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第一回戦【洋館】SSその2 - (2013/04/29 (月) 22:24:53) のソース

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*第一回戦【洋館】SSその2
 主人公のことについて、少し話しておこうと思う。
 俺が知る限り、やつらは自己顕示欲が肥大しており、放置されることを嫌う。
 自分がその物語の本筋の、中心にいなければ気がすまないのだ。
 この性格は非常に厄介であり、例えばこんな状況になると手に負えない。

『どういうことだ』
 ノートン卿の声は苛立っていた。俺だって、その気分だけは同じだ。

 なにしろこの洋館中のあちこちから凄まじい轟音が、
 館それそのものが自力で解体作業をおっぱじめたような騒音が響いている。
 それに、さっきから通路を駆け回り、あるいは跳ね回って無差別な破壊を繰り広げている、
 黒い異形の影の群れまで存在していた。
 こうした騒音には、相乗効果の法則が適用されるに違いない。
 低学歴の俺にだってそのくらいわかるんだ。

 物置の一つに隠れた俺たちは、そうしたこの世の地獄のような
 破壊・騒音・震動、その他に耐えなければならなかった。
 おかげで頭痛が酷い。

『私はどういうことだと聞いているぞ、ユキオ』
「聞こえてますよ」
 不本意ながら、ノートン卿の声について、無視はできても遮断はできない。
 魔導書をいつでも開けるように抱えて、部屋の隅にうずくまる。

「うるさくてたまりませんよ、俺だって」
 とはいえ、どうしようもない。
 やつらがとっている戦術はだいたいわかる。

 弓島は適当に館中の壁だか柱だかを撃ちまくって、その部分だけを強制移動させ、
 俺たちを崩壊に巻き込むか、炙り出すかしようとしている。
 直接遭遇してからの攻撃パターンに、自信があるのかもしれない。

 一方で倉敷は、とりあえず手駒を増やすため、片っ端からあの異形を召喚しているようだった。
 こちらも包囲される前に慌てて出てきた相手を打ち取るパターンに、何か策があるのだろう。

 二人はうまく噛み合ってる。
 俺はといえば、魔人どもと近距離でやりあうのはまっぴらごめんだし、
 俺をぶっ殺すための策やアイデアを持った連中となんて顔を合わせたくもなかった。

「ノートン卿」
『くだらん意見は却下する』
「その素晴らしいお力で奴らを皆殺しにする、って作戦はどうでしょう?」
『くだらん意見なので却下する。いいか、愚かな編集者、ユキオよ』
 ノートン卿はむしろ俺を諭すような口調で語る。腹が立つ。

『常に読者を意識せよ。
 彼らが望んでいるのは、私の華麗なる活躍であって、やつらの殲滅ではない。
 結果としてむろん私は必ず勝利するのだが、その過程が問題なのだ』
「はあ」
『ユキオ、きみは私の戦いを如何に演出するか、そのことだけ考えるがいい。編集者ならば』
「そうっすか」
 つまり、ノートン卿は例によってまったく役に立たないということだ。

「なんとかあいつら、相互攻撃で自滅してくれねえかなあ。
 ……もうしばらく引きこもって様子を見ますか」
『何を言っている、馬鹿め』
 ノートン卿は俺を叱責した。

『連中がここまで派手にやっているのだ!
 主人公である私が遅れをとってどうする!』
「やめましょうよ」
 まず俺の口から出たのは否定的な言葉だった。
 思うに、俺はそろそろ反省から学ぶべきなのだ。
 このノートン卿は、否定されるほどに己の意志を強固にする。

「ぜったい隠れてた方が有利ですって」
『私は私より目立っている登場人物が存在することに、我慢がならんのだ!』
 案の定、ノートン卿は激昂した。

『きみも私の編集者なら、それなりの仕事をしろ! 私を目立たせろ!』
「目立たせろって」
 そして俺は迂闊な言葉を口にする。

「スポットライトでも浴びせろって?」
『応、それだ!
 ――ユキオのくせに有益なインスピレーションではないか』
 ひとの脳内に向かって、大声でわめきやがる。
 ノートン卿は、すっかりその考えにとりつかれてしまったようだった。

