呉葉は答えた。


****************************


調達部の作戦は、地上と空中の二面同時攻略だった。
前日に、八徳包丁の『抉る』機能をフル使用して構内の随所に穴を掘り、大 山田の能力で巨大化させた煎餅でフタをしておく。
先頭集団が来たタイミングで呉葉が能力を発動、煎餅を細切りにして即席の落とし穴を作り、陸路を完全封鎖するのだ。
その後、授業をサボって屋上で待機していた大山田がクッキーを購買部に向かって次々と投げつつ能力で巨大化、その上を教室の窓から飛び出した呉葉が飛び移りつつ、空路で購買部に向かうという計画だ。

(刃こぼれが酷くなったんで、武器としての八徳包丁の威力はガタ落ちっすよ)

調理と狩猟以外の目的で包丁を使うことになり、若干不機嫌になった呉葉の言葉が大山田の脳裏をよぎる。ナゴヤダガネキシメンとの戦闘で摩耗していた八徳包丁だが、ショベル代わりにしたことで、刃がボロボロになってしまったのだ。
想像以上に加熱している焼きそばパン争奪戦を見るに、貴重な装備を消耗させたのは早計だったかもしれない。
そんなことを考えながらも、大山田の視線は注意深く購買部周辺へと向けられている。

「物騒な昼休みだな……」

先ほどから争奪戦の喧騒の中に、あちらこちらで爆発音や悲鳴が混じっている。
さっきは窓から飛び出した男子生徒が、ワイヤーに絡め取られた。
想定はしていたが、自分たち以外にも他者を妨害するためにトラップを仕掛けている人間がいるようだ。

巨大な粘着マットに張り付いた7人目の生徒を確認したとき、大山田の視界の端を黒い線が掠めた。

「……っ!」

咄嗟のことで判断が遅れたが、すぐさま対象を視界に捉え直した。
眼鏡をかけたツイン お下げの女子学生が、恐ろしい速度でグラウンドを通過していく。
どこにトラップが仕掛けられているのかを把握しているのだろうか。要所要所で曲がったり蛇行したりしながら、購買部へ向かっていく。
後続者は虎挟みに脚を取られたり、どこからとも無く現れた金だらいに頭を強打したりして着実に数を減らされ、距離を離されている。

(落とし穴に巻き込める人数は少ないが……)

大山田は素早く考えを巡らせる。
まずはあの、凄く早く歩む女子生徒を止めることが先決だ。

「舟行! いまだ!」

手にした携帯電話に向かって、大山田が合図を送った。


****************************


冬頭美麗の作戦は速攻型だった。最高速度マッハ2の歩行能力者・素極端役亜由美が、ぶっちぎりでの購買部到達と焼きそばパン購入を目指す。
しかも仲間の罠大居が大量のトラップを仕掛けているという二段構えだ。
素極端役がトラップを避ける為に所々で曲がらなければならないため、最高速度には遠く及ばないが、それにしても並みの移動能力者では相手になるまい。
冬頭は、テレパシーで素極端役に呼びかける。

(聞こえますか、亜由美……)
〔万事快調です。今校舎を出ました〕

冬頭の脳内に、後輩の声が響く。
能力により契約した下級生とは、相互に交信が可能だ。

(私の能力で丈夫になっているとは言え、くれぐれもトラップには気をつけてくださいね)
〔罠大居から聞いて、配置は記憶済みです。 完全独走中〕

日頃全く喋らないと言って良いほどの素極端役が、今日は口数が多い。
自分の能力を使う機会に飢えていた彼女にとって、焼きそばパン争奪戦はまさに晴れ舞台。テンションも上がっているのだろう。
今のところ作戦通りだ。だが、あまりにも順調すぎはしないか。

〔きゃあっ!!〕
(どうしました!?)
〔穴に落ちました。地面が割れて……。多少深いですが、すぐに復帰でき……〕

急に交信が途絶える。
後輩の身に何かあったのではないかと不安に駆られた瞬間、鳥の鳴き声を思わせるつんざくような爆音が、ビリビリと冬頭の鼓膜を震わせる。

「何事です!?」

音のした窓の方へ振り向くと、赤い閃光が鋭く走った。
続けて開け放しの窓から爆風が流 れ込み、地雷の小爆発とは比較にならないボリュームで爆発音が響き渡る。

「なんすか、これは……」

クラスメイトの舟行が、果物ナイフ片手に後ずさりしている。
座っていた椅子を蹴り出し、美麗も慌てて窓際へ駆け寄った。
巨大な穴がいくつも空いたグラウンド、眼下に広がる火の海、随所から上がる黒々とした煙が目に映る。
煙の軌跡を辿るようにして視線が空へと移動し、美麗はその姿を捉えた。

購買部のプレハブ小屋を中心とした学園上空。空を覆わんばかりの大きさの巨大な火の鳥が、紅蓮の炎を吹き出して希望崎を焼き払っていた。


****************************


住吉弥太郎の作戦は単純だった。
能力で不死鳥を 召喚し、購買部の周囲を焼き払う。構内は炎に包まれるだろうが、そこで役に立つのが、先日学校をサボって購入しておいた延焼防止剤だ。

(他の奴らが怯む中、俺だけが知っている燃え広がらない安全な道を進み、焼きそばパンを手に入れる)

GWの間に学校に忍び込み、延焼防止剤で校舎から購買部への道を描いておいた。

(これで伝説のたこ焼きは俺のものだ!)

4時間目の授業中、時折校庭を見やりながら弥太郎は笑いを堪え切れなかった。
窓際の席で、アフロがユラユラと揺れる。
この日の為にコツコツと堅実に計画を進めてきたのだ。準備は万端だ。

昼休み開始後、昇降口へ殺到する学生たちの背後で、住吉弥太郎は携帯電話で不死鳥を呼び出した。

彼の誤算は3つ。
1つは、不死鳥の機嫌が悪く、火の勢いが予想よりも強かったこと。
2つ目は、その激しい炎が他の参加者の仕掛けたトラップに引火し、爆発的な火災を引き起こしたこと。
そして3つ目は、延焼防止剤で描いた道の上に調達部が落とし穴を掘り、構内から燃えない場所がなくなってしまったことだった。


****************************


兵動惣佳に作戦はなかった。
4時間目は美術の授業だったため、彼女のスタート地点は芸術校舎。購買部に一番乗りするにはかなり不利な位置だ。
彼女が美術室を出たのは、昼休みを告げる予鈴が鳴ってから数分後。もう焼きそばパンは誰かが食べてしまったかも知れない。

