―某月某日8:35―
「ハイ――」
いつものように受話器をとった受付番は、その聞こえてきた声に自分の耳を疑った。
いや事前に聞いてはいたのだ、聞いてはいたのだが、それでも天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。
それはそれほど『力』のある声であったのだ。
『”グッドモーニングー!!”』
てれれれてれれれれれ♪てれれれれ♪ グッドモーニングー!!IKEMATU!
瞬間、彼の脳裏にかつて毎日見ていた朝の番組の懐かしいあのコーナー、あのテーマ曲が、つた走った。
「ひゃっ
ヒャハー!!!!ウィッキーさんだーーーーーー!!! 本物キター!!」
彼は端的に言ってその番組の大ファンだったのだ。
元々普段からテンション高めの受付(*当番制)ではあったが今日はいきなりテンション最高潮の
クライマックスに達していた。
これは今でも稀によくあること。
それは一種の社会現象といってもよかった。何せ当時遅刻した言い訳として「ウィッキーさんに
インタビュー申し込まれて爆散してました」という冗談がはやったくらい一世を風靡したコーナなのだ。
電話口の相手もその空気を感じたのだろう。むしろ慣れた様子でリップサービスに応じてくれた。
『How are you enjoying this long end?(先の終末はいかがでしたか?)』
「Thank you! We have NO holidays.(うちは年中無休です)Because mycompany is very-
ah...very-KITIKU!Im only lonely.(そして会社は鬼畜で私は社畜です)」
『oh...き・ち・く...』
だが相手もさるもの、世間話のはずがいきなりディープな話題を突っ込んできた。
どうやら受付番の会社はとんでもないブラック企業の様だった。
せめてもの励ましとして電話口の受付にも伝わる様、しっかりと嘆息すると彼は丁寧に同情の返しを行う。
『それはOKUYAMIMOUSIAGEMASU。
確かに何時でもおかけくださいとは書いてありましたが、まさか本当にいつでも大丈夫とは、あの要件大丈夫ですか』
なんという親しみのある対応。それが彼の人気の秘密でもあった。
「貧乏暇なしスタッフサービスですよ、へへん。ああ、彼からの依頼の件ですね。ハイ話は聞いてます。
いまのところ該当ありません。いえいえ、御気にせずに、いつでもカケテくださいね。ウィッキーさんなら大歓迎です。」
『アリガタイ話ですね。』
「あ、暇ってことじゃないんですよ、特別対応ってことで。しかし奇妙な縁ですね。貴方と彼がこんな繋がりがあるなんて
まさかこんな形でお話しすることになるとは思いませんでしたよ。」
そういわれ彼は苦笑したようだった。
『その件に関しては私も同意です。優秀な子でしたが、最近の彼はどうですか?』
その問いに受付が答えるまで若干の時間があった。
彼にはなんとなく理由が、察せられた。
たぶん苦笑していたのだろう。そう彼と同じように。
「ええと変わってます。なんというか、とにかく変わってます。」
『Hum...相変わらずの様で、それはよかった。それでハッ!ハッバナイスデ~~』
††
―1XXX年某月某日8:35―
男は繋がるはずのない携帯をもう一度見やると自身の今の居場所を再度確認した。
圏外。
そこはどこがどうということはない”スコットランドの田舎道”。
そして年代はおそらく1800年代くらいだろうか…全く持って繋がる道理もない。
あぜ道の横には積み重なった藁が軒を並べ、空は青空、周囲には牛や馬の啼く声が聞こえる。
そこでは農作業や牧業を営む牧歌的な井出達の人達が、物珍しげに”肌色が違う”彼を遠めに見ていた。
褐色の肌に銀髪を綺麗に撫でつけた年配の男だった。
見た目は初老にさしかかったかどうかと見えるが、その歩く姿は軽快で身体にも表情にも老いの姿は
一かけらも見受けられなかった。”しゃん”としたスーツ姿が、朝という世界に馴染んでいる。
そう、そういう光を浴びて生きてきた人間なのだろう。
(オレとは違ってな)
彼の前から鍬を持ったでっぷりとした農夫が歩み、そのまま横を通り過ぎた。
そして通り過ぎた後、慣れた様子で振り向きもせずターゲットの後頭部に向け銃口を向ける。
手には音もなく一丁の拳銃が握られていた。
魔人能力【完全なる擬態(パーフェクトトレース)】
周囲に完全に溶け込み、殺気もなく突如死角から襲う不意の一撃。一体その毒牙から何者が
逃れられるというのだろう。
男は熟練の暗殺者だった。
いつも通り、だがしかし、まさに引き金に指をかけようとした瞬間、自慢の毒牙はへし折られていた。
プライドと共に
「Excuse me.(横合いから失礼しますという意味の英語)」
「なッンだと」
押さえられた利き腕。そして脇腹に突き刺さるような熱い痛み、そして、それが始まった。
時間は8時40分、朝のポエムの時間です。
―――ポエット―――――――――――――――――――――――――
" なぜにお前は他人の人生を決めつけ、語りがたる (鈎突き)
いつから白か黒かの二択しかないなんて、この世界が決めたのかい" (手刀)
ああ、母さん、ボクに教えてよ。
いつまでも純粋さを持つのは罪なのかい?" (両手突き)
" 母はいない。父は偽りの中に生きた。
そしていつか代償として自分の人生を犠牲にして運命の歯車であることを選んだ。"
(肘打ち)
"俺の望むルールは一つだけ。何者にも縛られない自分の人生を生きること (裏拳)
Diamondのように輝き (裏打ち)
Diceのように転がり (鉄鎚)
岩棚に立ち (肘打ち)
飛び方を風に見せるんだ"
そして『世界』と向き合うことになるとき こう言うだろう。 (手刀)
" Have a nice day"と。 (右中段回し蹴り)
―――――――――――――――――――――――ポエット―――
男は倒れなかった!
その身に数重の打撃を浴びつつも、男は倒れなかった。
なんという耐久力。いや違う、彼はそれに魅入っていただけなのだ、あの男が放つ
その演武に
その英語に
そのセンテンスに
「まさか、この技は…」
男は血の泡を吐きながら何か指さす
だがそこには既に彼の姿はなく、指は無意味に空を切り果てて墜ちた。崩れ去る慟という音とともに。
「RENz...」
やがて倒れ墜ちた男の胸元から銀色の光が零れ出す。勝ち残った男は胸元から「銀の懐中時計」を
取り出すと器用にその鎖をくるりと指で回した。
そして時は刻みを取り戻し、日は再び歩み始める。今日という一日を。
「"Have a nice day"(それではよい1日を)」
朝日の中、銀色のそれはひと際輝いていた。
(『迷宮時計』~統合まで残り34~)