シャッフル限定選手物語

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**野手 #region(close,太田) 太田光。42歳。 太田は今では投手以外の全ポジションを守れる。ベンチにいると助かる、超ユーティリティプレーヤーだ。しかし、太田は苦労人だった。ここでは彼の半生を追う。 太田は学生の時、プロを目指していた。だから、高校三年の時、プロ志望届を出した。しかし、当時の能力は11113131。打撃はのび太も驚く下手さだった。本人も、自分はプロに行けないと思っていたけれど、プロへの未練を無くすために志望届を出した。 しかし何と、シャークスに指名された。なぜこんな奴をとったかって?あそこはドラフトで10人指名しても、7人に入団拒否されるから、大量に指名せざるを得ないからだ。この年は15人指名して、7人入った。シャークスにしては入団拒否が少ないな。シャークスの状態は今と同じだった。スター数人が首脳陣から評価されている。他は酷い扱い。そんなこともあり、アマチュア選手からの評判は最悪だったが、太田は「このチャンスを逃したら次のチャンスは無い」と思い、入団した。 しかし、シャークスでの扱いは酷いものだった。まともな練習さえできない。練習はひたすら走るだけだった。同期はどんどんやる気を失い、成績が残せなくなり、自由契約になっていった。しかし、太田はそれで腐らなかった。ひたすら走り続けた。 そしてプロ5年目のシーズンの終盤に、ようやく試合に出るチャンスを与えられた。走りこみのお陰で、走力と守備範囲が大幅に良くなり、能力は1111031101となっていた。プロ初出場は代走だった。無死一塁の場面。初球から走り、何とプロ初盗塁を決めた。盗塁技術は拙かったが、足の速さでした盗塁だった。このプレーは監督を驚かせた。盗塁技術を上げれば、「ふ○もと」や「あ○ほし」以上のスピードスターになれる。監督はそう確信した。そしてそこからひたすら盗塁技術を磨いた。そして迎えた6年目のシーズン。序盤は盗塁を決めまくった。そしてシーズン半ばのある試合。監督はついに太田をスタメン起用した。1番中堅だった。しかし監督は知らなかった。彼の絶望的な打力を。まあ、走りこみの以外何もしてないんだから、誰も打撃能力なんて知らんわな。ちなみに太田の担当スカウトはこの数年前に失踪していたから、その事を監督に伝えられなかった。話を試合の戻す。4-0で4三振。全タコだった。当然だ。そこで監督は考えた。そうだ、内安を狙わせれば良い。翌日もスタメン。4-0で4三振。ミートが無さすぎた。ファンもぶちぎれた。打てないのもそうだが、肩が酷い事に、だ。それもあり、翌日から控えになった。しかし太田は、ひたすら打撃練習をしていた。打撃練習といっても、機材なんて使わせてもらえない。だから、主力選手のウェラケレスのフォームを見て学んだ。そして、それを真似て素振りをひたすらした。 効果は翌年現れた。実は太田は天才だった。見て真似できる。ミートは8まで上がっていた。しかし、飛距離は出なかった。1811031101。ミート、走力が高く、巧打が低い。内安が1番狙いやすい能力だった。そしてこの年、前半戦が終わり打率はリーグトップ。ヒットは全て内安だったけどな。誰もが生え抜きリードオフマンの誕生を確信した。しかし、後半戦は徹底的な前進守備。打てるわけがなかった。肩がアレだったこともあり、すぐ控えに回った。一介の代走の切り札に逆戻りだ。そして太田は考えた。そうだ、肩を強くしよう。今度もウェラケレスの送球を見て学んだ。ただ、肩は筋力との兼ね合いもあってか6までしか上がらなかった。それでも、守備範囲が超一流だから、あちは育成のためにスタメンで使われた。スタメンを外されて一ヶ月後の話だ。 打順は主に8番中堅。ただ、打率はかなり低く、穴だった。 太田は今年でプロ7年目。若手の域から脱しつつあり、翌年以降は育成のため、と我慢して使われる事は更に少なくなるだろう。守備と代走で終わるプロ野球生活は嫌だ。そう考えた太田は、オフに、プロ野球人生を賭けた賭けに出た。バッティングフォームを、当時全盛期だった谷口(当時打撃は5101010)と同じにした。なんと打撃能力は69910になった。ウェラケレスのやり方は、体にパワーがないと飛距離が出ない上、細かいバットコントロールもできないらしく、パワーや巧打は上がらない。要するに、太田にあっていなかったようだ。それに対して谷口のバッティングは、非力さをバットの使い方で補っていたため、同じく非力な太田にあっていた。 プロ8年目にして覚醒した太田は、スタメンを獲得した。そして、首位打者と盗塁王を獲得した。それでも油断しないところは流石だった。チームの為に、と、内野と捕手の練習をした。守備能力は内野が8、捕手は6だった。そして翌年、再来年も首位打者と盗塁王をとった。 しかしプロ10年目のシーズン。最終戦に悲劇が太田を襲った。大飛球に飛びついた時、フェンスに激突。しばらく動けなかった。もう野球は出来ないかもしれない。全てのファンがそう思った。シャークスフロントもだ。そして、太田を解雇してしまった。 しかし、太田は諦めずに1人、リハビリをした。 完治したのは一年半後だった。怪我で能力は76767777まで下がった。そして、各球団に自分を売り込みに行った。シャークスを見返す。それが原動力になった。 そして、リザースに拾われた。あそこは能力のバランスがいい選手がいないからな。そこではそれなりに活躍した。 転機が訪れたのはリザースに入ってから11年後だ。能力は衰え、今と同じだ。ところで、ある巨大な会社を親会社とする球団が、ダイナマイトリーグ進出を目論んだ。チーム名はダイナマイトシャッフルズ。そこで、まずは選手を集めようとした。太田はそこに誘われた。彼は悩んだ。リザースに恩を感じていたからだ。そして、当時のリザース監督に相談すると、驚く答えが帰ったきた。「実はな、ダイナマイトリーグはお前が誘われたダイナマイトシャッフルズの他に3球団入る予定なんだ。そのあと、ダイナマイトリーグ12球団をオーシャンリーグとマウンテンリーグの2つに分ける予定なんだ。ダイナマイトシャッフルズとシャークスはオーシャンリーグに入る予定なんだが、リザースはマウンテンリーグだ。お前はシャークスを見返したいんだろ?だったらオーシャンリーグに行ったほうがいい。」「でも監督、私はリザースに拾ってもらえた事を感謝しています。出て行くのは恩を仇で返すことになる気がして・・・」「そんな事はない。お前は本当にいい選手だった。なんでも出来るから、何回も助けられた。もう十分恩返しはしてもらったよ。今までありがとう」この言葉で迷いは吹っ切れた。オフにFA宣言をして、シャッフルズに移籍した。今は他球団選手とともに練習試合を重ね、ダイナマイトシャッフルズのダイナマイトリーグ参入を今か今かとまっている。 #endregion #region(close,大木) #endregion #region(close,佐藤) #endregion #region(close,加藤) #endregion **投手 #region(close,岡村) #endregion #region(close,平山) #endregion **コメント欄 &bold(){これより前のコメントは[[コメント/シャッフル限定選手物語]]} #pcomment(,10,enableurl)

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