目次
1.太陽系の位置づけ
2.ミクロとマクロ
3.銀河系の考察
(1988年1月14日の霊示)
1.太陽系の位置づけ
高橋信次です。みなさんこんにちはー。元気ですかー。一月も半ばになりました、ねえ。ぽかぽかとあったかい日が続いています。その後お元気でしょうか。お変わりございませんでしょうかね。私の七冊目の書物もだいたい終わりが近づいてきまして、今日ほぼ収録終了という予定になってきました。
非常に幸福です。私はね、新年を迎えまして、みなさんに新年のあいさつ遅れてますけども、新年明けましておめでとうと言いますとともにですね、大変幸福に思います。今日(こんにち)まで、この七冊目の書物までこぎ着けられましたことは、ひとえに読者のみなさま方のひとかたならぬ、ご尽力、ご厚情の賜物でございまして、みなさまあっての高橋信次でございます、ね。そういうように思ってますので、今後とも引き続きご愛読を願いたい。できれば五十冊、百冊、あるいは〇〇さんの寿命が長ければ、百二十冊、百五十冊と頑張りたいと思いますので、どうかみなさんからもしっかりプッシュしていただきたい。どんどん本屋に注文していただきたい。えーこうぃうように思います。
ま、それを前置きに致しまして、本章の話をしていきたいと思います。まず、「太陽系の位置づけ」という題を選んでみたわけですね。みなさんはたとえば地球というところに住んでおって、日本というところに住んでおると、やっぱりどうしても自分の国、ここを中心に物事を考えざるを得んのですねえ。外国っていう言葉があるけれども、海の向こうっていう感じですね。完全にね、海の向こうっていう感じがします。ですからその外国からみればね、この日本というのもまた、島国なんだけど、日本から見たら外国っていうのは異国ですね。本当の遠い国というかたちになると思います。
では大宇宙の中で、太陽系というのは一体どういうような感じなんだろうかと。どういう感じだろうか。たとえば世界の地球儀ですね、地球儀から見て、太陽系というのは、全宇宙の進化速度から見たら、たとえばどの程度の国になるんだろうか。
国で言うとね、現在の二十世紀後半の国でいくと、どの程度、大きさも勢力も、力もどの程度かなーっていう素朴な疑問はあるだろう。ま、こういうように思いますね。これで私が、みなさんにわかるように言うとするとね、太陽系の位置づけは、ちょうどそうだねー、現代で言うと、まあ香港(ほんこん)ぐらいの感じかねー。うん、地球儀で言うとねえ。あるいは世界地図で言うと香港程度かな。この程度の位置づけじゃないかなーと思うんですね。
なぜ香港程度かーって言うと、まず非常に伝統的なものがある。伝統的なものはあるけれども、そういう伝統的なものの中で新しい波がありますね。香港ていうのは、中国的な伝統を持ちながらその中にイギリスだな、イギリスの影響なんかが入ってきて、外国の文物(ぶんぶつ)が入って非常に栄えておるね。そういう中国であって中国じゃない。そういうとこだね。中国であってイギリスのような、外国のようなね、そういう非常に繁栄しておるけども、伝統的なものを持っておる。こういう感じがあると思うんです。ま、こういう香港のような感じが、ちょうど太陽系の位置づけにあたるかなーっていうのが私の感じですね。
ですから太陽系というのは、まあ由緒正しい感じはあるんですね。ちょっとしたそういう民族的に伝統的な、ちょっと深さと長さがある感じはします。けれどもやっておること自体は非常に新しいし、繁栄している感じはあるんですね。キラキラしている。だから地球儀で見れば、ちょうど香港のような存在、これが太陽系にあたるんじゃないかなあ、と思いますね。
それ以外にシベリアにあたるような地方、インドネシアにあたるような地方、アメリ力あるいはヨーロッパ、まあこういうところにあたるのもあるんですよ。アメリカみたいな強大な力を持ってるように見える、そういう星系団もあります。
