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ハイ・シエラ - (2007/07/15 (日) 14:37:46) の最新版との変更点

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*ハイ・シエラ #amazon(4150017263,right,image) 題名:ハイ・シエラ 原題:High Sierra (1940) 作者:W・R・バーネット W.R.Burnett 訳者:菊池 光 発行:ハヤカワ・ミステリー 2003.02.15 初版 価格:\1100  自分が生まれるよりずっとずっと前に書かれた作品が今頃になって邦訳される。そんな不思議な機会は滅多にあることではないだろう。  ハンフリー・ボガートが初主演をもらった記念すべき映画であったにも関わらず、1941年の大変古い映画に過ぎない。日本では劇場公開より先にTV放映されてしまったのだそうだ。その時のタイトルは『終身犯の賭け』。もちろんそのタイトルがこの本の内容を表したことには全然なっていない。実際に『ハイ・シエラ』のタイトルで劇場公開されたのは1988年なんだそうだ。いつ接したとしても古い作品であったことには変わりはないわけだ。それに、そう、この本に似合うべきタイトルは『ハイ・シエラ』以外にないだろう。  そういう不遇な作品を今手に取ってみる。ハイ・シエラという地名。具体的にどのあたりかぼくはよくわからない。カリフォルニア州。ヨセミテを含む高山であることは間違いないところだろう。  ストーリーはシンプルかつクライムの王道と言える。ロイが出獄する条件は犯罪を請負うことだった。この部分はまるでトンプスンの『ゲッタウェイ』。若い仲間たちとチームを組み、準備し、待機し、犯罪を実行する。このあたりはまるでバンカーの『ストレート・タイム』、あるいは『ドッグ・イート・ドッグ』。予期せぬ不運が起こり、仲間の若さが災いし、追い詰められてゆく。この部分はまるでジョバンニの『おとしまえをつけろ』。しかしそれらどの作品よりも先んじているのが『ハイ・シエラ』だった。まさに王道。  そして、あまりにも重要な役割を果たす女性たち。犯罪チームにふとしたことから加わってゆくマリー。心を惹かれてゆく足の悪いヴェルマ。ヴェルマの足を直してやろうという主人公ロイの心情が彼の生きざまに楔を打ち込んでいる。だがヴェルマにはヴェルマの違った世界があって、ロイはマリーとのアウトローな関係を育むしかない。マリーの悲しみも含めて、ロイの切なさが全編を覆う。マリーとの道ゆきはジョバンニの『生き残った者の掟』のコルシカを思わせる美しさだ。詩情いっぱいの……。  なぜ自分の稼業が、レイプ犯や悪徳警官と同じように「犯罪」と呼ばれ、一緒くたにされるのかロイにはわからない。ロイはジョニー・ディリンジャーの仲間だった。誇りを持ち、市民に救われた古き良き時代が、この物語のなかで語られ、それはゆっくりと終わりを告げてゆく。あの頃のアウトローたちは姿を消し、別の形のより薄汚い悪が世界を席巻し始める。まるでペキンパが描いてきた西部の挽歌を思わせる男たちの匂い。  流星に心震わせ、地震に脅え、高山の雪嶺にため息を吐く主人公。まるで自分は地球という犬にたかるノミのようだと感じる。檻の中では死にたくない。ハイ・シエラの方へ逃れてゆく。たまらなく切ないロイの心情が共感を呼ぶ。飼い主がことごとく死んでしまうという忌まわしい愛犬・パードが哀しい声で吠える。哀しく、美しい、生まれる前の失われた時間に思いが飛翔する、とてもとても古い傑作である。 (2003.02.25)
*ハイ・シエラ #amazon(4150017263,right,image) 題名:ハイ・シエラ 原題:High Sierra (1940) 作者:W・R・バーネット W.R.Burnett 訳者:菊池 光 発行:ハヤカワ・ミステリー 2003.02.15 初版 価格:\1100  自分が生まれるよりずっとずっと前に書かれた作品が今頃になって邦訳される。そんな不思議な機会は滅多にあることではないだろう。  ハンフリー・ボガートが初主演をもらった記念すべき映画であったにも関わらず、1941年の大変古い映画に過ぎない。日本では劇場公開より先にTV放映されてしまったのだそうだ。その時のタイトルは『終身犯の賭け』。もちろんそのタイトルがこの本の内容を表したことには全然なっていない。実際に『ハイ・シエラ』のタイトルで劇場公開されたのは1988年なんだそうだ。いつ接したとしても古い作品であったことには変わりはないわけだ。それに、そう、この本に似合うべきタイトルは『ハイ・シエラ』以外にないだろう。  そういう不遇な作品を今手に取ってみる。ハイ・シエラという地名。具体的にどのあたりかぼくはよくわからない。カリフォルニア州。ヨセミテを含む高山であることは間違いないところだろう。  ストーリーはシンプルかつクライムの王道と言える。ロイが出獄する条件は犯罪を請負うことだった。この部分はまるでトンプスンの『ゲッタウェイ』。若い仲間たちとチームを組み、準備し、待機し、犯罪を実行する。このあたりはまるでバンカーの『ストレート・タイム』、あるいは『ドッグ・イート・ドッグ』。予期せぬ不運が起こり、仲間の若さが災いし、追い詰められてゆく。この部分はまるでジョバンニの『おとしまえをつけろ』。しかしそれらどの作品よりも先んじているのが『ハイ・シエラ』だった。まさに王道。  そして、あまりにも重要な役割を果たす女性たち。犯罪チームにふとしたことから加わってゆくマリー。心を惹かれてゆく足の悪いヴェルマ。ヴェルマの足を直してやろうという主人公ロイの心情が彼の生きざまに楔を打ち込んでいる。だがヴェルマにはヴェルマの違った世界があって、ロイはマリーとのアウトローな関係を育むしかない。マリーの悲しみも含めて、ロイの切なさが全編を覆う。マリーとの道ゆきはジョバンニの『生き残った者の掟』のコルシカを思わせる美しさだ。詩情いっぱいの……。  なぜ自分の稼業が、レイプ犯や悪徳警官と同じように「犯罪」と呼ばれ、一緒くたにされるのかロイにはわからない。ロイはジョニー・ディリンジャーの仲間だった。誇りを持ち、市民に救われた古き良き時代が、この物語のなかで語られ、それはゆっくりと終わりを告げてゆく。あの頃のアウトローたちは姿を消し、別の形のより薄汚い悪が世界を席巻し始める。まるでペキンパが描いてきた西部の挽歌を思わせる男たちの匂い。  流星に心震わせ、地震に脅え、高山の雪嶺にため息を吐く主人公。まるで自分は地球という犬にたかるノミのようだと感じる。檻の中では死にたくない。ハイ・シエラの方へ逃れてゆく。たまらなく切ないロイの心情が共感を呼ぶ。飼い主がことごとく死んでしまうという忌まわしい愛犬・パードが哀しい声で吠える。哀しく、美しい、生まれる前の失われた時間に思いが飛翔する、とてもとても古い傑作である。 (2003.02.25)

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