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ブルー・ヘヴン - (2008/10/19 (日) 22:52:20) の1つ前との変更点

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*ブルー・ヘヴン #amazon(right,4151779019) 題名:ブルー・ヘヴン 原題:Blue Heaven (2007) 作者:C・J・ボックス C.J.Box 訳者:真崎義博 発行:ハヤカワ・ミステリ文庫 2008.08.25 初版 価格:\1,000  ワイオミングの高地を舞台にした猟区管理官ジョー・ピケットのシリーズで売り出したC・J・ボックスは、最初から気に入って追いかけている作家である。ネイチャー派のミステリというのはあまりないと思うが、この作家に限ってはあくまでもアメリカ北西部の大自然を舞台にした物語が似合う。元牧場職員、釣りガイド、編集者などを経ているだけに、作者の顔が作中に見え隠れするような作風でもある。  ジョーのシリーズは講談社文庫で継続中だが、ハヤカワはノン・シリーズである本作の翻訳権を獲得したのだろう。シリーズの翻訳の遅さを嘲笑う勢いで、翻訳小説をメインとするハヤカワは売れっ子作家ボックスの早期翻訳を遂げたと言っていい。最初はシリーズの順番が変わるなど版元変更による読者的被害を想定していたのだが、そうでなかった。ノン・シリーズならば、スピード翻訳はむしろ大歓迎である。  映画『小さな目撃者』『目撃者 刑事ジョン・ブック』『グロリア』などに共通するのは、子供たちが殺人を目撃し、犯人を知ってしまったことに端を発する巻き込まれミステリであるが、本書はその流れである。ノース・アイダホの幼い弟妹が釣りに出かけた先で殺人現場に遭遇し、殺人者たちに狙われるというのがメイン・ストーリー。そして『目撃者 刑事ジョン・ブック』や『グロリア』『依頼人』では、そうした幼い目撃者を助けようとする者たちにも焦点が当てられる。ジョン・ブックは職業としての刑事、『依頼人』はスーザン・サランドン演じる女弁護士であるから関係上はまだしも、グロリアはあばずれ女であり社会の落伍者的存在であった。シャロン・ストーンのリメイクはともかくジーナ・ローランズは本当にあの時代、あの世相に対し闘いを挑む逞しさで、なみいる男たちを圧倒してみせたほどの歴史的ヒロイン像でさえあったと思う。  C・J・ボックスの世界で、子供たちを救い出すのは、もちろんあばずれ女ではない。カウボーイである。それも時代遅れの、初老の、落ちぶれた、経営的に行き詰っており、人生の最後に孤独だけを抱きかかえて生きている、名誉と誇りと誠実だけが売り物の、博物館にしか存在していないような正統派カウボーイなのである。もちろんぼくが想像した配役はクリント・イーストウッドであり、その配役で読み進んで頂いても、全く問題はないと思う。  一方で子供たちを取り巻く町の住民たちは、何とそれぞれに大小の問題を抱え、間違った生き方を選択してきたのだろうと思わざるを得ない。地方で生活するからこそ、貧困の代わりに誠実を売り飛ばし、金銭を獲得しようとする。そのために失う若き日の純心の大きさに、歳を取ってから後悔する人々の多さが、目立つ。  地方に暮らしながら都会の経済原理に苦しむ姿はジョー・ピケットのシリーズでも取り上げられる背景テーマであり、犯罪の動機を形成する地勢的原理でもあるのだが、本書では、とりわけ、LAあたりからセカンド・ライフを作ろうと移住してくる元警察官たちの引退生活が大きな事件の形成に関わってきてしまう。老後の生活に求めるのが自然であるのか平穏であるのか、あるいは現役時代には求められなかった重労働の大小としての褒章生活であるのか。  人間の原理である、欲望と自省、信条と変節、といった葛藤を抱える人々が一握りの悪玉によって狂わされてしまった多くの時。その代償が、こんな平和で美しい土地にもたらされた犯罪の犠牲者たちであり、逃げる子供たちであるのだ。ボックスの悲痛な願いが髄所に込められたネイチャー派本格ハードボイルド、いや、むしろウェスタンとやはり呼んでおきたい力作が登場した。一気読みの面白さと密度の高さに関しては、予め約束してしまえる一冊である。 (2008/10/19)
