シャッフル限定選手物語

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シャッフル限定選手物語 - (2020/10/19 (月) 17:43:06) の最新版との変更点

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**野手 #region(close,太田) 太田光。42歳。 太田は今では投手以外の全ポジションを守れる。ベンチにいると助かる、超ユーティリティプレーヤーだ。しかし、太田は苦労人だった。ここでは彼の半生を追う。 太田は学生の時、プロを目指していた。だから、高校三年の時、プロ志望届を出した。しかし、当時の能力は11113131。打撃はのび太も驚く下手さだった。本人も、自分はプロに行けないと思っていたけれど、このまま就職しても本気で向き合えないと思い、プロへの未練を無くすために志望届を出した。 しかし何と、シャークスに指名された。なぜこんな奴をとったかって?あそこはドラフトで10人指名しても、7人に入団拒否されるから、大量に指名せざるを得ないからだ。この年は15人指名して、7人入った。シャークスにしては入団拒否が少ないな。 当時のシャークスの状態は今と同じだった。スター数人が首脳陣から評価されている。他は酷い扱い。そんなこともあり、アマチュア選手からの評判は最悪だったが、太田は「このチャンスを逃したら次のチャンスは無い」と思い、入団した。 しかし、シャークスでの扱いは酷いものだった。まともな練習さえできない。練習はひたすら走るだけだった。同期はどんどんやる気を失い、引退していった。しかし、太田はそれで腐らなかった。ひたすら走り続けた。 そしてプロ5年目のシーズンの終盤に、ようやく試合に出るチャンスを与えられた。走りこみのお陰で、走力と守備範囲が大幅に良くなり、能力は1111031101となっていた。プロ初出場は代走だった。無死一塁の場面。初球から走り、何とプロ初盗塁を決めた。盗塁技術は拙かったが、足の速さでした盗塁だった。このプレーは監督を驚かせた。盗塁技術を上げれば、「ふ○もと」や「あ○ほし」以上のスピードスターになれる。監督はそう確信した。そしてそこからひたすら盗塁技術を磨いた。そして迎えた6年目のシーズン。序盤は代走として盗塁を決めまくった。そしてシーズン半ばのある試合。監督はついに太田をスタメン起用した。1番中堅だった。しかし監督は知らなかった。彼の絶望的な打力を。まあ、走りこみの以外何もしてないんだから、誰も打撃能力なんて知らんわな。ちなみに太田の担当スカウトはこの数年前に失踪していたから、その事を監督に伝えられなかった。話を試合の戻す。4-0で4三振。全タコだった。当然だ。そこで監督は考えた。そうだ、内安を狙わせれば良い。翌日もスタメン。4-0で4三振。ミートが無さすぎた。ファンもぶちぎれた。打てないのもそうだが、肩が酷い事に、だ。それもあり、翌日から控えになった。しかし太田は、ひたすら打撃練習をしていた。打撃練習といっても、シャークスだけあって機材なんて使わせてもらえない。だから、主力選手のウェラケレスのフォームを見て学んだ。そして、それを真似て素振りをひたすらした。 効果は翌年現れた。実は太田は天才だった。見て真似できる。ミートは8まで上がっていた。しかし、飛距離は出なかった。能力は1811031101。ミート、走力が高く、巧打が低い。内安が1番狙いやすい能力だった。そしてこの年、前半戦が終わり打率はリーグトップ。ヒットは全て内安だったけどな。誰もが生え抜きリードオフマンの誕生を確信した。しかし、後半戦は相手も対策して徹底的な前進守備。打てるわけがなかった。肩がアレだったこともあり、すぐ控えに回った。一介の代走の切り札に逆戻りだ。そして太田は考えた。1試合に1分1秒でも長く出場したい。そして自分は足が速い。そうだ、肩を強くして、「代走→守備固め」になろう。これまでは肩があれだったから、代走から即交代だったからな。今度もウェラケレスの送球を見て学んだ。ただ、肩は筋力との兼ね合いもあってか6までしか上がらなかった。それでも、守備範囲が超一流だから、育成のためもありスタメンで使われた。スタメンを外されて一ヶ月後の話だ。 打順は主に8番中堅。ただ、打率はかなり低く、打線の穴だった。 「俺は今年でプロ7年目。若手の域から脱しつつあり、翌年以降は育成のため、と我慢して使われる事は更に少なくなるだろう。となると出場機会は守備固めと代走のみ。守備と代走で終わるプロ野球生活は嫌だ。」そう考えた太田は、オフに、プロ野球人生を賭けた賭けに出た。バッティングフォームを、当時全盛期だった谷口(当時打撃は5101010)と同じにした。するとなんと打撃能力は69910になった。ウェラケレスのやり方は、実はパワーのある奴にしか合わないらしい。非力な打者はミート力しか上がらず、パワーや巧打は上がらない。要するに、太田にあっていなかったようだ。それに対して谷口のバッティングは、非力さをバットの使い方で補っていたため、同じく非力な太田にあっていた。 プロ8年目にして覚醒した太田は、スタメンを獲得した。そして、首位打者と盗塁王を獲得した。それでも油断しないところは流石だった。チームの為に、と、内野と捕手の練習をした。守備能力は内野が8、捕手は6だった。そして翌年、再来年も首位打者と盗塁王をとった。 しかしプロ10年目のシーズン。最終戦に悲劇が太田を襲った。大飛球に飛びついた時、フェンスに激突。しばらく動けなかった。太田はもう野球は出来ない。この好打者がこうやって引退するのか。残念だ。全てのファンがそう思った。そしてシャークスフロントは、もう復活できないと思い、太田を解雇してしまった。 しかし、太田は諦めずに1人、リハビリをした。 完治したのは一年半後だった。怪我で能力は66886686まで下がった。そして、各球団に自分を売り込みに行った。シャークスにはいかなかったけどな。そして、各球団の入団テストを受けた。シャークスを見返す。それが原動力になった。 しかし、入団テストでは緊張からか全く打てなかった。結果は次の通りだ。 像 投手→夏野 結果→5-0 2三振 鷹 投手→向井 結果→5-1 1三振 犬 投手→日村 結果→5-1 2三振 蜥蜴 投手→加賀屋 結果→5-0 3三振 鮫→行ってない 他→門前払い しかし、リザースの拾われ、入団した。そこではかなり活躍した。鮫の監督は泣いていた。 転機が訪れたのはリザースに入ってから11年後。能力は衰え、今と同じだった。 ある巨大な会社が、球団を作り、その球団のダイナマイトリーグの進出を目論んだ。チーム名はダイナマイトシャッフルズ。そこで、まずは選手を集めようとした。太田はそこに誘われた。彼は悩んだ。リザースに恩を感じていたからだ。そして、当時のリザース監督に相談すると、驚く答えが帰ったきた。「実はな、ダイナマイトリーグはお前が誘われたダイナマイトシャッフルズの他に3球団入る予定なんだ。そのあと、ダイナマイトリーグ12球団をオーシャンリーグとマウンテンリーグの2つに分ける予定なんだ。ダイナマイトシャッフルズとシャークスはオーシャンリーグに入る予定なんだが、リザースはマウンテンリーグだ。お前はシャークスを見返したいんだろ?だったらオーシャンリーグに行ったほうがいい。」「でも監督、私はリザースに拾ってもらえた事を感謝しています。出て行くのは恩を仇で返すことになる気がして・・・」「そんな事はない。お前は本当にいい選手だった。なんでも出来るから、何回も助けられた。もう十分恩返しはしてもらったよ。今までありがとう」この言葉で迷いは吹っ切れた。オフにFA宣言をして、シャッフルズに移籍した。今は他球団選手とともに練習試合を重ね、ダイナマイトシャッフルズのダイナマイトリーグ参入を今か今かとまっている。 #endregion #region(close,大木) 今モンキーズのサードコーチャーを務める大木は、かつてのスピードスターやった。 巧みなバットコントロールと俊足で打率を稼ぎ、守っては広大な守備範囲で内外野をこなす。モンキーズの中心的存在やった。盗塁王を三年連続で獲得したこともあったんやで。 でも自慢の俊足にも年とともに衰えが見え始めてな。盗塁数も年ごとに減少。 また特に問題だったのが目の衰えや。動体視力を失って守備の打球勘が鈍り、失策を連発するようになってしもた。 選手層の厚いモンキーズのことやから、代走や代打は豊富におる。守備ができなければもうお役御免というわけや。 それでも大木には、長年培った人望があったんや。大木が走れといえば、どんな選手でも全力疾走する。そこに目をつけた猿渡監督は、サードコーチャーを任せることにしたんや。 