「まあ、最初から無理かなって思 ってたし……」

言い訳めいた言葉を口にしながら芸術校舎から出た惣佳の目の前を、火の鳥が吐き出した火炎放射が走りぬけた。
呆気に取られる惣佳の目の前で、今度は地面に埋められた地雷が爆発、炎上。
数分前まで平和だった学園が、この世の地獄と化していた。

「……小次郎!」

確か小次郎は、旧校舎を寝床にしていたはずだ。
木造の旧校舎は燃えやすい。もしかしたら……
幸い芸術校舎から旧校舎への通路には、まだ火の手は回っていない。
兵動惣佳は旧校舎に向かって走り出した。


****************************


闇雲希は立ち往生していた。
4時間目は体育。授業の行われる武道場はただでさえ購買部から離れて いるというのに、折り悪く授業が長引いた。
挙句の果てに……。

「なんでこんなことに!?」

武道場から出た希の眼前には、火の海が広がっていた。
強行突破しようにも、つい数秒前に炎に向かって進んでいった男子生徒が地雷を踏抜き、錐揉み回転しながら煙の線を描いてどこかへ吹き飛んでいった光景が網膜に焼き付いて離れない。
自身と購買部との間に広がる、燃え盛る地雷原を前にして、急造で身に付けた殺人剣術など何の役にも立ちはしない。

「不幸だ……」

己の不運を呪う。
自分にはこの難関をくぐり抜け、焼きそばパンにたどり着く力はない。
だが伝説の焼きそばパンを、満足感という夢を諦めることはできない。

「嗚呼! 伝説の焼きそばパン!」

隈を押しのけて目を見開き、痩せこけた顔を天に向け、希は吠えた。

"焼きそばパンが食べたいか……?"

世界が静止する。脳内に声が響く。
この感覚、今までに何度も経験したことのような気がするが、詳しいことは全く思い出せない。
答えてはいけない。いけない気がする。しかし……

"伝説の焼きそばパン食べたい? 食べたいよねえあれチョー美味いもん"

脳内の声の調子が少し変わった。やけにフランクだ。

"え、お前食ったことないのマジで? うわー人生損してるわー人生10割損してると言っても過言じゃないくらい損してるわー"

脳内の声が早口でまくし立てる。

「10割? 人生って焼きそばパンで出来てるの?」
"そのくらい美味いってことだよ言葉のあやだ よ察しろよそんくらいよぉーてかマジで美味いんだって。軽く焦げたソースと紅しょうがの香りが鼻腔に広がって、まず鼻が幸せよ。んでもって食べてみるとマジやべえのよ、もう極楽? 天国? もっちり麺とふんわりパンのハーモニーが口の中で小宇宙的大爆発よぉ、脳内麻薬ドッパドッパ出るよ幸せの絶頂よ桃源郷はここにあったのかってな"
「桃源郷……」

思考がゆるみ、希の意識は焼きそばパンの幻影を見る。 

"どう? 焼きそばパン欲しいでしょ? 契約しちゃう? しちゃおうよー"
「契約……」

究極の幸せの形、満足の権化。それが手に入るのであれば……。

「契約しよう。焼きそばパンが食べたい」
"はいご契約ありがとうございます!"

怪しい光とともに、地面 に直径1m程の魔方陣が浮かび上がる。
魔方陣は瞬く間に大きく広がり、光の柱を空に向かって撃ち出した。

"産地直送! 鮮度第一! 生きのいい最高級のヤキソバ、お待ちっ! 俺は食ったことねえけど、まあせいぜい頑張れやー"

地響き。巨大な物体に押され、空間が揺れ動く。
辺りに火の粉を撒き散らし、武道場前に全長15mの化け物が現れた。


****************************


冬頭美麗は冷静に状況を分析する。
校庭のコンディションは最悪と言ってよい。
罠大居からの連絡によると、火の鳥以外にももう一体、構内に巨大怪獣が出現し暴れているらしい。

「作戦プランBに移行しますわ!」

美麗は一つの結論に達した。能力発動『誓いの元集え我が銃士達(ワンフォーオール・オールフォーワン)』
何もなかった空間に、突如として女子生徒が出現した。

「蝶華宅 鳴代(ちょうかたく・なるよ)、参上致しました」

一年女子が落ち着いた声で答えた。色素の薄い肌と髪が、どこか無機質な印象を与える。

「購買部周辺の惨状はご覧になりましたわね? 貴女のお力、お借りしますわ」
「了解」

顔を向け、手と手を取り合い、密着する美麗と鳴代。

「鳴代……」
「お姉さま……」

潤んだ瞳の中に、お互いの姿を認める。
白い肌が上気し、うっすらとしたピンク色に染まる。
ぷるんとした瑞々しい唇が微かに動き……そして……

「「合体!!」」

2人は高らかに宣言する。
どこからか特撮ヒーローのテーマ曲を思わせるBGMが流れる。と同時に、蝶華宅と冬頭の身体が眩しい光に包まれ、一つの光球になったかと思うと、激しい機 械音を発し始めたではないか。

蝶華宅鳴代は「高性能プロテクトアーマーに変形する」魔人能力、「グリズリースーツVer.11」の使い手。
合体のテーマが鳴り終わった時、高校の教室に似つかわしくない重厚な装甲に身を包んだフルアーマード冬頭美麗の姿がそこにはあった。

「行きますよ、鳴代!」
「はい、お姉様」
「そうはさせないっすよ!」

八徳包丁を振りかざし、銀色の機械鎧を纏ったクラスメイトに攻撃を仕掛ける。
刃こぼれし、多少脆くなっているとは言え、巨大な包丁。打撃武器としてだけでも、十分な威力は出る。

「やあっ!」

呉葉は気絶させようと、首筋を狙って八徳包丁を叩きつけた。
腕に伝わる緩い振動。 バキンッ!という硬い音とともに、手元が 急に軽くなる。
八徳包丁を見やると、刃が中程からポッキリと折れているではないか。
一方、冬頭の装甲にはかすり傷すらついていない。

「嘘っ!?」

予想外の出来事に戸惑う呉葉の隙をつき、冬頭は右腕を思い切り薙ぎ払う。
机を4,5卓巻き込みながら教室の反対側までふっ飛ばされた呉葉は、壁際の柱に後頭部を強く打ち付け、動かなくなった。