ただ、太陽系というのは、まあ地球的に言えば香港という感じですね。ただ最先端の国とまでは言えない。まだそこまでは言えない。しかし後進国とまでは言えない、ね。伝統的な要素を持ちながら、そこそこに進出してキラキラしておるところですね。こういう感じですね。
じゃあ香港と言って、なんでシンガポールと言わないのか。シンガポールに旅行したい人もいるぞって、ね。まあこういう考えもあると思いますが、うーん、シンガポールも確かに繁栄しておるけども、もうちょっと何と言いますかねえ、うーん、少し違う、という感じですね。やっぱりこう、伝統の重みみたいなのはちょっと中国本土の方にね、近い方にあるんじゃないか。まあそういう感じですね。何千年もの歴史を持つ国でありながら、それにちょっと違ったものが入って非常に発達しておるっていう感じね、この感じなんですね。
だから太陽系という非常に由緒正しい伝統的な霊系団でありながら、そこにベーエルダ星かなんか知らんがエル・ランテイというのが飛んで来て、大星団率いて来て非常に新たな文化創って発展したっていう、急速に発展したっていう感じがあるんですね。そういう意味で香港的かなーっていう感じです。
まあシンガポールなんかはずっと伝統があって繁栄し、急に発展したというとまた、ちょっと違うとこあるね。ちょっと違う感じがする。しかし、まあ完全にヨーロッパの国々みたいに、フランスだとかイギリスだとかいうような、本当に伝統的なオーソドックスな国というとこまではいかない。急速に良くなったという感じはあります、ね。そういう感じです。
じゃあ、日本みたいかっていったら、まあ日本みたいでもないね。日本というような国、孤立した国からみれば、もうちょっと太陽系っていうのは、どっしりした重みと、広がりはありますね。その程度の位置づけですね。ま、そういうふうに感じます。
2.ミクロとマクロ
さて今、地球の中の香港にあたるようなのが大宇宙の中の太陽系の位置づけだと、まあこういう話をしましたが、えー物事の観点でね、経済でもよく言うように、ミクロとマクロという両方の観点があるんですね。ミクロっていうのは、顕微鏡で見るような非常に小さな世界ですね。こういうのはミクロの世界。マクロっていうのは巨大的な、巨視的なね、大きな目で見る世界観ですね。こういう目があります。
たとえば、映画なんかでも細菌部隊とかね、細菌の映画とか、あるいは人間をものすごく小さくしていってね、そして小人のように、ばい菌のようにしていって、体中に入れてしまって、そして体中を探検するというような、こんなSFかなんかもあったと思いますけども、えー、こういう感じですねえ。こういうこともあり得る。そしたらそういうばい菌のような大きさに人間がなると、人間の体というのは巨大ですねー。これは迷路そのものです。
ばい菌、バクテリア、なんでもいい、細菌でもいいですよ、体の中の細菌でもいいけども、それがこの人間の体の中に入ったらこれ大宇宙そのものですね。果ては絶対わかりません。血管の中にいたとしても、あるいは内臓の中に何か住んでおったとしても、そういう小さな微生物住んでいたとしても、この人間の肉体という宇宙空間は、これは全体像が絶対にわかりませんね。こういう感じがあります。これはミクロですね。
で、マクロから見るとどうなるかっていうと、まあちょっと大きな目で見れば、何て言いますかねえ、銀河系っていうのは神の心臓みたいに見えることがありますねえ。心臓部分のように見える。そして銀河系以外の星団も、心臓以外の内臓の諸器官ですね、腸だとか、胃だとかね、手足だとか、こういうふうに見えるかもしれませんね。こういうこともあるでしょう。
そうしてみると、何て言いますかね、もっと大きな、もっともっと大きな目で見ると、地球っていうのは一点になってきますね。点になってきます。点になってきて、もう細胞のひとコマ、ひとつぶ、こういうようになることもありますね。
