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*ララバイ
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題名:ララバイ
原題:Lullaby (1989)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:井上一夫
発行:ハヤカワ・ミステリ 1989.02.28 初版
価格:\800
この本に、ぼくはマクベインその人から次のようなサインを戴いている。
"TO SHUN. BEST WISHES.
ED MCBAIN"
#ref(http://homepage2.nifty.com/crimewave/img/mcbain.JPG)
マクベインと話したとき(もちろん通訳付きで)、ぼくはまだ<87分署>を『幽霊』までしか読み進んでいなかったので、そのことを話した。またぼくがパソコン通信のボードでシリーズの読書評を書いている、自分としては早くこの『ララバイ』までたどり着きたい一心であることを伝えた。マクベインは素晴らしい笑顔で右手を差し出してくれた。「もっともっとネットで私の作品を紹介してください」と嬉しそうに言っていた。
またぼくが今年の二月から本シリーズの読破に取りかかったという事実を告げた。「私が三ヶ月かかって書きあげる作品をあなたはたったの三日で読んでしまうのだ」と作家は言い、微笑んでいた。そのとき、ぼくはなぜか地道な捜査に励むキャレラたちの顔を思い浮かべてしまった。
そしてようやく、ぼくは、この本『ララバイ』に到達している。本書はシリーズの中では実に地味な部類だ。捜査の常道を地道に歩む刑事たちの苦労が身にしみる一冊だ。映画『フレンチ・コネクション』のシーンを思い出す。高級レストラン内で豪勢な料理に舌鼓をうつ悪党を張り込みながら、寒空の下でマクドナルドの袋をつつくジーン・ハックマンとロイ・シェイダー。刑事の仕事はあの映画のようにとても地味であるに違いない。
ある事件以来すっかりアイデンティティを失っているアイリーン・バーク。彼女はカウンセラーのもとに通い、刑事という仕事への自己の適正を洗いなおしている。そういうところもまた、とてもしみじみと綴られる。
ぼくはこのシリーズには、格別の愛着を覚える。というのは、いままでたびたび言ったように、このシリーズはぼくと誕生年が一緒だからだ。ぼくはこのシリーズの背後の時間をまさぐることで、自らの生きた時代を追体験することができる気がするのだ。こういう読書経験はあまりあることではない。そしてその時間が、いま、現在に追いつく。ぼくはいま、三十四歳の十二月を迎えている。ぼくの人生も<87分署>のオデッセイアもまったく完結していないままで。<87分署>という名の素晴らしい長篇小説(あえて全部を含めてそう言わせていただく)をぼくはまだ読み終えていなく、作者もまたこれを書き終えていない。
『ララバイ』の名から類推されるとおり、本書のメイン・ストーリーは嬰児殺人である。子守歌が赤子を永遠の眠りに就かせたとき、この物語はスタートする。いつものように刑事たち、犯罪者たちの横糸が絡みつき、アイソラの街を舞台としたバロックのコンチェルトを一斉に奏でてゆく。クリングの孤独がひとしおだ。バークの心の傷は深い。マイヤーにしては珍しい怒りの質は、とてもヒューマンで根深いものだ。これもまた<87分署>の迎える季節であり、日々なのだ。
さて次の邦訳がいつになるものか。とにかくその日まで、<87分署>のタフで心優しき刑事たちには、しばしのララバイを捧げよう。
(1990.12.03)
*ララバイ
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題名:ララバイ
原題:Lullaby (1989)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:井上一夫
発行:ハヤカワ・ミステリ 1989.02.28 初版
価格:\800
この本に、ぼくはマクベインその人から次のようなサインを戴いている。
"TO SHUN. BEST WISHES.
ED MCBAIN"
#ref(http://homepage2.nifty.com/crimewave/img/mcbain.JPG)
マクベインと話したとき(もちろん通訳付きで)、ぼくはまだ<87分署>を『幽霊』までしか読み進んでいなかったので、そのことを話した。またぼくがパソコン通信のボードでシリーズの読書評を書いている、自分としては早くこの『ララバイ』までたどり着きたい一心であることを伝えた。マクベインは素晴らしい笑顔で右手を差し出してくれた。「もっともっとネットで私の作品を紹介してください」と嬉しそうに言っていた。
またぼくが今年の二月から本シリーズの読破に取りかかったという事実を告げた。「私が三ヶ月かかって書きあげる作品をあなたはたったの三日で読んでしまうのだ」と作家は言い、微笑んでいた。そのとき、ぼくはなぜか地道な捜査に励むキャレラたちの顔を思い浮かべてしまった。
そしてようやく、ぼくは、この本『ララバイ』に到達している。本書はシリーズの中では実に地味な部類だ。捜査の常道を地道に歩む刑事たちの苦労が身にしみる一冊だ。映画『フレンチ・コネクション』のシーンを思い出す。高級レストラン内で豪勢な料理に舌鼓をうつ悪党を張り込みながら、寒空の下でマクドナルドの袋をつつくジーン・ハックマンとロイ・シェイダー。刑事の仕事はあの映画のようにとても地味であるに違いない。
ある事件以来すっかりアイデンティティを失っているアイリーン・バーク。彼女はカウンセラーのもとに通い、刑事という仕事への自己の適正を洗いなおしている。そういうところもまた、とてもしみじみと綴られる。
ぼくはこのシリーズには、格別の愛着を覚える。というのは、いままでたびたび言ったように、このシリーズはぼくと誕生年が一緒だからだ。ぼくはこのシリーズの背後の時間をまさぐることで、自らの生きた時代を追体験することができる気がするのだ。こういう読書経験はあまりあることではない。そしてその時間が、いま、現在に追いつく。ぼくはいま、三十四歳の十二月を迎えている。ぼくの人生も<87分署>のオデッセイアもまったく完結していないままで。<87分署>という名の素晴らしい長篇小説(あえて全部を含めてそう言わせていただく)をぼくはまだ読み終えていなく、作者もまたこれを書き終えていない。
『ララバイ』の名から類推されるとおり、本書のメイン・ストーリーは嬰児殺人である。子守歌が赤子を永遠の眠りに就かせたとき、この物語はスタートする。いつものように刑事たち、犯罪者たちの横糸が絡みつき、アイソラの街を舞台としたバロックのコンチェルトを一斉に奏でてゆく。クリングの孤独がひとしおだ。バークの心の傷は深い。マイヤーにしては珍しい怒りの質は、とてもヒューマンで根深いものだ。これもまた<87分署>の迎える季節であり、日々なのだ。
さて次の邦訳がいつになるものか。とにかくその日まで、<87分署>のタフで心優しき刑事たちには、しばしのララバイを捧げよう。
(1990.12.03)