「……すみませんわね、舟行さん」

軽快なモーター音を響かせて、教室の窓からの跳躍。そして着地。
火柱と土煙が上がる中、十数メートルの落下の衝撃にもびくともせずにフルアーマード冬頭美麗は立ち上がった。
変形した蝶華宅を身に纏えば、燃え盛る大地も、埋められた地雷も、荒れ狂う巨大怪獣も怖くはない。
あとは地 獄絵図と化した構内を突っ切り、堂々と入店して焼きそばパンを購入すれば良い。
購買部まで直線距離にして約15m。周囲には誰もいない。
勝利を確信し、美麗は叫んだ。

「伝説の焼きそばパンは、私(わたくし)のものですわ!」

と、次の瞬間、けたたましいサイレンの音とともに合成音声が響く。

『緊急事態発生、緊急事態発生。通常営業の継続は不可能と判断。災害時営業形態<シェルターモード>へと移行します。繰り返します……』

蛍の光が流れ、購買部のプレハブがゆっくりと地下に下降していく。

「ああ! 待って! 待ってくださいまし!」

美麗の悲痛な声は、プロテクトアーマーによって阻まれ購買部の店員には届かない。
防御性能を重視したあまり機 動性を犠牲にしたこの身体では、滑りこみ入店も叶わない。

美麗が辿り着いたとき、既にプレハブ小屋はそこにはなかった。
地面に張られた分厚いシャッターが、購買部の下降口を覆い隠している。まるで来店を拒絶するかのように。

「なんで……どう、して……」

心強い仲間たちを揃えた。全員が全力を出し切った。それなのに……。
周囲の炎に煽られて熱をもったシャッターを叩き、悔し涙に濡れる。そんな彼女たちに答えるように、合成音声が流れた。

『またのご来店を、お待ちしております』


****************************


「……ッ!!」

誰もいなくなった2年B組で、舟行呉葉は目を覚ました。
慌てて腕時計を 確認する。どうやら冬頭に撥ね付けられた勢いで壁に頭を打ちつけ、一分弱気絶していたようだ。
軽い脳震盪でも起こしているのだろうか、視界がグラグラする。かなり打ち所が悪かったようだ。

『どうした舟行! 応答しろ!』

繋いだままの携帯電話から、大山田部長の声が聞こえる。

「すみません部長! 焼きそばパンは!?」
『ああ、良かった、無事だったか。焼きそばパンはまだ買われていないはずだ』
「でも冬頭さんが……あれ、購買部がない!?」

外の様子を確認しようと窓際に駆け寄った呉葉は、素っ頓狂な声を上げる。
ついさっきまで炎の中に要塞の如く鎮座していたプレハブ小屋が、綺麗さっぱり消失している。

『購買部はシェルターモードに移行し、地 下に潜った。俺も先輩から聞いたことがあるだけで、実際に見るのは初めてだが……』
「地下!?」
『大規模火災だの地雷の爆発だの、周囲がこの有様だ。購買部の自動防御機能が、緊急災害と判断したんだろう。分厚いシャッターに守られて、もう地上からはアクセスできん』
「地上からは……ということは、どこかに通路があるんすね」
『察しが良いな』

大山田部長の声量が、ここでグッと小さくなる。

『調達部内の古い記録の中に、シェルターモードの購買部に商品を納入するための経路が書かれているのを見たことがある。入り口が旧校舎にあることは間違いないんだが、すまない、詳しい場所までは記憶していない』
「旧校舎と言っても、かなり広いっすよ」

かつてのハル マゲドンの際に破壊され、今は廃墟と化している旧校舎であるが、敷地面積は新校舎の二倍ほどある。
闇雲に地下通路への入り口を探していては日が暮れてしまう。

『今、調達部の部室に向かっている。通路に関する資料を探して、はっきりと場所が分かり次第、改めて連絡する。取り敢えず舟行は旧校舎へ向かってくれ。あと……』

大山田部長の声が一段と低くなった。

『地下通路の存在は恐らく、調達部しか知らん。だが、諜報能力のある魔人に掛かればこんな秘密、あってないようなものだ。この電話も盗聴されていると思って良いだろう。気をつけろ』
「……了解っす」

電話を切り、教室を飛び出した。
その瞬間、足がもつれて廊下の壁にぶつかる。
冬頭にやられた頭の痛 みは、まだ引かない。視界の揺れも酷いが、収まるのを待っている余裕はないだろう。

「こんなことなら、素直にヤキソバを狩ってくれば良かったっす……」

額に手を当てて深いため息を吐き、呉葉は旧校舎に向かって再び走り出した。


****************************


「何なんだよこの化け物は!?」

武道場前に突如出現した、異形の巨大生物。電信柱のような太さの尻尾を振り回しての一撃を飛び退くように回避しながら、闇雲希は悲鳴を上げた。
攻撃能力をもつ同級生の魔人学生たちが、銃撃を加えたり雷を直撃させたりアナルをファックしたりしているが、化け物に効いている様子は全く見られない。

「殺人剣術 七の型『心臓爆発突き』」

化け物の腹部に狙いを定め、手にした日本刀で全力の突きを繰り出す。
人間にヒットすれば即座に心臓が爆発して死に至る文字通りの必殺技も、化け物の表面を覆う甲殻に弾かれ、希の手が痺れるだけだった。

「ヤ゛キイイィィィィイイ!!!」

脚に走った衝撃が気に食わなかったのだろうか。化け物は激昂したように甲高い声を発する。
巨体を数回振るわせると、化け物は口から粘度の高い紫色の液体を砲弾のように射出した。

「やべえっ!」

本能的に抱いた危機感に煽られ、逆エビ反りの体勢をとって液体を回避する希。
標的に避けられた液体は舗装された地面に叩きつけられ、シュウシュウという音と白煙をたてながらコンクリートを溶かして いく。

「ひいいいっっ!」
「た、助けてくれぇっ!」

化け物の戦闘能力の高さに恐れをなしたのか、戦っていた学生がひとり、またひとりと逃亡していく。

「不幸だ……」

そう呟く希に対して、化け物は再び毒液を噴射した。


****************************


「もしもしこちら舟行っす。旧校舎に到着しました」

携帯電話を取り出し、大山田に連絡を取る。
幸い、旧校舎には火の手は回っていないようだ。

『こちら大山田。すまないが、まだ通路入り口の場所は分からん。窓から確認する限り、学生の一部が旧校舎の方へ移動し始めている。やはり情報が漏れたようだな』

大山田が応答する。

『こちらは引 き続き資料を探す。舟行も怪しい場所を虱潰しに探してみてくれ』
「分かりました」
『他の学生が旧校舎に着くまではまだしばらく時間があるだろうが、くれぐれも気をつけてくれ。一人では心細いかも知れんが、健闘を祈る』

一旦電話を切り、さてどこから探したものかと思案する呉葉の耳に

「小次郎!」

どこかで聞いたことのある声が届く。
廊下の角を曲がると、昨日自動販売機前で話をした女子学生が、猫を拾い上げて頬ずりしていた。

「良かった、小次郎! 無事で良かった!」

彼女は猫を腕に抱えクルクルと回っていたが、廊下の角から顔を出す呉葉を見つけ、顔を赤くする。

「あ、昨日の……」
「……どうもっす」

(なぜここに……?)