采配は大当たり。モンキーズの盗塁数は目に見えて増加し、得点力の向上につながった。 だが、大木にはまだ現役への未練があった。 「ここでなければ、まだやれるのに・・・」 そんな彼に声をかけたのが、新規リーグ立ち上げを目論むシャッフルズ。 未だ衰えぬバットコントロールと俊足を武器に代打・代走で活躍する。 今年はやりたいことをやろうとすると吉かもしれん。 #endregion #region(close,佐藤) 佐藤はメガネの知的な男で、リザーズの名ショートやった。 パワーはないがバットコントロールと選球眼で結果を残すコンタクトヒッターで、守備でも軽快な動きを見せ吉川との二遊間は鉄壁とされた。 その秘密は日頃の理論だった研究にあったそうや。鏡で自分の姿を見ながら、徹底的にフォームをチェック。各投手の傾向を頭に入れ、グラウンド状況やカウントから球種を予測しミートする。守備でも打者の傾向を読み、ポジション取りを的確にして守備範囲を広げる頭脳派選手や。 しかし加齢とともに守備は衰え、打撃でも満足な結果は残せなくなる。 「体がついてこなくなった」 そう言って引退したそうや。 それでも頭をつかうことにかけては右に出るものがおらん。リザーズは彼を打撃コーチとして残したんや。 すると高度な打撃理論を後進たちに次々注ぎ込み育成。日本人選手にはもちろんのこと、得意の語学を生かしてパワー馬鹿だったガルシアにはミートを、エスピサには粘り打ちを教えるなど、「打ち勝つチーム」リザーズの礎を築き上げたそうや。 渋谷なんか面白がって佐藤の打撃指導ばっかり受けとって、おかげでシャークスの生え抜きより打てるようになってしもた。制球を磨けっちゅーに。 今年は頭をつかうことが大事になりそうや。英語も勉強するんやで。 でも自分がパワーヒッターじゃなかったからパワーのない打者だけはどうにもできんかったらしい。森田、佐久間、西なんとかさんらが長打以外が高いのはそういうことらしいで。 #endregion #region(close,佐藤ver2) 佐藤の全盛期はほんま凄かったらしいで。 ダリーグでは攻守どちらも一流って選手はそうそうおらんけど、全盛期の佐藤に関しては違ったんや。本塁打はなかったが、打率に関しては桁外れ。三年連続の首位打者、10年連続の三割を達成したんや。今の滝川に勝るとも劣らん。 守備も圧倒的でな、今でいうと中川が近い。というか、中川が佐藤の守備にあこがれてショートをやるようになったらしいから必然やな。GG賞を7年くらい続けとった。 そんなわけで遊撃手としての最多安打記録、最高打率記録を作ってリザーズに大きな貢献を果たしたんや。打率の記録は南方が挑戦しようとしとるで。 でもショートちゅうんは負担の大きいポジションや。33歳、入団11年、レギュラー定着から10年の佐藤にはさすがに負担が重く、守備範囲も落ちていったそうや。それを何より自覚しているのは本人やった。 打撃はまだまだいけたから、ちょうどケガで送球難に陥った吉川を外してセカンドにコンバートされたんや。 それでまた3年くらい続けたんやな。さすがにタイトルってほど打てなかったが、セカンドとしては十分な打撃やった。 しかし世代交代の波は来る。送球難を(最低限)克服し一軍に上がってきた和製大砲の梶山にセカンドを渡すことになったんや。ダリーグではパワーのある打者が重宝されるからな。 それに守備力ももう二遊間を守れるレベルではなくなってしもてた。それでもまだ現役にこだわり、最後にファーストに入ろうとしたんやな。 そこからは語る必要もないな。ガルシア、桐野、真木に倉科、一塁候補はいくらでもおった。ここにきてついに佐藤は、ユニフォームを脱いだんや。 「体がついてこなくなった。リザーズの内野はもう大丈夫。これからは打撃を育てる」 そういってリザーズの攻撃力向上に貢献したのは有名な話や。 今年はあきらめずにいろいろ試すのが吉や。 #endregion #region(close,加藤) 加藤はシャッフルズの中では最若手や。エレファンツを若くして解雇され、たまたまここへ流れ着いたんや。 かつては甲子園で鳴らしたスラッガー。長打のチーム、エレファンツに指名され意気揚々と入団した。 しかし生まれ持っての雑な性格が災いし、打率は低空飛行を続ける。振り回すもんやからたまに当たればそれなりに飛ばすんやけど、そんな打者はエレファンツにはいくらもおるんや。 それでも守備ができればと思ったが、これまた雑なプレーが多くて当てにならん。フォーム調整を怠ったことが原因で送球イップスを発症し、本職の外野はまともに守れんようになってしもた。 結局芽が出ることはなく、エレファンツを解雇。トライアウトを受験するも3三振といいところがなく、独立リーグへ移ったそうや。 球はまともに投げられんようやけど、あっちではファーストでそこそこ打っとるらしいで。 そんなある日に放ったサヨナラホームランがシャッフルズの目に止まり、大砲候補として入団。 でも打率が低すぎるもんやからあんまり使ってもらえん。 今年は慎重に物事を進めると吉や。 #endregion #region(close,加藤Ver2) 加藤はつい最近まで外野やったんや。守るのも一応外野のほうが得意らしいで。 でも守備範囲はお粗末なもんや。それでもプロにまで評価されとったのは、ファルコンズ久野に並ぶといわれるほどの強肩があったからや。 打撃は粗いが一発があるし、守っても強肩で進塁を阻む。素材型の選手としてエレファンツがとったんや。サードコンバートの案もあったみたいで、実際外野が充実しとる象ではサードの練習をしたこともあったらしい。 でもな、加藤は雑で向上心に欠けるというプロにしては致命的な弱点があったんや。 とりあえず素振りもするし遠投もするんやが、どこか気のない練習や。コーチ陣もどうしたものかと頭をひねったそうやが、如何せん本人が変わらんことにはどうしようもない。 加藤本人は、自分が成功するはずだとどこかで信じ切っていたんやな。 そんな加藤に異変が起きたのは二軍戦でのことや。ライト守備に就いていた加藤のもとにきわどいフライが飛び、危うく取った加藤はそのまま犠牲フライを防ぐためにバックホーム。しかし、無理な体勢から投げようとしたのがいけんかったのか、一瞬「腕をどう回せばいいのかわからない」感覚に襲われたんや。 持ち前の地肩で無理やり投げたはいいが、その違和感はずっと消えんかった。送球フォームが壊れとったんやな。 加藤は生まれて初めてのように焦った。肩があかんのではライトもサードも務まらん。ファーストにはミスターエレファンツの郷野がおって、そうそう一軍で使ってもらえるとは思えん。何とかして肩を直さなあかん。 しかし、その焦りが破滅につながった。無理なフォームで投げ続けて、ついに肩をおかしくしてしまったんや。 加藤は半年棒に振って、戻ってこれたのは翌シーズンやった。 高卒野手やから、そこそこは面倒見てもらえたんや。次の年も少し試合には出られた。 でも、肩をケガしてフォームもボロボロの加藤は攻守で精彩を欠いた。もともと低かった打率もさらに悲惨なものになり、送球は見る影もない。二軍調整もむなしく戦力外を通告された加藤は、ドッグスの皆川とかがおった独立リーグ球団に移ったんや。 腐っても元プロのスラッガーや。独立リーグではなるべく送球せんでもすむように、ファーストにおいてもらってそこそこ打っとる。やっぱり打率は低いんやけどな。 加藤はいつでもプロに戻れるように準備しとるらしいで。シャークスあたり、花田のかわりに取らんかな。 今年は何事も真面目に取り組むのが吉や。 #endregion **投手 #region(close,岡村) 元ファルコンズの岡村は、かつての大エースや。 速球、制球、変化球どれをとっても全く死角がなかった。ファルコンズといえば投手王国のイメージは岡村から始まったと言われるほどや。 貧打が原因で負けても、野手のせいには一切せん。「自分が抑えればよかった」と必ず語り、野手陣の信頼を勝ち取っていったんや。 ベテランに差し掛かるころには持ち前の面倒見の良さを発揮してな、兼任コーチに就任したんや。まだ若かった雑賀を始めとする投手陣の素質を見抜き、秘蔵の変化球を教え込むなどして育成に貢献。今の三本柱があるのは岡村のおかげとも言われるんやで。 しかし、加齢には勝てず成績は次第に低下。とくにスタミナの衰えが顕著で、先発としてはもう通用しなくなっていたんや。 それでもファンの人気は厚く、監督も中継ぎとして使い続けようとしとった。次世代の中継ぎエース候補向井が大外れやったからな・・・ しかし、岡村はユニホームを脱ぐことにしたんや。「一軍で勝てなくなった。投手王国にはもう自分は必要ない」と言ってな。 そして対エレファンツ、引退試合の日。