アフターテイスト(後編)

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『霧切さん。ボクが今日、ここに来た理由は二つあるんだ』 
『ひとつは、大事な《約束》を果たす為――』 
『もうひとつはね、霧切さん――』 

『――――君にお別れを言いに来たんだ』 

彼が放った無情の言葉は、凶弾となって私の心を撃ち砕いた。 


――ほんの少し前まで、彼と私は笑い合っていた。 

もう戻らないと思っていた大切な時間をもう一度手にしたと思っていた。 
あの日からずっと、私の想いと彼の想いが繋がっていると感じていた。 

なのに―― 

私と彼との間で、何かが大きく、決定的に違っていた。 



…… 
… 



「霧切さん。あの日の事、覚えてるよね?」 

彼――苗木君の声に呆然としていた意識が引き戻される。 
私はまだ、彼の両腕の中にいた。 
急な覚醒に思考が追い付かず、彼の言葉の意味をすぐには理解できなかった。 

「ボクは霧切さんが学園からいなくなるなんて嫌だった。ずっと一緒にいたい、傍にいてほしいって本気で思ったんだよ」 
「でもそれはボクの身勝手な我が侭で……。正直、ボクなんかが霧切さんと付き合えるだなんて、思い上がってた部分もあるよ」 
「苗木君、それは――」「霧切さん」 

私の言葉を、彼は冷たい口調で遮った。 

「同情なんか要らないよ。ボクは君に同情してほしくて此処に来た訳じゃない」 
「ボクは君にお別れを言いに来た。でもその前に、はっきりさせておきたい事があるんだ」 
『お別れを言いに来た』――。 
さっきの彼の言葉が白昼夢では無かったのだと思い知らされる。 

「あの時、ボクは霧切さんの決断を受け入れるつもりだった。寂しいけれど、誇りを大事にしている君の事を応援しようと思ったよ」 
「……ボクたちは恋人という関係にはなれない。だけど、ボクたちはずっと友達で、信頼し合える仲間だと思ってた」 
「そう、思ってたのに……」 

「……なのに君はボクを裏切った。何も言わずに、何も残さずに、君は学園から――ボクの前から姿を消したんだ」 

絞り出すような憎悪の声。 
初めて向けられる彼の悪意に、私の身体は小さく震えていた。 

「最初はさ、霧切さんの身に何かあったのかと思ったよ。……怖かった。本当に、心配したんだ」 
「後で君が学園を出ていったと聞かされた時だって、すぐには信じられなかったよ」 
「だって、友達だったんだよ? 霧切さんが何も言わずに出ていく筈が無いって……そう思ってた」 

あの優しかった彼が、私を糾弾している。 
本当に苗木君なのか疑ってしまうほど、私には信じられなかった。 

「……君がいなくなって、ボクは寂しかった」 
「いつか学園を出ていくと知ってたけど、あまりにも突然で、心の準備なんか出来てなかった」 
「『きっと急なお仕事で学園を離れただけだ』って、『帰ってきたら文句のひとつでも言ってやるんだ』って」 
「……そうやって自分を誤魔化しながら、あの部室でずっと君の帰りを待ち続けた」 

彼の言う光景は簡単に想像できた。 

旧校舎の片隅にあった、小さな空き教室。『探偵同好会』の部室。 
私と彼、二人で過ごした思い出の場所。 
――そこで毎日、一人きりで私の帰りを待つ彼の姿。 

そのとき彼は、どんな気持ちだったか。 
もし私が彼の立場だったら、と考えて、急に胸が締め付けられた。 

――孤独感。 
同じ時間を過ごした相手を失う寂しさ、戸惑い…… 
私の想像に及ばないこの感情を、彼はずっと一人で抱え込んできた。 

「そんなボクを、クラスの皆は心配してくれたよ」 
「落ち込んだボクを精一杯励まして、ボクを元気付けようといろんな場所に連れて行かれた」 
「だって、あの石丸君がだよ? カラオケに行こうだなんて言い出した時はボクもビックリしたよ」 