『この屋敷を燃やせ! 焼き尽くすのだ!
 そして炎の照明で私の戦いを彩れ!』
「え?」
『なにをぐずぐずしている、ユキオ! 燃やせ!』
「え?」
『焼き払え!』

 結局のところ、俺はノートン卿の要請を無視できない。
 こんなところで協力を断られたり、機嫌を損ねてはたまらないからだ。

 俺の「え?なんだって?」戦術はすぐに瓦解した。
 数十秒の問答の末、俺は影の中からおもむろに松明と、油壺を編集することになった。

――――――――――――――――――――――――――――

 ある建物が火に包まれる場合、自ずと退避する場所は決まってくる。
 無差別的な破壊現象と、異世界・異形の解体業者による活動が行われていればなおさらだ。
 上へ逃げるにしても、下へ逃げるにしても、このとき、収束する地点はひとつだ。

 開けた場所、すなわち階段のあるエントランスである。
 このとき俺が彼と遭遇したのは、完全な必然性の中にあった。

「なに考えてんの、あんた?」
 弓島由一という少年は、生意気を立体化して、火薬を装填したようなやつだった。
 片手には拳銃。ガスガンだったか?
 だが、それが射出する弾丸は、リアルな拳銃以上に危険であることなら知っている。

 翻って、こちら。俺の武装は右手に抱えた一冊の本。
 左手には、頼りなさげな影の松明。煌々と青白い炎がその先端で燃えている。
 ノートン卿の《影の城塞》が保持する、備品のひとつだ。

 ロケーションは一階へと続く階段を備えた、吹き抜け式の大ホール。
 あたりは炎に包まれ、煙が立ち込め、ついでに大規模な自壊式解体工事が始まっている。

「自分自身をバーベキューするつもり? 頭だいじょうぶ?
 これ、自分も不利になるよね、明らかに」
 人を小馬鹿にしたような態度。
 俺はこういう生意気な餓鬼が、言うまでもなく大嫌いであった。

「俺だってこんなことしたくねーよ、クソガキ!」
 俺は軽く咳き込んで、悪態を返した。
 煙が辛いし、熱気も我慢しがたい。それは相手も同じだろう。

「それにこの惨状の責任は、三分の一くらいお前にもあるんだからな」
「オレはちゃんと自分が安全な状態から惨状つくるつもりだったよ。
 あんたのは思い切り自分巻き込んでるし」
 弓島少年は自分のこめかみのあたりを指先でつついた。

「ここ、足りてないんじゃないか? 低学歴だろおっさん?」
 それは俺の怒りの琴線に触れ、思い切り引きちぎった。
 このガキは年上への敬意が足りない。
『的確な指摘だ』
 ノートン卿は俺への思いやりが足りない。

「大人にはいろいろあるんだよ。
 派手にやれって言われたから仕方ねえだろ、ぶっ殺すぞ!」
「出た。精神年齢低そうな喋り方」
 弓島少年は、むしろ呆れたように首を振った。

「話は聞いてる。その本だろ?
 さっさと売り飛ばした方がいいとおもうけどなァ、オレは」
 弓島少年は喋りながら、仕掛けるタイミングを見計らっているようだった。
 密林の猟犬のように、ゆっくりと歩きながら、一階へと続く階段へ向かう。
 俺はそこに回り込むように、足を進める――弓島少年と近づくように。

「そんな狂った本持ってても、不幸になるだけだよ。
 それともあんた自身もイっちゃってる系?」
 ひどい言い草だ、俺とノートン卿を一緒にしてもらっては困る。
 だが、俺の反論はノートン卿に封殺された。

『無礼な小僧だ』
 ノートン卿の馬鹿げた怒りに満ちた声が響いた。
『八つ裂きにせよ! 断固粉砕あるのみだ、許す、殺れ!』
「ノートン卿に許されてもな……」
 俺は愛想笑いするしかない。
 仕掛けるタイミング。それが最高に重要な要素だ。
 特に、このガキと、俺との戦いにおいては。