*ブルー・ヘヴン #amazon(right,4151779019) 題名:ブルー・ヘヴン 原題:Blue Heaven (2007) 作者:C・J・ボックス C.J.Box 訳者:真崎義博 発行:ハヤカワ・ミステリ文庫 2008.08.25 初版 価格:\1,000  ワイオミングの高地を舞台にした猟区管理官ジョー・ピケットのシリーズで売り出したC・J・ボックスは、最初から気に入って追いかけている作家である。ネイチャー派のミステリというのはあまりないと思うが、この作家に限ってはあくまでもアメリカ北西部の大自然を舞台にした物語が似合う。元牧場職員、釣りガイド、編集者などを経ているだけに、作者の顔が作中に見え隠れするような作風でもある。  ジョーのシリーズは講談社文庫で継続中だが、ハヤカワはノン・シリーズである本作の翻訳権を獲得したのだろう。シリーズの翻訳の遅さを嘲笑う勢いで、翻訳小説をメインとするハヤカワは売れっ子作家ボックスの早期翻訳を遂げたと言っていい。最初はシリーズの順番が変わるなど版元変更による読者的被害を想定していたのだが、そうでなかった。ノン・シリーズならば、スピード翻訳はむしろ大歓迎である。  映画『小さな目撃者』『目撃者 刑事ジョン・ブック』『グロリア』などに共通するのは、子供たちが殺人を目撃し、犯人を知ってしまったことに端を発する巻き込まれミステリであるが、本書はその流れである。ノース・アイダホの幼い弟妹が釣りに出かけた先で殺人現場に遭遇し、殺人者たちに狙われるというのがメイン・ストーリー。そして『目撃者 刑事ジョン・ブック』や『グロリア』『依頼人』では、そうした幼い目撃者を助けようとする者たちにも焦点が当てられる。ジョン・ブックは職業としての刑事、『依頼人』はスーザン・サランドン演じる女弁護士であるから関係上はまだしも、グロリアはあばずれ女であり社会の落伍者的存在であった。シャロン・ストーンのリメイクはともかくジーナ・ローランズは本当にあの時代、あの世相に対し闘いを挑む逞しさで、なみいる男たちを圧倒してみせたほどの歴史的ヒロイン像でさえあったと思う。  C・J・ボックスの世界で、子供たちを救い出すのは、もちろんあばずれ女ではない。カウボーイである。それも時代遅れの、初老の、落ちぶれた、経営的に行き詰っており、人生の最後に孤独だけを抱きかかえて生きている、名誉と誇りと誠実だけが売り物の、博物館にしか存在していないような正統派カウボーイなのである。もちろんぼくが想像した配役はクリント・イーストウッドであり、その配役で読み進んで頂いても、全く問題はないと思う。  一方で子供たちを取り巻く町の住民たちは、何とそれぞれに大小の問題を抱え、間違った生き方を選択してきたのだろうと思わざるを得ない。地方で生活するからこそ、貧困の代わりに誠実を売り飛ばし、金銭を獲得しようとする。そのために失う若き日の純心の大きさに、歳を取ってから後悔する人々の多さが、目立つ。  地方に暮らしながら都会の経済原理に苦しむ姿はジョー・ピケットのシリーズでも取り上げられる背景テーマであり、犯罪の動機を形成する地勢的原理でもあるのだが、本書では、とりわけ、LAあたりからセカンド・ライフを作ろうと移住してくる元警察官たちの引退生活が大きな事件の形成に関わってきてしまう。老後の生活に求めるのが自然であるのか平穏であるのか、あるいは現役時代には求められなかった重労働の大小としての褒章生活であるのか。  人間の原理である、欲望と自省、信条と変節、といった葛藤を抱える人々が一握りの悪玉によって狂わされてしまった多くの時。その代償が、こんな平和で美しい土地にもたらされた犯罪の犠牲者たちであり、逃げる子供たちであるのだ。ボックスの悲痛な願いが髄所に込められたネイチャー派本格ハードボイルド、いや、むしろウェスタンとやはり呼んでおきたい力作が登場した。一気読みの面白さと密度の高さに関しては、予め約束してしまえる一冊である。 (2008/10/19)

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