はは、と乾いた笑い声もすぐに彼自身の溜め息によってかき消された。 

「……だけど、なんか違ったんだ。心の何処かで、以前のように皆と楽しく過ごせないボクがいた」 
「正直、苦痛だった。皆の中にいればいるほど、そこに霧切さんはいないんだって思い知らされた」 
「それでも、皆に心配掛けないように元気になったフリをした。立ち直った自分を演じてみたりもした」 
「そしたら今度は、いつの間にか嘘を吐くのが上手になってしまった」 
「……もう、霧切さんに『バカ正直』って言ってもらえないんだ、って思ったら……辛かった」 

私は、どうしようもなく愚かだった。 
私の身勝手さが、彼を苦しめ、歪ませてしまった。 
彼の心に深い傷を負わせてしまった。 
取り返しのつかない事をしてしまった。 

――全部、私の責任だ。 

「……ごめん、なさい」 
「ごめんなさい、苗木君……」 
「本当に、ごめんなさい……」 

だけど私には、謝る事しかできなかった。 
謝る以外の償い方を知らなかった。 

――だから、許してもらおうとは思わなかった。 

「…………霧切さん」 

だけど、 


「……まだボクの話は終わってないよ」 

私には、彼の傷を慰める事さえできない。 

「霧切さん。ボクは君に謝罪を求めている訳でもないんだ」 
「そもそも君が謝る理由なんて無いよ。ボクが勝手に傷付いて、勝手に苦しんだ。ただそれだけなんだ」 
「苗木君……話を聞いて」 
「ゴメン、まだ君の話は聞けないんだ」 
「苗木君っ!!」 

これ以上、彼に傷付いてほしくなかった。 
彼に、自分を追い詰めてほしくなかった。 
口汚く罵られてもいい。 
殴ってくれても構わない。 
どんな乱暴をされたとしても、彼の気が済むのならそれでもよかった。 

だけど、彼は何もしない。 
私の罪を掲げたまま、決して罰を与えてはくれない。 
それが尚更、償う術を知らない私に罪の重さを意識させた。 

「……だったらさ、ボクの質問に答えてよ」 


「――――どうして、君は何も言わずに学園を出ていったの?」 

言葉に詰まる。 
私が、彼に別れを告げなかった理由。 

「それ、は――」 

彼だからこそ、別れを告げられなかった理由。 

「あなたと別れるのが、辛かったから……」 

――あのとき私は、最後まで自分の未練を断ち切れなかった。 

お爺様――霧切家当主に呼び戻された時から、私はずっと迷っていた。 
霧切としての誇りも、苗木君と過ごす時間も、私にとって大切なものだったから。 
無理だと分かっていたのに、両方とも失いたくないと考えてしまった。 

だから私は、天秤に掛ける事を放棄した。 
誇りという大義名分の下に、彼への想いを閉じ込める事を選んだ。 
だけど、その時だった。彼に告白されたのは。 

――『ボクは、霧切さんの事が好きだよ……』 

彼の言葉が、偽っていた私の心を撃ち抜いてしまった。 
零れ出した感情に流されてしまいそうで怖かった。 
誇りを投げ出す事が、自分を止められなくなる事が、何よりも怖かった。 
これ以上、彼の前で気持ちを抑えられる自信が無かった。 

「だから私は、貴方に別れを告げられなかった……」 


「――――よ、霧切さん」 
「……え?」 


「それは違うよ」 

だけど彼は、私の答えを斬り捨てた。 

「霧切さん、それは矛盾してるよ。ボクとの別れが辛いのなら、どうして何も言わずに出ていったの?」 
「何を、言ってるの……?」 

私は、彼への想いを捨て切れずにいたからこそ、別れを告げる事ができなかった。 
それが偽りない真実だから。だから、彼の言う矛盾が理解できなかった。 

「分からない? あの《約束》だよ」 

――《約束》。 
最後の品評会で交わしたあの約束。 

「霧切さんが言い出したんだよ? 『ボクたちが再会したらコーヒーを淹れる』っていう約束」 
「なんでもない只の約束に聞こえるけど、ボクにとっては大事な約束だった。……ボクにとっては、ね」 