「ノートン卿。影の城塞。最古の殺戮文書」
 弓島少年は歩き、呟きながら、俺の手の中のノートン卿を見る。
 お互い、徐々に近づく移動経路。
「あんたに勝ったら、それ、もらっていい?」

 なんてこった。俺は頭を抱えたくなった。
『ほほう。面白い。
 この小僧の思い上がり、苦痛と恐怖をもって報いよ!』
 ノートン卿の一方的な言い分は、いつも冷酷だ。

「――古本屋かよ、お前? それとも主人公?」
 俺は訊ねる。弓島は生意気に笑う。
「だったら、どうかな」
「決まってる。お前なんて、」

 俺が言いかけたところで、決定的なタイミングが訪れた。
 半ば予想していたことではあったが、それは、
 俺がもたらしたものでも、弓島がもたらしたものでもなかった。

「――行け」
 低く、どこか虚ろな声だった。
「仕留めろ」
 端的な命令であった。

 倉敷椋鳥は、このホールに繋がる回廊の奥に、既にいた。
 人形というよりは、石膏像のように硬質、かつ虚無的な表情であった。
 足元にはいくらかの、小型の狼のような黒い異形。
 来る、と思う前に、煙と熱の陽炎の奥から異形どもが飛び出してくる。

 事前情報は半分あたりだが、半分はずれだ。
 単純なGO・STOP程度の命令は問題なく通せるらしい。
 だが、この俊敏さはどうかしている。ひどい凶器じゃないか。
 それでも俺は考えるべきだったのだ。
 魔人が、自らより遅かったり、ひ弱だったりする手駒を使うものか?

 異形の狼が駆け込んでくる。
 弓島少年は、何か――細かいゴミのようなもの、恐らくコインかネジか釘か?
 とにかくそいつらをポケットから空中に投げ上げ、スタームルガーで狙いをつけた。
 ガキのくせになんて正確さ。

 弓島少年の銃弾が、わけのわからん空中のゴミを連続して撃ち抜く。
 俺としては、ノートン先生の力を借りるしかない。
 松明を投げ捨て防御、防御防御防御!
 クールな俺としたことが、それしか考えつかなかった。

『よい。やれ!』
 ノートン先生の命令とともに、本がひとりでにめくられた。
 俺はいくつかの単純なスペルを編集し、己の影から《壁》を形成する。
 これで耐えられるか?

 壁が俺の視界を遮る直前、弓島少年の魔弾で撃ち抜かれたゴミが加速した。
 まるで弾速。
 くそっ。弓島由一。
 弾丸自体は殺傷力に欠ける能力だと思っていたが、認識を改める必要がある。
 それらの散弾は、俺と、倉敷椋鳥の放った狼に対する正確な迎撃となる。

 コインやら金属片やらの弾丸は、俺の壁に当たって苛烈な音を響かせた。
 あれが人体に当たったらと思うと恐ろしい。
 そしてそれだけではなく、一拍遅れた衝撃のあと、壁自体がきしみ始めた。

「あーあ。畜生。やっぱりな!」
 俺は思わず怒鳴った。
 あいつ、この《壁》自体も撃ちやがった。これはヤバイ。
 弓島由一の魔弾――《ガンフォールガン》は、ノートン卿の《壁》にも通用する。
 俺の影が生み出した《壁》は、ゆっくりと、だが歩くような速度でこちらに迫ってきていた。

 すぐに《壁》を解除するか? そのとき、俺は蜂の巣だろう。
 そして魔弾の方に当たりでもすれば、それはすなわち脱落を意味する。

 背後は壁。横は手すり。
 一階へと続く吹き抜け状のホールだ。

『落ち着け、愚か者め』
 ノートン卿の声。個人的には、役たたずは黙っていた方がいいと思う。
 このチンケな《壁》がやっぱり通じなかった以上、逃げるしかない。

 さらには当然のように、軋みながら動く壁のてっぺんから、異形の狼が頭をのぞかせた。
 こっちは倉敷椋鳥の愉快なペットだ。
 壁をよじ登ることができるらしい。そりゃ予想ぐらいしてたさ。本当だ。
 ただ信じたくなかっただけだ。

