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***スリランカの悲劇 (1)
***西暦2004年12月26日午前6時58分、インドネシアの
***スマトラ島沖の深海でマグニチュード9の巨大地震が発生。
***その破壊力は長崎型原爆2万3千発分に相当します。
***巨大地震といっても大型ハリケーンの場合は25万発分です
***から1/10程度のエネルギーです。上には上があります。
***午前7時30分、タイを襲った大津波は時速960kmという
***猛スピードで拡大しスリランカへ向かいます。
***1600kmはなれたスリランカでは2004年12月26日午前7時12分
***スリランカ国有鉄道サウザン線のコロンボフォート駅を
***定刻通りに発車した8両編成の列車は終点のゴ-ル駅に
***向けて南に向かって進行します。3時間後にはゴール駅着の予定。
***この駅はかなり大きな駅ですが当日は祭日でもあったため
***多くの人で混雑していました。
***ここでこの列車に乗っている人は切符を買ってまともに乗った人が
***1500人、無賃乗車が200人程度であったことは確認されています。
***手すりにつかまってほとんど全身が列車の外に出ているような
***人たちはすべて無賃乗車のたぐいです。
***スリランカ国鉄の歴史は浅く、1954年に始まっていますが、
***このサウザン線はイギリスが1864年に建設したもので当時は
***植民地としていたこのセイロン島の名産物である紅茶を
***コロンボから南部のマータラへ運ぶ貨物専用の路線でした。
***全長は1450km、人口が2千万人のスリランカで年間3千万人が
***利用する重要な路線です。
***列車を牽引する機関車はカナダ製のM2型ディーゼル機関車で
***援助計画の一環としてカナダ政府からスリランカ政府に12台が
***送られました。12月30日にはスリランカの国鉄が開業されて
***50周年にあたるため式典用に12両すべてが銀と青のツートン
***カラーに再塗装されてピカピカの状態でした。
***しかしこの1両が80トンもあるM2型ディーゼル機関車591号は
***間もなく津波で30mも押し流され大破する運命になっていたのです。
***8両編成の列車は、1号車が乗務員室、2号車3号車は2等車両、
***4号車5号車6号車7号車は3等車両、8号車は車掌車両になって
***います。乗車率は200パーセントを超える超満員の状態です。
***列車は順調に走行を続け、発車から2時間6分後には予定通り
***09時18分にアンパランゴバ駅に到着します。
***このときスリランカの東海岸は大津波に襲われていました。
***09時22分、列車はアンパランゴバ駅を発車。
***このときスリランカの南海岸のマータラやゴールが大津波に
***飲み込まれていました。
***スリランカの西海岸に沿って南に走る列車は大津波に向かって
***突進するような形になり目と鼻の先には大津波が押し寄せて
***きているのを誰一人知る人はおりません。
***スリランカの悲劇 (2)
***09時22分、アンパランゴバ駅を発車した列車は2つ先の終点
***ゴール駅へと向かいます。ゴールの海岸沿いの町々はすでに
***大津波に襲われています。
***ベルリアにあるテルワッタ駅を通過した直後に列車は赤信号で
***停止。周辺は逃げまどう人々で混乱していました。
***間もなく海面の水位が上昇し始め泡立つ波が見え始めます。
***逃げまどっていた人たちの多くが満員列車の中に乗り込んできて
***やがてどこからともなく列車の中に海水が浸入してきました。
***波は次第に高くなり大津波の第一波が襲いかかってきました。
***2号車は切り離されて5mほど押し流されます。
***続いて津波の第二波がやってきました。第二波は巨大な波で
***まるで巨大な壁が接近してきたようだと生存者は語っています。
***列車はバラバラに切り離されてすべて水没し押し流されます。
***ガレキが列車のドアを押しつぶし車内の人々は脱出はおろか
***泥の混ざった塩水で目も開けられない状態です。
***もっとも遠くまで押し流された車両は線路から70mもの距離まで
***満員の乗客を乗せたまま陸地の方へ運ばれています。
***10分後には水面は1mにまで低下しますがこのときには
***ほとんどの乗客や避難して列車に乗り込んできた人たちは
***溺死していました。通常なら蘇生できる時間内ですが
***人数が多すぎてとてもそのような状況ではありません。