「だけど、霧切さんは何も言わずに学園を出ていった。行き先どころか連絡先ひとつ残してくれなかった」 
「しかも日本を離れてロンドンにいるなんてさ……偶然バッタリ出会うなんて、どう考えても有り得ないよ」 
「それとも君の方から会うつもりだった? 三年間、一度も連絡をくれなかった君の方から?」 
「君は変えてしまったけど、ボクは携帯の番号もメールアドレスも、ずっとあの日のままにしていたのに」 

「そこで、ふと思ったんだ」 

「そもそも君は、ボクとの《約束》を果たすつもりがあったのかな?」 
「あの《約束》は、君に振られたボクに同情しただけの、只の口約束だったのかもしれない」 

彼の抱いた疑惑が、私の胸に突き刺さった。 
違う、と叫びたいのに声が出てくれない。 

――どうして、私と彼の間で、こんなに大きくずれてしまったのだろう。 

「……霧切さん。君はこう思ったんじゃないかな」 
「――『ボクの事なんか忘れてしまいたい』」 
「ボクとの繋がりを絶つ事で、ボクの事を忘れてしまおうと考えたんだよね?」 

――どうして、こんなにもすれ違ってしまったのだろう。 

「それに気付いた瞬間、ボクは愕然としたよ」 
「ボクは『霧切さんに会いたい』と思っていたのに、霧切さんは『ボクに会いたい』と思ってないんだ」 
「ボクは君との《約束》を大切に思っていたけど、君はボクとの《約束》を何とも思ってないんだ」 
「ボクと君は、こんなにもすれ違っていたんだ、ってね……」 

――私は、彼の事を忘れようと思っていたのかもしれない。 

彼を想い続ける事が苦しくて、 
彼と過ごした時間が温かくて、 
彼と紡いだ思い出が眩しすぎて…… 
再会の《約束》も、思い出の一部に綴じてしまっていた。 

彼がどんな思いをして、どんな想いを抱えていたのか、分かってあげられなかった。 
自分の事だけを考えて、彼を傷付けてしまった。 
だから、彼に嫌われてしまうのも当然だった。 

――苗木君に、嫌われた。 

あの優しい笑顔も、心配してくれる声も、差し伸べてくれた手も、全部失ってしまった。 
そう思った途端、目の前が真っ暗になった。 
世界が色を失う、という表現がぼんやりと理解できた。 

「……今日の事は全部、嘘だったの?」 
「私は、また苗木君と笑い合えて、嬉しかった……だけど」 
「貴方は、そうじゃなかったの……?」 

びくり、と彼の身体が揺れた。 

「……嘘なんかじゃないよ。ボクも嬉しかった。あの頃に戻れた気がして、本当に嬉しかった」 
「だったら……」 
「それでも――」 

ほんの少しだけ通じ合えた想いも、今の彼の心には届かない。 
私の後ろで、彼が静かに首を振った気がした。 

「それでも、あの頃には戻れないよ。ボクは変わってしまったから」 
「ボクはもう、霧切さんが知ってるボクじゃないから。……本当に、ゴメン」 
「どうして、謝るの……?」 

彼が変わってしまった。 
その原因は、私にある。 
私の身勝手さが、彼の心を傷付け、歪めてしまったから。 

なのに、どうして、 

――どうして、貴方が謝るの……? 

「霧切さん。ボクはね、おかしくなってしまったんだ」 
「どういう、意味……?」 

だけど彼は、私の質問には答えずに独白を続けた。 

「ボクはどうしても、霧切さんに会いたかった。会って、君との《約束》を果たしたかった」 
「大袈裟に聞こえるかもしれないけど、それがボクの生きがいだったんだ」 
「その為なら何だってするつもりだったし、実際に何だってしてきたよ」 
「……クラスの皆にも心配掛けて、迷惑掛けて……最後は裏切るような真似もした」 
「次第に皆、ボクの傍から離れていった。……いつしか誰も、ボクの事を相手にしなくなった」 

信じられなかった。 
私が知っている彼は、クラスの中で誰よりも周囲から慕われた存在だった。 
皆の為に悩んで、行動して、いつも皆の架け橋となって頑張っていた。 
だから、そんな彼が周囲から軽蔑される姿なんて想像も付かなかった。 