女子学 生の存在を、呉葉はいぶかしんだ。

(地下通路に関する情報を聞きつけて……? それにしては到着が早すぎる。体つきからして、高速移動が可能な能力者にも見えないし……)

呉葉の表情から察したのだろうか。惣佳は口を開いた。

「えっと、校舎やグラウンドの方が凄く燃えてて、この子が心配になって、それで……。そちらこそ、どうして旧校舎なんかに?」
「そ、それはっすねえ……」

呉葉は口ごもった。
目の前の相手は焼きそばパンの入手を争う、言わば敵。
本来であれば、馬鹿正直に旧校舎まで来た理由を話す訳にはいかない。
本来であれば……

その瞬間、呉葉は閃いた。

「ここに来たのは、シェルターモードになって地下に潜った購買部に続く、秘密通路 の入り口を探すためっす」
「地下? 秘密通路?」

惣佳は目を丸くする。
てっきり炎から避難してきたのだろうと思っていたからだ。

「自己紹介がまだだったっすね。私、2年で調達部の舟行呉葉と言います。そちらは?」
「え、えっと、1年の兵動惣佳です。こっちは猫の小次郎」

小次郎が惣佳の腕から飛び降り、呉葉に向かってにゃあと鳴く。
実際は『よろしくな』と言っていたのだが、それが分かるのは惣佳だけだ。
小次郎の返答から一拍おいて、呉葉は本題を切り出した。

「惣佳ちゃん、頼みがあります。伝説の焼きそばパンを手に入れるために、力を貸してくれないっすか?」
「ええっ!? ど、どうして私に?」
「惣佳ちゃん。伝説の焼きそばパンは恐ろしいも のっす……」

眉間に皺を寄せ、舟行呉葉は滔々と語りだす。

「数年に一度入荷される、伝説の焼きそばパン。食べたものは願いを叶える……否、究極的にはこの世の全てを手に入れることすら可能っす。そんなものがもしも、もしも悪しき心をもつ者の手に渡ったら……」

ここで呉葉は芝居掛かった動きで大きく天を仰ぎ、惣佳に対して背を向けた。

「……この世は、闇に覆われる……」
「……ッ!」

惣佳は息を呑んだ。
惣佳の反応を背中で感じ取った呉葉は、バッと音を立てて惣佳の方へ振り返った。

「伝説の焼きそばパンを調達し納品した調達部としては、そんな輩共に焼きそばパンを渡す訳にはいかない! でも惣佳ちゃん! 動物と心を通わせられるような、貴女の ような心の綺麗な人物であれば!」

つかつかと歩み寄り、惣佳の手を握る。眼鏡の奥の黒目がちな瞳を、まじまじと見つめる。

「伝説の焼きそばパンを食べても決して悪用しない! そう信用できる!」
「そ、そんな……」

見つめられるのが恥ずかしくなり、惣佳は思わず顔を逸らす。

「お互いに助け合って、共に焼きそばパンを手に入れてはくれないっすか!」

呉葉は頭を下げた。
惣佳にとっては、まさに降って湧いたような話だ。焼きそばパンの入手は、もう完全に諦めていたのだから。
しかしだからといって……
返答を渋る惣佳を見て、呉葉は口を開く。

「昨日もちょっと思ったんすけど、もしかして、伝説の焼きそばパンに頼って願いを叶えることに、後ろめた さを感じているんじゃないっすか?」
「……」

図星だった。
惣佳の願いは、友人を作ること。
ただ、不思議な力に頼って友人を作ったところで、それは本当に友人と言えるのだろうか?
惣佳はそんな自分の疑問に、未だ答えを出せずにいた。

「惣佳ちゃん!」

パンッ!と両手を惣佳の両肩に乗せると、呉葉は力強く、まっすぐに目線を向けて言った。

「本当に叶えたい願いだったら、どんな手段を使ってでも叶えるべきっす! それは少しも恥ずかしいことなんかじゃない!」

トンッと背中を押された気がした。

『そいつの言う通りだ、ソーカ』

足元で小次郎が声を上げる。

『私は寂しそうなソーカよりも、友達に囲まれて笑っているソーカを見たいと思う ぞ』
(……ありがとう、小次郎)

足元に目配せして心の中でお礼を言う。小次郎は照れくさそうにプイと横を向いた。
クスリと笑うと、惣佳は呉葉の方を向いた。

「……分かりました。協力します。いえ、協力させてください、お願いします!」
「ありがとうございます!」

(よっし!)

呉葉は心の中でガッツポーズをしていた。

呉葉の目的は、焼きそばパンを購入することではない。伝説の焼きそばパンの具が、実はきしめんであるという事実を隠蔽することだ。
つまり、焼きそばときしめんの味の違いが分からないような、味覚が鈍い人間が焼きそばパンを食べることになれば、目的は達成されるのである。
惣佳との会話の途中で、呉葉は昨日の出来事を思い出したの だ。

(惣佳ちゃんは、あの激マズの味噌カツコーラを美味いと言うほどの味音痴! 焼きそばときしめんの違いには気づかないはずっす!)

湧き上がる笑いを堪える。

(恐らくここから先は、他の学生からの妨害工作が増えるはず。私自身も本調子でない今、人手は多ければ多いほど任務成功の確率は上がる!)