監督は岡村を、1年ぶりに先発投手として起用したんや。 球にかつての勢いはなく、エレファンツの強力打線に打ち込まれ6回までで10失点。しかし、監督は岡村をマウンドに送り続けた。球団の功労者に、なんとか花道を作ってやりたかったそうや。 7回のはじめ、エレファンツの攻撃。先頭打者は4番、郷野。幾度となく名勝負を演出してきた永遠のライバルや。 第一球、外角に外れるスライダー。郷野はこれに手を出し、渾身の空振り。 第二球、ゾーン外へ落ちるフォーク。これにも郷野は手を出し、ライト線へ切れるファール。 そして三球目、岡村が投じたのは渾身のMAXストレート。アウトローいっぱいに決まった球を郷野は見逃し、三振。大歓声が上がった。 ここで岡村は降板。有終の美を飾る見逃し三振に、ファンもチームメイトも涙したんや。 試合後の引退セレモニーで、岡村はこういった。 「私はきょう、3つのありがとうを言いたいと思います。 まず、ファルコンズのチームメイト、監督、コーチのみなさんに、ずっとともにやってこれたことを感謝して。 つぎに、ファンの皆様。今日までこの岡村を応援してくれたことに感謝して。 そして、郷野君。最後までライバルとしてやってきたことに感謝して。」 郷野はこれを聞いて号泣したそうや。 今年はライバルに感謝するといいことがありそうや。 #endregion #region(close,岡村Ver2) そんな岡村は今、ファルコンズの投手コーチや。監督の話もそろそろってとこやろうけど、本人はもう少しやり残したことがあるみたいやな。まあ、誰のことかはわからんでもないが。 ファンサービスも後輩への面倒見もいい岡村は、当初コーチへの就任が心配されとった。優しさが仇になって選手を強く指導できんのじゃないか、という懸念があったんやな。 まあ、それが杞憂に終わったのは今の三本柱を見ればわかる。 年長の雑賀は、入団してきたときから180km/h投げとったんや。でもその時はコントロールがひどくて、とんでもないキレのフォークとカーブで力づくで三振を奪うような投手やった。どこかで見たことあるな。 岡村はこの制球の問題が下半身からきていることを見抜いとった。それで、雑賀に走り込みを勧めたんや。 雑賀は本格派投手らしいわがままなところが昔はあって、好きな投げ込みばかりして走り込みを嫌がった。それを見た岡村は、なんと自分がひたすら走り込み、練習する姿を見せたんや。 引退直前の岡村しか知らん人はピンと来ないかもしれんが、全盛期はものすごいタフネスぶりを見せとったんや。年を取ってからイニングを投げられなくなったのはどちらかと言えば肩の問題で、全身の体力は全然衰えてはいなかったんやな。 ある日の雑賀は練習をさぼって夜遊びに出かけた。夜中、こっそり寮に帰ろうとすると、周りの道を延々走っとる人がおる。よく見れば、それは岡村やった。 雑賀は衝撃を受けた。現役ですらないコーチが毎日こんなに走っとる。自分はいったい何をやっとるんやと。 翌日の雑賀は、合わせる顔がないといった表情で練習に現れた。岡村はそれを見て、 「雑賀、お前はファルコンズのエースになれると俺は思ってる。だから、ファルコンズのエースが何をするべきか見せたんだ」 と優しく言ったそうや。 改心した雑賀がどんな成長を遂げたか、ここで喋るまでもないな。 今年は自分の姿勢で若いもんを引っ張っていくのが吉や。わめくだけじゃ人はついてこんで。 #endregion #region(close,岡村Ver3) 大エース雑賀が立派に成長し、ファルコンズは次世代の中継ぎエースとして技巧派の橋爪を取った。雑賀を一人前に育てた岡村の次の仕事は、橋爪をどんな投手にするかってことやったな。 橋爪は投手には珍しいほど気弱っちゅーか、良くも悪くも繊細で真面目やった。雑賀に憧れて入ってきたはいいけど、当初は横変化ばかりで打ち込まれがち。「自分の球は雑賀さんには全く及ばない」と言ってひたすら練習するような男や。 岡村はそんな橋爪をことあるごとに構った。このタイプは良く面倒を見るほど成長が早いと知っとったからや。 自慢の変化球も教えてやりたいが、自分は右で橋爪は左や。岡村は鏡を自腹で買ってきて、自分の変化球の握りやフォームを手とり足取り教え込んだんや。これだけの教材があって勉強熱心な橋爪が成功しないはずはない。 さらには、岡村と雑賀が並んで走っとるのを見た橋爪がいつしか後ろについて走るようになったんや。若い橋爪は岡村の思った以上の早さで体力をつけ、また技術を磨いていった。 橋爪の成長に感服した岡村は、ある日監督に直訴した。 「橋爪は中継ぎでももったいない男です。先発で使ってください」 橋爪を横変化だけの投手だと思っとった監督は驚いたが、岡村のいうことやと思ってタートルズ戦で実戦投入。すると今までの危うさはどこへやら、雑賀直伝のフォークは投げるわ審判が疲労で倒れるほどの制球力を見せるわで完封勝利。雑賀に次ぐ二枚目の看板の座をものにしたんや。 ヒーローインタビューでお立ち台に上がった橋爪は、真っ先に岡村への感謝を述べたんやで。 一人一人、適切な教え方ってもんがある。今年はそれを大切にしていきたいな。 #endregion #region(close,岡村Ver4) 雑賀・橋爪の成長に気をよくした監督は、素材型と評されながら二軍でくすぶっていた笹原の再生を岡村コーチに託したんや。 当時の笹原はあまり練習しとらんように見えた。二軍コーチがあれこれ手を焼いているのに、どうも伸びてこないそうや。当時の能力は787777、速球も変化球も微妙でファルコンズの投手として一線に出られるほどではなかったんや。首脳陣の不評を買っていたこともあって、二軍暮らしが続いとった。 岡村は年が一回りも離れた笹原のことをまずは理解しようと、積極的にコミュニケーションを取り始めた。 すると、どうも話がかみ合わない。全く変なことを言っているわけではないんやが、何か急に不思議なことを口走る癖がある。 「俺はシュートだけなら岡村さんより鋭いのが投げられますよ」 全盛期の岡村は能力にして999888や。変化球派ではないとはいえ一級のシュートを投げとった大エースに対してこの物言いや。並みの選手ならガチギレでもおかしくないとこやが、岡村はそこが偉かった。 「ふうん、なんで今まで投げてなかったんだ?」 「そりゃ、二軍コーチが違う投げ方を指導するからですよ」 「コーチの指導が合わないって言いたいのか。しかしコーチもお前のことを思って言ってたんだぞ」 「それはわかりますよ。でもシュートに関してはその限りじゃないんです」 岡村は思った。こいつは無根拠に喋っているんじゃない。何かはっきりした自信があるらしい。 「じゃあ、俺が口を出さなきゃ、お前の本気のシュートを見せてくれるか?」 「いいっすよ。30球投げ終わる前には完成させてみせます。でもキャッチは片野坂さんにお願いしたいですね」 「ブルペンキャッチャーじゃだめなのか?」 「たぶん、捕れないと思うんで」 岡村は苦笑しつつも、片野坂に頼み込んでマスクをかぶってもらうことにしたんや。 翌日は様子を見ようと、雑賀ら選手一同が笹原を取り囲む。しかし、大先輩たちを前にして笹原は全く動じる様子もなかった。 一球目、シュートがベースから左にそれるように曲がる。確かにシュートだが、並みのキレや。雑賀が首をかしげる。 10球投げて、まだはっきりした違いはない。でも、球界屈指の強打者カラーゾと、捕ってる片野坂は何か気づいたようやった。 20球。徐々にシュートのキレが増していく。球界最高の捕手と言われる片野坂が、あやうくミットからこぼしかける。 ここで球界有数の左打者である久野が声をあげた。 「打席に入っていいか?」 「まだ未完成なんで、振らないでもらえるなら」 久野は構えるだけ構えた。笹原の宣言した30球まで、あと10球や。 21、22、23。一球投げるごとにシュートの変化が大きくなっていく。26、27、28。途中までまっすぐ来たように見えた球が、急に左へ加速する。 「次、最後にしますんで」 そういって投じられた30球目。真ん中に来た球を、久野は思わずフルスイング。しかし、ミート技術に定評のある彼のバットは空を切り、そしてボールは片野坂が左に伸ばしたミットのさらに先を掠めていった。 一瞬静まり返る球場。次の瞬間、岡村が嘆声の口火を切った。 それから、笹原の練習にコーチ陣が口を出すことはなくなった。岡村からお達しがでたんや。 自由にのびのびと投げ込みを始めた笹原はあっちゅーまに才能を開花させ、速球とシュートを武器に三本柱の一角に食い込んだんや。 笹原はなんも言わんけど、飲み会があるたび岡村の横に座りたがるあたり、感謝はしとるんやろな。 時には何も言わないことが、相手に一番合った指導法になることもあるっちゅーことやな。 #endregion #region(close,岡村Ver5) ちなみに岡村は投手コーチとして三本柱を育てとるけど、現役時代は片野坂を育てたんやで。 プロ3年目にしてすでにファルコンズのエース格になっていた岡村は、凱旋気分で地元の中学校の野球教室に参加したんや。憧れのスーパースターの登場に皆大喜びだったそうやで。 子供たちはみんな岡村に投球を習いたがった。岡村も当時からさすがなもんで、ストレートに変化球にいろんなことをやってみせたんやな。 でもそのとき、一人だけ違うことを言ってきた一年生がおった。 「俺に球を受けさせてください」 体は小さく、細い。それでも、大エースにこう頼み込む勇気、キャッチャーに対する覚悟。岡村は、片野坂少年の捕手としての並々ならぬ才能を感じ取ったんや。 むろんトッププロの球が中学一年生に捕れるはずはない。岡村はだいぶ緩めて投げたが、片野坂少年はこうも言った。 「本気の球を一球だけ見せてください」 流石に危ないと断る岡村。でも片野坂少年は本気やった。岡村は間違っても彼の体に当てないよう、ミットのど真ん中に細心の注意を払って投げ込んだ。岡村が渋谷じゃなくて本当によかったな。 154km/h、中学生には速すぎるプロの球を、片野坂少年はしっかりとキャッチ。ミットの真ん中にストレートが当たった時の心地よい音がグラウンドに響き渡った。 「痛くなかったか?」 「大丈夫です」 「よく捕ったな。いいキャッチャーになれるよ」 「プロでも通用しますか?」 「これから練習していけばきっとな」 「もしプロになったら、岡村さんの球を捕れますか?」 ここまで捕ることに執着する選手はプロにもそうおらん。岡村は片野坂少年の将来が確かなものである予感をおぼえ、微笑んでこういった。 「ああ。一緒にプロでやろう」 10年後、ファルコンズの大横綱になっていた岡村の目に、ファルコンズの大卒ドラフト指名が飛び込んできた。 「片野坂...あの子が」 片野坂は研鑽を積み続け、立派にプロのキャッチャーになったんや。打撃は苦手やったけど、フィールディングと送球は当初から教えることがないとまで言われた超一流。守備の捕手として、守りのチームのファルコンズに入団が決まったんや。 翌シーズンの開幕戦はリザーズとの戦いやった。開幕投手を務めた岡村は、なんといきなり片野坂を捕手に指名。片野坂のサインに一度たりとも首を振らず、強力蜥蜴打線を無失点に抑え込む。しかし渋谷も譲らず、8回まで両チーム無得点。 しかし、ストレートキラーの4番桐野に片野坂はインハイのストレートを要求した。いかに岡村の直球といえども相手が悪く、先制のソロホームラン。片野坂はまだプロの怖さを分かってなかったんやな。 裏は6番大菅がセンター前で出塁、7番谷野がバントを試みるも、渋谷の速球を殺せずセカンド吉川の真正面を突くまさかのゲッツー。 それでも、ここで繋げば代打スミスがある。ほかの捕手は代打で出てしもてたから、8番片野坂に開幕戦の命運が託されたんや。 結果は空振り三振。守備ではプロ級でも、打撃はまだまだやった片野坂は、岡村の敗戦投手を決定づけてしまったんや。 ベンチで泣き崩れる片野坂に声をかけたのは、やはり岡村やった。 「岡村さん...すみません」 「謝ることはないよ。俺のストレートが打たれただけだ」 「援護も...できなくて...」 「そう言ってくれるならうれしいよ。どんなにいい投手でも、一人じゃ試合に勝てないんだ」 「岡村さん...」 「点を入れて守ってくれる野手がいてこその投手だからな」 それからも岡村は、自分が投げるたびに片野坂を指名した。あんな負け方を繰り返すまいと、片野坂は苦手ながらも全力でバットを振り、走る。守れば驚異的なフィールディングと強肩でバントも盗塁もすべて封じ込め、ファルコンズ全体の守備力を大きく上げたと評されたんや。後半はずっとスタメンマスクやったんやないかな。 新人王を受賞した片野坂はそのまま成長を続け、岡村引退後も扇のかなめとして活躍。日本代表入りも果たし、三本柱や南方といった超一流投手陣を牽引したんや。 その胸には、いつも岡村の言葉があったそうや。攻守でチームを支える捕手片野坂は岡村あってこそのことやったんやな。 今年は他人への感謝を忘れんようにしような。 #endregion #region(close,平山) 平山は高校時代から自信家やった。直球のスピードはさほどなかったが、制球力と変化球が抜群で、近隣の高校ではまともに打てるやつがおらんかった。たいした強豪でもなかった高校を、平山一人が甲子園に連れて行ったようなこともあった。 大学へ進むと頭角を表し始め、守護神として活躍。連続無失点記録まで樹立し、ますます鼻高々になっていった。 その実績を引っさげ、プロ志望届を出したんや。「地元球団ドッグスを志望、それ以外なら社会人へ進む」といってな。 しかし、犬神監督は指名を渋った。「彼は少し調子に乗りすぎている。自分が通用すると思うのはいいが、実力が伴っていない」と考えたんや。 結局指名したのはシャークスのみ。平山は「弱小球団に興味はない」として社会人へ進んだんや。 行った先でも活躍し、2年後再びプロ志望届を提出。なおも迷う犬神監督だったが、地元のスター候補を指名するようフロントからの圧力がかかり、ドッグスはついにドラフト二位で指名。晴れて入団となったんや。 しかしプロでは監督の予感が的中。 アマチュアレベルでは圧倒的だった変化球もすべてが中途半端なレベルで、得意のシュートも並程度の完成度やった。 制球はそこそこだったものの、球威がないからうかつにストライクが取れない。結局四球ばかりが多くなり、指標がどんどん悪化。 ドッグスの強力打線や好守に助けられいくつかの勝ち星を重ねたが、気持ちは焦るばかりやった。 挙げ句、焦りすぎた練習が仇となって肩を故障。イニングを投げられなくなったことで先発転向の道も消え、凡投手に成り下がった平山を球団は解雇。 枡渕よりは使えるやろってことでシャークスに売り込みをかけたが、アマチュア時代に蹴ったことが原因で拒絶。現役引退となったんや。 そんな彼に声をかけたのが新規リーグ立ち上げを目論むシャッフルズ球団社長。 平山はドッグスとシャークスへの逆襲を誓う。 今年は過剰な自信に注意や。 #endregion #region(close,平山Ver2) 平山はじつはファルコンズ橋爪と同い年で、地元も近いんや。技巧派で投球スタイルのよく似た二人は、右の平山左の橋爪と比較されたもんや。 高校野球ではライバル。県の決勝戦で投げ合って、橋爪に完封勝利したこともあった。多くの人が、平山の将来を信じて疑わなかったんやな。 雑賀に憧れてすぐにプロ入りした橋爪と違って、平山は大学へ進んだ。プロ野球選手を引退したあとどんな仕事に就くかまで考えとったようで、「政治家になりたい」とか「アナウンサーもいい」とか言っておったそうやな。 しかし今考えると、この選択が彼にとって悪かったんかもしれん。 橋爪はファルコンズでプロとしての指導を受けた。何しろ大エース岡村の系譜を継いだ本格派・雑賀を完璧に育て上げた球団や。その教育は厳しく、しかも正確なものやった。 体力をつけるための徹底的な走り込み。これが下半身の安定につながり、持ち前の器用さも相まって橋爪の制球力はますます冴えわたった。投手コーチ岡村による変化球の指導は実り、あらゆる球種のキレが向上。 今や針の穴を通すといわれる制球力と、すべてが決め球クラスの豊富な変化球、雑賀に次ぐほどのタフネスを見せていることは言うまでもないな。 一方の平山は大学野球で無双しておった。高校時代は橋爪以上の速球を投げとったし、変化球も見劣りしないはずやった。でもな、実戦の経験を積んだとはいえ、大学野球ではまともな指導者がおらんくて、平山の実力を伸ばすには至らなかったんや。 なまじ勝っているから、平山にその自覚はなかった。ダイナマイト野球みたいに能力が数字で出ればよかったんやが。 それに登板過多もあった。大学野球は投手を使い潰すことで問題視されとるが、人気実績ともにあった平山を監督はことに投げさせたんや。それに応えて無失点記録とか打ち立てたんはさすがやけど、若いうちからの無理は危ないと相場が決まっとる。 伸び悩む実力、消耗する肩。それでも大学、はては社会人で投げ続けた平山は、プロ入りするころにはくたびれた投手になってしもた。速球のスピードも橋爪に抜かれ、自慢のシュートですら橋爪に抜かれ、制球力も足元にも及ばず。 かつて投げ勝った投手があんなに活躍しとるのが、平山を焦らせた一因ともいわれとる。故障してイニングを持たせられなくなり、リリーフとしてシャッフルズに参加したのはそれからのことや。 今年は焦らず、自分の分相応に力をつけることやな。 #endregion **コメント欄 &bold(){これより前のコメントは[[コメント/シャッフル限定選手物語]]} #pcomment(,10,enableurl)