 圧倒的な防御力を誇るノートン卿の城塞だが、弱点はいくつかある。
 そのひとつが、《人海戦術》。
 寄ってたかって城壁をよじ登り、穴を掘り、乗り越える。これには対抗する術がない。
 ノートン卿はあくまでも受動的なシステムなのだ。

『何を突っ立っている、ユキオ!』
 ノートン卿は口だけは達者に命令してきやがる。
『さっさと退避せよ! 八つ裂きにされたいか、それとも押し潰されたいか!』
「そんなの」
 俺は傍らの手すりに足をかけた。見下ろすのは、一階へと続く吹き抜け状のホール。
 すでに炎が一階にも回っており、陽炎と煙を俺の顔を無遠慮に吐きかけてくる。

「わかってますって」
 俺はほとんど躊躇なく空中に身を躍らせる。
 とはいえ、怪我をすることが前提の無思慮な跳躍ではない。
 俺の影が一階の床に染みを作った瞬間、すでにそれは階段状に立体化を始めていた。

 俺はそれを使って一階へと逃れるつもりであった。
 高低差があれば、弓島由一の魔弾にもいくつかの制限がつく。
 《壁》や《盾》での防御ができる。
 飛び降りる一瞬、弓島由一の迷惑そうな顔はちょっとした見ものだった。

 ――が。
「お前たち程度に」
 と、俺と同様、反対側の手すりに足をかけた男の声が聞こえた。
 倉敷椋鳥の空虚な目を、俺は見上げることになった。

「あまり時間をかけてはいられん。手の内も、そうそう明かすわけにもいかない。
 つまり」
 倉敷は背中側から不吉に光るナイフを引き抜く。
「ここで脱落してもらうか、相川ユキオ」

 そうして、倉敷はジャケットを翻して跳んだ。
 さすが魔人の脚力。俺よりずっと強い。
 一階に着地しても無傷で済む自信もあるのだろう。

『甘く見られたものだ。なるほど。
 やつが手強い主人公であることは認めよう。しかし!』
 ノートン卿が勝手に喚いていた。

『この物語の真の主人公は、この私! サー・ノートン・バレイハートただ一人よ!
 ユキオ、やつに一騎打ちを挑め。我が名誉の城塞で粉砕してくれよう!』
「やです」
 俺は自分の影でつくった《階段》を転がり落ちるように降りながら、どうにか本をかかげた。
「ここは、仕切り直しですよ」
 飛び込んでくる倉敷の方へ、全力でスペルをかき集め、編集する。

『なんということを!』
 ノートン卿の怒りの声は遅く、影の《鉄格子》が一階の床から伸び上がった。
 不幸中の幸い、火をつけて回ったおかげで影は無数にできている。

 倉敷の跳躍を叩き落とすか、あわよくば串刺しにできるか?
 だが、そんな期待はするだけ無駄だった。
 この期に及んで、ようやく俺は相手にしているのが魔人だということを知った。

 倉敷は空中で身をひねり、姿勢を制御する。
 眼前を閉ざしかけた、伸びかけの《鉄格子》の先端にナイフの切っ先を引っ掛けた。
 これを支点として再度跳躍。
 いとも簡単に影の《鉄格子》は飛び越えられ、俺はやつの一撃の前に無防備にさらされる。
 どういう運動神経と腕力してやがる、魔人め。

『だから言ったはずだ、無能の編集者め!』
 このやくたたずの本が、ここまでに一体なにを言ったというのだ。
 俺は抗議したかったが、それどころではなかった。

『そんなつまらんトリックは読者が望んでおらぬゆえ、上手くいかぬのだ。
 仕切り直す? そのような愚鈍で冗長な展開は、犬にでも食わせよ!』
 ノートン卿のひどい言い草が響き、倉敷の冷酷な――というより無感情な目が迫る。

『正面から戦う、雄々しき戦士の武勲!
 それこそ太古の昔から連綿と続く、真の英雄の物語。
 つまり真の読者が望むものだ! 己を恥じよ!』

 うるさい。
 俺はノートン卿を持つ左腕を掲げた。
 別に耳を塞ごうと思ったわけではない、耳を塞いだところでこのクソッタレの声は聞こえる。
 そういうわけではなく、ただ――