「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくっす!」

両者が固い握手を交わしたところで、呉葉の携帯電話が鳴った。
大山田部長からの着信だ。

『もしもし、舟行か。資料が見つかって、地下通路の入り口の詳しい場所が分かった。第一校舎の階段裏だ。地下通路に下りる穴があるはずなんだが』
「第一校舎の階段裏……丁度この辺りっすね」

辺り をキョロキョロと見渡す呉葉。

「階段って、あれじゃないですか?」

惣佳が指差す方向には、どことなく階段を思わせる焼け落ちた木造物がある。
裏側を調べてみると、瓦礫の下に埋もれている跳ね上げ式の扉が見つかった。
かなり錆付いているが、何とか開きそうだ。

「大山田さん、見つかりました。……大山田さん?」

携帯電話の画面を見ると、いつの間にか通話が切れている。

「ん~~~~!!!」

声のした方向を見ると、惣佳が扉を開けようと頑張っている。
嫌な予感を抑えつつ、呉葉は惣佳に手を貸した。


****************************


大山田末吉は調達部部室の床でうつ伏せに倒れていた。
気を失 っているのか、ピクリとも動かない。

「絶対に……」

腰をかがめ、大山田が掴んでいるものから彼の指を引き剥がす。
彼女が奪い取ったのは、古ぼけた冊子のようなものだった。 

「絶対に手に入れるんですわ……」

手にした地下通路の図面を見ながら、冬頭美麗は目を爛々と光らせた。
後ろには蝶華宅鳴代も控えている。

「わたくしこそが……伝説の焼きそばパンを……!」


****************************


ババババババ……

地下通路を急ぐ二人と一匹の耳に、後方からエンジン音が届いた。
大山田部長の警告通り、どこからか漏れた情報を頼りに、焼きそばパン争奪戦参加者が地下通路に入り込んで来たようだ 。
入り口から呉葉らが今いる地点まではかなりの距離があったものの、まっすぐの一本道だ。

「バイク関係の能力者か何かっすか。すぐに追いつかれそうっすね」

呉葉は身体能力に優れた魔人である。
普段ならもっと早い速度で移動できるのだが、疲れと冬頭にやられた際の後遺症のせいか、一般人並みの体力しかないはずの惣佳と同程度の速度が精一杯だ。
そうこうしている間に、バイクの音はすぐそこまで迫っていた。

「惣佳ちゃん、私に何かあっても先に進んでくださいね!」
「そんな……」
「いいから!」

呉葉の鋭いまなざしを受けて、惣佳はこくりと頷いた。

「……分かりました!」

呉葉は走り続ける惣佳を見送り、追跡者を迎え撃とうと踵を返す。

「ヒャッハアアア!!!」 

鬨の声と共に、バイク音源の姿を捉える。
下半身がバイクの座席と合体したモヒカン頭の男子学生が、釘バットを振り回しながら突っ込んでくる。
釘バットの一撃を呉葉は、中ほどから折れて半分の長さになった八徳包丁で受け止める。
が、バイクの速度の乗った釘バット打撃の勢いを殺しきれず、通路の壁に叩きつけられる。
体勢を立て直そうとする呉葉を轢き潰そうと、高速回転する大型バイクのタイヤが迫った。

「伝説の焼きそばパンを手に入れるのは、このモブ山ザコ助様だあああ!!!」

バイクのライトに顔を照らされ目が眩む。

(防御しきれない……っ!)

呉葉は覚悟を決めた。
その瞬間、鎖に吊るされた巨大な鉄球が右から大振 りで現れ、バイクの車体に激突する。
横からの衝撃に弱いバイクは軽々と吹き飛び、数メートル通路を滑走し、横倒しになって止まった。

「助けてくれえっ! この形態は一人で起き上がれねえんだっ! アガッ!?」

ジタバタともがくモブ山の後頭部に一撃入れて静かにさせると、呉葉は天井から吊るされた直径1.5メートル程の鉄球をまじまじと見つめる。
さっきまでこんなものはなかったはずだ。ということは……。

(魔人能力! 妨害工作っすか!)

たまたま命を救われたが、この鉄球の餌食になっていたのは自分だったかも知れないのだ。
ますますうかうかしていられない。


****************************


「ふひひ ひ……罠、いっぱい、いっぱい……ふひひ……」

冬頭美麗から渡された地下通路の図面を凝視しながら、冬頭三銃士の一人、罠大居照子は能力を発動し続けた。
罠大居の能力「エリア51」は、「映像として認識した場所に任意の罠を即座に出現させ、自在に操作や得た情報の認識等を行う」というもの。
構内に仕掛けられた数千を超える地雷等の罠は、全て彼女が設置したものである。
地下通路が作られたのはかなり昔だったため、映像は残ってはいなかったものの、図面を見て大まかな造りさえ把握できれば、能力の発動自体は可能だ。

「単純な構造の罠しか置けないけど……ふひひ、数打ちゃ当たるってね、ふひひひ……」


********************** ******


「トラップに気をつけて!」

ようやっと追いついた呉葉が、惣佳に警告する。
呉葉は走りながら、先ほどの出来事を報告する。

「つまり、罠を出現させる能力者に、この通路が狙われているんですね」
「そういうことっす。罠以外にも、違う能力をもった魔人が攻撃を仕掛けてくるかも知れないっす。精神攻撃を食らった私がおかしなことを言い出しても、無視して焼きそばパンに向かって走ってくださいね」

首肯する惣佳。
それを確認した呉葉が再び顔を前に向ける。

(空気の流れが、少し変わったような気が……)

呉葉は以前、調達任務で洞窟探査をしたときのことを思い出した。

(今まで単調な一本道だったけど、この先に部屋みたいな、大き めの空間があるのかも知れないっすね)


****************************


「邪魔ですわああああっっっ!!!」

地上と同様に通路もまた、阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。
フルアーマード冬頭美麗が、天井から垂れ下がった鎖を引きちぎり、巨大鉄球をブン回す。
逃げ惑い、次々と罠大居謹製トラップの餌食になっていく学生たち。

「わたくしは、負けるわけにはいかないのです!」

元々銀色だった装甲が紅へと変色しているのは、返り血か、それとも彼女の燃え上がる闘志を映し出しているのだろうか。

「負けるわけには!! いかないのです!!!」

購買部へと続く通路を行くその背中から漂う殺気に、また数人の学 生が戦闘意欲を喪失した。


****************************


(予想通りっすね)

呉葉たちは、十字に通路の伸びた小部屋に行き当たっていた。
どの通路も先は暗く、正解のルートがどれなのか分からない。

「確率は三分の一っすか……」

ここで、惣佳に抱かれていた小次郎が、彼女の腕からぴょんと飛び降りる。
スンスンと周囲を嗅ぎまわっていたかと思うと、一声にゃあと鳴いた。

「小次郎が、右の道から食べ物の匂いがするって言ってます」
「じゃあこっちが購買部っすね」

時折後ろから断末魔のような叫び声が聞こえて来ることからして、攻撃性能の高い後続が迫っているのだろう。
時間を無駄にしている余裕 はない。
進行方向を即決すると、再び走り出す。
と、ここで、呉葉の頭に一つの疑問が浮かぶ。