**野手 #region(close,太田) 太田光。42歳。 太田は今では投手以外の全ポジションを守れる。ベンチにいると助かる、超ユーティリティプレーヤーだ。しかし、太田は苦労人だった。ここでは彼の半生を追う。 太田は学生の時、プロを目指していた。だから、高校三年の時、プロ志望届を出した。しかし、当時の能力は11113131。打撃はのび太も驚く下手さだった。本人も、自分はプロに行けないと思っていたけれど、このまま就職しても本気で向き合えないと思い、プロへの未練を無くすために志望届を出した。 しかし何と、シャークスに指名された。なぜこんな奴をとったかって?あそこはドラフトで10人指名しても、7人に入団拒否されるから、大量に指名せざるを得ないからだ。この年は15人指名して、7人入った。シャークスにしては入団拒否が少ないな。 当時のシャークスの状態は今と同じだった。スター数人が首脳陣から評価されている。他は酷い扱い。そんなこともあり、アマチュア選手からの評判は最悪だったが、太田は「このチャンスを逃したら次のチャンスは無い」と思い、入団した。 しかし、シャークスでの扱いは酷いものだった。まともな練習さえできない。練習はひたすら走るだけだった。同期はどんどんやる気を失い、引退していった。しかし、太田はそれで腐らなかった。ひたすら走り続けた。 そしてプロ5年目のシーズンの終盤に、ようやく試合に出るチャンスを与えられた。走りこみのお陰で、走力と守備範囲が大幅に良くなり、能力は1111031101となっていた。プロ初出場は代走だった。無死一塁の場面。初球から走り、何とプロ初盗塁を決めた。盗塁技術は拙かったが、足の速さでした盗塁だった。このプレーは監督を驚かせた。盗塁技術を上げれば、「ふ○もと」や「あ○ほし」以上のスピードスターになれる。監督はそう確信した。そしてそこからひたすら盗塁技術を磨いた。そして迎えた6年目のシーズン。序盤は代走として盗塁を決めまくった。そしてシーズン半ばのある試合。監督はついに太田をスタメン起用した。1番中堅だった。しかし監督は知らなかった。彼の絶望的な打力を。まあ、走りこみの以外何もしてないんだから、誰も打撃能力なんて知らんわな。ちなみに太田の担当スカウトはこの数年前に失踪していたから、その事を監督に伝えられなかった。話を試合の戻す。4-0で4三振。全タコだった。当然だ。そこで監督は考えた。そうだ、内安を狙わせれば良い。翌日もスタメン。4-0で4三振。ミートが無さすぎた。ファンもぶちぎれた。打てないのもそうだが、肩が酷い事に、だ。それもあり、翌日から控えになった。しかし太田は、ひたすら打撃練習をしていた。打撃練習といっても、シャークスだけあって機材なんて使わせてもらえない。だから、主力選手のウェラケレスのフォームを見て学んだ。そして、それを真似て素振りをひたすらした。 効果は翌年現れた。実は太田は天才だった。見て真似できる。ミートは8まで上がっていた。しかし、飛距離は出なかった。能力は1811031101。ミート、走力が高く、巧打が低い。内安が1番狙いやすい能力だった。そしてこの年、前半戦が終わり打率はリーグトップ。ヒットは全て内安だったけどな。誰もが生え抜きリードオフマンの誕生を確信した。しかし、後半戦は相手も対策して徹底的な前進守備。打てるわけがなかった。肩がアレだったこともあり、すぐ控えに回った。一介の代走の切り札に逆戻りだ。そして太田は考えた。1試合に1分1秒でも長く出場したい。そして自分は足が速い。そうだ、肩を強くして、「代走→守備固め」になろう。これまでは肩があれだったから、代走から即交代だったからな。今度もウェラケレスの送球を見て学んだ。ただ、肩は筋力との兼ね合いもあってか6までしか上がらなかった。それでも、守備範囲が超一流だから、育成のためもありスタメンで使われた。スタメンを外されて一ヶ月後の話だ。 打順は主に8番中堅。ただ、打率はかなり低く、打線の穴だった。 「俺は今年でプロ7年目。若手の域から脱しつつあり、翌年以降は育成のため、と我慢して使われる事は更に少なくなるだろう。となると出場機会は守備固めと代走のみ。守備と代走で終わるプロ野球生活は嫌だ。」そう考えた太田は、オフに、プロ野球人生を賭けた賭けに出た。バッティングフォームを、当時全盛期だった谷口(当時打撃は5101010)と同じにした。するとなんと打撃能力は69910になった。ウェラケレスのやり方は、実はパワーのある奴にしか合わないらしい。非力な打者はミート力しか上がらず、パワーや巧打は上がらない。要するに、太田にあっていなかったようだ。それに対して谷口のバッティングは、非力さをバットの使い方で補っていたため、同じく非力な太田にあっていた。 プロ8年目にして覚醒した太田は、スタメンを獲得した。そして、首位打者と盗塁王を獲得した。それでも油断しないところは流石だった。チームの為に、と、内野と捕手の練習をした。守備能力は内野が8、捕手は6だった。そして翌年、再来年も首位打者と盗塁王をとった。 しかしプロ10年目のシーズン。最終戦に悲劇が太田を襲った。大飛球に飛びついた時、フェンスに激突。しばらく動けなかった。太田はもう野球は出来ない。この好打者がこうやって引退するのか。残念だ。全てのファンがそう思った。そしてシャークスフロントは、もう復活できないと思い、太田を解雇してしまった。 しかし、太田は諦めずに1人、リハビリをした。 完治したのは一年半後だった。怪我で能力は66886686まで下がった。そして、各球団に自分を売り込みに行った。シャークスにはいかなかったけどな。そして、各球団の入団テストを受けた。シャークスを見返す。それが原動力になった。 しかし、入団テストでは緊張からか全く打てなかった。結果は次の通りだ。 像 投手→夏野 結果→5-0 2三振 鷹 投手→向井 結果→5-1 1三振 犬 投手→日村 結果→5-1 2三振 蜥蜴 投手→加賀屋 結果→5-0 3三振 鮫→行ってない 他→門前払い しかし、リザースの拾われ、入団した。そこではかなり活躍した。鮫の監督は泣いていた。 転機が訪れたのはリザースに入ってから11年後。能力は衰え、今と同じだった。 ある巨大な会社が、球団を作り、その球団のダイナマイトリーグの進出を目論んだ。チーム名はダイナマイトシャッフルズ。そこで、まずは選手を集めようとした。太田はそこに誘われた。彼は悩んだ。リザースに恩を感じていたからだ。そして、当時のリザース監督に相談すると、驚く答えが帰ったきた。「実はな、ダイナマイトリーグはお前が誘われたダイナマイトシャッフルズの他に3球団入る予定なんだ。そのあと、ダイナマイトリーグ12球団をオーシャンリーグとマウンテンリーグの2つに分ける予定なんだ。ダイナマイトシャッフルズとシャークスはオーシャンリーグに入る予定なんだが、リザースはマウンテンリーグだ。お前はシャークスを見返したいんだろ?だったらオーシャンリーグに行ったほうがいい。」「でも監督、私はリザースに拾ってもらえた事を感謝しています。出て行くのは恩を仇で返すことになる気がして・・・」「そんな事はない。お前は本当にいい選手だった。なんでも出来るから、何回も助けられた。もう十分恩返しはしてもらったよ。今までありがとう」この言葉で迷いは吹っ切れた。オフにFA宣言をして、シャッフルズに移籍した。今は他球団選手とともに練習試合を重ね、ダイナマイトシャッフルズのダイナマイトリーグ参入を今か今かとまっている。 #endregion #region(close,大木) 今モンキーズのサードコーチャーを務める大木は、かつてのスピードスターやった。 巧みなバットコントロールと俊足で打率を稼ぎ、守っては広大な守備範囲で内外野をこなす。モンキーズの中心的存在やった。盗塁王を三年連続で獲得したこともあったんやで。 でも自慢の俊足にも年とともに衰えが見え始めてな。盗塁数も年ごとに減少。 また特に問題だったのが目の衰えや。動体視力を失って守備の打球勘が鈍り、失策を連発するようになってしもた。 選手層の厚いモンキーズのことやから、代走や代打は豊富におる。守備ができなければもうお役御免というわけや。 それでも大木には、長年培った人望があったんや。大木が走れといえば、どんな選手でも全力疾走する。そこに目をつけた猿渡監督は、サードコーチャーを任せることにしたんや。 采配は大当たり。モンキーズの盗塁数は目に見えて増加し、得点力の向上につながった。 だが、大木にはまだ現役への未練があった。 「ここでなければ、まだやれるのに・・・」 そんな彼に声をかけたのが、新規リーグ立ち上げを目論むシャッフルズ。 