こういうように尺度を変えれば全然変わってしまいますが、一体どの尺度が一番基準なのかって言われるとこれがわからないですね、何が標準なのか。人間は一メートルの縮尺で計ったりしますが、これは自分の身長なんかとまあ合ったような物差しですね。ところが地球が一点になってしまうような物差しで見たら、わかんないですね、何がなんだか。こういうとこがあります。だから私たちが地上に住んでおるというのは、もうばい菌以下の小さな存在かもしれない。そういう見方もあるということですね。
ですから大宇宙そのものが、三次元の大宇宙そのものが、さらに大きな宇宙の一部分になっていないという保証はないんですね。そういうことはあるということです。この三次元宇宙空間、広大無辺に見える三次元宇宙空間というのは、実はさらに大きな宇宙空間の中のほんとの細胞かなんかかもしれない。小さな水溜(た)まりかもしれない。もうほんと、とてつもないですね、そうすると。そしたら宇宙の構造って一体何でしょうか。全体像って一体何でしょうか。ほんとそれがわかんないですね。こういう広大無辺な世界観、これがあるわけです。
ですから私たちはね、ともすればもう自分中心、自分の大きさがすべて、ま、こういうふうに見るけども、そうではない、そういう大きさがあるということね、これを知らなきゃいけない。えーそういう意味では、霊的発達の可能性も無限ですね。「高橋信次だー」なんて言って地上で威張ってるかもしれないけど、もっと他の星行ったらどうかわかんない。もっと大きな宇宙に出たら、ねえ、私なんか単なる一人間霊にしかすぎないかもしれない。もっともっと偉大な霊はいくらでもおるかもわかんない。このへんがわかんないですね。
ま、そうしたもんなんですよ。だから常にこのミクロね、それほど捨てたもんじゃないっていう見方と、マクロね、いやほんと、謙虚であらざるを得ないという視点ね、この両方が私は必要だと思いますね。この両方の視点を失った時に人間はね、やっぱり大きな間違いをおかします。
このマクロの視点を特に忘れると、自己保存、自我我欲が出てきますね、自分が自分がという思いが出てくる。ミクロの思いがあまり強いと、また無関心になってきますね。世の中について無関心になる。世の中の動きについて無関心になってきます。まったく自分だけの世界になってくる、ね。ま、こういうふうで、両方大事です。
で、本当の基準ていうのはわからないです。どのへんが本当のミドルって言いますかね、中心的な物の考え方か、大きさか、これはわからないです。
3.銀河系の考察
さて、銀河系について話をしておきたいと思います。さあ銀河系って一体何だろうか。いま、神の心臓にして、ということ言いましたね。私もGLAってとこで教えておって、『心行(しんぎょう)』という経文作ったんですけども、「銀河は神の心臓」というね、そうぃうことを言ったことがあったように思いますね。そうですね、心臓なんですね。大宇宙、宇宙即我というような探検していくと、銀河系っていうのはほんとの神の心臓というのがわかります。宇宙即我で、肉体が宇宙大に拡がった時に、銀河系っていうのは神の心臓部分のように感じるんですね。そういうところがあります。
じゃあ、太陽系は香港だと言ったけども、銀河系トータルで見た時に、全宇宙の中での銀河系の位置づけ、役割、存在感、これはどの程度かと言うことですね。だが銀河系は神の心臓って言うぐらいですから、そう捨てたもんじゃない、ねえ。心臓の方がそらいいですよね、他の内臓より。
みなさん方、自分が内臓になるとして何選びましょうかねえ。どこ選びますかねえ。何がいいと思いますか。「肺がいい」なんて言う人もいるかもしれませんねえ。「肺がいい」「小腸がいい」とか「大腸がいい」なんてね、「大腸大好き」なんて言う人もいるかもしれないし、あるいはねえ、もうちょっと下がってきてねえ、「膀胱(ぼうこう)大好き」なんて言う人もいるかもしれない。何が好きか知りませんが、みなさん好き好きがあるでしょうけどまあ、何て言うか、一番格調が高いというか、プライド高いのは心臓でしょうね。肉体諸器官の中に意識があるとして話し合ったら、議長するのは心臓でしょう。