「ボクは……それでもいいと思ってた。……霧切さんに会えるなら、それでもいい」 
「そうやって、君との思い出に縋って、逃げ込んで……現実から目を背けてきた」 
「皆から貰った特別なもの――《希望》って言ったらいいのかな」 
「その《希望》がひとつずつ、ボクの手から零れ落ちていくのが分かった」 
「いつの間にか、全部無くしてしまった」 
「いつの間にか、本当に空っぽになってしまった」 

彼の声には深い後悔が滲んでいた。 
ただ私に会う為にクラスメイトを裏切った、と彼は言った。 
そうしてまで私に会いたかった、と彼は言ってくれた。 

――本当に、自分の愚かさが許せなくなる。 

「そんな時に言われたよ。『今のお前を、一体誰が受け入れてくれるんだ』って」 
「皆から貰った《希望》を失ったボクは、もう誰にも受け入れてもらえないって……」 

するり、と私を抱いていた腕が離れていく。 
ふらつきそうになる身体を、何とか踏み止まった。 

「……当然だよね……ボクは皆を、裏切ったんだ……」 
「……裏切って、しまった……だから、もう……」 
「……受け入れられない……空っぽのボクは……」 
「……《希望》なんて……霧切さんだって……」 

「……霧切さんだって、こんなボクを、受け入れてくれない」 
「苗木君っ!!」 

その言葉を聴いた瞬間、頭の中で何かが切れた。 
気が付けば、私は彼に掴み掛かっていた。 
彼にもそれは予想外だったようで踏み止まれず、そのままバランスを崩し―― 

「うわっ!?」 
「きゃっ!?」 

二人してフローリングの床に倒れ込んだ。 
私はすぐさま、仰向けに倒れた彼の上に跨り、彼の頭の横に両手を突いて詰め寄った。 
マウントを取られた彼は、状況に付いていけず、驚いた顔で私を見上げている。 
だけど、今の私にはそんな事はどうでもよかった。 

私は、目の前の彼にどうしても言わなければならない事があるのだから。 

「苗木君。私は、貴方がクラスの皆と何があったのかは知らないわ」 
「あの、えっと」 
「だけど、これだけは言わせて。私が貴方を受け入れない、なんて勝手に決め付けないで」 
「……え?」 
「苗木君は私の事を信用できないかもしれないけれど、私は今でも貴方の事を信用しているわ」 
「…………」 
「だから、『誰にも受け入れられない』なんて言わないで。少なくとも、私が貴方を受け入れてあげる」 

――白々しい。 

誰よりも先に、彼の気持ちを裏切ったのは私なのに。 
ここまで彼を追い詰める原因を作ったのは、他でもない私なのに。 

それでも、言わずにはいられなかった。 
自分を追い込む彼を、放っては置けなかった。 
謗りなら甘んじて受けるつもりだった。 
彼の矛先が、彼自身ではなく私に向くのならそれでもよかった。 

だけど、 

「……ずるいよ」 
「え?」 
「やっぱり、霧切さんはずるいよ」 
「苗木君……」 
「卑怯だよ……そんな言い方」 

だけど、彼は笑っていた。 
泣きそうな顔で、ただ静かに笑っていた。 

「……ねえ、霧切さん。最後にひとつだけ聞かせて」 

『最後に』と言われて、彼の言葉が頭をよぎった。 

――『君にお別れを言いに来たんだ』 

彼が、いなくなる。 
此処で別れれば、きっと彼の方から会いに来る事は、もう二度と無い。 
――心が騒ぎ始めて、落ち着かない。 

「嘘も誤魔化しも同情も理屈も要らない。……だから、君の本心を聞かせてほしい」 

薄らと涙の滲んだ彼の目が私を捉えた。 
目を逸らす事は許されない。 
きっとこれが、彼に対する罪滅ぼしになる筈だから。 
――胸が苦しくなる。 


「霧切さんにとって、ボクは何だったの?」 

漠然とした質問。 
だけど、その答えを、彼はずっと探し求めていたのだ。 
だから、私は伝えなければならない。 
三年間、彼が孤独と戦い、傷付きながら求めたその答えを―― 