未だ衰えぬバットコントロールと俊足を武器に代打・代走で活躍する。 今年はやりたいことをやろうとすると吉かもしれん。 #endregion #region(close,佐藤) 佐藤はメガネの知的な男で、リザーズの名ショートやった。 パワーはないがバットコントロールと選球眼で結果を残すコンタクトヒッターで、守備でも軽快な動きを見せ吉川との二遊間は鉄壁とされた。 その秘密は日頃の理論だった研究にあったそうや。鏡で自分の姿を見ながら、徹底的にフォームをチェック。各投手の傾向を頭に入れ、グラウンド状況やカウントから球種を予測しミートする。守備でも打者の傾向を読み、ポジション取りを的確にして守備範囲を広げる頭脳派選手や。 しかし加齢とともに守備は衰え、打撃でも満足な結果は残せなくなる。 「体がついてこなくなった」 そう言って引退したそうや。 それでも頭をつかうことにかけては右に出るものがおらん。リザーズは彼を打撃コーチとして残したんや。 すると高度な打撃理論を後進たちに次々注ぎ込み育成。日本人選手にはもちろんのこと、得意の語学を生かしてパワー馬鹿だったガルシアにはミートを、エスピサには粘り打ちを教えるなど、「打ち勝つチーム」リザーズの礎を築き上げたそうや。 渋谷なんか面白がって佐藤の打撃指導ばっかり受けとって、おかげでシャークスの生え抜きより打てるようになってしもた。制球を磨けっちゅーに。 今年は頭をつかうことが大事になりそうや。英語も勉強するんやで。 でも自分がパワーヒッターじゃなかったからパワーのない打者だけはどうにもできんかったらしい。森田、佐久間、西なんとかさんらが長打以外が高いのはそういうことらしいで。 #endregion #region(close,佐藤ver2) 佐藤の全盛期はほんま凄かったらしいで。 ダリーグでは攻守どちらも一流って選手はそうそうおらんけど、全盛期の佐藤に関しては違ったんや。本塁打はなかったが、打率に関しては桁外れ。三年連続の首位打者、10年連続の三割を達成したんや。今の滝川に勝るとも劣らん。 守備も圧倒的でな、今でいうと中川が近い。というか、中川が佐藤の守備にあこがれてショートをやるようになったらしいから必然やな。GG賞を7年くらい続けとった。 そんなわけで遊撃手としての最多安打記録、最高打率記録を作ってリザーズに大きな貢献を果たしたんや。打率の記録は南方が挑戦しようとしとるで。 でもショートちゅうんは負担の大きいポジションや。33歳、入団11年、レギュラー定着から10年の佐藤にはさすがに負担が重く、守備範囲も落ちていったそうや。それを何より自覚しているのは本人やった。 打撃はまだまだいけたから、ちょうどケガで送球難に陥った吉川を外してセカンドにコンバートされたんや。 それでまた3年くらい続けたんやな。さすがにタイトルってほど打てなかったが、セカンドとしては十分な打撃やった。 しかし世代交代の波は来る。送球難を(最低限)克服し一軍に上がってきた和製大砲の梶山にセカンドを渡すことになったんや。ダリーグではパワーのある打者が重宝されるからな。 それに守備力ももう二遊間を守れるレベルではなくなってしもてた。それでもまだ現役にこだわり、最後にファーストに入ろうとしたんやな。 そこからは語る必要もないな。ガルシア、桐野、真木に倉科、一塁候補はいくらでもおった。ここにきてついに佐藤は、ユニフォームを脱いだんや。 「体がついてこなくなった。リザーズの内野はもう大丈夫。これからは打撃を育てる」 そういってリザーズの攻撃力向上に貢献したのは有名な話や。 今年はあきらめずにいろいろ試すのが吉や。 #endregion #region(close,加藤) 加藤はシャッフルズの中では最若手や。エレファンツを若くして解雇され、たまたまここへ流れ着いたんや。 かつては甲子園で鳴らしたスラッガー。長打のチーム、エレファンツに指名され意気揚々と入団した。 しかし生まれ持っての雑な性格が災いし、打率は低空飛行を続ける。振り回すもんやからたまに当たればそれなりに飛ばすんやけど、そんな打者はエレファンツにはいくらもおるんや。 それでも守備ができればと思ったが、これまた雑なプレーが多くて当てにならん。フォーム調整を怠ったことが原因で送球イップスを発症し、本職の外野はまともに守れんようになってしもた。 結局芽が出ることはなく、エレファンツを解雇。トライアウトを受験するも3三振といいところがなく、独立リーグへ移ったそうや。 球はまともに投げられんようやけど、あっちではファーストでそこそこ打っとるらしいで。 そんなある日に放ったサヨナラホームランがシャッフルズの目に止まり、大砲候補として入団。 でも打率が低すぎるもんやからあんまり使ってもらえん。 今年は慎重に物事を進めると吉や。 #endregion #region(close,加藤Ver2) 加藤はつい最近まで外野やったんや。守るのも一応外野のほうが得意らしいで。 でも守備範囲はお粗末なもんや。それでもプロにまで評価されとったのは、ファルコンズ久野に並ぶといわれるほどの強肩があったからや。 打撃は粗いが一発があるし、守っても強肩で進塁を阻む。素材型の選手としてエレファンツがとったんや。サードコンバートの案もあったみたいで、実際外野が充実しとる象ではサードの練習をしたこともあったらしい。 でもな、加藤は雑で向上心に欠けるというプロにしては致命的な弱点があったんや。 とりあえず素振りもするし遠投もするんやが、どこか気のない練習や。コーチ陣もどうしたものかと頭をひねったそうやが、如何せん本人が変わらんことにはどうしようもない。 加藤本人は、自分が成功するはずだとどこかで信じ切っていたんやな。 そんな加藤に異変が起きたのは二軍戦でのことや。ライト守備に就いていた加藤のもとにきわどいフライが飛び、危うく取った加藤はそのまま犠牲フライを防ぐためにバックホーム。しかし、無理な体勢から投げようとしたのがいけんかったのか、一瞬「腕をどう回せばいいのかわからない」感覚に襲われたんや。 持ち前の地肩で無理やり投げたはいいが、その違和感はずっと消えんかった。送球フォームが壊れとったんやな。 加藤は生まれて初めてのように焦った。肩があかんのではライトもサードも務まらん。ファーストにはミスターエレファンツの郷野がおって、そうそう一軍で使ってもらえるとは思えん。何とかして肩を直さなあかん。 しかし、その焦りが破滅につながった。無理なフォームで投げ続けて、ついに肩をおかしくしてしまったんや。 加藤は半年棒に振って、戻ってこれたのは翌シーズンやった。 高卒野手やから、そこそこは面倒見てもらえたんや。次の年も少し試合には出られた。 でも、肩をケガしてフォームもボロボロの加藤は攻守で精彩を欠いた。もともと低かった打率もさらに悲惨なものになり、送球は見る影もない。二軍調整もむなしく戦力外を通告された加藤は、ドッグスの皆川とかがおった独立リーグ球団に移ったんや。 腐っても元プロのスラッガーや。独立リーグではなるべく送球せんでもすむように、ファーストにおいてもらってそこそこ打っとる。やっぱり打率は低いんやけどな。 加藤はいつでもプロに戻れるように準備しとるらしいで。シャークスあたり、花田のかわりに取らんかな。 今年は何事も真面目に取り組むのが吉や。 #endregion **投手 #region(close,岡村) 元ファルコンズの岡村は、かつての大エースや。 速球、制球、変化球どれをとっても全く死角がなかった。ファルコンズといえば投手王国のイメージは岡村から始まったと言われるほどや。 貧打が原因で負けても、野手のせいには一切せん。「自分が抑えればよかった」と必ず語り、野手陣の信頼を勝ち取っていったんや。 ベテランに差し掛かるころには持ち前の面倒見の良さを発揮してな、兼任コーチに就任したんや。まだ若かった雑賀を始めとする投手陣の素質を見抜き、秘蔵の変化球を教え込むなどして育成に貢献。今の三本柱があるのは岡村のおかげとも言われるんやで。 しかし、加齢には勝てず成績は次第に低下。とくにスタミナの衰えが顕著で、先発としてはもう通用しなくなっていたんや。 それでもファンの人気は厚く、監督も中継ぎとして使い続けようとしとった。次世代の中継ぎエース候補向井が大外れやったからな・・・ しかし、岡村はユニホームを脱ぐことにしたんや。「一軍で勝てなくなった。投手王国にはもう自分は必要ない」と言ってな。 そして対エレファンツ、引退試合の日。監督は岡村を、1年ぶりに先発投手として起用したんや。 球にかつての勢いはなく、エレファンツの強力打線に打ち込まれ6回までで10失点。しかし、監督は岡村をマウンドに送り続けた。球団の功労者に、なんとか花道を作ってやりたかったそうや。 