「私がおるから、要するに全身血が巡(めぐ)って人間は生きとるんだ。だから心臓が一番発言権がある。心臓が内臓諸器官の中で多分エル・ランテイの役割をしておるのではないのか」まあ、こういう感じはするでしょうねえ。「そしたらエル・ランティが心臓とすると、あとは何だ」と言うね。イエス様が「いや、おれこそ心臓」なんて言うかもわかんないね。「愛の血液を送り出してるのに私が心臓だー」なんて言うかもしれないね。
「エル・ランティが心臓で、ゴータマ・ブッダが動脈だ」なんて言ったら怒(おこ)るかもしれないねえ。「そんなはずはない!」なんて、「そんなバカなことあるか」なんて言うかもしれないね。誰がどこをとるかね。「モーゼなんていうのはこれは腎臓じゃないか」なんてね。そういうふうに思うかもしれない。あるいは毒消しするとこで、なんか肝臓みたいなことをする人もおるかもしれない。
まあこういうふうにいろいろいるかもしれませんが、内臓の中でプライド高いのはおそらく心臓でありましょう。だからみなさんの中で内臓のどれ選ぶかって言ったら、プライド高い、重要感の欲しい人は心臓を言うでしょう、おそらくね。そういうことであります。
だから銀河そのものの全宇宙的な考察をしてみると、心臓と言うけれども、まあそれに近いかもしれない。太陽系そのものはそう偉いわけではないけれども、全銀河系のレベルそのものはね、かなり高いです。かなり高い方に当たると思いますね。だから太陽系は香港かもしれないけども、全銀河系そのものはね、「EC共同体」ぐらいの感じですね。「ヨーロッパ共同体」、この程度の高さを持っている、こういうふうに思いますね。
その意味では、宇宙系団の中では銀河系っていうのは、エリート集団ではあります。エリート集団で、みなさん方が知らないような何十億年、何百億年の歴史の中でね、非常にキラキラと光った実績を持っておる、そういう魂の故郷です。非常にレベルの高い魂の故郷である。まあこのように言えるのではないか。これが銀河系のあり方ですね。
で、銀河系創る時に、神さまどう思ったかと、どういうふうに思って創ったのかと、星をいっぱい散りばめてるけども、星創る時に何か考えがあったのかどうかということですが、ま、それはある程度あったということですね。星というものを細胞体いっぱい創ったけども、神さん自身はやっぱり、このへんが中心だなっていう考えはあったと言っていいと思うんですね。だから銀河は銀河で、このへんが心臓だなっていう感じですね。これはあったと思います。そういう思いはあってやっぱりこういう星座、あるいは星系団、こういうものもできる。
銀河の中には非常に優れた人たちがいます。非常にね、優れた人たちがいて、地球系霊団の格は、銀河の中の最高指導霊団から見ればね、まあ、まだ小学校の二、三年程度かもしれない。このレベルかもしれない。もっともっとはるかに賢い人たち、指導力に優れた人たち、ま、こういう人たちは現におるわけであります。現にそういう人たちがいて、そして活躍をしておるわけであります。だからそうした偉大な魂たちがおるということね、これを知らなきゃいけないよ。
そらいくらね、小学生が頭が良くったってね、大学の教授にはかなわないねえ。話して、議論で論破したなんてことは、まあ、あり得ません。ね、そういうことです。だから、みなさん方より教十倍、数百倍に知能の優れた生物存在もいないとは限らんということね。こういうものもおる、ということですね、銀河系の中には。だからそういうとこが、あなた方のまた目標とすべきところだっていうことですね。そんなふうに考えていいんではないでしょうか。
だからこうしたこと考えるとね、銀河系団の中でのその指導霊団の頭の良し悪しなんて考えてると、みなさんね、ほんと地上におってね、「私は大学卒だー」ねえ、「彼女は高卒だー」「彼は高卒だー」なんて、こんな意識なんてね、もうばかばかしくてしようがないね。こんなのね、蟻(あり)の頭の良さを競(きそ)ってるようなもんですよ、まあ言ってみりゃあ、ねえ。