「……惣佳ちゃん、猫の言葉が分かるんすか?」

走りながら、惣佳に質問する呉葉。
もやもやとした何かが膨れ上がっていく。
そんな呉葉の気を知ってか知らずか、惣佳は意外そうに答えた。

「え、知らなかったんですか? でもさっき、私のことを『動物と心を通わせられる』って……」
「いや、それはただ単に猫と仲良しだなーってことで……あれ……」

呉葉の脳内で、パズルのピースが組み合わさっていく。
味噌カツコーラを飲んだ際の小次郎の様子。
即ち、正確な味覚をもつ猫の存在。
その猫と会話でき、食事を分け合う惣佳。

(惣佳ちゃんが焼きそばパンを 小次郎に分けて……)

突如足元に草結びが出現し、呉葉の脚を絡め取る。

(小次郎が具の正体に気づいたら、当然惣佳ちゃんの耳にも入る。となれば……)

倒れていることを自覚しながら、思考は回り続ける。そして……

「……購買部にバレるじゃないっすか!!!」

転倒した呉葉に向かって、天井から「10t」と書かれた巨大な分銅が降ってきた。咄嗟に転がって回避すると、今度は上から檻が落ちてくる。
これは避けるのが間に合わなかった。
ガシャーン!と金属音が響き、呉葉は檻の中に閉じ込められる。
心配そうな目を向ける惣佳に向かい、呉葉は言った。

「焼きそばパンは私が買う!」
「ええっ!?」

急にどうしたんだろうと混乱する惣佳に向かい、呉葉 は叫ぶ。

「本当に叶えたい願いだったら、自分の力で叶えるべきっす! それを焼きそばパンに頼ろうだなんて!」
「さっきと言ってる事違うじゃないですか!」
「事情が変わったんすよ!」

呉葉は檻を持ち上げて出ようとする。

「んぎぎぎぃぃ……お、重いぃぃ……」

天井部分が分厚い鉛でできている檻は、見た目よりもかなり重量がある。
手伝おうとする惣佳に、小次郎が声をかけた。

『ソーカ、こいつのさっきの言葉を思い出せ。おかしなことを言い出しても……』
「なるほど! これは精神攻撃!」
「ち、違う!」

納得する惣佳。慌てる呉葉。

『何かあっても』
「無視して焼きそばパンに向かって走る!」
「やめろおおぉぉ!!!」

開店中 の購買部を示す電飾は、既に見えている。
距離にして数十メートルといったところだろう。

「先輩! 私、絶対に焼きそばパンを手に入れますね!」

そう言って小次郎と共に走り出す惣佳。

(マズイマズイマズイやばいやばいやばい!!!)

ここで諦めては、今までの苦労が水の泡だ。
鉄格子の下部を掴み、全身全霊を込めて檻を持ち上げる呉葉。

「うおおぉぉぉぉおああああああああ!!!!!」

腕が、肩が、太ももが悲鳴を上げる。
だが、一際鍛えられた腹筋が喝を入れ、体全体が一致団結し、檻と床の間に僅かな隙間を生んだ。
まさに火事場の馬鹿力。

「どおぉぉおりゃああああっっっっ!!!!!!」

隙間を広げ、狭いスペースに身体を滑り込ませ 、なんとか檻から脱出を果たす。
距離を離されたものの、まだ間に合う。火事場の馬鹿力は継続中だ。
走りだす体勢を取る呉葉に、再び鉄球が襲いかかる。

「ふんっっっ!!!」

気合一発、鉄球を蹴り返し、走りだす呉葉。
と、足取りに違和感を覚える。
見やると、トリモチが右足をガッチリと捕らえて離さない。
なんとか引き剥がそうと悪戦苦闘している内に、惣佳はますます先へと行ってしまう。

「どうして、私ばっかり!」

惣佳の先を行く小次郎が動物的本能で罠のない場所を選んで彼女を誘導しているのだが、そんなことは知らない呉葉は悪態をつく。
トリモチから開放された呉葉が今度こそと走り始めたとき、惣佳との差は絶望的に広がっていた。
だが……

「調達部エースをぉぉおお!! 舐めるなあぁぁああ!!!」

猛加速、猛ダッシュ。
差はぐんぐんと縮まる。
だが、追いつかない。追いつくことは、できない。
足ふきマットの上に歩を進め、先に入店したのは猫をつれた1年生だった。

猫の顔を模した小銭入れを取り出しながら、レジに立つ人物に向かい兵動惣佳は注文した。

「焼きそばパンっ! 伝説の焼きそばパンをください!」


****************************


頭に響くような鈍痛を抑え、大山田は立ち上がった。
呉葉との連絡中に、後頭部に衝撃が走ったのは覚えているが、そこから先は記憶がない。
地下通路に関する資料がなくなっていることからして、焼きそばパ ン目当ての参加者に襲われたのだろう。
時間を確認しようと携帯電話を開き、メールが来ていることに気付く。

「舟行か?」

そう思いながらメールアプリを起動した大山田は、差出人欄を見て打ち震えた。

「江別(えべつ)……先生……」

調達部が最も恐れる存在。後ろめたいことこの上ない今の状況で、大山田が最も話をしたくない相手。
購買部創設者にして現顧問の江別教員の名前が、そこにはあった。


****************************


「げえっ! 江別先生!」

兵動惣佳に遅れること2秒。購買部に走りこんだ呉葉は、レジに立つ初老の男性を見て奇声を上げた。

「げえっ! とはなんですか」

驚く顔が見 たかったのだろう。
ふわふわとした白髪に豊かな白い髭、カーネルサンダース人形を思わせる、穏やかさを絵に描いたような風貌の江別教員は、ハハハと声を上げて笑った。

「なんで……ご実家のご都合で、一学期の間は休職されるというお話では……」

呉葉が産地偽装などという不正に走ったのも、江別が不在にしていたため、ある程度手を抜いても大丈夫だろうという甘い考えがあったからだった。

「何でも伝説の焼きそばパンが入荷されると聞きましてね、久方ぶりのお祭りということで、遊びに来たという訳ですよ。ところで、えーっと、伝説の焼きそばパンが欲しいんでしたね?」