7回のはじめ、エレファンツの攻撃。先頭打者は4番、郷野。幾度となく名勝負を演出してきた永遠のライバルや。 第一球、外角に外れるスライダー。郷野はこれに手を出し、渾身の空振り。 第二球、ゾーン外へ落ちるフォーク。これにも郷野は手を出し、ライト線へ切れるファール。 そして三球目、岡村が投じたのは渾身のMAXストレート。アウトローいっぱいに決まった球を郷野は見逃し、三振。大歓声が上がった。 ここで岡村は降板。有終の美を飾る見逃し三振に、ファンもチームメイトも涙したんや。 試合後の引退セレモニーで、岡村はこういった。 「私はきょう、3つのありがとうを言いたいと思います。 まず、ファルコンズのチームメイト、監督、コーチのみなさんに、ずっとともにやってこれたことを感謝して。 つぎに、ファンの皆様。今日までこの岡村を応援してくれたことに感謝して。 そして、郷野君。最後までライバルとしてやってきたことに感謝して。」 郷野はこれを聞いて号泣したそうや。 今年はライバルに感謝するといいことがありそうや。 #endregion #region(close,岡村Ver2) そんな岡村は今、ファルコンズの投手コーチや。監督の話もそろそろってとこやろうけど、本人はもう少しやり残したことがあるみたいやな。まあ、誰のことかはわからんでもないが。 ファンサービスも後輩への面倒見もいい岡村は、当初コーチへの就任が心配されとった。優しさが仇になって選手を強く指導できんのじゃないか、という懸念があったんやな。 まあ、それが杞憂に終わったのは今の三本柱を見ればわかる。 年長の雑賀は、入団してきたときから180km/h投げとったんや。でもその時はコントロールがひどくて、とんでもないキレのフォークとカーブで力づくで三振を奪うような投手やった。どこかで見たことあるな。 岡村はこの制球の問題が下半身からきていることを見抜いとった。それで、雑賀に走り込みを勧めたんや。 雑賀は本格派投手らしいわがままなところが昔はあって、好きな投げ込みばかりして走り込みを嫌がった。それを見た岡村は、なんと自分がひたすら走り込み、練習する姿を見せたんや。 引退直前の岡村しか知らん人はピンと来ないかもしれんが、全盛期はものすごいタフネスぶりを見せとったんや。年を取ってからイニングを投げられなくなったのはどちらかと言えば肩の問題で、全身の体力は全然衰えてはいなかったんやな。 ある日の雑賀は練習をさぼって夜遊びに出かけた。夜中、こっそり寮に帰ろうとすると、周りの道を延々走っとる人がおる。よく見れば、それは岡村やった。 雑賀は衝撃を受けた。現役ですらないコーチが毎日こんなに走っとる。自分はいったい何をやっとるんやと。 翌日の雑賀は、合わせる顔がないといった表情で練習に現れた。岡村はそれを見て、 「雑賀、お前はファルコンズのエースになれると俺は思ってる。だから、ファルコンズのエースが何をするべきか見せたんだ」 と優しく言ったそうや。 改心した雑賀がどんな成長を遂げたか、ここで喋るまでもないな。 今年は自分の姿勢で若いもんを引っ張っていくのが吉や。わめくだけじゃ人はついてこんで。 #endregion #region(close,岡村Ver3) 大エース雑賀が立派に成長し、ファルコンズは次世代の中継ぎエースとして技巧派の橋爪を取った。雑賀を一人前に育てた岡村の次の仕事は、橋爪をどんな投手にするかってことやったな。 橋爪は投手には珍しいほど気弱っちゅーか、良くも悪くも繊細で真面目やった。雑賀に憧れて入ってきたはいいけど、当初は横変化ばかりで打ち込まれがち。「自分の球は雑賀さんには全く及ばない」と言ってひたすら練習するような男や。 岡村はそんな橋爪をことあるごとに構った。このタイプは良く面倒を見るほど成長が早いと知っとったからや。 自慢の変化球も教えてやりたいが、自分は右で橋爪は左や。岡村は鏡を自腹で買ってきて、自分の変化球の握りやフォームを手とり足取り教え込んだんや。これだけの教材があって勉強熱心な橋爪が成功しないはずはない。 さらには、岡村と雑賀が並んで走っとるのを見た橋爪がいつしか後ろについて走るようになったんや。若い橋爪は岡村の思った以上の早さで体力をつけ、また技術を磨いていった。 橋爪の成長に感服した岡村は、ある日監督に直訴した。 「橋爪は中継ぎでももったいない男です。先発で使ってください」 橋爪を横変化だけの投手だと思っとった監督は驚いたが、岡村のいうことやと思ってタートルズ戦で実戦投入。すると今までの危うさはどこへやら、雑賀直伝のフォークは投げるわ審判が疲労で倒れるほどの制球力を見せるわで完封勝利。雑賀に次ぐ二枚目の看板の座をものにしたんや。 ヒーローインタビューでお立ち台に上がった橋爪は、真っ先に岡村への感謝を述べたんやで。 一人一人、適切な教え方ってもんがある。今年はそれを大切にしていきたいな。 #endregion #region(close,岡村Ver4) 雑賀・橋爪の成長に気をよくした監督は、素材型と評されながら二軍でくすぶっていた笹原の再生を岡村コーチに託したんや。 当時の笹原はあまり練習しとらんように見えた。二軍コーチがあれこれ手を焼いているのに、どうも伸びてこないそうや。当時の能力は787777、速球も変化球も微妙でファルコンズの投手として一線に出られるほどではなかったんや。首脳陣の不評を買っていたこともあって、二軍暮らしが続いとった。 岡村は年が一回りも離れた笹原のことをまずは理解しようと、積極的にコミュニケーションを取り始めた。 すると、どうも話がかみ合わない。全く変なことを言っているわけではないんやが、何か急に不思議なことを口走る癖がある。 「俺はシュートだけなら岡村さんより鋭いのが投げられますよ」 全盛期の岡村は能力にして999888や。変化球派ではないとはいえ一級のシュートを投げとった大エースに対してこの物言いや。並みの選手ならガチギレでもおかしくないとこやが、岡村はそこが偉かった。 「ふうん、なんで今まで投げてなかったんだ?」 「そりゃ、二軍コーチが違う投げ方を指導するからですよ」 「コーチの指導が合わないって言いたいのか。しかしコーチもお前のことを思って言ってたんだぞ」 「それはわかりますよ。でもシュートに関してはその限りじゃないんです」 岡村は思った。こいつは無根拠に喋っているんじゃない。何かはっきりした自信があるらしい。 「じゃあ、俺が口を出さなきゃ、お前の本気のシュートを見せてくれるか?」 「いいっすよ。30球投げ終わる前には完成させてみせます。でもキャッチは片野坂さんにお願いしたいですね」 「ブルペンキャッチャーじゃだめなのか?」 「たぶん、捕れないと思うんで」 岡村は苦笑しつつも、片野坂に頼み込んでマスクをかぶってもらうことにしたんや。 翌日は様子を見ようと、雑賀ら選手一同が笹原を取り囲む。しかし、大先輩たちを前にして笹原は全く動じる様子もなかった。 一球目、シュートがベースから左にそれるように曲がる。確かにシュートだが、並みのキレや。雑賀が首をかしげる。 10球投げて、まだはっきりした違いはない。でも、球界屈指の強打者カラーゾと、捕ってる片野坂は何か気づいたようやった。 20球。徐々にシュートのキレが増していく。球界最高の捕手と言われる片野坂が、あやうくミットからこぼしかける。 ここで球界有数の左打者である久野が声をあげた。 「打席に入っていいか?」 「まだ未完成なんで、振らないでもらえるなら」 久野は構えるだけ構えた。笹原の宣言した30球まで、あと10球や。 21、22、23。一球投げるごとにシュートの変化が大きくなっていく。26、27、28。途中までまっすぐ来たように見えた球が、急に左へ加速する。 「次、最後にしますんで」 そういって投じられた30球目。真ん中に来た球を、久野は思わずフルスイング。しかし、ミート技術に定評のある彼のバットは空を切り、そしてボールは片野坂が左に伸ばしたミットのさらに先を掠めていった。 一瞬静まり返る球場。次の瞬間、岡村が嘆声の口火を切った。 それから、笹原の練習にコーチ陣が口を出すことはなくなった。岡村からお達しがでたんや。 自由にのびのびと投げ込みを始めた笹原はあっちゅーまに才能を開花させ、速球とシュートを武器に三本柱の一角に食い込んだんや。 笹原はなんも言わんけど、飲み会があるたび岡村の横に座りたがるあたり、感謝はしとるんやろな。 時には何も言わないことが、相手に一番合った指導法になることもあるっちゅーことやな。 #endregion #region(close,岡村Ver5) ちなみに岡村は投手コーチとして三本柱を育てとるけど、現役時代は片野坂を育てたんやで。 プロ3年目にしてすでにファルコンズのエース格になっていた岡村は、凱旋気分で地元の中学校の野球教室に参加したんや。