あなた方見ててね、地上歩いてる蟻がいる。蟻の中でもやっぱり能力の差はおそらくあるはずだぜ。わかんないけど、多分あるんだよ。こっちの蟻の方がこっちの蟻より賢いっていうのは多分あるんだな、おそらくは。それはなんでかって言ったら、砂糖の粒ひろってまっすぐねぐらに帰って来れる蟻と、ちょっとぶつかって試行錯誤して帰って来る蟻がおるんだよ。それはちょっと頭が鈍いんだよな。だけど賢い蟻はだいたい行った時にね、出かける時に穴から出て行く時に、だいたい道を憶えておってね、周りの景色見ておって、それで砂糖粒つかんだらね、そこの道を憶えとってまっすぐ帰って来るんだな、すっと。ところがちょっととろい蟻はね、穴蔵(あなぐら)から出て来たら、あっちフラフラ、こっちフラフラして、探すことに夢中で自分の道忘れとるんだな。それでたまたま見つかったら「やった」とばかりに、また、あっちヘフラフラ、こっちヘフラフラしながら穴に帰って来るんだね。ま、こういうところがあるね。こういうふうに蟻でも知能の差は多分あるはずだ、ね。だけど、人間の知能の差なんていうのはおそらくこのぐらいに見えるよ。
だから東大一番で卒業したっていう頭とね、定時制の夜間の小学校や中学校、小学校の定時制ないかもわかんないけども、まあ中学校でもなんでもいいけども卒業したっていうのと、比べてどうかっていったらね、そんなのわかんないですね。蟻の知能の開き程度かもしれないねえ、そんなもんですよ。だからそんなんでね、比べてあっちが頭いい、こっちが頭悪いなんてね、言うのは私はおかしいなあと思いますね。
大きな大宇宙の知能から見りゃあね、まあ全知全能の高橋信次から見りゃあみんな、カビがわいてるようなもんですからね。ま、こういう言い方すると削除されちゃうかな。そのへんはちょっと遠慮しますが、まあ、全知全能の神から見りゃあね、人間の頭の差なんて関係ないんだ。あと背が高いとか低いとかさあ、バストが八十八あるとか、七十八しかないとかさあ、もうこんなのはどうでもいいことさ。そういうことをね、人間はそういう目も持たねばいけない、ね。こういうふうに感じるわけであります。
4.太陽系霊系団の特色
そういうことで、銀河系にはいろんな霊系団があることはだいたいみなさん推定がつくと思いますが、わが太陽系の霊系団に何か特色があるのか、ないのか、ということですね。これも言っとかなきゃいけない。あなた方は霊言集読んで、高級霊の中にもいろんな魂の煌(きら)めきがある。個性の方向性があるということは知っておるはずです。そして、霊系団の個性の差があるけど、その起源をたどってみると、もともと来た星が違うこともありうるということ知ってるね。来た星が違うことがあり得る、こういうこともあり得ると、まあ言ってますね。
ただ来た星が違うけども、じゃあお釈迦様の教えとね、たとえば孔子様の教えと、根本的に違うかっていったら違ってないな。そうだろ。よく似てるとこあるね。お釈迦様も孔子様も人間完成の道説きました。お釈迦様は中道が大事だと言いました。孔子様は中庸(ちゅうよう)が大事だと言いました。ま、基本的には一緒ですな。両方とも人間完成で、人間がだんだん高くなっていくことが大事である。まあ、こういうことを言っています、ね。一緒ですね。
いろんな徳目を孔子様はあげました。仁・義・徳・礼・信かなんかね。そういうのあげまして、それを目指せと言ったけども、お釈迦様は八正道というようなことをあげましたね。ま、こんなのまあ一緒だな。人間が向上していくための教えだね。
お釈迦様はもともと地球の一番古い魂であって、その前は金星にも関係しておった、こういうこと言われてますが、孔子様はまた全然違うなんとか星座、オリオンか何か忘れたけども、なんとかから来たんですよ、ねえ、確か、白鳥座だ。白鳥座から来たんだ孔子様はね。そういうとこから来たんですよ。けど、星団違うけど教えがそう違うかっていったらそう違わないね。まあ個性がちょっと違う。まあこういうことがあります。けれども地球で彼らもやっているうちに、だいぶ似通ったとこが出て来たんだな。こういうことだ。