江別教員はレジに並ぶ惣佳に向き合って言った。

「ごめんなさいね、焼きそばパンはないん ですよ」

江別の目がスッと細くなり、視線を呉葉に向ける。
全てを見透かしているかのような、否、彼は全てお見通しなのだ。自分の行動も、そして……

「焼きそばパン"みたいなもの"はあるんですけどね……」

グワン、と空間が揺れたような気がして、呉葉の意識が一瞬遠のく。
押し潰されそうな重圧が江別から放たれ、全身から一気に汗が噴き出る。顔から血の気が失せるのが分かる。
どんな巨大生物と対峙にした時よりも濃厚な、死の影の色。

「あ……あの……あの……」

喉がカラカラだ。息ができない。
購買部の白いタイルの床に、崩れ落ちるようにぺたん座りの体勢になる呉葉を見て、江別教員の目つきがフッと緩む。
それに伴って、呉葉の身体にも自由が戻っ た。

「も、申し訳ございませんでした……」

その体勢のまま手をつき、深々と頭を下げる呉葉。
暫しその姿を見ていた江別教員はフウと息をついた。

「まあ、わざわざ遠くまで行く理由もなし、何かしらの事情はあったのでしょう」

そう言って、何かを探し始める。

「確かチラシには『5月7日 昼休み 伝説の焼きそばパン 入荷予定』と書かれていたはずですね」
「え、ええ」

話を振られ、同意する惣佳。
正直な話、先ほどから、何が何やらわけが分からない。

「ということは、昼休みが終わる前にヤキソバを倒して、焼きそばを手に入れれば良い。そういうことになるんじゃないですか?」
「そ、それはそうかも知れませんが……」
「これを見てください」

壁に備え付けられた液晶ディスプレイに向けて、リモコンを向ける。
監視カメラの映像だろうか。叩き潰されたように破壊された武道場と、そこで暴れる巨大生物の姿が映し出される。

「……これ、希望崎っすよね? どうしてこんな場所にヤキソバがいるんすか!?」
「詳しい事情は分かりませんが、購買部がシェルターモードに移行す る数分前に出現したようです」
「かなり大きいっすね。7~80年は生きてるんじゃ……」

液晶を見つめる呉葉。
麺類は、生まれてから死ぬまで成長し続ける。よって、年を取れば取るほど体格も大きくなるのだ。
本物のヤキソバを見るのが初めての惣佳も、眼鏡の位置を直してモニターを覗き込む。

「あの大きさであれば2……いや、3人分は焼きそばが取れると思います。味もかなり深みが増してるでしょうし、熟成する必要もないっすね。生でイケます」
「それならば、やることは一つしかないですねえ、調達部エースさん?」
「いや、それが……」

呉葉はボロボロになった、かつて八徳包丁だったものを取り出して見せる。

「武器がご覧の有様でして」
「そんな貴女に、はい これ、八徳包丁。今なら五徳ナイフもついてくるお得な十三徳キャンペーン実施中で」

笑顔で新品の八徳包丁を取り出す江別教員。

「お値段なんと税込み13万9800円」
((た、高い……!))

学生2名は息を呑む。

「……経費では?」
「落ちません」
「そっすか……」
「ああ、分割ローンという手もありますよ」
「……」

ピロリロン♪という軽快な音が流れ、自動ドアが開く。

「焼きそばパンをいただけますかしらっ!?」

装甲を身に纏ったまま、冬頭美麗が息を切らして駆け込んできた。

「これで先着3名様。予約締め切りですかねえ」

江別教員が呉葉に笑顔を向ける。

「……八徳包丁、ローンでお願いします。あと」

呉葉は観念したよう に言った。

「玉ねぎを5個程いただけないっすか?」
「それはオマケしてあげましょう」

江別はまた、フフフと笑った。


****************************


「助太刀に来ました!」

昼休み終了10分前。
グラウンド以上にボコボコと穴が開いた武道場前に到着した呉葉は、ただ一人ヤキソバと対峙しているコープスペイントの同級生に声を掛けた。

「助かる! もう限界だ!」

数十分にも続く戦闘で、闇雲希はかなり消耗している。
だがそれは、目の前の化け物も同じだ。

「私が視界を奪います。また大暴れして毒液吐きまくると思いますけど避けて、どれでも良いので右脚の内の一本の関節部分を叩き斬って欲しいっす 」
「分かった」

希の返事を聞くと、呉葉は2つ玉ねぎを放り、八徳包丁を抜く。
能力『C・C・C』発動! 玉ねぎが瞬時に目潰しパウダーへと変わり、ヤキソバへと降り注ぐ。
しかし、長年大自然を生き抜いてきた野性は伊達ではなかった。ヤキソバは巨体を素早く捻り、玉ねぎを回避して視界が奪われるのを防ぐ。

「これは、なんとかして動きを止めないとマズイっすね」
「事情はよく分かりませんが……」

聞き慣れたクラスメイトの声が響く。

「この化け物を倒せば伝説の焼きそばパンが手に入るのですわね?」

装甲を纏った冬頭美麗が、ヤキソバの右脚を抱きかかえるように掴んでいる。
呉葉と希に意識を取られていたのだろう。冬頭の攻撃に対するヤキソバの反応が僅 かに遅れた。

「これでどうですっ!」

15mの巨体を薙ぎ倒す、見事なうっちゃり。
6本の脚が宙を掻く。この体勢からでは回避は不可能だ。

「流石っすね!」

かつての敵に賛辞の言葉を送り、手にした3つの玉ねぎをヤキソバの顔面に投げつける。
続けて『C・C・C』を発動。玉ねぎ催涙弾がヤキソバの眼球を直撃した。

「ャキィィィィイイイイ!!!!」

凄まじい雄叫びと共に冬頭を振りほどき、巨体が起き上がる。
だが、先ほどよりも格段に速度は遅い。
続けてヤキソバは体躯を震わせ、毒液の乱射への体勢を取る。

「今っす!」

呉葉は毒液と太腕の一撃を掻い潜り、素早く二本の左脚を切断した。
ワンテンポ遅れて、希も斬撃を繰り出す。

「殺人剣術 九の型『脳味噌爆発斬り』」

刀を振りぬき、確かな手応えを感じた。
人間にヒットすれば即座に脳味噌が爆発して死に至る、文字通りの必殺技である。
体の構造が違うためか、ヤキソバの脳味噌を爆発させるには至らない。だが