「私にとって、苗木君は……」 


――温かな、私の居場所だった。 


私はそれまで、人の温かさがよく知らなかった。 

きっと、母と死に別れ、父が家を出たあの日から見失ってしまったのだろう。 
私はずっと、霧切の新たな担い手としてお爺様に厳しく躾けられてきた。 
それは今でも感謝しているし、私も霧切の探偵になる事に誇りを持っていた。 
だけど、心の何処かに小さな違和感を抱えていた。 

それが、孤独なのだと教えてくれたのは苗木君だった。 

希望ヶ峰学園に入学してからも、私は常に独りでいた。 
そうする事が正しいと信じていたから。 
なのに、気が付けば、いつも隣には彼がいた。 

彼の隣は、いつも温かかった。 
陽だまりのような温もりが、欠けていた私の心を満たしてくれた。 
それが、私が見つけた唯一の居場所だった。 
私はようやく、失くしてしまった人の温かさを手に入れた。 

「だから、失いたくなかった……」 

そんな時だった。お爺様からの手紙が届いたのは。 

霧切の誇りと温かな居場所、どちらかを失う日が来てしまった。 
私の人生において、霧切の誇りは絶対だった。 
そこには揺るぎない《誇り》を名乗るだけの価値観があった。 
ただ、それと引き換えに彼と過ごす時間を失うのが怖かった。 
だから私は答えを曖昧にしたまま、選択から逃げてしまった。 

「だけど、貴方は私を好きだと言ってくれた……」 

――『ボクは、霧切さんの事が好きだよ……』 

今でも忘れられない――忘れたくない、彼の言葉。 
こんなに卑怯で臆病な私を、彼は好きだと言ってくれた。 
嬉しかった。 
だけど同時に、失う事を恐れてしまった。 
そうやって私は、選択の答えだけでなく、彼からも逃げてしまった。 

でも、その時に気付くべきだった。 
私が逃げ出す事は、同時に彼の居場所を奪ってしまうという事に…… 

「私は、貴方に孤独を押し付けてしまった……」 

自分が傷付く事を恐れ、自分の居場所を奪われる事を恐れ―― 
その結果、私は彼を傷付け、彼の居場所を奪ってしまった。 

ずっと私の傍にいてくれた彼を、 
人の温かさを教えてくれた彼を、 
私を好きだと言ってくれた彼を、 

私は裏切ってしまった。 

「ごめんなさい、苗木君……」 
「貴方から逃げて、ごめんなさい……」 
「貴方を傷付けて、ごめんなさい……」 
「貴方を裏切って、ごめんなさい……」 

ポタポタ、と彼の頬に雫が降り注いだ。 
彼は避ける事も拭う事もせず、ただ真っ直ぐに私を見つめていた。 

「……それが、霧切さんの本心?」 

答えたくても、漏れ出す嗚咽を堪えるのに精一杯だった。 
だから私は、ゆっくりと頷いて――ぽすん、と彼の胸に頭を埋めた。 

違う。彼に抱き寄せられていた。 


「――ありがとう」 

「ありがとう、霧切さん……」 
「君の気持ち、やっと聞けたよ……」 
「本当に、ありがとう……」 


その声が優しくて、抱き寄せた手が私の頭を何度も撫でるから、 

「う、あぁ……あああぁぁああぁぁああっ!!」 

遂に私は、彼の胸に縋り付いて、子供のように泣き叫んでしまった。 

「酷い事言ってごめん」 
「怖がらせてごめんね」 
「でもね、霧切さん……覚えていてほしいんだ」 
「恋人になれなくてもいい……一緒にいられなくてもいいから……」 
「ボクと過ごした時間を、ボクがいたという事を……ボクは君が好きだという事を」 
「……どうか、忘れないでいてほしいんだ」 

「…………《約束》だよ?」 

何も、答えられなかった。 
燻ぶっていた感情を吐き出す事しか出来なかった。 
きっと彼も、そんな私を察したのだろう。 

私が泣き止むまでずっと、彼は私の頭を優しく撫で続けていた。 

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