ま、そういうふうな違いはあるけども、太陽系団ではちょっと特色がある。太陽系の中で、霊が肉体持って魂修行してる具体的なとこはもちろん地球だし、あと金星にも多少魂はおりますけどもね。あるいは宇宙人などの基地なんかもありますが、そういうことがあるのは、まあ度外視して、具体的に肉体持って魂修行してるというと地球が中心になりますけども、この地球系霊団と言いますかね、この特徴、霊系団の特色は何かっていうと、やはりね、私が見ておって感じるのは、やはり愛っていうものが、中心になってると思いますね。
愛―他人を愛するっていう気持ね、これが中心のような気がします。愛というのがね、一番強い。他の星に比べてみるとそれほど強くないとこもあるんだな。愛じゃなくて秩序がほんとに中心のところもあるし、力が中心のとこもあるんですよ。力っていうのは別に悪魔だけじゃないんですよ。力の強さが問題になってるような星もあるんです。ほんとにね。ま、いろいろあるんです。それと知能だけが中心になっとるとこもあります。そういうところもあります。
まあだから愛がね、やっぱり強いように思いますね。その意味で地球系霊団のことをアガシャー霊団て言うことありますね。アガシャー系って言うこと多いです。アガシャー系っていうのは、イエス様の魂系団のことですけども、やっぱりイエス様が愛を説いてるからね。ま、その影響が非常に強いということですね。そういうふうに考えます。
みなさん方はお互いに愛し合わなきゃいけない、優しくし合わなきゃいけないって言うけど、こんなことは決して当然のことではないんですよね。当然愛し合わなきゃいかんなんてことの理由はどこにもない、そんなの。別に敵であっていいんだ。みんな生まれてから、生まれ立った以上ね、もう敵ですよ。そういう考えあるんだよ。そら男から見りゃあね、そんな他の男ちゅうのはいつ女を奪われるかわがらん敵ですよ、こんなのね。そうでしょう。女から見りゃあね、他の女なんちゅうのはいつ私の好きな彼、取るかもわかんない敵ですよ、ねえ。そういうようにも思えるね。みんな敵っていう見方もある。
ところが愛という教えがあるとどうかというと、「いや、そうではないんだ。人間にはそれぞれあてはまる先がある、ね。自分はああいう男性がいいと思うし、ああいう男性はこういう女性がいいと思うってお互い取り合いしとったら血みどろになってくる。だからそこそこの社会的規則のもとに調和ある組み合わせで満足して、お互いに理想的環境を創っていこう」ま、こうぃうのを取り決めていきますねえ。これ根源が愛ですね。
この愛がなければね、血みどろです。槍(やり)でもって殺すとこまでいきますね。それで本能のまま行きゃおかしくないと思いますよ。自分はこの人にふさわしいと思ったら、その人を取る女性が出て来たら、その女性にガソリンかけて火をつけたりしても別におかしくないかもしれない。それは非常に正直で、勇気ある行為だなんてほめられるかもわかんない、ある星ではほめられるかもしれないけども、まあ、そういうことが許されないのは、愛という行為がこの地球では評価されてるから。ま、こういうことがあるわけなんですね。
ですからアガシャー系と言われるだけの理由がある。まあそういうふうに私は言えると思います。つまり太陽系霊系団の特色は、愛が強いということです。他の星系団から比べるとね、愛が強い。そう言えますね。
5.太陽系と大宇宙の構造
まあ、あと太陽系と大宇宙の構造ということを話して、本章を閉じたいと思います。えー、さっき銀河系が心臓だっていうような話しましたね。で、太陽系っていうのは、香港ぐらいに当たるようなとこだっていう話もしました。
大宇宙の中でどうなっとるかということですが、大宇宙の構造、特に大宇宙をどこまで定義するかですが、まあ学んだ方はね、四次元宇宙、五次元宇宙、六次元宇宙、七次元、八次元、九次元、十次元と、まあいっぱい宇宙観があります。で、私たちが肉眼で見、あるいは望遠鏡で見る宇宙観というのは、これは三次元宇宙観ですね。三次元の宇宙っていうのはどういう感じかっていうと、結局霊的世界でスッポリ覆われとるんですね。そういう感じなんですね。