 倉敷椋鳥のナイフを俺の左腕が受け止める、ごきっ、という乾いた音が響いた。

「――ふん?」
 倉敷は怪訝そうに片目を細めた。
 それはこいつが初めて浮かべた、表情らしき表情だった。
 俺の左腕は、倉敷のナイフを完全に受け止めていた。
 外套の下の皮膚一枚、うっすらと血の滲むところで、冷たいチタンの痛みを感じる。

「お前」
 倉敷は何か呟こうとした。
「魔人――なのか? しかし」
「うるせえっ!」
 怒鳴って、俺は倉敷を思い切り蹴飛ばした。自然、その反動で俺も階段から転げ落ちる。
 魔人でない俺にとって、これはとても堪えた。

――――――――――――――――――――――――――――

 転げ落ちた瞬間、肺から空気がぜんぶ抜けてしまいそうな衝撃があった。
 痺れる。
 かろうじてノートン卿を取り落とさずに済んだことは褒められてもいいのでは?

『気を抜くな。寝ている暇はないぞ』
 こうしたとき、ノートン卿の言葉は辛辣である。
 しかし、彼の言い分もわかる。
 一階にも既に炎は蔓延しており、俺は立ち込める煙の向こうから近づいてくる人影を見た。
 強い煙に目が霞む。誰だ、手当たり次第に炎を付けやがった奴は?

「相川ユキオ。元・古本屋。殺戮文書の編集者」
 倉敷椋鳥の細長いシルエットが煙をかき分けた。
 その右手には拳銃。
 種類なんて俺はわからないが、誰かをぶっ殺そうとするための武器であることはわかる。

 倉敷は虚無的にすぎる表情で、俺とノートン卿を交互に見た。
「お前たちには賞金がかかっていたな。
 谷根千の古本協会に恩を売る趣味はなし――関わるまいと思っていたが」
 倉敷の顔に感情はない。
 あるのはただ、何かを測定しているような実験者の表情だ。

「なぜ戻ってきた? わざわざ、こんな目立つところに」
「ケッ! 俺は戻ってきたくなかったぜ」
 中指を立ててやる。
「ただ、うちの主人公がな。逃げ回るのは趣味じゃねえんだとさ!
 クソ野郎、その顔グシャグシャにぶっ潰してやるからな」

『よい回答だ』
 ノートン卿は満足げに肯定した。俺にしか聞こえないが。
『満点をやろう。よって、いまから私がきみの戦いを指導してやる』
 そいつは嬉しい。涙が出そうだ。

「……よくわからないな、お前の言い分は。
 なぜあえて不利な選択肢を選ぶのか?」
 倉敷は測定しかけていた何かを、簡単に投げ出した。

「結局のところ俺には欠けているんだろう、そういう何かが」
 彼の足元に、無数の黒い影が集まりつつある。
 異形の獣ども、やつらには煙も熱気もたいした脅威ではないらしい。
「だが、ただひとつ、望みがあるとすれば――俺には――」

『ふん。オレイン卿が付け込みやすそうな手合いだ。
 あの精神状態は興味深い。絶望した者の顔だ、主人公として手ごわいぞ』
 ノートン卿は忌々しげに吐き捨てた。

『それともオレイン卿めとは無関係か?
 打ち負かしてから訊ねるとしよう』
「はあ。そうですね」
 俺もようやく全身の痺れがとれ、戦闘準備が整いつつある。
 蔓延する煙を避けるように、体を低くする。

「――ああ、残念」
 このとき、ひどく楽天的な、少年の声が聞こえた。
 ひとり悠々と階段を降りてきた弓島由一は、一段高いところから、
 不遜な目で俺と倉敷を眺めていた。

「どっちにもそれほどダメージはないみたいだね。
 まあ、いいけど。ここで終わりにしようか?」
 弓島由一は、例の物騒なエアガンを掲げてみせた。
「どっちも二人揃ってる。この状況からなら、オレが勝つし。
 いまなら降参してもいいよ」