***列車には1700人の乗客がいたのですが列車内の死者数が
***2000人近くにもなったのは避難する人たちの多くが列車なら
***安全だと思って乗り込んできたからです。
***これらの災害の詳細は生存者の中に国鉄職員が数人いたので
***そのときの状況がかなりくわしくわかりました。
***コロンボ駅長のニマル。
***車掌のカルナテレカは水中でもがく25人の子供たちを救っています。
***勤務を終え帰宅途中の国鉄職員ラセンベも救助にあたりました。
***駅長のニマルは休暇を取って南部の故郷へ家族で帰省中で
***妻と娘を亡くしています。
***スリランカ全体では死者数は3~4万人。
***家屋倒壊は7万戸。
***避難した人は50万人以上にもなりました。
***タイの沿岸では地震発生から30分後に大津波に襲われ、
***1600kmもはなれたスリランカでは2時間後に東海岸、南海岸
***そして2時間半後には西海岸が大津波に襲われています。
***津波はさらにインド洋を横断してアフリカ東海岸にも被害を
***与えました。大津波の恐ろしさが実感できます。
***年末といっても日本と違って赤道に近く暑いところですから
***遺体の腐敗が激しくブルドーザーで大きな穴を掘って100人単位で
***そのまま集団埋葬するという荒っぽい方法ですがやむを得ないこと
***でしょう。
***津波はスリランカの漁業にも大きな被害を与えました。
***7000人の漁師が亡くなり8000隻の漁船が破壊されました。
***いつもなら正月を盛大に祝うスリランカですが多くの人が
***家族や家をなくしすべての国民が喪に服す正月になります。
***当然のことながら4日後の国鉄開業50周年の式典は中止。
***すぐに復旧作業が開始されます。
***破壊された線路は160kmにもおよび10本の鉄橋と70もの駅舎が
***破壊されました。
***クルマの無い村々も多く線路がなければ孤立状態です。
***国鉄職員の必死の努力で津波から57日後の2月20日には
***4本の鉄橋も新設し全線が開通します。
***そして今、現場には3両の破壊されて変形した車両が津波の
***記念碑として災害現場に残されたままになっています。
***国内外から多くの人々がペラリヤを訪れ線路沿いに置かれた
***3つの車両を見学していきます。
***これらの無惨に変形した車両が津波の恐ろしい破壊力を
***見る人たちに伝えます。
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再生可能エネルギー発電設備
昨年の7月1日から開始された再生可能エネルギー発電の
固定価格買取制度を集計してみました。
原則として全量の電気を太陽光発電なら42円/kwhと一定価格で
電力会社に義務づけています。
原則ですので例外もかなりあるようですが、ここでは認定を
受けたものの集計です。
したがって買取拒否や自家消費しているものは含まれず
実際には以下の数字よりは、はるかに大きな発電設備が
あるものと思われます。
1kw以下の小さな設備でLED照明を点灯させたり
家電製品を動かしているところは万とありますので
実際の自然エネルギー利用はもっと大きな数値になります。
集計のしようがありませんがソーラーパネルの出荷量から
計算すると認定分を越えている可能性があります。
2012年4月~12月までの9ヶ月間で523万kwが認定を受けました。
大型原発5基分の大きな発電量です。
12月末現在で運転を開始している設備は117万kwです。
2013年は次々と毎日のように運転が開始されています。
買取価格と期間については家庭用の太陽光発電が最も不利に
なっています。(2012年7月1日~2013年3月31日申請分)
太陽光発電10kw未満、42円、10年(期間が短く最も不利)
太陽光発電10kw以上、42円、20年
風力発電20kw未満、57.75円、20年
風力発電20kw以上、23.1円、20年
水力発電200kw未満、35.7円、20年
水力発電200kw~1Mw、30.45円、20年
水力発電1Mw~30Mw、25.2円、20年
バイオマス、40.95円、20年
地熱発電15Mw未満、42円、15年
地熱発電15Mw以上、27.3円、15年
たくさんありますが太陽光発電はどこでもできますし
発電設備もこの2年で価格が半額にまで下落していますので
全体の9割を超える圧倒的なシェアになっています。
買取期間では最も短い家庭用太陽光発電ですが
設備費用が格段に安いので91万Kwと多く全体の8割近い
シェアになります。
地域別では北海道と九州が圧倒的多数で全体の1/3になります。
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