2-1 メセナ法の仕組み 寄付と支援という言葉の使い分け ○ "Guia do Incentivo a Cultura" Fabio de Sa Cesnik ○ 文化省のサイト 本論で、便宜的にメセナ法と呼んでいる法律は、ブラジルではルアネー法(Lei Roanet)という通称で呼ばれている1991年12月のに承認された法律第 8.313/91 号 (A lei n. 8.313, de dezembro de 1991)のことである。 サンパウロ州におけるメセナ法(PAC:Lei de Incentivo Fiscal do Estado de São Paulo)を参照して立案された法律だが、 連邦レベルでは、メセナ法としてサルネイ法(Lei Sarney)が86年に成立していた。文化活動を資金面で支援するブラジルの初の法律であったが、後に数々の汚職の温床になっていることが発覚し、1990年に廃案になった。 サルネイ法が成立した背景には、 A Lei nº 7.505, de 2 de julho de 1986, elaborada e promulgada pelo então presidente da República, José Sarney, foi a primeira legislação federal de incentivo fiscal à produção cultural. Batizada como Lei Sarney, complementou processo de valorização da cultura brasileira, deflagrado com a criação do Ministério da Cultura, no primeiro mês do Governo Sarney, em março de 1985. Antes, havia o Ministério da Educação e da Cultura (MEC), que reunia os dois setores considerados afins. “Embora seja inegável a interligação entre educação e cultura, o certo é que o público e seus destinatários são diversos. O Governo Sarney reconheceu esta realidade com a criação do ministério que foi responsável pela consolidação de uma série de avanços do setor cultural”, defende Luiz Roberto Nascimento Silva, ex-ministro da Cultura no Governo Itamar Franco. LEI SARNEY REGULAMENTADA http://www.sinprorp.org.br/Memorias/memoria86-88-18.htm 12月14日閲覧 Lei Sarney: pioneira nos incentivos culturais http://www.senado.gov.br/senado/presidencia/memoria/07.asp 12月17日閲覧 http://www.cultura.gov.br/site/2009/04/07/legislacao-de-incentivo-a-cultura/ 12月17日閲覧 ブラジルで、文化に投資する政治の始まりに遡ると、1810年に、ブラジルで即位したポルトガル王ジョアン6世(D. João VI de Portugal)が、国立図書館を建設したことに辿ることができる。 20世紀の中頃から、知識人たちは、文化への支援の必要性について、熟慮していたが、彼らの考えが組織的に実行されることはなかった。公的な政策が欠けていた。当時の連邦の公的機関の戦略的な失敗である。 90年代の後半になって、ようやく文化への支援の公的政策が機能しはじめた。 アメリカでは、1917年に、メセナ法を採用した。文化に関わる投資額の減税の仕組みを持っている点で、ブラジルのメセナ法が参照した法律の一つである。この法律は、約70年の施行の後に廃止されたが、この法律は、アメリカにおいて民間が文化を支援するという基礎を作った。カーネギー、モルガン・スタンレー、ヴァンダービルトやフォードといった個人として文化に寄付を行った人がいるだけでなく、ロックフェラー財団、シカゴ大学、グッゲンハイム財団といった継続的な文化支援を目的とした団体は、この時代に起源を持つ。 アメリカ政府は、第二次世界大戦後に、控除額の枠を拡大し、86年に、文化市場が確立されたとして、当初の控除額の枠に戻した。 このモデルは、ヨーロッパのモデルと大きく異なる。ヨーロッパでは、国による支援が中心である。 アメリカの法は、企業に強力に訴え、文化活動にせよ、フィラントロピー活動にせよ、企業家が支援や投資をすることを要求した。 1995年にアメリカの寄付は1兆500億ドルに達し(これは合計? それとも年間?)、その7%は芸術活動の支援や文化遺産の保護を目的に寄付された。 この合計額のうち、約80%は個人からされたものであった。(アメリカでは個人と企業で寄付控除のパーセントが違う) アメリカはどうして国の文化政策に、このような寄付控除の仕組みを取り入れたのか。 1917年当初、文化的な財産が当時国内に何もなかったアメリカ合衆国に、ヨーロッパから文化財を買って、アメリカ国内に残していくことが目的だった。当時の富裕層は、合衆国国内に、「普遍的な宝」があったらと願っていた。当初の目的は、地域の文化のためではなく、ヨーロッパから文化財を購入し、コレクションを集めることであった。 実際、その政策意図は成功し、現在アメリカには世界各地からの芸術作品が集まっている。 ただ、この法も目的はこれだけではない。 ---- ---- ---- ---- ----