「……」
 倉敷はそちらを一瞥しただけで、また俺に向き直った。
「……あれは、ほんの子供だ。やはり問題はお前だな」
 そんなこと言われても、困るぜ。
 俺はアメリカの俳優のように肩をすくめた。



 そして、いくつかのことが瞬時に起こった。



「無視」
 弓島由一はエアガンの銃口を、すこし下に向けた。
「するなよな、おっさん!」
 床を撃つ。マジかよ。
 ばきばきと唸りをあげるような音が響き、打たれた部分の床が割れ始める。
 俺と倉敷は態勢を崩さざるを得ない。

 だが、倉敷はよろめきながらも平然と左手をあげ、掌をこちらへ向けた。
 なにかの紋章のような刺青。そして手の甲に拳銃の銃口を突きつけ――
「いけ!」
 銃声が連続して数度、その掌から血の迸りとともに何かが飛び出してくる。
 異形の、蜂に似た影であったと、後にノートン卿は教えてくれた。

 実際には影など視認する暇もない。
 それは弾速で飛ぶ、異世界からの存在であった。
 自分の手をゲートに、銃弾を媒介に、こいつらを呼びやがった。
 イカれてるな、この男は。

 最後に俺は、といえば。
『では、英雄の戦い方を教えよう』
 こともあろうに、ノートン卿のアドバイスに従って動いていた。

『まずは、颯爽と馬に乗り――』
 ノートン卿のページを翻し、俺は影から《軍馬》を編集した。
 陽炎のような影のタテガミをもつ、命なき馬。
 だが、城塞の魔導書であるノートン卿によって編集されたそいつは、
 完全な状態で手入れされ、出撃命令をいままさに待機していた駿馬に他ならない。

 俺は乗馬なんてろくにできないが、しがみつくくらいのことはできる。
 影から飛び出した《軍馬》の手綱をかろうじて掴む。
 向かう先は倉敷椋鳥。
 やつは怪訝そうに眉をひそめていた。無謀な突撃に見えるだろう。俺もそう思う。
 というか、まさにその通りだ。

『次に、雄々しく槍を掲げ――』
 俺は何ももたない右手を掲げた。
 その瞬間、倉敷椋鳥の放った異形の蜂の何匹かは、疾走する《軍馬》の首を正確に貫いた。
 他の何発かは弓島少年に向かったのではないだろうか。

 もとより、この弾丸をかわせるとは思っていなかった。
 《軍馬》は悲鳴もなく力を失い、黒い影のゆらめきに戻る――
 誕生から消滅まで、わずか数歩の運命であった。
 ただし慣性の法則が消えるわけではなく、俺の体はそのまま前のめりに跳ぶことになる。

『そして、鬨の声をあげながら、正面から突撃するのだ! かかれ!』
 ひでえアドバイスがあったもんだ。
 だが、それで充分だった。
 宙を跳んだ俺は、倉敷に飛びかかっていく姿勢になった。

 むろん、倉敷も黙っていたわけではない。
 やつは拳銃の狙いを即座につけ、俺めがけて発砲した。
 狙いも正確、頭部。眉間の中心。

 しかし俺は左腕ですでにそこを庇っている。
 銃弾が左腕に当たる衝撃。
 乾いた音が響き、左腕の皮膚一枚のところで俺の血が弾けた。

「やはり、そうか」
 倉敷が呻いた。
「その腕はなんだ? 魔人か? いや――お前はただの――」
「そうそう、編集者なんだよな」
 結果として、俺は倉敷に飛びつくことに成功した。
 ついでに、その頭部を右手で掴むことも。

 互いに倒れこむ一瞬、倉敷は俺の右手の平にあるものを見ただろう。
 そこにある刺青のことだ。
 ノートン卿のおよそ1ページ分に相当する、複雑なスペルがびっしりと腕を覆っている。
 おかげで俺は偉大なノートン卿の機能をほんの少しだけ、
 限定的ではあるが自分の肉体で行使できるということだ。