まあ言ってみれば、水槽の中で熱帯魚を飼うために、泡ブクブク出してますね。この泡ですね、泡ひとつ、これが三次元宇宙みたいなもんなんですね。だからこの内側にみんな入っとるんですね、泡の中、空気の中に閉じ込められている。ま、こういう感じで、私たちの世界から見るとちょうど巨大な泡つぶか、あるいは気体、あるいはまりかなんかがね、ポカッとね、入っているような、そんな感じが致します。そうしたもんなんですね。この中の太陽系であり、他の宇宙であるということですね。こんなもんです。
だから地上に視点を置いてみれば、もう無限に広がる大宇宙かもしれないけども、私たちの目から見れば泡つぶのような、こんなちっちゃなね、水槽の中の泡ですね。こういうプクプクとしたもの、こんなものにしか過ぎないんですね。そういうふうに言えるかと思いますね。
だからその泡つぶと言うか、空気つぶって言いますかね、空気の玉って言いますか、それが大宇宙の中で、視覚的に言ってどの程度の大きさなのか、という考えもあると思いますね。どの程度か比喩を言ってみれば、たとえば私が住んでおる九次元宇宙という空間がありますね。これを何でもいいが、後楽園球場でもいいなあ、最近エアードームがついた後楽園球揚がありますけど、後楽園球場という五万人ぐらい入る球場を九次元宇宙とすると、三次元宇宙空間の広さはどの程度だとみなさん思われるでしょうか。三次元宇宙空間の広さは、この後楽園球場の中に置いたバスケットボールの玉程度です。この程度の宇宙観の違いがあるんですね。私たちが見るとほんと、後楽園球場の中にバスケットボール一個放り込んだぐらいの感じです。
この中でね、白鳥座だの、射手座(いてざ)だの、ねえ、牡牛座(おうしざ)だの、牝牛座(めうしざ)だの、牝牛座ってなかったかな、ない? あーそう、じゃあ何でもいいが、蟹座(かにざ)だの、天秤座(てんびんざ)だの、双子座、魚座、ねえ。魚座の女となんとかは合うとか合わないとかあるわな。こういうのをやるんですね。乙女座、ね。乙女の祈り、乙女座、私も乙女座なんか好きなんですが、乙女座、ま、こういうのありますね。
こういうふうにいろいろありますが、こういうのがなんとバスケットボールの中に入っちゃっとるんですね。こんなもんなんですよ。だからこの世の人はこの世がすべてだと思って、あの世へ行くとなんだこの世程度と思うけども、もっとずっと高いあの世へ行くと、この世のすべての宇宙空間というのは、そんなちっちゃく見えちゃうんだよ。
そうするとどうかって言うと、後楽園球場の中にバスケットボールぐらいの広さがあればね、どうかっていうと、そんなのチョコチョコ歩いていってね、ちょっかい出そうとしたらいくらでもできるわな、そんなの。うん、ほんと簡単だ。バスケットボールの表から裏まで移動するのは大したことないな、そんなの。「なんだ、こっからここへ、近いじゃないか」ってなもんだな。こんなもんなんですよ。
だからみなさんね、自分の思ってる構造がすべて、宇宙がすべてなんて思っちゃいけないよ。玉ねぎの中なんだよ、単なるね。そんなもんなんですよ。何層にもなってて、その中の一部分にしか過ぎない。まあこれが大宇宙の構造と太陽系の感じですね。そういうふうに思っておっていいです。
まあ大宇宙そのもの、三次元大宇宙も他次元の大宇宙から見れば、そんなちっちゃな存在であるぞーっとね。まあこういうことで、そしてもっと大きく言えばね、私らの九次元世界から見りゃあ、そのバスケットボールのような三次元宇宙っていうのは、一個だけじゃなくて複数あるんです、ほんとはね。えー複数あるんですよ、ね。男子の一番大事なものだって複数あるでしょ。二個あるでしょ。同じように大宇宙の中でもね、大宇宙、三次元宇宙もそれぞれそういう真丸(まんまる)いのがね、バスケットボールみたいなのが一個だけじゃないんだよ。ほんとは何個もあるんだよ。あっちもこっちもあってね。ポコポコあるんだよ。それを高いとこで私らが見てるのさ。そういう感じがあるってことを知って下さい。ま、これが大宇宙の構造ということです。