最終更新:
ehoumaki
今さらですが恵方巻について、先に文化勲章を受けられた脇田晴子博士(中世女性史、商工業史などが専門。西宮市出身)にうかがったところ、やはりそんな習慣は近年まで聞いたこともなかったと。これで結論が出ました……って、いつまでこだわってんだ。でも、虚説や偽書の根はきちんと断っておかんと。
今朝のニュース番組「スッキリ!!」で紹介された恵方巻きの起源。
お寿司屋の当時の店長が、芸者さんに教わった事から始めたらしく、花柳界では、節分に旦那さんに見立てた物を食べるという事だったんですね。
きれいどころの芸者衆があの太巻き を一本丸のまま、眼を白黒させながらほおばる姿が… といった、
まあその、上方の旦那 (だんな)衆のなぐさみになっていた、という次第。だもんで、そんなにおおっぴらに、
それも ごくふつうの一般家庭の日常に入り込ませちまっていいのかなあ、と思わぬでもない。
○船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻きずしを丸かぶりさせて、お大尽遊びをしてい たことに端を発するという説
(当時の大阪海苔問屋協同組合事務局長藤森氏からの聞き取り)
○大阪市立博物館の平山敏次郎館長から「ここへ来る途中、阿部野橋のすし屋の表に本日巻巻きずし有りという広告を見たが、何のことかしら」という質聞あり。美登利鮓の久保登一氏返事に、節分に巻きずしを食べる風は大正初めにはすでにあった。おもに花街で行われちょうど新こうこうが漬かる時期なので、その香の物を芯に巻いたノリ巻を、切らずに全のまま恵方のほうへ向いて食べる由。
(篠田統『すしの本』)
○この流行は古くから花柳界に、持て囃されていました。 それが最近一般的に宣伝して年越には必ず豆を年齢の数だけ喰べるように巻寿司が喰べられています。
(大阪鮓商組合発行宣伝チラシ)
〜花街での発祥説に信敵性を与えていることも付記しておく。
「恵方巻きのルーツは「大阪の船場の商人達の料亭遊びから発生」
(新谷尚紀 民俗学者(社会学博士)。国立歴史民俗博物館教授・総合研究大学院大学教授。)
大正初期……大阪の花街で、節分の時期にお新香を巻いた海苔巻きを恵方に向かって食べるという風習(流行り?)があった。
1932年……大阪鮓商組合が「節分の日に丸かぶり ~この流行は古くから花柳界にもてはやされていました。
一説には花街の遊女から生まれた風習とも言われ、その説を取るとなかなか、情感のこもった風習ですね。
3194日前
ウソ風習の恵方巻の正体を暴いてやる!!3568日前
まるかぶり画像集4062日前
諸説考察4403日前
メニュー4408日前
情報保管庫4409日前
恵方巻撲滅チラシ4412日前
右メニュー4414日前
企業が推奨する《あの変な食べ方》4414日前
2ちゃんねるスレ4415日前
プラグイン/ニュースatwikiでよく見られているWikiのランキングです。新しい情報を発見してみよう!
最近作成されたWikiのアクセスランキングです。見るだけでなく加筆してみよう!