 ノートン卿を持つ左手には《城壁》のスペルを。
 そうでなければ魔人の一撃を防いだり、銃弾を弾いたりできるものか。
 倉敷椋鳥が己の体にゲートを刺青として刻んでいたように、俺は俺で必死に色々やっているのだ。
 特に俺は、魔人でもない普通の人間なのだから、なおさらだ。

「――編集者、」
 倉敷は何か言おうとしただろうか。
 だが、俺の右手の刺青に仕込んだ《槍》のスペルが編集される方が速い。

 攻撃の完成には音もなく、倉敷の頭部は血飛沫とともに爆ぜる。
 俺の手の平から編集され、飛び出した槍は、この魔人の頭蓋骨を完全に貫通・破砕していた。

 それとほとんど同時、右の腿にかすかな衝撃を感じた。
 残るは、弓島由一しかいない。
 振り返るとこちらに銃口が向いていた。

「オレの勝ち」
 弓島由一は、その《魔弾》を完全に俺に着弾させていた。
 俺の体に止めようのない何かの力が働くのがわかった。
「武器の性能が違ったね、おっさん。ま、そういうことで」

「うるせえぞ、クソガキ! 爆散して死ね!」
 俺は右手に編集された、影の《槍》を思い切り投げつけた。
 弓島由一はむろんそれに取り合わす、軽く身を捻ってかわした。さすが魔人の動体視力。
「無駄だって。もうここからじゃ」
 弓島少年は階段に腰掛け、嘲笑うでも、勝ち誇るでもなく、ただ片眉を持ち上げた。

 床には地割れができて、ただでさえ距離が離れている。
 俺はこのまま吹っ飛ばされて、場外負けになるのか? やれやれ。

「そうかよ。お前のことは――」
 ここから逆転できる可能性は、万に一つもない。
 俺はノートン卿をそっと閉じた。
「最初から脅威じゃなかった。なぜかといえば」

『然り。主人公として、この小僧は薄い』
 ノートン卿は厳かに断じる。

『肝に銘じておけ、ユキオ。きみも同じくらい薄いからな。
 バックボーン、戦う理由、過去にまつわるすべて。これをプロローグという。
 その質量が主人公を強くするのだ。この私のように!』
「そうですね」
『プロローグ無きものに敗北するノートン卿ではないわ、馬鹿め!』
「そうですね」
 反論する意味はなさそうで、やはり俺は相槌を打つだけの機械になろうと思った。
 この状況、編集者の発言にどれだけの価値があるだろう。

 ――ノートン卿を閉じたことにより、俺が編集した影の《階段》はその構造を失った。
 雪崩のように倒壊し、それは、弓島由一を巻き込んで恐るべき轟音をたてた。
 最後に弓島は逃げようとしたが、逃げても無駄であっただろう。

 なぜなら、この戦いが終了した後。
 最終的に俺が一息ついたとき、洋館のすべてが崩れ落ちたからだ。
 弓島の《魔弾》の効果により、壁をすり抜け、館の外に飛ばされた俺はその崩落から免れた。

 洋館の基礎構造部分をまるごと、ノートン卿の影の城塞による安全設計素材でこっそりと入れ替える。
 言っておくが、これは俺のプランだ。
 ――いや、本当に。
 ノートン卿が「とにかく派手にやりたい」と主張したのは事実だが。


――――――――――――――――――――――――――――

『ところで見たな、ユキオ。倉敷椋鳥のあの紋章を』
「魔導書のスペルに似てますね」
『いや、紛れもなくそのものだ。
 オレイン卿が手勢を潜ませているのは間違いない!』
「そうですかね」
『そうだ』
「そうですか」
『そうだ』

「……割りに合わないっすね。俺、いいこと考えましたよ」
『言ってみろ』
「大会運営本部に忍び込んで、賞金だけ奪って帰る。邪魔をするやつは殺す!」
『恐ろしく下劣な発想。だが』
「だが?」

『大会運営本部に奇襲をかけるというのは、一理あるな。
 ふむ。やつらがオレイン卿と繋がりがあるかどうか、調べることができる。
 検討の余地はある。つまり、次の計画はこうだ――』
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