「そこっすね!」

甲殻の一部がほんの少しだけ隆起したことを、呉葉は見逃さなかった。
希の脳味噌爆発斬りを受けて、ヤキソバの脳が僅かに膨張したのだ。
射出される毒液を回避しつつ、見つけた急所に向かって2度、3度と斬撃を繰り返す。
甲殻に傷がつき、ヤキソバの鳴き声が一層甲高くなる。
期は熟した。

「いっけえええええ!!!!!」

全身の闘気を漲らせ、炎を纏った八徳包丁を構えての突貫攻撃。
八徳包丁の機能、「焼く」と 「刺し貫く」の合わせ技だ。
急所を守る甲殻が砕け散り、ヤキソバの脳味噌に高熱の巨大中華包丁が深々と突き刺さる。

「ヤ゛キィィィイイイイイイイ!!!!!」

軋むような断末魔が響き渡り、残った3本の脚でガリガリと地面を掻いていたヤキソバが動きを止める。

「うおおおおおお!!!」

周囲から歓声が上がる。
呉葉も額に浮かんだ玉の汗を拭った。

「まだ任務は終わっちゃいないんすよ」

この戦いの最終目的は、焼きそばパンの納品だ。
再び八徳包丁を構え、生命活動を停止したヤキソバの上に飛び乗る呉葉。
フジノミヤヤキソバはナゴヤダガネキシメンと違い、麺を守る甲羅部分が若干柔らかいのが特徴だ。麺を取り出すのに、それほど時間はかからない。十数秒後、ヤキソバの体内から焼きそばが取り出される。濃厚なソースの香りが、周囲に溢れ出した。

「あっ! そういえばパンがないじゃないっすか!」

狩りに気を取られ、すっかり忘れていたことに気付く。
今から買いに行っていたのでは、到底間に合わない。

「舟行! こっちだ!」

声のした方向を見ると、頭にたんこぶを作った大山田部長が唐草模様の風呂敷包みを抱えて走ってくる。

「江別先生から連絡を受けた。既に切れ目も入れてある。受け取れっ!」

ヤキソバの上にいる呉葉に向かって、風呂敷包みを放り投げる。
無事キャッチした呉葉が風呂敷を広げてみると、中からコッペパンとともに紅しょうがや青のり、包装用のラップフィルムが出てきた。
全 て焼きそばパンの構成に必要不可欠な素材だ。

「ありがとうございます!」

音信不通だった大山田部長の無事を祝う余裕もなく、呉葉は焼きそばパンの製造へと移る。
天然素材の麺は傷みやすく、パンへの詰め方一つとっても、特殊な技術が必要とされる繊細な作業だ。
料理人としての、彼女の腕の見せどころである。
2,3分の調理の末、顔を上げた呉葉は

「先生、お願いします!」

江別教員に向かってラッピングした焼きそばパンを3つ投擲する。

「やれやれ、お行儀が悪いですね」

全ての焼きそばパンを難なく受け止めると、一つ一つ検品しラベルを貼り付けていく。
呉葉は生唾を飲む。調達担当者としては、緊張の時だ。

「……OKです。伝説の焼きそばパン3つ、 確かに受け取りましたよ」

江別教員が、戦いの終了を告げる。
焼きそばパン納品クエスト、完了である。
全身の筋肉が弛緩し、気の抜けた声を出す。

「お、終わった~」

フジノミヤヤキソバの頭部で大の字になり寝そべる呉葉。

澄み渡る五月の青空に、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り渡った。


****************************


5月7日 18:00

焼きそばパン争奪戦当日の放課後。
江別教員からこってり絞られ、様々なものをすり減らした調達部の2人が、部室のソファに横たわっていた。
資金の流れは言うに及ばず、大山田の能力で食材を水増し納品していたことも、商品の価値をただ下げるだけだから金輪際しないよ うにと釘を刺された。

「正直にやるのが一番ってことっすね」
「そういうこと、だろうな」

焼け野原になったグラウンドに、沈む夕日が良く映える。
不死鳥を召喚し希望崎を火の海にしたのが誰なのか、まだ分かっていない。
これ程大事になるとは思っていなかっただろうし、流石に言い出せないだろう、と思う。

「終わったんすね……」

黒く煤けた校舎を窓から眺めながら、呉葉は思い出していた。

構内復旧のため臨時休講になった、昼休み明けの5時間目。

最初に購買部に辿り着き、伝説の焼きそばパンを入手した兵動惣佳。
一躍、時の人となった彼女は猫を抱きかかえ、慣れない注目にはにかみながら、取り囲む同級生たちと話をしていた。
焼きそばパンはやは り、小次郎と一緒に食べるのだろうか?

焼きそばパンを手にした冬頭美麗が、後輩2人と段ボール箱を前に話をしているのを見た。
貴方達のお陰なのだから皆で4等分にしましょうと提案する冬頭に対し、後輩たちが、私達はお姉さまの為に頑張ったのだから遠慮すると言って譲らない。
平行線の議論はどういう決着を見たのだろうか。

「……お腹減らないっすか」
「……そうだな」

惜しくも一着を逃した呉葉も、本物の焼きそばパンを手にしていた。
しかし……

『舟行さんはローンの件、大山田さんは帳簿に関して少々質問がありますので、あとで購買部の事務所に来てくださいね』

柔和な笑みを浮かべつつ凄まじいプレッシャーを放つ江別教員にそう通告され、2人とも食欲 が大分削がれてしまった。
腹の減った人に食べられた方がヤキソバも成仏できるだろうと、物欲しそうな顔をする、ヤキソバ討伐で共闘した同級生に、半分どうっすかと勧めた。
家に帰ってから大切に食べると言っていた顔色の悪い彼に、明日感想を聞いてみようと思う。

西日に照らされ、机の上の皿に乗った二切れの焼きそばパンから影が伸びる。

「まあ、またこれから地道にやっていきましょうよ。これ、一緒に飲みます?」

冷蔵庫から飲みかけのペットボトルを取り出す呉葉。

「……いただこうかな」

大山田部長は答えた。
戸棚からプラスチック製のコップを2つ取り出し、順番に注いでいく。
残っていた量は、丁度二人前だ。

「それじゃあ、伝説の焼きそばパン の納品と入手成功を祝して」

2人しか居ない部室で、大山田が音頭を取る。

「「乾杯」」

コツン、とコップをぶつけ合う。

炭酸の抜けた味噌カツコーラは、やはり不味かった。