憧れのスーパースターの登場に皆大喜びだったそうやで。 子供たちはみんな岡村に投球を習いたがった。岡村も当時からさすがなもんで、ストレートに変化球にいろんなことをやってみせたんやな。 でもそのとき、一人だけ違うことを言ってきた一年生がおった。 「俺に球を受けさせてください」 体は小さく、細い。それでも、大エースにこう頼み込む勇気、キャッチャーに対する覚悟。岡村は、片野坂少年の捕手としての並々ならぬ才能を感じ取ったんや。 むろんトッププロの球が中学一年生に捕れるはずはない。岡村はだいぶ緩めて投げたが、片野坂少年はこうも言った。 「本気の球を一球だけ見せてください」 流石に危ないと断る岡村。でも片野坂少年は本気やった。岡村は間違っても彼の体に当てないよう、ミットのど真ん中に細心の注意を払って投げ込んだ。岡村が渋谷じゃなくて本当によかったな。 154km/h、中学生には速すぎるプロの球を、片野坂少年はしっかりとキャッチ。ミットの真ん中にストレートが当たった時の心地よい音がグラウンドに響き渡った。 「痛くなかったか?」 「大丈夫です」 「よく捕ったな。いいキャッチャーになれるよ」 「プロでも通用しますか?」 「これから練習していけばきっとな」 「もしプロになったら、岡村さんの球を捕れますか?」 ここまで捕ることに執着する選手はプロにもそうおらん。岡村は片野坂少年の将来が確かなものである予感をおぼえ、微笑んでこういった。 「ああ。一緒にプロでやろう」 10年後、ファルコンズの大横綱になっていた岡村の目に、ファルコンズの大卒ドラフト指名が飛び込んできた。 「片野坂...あの子が」 片野坂は研鑽を積み続け、立派にプロのキャッチャーになったんや。打撃は苦手やったけど、フィールディングと送球は当初から教えることがないとまで言われた超一流。守備の捕手として、守りのチームのファルコンズに入団が決まったんや。 翌シーズンの開幕戦はリザーズとの戦いやった。開幕投手を務めた岡村は、なんといきなり片野坂を捕手に指名。片野坂のサインに一度たりとも首を振らず、強力蜥蜴打線を無失点に抑え込む。しかし渋谷も譲らず、8回まで両チーム無得点。 しかし、ストレートキラーの4番桐野に片野坂はインハイのストレートを要求した。いかに岡村の直球といえども相手が悪く、先制のソロホームラン。片野坂はまだプロの怖さを分かってなかったんやな。 裏は6番大菅がセンター前で出塁、7番谷野がバントを試みるも、渋谷の速球を殺せずセカンド吉川の真正面を突くまさかのゲッツー。 それでも、ここで繋げば代打スミスがある。ほかの捕手は代打で出てしもてたから、8番片野坂に開幕戦の命運が託されたんや。 結果は空振り三振。守備ではプロ級でも、打撃はまだまだやった片野坂は、岡村の敗戦投手を決定づけてしまったんや。 ベンチで泣き崩れる片野坂に声をかけたのは、やはり岡村やった。 「岡村さん...すみません」 「謝ることはないよ。俺のストレートが打たれただけだ」 「援護も...できなくて...」 「そう言ってくれるならうれしいよ。どんなにいい投手でも、一人じゃ試合に勝てないんだ」 「岡村さん...」 「点を入れて守ってくれる野手がいてこその投手だからな」 それからも岡村は、自分が投げるたびに片野坂を指名した。あんな負け方を繰り返すまいと、片野坂は苦手ながらも全力でバットを振り、走る。守れば驚異的なフィールディングと強肩でバントも盗塁もすべて封じ込め、ファルコンズ全体の守備力を大きく上げたと評されたんや。後半はずっとスタメンマスクやったんやないかな。 新人王を受賞した片野坂はそのまま成長を続け、岡村引退後も扇のかなめとして活躍。日本代表入りも果たし、三本柱や南方といった超一流投手陣を牽引したんや。 その胸には、いつも岡村の言葉があったそうや。攻守でチームを支える捕手片野坂は岡村あってこそのことやったんやな。 今年は他人への感謝を忘れんようにしような。 #endregion #region(close,平山) 平山は高校時代から自信家やった。直球のスピードはさほどなかったが、制球力と変化球が抜群で、近隣の高校ではまともに打てるやつがおらんかった。たいした強豪でもなかった高校を、平山一人が甲子園に連れて行ったようなこともあった。 大学へ進むと頭角を表し始め、守護神として活躍。連続無失点記録まで樹立し、ますます鼻高々になっていった。 その実績を引っさげ、プロ志望届を出したんや。「地元球団ドッグスを志望、それ以外なら社会人へ進む」といってな。 しかし、犬神監督は指名を渋った。「彼は少し調子に乗りすぎている。自分が通用すると思うのはいいが、実力が伴っていない」と考えたんや。 結局指名したのはシャークスのみ。平山は「弱小球団に興味はない」として社会人へ進んだんや。 行った先でも活躍し、2年後再びプロ志望届を提出。なおも迷う犬神監督だったが、地元のスター候補を指名するようフロントからの圧力がかかり、ドッグスはついにドラフト二位で指名。晴れて入団となったんや。 しかしプロでは監督の予感が的中。 アマチュアレベルでは圧倒的だった変化球もすべてが中途半端なレベルで、得意のシュートも並程度の完成度やった。 制球はそこそこだったものの、球威がないからうかつにストライクが取れない。結局四球ばかりが多くなり、指標がどんどん悪化。 ドッグスの強力打線や好守に助けられいくつかの勝ち星を重ねたが、気持ちは焦るばかりやった。 挙げ句、焦りすぎた練習が仇となって肩を故障。イニングを投げられなくなったことで先発転向の道も消え、凡投手に成り下がった平山を球団は解雇。 枡渕よりは使えるやろってことでシャークスに売り込みをかけたが、アマチュア時代に蹴ったことが原因で拒絶。現役引退となったんや。 そんな彼に声をかけたのが新規リーグ立ち上げを目論むシャッフルズ球団社長。 平山はドッグスとシャークスへの逆襲を誓う。 今年は過剰な自信に注意や。 #endregion #region(close,平山Ver2) 平山はじつはファルコンズ橋爪と同い年で、地元も近いんや。技巧派で投球スタイルのよく似た二人は、右の平山左の橋爪と比較されたもんや。 高校野球ではライバル。県の決勝戦で投げ合って、橋爪に完封勝利したこともあった。多くの人が、平山の将来を信じて疑わなかったんやな。 雑賀に憧れてすぐにプロ入りした橋爪と違って、平山は大学へ進んだ。プロ野球選手を引退したあとどんな仕事に就くかまで考えとったようで、「政治家になりたい」とか「アナウンサーもいい」とか言っておったそうやな。 しかし今考えると、この選択が彼にとって悪かったんかもしれん。 橋爪はファルコンズでプロとしての指導を受けた。何しろ大エース岡村の系譜を継いだ本格派・雑賀を完璧に育て上げた球団や。その教育は厳しく、しかも正確なものやった。 体力をつけるための徹底的な走り込み。これが下半身の安定につながり、持ち前の器用さも相まって橋爪の制球力はますます冴えわたった。投手コーチ岡村による変化球の指導は実り、あらゆる球種のキレが向上。 今や針の穴を通すといわれる制球力と、すべてが決め球クラスの豊富な変化球、雑賀に次ぐほどのタフネスを見せていることは言うまでもないな。 一方の平山は大学野球で無双しておった。高校時代は橋爪以上の速球を投げとったし、変化球も見劣りしないはずやった。でもな、実戦の経験を積んだとはいえ、大学野球ではまともな指導者がおらんくて、平山の実力を伸ばすには至らなかったんや。 なまじ勝っているから、平山にその自覚はなかった。ダイナマイト野球みたいに能力が数字で出ればよかったんやが。 それに登板過多もあった。大学野球は投手を使い潰すことで問題視されとるが、人気実績ともにあった平山を監督はことに投げさせたんや。それに応えて無失点記録とか打ち立てたんはさすがやけど、若いうちからの無理は危ないと相場が決まっとる。 伸び悩む実力、消耗する肩。それでも大学、はては社会人で投げ続けた平山は、プロ入りするころにはくたびれた投手になってしもた。速球のスピードも橋爪に抜かれ、自慢のシュートですら橋爪に抜かれ、制球力も足元にも及ばず。 かつて投げ勝った投手があんなに活躍しとるのが、平山を焦らせた一因ともいわれとる。故障してイニングを持たせられなくなり、リリーフとしてシャッフルズに参加したのはそれからのことや。 今年は焦らず、自分の分相応に力をつけることやな。 #endregion **コメント欄 &bold(){これより前のコメントは[[コメント/シャッフル限定選手物語]]} #pcomment(,10,enableurl)

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